第121話 南方沿海伯爵
グリテスカ帝国の帝都にある王宮の謁見の間で、皇帝ブランゲルトはクラントゥ王国第2王女ターミヤと対面していた。
傍らには護衛騎士であるオリューザだけでなく、帯同していた他の騎士や侍女たちの姿もある。
そして彼女達を帝都まで連れてきた伊織達と3名の男女も。
「ようこそ参られた。クラントゥ王国から殿下を迎えられること、心より嬉しく思っている」
「皇帝陛下におかれましてはこの度の力添え、クラントゥ王国王女としてお礼申し上げます。また、我が国の問題でグリテスカ帝国へ持参するつもりだった品々が失われてしまい、空身での訪問になりました非礼を伏してお詫び申し上げます」
ブランゲルトの言葉に、ターミヤが両膝をついて深々と頭を垂れる。
「事情は承知している。殿下に非は無いことは理解しているし、そのことで王国に含むところはないので安心していただこう。無論持参品は受け取ったものとして扱わせていただく」
ブランゲルトが穏やかな表情でそう返したことで、ターミヤはようやくこわばった表情を緩めることができた。
オリューザや他の者達もホッと小さく息をついて肩の力が少しばかり抜ける。
この場にはとてつもない力を持つ伊織達が同席しているとはいえ、オリューザや護衛騎士達から武器を預けるように求められることもなく帯剣したまま謁見が許されたことからも悪い扱いはされないだろうと思っていたのだが、改めてブランゲルトが口にしたことでターミヤ達は公式に王国からの親善大使と認められたことがわかり安心できたのだ。
「皇帝陛下のご温情には感謝の言葉もありません。つきましては、暫くの間わたくしどもが帝国に滞在することをお許しいただきたくお願い申し上げます」
ターミヤとしては情勢のわからないまま王国に帰るわけにいかず、さりとて当初の予定通り帝国で王国使節として動いて良いのかも判断がつかないため、当面は帝国内に滞在させてもらわなければならない。
「さもありなん。このようなことになれば殿下としても動きようがなかろう。まずはゆっくりと身体を休め、情勢が落ち着くまで滞在されるのが良いだろう。クラントゥ王国に帰るかどうかの判断は殿下におまかせするが、殿下が望まぬ限りクラントゥ王国の要請があっても送還したり引き渡したりすることはないので安心してほしい」
その言葉に、今度は騎士達や侍女たちから大きな安堵のため息が漏れる。
帝国にとってお家騒動最中の、それもあきらかに不利な立場にある王女を帝国に留め置くメリットなどほとんどない。
それどころか逆に両国の関係を悪化させ、国内の情勢すら不安定にさせかねないと考えても不思議ではないのだ。
対してターミヤの立場としては帝国から送還されればなす術なく捕らえられ、良くて幽閉、悪ければ即刻処刑されかねない。
親善の使者として帝国へ訪問する途上で海賊に襲わせようとするくらいなのだから、王国内でどのような扱いを受けるかなど考えるまでもない。
もちろん父王が健在ならば事態を知れば阻止してくれるだろうが、護衛船があっさりと逃げ出したことを考えると軍部はすでに大部分がクラントゥ王国の第1王子であるオランザに掌握されていると考えられる。
ターミヤは元々王位継承に関わるつもりは無く王族の姫として国益に敵う相手と結婚する予定だったために王国内での地盤はないに等しいため助けてくれる相手も思い浮かばなかった。
それだけに今回ブランゲルトが帝国への滞在の許可とターミヤが望まぬ限り王国へ引き渡さないことを言明してくれたのは大きい。
「さて、お疲れかとは存じますが、まずは今後の事について話し合いをしたいと考えております。殿下と、他国にまでその名を轟かせた剣鬼殿には別室に移動していただけますかな?」
帝国の宰相と紹介された男がそう促し、ターミヤ達はそれに従う。他の者達もその間は近くの部屋で待つことになった。
先に到着していたターミヤ達が待つことしばし、伊織達とそれに続いて先程も同席していた女海賊レイアと弟のコーリス、腹心であるオンザが部屋に通されてきた。
そしてその直後、ブランゲルトと宰相の男が来て椅子に座る。
「改めて、よくぞ無事に到着された。余としても胸をなでおろしている。帝国にいる間は安心して過ごしていただきたい」
円卓の隣りに座ったターミヤに、先程までよりもくだけた態度でそう言ったブランゲルトに彼女も笑みを浮かべた。
