第112話 通商条約締結と伊織の真意

 川岸にいくつも伸びる桟橋に大型の木造船がゆっくりと接近していく。

 桟橋から数mほどまで近づいた船から係留用の索具が投げ落とされ、河川港の係員がそれを桟橋に設置されている係留杭に巻き付けると、大型船がそれを巻きあげて接岸させる。それから船に向かって車輪付のタラップが伸ばされ甲板に固定される。

 一連の動きには無駄が無く、全てが流れるようなスムーズさで行われていった。

 

 タラップが木造船と桟橋を繋ぎ終えると、船から人が降りてくる。

 だが先に降りてきたのは兵士の服装に身を包んだ若い男達だ。そして彼等は降りるなり船の周囲を点検し始めている。

 木造船はごく一般的な形状の商船であり、軍船や戦船ではない。それなのに兵士ばかりが乗り込んでいたのはもちろん理由がある。

 しばらくして船から下りたのはリゼロッドとルア、それから彼女たちの護衛として同行していたジーヴェトだ。

 

「パパ! ただいま!」

「ご苦労さん。首尾はどうだった?」

 タラップの下で出迎えた伊織にルアが飛びついてきたのを危なげなく抱き上げ、伊織はリゼロッドに訊ねる。

「問題は無かったわよ。河を遡るだけならそれなりの速度は出るけど、充分に船足を落とさないと曲がることはできないように調整したわ。このままだと軍船に使うのは無理でしょうね」

 満足そうに言うリゼロッドの答えを聞いて伊織もニヤリと笑みを浮かべる。

 

「イオリのおかげで効率的な魔法陣が描けたわ。私の技術と組み合わせて全体を構築したから改変はできないはずよ。それくらいなら一から組み直した方が早いけど、この国の魔法水準じゃ無理だし、東の国に古代魔法王国の技術が残ってたとしても難しいと思うわよ」

「それができるくらいなら最初から使ってるだろうからな。とにかく協力してくれて助かった。これで次の手が打てる」

 伊織の言葉にリゼロッドが頷き、後ろで聞いていたジーヴェトが呆れたように肩を竦める。

「っていうかよぉ、旦那はなんでそんな手間を掛けるんだ? あの皇帝様なら旦那の言うことだって理解できるだろうし、ちゃんと納得するだろう?」

「個人の資質や考えだけで国が動くわけじゃないからな。それに俺達はいつまでもここにいるわけじゃない。個人的な関係だけで将来にわたって方向性を固定することはできないさ。だが大きな流れを作って、それに合わせた制度を整備すれば逆に権力者であっても簡単に変えることができなくなる」

 伊織の返答にジーヴェトはわかったようなわからないような、曖昧な表情で再び肩を竦めた。

 

 

 

 簡素だが趣味の良い装飾が施された部屋で、テーブルを挟んで向かい合ったふたりが、それぞれ手元の紙にサインをする。

 そしてそれを傍らに控えていた文官に手渡すと、文官同士で書類を交換し再びテーブルに座る人物に渡した。

「うむ。確かにお預かりする。こうしてタラリカ王国と条約が結べたこと、心から嬉しく思う」

「我が国にとってもこの条約は大きな意味を持つ。大国たるグリテスカ帝国と今後は互いに良い関係を築いていきたいと願っている」

 両者がそう言葉を交わし、テーブル越しに力強く握手する。

 

 格式張ったやり取りを終えると両者の間の空気が幾分柔らかいものになる。

「それにしても、帝国から離れているとはいえ、タラリカ王国にこれほど素晴らしい産物があるとは知らなかった、勉強不足を痛感する。これからの通商には期待が高まる」

 調印を終えて出されたワインのグラスをしげしげと見ながら一方の男、グリテスカ帝国の皇帝ブランゲルトが感心したようにこぼす。

「ははは、実はまだ我が国でも新しい産物なのですよ。以前より我が国の北にある砂漠でガラスに適した砂があることは知られていたのですが、ごく最近になって新しい技術が伝えられたのです。まだまだ試行錯誤という状況ではありますが、それでも驚くほど素晴らしい器を数多く生み出してくれております」

 

「ほう、それは凄いことだ。もしかしてそれは異国の者より伝えられたのでは?」

「ブランゲルト陛下のところも、ですな」

 互いの顔に浮かんでいるのはどこか困っているようにも見える苦笑だった。

「つまり我等は共に彼等の被害者、ということだな」

「ふっ、なるほど、そうとも言えますな。であれば、私の心に巣くう畏怖もご理解いただけそうだ」

「うむ。アレは余人にどうこうできる存在ではないだろう。だが、互いに利があるのも事実。敵対しない限りむしろ益となると考えるのが良いと余は考えている」

 ブランゲルトが戯けたように言うと、対する男、タラリカ王国の国王、ラシエヌス4世も大きく頷いて同意した。

 

