ビオラのせい


 ~ 一月二十八日(火) 二十メートル ~

  ビオラの花言葉 無邪気



 珍しく、先に登校したと思ったら。


「こないだの将棋ドミノでひらめいたの」

「やめなさい」


 朝の教室で。

 机の上に。

 立体オブジェをこさえていたこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 ……いえ。

 これはオブジェではなく。


 スタートボタンを押すと。

 将棋の駒がドミノのように倒れて。


 針金で出来たレールに置かれた。

 ビー玉を押す仕組みになっていますけど。


 ……軽い色に染めたゆるふわロング髪をハーフアップにして。

 そこにビオラを咲かせているこの人。


 どうやら。

 ルーブ・ゴールドバーグ・マシンを作っていた模様なのです。


「なんとまあ……」


 今週末にも。

 私大の入試が始まるというのに。


 皆さん、集中して勉強したいところなのに。


 迷惑千万。


 授業が始まっても。

 気弱な先生が担当なのをいいことに。


 黙々と作業を続けるのです。


 せめて、最初の授業が担任の先生だったなら。

 こんな暴挙をとめてくれただろうに。


 あの人、一時間目は。

 文部省だかなんだかの。

 お偉いさんを連れて。

 校内を案内するとか言っていたのです。


「ふう……。後は最終チェックなの」

「今日はやめときなさいな。お偉いさんが校内にいるらしいので」

「知ったこっちゃないの。あたしの創作意欲は、神にすら止められないの」


 そして穂咲は、額の汗を拭いながら。

 暴発防止用のストッパーになっていた洗濯ばさみやら針金やらを取り除いて。


 最後の微調整を行っています。


 後は。

 机の上に置かれた、スタートと書かれたボタン。


 それを押せば装置が起動するわけですね。



 ……押したい。



 いやバカな。

 俺は今、何を考えました?


 今日は、お偉いさんが学校にいて。

 騒ぎを起こすわけにはいかないのです。



 だが、押したい。



 いやいやそんなバカな。

 どうなるかなんて目に見えているので。

 そんなバカなことをするはずが……。



 ぽちっ



 パタパタパタ!



「いやーっ!」

「すまん! どうしても衝動を抑えきることが出来ませんでした!」


 俺が押したスタートボタン。

 それがドミノのように並んだ駒の一つを倒すと。


 あっという間にぱたぱたと。

 駒が文字通りの将棋倒しになっていきます。


 そんな、倒れる将棋の駒をとめようと手を出すも。

 のろまな穂咲に追いつけるはずもなく。

 追いすがるのは、常に駒が倒れた後、後、後。


 そして将棋の駒が。

 水飲み鳥のお腹を押すと。


 くちばしで押されたビー玉がループになったレールを滑り。

 一、二、三回転。


 その後から穂咲が指で押さえるのは。

 一、二、三段目。


「おそーい」

「いやーっ!」


 そしてレールの端から飛び出したビー玉が。

 滑車に吊るされた『つるべ』へぽとりと落ちると。


 紐の反対側が結んであった。

 虫かごの扉が開いて。


 中からハムスターが一匹、二匹、三匹と飛び出しました。


「どこから連れて来たのさ」

「ああん! タマ! ミケ! ダイダラボッチ!」

「しかも何て名前つけてるの」


 いや、ちょっと待て。

 最後のは何?



 ……ハムスターが逃げ出して終了とは。

 みょうちくりんな終わり方をしたものです。


 そんなことを考えながら。

 ため息を洩らした俺の目に。


 ルーブ・ゴールドバーグ・マシンの仕掛には。

 まだ続きがあったことが。

 やっと見えたのです。


「ちょっと、それ……」


 穂咲の机の向こう側。

 よく見れば、床にもいろいろ仕掛けられていて。


 三匹のハムスターが。

 ヒマワリの種が入ったお皿に群がると。


 シーソーになった逆の側。

 アルコールランプが持ち上がって糸を切ります。


 すると、しなったモップがテニスボールを放り投げ。

 教室の後ろに置いてあった、鬼のお腹に命中すると。


 鬼は眼を光らせて。

 がおーがおーと腕を振ります。


 そして金棒が、掃除用具入れを殴打して。

 がんがんがんと、大きな音を鳴らすと。


「こらーっ! 静かにしろ!!!」


 お隣りから。

 数学の先生が扉を開いて顔を出すのです。


 その、後方扉から対角線で教室の左前まで。

 ぴんと張られていたロープを伝って。


 扉に縁を叩かれたバケツが。

 するすると移動すると。


 俺の頭上で停止して。

 少しずつ傾いていって……。


「どわああああ!」



 ばっしゃあ! 



 憐れ、逃げ遅れた俺は。

 半身に冷水を被ったのです。


「うおおおお、冷たっ! 逃げようと思ったのに、足が引っ張られたのです!」


 そして、今更気付いたのですけど。

 足に結ばれたロープが……。


「……俺。何かの留め具を抜いた感触があるのですが」

「うう。最後の仕掛けまで動いちまったの」


 よっぽどスタートボタンを押したかったのでしょう。

 涙目で俺をにらむ穂咲さん。


 こいつが指差す窓の外。

 屋上から、何かの垂れ幕が下がっているのですけど。


「……『道』の字が見えるのが。心底不安」


 そんな俺のつぶやきも。

 あっという間に。

 校舎の下の方から聞こえた喧騒に。

 掻き消されます。


「だ、大丈夫ですか!?」

「頭に直撃したぞ!」

「ま、まずは保健室へ……!」

「なんだこれは! なにが落ちて来たんだ!」


 ……ええと。

 なんだか、怖くて聞きたくないのですけど。


「あの……、穂咲さん?」

「なんなの? あたしのお楽しみを横取りした道久君」

「そこに書いた文字は?」

「無邪気な文章なの」

「邪気、駄々洩れです」


 ふてくされたまま。

 そっぽを向いた穂咲の代わりに。


 なんとなく、なにが書かれているのか。

 教えてくれる人が現れました。


『あー。今、三階から参上した秋山。ちょっと全身白装束で降りて来い』



 そして、三十分後。

 校長室で。


 政府のお偉いさんを前に。

 演劇部から借りた短刀を握りしめての土下座ですよ。


「……本当に、死装束で来るとは」

「自分で言ったくせに」

「介錯はしてやる。何か、言い残す事はあるか?」

「地面まで達してどうするつもりでしょう。垂れ幕が長すぎなのです」

「…………じゃあ、短くしてやる」



 俺は、途中まで巻き戻した垂れ幕に包まれて。

 寒空の下に放置されました。



 ……これでは立てません。

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