「陛下のおかげです。それに、レイア殿が保護してくれたおかげでもあります。本当にありがとうございました」
ターミヤはそう言ってブランゲルトに、そしてレイアにも視線を移しながら頭を下げた。
向けられたレイアは居心地悪そうに顔をしかめて腕を組む。
「なんでアタシらまで呼ばれたのか教えてほしいもんだね」
憮然とした表情を隠そうともせずレイアが溢す。
「アタシの身は旦那に預けたんだから海賊の罪に問われても文句は言わないけどねぇ、アタシの命令に従ってただけのオンザや血が繋がってるってだけの弟まで引っ張ってきたのはどうしてだい?」
納得いかないと語気を強めながら睨むレイア。
強大な帝国の皇帝を前にしてかなりいい度胸をしていると言える。
「罪を鳴らすために呼んだのではないし、ターミヤ殿下のいるこの場に同席してもらっているのも理由のあることだ」
宰相の男が何か言おうとするのを制してブランゲルトが自らそうレイアに言葉を返す。レイアの態度も特に気にしていないようだ。
「海賊行為で悪逆な真似をしていた連中はすでに全員が死ぬか捕縛されている。これ以上は罰する必要はないだろう。それにそもそも沿岸の島嶼部に暮らす者達の管理を怠っていたのは帝国だからな。貧民街に暮らしていた者達を処罰していないのにその者達を処罰しては公平を欠く」
ブランゲルトの言葉に、宰相は渋い顔をしたもののなにも言わず、ターミヤとオリューザは驚いた顔をしている。
それはそうだろう。
どの国でも海賊行為は重大な犯罪だ。
司直の手の届きにくい海上で暴力による略奪を許せば海上流通を不安定なものにして商人達からは信用されなくなる。ましてや敵国の船だけでなく自国の船まで襲っていたのならばなおさらだ。
確かにどこの都市にもある貧民街に住む者も犯罪行為に手を染めているものが多い。だがそれでも海賊が襲うのは漁師などではなく商人だ。同列に扱うような相手ではない。
しかしブレンゲルトはすぐに理由を説明しようとはせずにターミヤに向き直る。
ちなみにその間伊織はといえば、やり取りをニヤニヤしながら見ているだけである。
「さて、話を戻そう。海賊たちの処遇の理由も最後まで聞いていればわかるだろうからな。
ターミヤ殿下」
「は、はい」
「我々が掴んでいる、今のクラントゥ王国の状況を教える」
ブランゲルトがそう言うと、ターミヤとオリューザはビクリと方を震わせて次の言葉を待つ。
「殿下が我が帝国の港町に到着する予定だった日、つまりそこの女海賊に保護された日だろうが、クラントゥ王国で政変が起きたようだ。第一王子であったオランザ・レム・サリゼアが先王の廃位と自らの即位を宣言した」
「っ?!」
「な、なんと!!」
ターミヤが絶句し、オリューザも驚きの声を上げる。
「残念ながら王国とは距離が離れているために詳しい状況までは伝えられていないが、もうしばらくすれば伝令が届くだろう。そうすればもう少しわかることもあるだろうが」
広大な領地を持つ帝国では、かつての地球と同じく情報の伝達や通信に帰巣本能の強い鳥を利用している。
鳩ではなくカラスに似た大型の鳥だが、数百kmを一日で飛び、外敵にも強く確実に巣に戻ってくる性質を持っている。しかも1年経っても巣の場所を忘れないという種だ。
当然一度に運ぶことのできる情報は足にくくりつけられる紙片に書ける範囲だけであり、詳しい事情などは伝えきれない。
それに王国に駐在する大使が保有できる伝書鳥の数にも限りがあるため、詳しいところは追って送られてくるだろう伝令官が運んでくるのを待つしかない。
「殿下に訊ねるが、オランザという王子は我が帝国との融和に反対の立場だったというのは事実か? 答えにくいかもしれんが、事は帝国の安全にも関わることだ。理由も含めて教えていただきたい」
ターミヤはオリューザと顔を見合わせ、老騎士が頷いたことで覚悟を決める。
「……事実です。兄は、第1王子オランザは今回わたくしがグリテスカ帝国に親善の使者として派遣されることにも反対しておりました。彼の考えでは戴冠の祝として貢物を持っていけば帝国の下手に回ることになると。
ただ、過去はいざしらず、近年は王国と帝国は海上貿易を通して人の交流も多くなっており関係性も良好です。わざわざ帝国と関係を悪化させる利はありません。争ったところで得られるものなどほとんどありませんし、関係を維持させるだけでも王国に必要な資源は交易でも得られるのですから。
