第139話 古代魔法王国の遺産
大陸東部の冬は雪が降るか、降っていなくても曇り空が多く、すっきりと晴れる日は少ないらしい。
この地域で覇を唱えるロヴァンテル神聖国であっても天候まで自在にできるわけもなく、王都は厚い雲に覆われ、小雪が舞って通りを歩く人々は寒そうにしながら足早に行き交っている。
そんな気候ではあっても大陸東部随一の大国であるロヴァンテルの王都である。通りに面した商店は多くの人で賑わっており、天幕を張った露店も建ち並んでいる。
寒かろうが生活するためには仕事をしなきゃならないし買い物だってする。いつの時代、どの世界でも当たり前に見られる光景だが、今は誰もが足を止め、不安げな表情で周囲を見回している。
「何の音だ?」
「どこから聞こえてくるんだ?!」
口々にそんなことを呟きながら顔を巡らすが聞き慣れない音の出所が分からず困惑するばかりだ。
そうしている内に王都の衛兵やローブを着た魔法兵と思われる兵士も慌てたように走り回り始める。しかしどこを見ても音の出所が分からず徐々に不安が伝播しはじめた頃、低く空を覆う雲から2機の輸送ヘリが姿を現す。
「な、何だあれは?!」
英太達に襲撃された地方の軍事拠点は別として、ロヴァンテルの民衆にとって空を飛ぶヘリを見るのなど初めてであり、姿を見せたところで混乱が収まるわけもない。
そんなことにお構いなしに大型のローターふたつを持つ輸送ヘリ、CH47チヌークは高度を下げながらその偉容を誇示するようにゆっくりと王宮に近づいていく。
そして王宮の中庭の上空に到達すると、ホバリングの状態でさらに高度を下げていった。
よく見ると先の1機からは籠のような物がぶら下がっており、その中には木で作られた長細い箱がいくつも積まれている。
それを中庭の中央に降ろすと、吊っていたワイヤーが外され籠と箱がその場に取り残された。
一つ一つの箱の大きさは長さ2m、幅と高さはそれぞれ50cmほどだ。それがおよそ20個ほど。
切り離し終えたチヌークはそのまま再び飛び去り、今度はもう1機のチヌークが中庭に降りてくる。
そして地上5mほどまで近づいたとき、機体横の扉が開くと、中から数人の黒装束姿の人間がある者は飛び降り、別の者は押し出されるように外に放り出されていった。
その間は、時間にして数分。
近づいてくる輸送ヘリに驚いて中庭には数十人の兵士が集まってきていたものの何もできずに立ち尽くすばかりで、我に返ったときには2機目のチヌークも扉を閉めて上昇を始めていた。
その場に残されたのは10名に満たない黒ずくめの人間と木の箱。
結局、チヌークが完全に雲の中に消えてからようやく兵士達は動き始め、すぐに黒装束達と木箱の中身が判明したのだった。
「この塔は魔法による保護がされておってな、大切な資料の原本は全てここにおさめられているのだ」
ナセラ輝光聖国で賢者と称されている老魔導師ルバが伊織達を先導しながら言う。
目の前にあるのはこの国で“賢者の塔”と呼ばれる建物だ。
見た目の印象は少々ずんぐりとした円柱形の塔で、デザイン的には有名なピサの斜塔に似ている。ただし傾いていないし幅広だ。
高さはおよそ70m、幅は50mほどだろうか、地上部は7層、地下に2層あり、上部2層が資料の保管庫、その下の地上部に魔法研究者の居室、地下は各研究室や魔法実験用の部屋があるそうだ。
ちなみに地上部分よりも地下の方が倍以上広い。
ロヴァンテル神聖国に
ロヴァンテルの暗殺部隊の襲撃を退けてから10日。
伊織が生け捕りにした指揮官や戦闘で生き残った兵士を尋問して必要な情報を聞き出した後、遺体と共に祖国に返還することにした。
チヌークで運んだ木箱は遺体を収めた棺であり、生きている兵士には治療を施して飛び降りさせた。
