第115話 襲撃の代償

 襲撃者の案内した船の中でルア達が態勢を整えるべくリュックの中身物騒な代物を装備し始めた頃、ルアに持たせた通信機の緊急信号エマージェンシーコールを受けた伊織はおもむろに立ち上がった。

「悪いが緊急事態だ。少々荒っぽいことになるかもしれん。できる限り街に被害は出さないつもりだが、一応先に謝っておく」

 伊織の言葉にギョッとするレブラン伯爵。

「お、お待ちください! それはいったいどういう……」

 状況がわからず引き留めようとする伯爵。物騒なことを口走っていたのだから当然である。

 だが伊織はそれを無視して部屋を後にし、英太と香澄もそれに続く。

 

「へ、陛下!」

「余にもわからんが、おそらく何かあったのだろう」

 皇帝の客人に対して対応に困惑した伯爵がブランゲルトに顔を向けると、ブランゲルトもまた眉を顰めつつ立ち上がった。

「イオリは不可思議な道具を数多く所有している。仲間の身に何かがあったのかも知れん。ともかく我等も後を追おう」

「は、はい!」

 そんなわけでブランゲルトとレブラン伯爵、護衛の騎士達も伊織を追うことにする。

 廊下にはすでに伊織達の姿は無く、外に向かったのだろうと考え走る。

 

 幸い建物から出たところで伊織に追いつくことができた。というか、ブランゲルト達が建物を出ると、伊織は門の前で宝玉を並べて異空間倉庫を開いていたのだった。

 そこに兵士のひとりが慌てた様子で飛び込んできた。

「申し上げます! 南の見世物芸人達の区画で襲撃を受けました! 護衛兵と南区画の衛兵が対応していますが混乱が酷く、至急応援をお願い致します!」

「なんだと?! お客人は無事なのか!!」

「護衛兵で時間稼ぎを行いその場を離れて頂きましたがその後は確認できておりません! ここに向かうように言ったのですが、通りは逃げ惑う市民が数多くいたために迂回したようですが。申し訳ありません!」


「なんということだ……」

 レブラン伯爵が崩れ落ちるように頭を抱える。

 皇帝が連れてきた賓客が襲撃されるなど致命的な失態である。まして、撃退したのならまだしも、所在がわからなくなったなど弁明のしようのない。

 だが嘆いている場合ではない。

 伯爵はすぐに気を取り直して息を切らす護衛兵と、城門の兵士に指示を出す。

「領兵を動員しろ! 全ての建物、船への臨検を許可する! 怪しい動きをする者、臨検を拒む者は所属の如何を問わず拘束して構わん! 港も閉鎖し、船も荷車も、いや、徒歩であっても外に出すな!」

 領主としていまできる最大限の対応策。

 とはいえ、異国の商船も多数寄港している街である。緊急事態とはいえ強権的な措置を行えば間違いなく反発する船乗りや商人が出るし今後の交易にも影響しかねない。本来一領主の立場で決断できることではない。

 だがこの場には皇帝であるブランゲルトがいる。緩い対応が許される状況ではないのだ。

 

「責任は全て余が負う。できうる最大限の支援を行え」

 ブランゲルトがレブラン伯爵の命令を追認する。

 彼にしても伊織の仲間が帝国内で害されるなど考えたくもない。なりふり構っていられる状況ではない。

 異国の商人の不興を買う程度、伊織を怒らせることに比べれば無視できるレベルである。

 だがそんなふたりは、異空間倉庫から姿を現したモノを見て思わず思考が停止してしまう。

 

「悪いがしばらく騒がしくなる。まぁすぐに終わらせるから心配すんな」

 小型の荷車ほどの大きさのモノに跨った伊織がレブラン伯爵に向かってそう言うとニヤリと口元を歪める。

 表現としては笑みの形なのだが、それを見たレブラン伯爵は背中に冷水でも流し込まれたかのように身体を震わせる。

 そんな伯爵に構わず、伊織はヘッドセットで英太に確認を行う。

「そっちはどうだ?」

『あ~、なんとかなりそうっす。ぶっつけだけど、他の軍用車両とそれほど変わらないんで、動かすならいけます』

『こっちも大丈夫です。銃座はないけどルーフで身体を固定すればいけるわ』

「そんじゃ行くか。悪いがルアの位置のモニターはそっちで頼む」

 伊織はそれだけ言うと唖然としたままのブランゲルトを残して跨ったバギータイプの車両を発進させた。

 その後をゴーッと言う音を響かせながら英太の車両が続く。

 それを権力者ふたりのみならず、命令を受けて動き始めたはずの兵士達までが凍り付いたかのように見送っていた。

 

