第104話 周辺国家と難民

 タラリカ王国の王都を10日前に国王や大勢の騎士達に見送られながら出立した伊織達一行だったが、実はいまだに王国内に留まっていた。

 場所は王国南部の国境近く。

 タラリカ王国最南の街のすぐ外側にシェルター住宅を出して滞在している。

 目的は帝国周辺の国の情報収集と大陸南部全体の地図作成のためである。

 タラリカ王から聞いた話だけでも帝国も周辺国も政情が安定しているとは思えない。大陸北西部や砂漠地帯のように行き当たりばったりで訪問するには不確定要素が多すぎるのだ。

 

 王国最南の街は川縁に沿って造られているため、地図の作成は観測ヘリではなく航続距離が長くて活動範囲の広い飛行艇US-2を使った。

 街で商人達から情報収集したのはジーヴェトとリゼロッド、香澄の3人。地図作成は伊織、英太、ルアの3人だ。

 そうして分かれて活動すること9日。

 大まかな情勢の把握と地図の作成を終えた一行はようやく国境を越えることにした。

 

「なんか、予想以上に周辺国が焦臭いっすね」

 移動中のヒューロンの車内で英太がぼやく。

「新しい皇帝に代わった帝国を警戒するなら協力すればいいのにと思うけど」

「どこの世界でも権力者は馬鹿だってことだろ。将来的な脅威よりも自分の欲を優先する。その結果がどうなるか想像する能力に欠けてるんだよ。というか、逆に権力ってのはそういう人間のほうが握りやすいってことだ。

 冷静に先のことを考えるとどうしたって選択肢は狭くなるし、そもそも権力なんてものはメリットよりもデメリットの方が多いからな。よっぽど実現したい理念があるか、よっぽどの馬鹿しか権力は欲しがらないさ」

 身も蓋もない言い種である。

 

「結局どうすんだ? 周辺国を回るのか? それとも帝国に直接乗り込むのか?」

 ジーヴェトが嫌そうにそう訊ねる。

 周辺国の情勢はこの男が中心になって情報を集めていたのでなおさら面倒さが理解できているのだろう。

 このメンバーの中で一番そつが無く世渡りが上手いのは間違いなくジーヴェトだ。だからこそこういった情報収集は上手いのだが、それだけに危機意識も高い。

 本音を言うなら政情不安定な帝国など近寄りたくもないだろう。さりとて故郷からはあまりに遠くに来てしまっているので一人で帰ることもできない。美味しい思いもしている反面、伊織の引き寄せるトラブルには困り果てているのだ。

 

「とにかくグリテスカ帝国だな。周辺国なんざ帝国次第で方針が変わるだろうから回ったところで意味が無いだろうよ」

「イオリはジュバ族に影響がないようにしたいんでしょ? せっかく支援したし、馬鹿みたいに人が良かったからねぇ」

 リゼロッドが揶揄ように言うと伊織は面白くないとばかりに鼻を鳴らす。

「だったらタラリカ王国と接してる国を先に回る?」

「でも結局帝国次第だったら意味無くない?」

 英太達にしてもジュバ族とそれなりの期間共に過ごしたことで情がある。確かにタラリカ王国まで影響が及ぶようになれば砂漠の民も無関係ではいられないだろう。

 伊織の決定が単なる興味本位だけでないことがわかればそれなりに意見が出るようだ。

 

 結局、とにかく帝国に行かなければ何もわからないということで、このまま街道を南に向かうことにした。

 帝国までは距離にしておよそ1200kmほど。間に国をふたつほど挟んでいる。

 そのうちのひとつは別の国との国境にも近く、その国と数年前から小競り合いが絶えないらしい。

 街道近くの平原と川の領有を巡った争いらしいのだが、戦場となっているのもその平原ということで、そんな場所を手に入れたところで争いで荒れた土地を開墾することも容易ではないだろうし、国境近くの、いつ相手が奪い返しに来るか分からないような土地に好きこのんで入植する者などほとんど居ないだろう。

 単に国力を下げるだけの無駄な争いだが、それでも相手がその土地を手に入れて開墾に成功し国力を高めるのは阻止したいといったところか。

 

 そしてその平原だが、前述したように近くを街道が通っている。しかも伊織達が進む街道である。

 最近では商人達も争いに巻き込まれるのを恐れてその街道ではなく別の迂回する街道を使っているらしい。使うのは争っている当の兵隊相手に商売をしようという商魂たくましい行商人だけだ。

 伊織達はといえば、当然迂回などするはずもなく、車両も内装改良済みのヒューロンAPCのままで平原に差しかかろうとしていた。

 