敵国に捕らえられ情報を吸い出された兵士達が祖国に帰ったところで温かく迎え入れられるとは思えないが、だからといってナセラとしても信用できない者を留めて養ってやる義理などない。
多少腕が立とうが利用価値はないのだから抱えてもリスクになるだけなので、さっさと送り届けたのだ。
加えて、尋問で伊織に自尊心も矜持もロヴァンテルに対する忠誠心も根こそぎ壊された黒蛇の兵士はこの先脅威になることはない。
というか、兵士だけでなく指揮官の男までが尋問を終えると「もうヤダ。おうち帰りたい、ママ、ママぁ」とか「ひぃぃっ! 来ないで! 髭恐い! 若い女恐い!」と怯えまくっていたのでこの先日常生活が送れるのかも疑問である。
いったいどんな尋問の仕方をすれば過酷な訓練をしているはずの特殊部隊兵士をここまで追い込めるのか。聞くだけ野暮だろうが。
とはいえ伊織達にとってそんな
ルバの案内で塔の入り口を入ると、ルアと英太がその内部の光景に感嘆の声を上げる。
「わぁぁ! きれい!」
「すっげ! どうなってんだ?」
入ってすぐにあるホールの壁には複雑な文様が刻まれ、それらがまるで脈動するかのように光を点滅させている。
そして中央にある台座の上には球体が空中に浮かび、その周囲にまるでSFのようにナセラの国内、いくつもの光景が浮かび上がっていた。
声こそあげなかったものの伊織もリゼロッドも台座に近づいて興味深げに隅々まで観察しはじめている。
「ここの術式で球体を浮かせているのか。んで、こっちが……」
「映像は、あ、なんだ、別に遠くの景色を映してるってわけじゃないのね。記録した映像ってだけでもすごいけど……」
研究者であるリゼロッドはもちろん、伊織もどこか魔法オタクっぽい探究心があるようで、同じく魔法適正の高い香澄がついていけないほど二人の議論は濃くなることもしばしばだ。
そんな二人にしてみれば古代魔法を利用したこれらの術式には興味が尽きないのだろう。
「いや、別に急いでるわけじゃないから良いんだけどさぁ」
「こうなったら何言っても無駄じゃない?」
「むぅ~、むずかしいおはなし、わかんない」
「ってか、俺、いらなくない?」
呆れ顔の面々を放っておいて、さらには嬉々としてナセラの魔法オタクであるゼルが術式や研究について語り出し始め、結局資料が保管されている場所に移動できたのはそれから半刻も経ってからだった。
伊織達の目的となる魔法王国時代の魔法資料は塔の最上階、7階層にある資料庫に保管されている。
砂漠の中央にあった古代王国クルーシュセから持ち出した資料だけでなく、その当時の魔導師が大陸東部に来てから作成した魔法書もここに保管されており、ロザリア王国が分裂して以降の資料はこの下の6階層にあるそうだ。
古代の貴重な一次資料は当然いくつもの写本が作られており、ナセラ輝光聖国内のいくつかの場所に保管されているし、実はナセラと同じく古代魔法王国の後継者を名乗っているロヴァンテル神聖国が持っているものも初期に作られた写本だという話だ。
そして原本が保管されたこの塔は建物全体やこの階層、階層内のそれぞれの部屋全てに厳重な保護魔法が掛けられているし、研究者であっても部屋に出入りするには特別な許可が必要になっている。
そもそも普段は写本の方を利用するので原本は滅多に使われないのだ。
だが、伊織としては写本ではどうしても記述間違いなどがあるために原本の閲覧を要求していた。
これからしばらくの間、この資料庫にこもって資料を確認し、必要に応じて写真に収めることになっている。
幸い、ロヴァンテルが他国に侵攻するのは春になってから。
満を持して送り込んだ黒蛇の部隊があっさり殲滅され、生き残りまで廃人同然となれば今頃怒り狂っているだろうが、それでも感情にまかせて計画を早めることはしない。
というか、正確にはできない。