 伊織達の車両を見て凍り付いているのは兵士達ばかりではない。

 大通りを進めばその威容に道行く者は慌てて道を空け、その後呼吸を忘れたかのように固まって通り過ぎるのを見ている。

 先に走っているのは伊織の乗るバギータイプの車両。

 いつもの軍用車とは異なり、車体に比較して小ぶりな4つのタイヤに純白のボディの車両。

 それに続くのが英太の運転する、こちらはどこかSF的な、見ようによっては悪の軍団が乗ってそうな装軌式の装甲車両だ。とはいえ無限軌道部分はゴム製で石畳を傷つけたりしていない。

 どちらも初出の車両だが、両方に共通する機能を持っている。

 

『方角と距離で見ると港に反応があるみたい』

「ってことは船に乗っている可能性があるな。隠れるために乗り込んだか、それとも乗せられたか」

 香澄から伝えられた情報に伊織が独り言のように呟く。

 ルアの持っている無線機には位置センサーが組み込まれている。これは測量に使われる電波式測距儀の仕組みを利用したもので電波を送って反射して戻って来るまでの時間を測定することで距離と方向を知ることができる。

 人工衛星のGPSを利用できない異世界でも使える便利アイテムである。

 ただ、地図に連動させることはできないのでわかるのは距離と方向だけだ。

 

 大通りは多くの人で賑わっており、いくら急いでいたとしてもあまり速度を出すことができない。

 それでもそれほど距離があるわけでもないのでさほど時間は掛からず港が見える所まで進むと、十数人の衛兵が顔を隠した男達と戦っているのが見えた。

 戦っているとはいってもどうやら覆面姿の男達が逃げようとしているのを衛兵が捕らえようとしていて、覆面の男達が抵抗しているようである。

 伊織はそれを見るなり躊躇することなくそこに突っ込み、左腰のホルスターから拳銃P320-X5を抜き、覆面の男達の太ももを撃つ。

 狙い違わず一瞬のうちに全員の太ももが撃ち抜かれ、すかさず衛兵が覆面の男達を取り押さえる。

 突然現れた得体の知れない乗り物を目にしてもなお男達の拘束を優先したのは見事であるが、実際には対峙していた覆面男の態勢が崩れたために反射的に取り押さえることができただけだったりする。

 

 伊織達は止まることなく衛兵達を横目に通り過ぎる。

 優先すべきなのは襲撃者の尋問ではなくルア達の救出だ。

 桟橋が並ぶ港を通りから西に向かって移動する。

 速度を落とし、人の動きを探りながら進むと、倉庫の路地で人の影が動いたのを目の端で捕らえた。

『伊織さん、この先の船に慌てて乗り込んでる人がいるわ! あ、船が動き始めてる!』

 これだけ目立ちまくる車両で港を動き回れば当然ルア達を襲撃した連中にも知られるだろう。

 そうなれば大人しく息を潜めることなどできるはずがない。

 なにしろ見たことのない代物が迫ってくるのだ。疚しいところのない者であっても逃げ出したくなるだろうし、疚しければ尚更だ。

 伊織がわざわざゆっくりと示威行為をするように港を移動したのはそれも目的だったのだろう。

 

『慌てて離れるってのはそういうことっすよね』

『方角も距離も間違いないわね。あの船にルアちゃんが乗ってるわよ』

「んじゃ、少し陸から離れるのを待つか。あんまり港に近い場所で沈没すると迷惑だろうし」

『うわぁ、沈める気満々だし』

『当然よ! ルアちゃんに掠り傷一つでもできてたら足に重り付けて生きたまま海に投げ込んでやるわ!』

『お~い、香澄ぃ戻ってきてくれぇ』

 冗談めかして混ぜっかえす英太だが内心は似たようなものだ。

 とにかく早くルアとリゼロッドの無事な姿を見ないと不安で仕方ない。

 

「さて、そろそろ行くぞ。切り替えのやり方はわかってるよな?」

『大丈夫っす!』

 伊織は英太の返事を聞くと、そのままバギーを桟橋に向けて速度を上げる。

 そして桟橋の脇から水面にジャンプする。

 だが、着水したバギーは沈むことなく水面に浮き、伊織が手元のボタンを押すと前後左右の車輪が上に開く。

 そしてスロットルを開けると軽快なエンジン音を響かせながら水面を滑るように進み始めた。

 英太の乗る装軌式装甲車も同じ場所から水面にダイブ。

 こちらは車輪が移動することはなかったが、すぐに同じように水面を進み始める。

 

