第140話 神聖国の選択と真の忠臣

 ロヴァンテル神聖国の南東部。

 ケシャとの国境まで徒歩で2日の距離にある港湾都市の外縁部に広がる耕地。

 冬の間に降り積もった雪が溶けてできた泥濘もすっかり乾いたこの時期、例年ならば耕地は麦蒔きが行われているはずなのだが、今この場に居るのは農夫達ではなく、広大な耕地を埋め尽くさんばかりの武装した兵士や数千台の魔導車だ。

 そしてそれだけでなく、少し離れた海岸の沖には数百艘もの魔道船が隊列を組んで整然と並んでいる。

 全てを合わせた兵士の数は2万を超えるだろう。しかもその大部分は魔法を利用した装備に身を固めた魔術師で構成されている。

 純粋な戦力として換算するなら、かつて大陸北部を統一しようとしたドゲルゼイ王国の軍勢に匹敵するかもしれないほどだ。


 その陣容を、港湾都市の街壁の上から眺めながらロヴァンテル神聖国の神聖王であるビジェン・カ・ローヴァディスは満足そうな笑みを浮かべていた。

「素晴らしい。いよいよ我がロヴァンテルの悲願である世界統一への第一歩だ」

「これから先は長いですがね。とりあえずは東部地域を平定しなければなりませんから」

 ピジェンの傍らで筆頭魔術師であるジグルがいつのも調子で口を挟むが、それすらも神聖王の機嫌を損ねることはなく、むしろ同意するように頷いて見せた。

「うむ。さすがに余の代では無理であろうな。だが、少なくとも東部と南部は速やかに征服せねばならん。余にはそれができる。だが」


 ピジェンが言葉を切り、振り返って冷たい目を背後に向ける。

「どうやら余の重臣の中にそれを理解せぬ者が居るようなのが残念でならぬ」

 視線の先に居たのは宰相のアゼ・ガリル。

 だがその格好は簡素で薄手の生成りの服に、後ろ手に枷をつけられた罪人のようなものだった。

「宰相殿、いえ、今は宰相とお呼びした方がよろしいですかな? ガリル殿は魔術師ではないので我等の力を知らぬのも仕方がないでしょうが」

「ふん、知らぬなら余計な事を考えずに黙って従って居れば良いのだ。取り立ててやった恩を忘れ、余に逆らうなど増長が過ぎる」


 嘲るように言うピジェンとジグルを悲しげに見つめる元宰相。

 それでも自らの考えを変えるつもりはないらしく言葉を返す。

「陛下、我が言葉を聞き入れてくださるならこの身を持って償いとしましょう。どうか、他国への侵攻はお止めください。今はまだあの異国人達がナセラ輝光聖国に居るはず、あの得体の知れない魔導車や空飛ぶ乗り物を持っている者達を敵にするのは危険です」

 悲壮な覚悟を滲ませながら叫ぶようにそう口にするアゼに、ピジェンの顔が怒りに歪む。


「まだ言うか! 誰も貴様の意見など求めておらぬ。異国人達がどれほど脅威であろうがたかが数人の者を恐れて世界を手に入れられるものか!」

「確かに我等はあの者達に手痛い損害を被りましたな。特に、黒蛇が全滅させられたのは驚きです。持っている魔法道具の数々も脅威ではありますが、それでも陛下の言葉通り所詮少数ではできることなど知れていますよ」

 聞く耳を持たない君主に、それでも諦めることなく言葉を重ねようとするアゼを、命令を受けた護衛の兵士が引きずっていく。

「ふん、愚か者が! やはり魔術師でもない者を宰相などという地位に就けたのは間違いだったか」

「優秀だったのは確かですからな。おかげで兵站を整えるのに苦労しました」

 忌ま忌ましげに言うピジェンとは対照的にジグルは残念そうだ。

 

 宰相という臣下としては最高位に近い立場にあったアゼがあのような扱いを受けている理由、それは黒蛇兵が伊織達によってロヴァンテルの王宮に送り届けられたことに端を発する。

