第128話 消火完了と大陸東部の情勢
キジェルの街を流れる川の上空でチヌークが静止し、そして高度を下げる。
胴体下部のカーゴフックに吊るされたバンビバケットが水に沈み、そして引き上げられた時は水を汲み上げて大きく膨らんでいる。
一度に汲み上げられる水の量はおよそ7600L。
チヌークはそれをぶら下げたまま炎を上げている貧民街の上空まで移動し、中身をぶちまける。
極局所的な集中豪雨によって一気に火勢が弱まり、もうもうと水蒸気が立ち上がった。
そこに近くで手を出しあぐねていた海兵達がインパルスや消火用魔法道具を持ってここぞとばかりに消火を進めていく。
それを見届けることなく再び水を汲み上げるべく伊織はチヌークを川に向かわせた。
「ルア、次はどこだ?」
「えっと、まちのにしがわ。赤いやねがいっぱいならんでるところ」
伊織の質問に、副操縦席に座っているルアが
ルアは伊織だけでなく、イヤホンマイクで練兵場にいる香澄にも上空から確認した状況を報告して効率の良い消火活動ができるように誘導していた。
幼い外見ながらドローンに関しては民生用のマルチコプターのみならず軍用偵察ドローンの操縦も今や英太と同等レベルに上達している。
搭載されたカメラ越しにすら気配を察知出来る感知力を考えればドローンでの貢献度は英太を超えるほどだ。
元々はなんの役にも立てないことで捨てられることを怖がっていたルアに伊織が与えた役割なのだが、今ではすっかりルアの専任業務となってしまっている。
ルア自身がそれを喜んでいるようなので伊織もその役目はルアに任せることにしたらしい。
一秒を争う消火活動の最中なのだが、チラリと横目でルアを見て伊織が口元を綻ばせていた。
ちなみにほぼルアの専属護衛となっているジーヴェトはすることがないのでカーゴスペースの座席でのんびりと寛いでいる。
今の状況でそれができるメンタルを持っているのが伊織達に付き合っていられる秘訣なのだろう。
ルアの誘導による上空からの消火活動の回数が20回を超えた頃、不意にルアがHMDを着けたままキョロキョロと見回すような素振りを見せる。
「ルア、どうした?」
「ん、なにかイヤな感じがするの。ナニか近づいてくるみたい」
不安そうなルアの言葉に伊織が眉をひそめる。
「方向はわかるか?」
「……まだわかんない」
「まだ距離があるってことか。火災現場の確認を中止して東側の海にドローンを向かわせてみろ」
「うん!」
伊織はルアの感覚を疑わない。
たとえそれが勘違いだったとしてもしっかりと話しを聞いて、どうしてそう感じたのかを考察する。
だからこそ、ルアも伊織に素直に感じた事を話し、言われた事に従うのだ。
そしてそれはすぐに結果となって現れた。
「パパ! 船がいっぱい! まちに向かってきてる」
ルアの言葉に、伊織はすぐにモニターのひとつにドローンの映像を表示させる。
「結構いるな、50隻くらいか。大型の帆船が10、残りが魔導船みたいだが。とにかく海軍のお偉いさんに聞いてみっか」
そう呟いて伊織は練兵場で現場指揮に勤しんでいるトロス達と通信を繋いだ。
「船団、だと? 場所は?」
『街の北東、距離は50kmって、言ってもわからないか、魔導船で一刻くらいの距離だな。数は50隻くらいだ』
「50隻……」
トロスが苦々しげに顔を歪めて絶句する。
本来ならすぐに偵察部隊を出して確認するべきだが、今は海軍総出で街の消火と住人の避難支援にあたっているために偵察を出すにはその人員から割り振るしかない。
だが50隻もの船団となれば普通の商船とは考えられない。
タルパティルの貴族や他の街の部隊だとしても事前に知らせがないのはありえないだろう。他国の使節としても数が多すぎる。
であれば残るは他国の侵略か示威行動しかない。
明らかに人為的にキジェルの街の各所で火災が発生したことを考えるとあまりに出来すぎたタイミングである。
『俺たちが見ても船の所属なんざわからないからな。映像を送るから確認してくれ』
伊織のそんな言葉が終わるや香澄がドローンから送られてきた映像が映し出されたタブレット端末をトロスとゼルに見せた。
そこに映っていたのは海原を疾走する数多くの魔導船と大型帆船を上から見たもの。
「これほどの魔導船に、大型補給船が10隻……」
船団の陣容を見て一層厳しい顔をするトロス達。
さらに香澄が映像を拡大して船の甲板が判別できるようになると、船首に掲げられた旗がはっきりと見て取れた。
「やはりアバルか」
「この時期に魔導船を率いてキジェルに侵攻しようとするのはアバルしか無いでしょう。となると、やはり今回の火事も」
トロスの呟きに、ゼルが応じる。
『で、なにかわかったか? どうにもあまり歓迎できるような船じゃなさそうな雰囲気だが、どうする?』
