第111話 帝国のゴミ掃除
帝国東部。
海と見紛うほど広く、対岸が見えないほどの幅を持つ大河。
その川岸に広がる街の北、つまり上流側にある大きな城が周辺地域を治めるタカリス伯爵の居城である。
大河を間に挟んでいるとはいえ国境に位置する重要な街であるのだが、衛兵の詰め所にいる10名ほどの兵士の服装はだらしなく着崩され、ほとんどの者がテーブルでカードゲームに興じている。その様子はいかにも気怠げで意欲など欠片も感じられない。
先日の北部砦の兵士達とはあまりに違う。同じ国の兵士とは思えないほどだ。
だから、彼等が異変に気付いたのはかなり遅く、すでに対応できない状態になってしまってからのことだ。
バラララララ……
突然響いてきた聞いたことのない轟音に衛兵達が騒然となる。
「お、おい! なんの音だ?!」
ひとりがそんな怒鳴り声を上げながら詰め所の扉を開けると、遮られるもののなくなった音が周囲の全ての声をかき消すほどの大きさで飛び込んでくる。
慌てて外に飛び出す衛兵達。
他の場所からも数人の兵士が飛び出してきているのが遠目に見えるが、誰もが皆だらしない服装で、中には武器すら手にしていない者も居る始末だ。
だがそんなことに構っていられる状況ではない。
轟音はどんどん大きくなり、それと同時に城壁に囲まれているはずの練兵場に砂塵が舞い始める。
そこでようやく一部の兵士が上空を見上げ、巨大なふたつの影が今にも城内に降り立とうとしていることに気付く。
いくら空から何かがやってくることを想定していないとしても、さらには建物で音が反響して出所がすぐに分からなかったとしてもお粗末としか言いようがない。
しかも、状況を把握してもなお、ロクに警戒することもなく呆然と立ち尽くすばかりの兵達。
そんな彼等の前に降り立ったのは前後に大きなローターがある輸送ヘリ、CH-47チヌーク2機。
衛兵が見たことのない巨大な機体が2機も着陸すると、さほど広いわけでもない前庭はほとんどいっぱいになってしまったように見える。
着陸した2機のうち、門に近い位置の機体の側面の扉が開き、中から黒地に白い縁取りがされた軽甲冑のような防具を身につけた騎士達が次々に降りる。
総勢で55名。
チヌークの搭乗可能数一杯の人員である。
騎士達が機体から全員降りると、チヌークはそのまま再び舞い上がり飛び去っていく。
それを気にする素振りもなく騎士達はもう一機の機体の前に左右に分かれて整列する。その動きは統率されており、一糸乱れぬと形容できるほどだ。
それがいまだに呆然としたままの兵士達の前で行われ、誰ひとり声を上げることすら出来ない。
そして、騎士達の整列が終わると同時に、ローターから響いていた轟音が徐々に小さくなり、やがて完全に停止すると前庭は静寂に包まれた。
直後、城の兵士達がことの成り行きを見守る中、チヌークの扉が開かれる。
まずは先程と同じように20名ほどの騎士が飛び出してきて左右の列に加わった。次いで4人の騎士が降り、扉のすぐ前の両脇に控える。
「敬礼!」
ザッ!
