クンシランのせい
~ 一月二十七日(月) 四組目 ~
クンシランの花言葉 望みを得る
いよいよ、この学校に通う最後の週になりました。
思い残すことは。
きっと沢山あるはずなのに。
それを思い付くことができません。
ただ、そわそわとして。
落ち着かなくて。
誰もがそんな気持ちだった朝も。
この人のせいで。
あっという間に平常運転。
「……なにしているのです」
「小野ちゃんの消しゴム探してるの」
私立大学試験直前。
大学受験向け、短期集中講座。
重要な授業という認識はどこへやら。
床に這いつくばって。
机の間をずりずりと移動するのは
軽い色に染めたゆるふわロング髪を頭のてっぺんでお団子にして。
そこにクンシランのオレンジぼんぼりが揺れているせいで。
「……チョウチンアンコウ」
「何か言ったの?」
「いいえ、なにも」
床という名の海底をずりずりと進む。
深海魚に見えなくもない。
……そんなアングラーちゃんを。
幸せそうな瞳で見つめるクラスの皆さん。
そうですよね。
こんな姿を見ていられるのも。
あと一週間ですもんね。
でも、この人だけは。
そんなにのんきにしていられません。
大慌てで、穂咲の親切をとめようとしています。
「いいよ~。入試前に~。新しい消しゴム~。買うつもりだったから~」
……もとい。
いつも通り、のんきなペースで。
穂咲の手を取る小野さんなのでした。
「むう……、おかしいの。どこにも無いの」
「消しゴム~。消えちゃったみたいだね~」
「消すものだけに。なの」
「…………ん? ………………ああ! ほんとだ~! うまい~!」
「いいえ、全然上手くないですって」
俺の突っ込みに。
穂咲と小野さんが振り向いて。
そのまま怒られるかと思いきや。
二人して、くすくすと笑いだすのです。
……あのね?
それはちょっぴり失礼なのです。
だって、俺が面白いことになっているの。
君たちのせい。
「先生。いつもの事なのですが、どうにも納得できません」
「うるさい。背筋を伸ばさんか」
穂咲が授業の邪魔をしているから。
いつものように。
俺を立たせた先生なのですが。
「なんでまた、廊下ではなく自分の隣に立たせますか」
「急に寒くなったこの時期に風邪などひかれたらかなわんからな。廊下に出すわけにはいかん」
「おお……。珍しく、俺を気遣ってくださるとは……」
「バカもん。貴様はどうでもいいが、受験組に風邪をうつされでもしたらかなわんと言っているのだ」
「……その冷たい言葉のせいで風邪をひいてしまいそうなのです」
相も変わらぬこの仕打ち。
でも、こんな時間も。
もうすぐ終わりかと思うと……。
思うと……。
いえ。
さすがにこれについては。
悲しいとも残念とも思いません。
「せいせいするのです。ビバ、卒業」
「何の話だ?」
思えば小学生の頃から。
穂咲の代わりに立たされ続けて来た俺ですが。
それも、どうやらあと五日で。
終わりになるのですね。
と、いうことは。
同時に、君の底抜けな親切心も。
あまり見なくなるということを意味するわけで。
……そう考えると。
なんだか、急に。
寂しくなり始め……。
「もういいよ~、穂咲ちゃ~ん」
「でも、消えるわけ無いの。誰かの上履きの下とか……」
「これ以上は~。先生も許してくれないよ~?」
「平気なの。こうしとけば」