冬という気候だけでなく、大陸東部はこの季節濃霧が多く発生し、積雪や降雪による泥濘が行軍を阻む。
歩兵だけならともかく、この世界の魔導車では雪道や悪路を走行することは難しいし、そもそも輜重が運べなければ戦争どころではない。
属国の援軍も期待できないとなれば、嫌でも春が来るまで待つしかないのだ。
そんなわけで、春が訪れて積雪が消えるまでの数ヶ月間は黒蛇のような小部隊や暗殺にさえ気をつけていれば問題ない。
それに、おそらくだが最強部隊と自負していた黒蛇が簡単に返り討ちに遭った以上、ロヴァンテルにさらに部隊を送り込む余力があるとも思えない。せいぜいが在野の無法者を使って暗殺や嫌がらせを企てる程度だろう。
なので、当面は古代魔法の研究に注力することができる。
それも、すでにリゼロッドによってある程度の解析が進んでいるために、より確度を高めるための補完が主となる。
「それにしてもすごい量ね」
「かなりしっかりと保存されてるな。千年以上前の物とは思えないくらいだ。古代王国が滅びたことでこれ以上知識の消失が起きないようにしたんだろう。それでも失ったものも多いみたいだけどな」
おそらくあの時間の止まった空間の中にはここよりも遙かに多くの英知が蓄えられていたのだろうが、今ではそれを復活させるのは不可能だ。
それを残念に思うのと同時に、失われたからこそこの世界が存続しているとも言える。
どちらにしても結果論ではあるが、あのような形で滅びなくても行き着くところまで行ってしまった魔法王国はそれほど経たずに滅亡の道を辿ったことは間違いない。
その場合はこの世界に残した傷痕はもっと大きなものになったかも知れないが。
「どうかな? ここには古代の英知と大いなる罪の記録がある。儂らはそれを受け継ぎ次代に渡していく。禁忌の術を封じるために」
ルバがどこか悲しげな声音でそう言うと、英太が首をかしげた。
「それって危険な魔法に関する資料を破棄すれば良いんじゃないっすか?」
その問いに応えたのはリゼロッドだった。
「この国だけじゃなく、世界全体で魔法を捨て去って、そんな記憶すらなくならない限りいずれは誰かが古代魔法を復活、あるいは同じような魔法を生み出すわ。ここは再びそんな未来が訪れないように、技術と共にその結末と復興の道筋を伝えるために維持してる。そういうことよね?」
最後にそう確認する彼女に、ルバは深く頷いてみせる。
「その通りじゃよ。古代の魔法は危険だが新しい魔法が危険でないという保証などない。この資料の中には様々な魔法の対処法や無効化の技術もある。だからこそ引き継いでいかねばならん」
「歴史ってのは失敗の記録でもあるってことだ。そこから何を学ぶかはそれぞれの世界の人間がすべきことで、俺達が口出しすることじゃないさ」
「まぁ、確かに光神教の大主教なんざ完全に人間辞めてたしあんな連中がまた出てきたら迷惑極まりないだろうよ」
「元その手先が言うと説得力あるわよねぇ」
ジーヴェトの言葉を香澄が混ぜっ返すと情けないしかめっ面で肩を落とす。
生きるためとはいえ、さすがにあんな組織に与した過去に思うところがあるのだろう。
「まぁ、なんにしても古代の魔法をろくでもないことに使おうとしなきゃ俺達はどうでもいいさ」
「実際にそれをしようって国がお隣っすけどね」
「アレで懲りてくれてれば良いんだけど」
「無理でしょうね」
「死ななきゃわかんねぇんじゃないか?」
英太達の予想通り、ことごとく邪魔されたにもかかわらず冬の間に怒りと鬱憤を存分に溜め込んだロヴァンテル神聖国は、雪解けと共に動き始めようとしていた。
その行動がどんな結末を迎えるか、自らに都合の良い夢想しかできない者達へのレクイエムが鳴り響く。
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