第145話 咎人達の目指すもの

 雲ひとつない紺碧の青空を4つのプロペラを持つ飛行機が飛んでいる。

 眼下に広がるのはどこまでも続くのではないかと思えるほど広大な砂漠。

 風が作り出した砂丘以外に何一つない景色を、それでも乗客達は食い入るように見つめていた。

『そろそろ見えてくるぞ。上空を旋回するからしっかりと目に焼き付けておくんだな』

 不意にスピーカーを通して伊織の声が機内に響く。

 乗客達がざわめくが、事前に説明を受けていたために動揺する様子は無い。


「あ、あれが、クルーシュセの都、なのか」

「伝説は知っていたが、実際に目にすることになるとは」

 多くが言葉もなく見えてきた古代都市に目を奪われる中、数人が交わすそんな会話が皆の心情を代弁しているようだ。

 それからすぐ、都の中心に古代魔法王国の大いなる罪の証が禍々しさを伴って存在しているのを全員が目にした。


『……街の外縁部に着陸する。揺れるからしっかりとベルトを締めておいてくれ』

 その言葉に乗客達は慌ててシートに座り直して、緊張した面持ちで肘掛けを握りしめた。

 飛行機はC-130Hハーキュリーズ。その人員輸送仕様のものだ。

 搭乗している乗客はおよそ30名。

 ナセラ輝光聖国の聖王セリスと魔術顧問のルバ、ロヴァンテルの反乱軍オーブルのリーダー、ベン・ハーグ、ロヴァンテルの宰相アゼ・ガリル、タルパティル国王オル・リスに海軍提督のトロス・ゲン、ロヴァンテルとの講和会議にも出席していた外務大臣、ケシャの国王と文官数人、その他にも周辺各国から2名ほどが集められていた。

 そして、

 

「陛下、ご気分は悪くありませんか?」

「問題ない。そう心配しないでくれ」

 アゼが隣に座っているまだ10代に思える青年に気遣わしげな声を掛け、青年は苦笑気味に返している。

 アゼの言葉が表している通り、青年は神聖王を名乗っていたピジェンが争乱の責任を取って退位したために急遽王に即位した、先王の長子である。

 ピジェンが専横を振るっていたため長子でありながら立太子しておらず、ほとんど表舞台に立ったことがない。

 そのこともあって新王を補佐するために、本来ピジェンと同じく責任を問われるはずだったアゼが宰相の地位に留任しているのだ。

 元々バランスの取れた有能な人物であったし、王家に対する忠誠心も高い。なにより、反乱軍にすぐさまロヴァンテルの行政を担う能力がないのも影響している。

 当面は行政官達はこれまで担ってきた職責を全うしてもらいつつ、その監視を反乱軍が行うことで合意したというわけだ。


 伊織は都をぐるりと2周すると、外縁部にある石畳の広い場所にC-130Hを着陸させた。

 以前この場所を訪れたときに野営地としていた場所である。

 未整地での離着陸もできる機体は問題なく着地し、乗客達を機内に残したまま香澄と英太、少し遅れて伊織が外に出る。

「前に言ってた磁気の乱れって大丈夫だったんすか?」

「軍用機は防磁処理されてるから問題ないさ。というか、一応ちゃんと調べてるから心配すんなって」

 英太の質問に、伊織は頷いて答える。


 前回来た時は計器類が狂ったし、電波で操縦するドローンもまともに飛ばすことができなかったが、そのあたりはしっかりと確認しているらしい。

 現代の軍用機は電子戦を考慮した防御手段が幾重にも講じられているのでこの場所程度の磁場の乱れなら特に問題なく運用できるようだ。

 外に出た伊織達はすぐに宝玉を使って異空間倉庫を開き、乗客達を乗せるための車両を引っ張り出す。

 用意されたのは、この砂漠地帯を横断するときにも使用したオーストラリア製の兵員輸送車ブッシュマスターに牽引式の兵員輸送ユニットを繋げたものが1台とトルコの軽装甲車コブラだ。

 コブラの方にロヴァンテルの3名を、ブッシュマスターの前部車両にルアとリゼロッド、ジーヴェトとナセラ輝光聖国のメンバーを乗せる。残りは牽引される兵員輸送ユニットだ。


