第101話 愚かなる結末

 サリアが書物を開いて書かれていることに目を通す。

 和紙やパピルス紙に似た質感の紙を数百枚綴じた装丁は痛みがほとんど無く、2千年近く経過しているとは思えないほどだ。

 ペラペラと紙を捲り、問題なく開き読めることを確認してから、サリアは激しく打つ鼓動を抑えつつ最初のページから朗読を始めた。

 

「いつかこの場所に訪れるであろう者に、クルーシェスセ、かな? の、最後の王である、ジェクレウズ? が記す。

 この手記を手にした者よ。

 おそらくは滅んでいるであろうこの国に、何が起きたのか、どれほど我等が愚かであったのか知っておいて欲しい。

 

 我が死んでどれほどの日を重ねたかはわからない。

 数年か数十年か、それとも数百年か。

 かつてこの国は周辺はおろか大陸全土においても並ぶものなき栄華を誇っていた。

 優れた魔法技術に豊かな食料、周辺国からの貢ぎ物で全ての民の家にある宝物庫には財貨が溢れかえり、長年の研究によって生み出された魔法生物を使役することで働く必要もなく、民は穏やかな生を享受していた。

 誰もがこの暮らしが続くことを望み、信じていた。

 

 無論他国も我が国に迫らんと懸命に努めており、我等とて安穏としていられるわけではなかった。

 魔法研究を重ね、より豊かに、より長く繁栄できる方法を探した。

 病を克服し、長寿を実現し、富を蓄えた。

 無論無数の失敗も積み重ねたが、全てが我等の願う通りの国を築き上げたのだ。

 だからこそ、なのだろう。

 我等は気付けなかった。

 人の欲望とは限りがないものだということに。

 

 やがて一部の者達はこの繁栄と栄華を永遠のものにしたいと考えるようになった。子孫ではなく、自分達が永遠に享受したいと。

 長寿は成った。老いる理由もある程度判明している。

 次は悠久の生命を得るのだと。

 反対する者は居た。神の定めた秩序に反すると。

 だが余はその研究を認めた。

 すでに新たな生命を生み出し、神の領域に手を伸ばしているのだ。

 我等にできないことなど存在しないし、我等を咎められる者など誰も居ない。

 

 傲慢であった、のであろう。

 研究者達が様々な実験を行った。

 人に大地の魔力を注ぐ魔法を掛けることで永遠に等しい寿命を得ることには成功した。

 しかし、注ぎ込まれる膨大な魔力に人の脳が耐えられないようで、全ての記憶が失われることになった。3000人の下層民で試したが例外はなかった。

 次に生命に固定化の魔法が試された。

 しかしこれは魔力を持つ生命は無意識に無効化してしまい、死んで魔力を失ったものにしか効果がなかった。しかも石のように堅くなるだけでしかない。

 この城の中に実験を行った部屋をそのままにしてある。時が経過したときにどうなるかを検証するためだったが、残っているだろうか。

 

 数十年に及ぶ研究と実験は、なかなか実を結ばず、次第にいくつかの派閥で軋轢が生じるようになっていった。

 我が弟もこれ以上の研究を中止するように主張した。

 これ以上神の領域に手を出してはならない、富はもう充分ではないか、と。

 今になって思えばその言葉は正しかったのだろう。

 だが膨大な資金と時間をつぎ込んだ研究を止めることはできなかった。

 さらに数年の後に一部の研究者が出した結論。

 それは我が国全体を結界で覆い、永遠の時をその中に封じるというものだった。

 

 さすがに研究者ではない余には説明を受けても理解は難しかった。

 だが理解出来た者も居たのだろう。

 複数の派閥に別れていた魔法研究者達の多くがその結論に対して激しく反発したのだ。

 その対立は次第に深刻なものになっていった。

 まず弟が離反した。

 奴は一部の研究者と民を連れてクルーシェスセを出ることになった。つまり国を捨てたのだ。

 責めることはできぬ。そのままでは内戦になりかねないほど不和は広がっていた。

 むしろクルーシェスセを愛するが故に反対派を率いて国を出たのだろう。

 それを防ぐことができなかった余がその責を負わねばならない。

 余はそれを許し、持たせられるだけの財貨と糧食を渡した。

 弟と民達の行く末が安寧をもたらすものであることを願って。

 