緊張感のない伊織の口調に思わずトロスは舌打ちしそうになるがなんとかこらえる。
異国人である彼等にとってはタルパティルが隣国と争おうが直接関係がないのだから仕方がないと気を落ち着けた。
「船団との距離は魔導船1刻ほどということだったな。とするとおそらくは30海里くらいか。やむを得ん、延焼が弱まった場所の消火は一旦中止し、半数の海兵を船団に向かわせる」
早期に発見できたために準備する時間的余裕はあるが、その分消火活動に支障が出るのは間違いない。
現在消火の中心となっているのは伊織達に提供された道具を使う海兵達だ。街の守備兵と憲兵だけではとても手がまわらないだろう。
かといってアバルの船団は少数ではない。少なくともキジェルに停泊している軍船の半数以上は出さなければ被害を抑えられなくなる。
『それじゃぁ火事を消すのに支障が出るなぁ。確認だが、あの船団はアンタ達と敵対する連中ってことで良いんだよな? んじゃ、沈めちゃっても問題ないだろ?』
「なに? 貴公が対処するということか? だがそのための対価までは私の一存では払えんぞ。それよりも貴公等には引き続き消火の対応を願いたい。甚だ口惜しいが貴公等の貢献は我らの誰よりも大きい。抜けられるのは困る」
トロスの言った通り、今現在のところ街の各所で発生した火災は徐々に鎮火をしていっている。多少残り火が燻っている程度であとは住民たちが対応できるという段階になっている箇所も少なくない。
だがそれでも未だにいくつもの場所で炎は猛威を振るっており、伊織による空からの消火と、火勢の強い場所への英太の消防車による消火、この練兵場で香澄とリゼロッドによるバックアップが無くなれば完全に消火が停滞しかねない。
『消火は継続するから心配すんな。というか、消火活動の邪魔になりそうだから先に片付けとこうってことだからな。火事が起こったら燃えそうなものはどこかに移動するだろ? それと同じで余計なゴミは処分しとかなきゃな。これも消火の一環だから追加料金はとらねぇよ。
ってわけだから香澄ちゃん、MLRS出してくれ。ランチポッドコンテナは15番と16番で』
途中で話を振られた香澄だったが、ひとつ肩をすくめただけで頷く。
唐突な仕事の割り振りはもう慣れたものだ。
「了解。でも弾頭を変えるの?」
『ああ、M31は高いからなぁ。旧式のM30なら米軍が廃棄するのを大量にガメといたからタダだ。海上で使うなら不発弾が残留しても心配いらないからな』
インカムで伊織と会話しながら香澄が手早く異空間倉庫の宝玉を並べて倉庫を開く。
驚く周囲の海兵達が見守る中、出してきたのはMLRS、自走式多連装ロケットシステムの車両だった。
装輪式の軍用車両で、荷台部分にロケットを格納した箱型のコンテナを装備する短中距離攻撃車両である。
続いて補給用弾薬車両がロケット弾の装填されたコンテナを運び、MLRSに搭載する。
日本の自衛隊にも採用され、島嶼防衛の切り札の一つとして運用されているMLRSは12発のロケット弾を搭載でき、コンテナを交換することで短時間で次の攻撃を行うことができる。M30以降の弾頭はGPSその他の誘導による精密爆撃も可能だ。
ちなみに、M30弾頭は子弾を400個以上撒き散らすクラスター爆弾の一種であり、不発弾が多発して戦闘後の住民環境を危険にさらすことからクラスター弾に関する条約(オスロ条約)を批准していない米国でも子爆弾を使用しないM30A1への置き換えが進められている。
当然旧式のM30は廃棄されたはずなのだが、どうやら伊織はその廃棄された弾頭をどこからか入手していたらしい。
もちろん伊織にしても地上で使用するつもりはないだろうが、海上であれば不発弾はすべて海底に沈み、深さにもよるが水圧で爆発も防げる。さらに数年もすれば働き者のバクテリアによってほとんど分解されてしまうだろう。もちろん環境にはよろしくないが。
うん、やっぱり極悪人である。
「伊織さん、準備できたわよ」
『ドローンのデータと同期させてくれ。照準は先頭の大型魔導船を中心に、指揮官が乗ってそうな船を狙えばいい。全滅しなくてもびっくりして帰っていくだろ』
無線誘導にはGPSだけでなくレーダーやその他の観測機器による位置データも使うことができる。今回はルアが操縦するドローンがその役割を担っていた。
見ているトロスやゼルには見たこともない車両や道具の数々、交わされる会話も何一つ理解出来るものはない。
だが目の前のソレがとてつもなく危険で、同時に頼もしいものであるように思えていた。
時間にしてせいぜい10数分。
香澄がすべての準備を整えたのと同時に、リゼロッドが魔法でタブレットの映像を虚空に拡大して投影させた。
オオォ~!