「ありゃぁ、めっちゃ真っ最中じゃないっすか」

「小競り合いっていう規模じゃなさそうね」

 街道から少し小高い場所に移動し平原を見下ろすと、今まさに戦いの最中で、双方合わせて数千の兵士が入り乱れて乱戦状態になっていた。

 香澄の言うとおり国境の小競り合いにしては兵士の数が多い。

 タラリカ王の話ではどちらの国も人口は数十万人程度。そこから考えると国の総兵力は多くても1万くらいだろう。

 そうなるとこの小さな平原に双方が3割近い兵力を投入していることになる。明らかに国境の小競り合いとしては異常な動員数だ。

 もしかしたら政情不安定なこともあり兵員はそれよりも多いのかもしれないが、それでも一局地戦としては過剰すぎる。

 

「多分、帝国内が安定してきてるんだろ。それで、帝国が本格的に外征に動き始める前に隣国の領土を削って優位に立っておく。その後に帝国が動けばなし崩しに周辺国は対抗するために協力せざるを得なくなるから有耶無耶にできるとでも考えたんだろうよ。

 んで、お互い同じことを考えてたから似たような兵力で正面衝突する羽目になったと」

 伊織がそんなふうに推測を披露すると、英太達が揃って呆れた顔をする。

「なんか……すっげぇアホっぽいっすね」

 ポツリと呟いた英太の言葉に、他の面々も頷いて同意する。

「まぁ、戦争なんて9割以上くだらない理由で始まるもんだ。傍から見たら国家間の争いなんざ喜劇そのものだよ。巻き込まれる民衆にとっては悲劇でもな」

 

「で、旦那、どうすんだ? 終わるまで待つか? それとも迂回するか?」

「んなもん、放っておいてこのまま突っ切っちまえばいいだろ。あの程度の不整地ならこの車でも問題ないし」

 眼下には数千人の兵士が入り乱れての乱戦。

 街道はその戦いが繰り広げられている平野のど真ん中を貫くように通っている。

 完全な軍用車両ではないにしてもヒューロンAPCは6.7Lターボエンジンを搭載した4輪駆動車だ。街道から外れても平原であれば走行することは可能だろう。

 だが伊織としてはいちいち迂回するのも面倒だし、軽装甲とはいえ今組んずほぐれつ戦っている兵士達の装備程度は脅威にならない。

 戦いに介入するつもりはないが避ける理由もない。無視してそのまま戦場を横切るつもりである。

 

 

 

「くそっ! 圧倒的な兵力で一気に攻め込むはずが、まさか敵の数がこれほど多いとは」

 指揮官だろう男がイライラとした様子で吐き捨てる。

「向こうも同じことを考えたのでしょう。おそらく連中も同様にぼやいているでしょうな」

 副官らしき男が淡々と返し、指揮官は怒鳴りつけたいのをなんとか堪えて前線を睨むことで誤魔化す。

 戦場といってもそれぞれせいぜい3千ちょっとの軍である。指揮官のいる本隊とそれほど離れているわけもなく、全軍が充分に視界に収まる程度の範囲に過ぎないのに敵味方の判別すら難しくなるほどの混戦に苛立ちは増すばかりだ。

 

「とりあえず一旦戦闘を停止させて陣形を再編させては?」

「わかっている! しかしこれだけ乱戦になるとそうそう下がることも出来んのだ! 下がった分だけ相手に押し込まれかねん」

 戦いというのは始めるよりも終わらせることの方が遥かに難しい。

 明確な道筋をつける前に始まってしまった戦闘はなし崩しに拡大して双方の消耗戦に陥ってしまう。まだ敗走して撤退の方が兵を動かしやすいくらいだ。

「ですが、このままではいずれにしても前線は崩壊してしまいます」

「わかっていると言っただろうが! とにかく太鼓を鳴らして……な、なんだアレは?!」

 言いかけた指揮官が、ふと視界の隅に飛び込んできた異様なものに気付き、声をあげる。

 

「に、荷車? いやしかし……」

 沈着に指揮官に意見をしていた副官も、同じものを目にして絶句する。

 この世界で大型の荷車を遥かに超える大きさのモノが土煙を上げながら平原を疾走してきたのだから驚くのも無理はない。

 しかも荷車にしては牽いている動物の姿は無く、指揮官達から見れば超大型の獣が両軍に向かってくるようにしか見えない。

 やがて前線で戦っている兵士達もその姿に気付く。

「な、なんだ、アレは?!」

「こ、こっちに向かってくるぞ!!」

 敵味方関係なくあちこちで似たような叫び声が上がる。

 