扉の右前に立った騎士の号令で、騎士達が一斉に右拳を胸に当てわずかに顎を引いて視線を落とす。
仮にも帝国の兵士ならばこの時点で次に降りてくるのが誰なのか察しなければならなかった。一連の動きが式典での皇帝を迎える近衛騎士の所作であったからだ。
だからこそ、この城の兵士達は恥をさらすことになった。
チヌークから儀礼服にマントという装いで降り立ったブランゲルトは整列した騎士達に向かって小さく頷き、そして立ち尽くしたままの兵士を冷めた目で見やる。
「どうやらまともに教育されていないようだな。北方砦とは大違いだ」
声を抑えることなく口にした呟きが静寂に支配されていた前庭に響く。
「何をしている! 皇帝陛下の行幸であるぞ! 領主のタカリス伯を呼べ!」
列の先頭、兵士達から一番近い位置にいる騎士がそう声を張り上げると、ようやくひとりの兵士が領主の元に走り去り、残りの兵士は慌てて平伏する。
「やれやれ、シュラウズの爺さんの所とは大違いだな」
チヌークから残りの騎士に続いて降りた伊織が大袈裟に肩を竦めながら言うと、ブランゲルトも苦笑気味に頷いた。
「シュラウズが優秀な指揮官であることは承知していたが、これを見ると改めてどれほど奴が職務に精励しているかがわかる」
ブランゲルトが伊織に連れられて北部砦に行ってから10日が経過している。
当初の予定では3日程度空ける間隔で帝国各地を巡るつもりだった。
だが、実際に空路で砦まで行ったことでその速さと有用性を改めて認識して予定を変更したのだ。
ブランゲルトが各地を巡幸しているという情報が辺境の有力貴族に伝わる前に、特に注意が必要な領地を訪れて実態を把握すると共に貴族達の行動を見極めたいと伊織に頼んだのだった。
だが貴族達が心からブランゲルトに臣従しているとは限らない。むしろ自分達の特権を制限されたことで面従腹背でいる可能性の方が高いと思える。
そうであれば北部砦の時のように少数の護衛だけでは心許ないし、不測の事態にも対応できるようにしておかなければならない。
そのための準備にそれだけの日数が必要となったわけである。
その後も待つこと10数分。
随分と慌てた様子のひとりの男が汗だくになってブランゲルトの元に走り寄って来て、その眼前に跪いた。
「へ、陛下、よ、ようこそおいでくださいました。はぁ、はぁ、し、失礼しました。そ、それで、この度はな、なんの御用でございますか? そ、それに、その見慣れないモノはいったい……」
焦りまくった様子をありありと表して探るように見上げる男に、ブランゲルトは鷹揚な笑みを向けた。
「突然の訪問となったことは詫びねばならんな。かねてより国境を守る諸侯の働きをこの目で見て労わねばならぬと思っていたのだが、この度ここにいるイオリの助力によってわずかな日にちで帝国を隅々まで巡ることができることになったのだ。
なれば、余が帝位についた当初より忠義を尽くしてくれているタカリス伯の領地を真っ先に訪れるべきであろう? ただ、移動時間が短すぎて先触れが出せなかったのは礼を失していたな」
「い、いえ、そ、その、こ、光栄でございます。な、なにぶん突然の事でしたので大したおもてなしはできませんが、精一杯歓待させていただきます」
内心をそのままに引き攣った笑みを浮かべて
「気遣いはありがたいが負担を掛けるのは心苦しい。それに明日には帝都に戻らねばならぬからな。領内を見て回る故、案内の者をひとり貸してもらえればそれだけで構わん。ただ、そうだな、晩餐は共にしたいものだ」
「は、はは! し、しかし、領内を回るとおっしゃいましても、陛下が直接見る必要などは無いかと、そ、それに、平民共は礼儀など弁えておりませんし、ち、近頃は他国から素性の良くない者達が何かと騒ぎを起こしております。どうかお考え直しを」
タカリス伯爵がブランゲルトの領地視察を歓迎していないことはその態度から明らかだ。
それも当然だろう。
帝都から距離のある辺境領地を治めている貴族がブランゲルトの政策を実行していないことはわかっている。
それでいて帝都に納める税は新たに打ち出された大幅に減税されたものであり、その差額はそのまま懐に入れられている。
だから当然領民の生活は以前のまま改善していないし、不満もくすぶったままだ。見られたら困るに決まっている。
