第146話 オッサンからのご祝儀

「陛下、こちらの決済もお願いします」

 グリテスカ帝国の王宮の執務室で、容赦なく分厚い書類の束をデスクに置いた宰相の顔を皇帝ブランゲルト・ラーム・カリス・ネチェルが睨みつける。

「まだあるのか? いい加減朝から机に縛り付けられて身体が痛いんだが」

「ご自身の改革の成果なのですから諦めてください。これでも文官達の奮闘で随分減らしているのですから。それに婚礼の儀の間は執務ができなくなりますからね」

 バッサリと斬り捨てる宰相の言葉に、肩を落として大きな溜め息を吐くブランゲルト。

「やれやれ、優しくない臣下を持つのは辛いものだな。姫が癒しになってくれると良いのだが」

 

「その姫を正式にお妃にするためにも頑張ってくださいとしか言えませんね。そう言えば、ターミヤ様はすでにキーリャに到着されたそうです。リビアム陛下と外務大臣も同行しておられます」

「そうか。予定より数日早いが、それだけ楽しみにしていてくれているのだと思っておこう」

 顔をほころばせたブランゲルトに宰相が呆れた目を向ける。

「乙女ですか、貴方は。単に予定が余裕を持って決められていただけで、船が順調に到着しただけです」

「そこはお世辞でもそうですねと言う場面だろうが」

 味も素っ気もない断定にゲンナリとした顔で再び肩を落とす。


 絶対的な君主とその臣下の会話としては砕けすぎているが、元々ブランゲルトは皇帝になりたかったわけでも権力を持ちたかったわけでもない。

 単にあのままでは帝国が滅びるしかないと感じたからやむを得ず皇位を簒奪することになってしまっただけだ。

 宰相の男は皇位に即くずっと以前からブランゲルトの側近として仕えており、人格と能力を高く評価しているし、なにより気心が知れている。

 だからこそ、余人がいない場所ではこんな気安い態度で接することができるのだ。


 ひとしきり愚痴をこぼしたブランゲルトだったが、不意に表情を真剣なものに戻す。

「婚礼に参列する国にいくつか不審なところがある、か」

「マレバス王国とその周辺国ですな。参列する国王の名代が全て地位の低い家の者のようです。おそらく帯同する者達は全員戦闘員でしょう。といっても人数はそれほど多くできないので狙いは陛下の暗殺ですかな」

「イオリにあれだけ叩き潰されてまだその気概が残っているのは感心するがな」

「そのイオリ様方が帝国を離れていますからこの機会を逃すまいと考えたのでしょう。入国を拒否しますか?」

 宰相の言葉にブランゲルトは首を振る。

 

「それでは他の国に余計な疑念を持たれることになるし、根本的な解決にはならんな。企みを阻止することは容易だが、できればこれ以上手出しする気が無くなるように徹底的に潰してしまいたい」

「難題ですな。イオリ様なら容易くやってのけるでしょうが」

「あ~、イオリの有能さに毒されてるな。仕方ない、確実さを優先してマレバスの対処は後にするか」

「……それを決めるのはもう少し待っても良さそうですね」

 何かに気づいた宰相が執務室の窓を向いて呟いた直後、ブランゲルトの耳にも空から聞き覚えのある音が響いてきた。




「よぉ、久しぶり」

 王宮の中庭に輸送ヘリ、チヌークを着陸させ、当たり前の顔をして片手を挙げる伊織にブランゲルトは苦笑いを返す。

「久しいな。もう余のことなど忘れてしまったかと思ったぞ」

 がっちりと握手を交わしながらブランゲルトが皮肉っぽく言うが、伊織はニヤリと口元を歪めただけだ。

「さすがにいろいろと付き合いもあるからな。皇帝陛下の晴れ姿くらいは見ておこうと思ってなぁ。クラントゥ王国の王女さまを口説き落としたんだろ? そろそろ結婚式じゃないかと」

 その言葉に、後ろに居た宰相はギョッとするが、ブランゲルトは溜め息を吐いただけだ。


「監視してたのか?」

「んな面倒なことするか。お前さんの性格じゃ、あのお姫さんは諦めないだろうと思っただけだ。復帰したクラントゥ王との会談で話を持ちかけただろうし、帝国の状況を考えればできるだけ早く結婚したいだろうからな。まだ手間取ってるようならケツでも引っ叩いてやろうかと思ってたんだが?」

「ふん、余計な心配だ。あの後すぐにリビアム王に打診と、ターミヤ王女に直接申し込んだからな。おかげでその後は大忙しだったが、5日後には盛大に式を挙げることになっている」

 予想していたよりも早いタイミングだったのか、さすがに伊織が驚いた顔を見せる。

「なるほど、ギリギリ間に合ったってところか。祝い代わりになるかはわからんが、この国にとっても良い話をもってきた。少しばかり仕事は増えるけどな」

 