 そうしている間にもソレはどんどん近づいてくる。

 こうなるともはや戦闘どころではない。

 兵士達は眼前の敵に構まず、自軍の本陣に向けて逃げ出し始めた。

 数人が逃げると、それに釣られて残りの兵士も雪崩を打ったように動き出す。

 中には剣や槍、盾まで放りだして一目散にその場を離れようとする者もいる。

 あっという間に戦闘は止まり、戦場のど真ん中に道が開けた。その道を伊織達の乗るヒューロンは急ぐわけでもなく悠々と通過していったのだった。

 

「な、なんだったのだアレは? 人が乗っていたのか?」

 遠目では巨大な竜のようにも見えたが荷車のような車輪がついていたし、なにより人工物特有の直線的な形から動物でないことだけはわかった。

「追うことはできるか?」

「無理、でしょうな。全力で走る馬ほどの速さですし、なによりあのような得体の知れないモノを追えるほど豪胆な者など居ないでしょう」

 首を振る副官に、指揮官は何やら考え込む。

「アレがもし帝国に向かっているとしたら……撤収するぞ。半数を残して王都に帰還する」

「よろしいのですか?」

「そもそも前提が崩れたのだ。これ以上戦っても意味が無い。向こうも同じだろう。半数も残れば充分だ。それよりも今の荷車のことを報告しなければならん」

 こうして平原での突発的な衝突は、これまた唐突に終わりを迎えた。

 

 

 平原を通過して2日。

 かなりのんびりとしたペースで移動してきた伊織達はふたつめの国を通過し、帝国との国境まであと半日ほどの距離まで来ていた。

 半日とはいってもヒューロンでの話であり、徒歩や荷車ではまだあと数日はかかる距離だ。

「結局大した情報は得られなかったなぁ」

「まさか商人の往来まで制限されているとは思わなかったわね」

 伊織の呟きに、ナビゲーターシートに座ったリゼロッドが応じる。

 

 前日に立ち寄った街で、例によってジーヴェトが商人達に話しかけて情報を集めたのだが、その商人達の話はあまり芳しくないものだったらしい。

 商人達が言葉を濁していたわけではなく、商人達自体が帝国の状況がほとんどわからない状態だということだった。

 なんでも、北部諸国の商人が入ることができるのは帝国北部にある特定の街だけであり、積荷はその街で全て売買させられているらしい。

 通常は国家間の政情が不安定になると、逆に通商は活発化しやすい。いざ戦争が始まれば流通が止まり、様々な物品が高騰するためにその前に駆け込み需要が高くなるからだ。

 商人達もそれを見込んで大量の商品を運び、仕入れることになる。

 

 だが、その立入が許された街では、持ち込まれた商品は全て行政府が買い取る事になっており、その価格は商品ごとに事前に決められてしまっているらしい。もちろん一律ではなく品質や需要によって変動するが、自由に売買することができないので価格も通常のまま、つまりは商人達が期待するほどの利益が得られるほどではなく、交渉もできない。

 しかも、決済は帝国の通貨か物々交換のみであり周辺国の通貨は使えない。 

 商人向けに帝国の産物が集められていて売買そのものは成立するのだが、流通が途絶える前に一儲けしたい商人達が満足できる状況ではないらしいのだ。

 かといって買い取り価格に不満があっても交渉もできないのでは拒否すれば単にその商品をそのまま持って帰るしか無くなる。

 帝国の物産を仕入れることもできないし、商人としては大損もいいところだ。

 提示されたとおりの価格で売ればとりあえず最低限の利益は確保できるのだから従うしかないというわけだ。

 さりとて、先を見越して大量に仕入れた商品を全て捌くまでは帝国に売らざるを得ないのだから、ジーヴェトにさんざん愚痴を吐き出していたらしい。

 とはいえ、帝国から仕入れる物品は通常よりやや割高といった程度で抑えられていて、自国内ではそれなりの価格で売ることができているそうだ。

 見込んだほどではないにしろ充分に儲けられているのだから、本当にただの愚痴レベルのようだが。

 

 結局、伊織達としては憶測混じりの曖昧な話ばかりで帝国内の状況はほとんどわからずじまいであり、わかったのは新しい皇帝がかなり有能であることだけだった。

 流通の混乱と食料の価格高騰は庶民の生活に直接影響する。

 だが商人達にはそんなことは関係なく、結託してでも儲けようとするものだ。

 それを統制して、抜け道を作らないために往来も制限する。

 やり方も多少の不満はあれどしっかりと利益が確保できるので反発されるほどではない絶妙なバランスを取っていると言える。

「でも結局行くんすよね」

「これまでさんざん焦臭い場所にも行ってたんだから今さらよね」

 高校生コンビの辛辣なコメントはサラッと流し、伊織はアクセルを踏み込んだ。

 