同時に、ブランゲルトが戴冠してそれなりの期間が経過しても地位を維持しているということは、ブランゲルトに臣従し、その命令に従うことを受け入れているということでもある。
にもかかわらず勅命である減税を行っていないというのは明確な叛意であり、臣従が表向きだけであることを表している。
「そのために近衛騎士を連れてきているのだ。心配はいらぬ。それにイオリの持っている荷車を使えば領地のほとんどを数刻で巡ることができるのだからな。案内の者が出せぬのならこちらで勝手に見させてもらうが、かまわぬな?」
その言葉に慌てるタカリス伯爵。
「と、とんでもございません! すぐに案内の者を用意しますのでしばしお待ちを!」
そう言って踵を返し足早に城に戻っていった。
皇帝であるブランゲルトをその場に残すなど無礼極まりないのだが、そんなことも思い至らないほど焦っているのだろう。
しばらくして文官らしき者が走り寄って来て応接室に案内しようとしたが、ブランゲルトは「追加の騎士が到着するのを待つ」と言って断った。
そうしてさらに30分ほどの時間が経過し、再びチヌークが戻ってきて騎士達を降ろす。今度は乗られるだけ乗ってきたらしく、100名近い騎士だ。先に到着している者を合わせると200名にもなる。
「お、お待たせしてしまい、申し訳ございません。わ、私が案内をさせていただきます。皇帝陛下におかれましては、ご無礼のほどどうかご容赦くださいますよう」
追加の騎士達が到着した直後、ひとりの文官とふたりの武官と思われる男達がようやくやってきた。
伯爵に相当言い含められていたのだろう、悲壮な表情を浮かべた文官がそう言って平伏する。
「うむ、手間を掛ける」
なんの感慨も浮かべずにブランゲルトは一言だけ告げると、伊織が異空間倉庫から出してきたマイクロバスに乗るように促し、自らも乗り込んでいった。
その日の夜。
視察を終えたブランゲルトはタカリス伯爵と差し向かいで晩餐を囲んでいた。
帝都で伊織達を歓待したのと同じく床に直接しゃがみ込んでいるが、ブランゲルトと伯爵の間には大きな座卓が置かれ、その上に料理が並べられている。
出された料理は全て毒味のために崩されているが、ブランゲルトは気にすることもなく杯を手にいくつかの料理を摘んでいる。
だがその表情は不機嫌そうな様子を隠そうとしていない。
「タカリス伯、余は貴公に失望した」
ブランゲルトが冷徹にそう告げると、伯爵の顔が引き攣る。
「余は人心を安定させるために税を引き下げると決めたはずだ。貴公もそれに賛同していたのではなかったか? だが見たところ税が引き下げられた形跡は無く、庶民の暮らしも酷いものだった。街の路地には汚物が放置され、少しでも裏路地に入れば人の亡骸までが放置されていた。貴公が余の命に背いているということであろう」
「畏れながら、私は陛下の命令を蔑ろになどしておりません。しかしながら急速な変化は逆に民衆を混乱させると考えて段階を踏んでいるに過ぎません。それにどれほど陛下や我々領主が施しを与えんとしても、怠惰な者の面倒まで保証するなど無理なことでございます」
伯爵は落ち着かない態度ではあったが悪びれることなく言ってのけた。
つまり亡骸は怠惰な者の自業自得であって政策のせいではない。いまだに民衆の生活が改善しないのは一気に税を引き下げると混乱するからという言い訳だ。
言っているうちに調子を取り戻してきたのか、まるで何も知らない若造を諭すかのような見下した色が見え隠れしている。
「ほう? つまり伯爵は余がその程度のことも理解できない盆暗だと言うのだな? ならば聞くが、税を引き下げることで民衆が混乱するという根拠はなんだ? それに、路地で骸を晒している者が怠惰だったとどうして言い切れる? さらには街が不衛生で病の元となる死体が放置されたままなのは何故だ?」
「そ、それは……」
言い逃れの道を塞がれて伯爵が言い淀む。
「ほかにも貴公は隣国との通商を独断で行っているようだな。帝都への報告と異なり随分と隣国の物品を溜め込んでいるようではないか」
痛いところを突かれた伯爵が、近くに控えていた案内の文官を横目で睨み付ける。
文官は顔を青ざめさせて項垂れるが、それを責めるのは酷というものだろう。
伊織の運転で視察に回っていたブランゲルトは文官の言葉を最初から無視して、彼が勧める場所ではなく、伊織が好き勝手に移動した先で視察を続けていたのだ。それも領地にとって見られたくない場所ばかり。