父王も同じ考えで、オランザ王子の進言は受け入れられることはなくわたくしが派遣されることに決まったのです。……父王はむしろ、その、帝国との関係を深めたいと考えていたようで」
ターミヤが言いにくそうに言葉を濁しながらも頬を染める。
要は帝国との婚姻外交の一環としてターミヤが訪問することになったということだ。
もちろんそんなことはブランゲルトにもわかりきっているし、それを受け入れるかどうかは別問題ではあるが。
「そうなるとオランザ殿下のお考えは主流派というわけではなかったのですかな?」
宰相が浮かび上がった疑問をターミヤにぶつける。
「儂からも発言を許していただけるだろうか。
クラントゥ王国の上位貴族の間では融和論が主流なのは確かです。しかし、三方を山脈と海で隔てられた王国は西部諸国との情勢が落ち着くと出世の機会を失った下級貴族や予算と人員を削られることになった軍部で近隣諸国とはある程度の緊張が必要だという主張が出てきました」
オリューザの説明によると、帝国との国境と大陸北部を隔てる二方を山脈に、南部が海に面したクラントゥ王国は長年西部の国々との領土争いが頻繁に起こっていたらしい。
近年になってようやく西部諸国との争いも落ち着いたものの、元々が西部諸国は資源に乏しく貧しい国が多い。だからこそ王国に対して戦いを仕掛けてきていたのだが、それだけに戦争に勝ったところで得られるものなどなく、版図を広げる気にもならない。
だから西部諸国が王国に攻め入ることがなくなると軍功で身を立てることもできなくなるし過剰な軍は単なる金食い虫でしかなくなっていまう。
そこでオランザが主張したのが帝国との関係の見直し、つまり皇帝が替わって混乱が続く帝国に戦争を仕掛けることだった。
かつて帝国と大規模な海戦を経験していたことと、西部諸国とも海戦をすることが多かった王国は海軍力には自信があり、逆に帝国は地続きである北部諸国への侵攻のために陸軍力を強化して海軍力が低下していたことも要因となった。
「オランザ殿下は帝国に対して海軍力で圧倒して王国に近い穀倉地帯を支配下に置き、北部諸国と連携して帝国の版図を削り取るべきだと主張し、軍部もそれに同調していたのです」
「ふむ。それならば第1王子がことを起こしたのにも納得だな。軍部が味方についているのなら少々強引でもなんとかなると考えたのだろう。だがターミヤ殿下が王国を離れたタイミングを選んだのはなぜだ?」
「それはターミヤ殿下が民衆からの人気が高いからでしょう。殿下は以前から貧困対策や公衆衛生の改善に努めており、国王陛下も積極的にそれを喧伝しておりましたからな」
つまり帝国に親善大使として訪問した王女が帝国内で害されたと言って民衆の怒りを帝国に向けさせようとしたのだろう。
そうなれば帝国に対する宥和政策をとる国王を武力で廃しても反発は最小限に抑えられる。
「ずいぶんと舐められたものだ。とはいえこれまでの帝国を見ていれば仕方がないか。それに海の備えを怠ってきたのは事実だ」
説明を受けて苦笑いを浮かべたブランゲルトがレイアを見て意味ありげに口元を歪める。
「海軍力もそうだが、これまで放置されてきた南部海域の統治も喫緊の課題だ。だがいままでなにもしてこなかった帝国がいきなり島嶼部に官吏を送ったところでそこで暮らす者達は納得すまい。イオリの調査で島々の位置や人の住んでいる所までは分かっているが住民が反発しては元も子もない」
「ちょっと待ちなよ。まさかアタシらを帝国の飼い犬にしようってのかい?」
教育など受けていなくても生きるために知恵を巡らせてきた女海賊である。
ブランゲルトの言葉の意味をすぐに理解して表情を険しくする。
「その言い方はともかく、南方海域の島々を帝国に組み込むという意味ではそのとおりだ」
いわば敵地のど真ん中で暴れるほどの愚は犯さないまでも豪然と帝国の最高権力者を睨みつける女海賊の眼力にも怯むことなくブランゲルトは言ってのける。
「お断りだね。アタシらの村は帝国やその周辺から逃げてきた連中が作った村だ。アタシらの世代は知らないが、年寄り達は帝国からどんな仕打ちを受けてきたかを憶えてるしアタシらもそれを聞かされて育ってきたんだ。今更帝国に従うなんて御免だよ」