海兵達だけでなくトロスやゼルも思わず感嘆の声を漏らす。
伊織の道具類は見たところで全く理解できないので凄さが分かりづらいが、リゼロッドのは魔法だ。
大陸東部は他の地域よりも優れた魔法技術を持っており、それを誇りとしている。
それだけに他国の者が使う魔法には高い関心があり、ほんの僅かな時間で映像を空間に投影させた技術に驚いたのだ。
この国の魔術師にも似たような技術はある。
海軍でも遠見鏡と呼ばれる遠くの景色を拡大して投影させる魔法道具があるし、優れた魔術師は壁や水面に映像を投影させることもできる。
同じことができるだけにリゼロッドの技術の高さが理解できたのだ。
「攻撃を開始するから離れて!」
香澄の警告に、わけがわからないまでも大人しく従う海兵達。
そして、
ドッシュゥゥゥゥ!!
「うわぁぁぁ!!」
「な、なぁぁぁ?!」
MLRSのコンテナ後方から噴き出す爆炎と煙。
その直後、飛び出していった円筒形のモノはまっすぐ海の彼方に向かって消えていく。
それが続けて6回。
装填された半数を打ち出したところで、虚空に映し出された船団の映像にとてつもない速さで何かが飛来するのが映る。
直後、先頭の魔導船の上空で飛来物が爆発し、さらにその破片のようないくつもの欠片が船の甲板で爆発を起こす。
他の船の上でも同様の事が次々に起き、ある船は四散し、またある船は瞬く間に燃え上がった。
「むぅ……」
「…………」
トロスもゼルも、いや、他の海兵たちもその光景に絶句して身動ぎひとつ取ることができない。
アバルの船団が混乱し、彼の国が誇る魔導船が右往左往している様子に、彼等の恐怖と混乱が手の取るように分かった。
彼等はまだ何もしていない。
目指していたキジェルの街まではまだ距離があり、遠見鏡で拡大しても水平線に隠れて見ることすらできないほどだ。
当然発見されているなどとは思っていなかっただろうし、そもそも何が起きたのかも理解出来ていないだろう。
ただ一瞬で20隻近い船が沈められたという現実だけが彼等にのしかかっているはずだ。
こうなればキジェルへの侵攻どころではない。
案の定、船団は残りの半数ほどが沈没や炎上した船の乗員の救助を開始し、半数は180度転進して戻っていく。
パンッ!!
突然乾いた音が練兵場に響き、海兵達はハッとして音のした方を向く。
「ボウっとしないで! まだ街の火は消えてないのよ!」
「っ! そうだ。各自持ち場に戻れ! ゼル隊長、念のため数名をアバルの船が居た海域に向かわせてくれ。ただし連中の残りが居ても戦闘は避けるんだ」
「了解しました」
香澄の叱咤にトロスも今すべきことを思い出し、ゼルに指示を出す。
いくら慌ただしくても魔導船1隻を偵察に出すくらいの人員は割ける。
そしてその後も次々に海兵達に命令を下し、消火活動を進めていった。
それはまるで嫌な現実から逃避するかのようだったが。
「キジェルの街で起こった火災の消火活動への協力、感謝する。貴公等のおかげで被害は最小限に抑えられたと言えるだろう」
キジェルの海軍本部。
海軍司令官の執務室でトロスと伊織は向かい合わせに席に着いていた。
「軍人が戦いで死ぬのは勝手にしろって感じだが、民間人が巻き込まれてるのを見殺しにするのは寝覚めが悪いからな。まぁ、たっぷり恩に着てくれ」
伊織の放言に苦笑いを返すしか無いトロス。
彼にしてみれば質の悪い押し売りが弱みに付け込んで高値で売りつけてきたようなものだろう。しかもそれがこの上なく役に立ったのだから素直に喜べるわけもない。
「事前に話していた通り、報酬は金銭で金貨300枚。この国では中級指揮官の5年分の俸祿に相当する。不満かもしれんがさすがにこれ以上出すわけにはいかんのでな。代わりに上陸の許可とタルパティル国内の通行を認める。差し支えない範囲での質問にも答えよう」
鹿爪らしいというか、不機嫌そうにも見える態度でそう言ったトロスに、伊織はニヤリと口元を歪めて頷いた。
ちなみにこの部屋にいるのは伊織ともう一人、リゼロッドである。
「随分と譲歩してくれたもんだな。その分こちらは助かるが」