なんとか見られても問題ない場所へ誘導しようとするものの相手は皇帝である。
文官を監視するという役目も持った武官も含め、その意向に逆らうことなどできるはずもなく、結局言われるがままできるだけ言葉を選びながら案内する事しかできなかったのだ。
「どうやらこのまま貴公に領地を任せるのは良くないように思えるな。これまでの貢献を考えるとあまり無体なことはできんが、転封も考えねばならぬかもしれん」
「へ、陛下?!」
ブランゲルトが憮然とした態度を崩さないまま立ち上がる。
料理はほとんど減っておらず、杯も半ば以上残ったままだ。
慌てる伯爵を尻目にブランゲルトはそれ以上言葉を交わすことなくその場を後にして割り当てられている客間へと向かうのだった。
そのブランゲルトの背中に向けるタカリス伯爵の顔は屈辱に染まり、目には憎悪が宿る。
ブランゲルトが滞在するための部屋は城の奥まったところにある皇帝専用の部屋だ。
ある程度以上の規模がある領主の館や居城には必ずそういった部屋が用意されており、隣国との要衝となっているこの街も同様だ。
部屋は30畳程度の広さのリビング、皇帝や妃、愛妾のための寝室が5部屋、浴場やトイレもあり、リビングには護衛の騎士などが待機するために用意されているふたつの部屋と扉で隔てられている。
窓は人間が出入りできない程度の大きさのものがいくつかあり、出入口は侵入者対策のためにリビングと護衛の部屋にひとつずつあるだけだ。
ブランゲルトが護衛と共にその部屋に戻るとそこには伊織達3人が待っていた。
「ごくろうさん」
軽い調子で伊織がブランゲルトに片手を上げるのを見て護衛の近衛騎士が眉を顰める。が、咎めることはしない。
ブランゲルトが許しているのを理解しているし、それ以外にも理由がある。
「うむ。待たせたな。それで、どうだ?」
先程までの不機嫌そうな態度を崩し、むしろ楽しげですらある表情で伊織の座っているソファーの隣に腰を下ろすブランゲルトに、伊織はテーブルに置かれたモニターの画面を指し示す。
そしてその横に置かれたスピーカーの音量を上げた。
『くそ、くそっ、あの若造が!』
画面に映し出されていたのは自室であろう豪奢な内装の部屋で腕組みしながら忌々しげにウロウロと歩き回っているタカリス伯爵の姿だ。当然スピーカーから聞こえてくるのはその部屋の音声だろう。
それを見てますます興味深そうな目をしたブランゲルトと、恐怖に似た表情で顔を引き攣らせる近衛騎士達。
それも当然のことだ。
今、タカリス伯爵は間違いなく誰にも見られていないと考えている。
ブランゲルトや近衛騎士達を監視しているだろうし、そもそも誰かが忍び込んでもいない限り、部屋の中の様子が覗き見られるなど想像すらできない。
それが、ブランゲルトに用意された部屋から一歩も出ることなく、そして誰にも気付かれることなく監視されているのだ。
自分がもしその立場であったら何一つ隠し事などできず、全てを暴かれてしまう。
疚しいことがない騎士ですら恐ろしく感じてしまうのに、実際に後ろめたいことがあったとしたら、そう考えると恐ろしく思わないはずがない。
『大人しく帝都で傀儡に甘んじておれば良いものを! 我等が大人しくしておればつけあがりおって! 何が人心の安定のためだ、何が帝国の繁栄のためだ! 我等尊き貴族を蔑ろにして平民などに媚びおって!!』
耳目が無いと思い込んでいる伯爵は言いたい放題にブランゲルトを罵る。
「うわぁ~、なんかこれぞ悪徳領主って感じ」
「まぁ街の様子を見ればまともな統治をしていないのは明らかよね。中身はこんなもんでしょ」
「俺が戴冠して真っ先に臣従を表明していたから排除できなかったんだが、予想通り過ぎて怒りすら湧いてこないな。それよりも、これはすごいな。離れた場所の様子がこうまではっきりと見聞きできるとは」
容赦ない感想を言い合う高校生コンビに応える形で事情を話すブランゲルト。
「欲しいのか?」
「いや、証拠を摑みたい貴族が幾人か残っているからその時は力を借りたいが、それが終われば必要ない。このような魔法具に頼らねば帝国を維持できないならいっそ滅んでしまった方が良いだろうさ。自らが重用した部下まで疑うようになったら皇帝としては終わりだろうよ」