「ん? 香澄ちゃん、上から街道の先を見てくれ」

 しばらく走っていくと、伊織はヒューロンの速度を落とし、そう指示を出した。

 すぐに香澄がルーフを上がって双眼鏡を覗き込む。

「人が居るわね。それもかなりの人数みたい。荷車も沢山あるし、大八車って言うのかしら、人が牽く荷台みたいなのもあるわ。

 ルアちゃん、ドローンを飛ばしてくれる?」

「うん、わかった! 英太お兄ちゃん」

「はいよ。後ろからで良い?」

 香澄の要請に、ルアがHMDヘッドマウントディスプレイを装着し、英太が天井に固定されていたルア用のドローンを取り出して後部ハッチを開ける。

 そしてハッチからドローンを出すと、ルアがすぐに上昇させた。お互い慣れたものである。

 

 伊織もヒューロンを完全に停止させ、後部席のモニターを覗き込む。

「いっぱい人がいる。あっ、兵隊さんが止めてるみたい」

 ルアの言葉通り、数千人近い人間が街道を塞いでおり、その先で300人ほどの兵士が行く手を阻んでいるように見える。

「難民、かしらね」

「でもなんで帝国に向かってるんだろ。この国の人達の感覚だと攻めてこようとしてる国じゃん」

「アレだろ? 侵攻されりゃ全部奪われた挙げ句殺されるかもしれんから、その前に帝国に入れば少なくとも殺されずに済むってことじゃねぇのか? この国もあんまり良い統治してないみたいだし、噂じゃ帝国は一般庶民の税を引き下げたっていうから、先の見えない国より一縷の望みを賭けて帝国に行こうって考えたって不思議じゃねぇだろ」

 ジーヴェトの推測にリゼロッドと英太が納得したように頷く。

 

「まずいな。兵士の人数が少なすぎる」

「? どういうことっすか?」

「香澄ちゃん、ミニミを準備してくれ。英太もすぐに飛び出せるように待機、ルアは上空をホバリングして兵士を監視。リゼは兵士の動きを見ながら状況を報告して、ジーヴェトは香澄ちゃんの補助だ」

 英太の疑問には答えず、伊織は矢継ぎ早に指示を出すと運転席に戻ってヒューロンを急発進させる。

 

 プァン、プァ~ン!

 街道から右側に外れて難民達を迂回しながら追い抜いていく。

 時折警笛を鳴らしながら道を空けさせて列の先端部に急ぐ。

 だが、それは少しばかり遅かったらしい。

「イオリ! 兵士が難民を攻撃し始めたわ!」

 モニターを見ていたリゼロッドがそう声を張り上げた直後、街道に広がっていた難民達にも変化が起こる。一斉に反対側に逃げ始めたのだ。

 先頭に近い者達は何も持たず、他の者達は荷を担いだままだったり荷車をなんとか反転させようとして周囲の者と怒鳴りあったりしている。

 伊織はそんな難民達に構わず先を急ぎ、ようやく視界が開けるとそこは凄惨な光景が繰り広げられていた。

 

 数十人の、顔などに傷を負った兵士が難民に向かって槍を突き出し、剣を振るって次々に殺して回っていた。

 倒れた難民の中には女性や子供の姿もあるようで、逃げようとする者に対しても追いかけならがその背に攻撃を浴びせている。

「っつ、なんてことを!」

 ダダダダ、ダダ、ダダダダッ!!

 香澄がヒューロンのルーフからミニミの5.56mm弾を兵士に向かって撃つ。

 今にも転んだ子供の背に剣を突き刺そうとしていた兵士の頭が吹っ飛び、難民達に追いすがろうとしていた複数の兵士も薙ぎ払われる。

 興奮状態で難民達を攻撃していた兵士達もさすがに足が止まり難民達との間に距離ができる。

 そこに伊織がヒューロンを割り込ませて停車させる。

 

 突然目の前に現れた得体の知れない荷車に兵士達の狂乱が冷める。

 当然だろう、直前に響いた破裂音と同時に幾人もの兵士が倒されたのだ。中には致命傷を免れて痛みに呻いている者も少なくない。香澄が難民を殺す寸前の兵士のみを狙って即死させ、それ以外は致命傷を避けて銃撃したのだ。