穂咲はよっこらせと立ち上がると。
俺の頭にクンシランを挿して。
そして再び床へとダイブ。
「……藍川。貴様のせいで授業が進まん」
「当然のようにこっち見んななのです」
穂咲の善行を見ることが出来なくなると。
寂しくなり始めたのは一瞬の事。
君の悪行に付き合わされたくないので。
やっぱり、すぐにでも卒業したいのです。
俺。
よくもまあ、十二年もこんなことに耐えてこれたものですよね。
――そのうち、小野さんと穂咲を放置して。
俺を立たせたまま。
授業は再開したのですが。
小野さんも、穂咲は放っておいて。
ちゃんと授業を聞くべきなのです。
試験前。
大切な時期。
消しゴムと、授業と。
どちらかしか取ることができないのですから。
今は、小野さんに。
授業の方を提供してあげましょうよ。
君がそうしていると。
小野さんも手を貸さざるを得ないので。
「ねえ、穂咲さん? 休み時間に探しませんかね、みんなの手を借りて」
「はっ!? 道久君、ナイスアイデア!」
「でしょ? だから席に戻って……」
「みんなも探して欲しいの! ほら、ハリーハリー!」
「ちょおっ!? 今の流れだと、黒幕が俺になるからやめてっ!」
穂咲の号令で。
一斉に床を見つめるクラスの面々。
そして予想通り。
俺をにらみつける先生の渋面。
でも、さすがにこの暴挙に。
小野さんが悲しそうな声を漏らしたのですが……。
「や、やめてください!!」
……意外にも。
大声をあげてみんなの手を止めたのは。
小野さんのお隣りに座る……。
「江藤君?」
小心者で真面目な江藤君。
そんな彼が。
ポケットから、小さな消しゴムを取り出して。
小野さんの机の上に乗せたのです。
「ご、ごめんなさい……」
「なんでそんなことを?」
思わずつぶやいた俺に。
江藤君が、ぺこりと頭を下げながら。
「どうしても、小野さんの消しゴムが欲しくて」
「それって……」
「はっ!? 分かったの! 江藤君、その消しゴムに財宝のありかが書かれてることに気付いて!」
「君はちょっと黙ってて」
唐変木な穂咲以外。
クラスの皆は、何となく事情を察したのですけれど。
しかし、江藤君。
黙っていてもいいところでしょうに。
自分で招いた騒ぎに。
いたたまれなくなるなんて。
ほんとに君は。
悪さの出来ない人ですね。
「江藤っち~?」
「ほ、ほんとにごめんなさい。僕が取ったんだ」
「え~? ……んと、よく分からないんだけど~、欲しかったの~?」
うわ。
その顔にその質問。
小野さんも分かってない。
おかげで気まずいことこの上なし。
ここは江藤君の上手い言い訳に期待しましょう。
……いや。
だから、江藤君のターンですって。
「きっと、どこかでそのトップシークレットのことを嗅ぎつけたの。だから小野ちゃんの隙をついて……」
「ええい、黙りなさいヘボ探偵」
「そうはいかないの! あたしは名探偵としてこの怪事件を……」
「それ以上言うと、こうです」
「にゃーーーーっ! あたしのシャーペンの消しゴムをどうする気なの!?」
「これで字を消してしまいます」
「大事にとっておいたの! 返してーーーっ!」
よし、これで一番邪魔な人は、俺が天高く掲げるシャーペンの消しゴムに飛びつくだけのカエルになり下がりました。
あとは、そうですね。
江藤君を教室から逃がせばよいでしょうか?