 伊織がそう言ってチヌークを振り返ると、ちょうどそのタイミングでリゼロッドとジーヴェトが他の客人に手を貸しながら降りてくるところだった。

 明らかに大陸南部の人とは違う肌の色が薄い数人の男女がブランゲルトのところに歩み寄ってくる。

 そしてブランゲルトに向かって優雅に一礼した。

「初めてお目に掛かります。大陸東部の国、ナセラ輝光聖国の王セリス・アール・シェティルと申します。こちらは我が国で魔術最高顧問を務めるルバ・アルス」

「私は同じく東部の国、ロヴァンテル王国国王ビーセルス・カ・ローヴァディス。こっちは副官のカセル・ヴォルト」

 セリスは堂々と、逆にビーセルスは即位したばかりで慣れていないためぎこちない挨拶になる。口数が少ないのは少しでも経験の少なさを露呈しないためだろう。


 ふたりの王を前にしてさすがにブランゲルトも驚いて伊織を見返すが、当のオッサンは悪戯が成功した子供のように人の悪い笑みを向けるばかりだ。

「……失礼した。余はグリテスカ帝国第16代皇帝ブランゲルト・ラーム・カリス・ネチェル。お二方の来訪を歓迎する。用意が調っていないので不便をおかけするかとは思うが、不満や要望があれば気兼ねすることなく言って欲しい。ともかくすぐに部屋を準備させるのでそれまで応接室で話を聞かせていただきたい」

「ふふ、南部の雄たる帝国の皇帝陛下もイオリ様には振り回されているようですわね」

「なるほど、そちらも余と同じく被害者というわけか。気が合いそうだ」

 セリスの言葉に、ブランゲルトは肩をすくめながら王宮へ誘ったのだった。


「交易と技術交流、か。無論帝国としては願ってもない申し出だが、貴国の利は?」

 応接室に場所を変え、3国の君主が向かい合う。

 セリスが来訪の目的を伝えると、ブランゲルトが眉を寄せて真意を探るように大陸東部からの賓客を見つめた。

「基本的には陛下が帝国に進めている方針と同じですわね。交易の範囲を広げて各国の利害が絡み合うように誘導することで簡単に争えない状況を作ること」

「もうひとつは資源の不足だ。大陸東部は他の地域よりも歴史が古く、鉱物資源が枯渇している場所が多い。今の魔法道具を今後も生産し続けるには他の地域から入手する必要がある。そもそも我が国が他国へ侵攻しようとした理由のひとつに国内の鉱山から魔法に必要な素材が不足してきたからというのがあったのだ。とはいえ、すぐに問題になるわけではないが将来を考えれば他国との交流は必要だと判断した」


「鉱山を開発するにはそれに従事する者がある程度の魔法知識がなければなりません。かといって権利を買い取って我々が開発するには遠すぎますから、ある程度の技術流出は容認してでも輸入した方が利益になります」

 大陸東部の争乱に関してはブランゲルトも多少の情報は入手していたが、交易商人からの断片的なものに過ぎない。

 普通なら他国にそのような話をすること自体が不自然なのだが、ここに伊織達が絡んでいるとなれば納得できるというものだ。


 そもそも、今回の訪問も伊織から提案されたことらしく、使節も大使もすっ飛ばして君主自らがこうしてやってきている時点で普通ではない。

 セリスとビーセルスという東部を代表する国の君主が揃って帝国にやってきたのだ。ブランゲルトとしても無碍にはできないし、帝国にとっての利点も大きい。

「話は承知した。詳細は追って取り決めようと思う。ついては相互に大使を派遣して窓口を作りたい」

 そうして詳細は帯同した両国の文官によって詰められることとなった。

 それから、今後交流を進めていく友好の証として、ナセラ輝光聖国とロヴァンテル王国からそれぞれ5隻の魔導船が、返礼として帝国からは南部でしか採れない食料や鉱物などが贈られることとなる。


「そういえば、陛下は近々正妃を迎えられるとか。お祝い申し上げます。もし可能であれば式典へ参加させていただければと」

 唐突にセリスの口から出た要望に、ブランゲルトは宰相と顔を見合わせて居たのだった。




 王宮の中でもひときわ豪奢で広いホール。

 普段は国中の貴族が皇帝に謁見したり、他国の使節を迎えたりする場所だが、この日は帝国のほぼ全ての貴族と高位官僚、軍高官が集まっている。

 また、周辺国や交易のある国からも王太子や高位王族、外交官などが大勢参列しており、強大な帝国の全権をブランゲルトが掌握していることを内外に示している。

 とはいえ、かつてのような拡張主義ではなく、内政重視の政策を行うことを表明し、周辺国との関係改善は少しずつ進められているため、大半の国の招待客は和やかに周囲の者と談笑を楽しんでいるようだ。