 王弟が離反したのを見た他の者もそれぞれ北部や南部に移っていった。

 そうしてクルーシェスセに住む民の半数が国を離れた。

 ここまできても我は研究を止めるか否か決断することができなかった。いや、ここまできてしまった故に止めることはできない。

 研究に反対する者はもはやこの国に残っては居ない。

 もっと早くであれば止められたのだろうか。

 いや、余には止めることなどできなかっただろう。

 あの日、全てが終わったのは全て余が弱く愚かだったからだ。

 

 この手記を目にしている者よ。

 この街の中心に今でもあの黒い壁はそびえているであろうか。

 あれこそが我がクルーシェスセを滅ぼした愚かなる研究の成果だ。

 あの日、研究所の中心である賢者の塔には残っていた全ての魔法研究者や多くの貴族達が集まっていた。

 余は執務のために立ち会うことができなかったのだが、そこでいよいよ研究の成果を示すための実験が行われることになった。

 膨大な触媒と大地の力を一時的に集中させる術式を用意し、多くの者が見守る中で、それは行われた。

 だが、それからどうなったのかは誰にもわからぬ。

 それを知る者はだれもあの壁の向こうから戻って来ることはなかった。

 あの壁は研究所を中心に王城や街の一部を飲み込んで突如生まれ、どうやっても壊すことはできなかった。

 

 なにより、あの日壁の向こうにはクルーシェスセに残った全ての魔法研究者がいた。そして全ての魔法に関する資料も。

 魔法がなければこの国を維持することなどできない。

 魔法が万能だと信じ、魔法によって全てを得ようとした我等は、魔法によって全てを失ったわけだ。

 その後は、わかるであろう。

 クルーシェスセに残された者達は混乱に陥り、嘆き悲しみながらも国を捨てた者達を呼び戻そうとした。

 だがそれは叶わなかった。

 魔法の影響か、クルーシェスセの周囲の作物が枯れ始め、大地が渇き始めた。

 水が涸れたわけではなかったたが、作物が実ることもなく、しかし多くの者が愚かにも都に留まった。国を離れた者を呼びに行った者達は誰ひとり戻ることはなかった。

 今やこの国には魔法処置を施された下層民と魔法によって生み出された歪な生物、わずかな食料を奪い合いながら死を待つだけの者達がわずかに残るのみ。

 

 我等は神の怒りに触れたのだろう。

 自ら滅びの道を歩み、そして滅んだ。

 余もクルーシェスセ最後の王として、間もなく死ぬであろう。

 唯一の救いは我が弟や多くの者がこの地をすでに去っており、我等の愚かさを伝えていくであろうことだ。

 これを読んでいる者よ。

 どうか我等のことを広く伝えてもらいたい。

 愚かなる国の愚かなる王の滅びの結末を。

 そして願わくば、我等の弟と我が民達の末裔が幸福なる生を歩んでいることを」

 

 

 ミイラが抱えていた書物。

 それはこの国が辿った顛末を王が記した手記だったらしい。

 サリアはショックを受けたらしく、何度も詰まりながら読み終える。

 ところどころ読めない文があったりはしたものの、大凡の内容は理解することができた。文量もそれほど多くもなかったし。

 読み終えてしばしの間沈黙が支配する。

 難しい顔をしたままの伊織と、内容が理解できなくて大人しく伊織にもらったキリ○レモンをチビチビ飲んでいるルアを除いた全員が、そのあまりな内容に唖然とする。

 都市の住人の成れの果てと思われていた蜘蛛人間達が実は実験材料にされた下層民だったこと。それと古代の研究者達のあまりに無謀な望み。

 永遠の命と繁栄。

 確かにどの世界でも権力を握った者が望みそうなことではある。

 だが実際にそれを行おうとするのは完全に人の範疇を超えることだろう。

 