 彼等が交わしたのは互いの国に対する通商条約である。

 2国間での貿易に関するルールや対象国内での自国民の身分や法的保護などの保証など様々な通商に関する取り決めを行い、両国の貿易を推進する目的だ。

 地球でもFTAやEPAといった2国間協定があるが、それの簡易的なものだ。

 さらに、両国の利害や諸問題を調整する大使館を設置することも決まり、限定的ではあるが外交官特権を付与することにも合意している。

 いまだ外交という分野が未発達なこの世界において画期的とも言える制度が形成されるに至ったのは、もちろんどこぞの不良親父の入れ知恵によるものである。

 

 南部で海に面しているグリテスカ帝国と大陸中央部の砂漠に隣接するタラリカ王国の距離は徒歩や荷車で移動する場合、優に2ヶ月は掛かる距離だ。

 普通に考えて直接貿易するには離れすぎており現実的ではない。

 だが、実際には一部の商人が船を使って交易を行っていて、帝国の物産がタラリカ王国にも入ってきている。

 その交易に使われているのが川舟、内陸船と呼ばれる小型の帆船だ。

 帝都に限らず、大陸南部の都市の多くは河の辺に築かれている。

 大陸南部はいくつもの大河とその支流が縦横に流れており、その地形から流れは緩やかで河幅も広い。

 加えて季節を問わず弱い南風が吹いているために小型~中型の帆船ならば河を遡ることもできるのだ。

 

 ただ、個人が営む商会ならば小規模な取引でも利益を出すことができるだろうが、大きな事業として行うには中型の川舟程度では利が少なすぎるために誰も手を出していなかった。

 国家間の交易も主に隣接する国同士が河川水運や陸路で小規模に行うのが中心だ。これは他国との関係が必ずしも良いというわけではないのも影響しているだろうが。

 いずれにしても地政学上や技術的な課題があり恵まれた土台がありながらもあまり活発な貿易が行われてこなかったわけだ。

 そこで伊織は大型船に推進力を増幅させる魔法陣を組み込んで交易船とすることを考え、専門家であるリゼロッドに魔法陣の構築を依頼した。

 それを使えば帝国とタラリカ王国が10日程度で往復できるようになる。

 伊織の魔法知識とこの世界の古代魔法、リゼロッドの魔法を組み合わせた新しい魔法陣はリゼロッドと伊織以外には解読すら困難であり、商船として以外に使えないように調整されているため軍船に組み込んでも船足が速くなるだけでほとんど意味が無い。

 

「造船技師と魔法技術者を派遣していただく件ですが、本当によろしいので?」

「それがあの者の条件だったからな。造船技師はすでに港湾技術者と共にこちらに向かっているはずだ。魔法技術者に関しては現在彼等の指導で魔法陣の習得を行っているためにもう少し掛かるだろうが、どちらにしても船を造らねば意味が無いからそれに間に合えば問題ないと考えているが、どうだろう?」

 タラリカ王国には大型船をつくる技術者がいない。大河の上流に位置する王国ではこれまで小型~中型までの船があれば事足りたからだ。

 だが交易が活発になるなら大型船はどうしても必要になるし、河川港の改装もしなければならない。突貫工事で1箇所だけ大型船を接岸できるようにしてあるがとても足りないのでそれができる技術者を帝国から派遣してもらうことになっている。

 さらに、魔法陣を船に設置するための技術も帝国で秘匿せず、条約を結んだ相手国にも無条件で提供することを伊織が提案したためにその準備も必要であった。

 

「ともかく、これまで交流の無かった両国がいい形で関係を構築できるのは喜ばしいことだ。さすがに頻繁にこうして顔を合わせることは難しいでしょうが、交易が軌道に乗ったら互いに人的な交流も進めていきたいものです」

「うむ。帝国も今後は周辺国とも平和的な関係を築いていきたいと考えている。協力を願いたい」

 おそらく後の世の歴史家に『時代を変える会談』と称されるであろう両国君主の会談はこうして友好的な形で終えることとなった。

 

「陛下、これで本当によろしかったのでしょうか」

 会談を終え、調印記念の晩餐までの間宛がわれた部屋でひと息ついたブランゲルトに同行してきた文官が訊ねる。

 1泊とはいえ国力に勝る帝国の皇帝を迎えるために整えられた部屋は品の良い落ち着いた調度品が置かれており、隅々まで配慮が行き届いた気遣いにタラリカ王の人柄が表れているかのようだ。