からかうような伊織の問いに、ブランゲルトが際どい言葉で答える。
その直後、画面の向こうに動きがあった。
『入れ!』
『閣下、お呼びと伺いましたが』
『兵を集めろ! 早急にだ! 明朝までに集められるだけ城に集めるんだ』
『りょ、了解しました。で、ですが、皇帝陛下がおられるのに兵を集めては……』
『かまわん。このままあの簒奪者を帰らせれば私は失脚させられる。今なら護衛といっても200足らず。どれほど腕が立つ精鋭であっても殲滅するのは容易いことだ。奴さえ死ねば後は我等高位貴族が後継者を立てればよい。言っておくが、私が失脚することがあれば貴様等も同罪なのだぞ。帝国を長年支えてきた高位貴族を一族郎党容赦なく粛正したあの若造が、私に従ってきた貴様等を許すわけがない』
『……わかりました。明朝までであれば2000は集められるでしょう。それで、どのようにして襲撃しますか?』
『奴は二の刻に来た時と同じ、あの空飛ぶ荷車に乗って帝都まで戻るつもりらしい。見送るために兵士が前庭に整列するのはおかしくあるまい。その時に兵で囲んで逃げる間もなく殺せば良い。最優先は若造の命だ』
「うっわ、雑!」
『そうだ、あの空飛ぶ荷車は手に入れたいから壊すなよ』
「ここにも馬鹿がいた」
若者の感想は横に置くとして、話されている内容は皇帝暗殺の命令である。
「ふむ。こうまで予想通りだと逆に拍子抜けするな。準備が無駄にならなかったのは喜ばしいと言うべきか? ジーン、どう思う?」
ジーンと呼ばれた騎士はブランゲルトの問いに、自信を持って答える。
「問題ありません。イオリ殿にお借りした道具があれば何の不安もありません。それに、それがもし無かったとしても練度の低い雑兵2000程度なら我等だけでも切り抜けられるでしょう」
若き皇帝は頼もしい近衛騎士団長の言葉に満足そうな笑みを浮かべた。
翌朝、といってもすっかり日は昇り朝の涼しい風は熱を帯び始めている中、100名ほどの騎士が整列する前にブランゲルトが立つ。
周囲にはタカリス伯爵領の衛兵が並んでおり、訪問してきたときとは違い緊張した面持ちで顔を伏せていた。
「それでは余は帝都に戻る。貴公の処分については審議の上で通達するのでそれを待つがいい」
後に従っていたタカリス伯爵を振り返ってブランゲルトがそう言うと、伯爵は平然とした顔で見返す。
「そうですか。ですが、本当によろしいので?」
「随分と余裕があるようだな」
怪訝そうな言葉にニヤリと嫌らしい笑みを浮かべるタカリス伯爵。
だが伯爵が口を開く前に、ブランゲルトが笑みを浮かべながら言葉を重ねた。
「ところで伯爵、我が近衛騎士達の格好だが、以前とは違うと思わぬか?」
虚を突かれた伯爵が思わず間の抜けた表情を見せる。
「た、確かに以前とは装いが違うとは思いますが、それがどうかされたのですかな?」
「うむ、実はな、今騎士達が身につけている装備は、そこの異国の者達から借り受けた物だ」
そう言って騎士達の方を指さす。
以前の近衛騎士と言えば白銀の全身甲冑に飾り羽根の付いた兜に面帯という、いかにも騎士といった出で立ちだった。儀仗兵の役割も担っていたのだからそういった装いが求められていたからだ。
だが今は黒を基調とした上下の服に同色の胸当て、肩当て、籠手に腰当て、脛当てといった軽装鎧に似た簡素な物に膝丈のマントを掛けている。
どことなく実戦的で動きやすそうな物だ。
それに頭部は後頭部まで被うヘルメット状の兜に口元を被う奇妙な形の面帯、に見えるマスク姿で、目は剥き出しになっている。
言葉の意味がわからず戸惑うタカリス伯爵。
だが、その間に衛兵達が包囲の輪を狭めてきている。指示がないので予定通りの行動を取るしかないのだろう。
これで伯爵がブランゲルトから距離を取れば、それを合図に一斉に襲いかかってくることになっている。
「それと、整列している騎士の数が少ないと思わないか?」
「は?!」
ブランゲルトは言うや否やそれ以上伯爵に構うことなく騎士達の中央に走る。
驚いて、思わず呼び止めるかのように手を伸ばしてしまうが、衛兵達はそれが合図だと思ったのか、動きを速めて距離を詰めてきた。
対する騎士達は、6名の騎士がブランゲルトを囲んで守りの態勢をとるのと同時に、迫ってくる兵士の足元に筒状の物を投げ落とし、ヘルメットから真っ黒なバイザーを引き下げる。