 ロヴァンテル神聖国が誇る特殊部隊である黒蛇兵がそのほとんどを遺体となって戻ることになり、生き残っていた者達も半ば廃人同然の状態だった。

 といっても白痴のようになったというわけではなく、極度の衰弱と怪我が回復すれば日常生活くらいは送れるだろうが、兵士としても魔術師としてももはや使い物にならない。

 その結果を受けて、宰相であったアゼは、少なくともナセラ輝光聖国に渡った異国人、伊織達が居なくなるまでは他国への侵攻計画を凍結すべきだと進言したのだ。


 これまでに伊織や英太達によってロヴァンテルが受けた損害はとても小さいとは言えない。

 いくつもの軍事拠点や騎士団が壊滅し。虎の子のはずだった巨大な魔導人形も破壊された。その上で最強の暗殺部隊までがわずかな損害も与えることもできずに全滅したとなれば国政を預かる宰相としてはとても無視することなどできない。

 アゼは魔術師ではない。

 ロヴァンテルの人間としてある程度の魔法は使えるものの他国ならいざ知らずこの国では魔術師と呼べるほどではないのだ。

 だからこそ、なのだろうか、魔法に頼りすぎるのも魔術師を優遇しすぎるのにも危機感を抱いていた。


 そんな中で遭遇した、ロヴァンテルが誇る魔法技術を歯牙にも掛けずに蹂躙する兵器とそれを使う異国人。

 アゼはジグルの要請に応じて魔術部隊の支援を行うと同時に異国人達の情報を収集した。

 そこで知った非常識なまでの武力と権力に動じない行動。そして彼等が旅の途上であること。

 となれば、どのような目的があろうと、長くても数年で他の場所に移動していくことが予想出来る。

 底知れぬ力を持つ者達を相手にするよりは、立ち去るのを待って行動を起こす方が損害を少なくできる。

 特に、ロヴァンテルに次ぐ国力を持っているナセラ輝光聖国に居る間に他国に侵攻すれば連帯して敵に回りかねない。


 為政者としては至極当然な判断。

 確かに相手は少数であり、いくら強くてもできることには限界がある。ロヴァンテル全軍をもってすれば勝つことはできるだろうし、他国を守るのも不可能だろう。

 それでも戦闘となれば少なくない被害を受けることは避けられない。場合によっては侵略した地域を維持するのも難しくなるかも知れないのだ。

 他国への侵攻は、戦闘よりも占領地の併呑と維持の方が何倍も難しく、莫大な費用と膨大な人員が必要となる。

 なればこそ、リスクを最小に、利益を最大にするべく考えを巡らせれば、この状況での侵攻は悪手としか思えなかった。


 しかしそれは古代魔法王国の復権を悲願とする王には受け入れることができないことだったらしい。

 幾度も繰り返し翻意を促す宰相に、ピジェンはとうとうブチ切れて宰相の地位を剥奪し、アゼは反逆罪で拘束されることとなった。

 ここに居るのは軍の偉容を見せつけるとともに、全力でケシャを叩き潰してアゼの言葉が間違っていることを証明するために連れてきたからだ。

 それでも彼は持論を曲げることはなかったわけだが。


 結局、伊織達の牽制も、忠臣の説得も実を結ぶことはなく、ロヴァンテル神聖国は陣容を整えて南側の国境を接するケシャへの侵攻を開始するべくこの地を埋め尽くしている。

 大陸西部や北部では軍の主力は騎兵であり全身を鎧で固めた重武装だが、魔術師が主力となるロヴァンテルでは魔法によって防御力を高めた軽鎧と魔法を防ぐローブを身に纏い、魔導車に乗って遠~中間距離からの攻撃を中心に行う。