 

「うむ。帝国はもう充分な国土を持っている。これ以上版図を広げることは逆に統治を難しくさせるだけだからな。それに敢えて両国の間に敵対する国を挟むことでその国々を牽制することもできるようになる。帝国と事を構えれば後背を突かれる恐れがあるとなれば迂闊な行動もとれまい」

 ブランゲルトの言葉に男は頷いたものの、まだ納得したという顔ではない。

 男はブランゲルトの実質的な副官という立場であり、他の重鎮達と同様ブランゲルトが皇帝になる前から補佐してきた腹心だ。

 その部下の懸念はブランゲルトも理解できている。

「余がイオリ達の提案に乗っているのが不服か?」

 直裁的なブランゲルトの言葉に、副官の男は言葉に一瞬言葉に詰まる。だが、不興を買おうとも言葉を飾ることなく思ったことを口にする彼をブランゲルトは信頼していた。

 

「あの者は得体が知れなさすぎます。無数の見たこともない道具類に底の見えない知識、近衛騎士が数人がかりでも触れる事すらできない体術に一個師団すら凌駕する武力。はっきり申し上げれば神か化け物の類とすら思えます。そのような者達が陛下に近づき、国政に口を出す。しかも目的がわからないとなれば家臣達も不安になりましょう」

 伊織達が帝国に来て2ヶ月になろうとしている。

 すでにブランゲルトは帝国内のほぼ全ての主要都市を巡幸し、ブランゲルトの意思に従わない貴族は軒並み失脚した。

 中には領民に対して圧政を敷いていたために転封になっただけの者もいるが大半は数々の不正や他国との内通、皇帝への反逆計画などが明るみに出て処刑や身分剥奪などの重い罰を受けることとなった。

 

 その他の地域でもブランゲルト自らが庶民に対して直接演説を行ったことで皇帝の意思と政策を国民のほとんどが知ることとなり、為政者の行動を監視する態勢が整っていっている。何か問題があれば代官や監査官の耳に入り、それでも改善されなければ商人達を通じて帝都まで届くことになる。

 主要貴族が失脚したことで貴族が必要以上の私兵を抱えることは禁じられ、領土保全と治安維持は国軍が一括して担う事に決まっている。

 代官や軍指揮官が不足している状態はまだしばらくの課題として残るが、おおむねブランゲルトの理想通りの体制ができつつある。

 そこにきて、次に伊織から提案されたのが、タラリカ王国を始めとした帝国と国境を接しない国との交易である。

 

 帝国は豊かな国であり、食料や資材は豊富だ。とはいえ必要な物全てを賄うことはさすがに難しいし、他国も帝国の物産は欲している。

 交易するだけの利は充分にあるのだ。前述の河川を利用した水運があれば少ないリスクで交易を行うことができる。

 重臣達と議論を重ねてきたが、これといってデメリットを挙げることはできず、むしろ大きな利益が見込めるということでその提案に乗ることが決まったのだった。

 ただ、一様に重臣達が懸念していたのが提案者たる伊織の目的がわからないということだ。

 ただ君主であるブランゲルトが伊織達を下にも置かない対応をしているので言うに言えず、明らかに帝国の利に適うために反対もできなかった。

 

「目的、か。真の目的まではわからぬが、当面の目的はわかっているぞ」

「それは?」

「イオリが目論んでいるのは帝国を安定させた上で、帝国の首に鎖をつけることだろう」

 ブランゲルトの言葉の意味がわからず男が首を傾げる。

「これは推測でしかないが、イオリは帝国が他国を侵略することを望んでいない。というよりもおそらくはこのタラリカ王国に戦火が及んだり政情が不安定になることを避けようとしているのだろう。

 帝国がいつまでも安定しなければ国境を接する国がかつての領土を取り戻そうとして戦を仕掛ける可能性が高い。そうなれば当然余もその国と戦うことになるだろう。腐っていても帝国は強大だ。周辺国は手を組んで戦うことになるかもしれん」

「そうなれば長引くでしょうね」


「うむ。いくつかの国を挟んでいるためにこの国にまで戦火が及ぶことはないだろうが、それでも間違いなくなんらかの形で巻き込まれることになる。

 だが、帝国とこの国が結びつけば周辺国も迂闊には動けなくなる。帝国を攻めようとすればこの国に後背を突かれる恐れがあるし、この国を攻めれば帝国に背中を晒すことになる」