 準備が整ったら輸送機の乗客に乗り換えさせ、すぐに出発する。

 先行するのはコブラ。

 上部の銃座には香澄が乗り込み、12.7mm重機関銃で警戒に当たる。

『前に来たときに比べると随分と静かね』

『まぁ、人造ドラゴンは全滅してるし、蜘蛛人間も可能な限り土に返したはずだからね』

 香澄と英太がインカム越しにそんな会話を交わす。

 そこからわかるとおり、広場のドラゴンたちだけでなく、前回襲ってきた異形と化した古代都市の憐れな実験体たちは都市内の捜索を行いつつ、その時に可能な限り殺して埋葬していた。

 理性も自我もなく、ただ2千年近く生かされていた不老不死の実験体。

 時の流れでいつかは朽ち果てるとしても、死人のように廃墟と化した都を這い回るだけよりはまだ人として供養したかった。

 それが偽善であるとしても、食人鬼グールのように本能だけで永らえるのは憐れすぎたから。


 それでもそれなりの生き残りが居るらしく、ゆっくりとした速度で中心の王城に向かうと幾度かは遭遇し、遠巻きに姿を見せた。

「あれは、人間、なのか?」

「人間の成れの果て。不老不死を望んだ古代魔法王国が下層民と呼ぶ貧民たちを実験動物モルモットにして生まれた偽りの生き物だよ。寿命はなくただ、本能に従って人を襲うだけの連中だ」

 伊織の説明はブッシュマスターの車内だけでなく、牽引車両にもマイクを通じて聞こえている。

 それを聞いた面々は皆一様に言葉を失う。


 彼等は事前に伊織達が古代王国で見たものやそこで行われてきたものの話を聞いている。

 古代の王国が、伝説で語られているような華々しいものではなく、もっとドロドロとした、欲望と欺瞞、そして非道な魔法実験による繁栄で神に挑んだ仇花でしかなかったことを知ることになった。

 しかしそれでも、聞くと見るとは受ける印象は大きく違う。

 実際に目にした、元は人間だった異形の生き物。

 明らかに自然の摂理に反したおぞましき存在。


 そしてそれ以上の罪科が目の前に現れる。

 永遠の時が切り離された空間。

 周囲のみならず、大陸のほぼ全土を巻き込んで命を吸い取った、許されざる凶行の証。

 王宮の1/3を呑み込んだ形で鎮座する半球形の漆黒の壁が視界いっぱいに広がっている。

 そのド真ん前に車を止め、全員を降ろす。


「こ、これが……」

「気のせいでしょうか、とても禍々しく思えます」

「この中に、古代王国の人々が今もそのまま閉じ込められているのか」

 それぞれがおもいおもいの感想を口にしている。

「これはこの先も永遠にこのままなのでしょうか」

 球体から目を離さず、ルバが問いかけると、伊織は頷く。

「ああ、この空間はどんな力も干渉ができない。光も通さず、中がどうなっているのかも知ることはできない。生み出したのは魔法の力だが、発動した以上はどれほどの魔法でも壊せない。なにしろ時間そのものが止まっているんだからな」

 

「特定の条件で解呪される可能性は?」

「もしかしたらそういった術式を組み込んでいた可能性はあるが、無意味だな。空間そのものの時間が止まっているから、その条件を満たすことはできない。あの中は魔法を発動したときのまま何一つ変わらないからだ。外の空間とも隔離され、この世界が終わり、宇宙が消え去ったとしても永遠に、な」

 ゴクリ。

 誰かが唾を飲み込んだ音が異様に大きく響く。

 “永遠の牢獄”

 多くの命を犠牲にして得られたものがそれであることにショックを隠せない。


「やっぱりショックみたいっすね」

「神話とか伝説って都合の悪部分は消えて、良いところばかりが誇張されるしね」

「調べた限り、ナセラの国内は割と正確に伝わってる部分が多いけど、ロヴァンテルは過剰に美化されてたわよ。他の国も多かれ少なかれ都合の悪部分は消えてたわね」

「そりゃ、自分達の先祖がとんでもない鬼畜だったなんて認めたくないだろうよ。どっちかって言うとナセラがあれだけ客観的に古代魔法王国を検証して、その歴史を残しているのが不思議なくらいだ」

 英太、香澄、リゼロッドの言葉に、伊織が頷きながらそう評価する。


 前回来た時もそうだったが、この漆黒の球体には蜘蛛人間達は近づいてこない。やはりどこかで恐ろしい魔法の記憶が残っているのかも知れない。

 英太達が念のために周囲を警戒し、移動に疲れたルアがジーヴェトにあやされながら車内でお昼寝。オッサンは少し離れた場所で紫煙を燻らせつつ、古代王国の末裔達が気が済むまでそこに佇んでいたのだった。