 今回登場した車両。

 伊織が乗っているバギーはアメリカのギブス社が製造販売するアクティビティビーグル、クアッドスキーというマシンだ。

 その最大の特徴はボタンひとつで陸上と水上の使用を切り替えられることだ。

 陸上では後輪駆動の4輪で、水上ではウォータージェット駆動でジェットスキーのように走ることができる。

 最高速度は陸上水上共に72km/hを誇る。

 ちなみに一般販売もされており、約1000万円ほどで購入することができる。

 

 そして英太の乗る装軌式軽装甲車両。

 こちらはウクライナのハイランドシステムズ社が開発したSTORMストームという名の軍用車両である。

 全長5.9m、全幅2.9m、全高2.4mで6人乗りと軍用車両としては小ぶりだが、こちらも水陸両用で運用できるように作られている。

 ディーゼルハイブリッドシステムを搭載した、いくつかの国で軍での制式配備が検討され始めたばかりの最新鋭車両であり、エンジンを駆動しない電気モードでの運用や無人操縦にも対応している。

 そして特筆すべきなのが水上航行の速度だ。

 これまでにも伊織は水陸両用で運用できる軍用車両はいくつか出していたが、それらはあくまで“水上でも進むことができる”というレベルであり、速度はせいぜい10km/hしか出せない。

 

 だがこのSTORMという車両はウォータジェット駆動により最速で30km/hの速度で航行することができる。これは一般的なクルーザーに迫るほどのものだ。

 木造帆船の速度は最大でおよそ10ノット(時速19km)なので、もしルアを乗せた船が逃走した場合、パトリアAMVやシェルプでは追いつくことができない。

 もちろん船を出せば良いのだが、逃走が陸路か海路かわからなかったために両方に対応できる車両を使うことにしたのである。

 決して新しい車両を披露したかったからという理由ではないはずだ。

 それに、そんな最新車両をどうやって手に入れたのかも謎である。

 

 それはさておき、速度に勝る伊織のクワッドスキーが真っ直ぐにルアが乗る帆船を追う。

 周囲に他に船はなく、ここまで来れば香澄に確認するまでもない。

 陸地から充分離れるまで待ったとはいえ帆船、特に商船の速度というのは前述したようにそれほど速くない。

 せいぜい自転車と同じ位であり、風が強すぎるとマストが折れたり転覆したりするのでそれ以上の速度を出すことは難しいのだ。

 それに対して伊織の乗るクアッドスキーは現代アクティビティーのスポーツビークルである。最高時速70kmオーバーは伊達ではなく、あっという間に船に追いついた。

 

 甲板から伊織の方を指さす影が見えるが、伊織はそれに構わず商船に肉薄すると鈎付きのロープを船尾側の甲板に投げ入れ、その端をクワッドスキーに括り付ける。

 もちろん気付いた船員がロープを切ったりできないように特殊繊維性のロープである。

 そしてしっかりと鈎が掛かっていることを確認するとロープを伝って一気に登っていったのだった。レスキュー隊員も真っ青な早業である。

 予想された妨害もなく甲板まで上がる伊織。だがそこにも船員の姿は見えない。

 伊織が迫っていることは確かに甲板で誰かが見ているはずだが、その理由はすぐに分かった。

 

 リゼロッドの魔法と思われる暴力的な突風によって船外に弾き飛ばされる複数の男達の姿と、ルアのスタンガンによって海に落とされる姿が目に入ったからだ。

 そのすぐ側には長剣を振るって数人の男を薙ぎ払っているジーヴェトの姿もある。

 まだ数人残っている甲板にいる男達はジーヴェトだけでも問題ないだろうが面倒なので伊織が背負っていたM4カービンで一気にかたづける。一応は手加減して足を撃ち抜くに留めてはいる。

 敢えて銃弾を撃ち込まなかったリーダーらしき男が呆然と立ち尽くす。

 

「よぉ! 無事なようで何よりだ。ジーさん、お役目ご苦労さん」

 伊織がそう声を掛けながら近づくと、ジーヴェトがあからさまにホッとした表情を見せ、リゼロッドが『遅い!』と言わんばかりに恨みがましい目を向け、そしてルアは、

「パパッ!!」

 伊織の胸に飛び込んできた。

「ルア、大丈夫だったか? 怪我はしてないか?」

「うんっ!」

 右手に自動小銃を持ちながら左手でルアを抱き上げて聞く伊織に、嬉しそうな笑みを満面に浮かべて頷く。

 