「そのためにあのような技術を提供したということですか?」

「イオリ達が提供した技術は軍事転用が難しいものだけだ。大型船の魔法にしても人員を運ぶくらいならできるだろうが、そのままでは戦いに使えない。道具類に至っては使いこなすことなど不可能だろう。貴族共相手に使った武器は全てその都度回収されているからこれも無意味だ」

 

「そうして敵対国を挟んだ向こう側と関係を深めれば、互いの利益を守るためにも帝国が他国に侵略することができなくなる。それをすればたちまち条約を結んだ国との関係が悪化するからな」

「そこまでの事を考えて……」

「真実はわからぬよ。だがあながち間違った推測とも思わん。ただ、それは余の目指す方向とかけ離れてはおらぬからな。人柄も好ましく思っているし、利害が対立しないのならば得られるものが多いと言えるだろう」

 ブランゲルトがそこまで説明するとようやく副官も納得したように頷いた。

「ともかく、敵に回せばこの上ない脅威となるだろう相手をわざわざ遠ざける必要はなかろう。無論、帝国にとって害となるのなら排除しなければならぬだろうがな。できる限りそんな事態は避けたいものだ」

 最後の呟きが偽らざる本音なのだろう。

 ブランゲルトはそれ以上は口を開かず、晩餐に呼ばれるまでの間山積みの書類に追われるのだった。

 

 

 

「へぇ~、そういうことっすか」

「納得はできるけど、わざわざそんな手間を掛ける?」

 ブッシュマスターの車内で伊織の説明を聞いた英太と香澄は納得はしたものの少々呆れ気味の声を上げた。

 二人にしてみれば伊織の取った方法はあまりに迂遠であり、確実性にも欠けるように思える。

「一番のキモはあの皇帝にこっちの意図を正確に理解してもらうってことだ。その上でメリットとデメリットを天秤に掛けてもらう。自分の考えで、な。そうすりゃ俺達がいなくなってからも早々無茶な動きはしないだろうよ。国力が回復した途端に暴走しそうな馬鹿な貴族も粗方片付いたしな」

 

 カラカラと笑う伊織にハンドルを握る英太の顔が引き攣る。

「もしかして悪徳領主を潰して回ったのってブランゲルト陛下のためじゃなくて、それが目的っすか?」

「馬鹿貴族達が可哀想に思えてきたわね」

「まぁそう言うなよ。必要なことだったし、俺達が手を貸さなくてもあの皇帝なら同じことだろうさ。少しばかり手間を省いただけだ」

 

 今伊織達が向かっているのは砂漠の都、ラスタルジアだ。

 ブランゲルトをタラリカ王国の王宮に送り届けた後、クリディス直轄領を超えて砂漠地帯の上空をしばらく移動し、そこから軽装甲車ブッシュマスターに乗り換えている。

 そのまま空路でラスタルジアに向かっても良かったのだが、騒動になってガラス製品を作る工房でなにかあっても困ると考えて大人しく車両を使うことにしたのだ。

 とはいえ、大半の距離を飛んできたので半刻程度でラスタルジアが見えるところまで到着した。

 

「お~! なんか昼間だってのに活気があるみたいっすね」

 英太の言葉通り、気温が高い昼間だというのに街の中に多くの人が出歩いているのが遠目にも見える。

 砂漠地帯の昼間の外気温は摂氏50度を超える。慣れていない者ならば命の危険すらある温度だ。

 強力な空調設備が整ったブッシュマスターの車内に居てさえ日差しのせいで暑く感じるほどの気温の中で、砂漠の民と呼ばれるジュバ族、そして川辺で比較的涼しいラスタルジアの街といえど普段は昼間の活動はほとんどしていない筈だ。

 そう思っていたのだが、街の通りには幾人もの人が行き交い、中には手牽き車に資材を載せて移動している者もいる。

 ちなみに車内には3人の他にルアも乗っており、今は氷アイスを食べ過ぎて頭が痛くなってしまったために伊織の膝の上で丸くなっている。

 

 英太は驚かせないようにブッシュマスターの速度を落とし、ゆっくりと街に近づいていく。

 するとそれを見たジュバ族の若者が走り寄って来てブッシュマスターに大きく手を振った。

「イオリ様! 他の皆様も、戻って来てくれたんですね!」

 この世界でこんなトンデモ荷車で砂漠を横断してくるなど伊織達しか考えられないため、すぐに分かってのだろう。

 見ると呼びかけてきた若者の顔に見覚えもある。

 香澄がルーフから身を乗り出して挨拶すると、若者はすぐに長を呼んでくると言って走り去っていった。

 