 そしてしばらくして口を開いたのはリゼロッドだった。

「で? 結局あの壁はなんだったの? イオリはわかってるんでしょ?」

 リゼロッドの言葉に、全員の目が伊織に向けられる。

 その視線を受けて肩を竦めて伊織は大きく息を吐いた。

「まさかとは思ってたんだけどな。だが、手記に書かれていた連中の目的が永遠の時を封じ込めるってことなら内容は想像できる」

 そう言った伊織の表情は呆れとも哀れみともとれる、微妙なものに変わっていた。

 

「あの壁、というか、遠くから見ないとわからないが地中まで囲んだ球形になっているはずだが、あの内部はこの世界から時空を切り離したんだろう。

 空間そのものを切り離して内部の時間を停止させた。

 地脈の膨大なエネルギーと触媒を使って、な」

 伊織の端的な説明を理解できたのはリゼロッドと香澄だけのようで、他の者はポカンとした表情だ。

「っていうことは、あの中は時間が停まってるってこと?」

 時間停止。

 昔から多くの創作作品で取りあげられているシチュエーションであり、今でも大人な映像作品では一定のファンがいるらしい。

 だが実際に時間が停止した空間が存在するとしたらそんな単純なことではない。

 

「時間が停止した空間には一切の干渉ができない。

 光が中に入ることもないし、中の反射が外に出ることもないから外から見る事もできない。

 熱も音も衝撃も、時間が停止すれば何一つ伝わることはないし、どんな物理攻撃でも壊すことができない。

 時間が止まっていると言うことはあらゆる粒子、原子も波動も一切動くことができないということだからな。

 そして時間が停まっているからエネルギー切れも当然無い。永遠にあのままだ。

 幸い時間停止の抗力はあの中だけで留まってるようだから惑星の自転や公転にまで置いていかれてないのが救いかもな。じゃなきゃ今頃この星はグシャグシャになってるだろうよ。あ、恒星や銀河の固有運動にも置いていかれるんだから大丈夫な可能性もあるか」

 

 時間がもし止まったら。

 そんな妄想を一度はしてみた人は多いだろうが、実際に時間が止まった空間に、唯一人止まっていない人が居たところでその人はなにも見る事はできないし、動くこともできない。

 なにしろ光も止まっているわけだし、空気を構成する原子も止まっているのだから指一本どころかわずかな動きすらすることができないわけだ。

 その人の内部だけは動いているということで、数分で窒息死することになる。

 

 そこまで説明して英太やジーヴェト達にもなんとか理解できたようだ。

「あ~、なんだ、つまり、アレはどうしようもないってことで良いんだろ?」

 理解したわけではない人もいるようだが。

「書いてあったことからすると、この都市の魔法資料とかもあの中ってことっすよね?」

「あ、そうね。研究所があの中心にあるって書いてあったし、その後魔法を復活できなかったってことは城とか他の場所にはあまり資料がなかったんだろうし」

「残念な気がしないでもないけど他に資料は山ほど持ってるし、どうにもこの遺跡の資料を調べたいって気にはならないから諦められるわよ」

 英太、香澄、リゼロッドが気分を変えるように殊更明るい声を出す。

 一国の栄華盛衰をこうまで突き付けられてなんとも言えない気持ちが胸にわだかまっているが、考えたところで何ができるわけでもないのだ。

 

「んで、結局これからどうすんだ?」

 もとより伊織達にくっついてきているだけで特に目的があるわけでもないジーヴェトが訊ねる。

 都市遺跡の中が比較的涼しいとはいってもやっぱり暑いことには変わりがない。

 専門的なことに興味があるわけでもないのでできれば涼しい車内にさっさと戻りたいのだ。

「そうね。まぁ意外な結末ではあったけど目的は果たしたわけだし」

「蜘蛛人間達も実験動物だったって聞くと殺して回るってのも罪悪感あるよなぁ」

「この先、他の人がここまで来るのは相当先のことだろうから放っておいてもいいんじゃない?」

「……そう、だな。あの奇妙な人間達がジュバ族の先祖でなかったのがわかって安心した」

 ようやくショックから回復したらしいサリアが話に加わる。

 

