ステラ のせい


 ~ 一月十六日(木) 390円 ~

  ステラ の花言葉 忘れられた恋人



「図書館ではお静かに」


 もう、五度目。

 注意され過ぎて恥ずかしい。


「ほんとに道久君はどうしようもないの」

「君が、落とした十円玉を追いかけて本棚に激突とか古典的な事するから笑ってしまったのです」

「十円、本棚が食べちゃったの」

「諦めなさい」


 この、おでこに赤いヒリヒリを浮かせる粗忽な子は藍川あいかわ穂咲ほさき

 軽い色に染めたゆるふわロング髪をリクルート仕様に後ろで結わえて。

 ステラの小花で飾ったヘアピンなどして前髪をとめているのですが。


 だから。

 生花はダメって言っているではありませんか。



 先生の命により。

 こいつの就職の面談へ。

 なぜだか俺まで付き合わされた今日。


 飲食店の厨房に入るには非常識だと。

 あっという間に店から追い出されたので。


 俺は必死に事情を説明して。

 なんとか面談の機会を勝ち取ろうとしただけなのに。


「……また思い出したらむかむかしてきたの」

「痛いのです。ぽかぽか叩かないで下さい」

「なんであたしが落とされて道久君が採用されてるの?」

「知りません」


 もちろん俺はお断りいたしましたが。

 そんな結果を言い渡されたこいつの不機嫌な事。


「ちょっと、いつまで叩いているのです? 素朴な痛みがそれなり蓄積されてきたのですが」

「道久君が邪魔したの。邪魔久君なの」

「コホン!」


 うわ。

 また叱られた。


「図書館ではお静かに」

「はい」

「なの」


 ……この世で、穂咲に最も似つかわしくない場所。

 遥か昔から現在に至るまで、すべての人類が未来へ繋ぐために渡し続けて来た。

 より良く生きるための知恵と知識の貯蔵庫。


 図書館。


 そんな場所に。

 俺たちがなぜいるのかと言えば。


「邪魔しに来たなら帰りなさいよ」

「陣中見舞いを装って、敵陣を混乱に陥れに来た刺客としか思えん」


 大事なセンター試験を目前に控えた。

 六本木君と渡さんを応援に来たのです。


「ほら。やっぱり俺たち迷惑になっていますので。面接が一件だけなら、学校に戻りますよ」

「それが嫌だから、言い訳のためにここに寄ったの」


 ……先ほどの説明に誤りを発見いたしました。


 俺たちは大事なセンター試験を目前に控えた。

 六本木君と渡さんを邪魔しに来た模様です。


「ああもう。だったら帰りますよ」

「いやなの。矢でも鉄砲でも動かないの」

「矢だとテコに使ったら折れます。ほら、君はここには相応しくないですし」

「そんなこと無いの」


 いえいえ。

 お釈迦様にナース服くらい似合いませんよ?


「図書館が似合うレディーとは、渡さんのような方を差す言葉なのです」

「じゃあ、あたしが似合うのは?」

「お笑い番組の雛段かなあ?」


 俺の軽口を聞いた穂咲は。

 口をつぐんだせいで。


 そんなことないのという言葉が外に出れずに溜まって。

 ほっぺたがパンパンに膨らみます。


「ちょっと待ってるの! 図書館に相応しいレディーになるから!」


 そして意味の分からない言葉を残して。

 外へ出てしまったのでした。


「……なんだかすいません」

「ああ、いいさ。リラックスできた」

「ほんと。試験直前になって焦り過ぎてたから丁度良かったかも」


 六本木君も、渡さんも。

 優しい言葉をかけてくれたのですが。


「いや、そこまで気を使わなくとも」

「本気で言ってるんだって」

「そうよ。ひょっとしたら、わざとお芝居していたかもしれないし」

「さすがにそれは買いかぶりなのです」


 だよねえと、ひそひそ笑う俺たちでしたが。

 急に渡さんが、妙なことをつぶやきます。


「あの子、珍しく私にやきもち焼いたりしてたけど。あれはお芝居じゃなかったわよね」

「え?」

「何だ道久、気付いてなかったのか?」


 二人して、呆れ顔で俺の顔を見るのですが。

 ほんとに分かりません。


「ええと、穂咲は何にやきもちなど焼いたのです?」

「図書館ではお静かに」

「うおっと! すいませ……、ん?」


 声の主に慌てて振り返ると。

 そこには、いつもよりトーンを落とした声でしゃべりかけて来た穂咲の姿。


 手に持つのは、薄紅色のブックカバー。

 そして首の上に乗せたすまし顔。


 穂咲は、俺たちのそばから少し離れた明るい席に。

 しゃなりしゃなりと腰かけると。


 少し物憂げな表情で本を開き。

 口元を優しく緩ませるのです。



 意外にも、図書館の似合う女性風。

 才女っぽさは漂っていますけど。


「…………ぐう」


 五秒ともちませんでした。


 やれやれ、仕方ない。


 器用にも、椅子に座ったまま半目で眠る文学少女の手から。

 俺は本を取り上げて。


 そのまま頭の上にぺしんと落としました。


「寝てません!」

「……マンガ喫茶か」

「マンガなんか読んでません!」


 そう言われて、はたと気付いて。

 カバーの中身を改めて確認の上。

 もいちどぺしん。


「…………マンガ喫茶か」

「でも、小説とか読めないし。マンガ読んで寝ていたいの」

「満喫したい放題なの?」

「漫喫したい放題なの」


 ニュアンスで。

 何を言いたかったのかは分かるのですが。


 そこには触れず。

 とどめにぺしん。


 ……しようとした手を。

 司書さんに止められました。


「うわ、すいません。もう出て行きますから許してください」

「いいえ。図書をそのように扱うとは何事です」


 うわっ!

 確かに、本を愛するがゆえにここで働く司書さんの前で。

 俺はなんてことを!!!


「本当にすいません! では俺は、どんな罰を受けたらいいのでしょう!?」


 動顚する俺に。

 司書さんは笑顔を向けると。


 ちょっぴり大き目なメガネの中で。

 瞳をくりっとさせて。


 音もたてずに椅子を引いて。

 優しく俺を促すのです。


「そんな悲しい顔をしないでいいです。しっかり理解できているようで安心しました。では、ここに座って静かに本を読んで下さい」



 ――そう。

 後から考えれば、何という温情。


 でも俺は。

 動顚のあまり。


「そんな!?」

「え?」

「立っていてはいけないなんて! なんて拷問!!!」



 ……お腹を抱えて笑った六本木君たち共々。

 まとめて追い出されました。

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