 だから勇壮さでは少々劣るのだが、それでも万を超える魔法兵は誰しもが自信に満ちあふれ、士気は高い。


 城壁を降りたピジェンとジグルは整列する兵士達の前に作られた櫓のような舞台に立ち、進軍を宣言するために拡声の魔法道具を手にする。

 そして、ピジェンが興奮を抑えて第一声を上げようと大きく息を吸い込んだ直後、街の複数の場所から突然途轍もない音量でサイレンが鳴り響いた。

 現代日本人ならばクソ暑い真夏の野球場を思い浮かべるだろうが、この世界の人からすれば聞いたことのないけたたましい音に、思わず耳を押さえて顔を顰める。

「な、なんだ、これは?」

 ピジェンの戸惑った声に、ジグルでさえ反応することができず音の出所を探して首を巡らすばかり。

 兵士達も顔を見合わせたり、あまりの煩さに眉を寄せていたが、音は始まったときと同じく唐突に途切れる。

 そして次に響いてきたのは、どこか人を小馬鹿にしているような印象ののんびりした声だった。


『あ~、テステス、聞こえているかぁ? って、大丈夫みたいだな。まぁ、面倒な前置きは止めて、本題だ』

 肌が震えるほどの大音量。

 それが街のあちこちからわずかな時間差で聞こえてくる。

 間違いなく、ここに居る兵士達だけでなく、街の住人全てに聞こえているだろう。

「なんだ、誰だこの声は?」

 兵士達がざわめく。


『自分たちの実力を過信して他国へ侵略なんて馬鹿な真似をした諸君等の選択を受け、俺から挨拶代わりのプレゼントだ』

「…………」

『今から一刻の後、この声が聞こえている街が崩壊する。命が惜しい奴は急いで街から逃げ出すんだな。できれば兵士でもない人間は殺したくないが、いちいち助ける義理もないんで従うかどうかは各自で判断すれば良い。けど、言葉で聞いても信じられないだろうからな』

 そこで一旦言葉が途切れ、その直後にズドンッ! という音と微かな振動が兵士達の元に届く。

 そしてわずかに遅れて甲高いざわめきが街から聞こえてきた。おそらくは悲鳴なのだろうが、当然街壁の内側を見ることなどできず、何が起こったのか知るのはもっと後になってからだ。


 しばらくすると街の門から幾人もの住人が飛び出してくるのが見えた。

「あの者達を捕まえて何が起きたのか聞いてこい!」

 指揮官の命令に百人ほどの兵士が門に走っていく。

 そうして街から聞こえた音がなんだったのかを知ったピジェン達だったのだが、その顔を一様に歪ませるものだった。

 大音響で響いてきた声の直後、街の中心にあった行政府が倒壊したという。

 この港湾都市でもっとも高い建物で、もちろん老朽化もしていないし、魔法によって強度が高められたランドマークとも言えるものが爆発音と共にあっという間に崩落し、見る影もなくなった。

 幸い行政府内はほとんどの職員がこの閲兵式のためにかり出されていたため巻き込まれた者はほとんどいないらしいが、住人達の動揺は大きく警告通りに街から逃げ出すために右往左往しているようだ。


『さてと、少しは信じる気になったか? 時間はあまりないからさっさと荷造りして逃げるこった。あ、ちゃんと女性や子供、身体の不自由な人には手を貸してやるんだぞ』

 再び聞こえてきたのんびりした口調に、街からはうなり声のような喧噪が響いてくる。

 想定外の事態に、王であるピジェンもただ立ち尽くしているばかりだ。

 そんな彼に、さらなる追い打ちが降りかかる。

「な、なんだ、あれは……」

 遠く、北の空から黒い鳥のような影が近づいてくるのが見えてきた。




「おし、準備も整ったし、そろそろ出発するとしようかね」

 ナセラ輝光聖国の王都郊外に急遽作られた滑走路。

 そこに並べられた2機の航空機の脇でタブレットを見ながらタバコを吹かしていた伊織が隣に居る英太に声を掛けた。

「うぃっす! 練習したけど、やっぱ緊張しますね」

「操縦の難易度で言えばヘリの方が上なんだから心配いらないって。どうやらノーコンは直接狙う銃器だけみたいだし、攻撃補助機能もあるからな」

 気楽な感じで交わす会話だが、傍らにあるのがこれまでに散々その威力を見せつけてきたA-10戦闘爆撃機であることを考えると物騒極まりない。


 機体に向かって歩く英太の後ろ姿から視線を別の方に向けた伊織に、何か言いたげな顔をしたナセラ輝光聖国の聖王、セリスがぎこちない笑みを見せる。

「あれ? やっぱ心配か?」

「いえ、まったく心配はしておりません。むしろ根を同じくするロヴァンテルの民と兵士が気の毒で仕方がありません」

 伊織が先ほどまで見ていたタブレットに映し出されていたのは、ロヴァンテル南部の港湾都市郊外に集結した軍の様子だ。

 リアルタイムでロヴァンテル各地の様子が手に取るようにわかる。その事の重要性と脅威が分からない為政者はいないだろう。

 セリスが飲み込んだのは伊織達と敵対しないで済んだ幸運を喜ぶべきか安堵するべきか判断がつかなかったからだ。


 黒蛇兵を送り届けてから、伊織はロヴァンテルの王宮や軍の動きの監視を続け、あの国が他国への侵攻を諦めていないことを確認した。

 さらに、時期を待つべきだというまっとうな進言をした重臣の言葉を聞かず、それどころか反逆者として捕らえた事で、現状のままでロヴァンテルを思いとどまらせることは無理だと判断したのだ。