「あ、あ、な、なんで……」

 何が起こったのか理解できず呆然と呟くリーダーの男。

 ジーヴェトが同情するような視線を送る。

 自分も通った道である。気持ちは痛いほどよくわかる。というか存分にトラウマを刺激していたりする。

 甲板に残っているのはもはやリーダーの男ひとりだけ。残りは船外に吹っ飛ばされたか床に転がっているばかりで戦力にはならない。

 己の運命を悟って項垂れるリーダーの男を放っておいて伊織はリゼロッドに向き直る。

 

「リゼもお疲れさん」

「ホント、疲れたわよ。まぁ、ジーヴェトが意外と頑張ったから大丈夫だったわ」

「まぁ、そのくらいはできなきゃ途中で捨てるさ。ん? ルア、手首が赤くなってるな、それどうした?」

 伊織の自分に対する評価に抗議の声をあげようとしたジーヴェトだったが、続いた言葉に一瞬で顔を青くする。

「えっと、あの人達に追いつかれたときに、ジーさんに引っ張られて、剣を突きつけられたの」

 事実をありのまま伝えるルア。

 嘘は言っていない。

 

「ちょっ、だ、旦那、それにはわけがあってだな」

 一瞬で額に青筋を浮かべて恐ろしい笑みを浮かべた伊織に向かって両手をワタワタと振りながら必死に言い訳を考えるジーヴェト。

 助けを求めてリゼロッドに懇願するような視線を向ける。が、向けられた方はフイッと顔を背けて素知らぬふりを決め込む。

「そういえば私も顔を殴られたのよねぇ。女に手をあげて、それも顔を殴るのはどうかと思うわ」

「せ、先生?! ちょ、そりゃねぇって!」

「よーし、詳しい話は後で、じっくりと聞いてやるよ。それまでに言い残すことがないようにしておけや」

 ジーヴェトの顔が青を通り越して土気色に。

 その様子を見て溜飲を下げたリゼロッドは後で助け船を出してやろうと考えた、かどうかはわからないが。

 

「まぁジーさんの葬式の話は後で良いとして」

「旦那ぁ!」

「とにかく戻ることにしようか。英太達も追いついたらしいからな」

 伊織の言葉を聞いたリゼロッドが甲板から船の横を覗き込むと、船体に横付けした黒光りするSTORMを見て呆れたような溜息を吐く。

「上から乗り移れるだろ? ルアは俺と一緒にジェットスキーに乗るか? 面白いぞ」

「乗るぅ!!」

 まるで今までのことなど何も無かったかのように和気藹々と船を下りようとする伊織達。

 まずジーヴェトが船縁からSTORMの屋根に飛び降り、それにリゼロッドが続く。どちらも危なげなく平らな部分に着地すると、香澄がルーフを開けて中に迎え入れた。

 

 そしてSTORMが船から離れるのを見届けると伊織もルアを抱き上げたまま船尾に向かい、ふと足を止めて呆然としたままのリーダーの男に向き直る。

「ああ、俺達が離れたらすぐにこの船沈むから、早いとこ海に飛び込んだ方が良いぞ」

 思い出したかのようにそう言うと、腰にぶら下がっていた球状のM67手榴弾のピンを抜き、まるで極当然のような仕草でジーヴェト達が登ってきた船内入り口から放り込んだ。

 そしてすぐさま船尾に掛かっていたロープに手を掛けるとクワッドスキーまで滑り、飛び乗る。鮮やかな動作である。きっと何度も練習していたのであろう。

 そして数秒後、ズドンという爆発音が響き、甲板から悲鳴が上がる。

 

「あ~、やっぱ手榴弾じゃ無理だな。香澄ちゃ~ん、あとよろしく」

『了解!』

 船から少し離れた位置でSTORMのルーフから上体を出した香澄から喜々とした返事があり、直後、オルストの王宮での使用以来ひさびさなグレネードランチャー、アーウェン37から焼夷榴弾が船体に撃ち込まれた。それも2発。

 あっさりと大穴を開けて内側から火の手が上がる商船。

 煙が上がる船から次々に人が海に飛び込むのが見える。

 中には足を押さえて這々の体で転がり出る者もいるが、アレは伊織に撃たれた者達なのだろう。

 

 そしてほどなく、炎と煙に包まれた商船はゆっくりと海中に沈んでいった。

 周囲には必死の形相で岸に向かって泳ぐ者や浮いている船の破片になんとか掴まっている者が十数人居るばかりだ。

 英太が近くまでSTORMを進め、香澄がナイロンバッグのような物を海に投げ入れると、それは瞬く間に広がりゴムボートとなる。

 その意図は明白であり、海面にいた男達は諦めたようにゴムボートに這い上がるのだった。

 