「アレだけのものを見せつけておいて白々しいにも程がある。とにかく貴公と敵対するのは得策ではないと判断した。願わくばできるだけ早くこの国を出ていってもらいたいと思っている」
伊織に習ったのか、トロスも無遠慮に本音を口にする。
今更取り繕ったところで伊織達が危険だという印象に変わりないし、懐に入れるにしても突き放すにしても思惑通りに動いてくれるわけがないと理解しているからだ。
それほどまでにアバルの船団を蹂躙した兵器は衝撃的だった。
見ることすらできないほどの遠距離から、わずか30分ほどの準備時間で反撃に遭う恐れもなく一方的な攻撃。
それがもし自分達に向けられたとしたら彼等と同じく何が起きたのかわからぬうちに壊滅することになる。
船舶や海兵の数や装備など全くの無意味だ。見えないほどの上空から監視され、どこに居ようが攻撃にさらされる。
それを知覚することも防ぐこともできずただ死ぬだけだろう。
無論伊織から敵対してくれば戦わなければならないだろうが、少なくとも海軍が手を出すことは厳に慎むつもりでいるし、王宮や議会にも報告して愚か者が暴走することのないようにしなければならない。
と、同時に、そんな危険な爆弾はできるだけ遠くにやってしまいたいというのがトロスの本音である。
野心のあるものならばなんとか友誼を結びその力を借りようとするのだろうがトロスにはそんな気はないのだ。
「んじゃ聞いておきたいんだが、大陸東部の情勢ってどうなっているんだ? 今回の火事もあの船団の国がやらかしたんだろ?」
伊織の問いにトロスは頷く。
「大陸東部のことはよく知らないということだったな。我が国タルパティルは大陸東部の南端の国だ。すぐ北側のケシャと国境を接している。この2国の東、魔導船で5日ほどの距離にある島を統治するのが今回キジェルに侵攻しようとしたアバルという国だ。資源が乏しいのと北部の大国、ロヴァンテル神聖国に対抗するために大陸に足がかりが欲しいのだろう。
そのロヴァンテル神聖国はさらに北にあるナセラ輝光聖国と対立している。どちらも自分の国こそが古代魔法王国の正当な後継者だと主張している。
他にもいくつかの小国はあるが、情勢としてはこんなところだ」
他の地域もそうだったが、やはりどこの世界でも争いの種というのは転がっているようだ。
「古代魔法王国の後継者、ねぇ」
「ってことは、あの砂漠の街から東に移動した人たちが作った国なのかしらね」
伊織とリゼロッドの表情は呆れたような微妙なものだ。
「それで、そのロヴァンテル神聖国とナセラ輝光聖国だっけか、その2つの国は古代魔法王国の後継者として何を主張してるんだ?」
伊織がそう訊ねると、トロスは大きなため息を吐きつつ首を振った。
「呆れるほど荒唐無稽な話だ。当の国民すら本気にしていないだろうよ」
「なるほど、おおかた『古代魔法王国の復活と復権』ってところか? 愚者の夢だな」
伊織の言葉にトロスは苦笑いで応える。
どうやら言葉の通りだったらしい。
「けどまぁ、そういった主張ってのは叫んでいる本人の本音とは関係なく周りを巻き込んでいくことがあるからな。対立する相手がいる場合は特に」
「古代魔法王国のことがどこまで正確に伝わっているかわからないわよね」
地球でも何百年も昔の事を持ち出して主張し始めた挙げ句自縄自縛に陥って引くに引けなくなった国はいくつもある。
未だ発展途上のこの世界ならばなおさらだろう。
「……何をするつもりだ?」
「いや、この国がグリテスカ帝国に侵攻しないっていうなら迷惑かけるつもりはないぞ。ただ、俺達はどうにも古代魔法王国ってのに縁があるらしくてな」
そこまで口にして言葉を切ると、伊織はリゼロッドをチラリと見る。
「そう、ね。やっぱり古代魔法王国の末裔が何をしようとしているのかは見届ける必要がありそう」
リゼロッドの言葉を合図に立ち上がる伊織。
「んじゃ、邪魔したな。片付けを終えたら街を出るよ」
「あ、ああ。それで、どこに向かうつもりだ?」
「とりあえずはこの国の王都見学でもして、それから北、だな」
伊織はそう答えると口元を歪めたのだった。
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