 街の入口にブッシュマスターを停め、しばらくするとシラウとその妻の一人が現れ、伊織達を出迎える。

「お久しぶりです。ようこそラスタルジアへお帰りくださいました」

「ああ、元気そうで何よりだ」

「お久しぶりっす」

「こんにちわ、またお邪魔します」

「うぅぅ、暑いぃ。あの、こんにちわ」

 口々に挨拶を交わす。

 シラウもその妻も変わった様子はなく、表情も明るい。

 

「ここは暑いでしょう。館へどうぞ」

 シラウがそう言って踵を返し、伊織達もブッシュマスターはそのまま置いて後に続いた。

「あ~、やっぱり室内は涼しいっすね」

 少し薄暗い建物に入り、思わず英太が呟くとシラウ達がクスリと笑う。

 と、その直後、戸の役割をした布が動き、数人の子供が飛び出してきた。

「あ~っ! ルアだ! 帰ってきたのか?」

 出てきた子供がルアの姿を見るなり取り囲んで引っ張っていこうとする。

「いいぞ。ここには明日まで居るからな、遊んでくると良い。ああ、ついでにみんなでアイスでも食べてな」

 伊織が笑いながらそう言って、手に持っていた小型のクーラーボックスをルアに渡す。元々そのつもりで持ってきていたのだ。

 子供達も、伊織が居た頃に何度も食べたアイスクリームがもらえるとわかって歓声を上げる。

 そしてルアの手を引っ張って奥の部屋に連れて行ったのだった。

 

 その後伊織達は長の館の広間に通される。

「その後変わりはないか? 随分と活気があるようだが」

「変わりはありましたね。移住してきた職人達が頑張ってくれて、わずかな期間で売り物になるほどのガラスを作ってくれました。すでに数度王家へ品を運びましたが、サリアの話ではかなり評価をいただいているようです。

 そのせいか移住を希望する職人が増えてしまって、住居と工房を急いで増やしているところです。今は先に移住した職人の家で寝泊まりしている状態なので」

 シラウは笑みを浮かべたままそう言うと、一緒に居た妻がいくつかのガラスでできた器やコップを持ってきた。

 

「ほぉ、始めたばかりにしちゃ上出来だな。色合いも悪くない」

 伊織がそう評した器は、現代工業製品と比べれば形も歪で肌も分厚い。だが手作り独特の風合いが目を引きつけるものだった。

 元々希少なガラス製品にこれほどの付加価値が加われば充分に輸出品として歓迎されるだろう。

「他にもイオリ殿に教わった鉄と鉛、銅の生産も進んでいます。それと、イオリ殿が来られなければ王都で見てもらう他は無かったのですが」

 サリアがそう言っていくつかの鉱石を持ってきて伊織に見せた。

「西部や南西部の集落の近くから採取した石です。イオリ殿から教わった鉱物と同じような印象の石があるとそれら村から来た者達が言っていたので取ってきてもらったのですが」

 

 英太や香澄から見たら割られた石の所々に層状の色の違う部分があることしかわからないが、伊織はそれらを丹念に観察し、いくつかの部分を削ってルーペで拡大したりする。

 やがて小さく溜息を吐いて苦笑いを浮かべた。

「やれやれ、本当にトルーカ砂漠ってのは豊かな場所だなぁ。こっちのは単なる火成岩だが、これは純度の高い硫化銀だ。んで、こっちはスズ鉱石。ただ、これはジュバ族が精錬するよりも王家に献上した方が良いだろうな。豊かになりすぎると余計な火種を生む。それくらいなら王家にジュバ族を保護させる方向で動いた方が賢明だ」

 その後もいくつかの注意事項を伝え、夕刻になって気温が下がってから新しい住居と工房を見させてもらう。

 といっても、伊織としてはすでにジュバ族は自らの足で行く道を定めていると考えているので必要以上に口を出すことはなかった。

 

「伊織さんって、本当に過保護だよなぁ」

「ルアちゃんがシラウさんの子供と仲良しだからしかたないんじゃない?」

 気のない素振りを見せながらもシラウの説明に耳を傾けている伊織から少し離れた場所で高校生コンビが語り合う。

 気に入った相手にはとことん甘いという伊織の気質の恩恵を一番受けているだけに、帝国を動かしてまでジュバ族を守ろうとしていることに不満は無い。

 トルーカ砂漠で初めて訪れたオアシスやシラウの子供達ルアにとっては初めてできた同世代の友達だ。たとえこの先会えなくなってしまうのだとしても平穏に暮らしていってもらいたいのだ。

 それに新しい皇帝を気に入ったという部分も間違いなくあるのだろうし、ふたりはもうしばらくは帝国に手を貸しても良いかと笑いあった。

 

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