 数日後、ロヴァンテル王国の王宮に周辺国の首脳陣が集結していた。

 ロヴァンテルと国境を接する国だけでなく、人の往来がある全ての国、海を隔てた島国であるアバルからも国王と王太子が参加している。

 王宮の謁見の間は急遽国際会議場のようにテーブルが並べられ、議長としてナセラ輝光聖国の聖王が進行を担う。

 参加人数はおよそ200名。

 もちろん伊織達が手分けしてヘリによる輸送を行ったからこそ実現したことだ。

 ちなみに、アバルは以前伊織達が立ち寄ったタルパティルの海軍本部にテロを仕掛け、混乱に乗じて出兵した海軍部隊を壊滅させられた国だ。

 今回会議に招待した際も一騒動あったらしいが、その後は伊織の姿を見ると王太子が過呼吸を起こすようになったので、送迎は英太が担当している。

 実はそんな国が他にもいくつかあったらしく、その全てが英太に押しつけられたので大忙しだ。


 会議場になった謁見の間には巨大なモニター(以前、光神教の本部のある街で反光神教プロパガンダで使用したオーロラビジョン)が設置されている。

「まず皆さんにお見せしたいのは、我々、大陸東部に住まう者の祖、古代魔法王国と呼ばれているかつて滅んだ国クルーシュセの首都の映像です」

 議長席のセリスがそう言った直後、モニターには砂漠の先に小さく廃墟と化した都が近づいてくる映像が映し出される。

 先日のC-130Hから見えた光景がそっくりそのまま流れるのを、その時に搭乗していた者達も含め全員が食い入るように見つめる。


 やがて映像は都市の上空に差し掛かり、中心部の球体がアップで映し出されると、会場は騒然とした空気に包まれた。

 これも前回搭乗した面々の反応と同じようなものだ。

 その後も荒廃した街並みや、広場でミイラ化したドラゴンの死骸、そして球体の壁の前で立ち尽くした代表団の姿。

 最も反応が強かったのはやはり蜘蛛のような異形に成り果てたかつての住人達の姿だった。

 永遠の繁栄を実現するために、不老不死の実験材料とされた下層民。

 そのあまりに非人道的な魔法実験は、耐えがたいおぞましさを見るものに感じさせた。


「見ていただいたとおり、我々の祖であるクルーシュセは繁栄を永遠のものにするために非道な研究を繰り返しました。そしてその結末はある意味願ったとおりのものでしょう。繁栄した時のまま永遠の時に呑まれたのです」

 古代魔法王国の後継者を名乗っているのはナセラ輝光聖国とロヴァンテルだが、大陸東部に住む者達は多かれ少なかれ古代王国の末裔の血を継いでいる。

 クルーシュセを出た民が土着の民と交わりながら広がっていったのが大陸東部の国々であり、ほぼ全ての民にその血が流れているのだ。


「かねてよりナセラは、古代王国が大いなる罪を犯し、大陸全土を滅ぼしたと主張されていましたな」

「うむ。それを否定していたのはロヴァンテルの歴代神聖王だった」

「真実はナセラの方だったのか」

 各国の王や代表が沈痛な顔を見合わせ、なんとか見たものを咀嚼しようとする。

「儂らは正しく歴史を伝えてきたつもりだった。だが、真実はそれ以上に残酷なものだったようだ。だからこそ、同じ歴史を繰り返してはならぬ」

 ルバの言葉に、それぞれの心情を隠して頷く面々。


「我等は同じ咎を負っています。とはいえ、魔法は我々にとって欠かせないものであり、今更捨てることなどできません」

「ロヴァンテルも同じです。我が国は新たな道を歩き始めました。二度と大陸統一などという虚構を目指すことはないでしょう。ですが、それでも魔法をなくすことは、人としての生活を捨てることになってしまう」

 セリスの言葉に、ロヴァンテルの若き王が頷きつつ言葉を重ねる。

 それは周辺国にとっても同じだ。


 先祖の犯した罪を知った。

 そのあまりに大きな咎はその時代の者達だけで背負えるものではなく、その子孫たる自分達にも関わってくるものだ。

 古代から連綿と続く魔法という技術を継承している以上、それはそのまま受け継がれていると言っても過言ではないだろう。

 だが、だからといって、魔法が社会基盤の土台になっている状況で魔法を捨てることなどできるはずがないのだ。


「ならば……ナセラはどうせよと考えておられるのか。まさか、ナセラ以外の国は魔法を使うな、などとは言うまいな」

「もちろんです。私が提案したいのは、魔法研究の相互監視と、大陸東部以外との交易の推進です」

 セリスの言葉に、会場が一層騒然となる。

「魔法研究の相互監視は、わからないでもない。だが、魔法を発展させるのは国力をこの先も維持するには不可欠なものだ。独自の技術を開発し、少しでも国を豊かにするのが為政者としての務めだ。それを監視されてはいつまでも発展は見込めなくなってしまう」

