(5)ごく普通の会話?

 カルロスがグロスター神域への使者のリーダーとして送り込んだのは、アダン・フリスムという真っ白な顎鬚を立派に生やした老年に差し掛かった男だった。

 アダンを代表に選んだ理由は幾つかあるが、一番大きいのは単純に神域と接している領地を治めていた前領主だったからだ。

 現在は家督を息子に譲って、田舎で悠々自適な引退生活を送っていたというのも理由の一つとしてある。

 さらにいえば、そもそもアリシアの母親であるマリエットを王宮の侍女として推薦したのは、血縁関係にあった当時のフリスム辺境領主のアダンだった。

 カルロスのお手付きになることを期待して送り込んだわけではないが、勿論そこは貴族の一員として期待も多少は持っていた。

 結果としてマリエットはアリシアを身ごもることになるのだが、アダンは推薦人としての義務をしっかりと果たした。

 アリシアが無事に誕生すると同時に、すぐさま後見人であることを宣言したのだ。

 

 アリシアの母親であるマリエットは、アダンの血縁であるとはいえ他のお手付きになった女性たちに比べて身分は高くない。

 どう考えてもマリエットが正妻になれないことはアダンも分かっていたのだが、それでもアリシアの後見人であることを認めたのである。

 アリシアの王位継承権が低くなることは誰もが分かっていたことなので、当時はアダンのその行為を揶揄する者たちも中にはいた。

 だが、アダンはそんなことは関係ないと言わんばかりに、アリシアのことを自身の子供と同じように可愛がった。

 アリシアが王位をめぐる大人たちの陰謀や駆け引きにほとんど巻き込まれることがなかったのは、アダンの存在が非常に大きいのだ。

 

「――――というわけで、アダンおじ様は私が信用している数少ない貴族のうちの一人よ」

「なるほどね。要は、父親代わりみたいなものか」

「そうね。あっ、勿論お父様からの愛情がなかったわけではないからね?」

「国王だからねえ。忙しかったんだろ? ……まあ、それはそれとして、何故今ここでその話を?」

 伸広はそう言いながら自分たちの前で居心地悪そうに座っている三人の男――使者たちを見た。

 その三人の真ん中に座っているのが、アリシアが話題にしていたリーダーのアダンである。

 

「あら。中心人物の情報は知っておいたほうがいいじゃない? ……というわざとらしい言い回しは止めて、単純にアダンおじ様にも現状をきちんと認識してほしかったのよ」

 アリシアはそう言いながら視線をアダンへと向けた。

「そうだな。君たちの仲が良いということはよくわかったな。それはともかく、もう深窓のお嬢様風は止めたのか?」

「最初に聞くのはそこですか。それはいいですけれど……別に私はお嬢様を演じているわけではないのですが、そもそも伸広もそのことは十分に理解していますから」

 伸広がよく知っているのは王女としてのアリシアではなく女神としてのアルスリアのことだが、確かに彼女にはそういう一面があることをわかっていた。

 完全女神モードになったアルスリアは黙ったまま周囲に色んな影響を与えるほどの強者になるのだが、そのモードが解けた時は一気に打ち解けやすい雰囲気になる。

 もっとも後者は親しくなった相手にしか見せないモードなのだが、それが数えるほどしかいないというのは伸広の知らないことだったりする。

 

「そうなのか? そのわりには随分と戸惑っているように見えるが?」

「いえ、これは戸惑っているというよりも遠慮しているのですよ。今回の話に自分は関係ないと思っていますから」

「簡単に城から王女を連れていくというのことをやってのけておいてか」

「だから、ですよ。自分はあくまでも私の求めに応じてやっただけなので、後のことについてはきちんと自分たちで話し合ってください……という立場でしょうから」

「……そうなのか?」

 アダンが視線を向けながらそう聞いてきたので、伸広は無言のまま頷いた。

 

「魔法使いの中には浮世離れした者が多いと聞くが……彼は自己評価が低いのか?」

 国の筆頭魔法使いがいたにも関わらず、あっさりと王女を王の目の前から転移で連れ去ったほどの腕の持ち主である。

 そのため使者の役目として、当然のように伸広も一緒に来てもらえるようにという要請があった。

 それなのに、当の本人の反応がこれではアダンがそう疑問に思うのも無理はない。

 

 だが、そんなアダンの疑問にアリシアは首を左右に振って否定した。

「そんなことはありませんよ。伸広はきちんと自分の実力を把握しています。ただ、私がどこにいようが、いつでも好きに会いに来れますから。話し合いの結果がどうなろうとかまわないのですよ」

「ふむ。それだとシアが無理やり連れていかれてもいいとも取れるが?」

 あえて挑発するようにアダンがそう言うと、アリシアは小さくため息をついた。

「おじ様。私たちの雰囲気に当てられて忘れているようですが、ここは神域ですよ? そんなことを神々が許すとお思いですか?」

「……確かに、そうであったな」

 まさしくアリシアの言う通りで、アダンは小さく苦笑した後に首を左右に振った。

 

 アダンは今いる場所が神域内であることを忘れていたわけではないが、いつもと変わらないアリシアの様子につい普通通りの思考で話してしまったのだ。

 普段は容易に入ることができない神域で、女神の転生者であるアリシアに対して不埒なことができるはずがない。

 アリシアが女神の転生者であることは、王国の使者であるアダンたちが何事もなく神域に入ってこれたことが証明されたといってもいい。

 何故ならそんな嘘をついている者が、何事もなく神域で過ごすことなど不可能だからだ。

 

「だが、それにしても少し冷た過ぎるのではないか? 好き合った者同士だと離れたくないと思うのが普通なのでは?」

「そこは認識の違いですよ。彼ほどの魔法の使い手になれば、時間はともかく距離はさほど問題にはなりませんから。そもそもの根本の考え方が違います」

「ふむ。それは、君も同じというわけか?」

「以前の私ならともかく、今は既に女神の転生体として覚醒しています。当然そうなります」

 アリシアの答えに、アダンは短く「そうか」とだけ答えた。

 

 

 そんなアリシアとアダンの会話を、伸広はただ黙ったまま聞いていた。

 アリシアとアダンはごく自然な様子で日常的な会話をしているようで、実際には既にお互いの思惑を読みあいつつ会話をしているのだ。

 下手に自分が口を挟めば上げ足を取られかねない状況で何かを発言しようとするほど、伸広はうかつではない。

 そもそも伸広が引きこもり気味になったのは、そういった会話が苦手の部類になるからという理由もある。

 

 伸広ほどの実力者になれば、当然のように国を筆頭に色々な組織がその力を利用しようと近寄ってくる。

 その状況で下手に言質を取られてしまえば、伸広の本意ではないことに力が使われてしまうこともある。

 結果伸広がとった行動というのが、拠点のある神域に引きこもるということだった。

 といってもそれは理由の一つで、やはり引きこもりの原因で一番大きいのはこの拠点で魔法の研究なり習得なりをしているのが楽しいからなのだが。

 

 今もアダンを除いた使者の残りの二人が伸広に注目している。

 伸広の仕草から何か情報を得ようとしているのかはわからないが、伸広に突っかかってくるでもなくしっかりと役割を果たしているように見える。

 当然だがそのことは、今現在も会話を続けているアリシアとアダンも分かっているだろう。

 それら諸々のことを考えても、やっぱり自分にはこういう会話は向かないと感じる伸広なのであった。

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