 

 

 マレバス王国の王宮。

 国王や王族、高位貴族が会議を行う部屋で国王であるフォーゲルブが書類に目を通して難しい顔をする。

「国境に集結させた軍の兵糧が不足しているか。予定より消費が多すぎるのではないか?」

「ですが、今は帝国に気取られないように行動を制限しているので現地での調達が難しいのです。こればかりは仕方ないかと」

「兵達にあまり我慢させると勝手な事を始める者も出かねませんので、士気を保つためにもある程度は呑まねばなりませんな」

 軍務と辺境区を担当する大臣がそう言うとフォーゲルブは小さく溜息を吐いて承認のサインをする。

 

「計画はどうなっている? 失敗すれば根本から見直さねばならん」

「すでに各地に指示を送り、どの街に異国人が行っても遂行できるよう計らっております。なにぶん距離がありますので今の状況ははっきりとはわかりませんが、仮に失敗したとしても我が国が関与しているとは思われないようになっております」

「もどかしいな。だがこのままでは無駄な金ばかり掛かってかなわん。出来るだけ早く計画を進めさせろ」

 帝国の貴族の残党を利用した異国人拉致の計画。

 今の皇帝に不満を持つ連中は多く、それらを煽って駒として動かすのは難しくない。

 だがとにかく移動に時間の掛かるこの世界ではタイムリーに情報を収集することはできず、現在の状況が見えないために次の手を打つことができない。

 

 フォーゲルブは内心の焦りを抑えてでも、場合によっては帝国への侵攻自体を諦めることも選択しなければならない。

 自信満々に計画を進めていた宰相ムスヴェリスの言葉にも全面的に乗ることができず中途半端な対応に終始せざるを得なかった。

 成功にしろ失敗にしろ、判断を下すには情報が足りないのだ。

「今はできることをするしかないな。次は東部との交易だが……」

 意識を切り替えて、次の懸案に話題を移そうとしたその時、バタバタと会議室に近づく足音が響いてきた。

 ほんの少しの間を置き、扉が叩かれる。

 

「何事だ!」

「も、申し訳ありません! た、たった今、帝国との国境近くに布陣している軍からの伝令が……」

 部屋に入ってきた騎士が言い淀む。

「何があった?」

 フォーゲルブは訊きながらも嫌な予感が湧き上がってくるのを抑えることができない。

 聞きたくない、しかし聞かなければ何もできない」

 

「その、ま、まだ、伝令から聞いただけですので、確認はできていないのですが」

「良いから話せ!」

 苛立ち紛れの怒声が思わず口から出る。

「は、はは! こ、国境に布陣した軍が、正体不明の攻撃を受け、壊滅しました!」

 静まりかえる室内。

 フォーゲルブを始め、十人ほどの重臣達がこの場にいるが、誰もが今の言葉を理解できず思考が停止する。

 

「い、今、なんと言った?」

「……こ、国境に布陣していた我が国の主力部隊を含む軍が、何者かによる攻撃を受け、全兵の7割がし、死傷して壊滅状態となり、残存兵はちりぢりに退却を余儀なくされたとのことです。で、伝令の騎士は軍務大臣閣下の御子息以下9名で、馬を乗り継いで王都まで帰還されたとのこと。御子息も怪我を負われており治療中です」

 誰もが息を潜める中響く騎士の報告。

 騎士の表情は今にも泣き出しそうな悲痛なものになっている。

 

「ば、馬鹿な、2万を超える軍だぞ? たとえ帝国が兵を挙げたとしても早々遅れをとるわけがない」

 呆然と呟くムスヴェリスだったが、それは誰もが思っていることだった。

 だが、それ以上考える時間が彼等に与えられることはなかった。

 その直後、部屋の外からいくつもの叫び声と足音が響き、そして、途轍もない爆発音が轟き、扉が吹き飛ぶ。

「ぐわぁっ?!」

「なぁ?!」

「ひいぃぃっ!」

 阿鼻叫喚と化す会議室内。

 誰もが腰を抜かさんばかりに混乱し、もうもうと立ち込める煙の先、廊下の方に目を向ける。

 

 その十数秒後、そこから現れたのは二人の、一方は無精髭の30代前半ほどの男、もう一方は大柄な体躯に抜き身の長剣を肩に乗せた中年の男だった。

 

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