 それでも使命感からか、指揮官と思われる兵士が数人の兵を引き連れて武器を手に近づいてこようとする。

 だが、それは香澄のミニミから放たれた銃弾が足元に撃ち込まれたことで強制的に止められる。

 後ずさる兵士達の足元にさらに一斉射。

「ひ、引けぇ! 撤退だ!!」

 指揮官がそう叫ぶと、兵士達は蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

 

「あ、あの、あなた方は……」

 兵士が居なくなった後、伊織達が手分けして難民の生存者を探し、手当を始めると逃げていた難民達が三々五々戻ってきた。

 そして数人の男が腕を切りつけられた子供の治療をしていた伊織のところにやってくる。

 だが伊織はそちらに目を向けることなく治療を続ける。

「こんなもんだろ。しばらくの間は無理に動かさないように。動かすと傷が開くからな。それから一日に二回、この薬を必ず飲むんだ。飲まないと傷口が化膿、腐って死ぬかもしれないからな。薬が無くなったら後は動かしても大丈夫だ」

「う、うん」

 子供は伊織の言葉を大人しく聞き、立ち上がるとその子供のことを呼ぶ声が聞こえてくる。子供は弾かれるように声の方へ走っていった。

 見ると幼い子供を抱きかかえた男女が子供を迎え、そして女性の方が駆け寄ってきた子供を抱きしめた。おそらくは逃げるときにはぐれてしまっていたのだろう。

 

 そうこうしているうちに粗方の捜索と治療が終わったらしく、英太と香澄、リゼロッドが伊織のところに戻って来た。ルアとジーヴェトはヒューロンの中でお留守番している。

「あの!」

 最初に声を掛けたものの無視されて呆然と見ているだけだった難民の男が、改めて声を張り上げると、ようやく伊織がそちらに向き直った。

「あなた方は……」

「代表者か取り纏めの人間はいるのか?」

 問いかけを遮り、伊織が逆に問う。

 すると、一人の壮年の男性が一歩前に出た。

 

「全員ではないが、一応俺がまとめ役をさせてもらっている」

「そうか。犠牲になった者が何人かいるようだ。後のことは任せる」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! アンタ達は帝国の人間か?」

 言いたいことだけ言って踵を返そうとした伊織を慌てて引き留める男。

 伊織は無表情のまま振り返って首を振った。

「帝国に向かっているのは確かだが、俺達は帝国の人間じゃない。一応言っておくが、今回はたまたま出くわしたから見捨てるのも気分が悪いんで助けただけだ。これ以上何かしてもらおうと考えるなよ」

 切り捨てるような言葉に、男達は鼻白む。

 

「伊織さん、いいんすか?」

「ああ、今回に限って言えば兵士がこの連中を攻撃したのは自業自得だ。

 難民よりも遥かに少ない兵士が止めようとしたのを無理に通ろうとして兵士に手を出したんだろ? 兵士が身の危険を感じて暴発したってことだ」

 地球の中世時代もそうだったが、民衆とは労働力であり、生産性そのものだ。だからどこの国でもどの領主でも人の流出には神経を尖らせている。

 おそらく先程の兵士達は難民を追い返すために居たのだろう。ただ兵士よりも難民の数が圧倒的に多く、手を出された兵士は少ない人数で対抗するために実力行使に出たのだ。

 平時に多少土地を離れる者が居てもさほど咎められることはないだろうが、帝国との争いを見据えれば、みすみす自国の民が帝国への逃げていくのを放っておくわけにはいかない。

 

「わ、我々は村を捨てるしかなかったんだ。元々食っていくのに精一杯になるほどの税を取られていたのに、さらに税を増やすと言われたんだ。

 税で収入の9割以上を取られれば生きていくことなどできない。

 帝国の新しい皇帝は民衆に優しいと聞いた。農民の税は5割に引き下げられているそうだ。だから我々は生きるために帝国に向かっているんだ」

「別にそいつを責めるつもりはねぇよ。だがそれならなおさら慎重にならないと全滅するか、強制的に戻らされるぞ。さっきみたいに数が多いからと気が大きくなれば兵士だって強引な手段を執らなきゃならなくなる。気をつけることだ」

「頼みがある。帝国に向かうなら我々も連れて行って欲しい。あなた方が一緒なら……」

「断る」

「っ?!」

 伊織はそれだけ言い捨てると、今度は振り向くことなくヒューロンに戻っていった。

 

「どうやら面倒なことになりそうだな」

 運転席に座った伊織は誰に聞かせるでもなく小さく呟いた。

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