たったの一週間。
黙秘を続けることくらいできるでしょう。
そう思っていたのですが。
なんと、江藤君は。
律義にも、小野さんの質問に。
正直に答えてしまったのです。
「そ……、その……。ず、ずっと好きだったから! だから、気持ち悪いことして申し訳ない……」
「「「きゃーーー!!!」」」
「「「うおおおお!!!」」」
「え、江藤が告った!」
「どうなるの???」
全員が席を立って。
にわかに盛り上がる教室で。
未だに話についてこれないのは。
当のお相手、小野さんと。
カエルだけ。
「……先生。授業中では?」
「うるさい。背筋を伸ばして立たんか」
「道久君、背中丸めるの! 届かないの!」
なんという禅問答。
いや、こいつの言うことは聞く必要ないか。
俺によじ登ろうとする穂咲を振り落としているうちに。
小野さんが、ああ~、そっか~と。
手をポンと叩くと。
今度は、騒がしかった教室が。
水を打ったように静まって。
「そっか~。消しゴムが好きなんだ~」
「「「だあああああ!!!」」」
……うん。
さすがは小野さん。
でも、江藤君も。
ここで引く訳にはいきません。
「ち、違う……。僕が好きなのは、小野さん……」
ここまではっきりと言われてようやく。
小野さんはのんびりと頷いて。
「なんだ~。それは、あれだよ~」
「め、迷惑……?」
「迷惑とかじゃなく~。消しゴム取っちゃうなんて、気持ち悪い~」
のんびりながらも。
言葉の大ナタでばっさり一刀両断。
これには江藤君ばかりか。
一同が膝を屈して床に崩れました。
……でも。
小野さんのペースは。
誰もが待てない程のんびりなわけで。
まだ、彼女の話は。
途中だった模様。
「これからは~。堂々と言って欲しいかな~?」
「うん。……頑張る」
「じゃあ、消しゴムあげる~」
「え?」
「代わりに~。江藤っちの消しゴムちょうだ~い」
「あ……、それって……」
「ちょうだ~い?」
「うん!」
「えへへ。……うれし~!」
そして、江藤君から受け取った消しゴムを。
大事そうに胸に抱いた小野さんは。
顔を真っ赤にさせて。
恥ずかしそうに俯いて。
教科書で、顔を隠してしまったのですが。
「えっと……、これって……」
俺のつぶやきが、堰を切ったよう。
途端に教室ごと揺るがす大騒ぎ。
挙句に始まる万歳三唱。
「おおおおお! 良かったな江藤!」
「おのっち! ずっと気になるって言ってたもんね~!」
「ようし! 俺も頑張るか!」
「柿崎は黙ってろ。三バカは無理だろうよ」
「なんだとっ!? やべっちは後輩と付き合ってんだぞ!」
「付き合ってねえ! なに言ってんだてめえ!」
「こころちゃん! 俺とお付き合いしてください!」
「てめえ立花っ! 抜け駆けすんな!」
「あ、ごめん。あたし、大学生と付き合い始めたから」
「「ぎゃーーーー!」」
もう、だれにも止められない大騒ぎ。
先生と目配せして。
同時に肩を落とす俺。
……そんな俺の腕に。
いつまでもよじ登ろうとする穂咲さん。
お前が、消しゴムのことを気にもしなければ。
ちょっと偏った表現の片想いで。
話は終わっていたことでしょう。
君の行動は。
いつでも誰かに。
幸せを運ぶのです。
まあ、それはさておき。
このどんちゃん騒ぎ。
どうしたらいいのです?
「すごいすごい! ここにきてリア充増えたよ?」
「このクラス、何組カップルいるんだよ!?」
言われてみれば。
六本木君と渡さん。
ほそやんぐ君と向井さん。
坂上さんと瀬古君。
そして、江藤君と小野さん。
「五組もいるじゃねえか!」
「……四組なのです」
「珍しいんじゃない? 五組も付き合ってる人がいるクラスなんて!」
「四組ですって」
俺のつぶやきなど。
大嵐の中の指ぱっちん。
誰の耳にも入ることなく。
完全にスルーなのです。
そして、冷静な俺は。
気付いていたのです。
扉の向こうには。
二年生の、学年主任。
学校で一番怖い先生の顔。
「さて、先生」
「うむ」
俺は、先生と並んで。
職員室で立たされました。
そんなお説教のあいだ。
考えていたことと言えば。
……あと、一週間。
あと、五日。
その間に……。
「君には罰掃除を命じる! 今日中に校門をピカピカにしたまえ!」
「…………夜までかかっちゃいます」
「ピカピカにしたまえ!」
あと。
四日になりました。
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