「サリア様、この手記をイオリ様に譲っていただけるように頼んではどうでしょう。我等の先祖がしたことを語り継いでいくためにも必要かと思います」

 ここまで一切の存在感が無く、居たことすら古狸に忘れられてたっぽいラウラがそう進言した。

 彼女としては腕を買われて護衛としてサリアについて来たものの、なんの役にも立たなかった上に台詞もなく、無駄飯を食らっていただけなので思い切って声を上げたのだろう。

 人間、時にはアピールが必要なのである。

 

「遺跡の資料は私の管轄だから、一応後で“こぴー”だけさせてもらうけど、貴方達の好きにすれば良いわよ。イオリ、良いわよね?

 と、それじゃ遺跡の外で少し休んでからラスタルジアまで帰りましょうか」

「そうっすね」

「そうしましょう」

「おう。その時にちょっとだけで良いからビール飲ませてくれねぇか?」

 リゼロッドの提案に他のメンバーが次々に賛同の声を上げる。

 が、伊織がそれに待ったを掛けた。

 

「ちょっと待ったぁ!! まだ残ったイベントが、いや、最大の目的が残ってるだろ!!」

 伊織の表情と声は先程までとは一転して、いつもの悪戯めいたものに戻っている。

 そのことに英太達は安心したものの、口から出た言葉には首を傾げた。

「イベントって、なんすか?」

「最大の目的って? 古代遺跡の調査じゃなかったの?」」

 英太と香澄が代表して聞き返す。

 と、伊織がニヤリと笑みを見せる。

 

「これまで誰も入ったことのない、ドラゴンが守護する遺跡だぞ?

 しかも、手記から考えると、半数近い住人が立ち去ることがなかった。だったら、あるだろう?」

「「何が?」」

 若干呆れ混じりのハモった高校生コンビの声。

 その声にさらに勢いづいたように伊織はすぐ側の城を指さす。

「お宝だよ、お宝! 半分はこの都市を離脱した住人達に分け与えていたとしても、栄華を極めたとまで書いてた国の宝物庫なら絶対にお宝がたんまりと保管されているはずだろ!!」

 

「「「「……………………」」」」

 まるで3人組の大泥棒で超有名怪盗の孫のようにウキウキとした様子で言い切る伊織に絶句する他の面々。

 つい先程まで古代都市の盛衰に何とも言えない感情を抱えていたとは思えない下世話な言葉に唖然とするのも無理はない。

「いや~、オルストの遺跡でお宝発見に立ち会えなかっただろ? あれが無茶苦茶悔しかったんだよなぁ。チャンスがあったら今度は絶対に立ち会おうと思ってたからラッキーだよ」

「まだ根に持ってたんすか?!」

「き、気持ちはわかるけど」

 実に馬鹿馬鹿しい伊織の主張に真っ先にツッコミを入れたのもやはり若いふたりだ。

 

「で、でもよぉ、お宝があるってんなら俺も見てみたいよなぁ」

「だろ? わかってんなぁオッサン!」

「旦那にはオッサンなんて言われたくねぇぞ!」

「ルアも見てみたい!」

「もちろん見つかったら全員で等分に分けるぞ。そうすりゃジュバ族だって少しは助けになるだろう?」

「俺達にも分けてもらえるのか?」

「サリア様、ご先祖様も子孫である我々の助けになるのなら許して下さるでしょう。捜索に協力すべきです!」

 

 同行メンバー5人が『お宝、お宝!』と叫んでいればリゼロッド達に反論の余地は無い。

 と言っても別に最初から反対するつもりなど無かったのだが。

「はぁ、わかったわよ。探索したいならそう言ってくれれば反対なんかしないわよ」

 リゼロッドが頭痛を堪えるように額を抑えながら言い、英太と香澄は顔を見合わせながら肩を竦める。

 そうして一同は再び、今度はお宝目指して城に向かうのだった。

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