「それは困る! それに、他の地域との交易を拡大して利益を得られるのは海に接している国だけではないか!」


 口々に出る不満と反対の声。

 だがそれも予想していたのだろう、セリスは言葉を続ける。

「古代魔法の特に危険なものやその対処法に関わる資料は我が国が厳重に保管しています。これはロヴァンテル王国が持っていたものも含め、全て封印し、真に必要となる時まで我が国の魔術師、魔導師にも開示することはありません。それ以外の魔法の研究についてはどのように管理すべきか、それはこれから丁寧に議論を重ねて決めていきたいと考えているのです。今までのように、各国が独自に研究を進めていけばいずれは国や人類の存亡に関わる魔法を生み出してしまうかも知れない。それを防ぎたいのです。私達も諸国がより豊かになることを願っています。そのために我々が持つ魔法技術を提供しても良い。その代わりに各国に危険な魔法研究を抑制する枠組みを作り、それが維持されるような実効性のある相互監視の取り決めをしてほしいのです」

 

 現在、大陸東部で最も優れた魔法技術を持っているのはロヴァンテルとナセラだ。

 さらには今後、ロヴァンテルは新たな魔法研究をできなくなる。そうなれば絶対的優位に立つことになるナセラの提案に、反対していた者達も簡単に拒絶することができなくなる。

 ナセラが身を切る覚悟で技術を提供するなら、ある程度は妥協しなければ逆に取り残されることになるからだ。


「交易の拡大の目的は、相互利益の範囲を拡大することで争乱を抑制することです。実際に直接交易を行うのは沿岸諸国となりますが、積み荷の一定割合を内陸部の国の物品に割り当てることで調整ができるのではないかと考えています」

 ナセラの意図を理解した各国首脳は眉根を寄せて考え込む。

 すぐに賛同はできないだろう。

 即答できる内容ではないし、ある種の地域同盟に近い形になる提案だ。

 それが発展していけば、大陸東部がひとつの共同体として相互に干渉し合うことになるだろう。

 結局、セリスの提案は各国が持ち帰り、今後も交渉を継続させることで落ち着いた。



「これで危険な魔法が止められるんですかね?」

 ナセラの王宮の一室で、ルアを膝に乗せながらスルメを囓っている伊織に、英太が質問する。

 その手にはコントローラーが握られ、正面に据え付けられたモニターには戦う男女の姿が映し出されている。

 跳んだり跳ねたり、蹴りやパンチを繰り出し、時折魔法のような攻撃を出す。

 それを相手のキャラは躱したり逆に反撃したり。


「うわっ、負けた!」

「むふー! ルアつよい!」

 幼子にガチで負けて落ち込む少年に、伊織は苦笑いを浮かべながら杯を呷る。

「さてな、どんなに禁止しようが人間の欲望ってのは限りがないし、記憶だっていずれは薄れて消えていくだろうからな」

「いつかはまた同じことを繰り返すかも知れないってこと?」

「それは誰にもわからないだろうよ。ただ、先祖の罪を知り、自分達の目指すものを定めた。少なくとも何もしないよりはマシだろうさ」

 どこか達観したような伊織の言葉に、英太も香澄も曖昧に頷くしかない。


 彼等はあくまで異邦人であり、遠くない将来、この地を離れる。

 それから先は、この地に住む者達が決めて歩んでいかなければならない。

 せめて願うのは、親しくなった友人達の顔が悲しみに彩られる未来が訪れることのないように。

「よしっ! 今度は私がやるわよ。英太、相手して!」

「さすがに香澄には負けねぇぞ」

 気分を変えようとことさら明るい声を上げた高校生コンビの背中に、伊織は優しげな笑みを向ける。

 そして、杯を掲げてから一息に飲み干した。


 翌日の朝、伊織とルア、香澄、英太がセリスと共に朝食を摂っていると、早朝だというのに珍しくリゼロッドが満面の笑みを浮かべながら食堂に入ってきた。

 そして、伊織達に向かって親指を立ててこう言った。

「元の世界に戻るための転移魔法、完成したわよ!」


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