「そうだろうな。だがクラントゥ王国が帝国との関係を変えようとしている以上、王国に拠点とされないように島嶼部の統治は行わないわけにはいかない。だが住民から反発されては逆に王国に付け入る隙きを与えることにもなる。
そこでだ、女海賊レイア、貴様に南方海域を委ねようと考えている」
ブランゲルトがそう言うと、レイアは、いや共に居るオンザもコーリスもなにを言われたのか理解できず一瞬思考が停止する。
「はぁっ?!」
しばらくしてレイアの口から出たのはそんな間の抜けた声だ。
「キーリャより南の海域と南方の島々の統治を貴様に任せる。住民の生活水準が帝国主要都市の住民と同等になるまでは租税は免除し、各島の開発と港の整備、領地の運営に関しては帝国の予算を割り振る。
基本法は帝国法を適用するが、それに反しない限り独自の立法権も認め、帝国に対する敵対行為と外交以外は自治権を有することとし、一定範囲内の武力も許可する。
引き換えに監査官の常駐と海軍の整備と海兵の訓練への協力をしてもらう。それから適当な島に造船所を建設し、その管理は皇帝の直轄事業として運営する。
領主の帝国地位は伯爵とし、後継者は当主が指名し、皇帝が承認することで継承を許可する。
……そうだな、役職名は『南方沿海伯爵』とでもしよう。
皇帝として出せる条件はこんなところだ」
「……本気、かい?」
しばし沈黙が支配し、ようやくレイラが絞り出すように声を出した。
「貴様が言うように、単に帝国が支配するだけでは納得すまい。これが余が提示できる最大限譲歩した条件だ。無論、貴様が引き受けねば他の頭目に提示するほかあるまいが、これまでの行いから貴様が最も委ねるに足る人物だと評価している。
この条件を飲むのならばすぐにでも公式に書類を取り交わし公表するつもりだ。
証人はここにいるイオリとターミヤ殿下にお願いしよう」
そう言ってブランゲルトが目を向けると伊織がニヤケ顔のまま頷き、ターミヤも驚いた表情でだったが了承した。
「貴族連中が納得するとは思えないねぇ。それに、アタシの顔が利くのはほんの一部の島だけだ。ガリブスが支配していた島はともかく、そのほかは別の頭目がまとめてるんだよ。皆一癖も二癖もある連中だ。大人しく言うことなんざ聞きゃしないさ」
「そのことなら心配していない。すでに貴様達を王宮に連れてきたのがイオリであることは主要な貴族も官吏も知っているのだから、余が決めたことに文句を言う者など誰も居らぬよ。それからほかの海賊たちだが、イオリ、乗りかかった船を途中で降りるとは言わぬだろう?」
そんな言葉にも伊織は肩をすくめただけで答えた。
「旦那、プライドと虚栄心が人の皮を被ってるようなような貴族が文句ひとつ言わないって、アンタなにやったんだい?」
「そりゃそういう感想持つよなぁ」
「周囲の態度が伊織さんの行動を証明してるわよね」
「パパは凄いの!」
「この分じゃまだまだ伊織の犠牲者がでそうだけどね」
「胃が痛ぇ」
呆れた目で伊織を見るレイアに、口々に言う面々。
ルア以外に伊織の味方はいないようである。
「それで、返答を聞かせてもらおうか。無論断ったからといって罰を与えることはしないぞ」
ブランゲルトがそう促すと、レイアはしばし瞑目し、大きな、それはそれは大きなため息を吐いた。
「……約束が反故にされたらその後はアタシらの好き勝手にさせてもらうよ。それからそっちから役人を送るのは落ち着いてからにしておくれ」
「お頭……」
「姉さん、良いのかよ。難しい事はわかんねぇけど、爺さんたちがうるさいぜ?」
「どっちにしても帝国に目をつけられたんだからこれまで通りってわけにはいかないだろうからねぇ。とりあえずやってみるさね」
レイアの心情は前向きなのか後ろ向きなのか。
「おし! んじゃ時間ももったいないし、さっさと行くか!」
伊織がそう言うと、英太と香澄もやれやれといった様子で立ち上がる。
レイラが胡乱げな目で伊織を見るが、それに構わず伊織はレイア達を急き立てて部屋から押し出した。
「だ、旦那ぁ、行くってどこにだい?」
「グズグズしてると王国が動くかもしれないだろ? さっさと態勢を整えなきゃならないんだから他の海賊と話をつけるんだよ」
実に楽しそうである。
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