 なので、冬の間に準備を整え、今現在ナセラ輝光聖国の軍はケシャとロヴァンテルの国境付近に布陣している。

 伊織の仲介で急遽結ばれた両国の安全保障条約に基づき、ケシャからの要請で派兵したという名目になっているが、当然防衛のためではなくロヴァンテルに対する逆侵攻のためだ。


 この大陸に戦争に関する国際法などないし、そうでなくてもかねてからロヴァンテルは周辺国に恫喝を行い、一部部隊を使って破壊活動なども行っている。

 すでに開戦状態といえる状況なので非難される謂れはないのだ。

 そして同時に、ロヴァンテルの王都近くには、ナセラに逃れていたベン・ハーグが率いる反政府勢力が、義勇兵という形でナセラの精鋭を加えて潜伏しており、戦端が開かれると同時に防御の薄くなった王都を占拠する手はずとなっている。

 ちなみに、どちらの本隊にも無線機が貸し出されており、万が一窮地に陥った場合にはすぐさま伊織達が救援に向かう手はずとなっている。


「暴虐なる力を持つ魔神。言葉以上ですね。願わくば、ナセラの兵士ばかりでなく、ロヴァンテルの民の犠牲もなく終われば良いのですが」

「そいつは相手次第だな。それに、俺達はあくまで軍相手に暴れるだけ、後のことは無責任に丸投げするつもりだ。レジスタンスの連中に頑張ってもらうさ」

「国の行く末はその国の者達の手で、ですね」

「そういうこと。天災が起きたとき、どうするか、ただ嘆くのかそれとも糧とするのか、古代魔法王国の末裔は、どちらだろうな」

 皮肉げに、そしてどこか悲しげにそう言い残して伊織が英太のとは違う機体に向かう。


 グレーのずんぐりとした機体。

 A-10の倍以上の大きさの航空機の再度ハッチから乗り込んだ伊織はそのまま機首に。

「伊織さん、計器と武装、安全装置のチェックは終わったわ。全部問題なし」

「OK、OK、ご苦労さん。練習通り香澄ちゃんは火器管制、リゼは副操縦士席でレーダーの監視をよろしく。ジーさんは香澄ちゃんの手伝いな」

「ルアは?」

「ルアは癒やし要員。シートのベルトをしっかりと締めるんだぞ」

「は~い!」

 緊迫感のないやりとりをしながら伊織がエンジンを始動させる。


 ロールスロイス社製の4機のターボプロップエンジンが唸りをあげ、機体が滑走路を滑り出す。

 米軍最強の地上攻撃機と聞かれれば英太の乗り込んだA-10の名をあげるミリオタは多いだろうが、最強の地上機という聞き方ならばこの機体の名が上がるだろう。

 30mm機関砲と105mm榴弾砲を装備し、AGM-176A「グリフィン」やAGM-114「ヘルファイア」、GBU-39 SDB誘導爆弾までも搭載した局地制圧用ガンシップAC-130Jゴーストライダー。

 ロッキードC-130ハーキュリーズ輸送機の機体を流用した攻撃機で、元が輸送機なだけに桁違いの重武装を誇る。

 もっとも攻撃機としては鈍重で空戦能力は無いためどんな状況でも制空権を確保できる米軍でしか運用されていない代物だ。別名「空飛ぶトーチカ」「空飛ぶ戦車」。

 対地攻撃能力ではA-10すら凌ぐが操縦士やガンナーなど複数の搭乗員が必要なためこれまで使ってこなかった。

 それを冬の間に運用訓練を行って香澄やリゼロッド、ジーヴェトに操作法などを教え込んだのだ。


 その現代地球の狂気の産物が、古代王国の亡霊に引導を渡すため、空に舞い上がった。

 

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