 というよりは、儀式が終わった後で誰に接触しようか狙いを定めていると言った方がより正確かもしれない。

 なにしろ、他国の王族や高位貴族とこれほど多く会える機会などこの世界では滅多にあることではないのだ。せっかくの場を無駄にしては本国で何を言われるかわからない。


 数百人が居てもなお十分な余裕のあるホールに澄んだ鐘の音が響き渡ると、それまでの騒めきが波が引くように静かになっていく。

「ブランゲルト・ラーム・カリス・ネチェル陛下、並びにターミヤ妃、御入来!」

 皇帝の侍従長が入り口で声を張り上げると同時に、ホール正面の扉が大きく開かれる。『おぉ~!!』

『わぁ~!!』

 静かに歩みを進める男女が姿を現すと、男性からは感嘆の声が、女性からは悲鳴にも似た羨望の声が上がる。


 ブランゲルトは純白の軍服に似た形の衣装に伝統的なデザインのマントをなびかせ、彼の腕に手を添えながら半歩遅れて歩くターミヤは透き通るような純白のウエディングドレス姿だ。

 どちらもまるで降り注ぐ太陽の光を集めたかのようにキラキラと輝きを放っているかのようで、皇帝は神の使いのような威厳を、王妃は美の化身のような可憐さと華やかさで参列者の目を釘付けにしている。

 もちろんどちらの衣装もこの世界には存在しない生地で仕立てられており、用意されていた衣装が全て没にされ、わずか数日の納期で最初から作り直させられた職人達は今頃死屍累々の様相で工房の床に転がっていることだろう。


 どこからともなく拍手の音が鳴り始め、やがてそれはホール全体を包むように広がっていく。

 大陸南部で覇を唱える大国の皇帝が美しい妃と共に歩を進める。

 それは帝国が新たな道を進み始めた証左であり、これまでとは異なり広大な経済圏を背景に外交交渉で近隣諸国と関係を構築していくとをすでに表明している。

 それは歓迎すべき方針であると同時に、自らの国もまた変わらなければならないことを意味している。大きな負担もあるが、その見返りも帝国から提示されているのだ。

 これまでのブランゲルトの取り組みは概ね周辺国に受け入れられ、敵対していた国との交渉も進んでいる。

 過去に侵略され領土を侵された問題は残っているものの、その当事者はどちらの国にもほとんど残っていない。

 だが、全ての国がそれを受け入れられるわけではない。


 ブランゲルトとターミヤが近衛兵が整列した通路の半ばまで進んだ時、その両側に参列していた十数人が一斉に動いた。

 ある者は袖口から筒のような物を取り出し、またある者は近衛兵の背後から近づいて腰に差した短剣を奪い取る。

 この間は刹那とも言えるほどの素早さであり、近衛やブランゲルトが気づいた時にはもはや遅く、毒を仕込まれた吹き矢が撃ち出され、数人が二人に向かって飛びかかっていた。 が、

「ぎゃぁ!?」

「げふっ!」

 それよりも一瞬早く天井から落ちてきた半透明な薄布がブランゲルトとターミヤに被さると同時に、短剣を手にした襲撃者は悲鳴を上げながらその場に崩れ落ちた。


 その直後吹き矢を放った男も、小さな懐剣を投擲しようとしていた男も悲鳴を上げながら床をのたうち回る。

 周囲は騒然となるが、すぐに近衛兵も狙われたブランゲルト達も誰ひとりとして慌てていないことに気づいた。

 近衛兵はすでに皇帝を背にして手に奇妙な物を握っており、その内いくつかは襲撃者と細い糸で繋がっている。

 ブランゲルト自身はその腕にターミヤを抱えてマントで覆うように庇いつつ悠然と立ったまま周囲を睥睨していた。


「相変わらずイオリの道具は我等の常識では理解できぬな」

「せっかくの華燭の典で血を流すのは縁起が悪いだろ? まぁ、相手が思った以上の馬鹿だから泳がせたが、大して手間が掛からなかったから良いだろ。後のことはこっちでやっておくから式典を続けてくれや」

 最初から予定通りだったのか、列をかき分けて近づいてきた伊織達に向かって苦笑いを見せるブランゲルトに、伊織は肩をすくめて後を引き受ける。

 そして近衛兵に引きずられながらホールを出て行く襲撃者を見送り、その後に続こうとした伊織にターミヤが頭を下げた。


「この度もありがとうございましたイオリ様」

「なに、面倒ついでだから気にすんな。それより、そこの皇帝陛下はいろいろと足りないところも多いからな。しっかりと支えてやってくれ。っと、遅くなったが、結婚おめでとうさん」

 そう言いながら手をヒラヒラさせて伊織は歩き去っていった。


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