直後、つんざくような爆発音と目を焼く閃光が前庭全体を覆い尽くした。
「ぐぎゃぁぁ!!」
「ひぃぃぃっ!!」
「目が、目がぁぁ!!」
あちこちから上がる悲鳴。
中には少々問題がありそうな台詞も混ざるが、放っておく。
「今だ! 拘束せよ!」
団長ジーンのかけ声と共に、手に伊織から貸し出された手錠を持った騎士達が、叫び声を上げながらのたうち回っている衛兵達に向かっていった。
直後、城のあちこちからも同じような轟音と閃光が上がる。
騎士達が使ったのは閃光手榴弾だ。
それを提供したのは伊織であり、騎士達が身につけている装備もそのために必要だったからである。
今頃は城内で別働隊が同じように閃光手榴弾や催涙弾を使って制圧に動いているはずだ。
北部砦を訪問してから10日の間隔が空いたのは、ひとつは伊織達が運べる少数の人員で、多くの兵を抱える領主の城を制圧するための訓練を施すためだった。
普通に考えて100名や200名程度の騎士で城を制圧するのは不可能だ。それを実現するためには伊織の持つ兵器が不可欠となる。
そこで、伊織達に危険が及ぶ可能性が低く、存在を知らない異世界の者達に効果が高い閃光手榴弾と催涙弾に限定して使用させることにしたのだ。
オルスト王国の王城を占拠していたクーデター派を鎮圧したことで効果は実証済みである。
訓練は英太と香澄が担当し、伊織は単身で情報収集と嘯きながらタカリス伯爵領に潜入し、どういう方法を使ったのか城内のあちこちに盗撮カメラや盗聴器を仕掛けまくったというわけだ。
はっきり言ってそんな労力を使うくらいなら最初から伯爵を拘束してしまったほうが早い。
だが、伊織はあくまで帝国主体で事態を収集させることにこだわっているようで、今回も表には出ずに裏方に徹する事にしたのだった。
道具類は思いっきり前面に出まくっているので存在感はありまくりなのだが。
城内が落ち着いたのはそれから数刻経ってからだった。
そして今、大広間に後ろ手に縛られた20人ほどの男が膝を付いて蹲っている。
ほとんどの者は顔面を蒼白にして力なく頭を垂れているが、数人の男が忌々しげに顔を歪めながら傲然と正面を睨み付けている。
そんな男達を皇帝であるブランゲルトは冷たく見下ろしていた。
「貴様等がここまで愚かだとは思っていなかったな。余が挙兵したときから臣従の態度を見せていたから期待していたのだが、残念だタカリス伯」
広間の最奥に据えられている豪奢な椅子に腰掛けて足を組んだブランゲルトは、肘掛けに頬杖を付いたまま平坦な声で言い捨てる。
周囲には5人の騎士と文官らしき男達が数人書類を抱えて控えている。
「愚かなのはどちらですかな? 帝国を支える貴族を蔑ろにして無能な平民を重用するなど栄えある皇帝のすることではない。我等は帝国を正しき道に戻さんとしただけであり、責められる謂われはありませんな」
君主である皇帝に対するとは思えない言葉を憮然とした態度で放つタカリス伯爵に、ブランゲルトは怒ることなく冷笑を浮かべる。
「そのご大層な貴族共が帝国を滅ぼすのは看過できんからな。それと、ひとつ訂正しておこう。無能なのは平民ではなく、貴様等のような特権を振りかざして好き放題してきた貴族共の方だ。なにしろ帝国の土台たる庶民は居なくなっては困るが貴様等無能貴族など居なくても大して困らん」
平然と言ってのけるブランゲルトをタカリス伯爵が睨むがこれ以上の反論はできず口を噤んだ。
実際、ブランゲルトは先帝を廃してから反抗した高位貴族達を次々に粛正して領地を没収した。そしてそれらを皇帝の直轄地にして代官を置いていったが、その地は問題なく統治されている。
むしろ圧政がなくなり税が軽くなった分、経済が活性化して活気に満ちている。
旧態依然とした貴族達は、自分達が帝国を支えているなどと考えているが、実際には権力に胡座をかいて国力を食い潰しているに過ぎない。
中にはその状態を改善すべく政務に励む貴族もいるが少数派となってしまっているのが実情だ。
冷笑を浮かべてタカリス伯爵を見下ろすブランゲルト。
もはや逆転の目が無いことを悟ったタカリス伯爵は肩を落とし、これまで伯爵と共に美味い汁を吸ってきた親族や高官もまたこの先訪れる自らの運命を思って泣き叫ぶことしかできなかった。
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