第96話 砂漠へGO!
大陸のほぼ中央に位置するトルーカ砂漠は東西約5000km、南北約3800kmの楕円形に近い形状をしており、その面積は地球最大の砂漠地帯であるサハラ砂漠の2倍近くという、途方もない広さだ。
砂漠地帯外縁で暮らすジュバ族の伝承では、かつてトルーカ砂漠は緑豊かな場所で、その中央には多くの人々が暮らす都市があり、周辺地域に存在した多くの都市を支配していたという。
事実、砂漠外縁にはジュバ族の王都とも言うべきラスタルジアを始めとしていくつかの古代都市跡が残っている。
砂漠とは言ってもその外縁部は岩石砂漠であり、中心部に近づくにつれて礫砂漠、砂砂漠とグラデーションのようにその性質は変わっていくらしく、砂漠に暮らすジュバ族でさえ礫砂漠までしか足を踏み入れたことはない。
ジュバ族にとって砂漠中心部は聖地であると同時に、近づくことすら出来ない死の大地である。
その理由の最たるものは途中で水の補給ができないことだ。
砂漠の中心部までは順調に行けたとしても往復で2ヶ月近くの旅程となるが、途中で補給が受けられない状況ではとても辿り着くことは出来ない。
人とバラジュの水や食料を運ぶとしてもそれだけの期間を賄うほどの量は持っていくことは不可能だ。
そして今、そんなトルーカ砂漠を伊織達は軍用車両で北上している。
車両は外縁部を移動していたときとは別の物に替えている。
オーストラリアで開発され、オーストラリア軍を始めイギリスやオランダ、日本にも輸出されている兵員輸送車両ブッシュマスター軽装甲車だ。
ヒューロンAPCから乗り換えた理由ももちろんある。
ブッシュマスターの長所はその居住性の高さと航続距離だ。
兵員の座るシートは効率重視の一般的なベンチシートではなく、兵員一人ひとりに乗用車並の独立した座席となっており、オーストラリアの過酷な自然環境にも対応できるように灼熱の砂漠や極寒の高地に耐えられるだけの強力な空調システムや270Lもの冷水供給装置を備えている。
さらに車体側面や床下に多くの収納スペースがあり、車内空間も広い。
武装は7.62mm機関銃のみという貧弱さながら、連続行動距離は800km以上という、兵員を輸送することに特化した車両なのである。
くれぐれも隙さえあれば新しいアイテムを登場させたいという欲求に古狸が負けたせいなどではないことをご理解頂きたい。
ハンドルを握るのは伊織。そしてその隣の車長席でナビゲーターを務めているのはルアである。
ほんの数十分前にラスタルジアを出発したばかりであり、体力気力共に十分な余力がある。はずなのだが、兵員席は奇妙な緊張感が漂っている。
兵員席に座っているのは英太と香澄、リゼロッド、ジーヴェトといういつものメンバーに、この雰囲気の原因となっている人物を含めたふたりが追加で搭乗しているのだ。
そのふたりといえば、ブッシュマスターが動き出すなり興味深げに車内や窓の外を落ち着きなくキョロキョロと見回していた。
「何度乗ってもこの“車”というのは不思議だな! あの空を飛ぶ乗り物と比べればまだ不安は無いが、それでもバラジュとは比べものにならない速さで動くし中は驚くほど涼しい!」
ハイテンションでそう声高に叫んでいるのはラスタルジアを統べるコーリン一族の6子で、シラウの弟であるサリアだ。
そしてこの何とも言えない微妙な雰囲気を作り出した人間の片割れでもある。
「チョロチョロしてると危ないんで大人しく座っててもらえないっすか? ってか、無理矢理ついてきたんなら邪魔しないように静かにしてもらいたいんすけど」
そしてもう一人の片割れである英太はものすっごく不機嫌に、嫌みったらしくサリアの行動を咎めた。
だがそんな英太の態度もサリアは一切気にしていないようで、逆にフフンと鼻を鳴らして顎を逸らす。
「イオリから乗っている間は自由にして良いと許可をもらっているぞ。それに、そのように小さな事に目くじらを立てるなど、まだ子供っぽさが抜けていないようだな」
「あ゛ぁん!?」
「ん゛!?」
互いに額を突き合わせてメンチを切るふたり。
どうやら精神年齢は似たようなものらしい。
「はぁ……なに? このメンドくさい状況」
香澄が頭痛を堪えるように額に手を当てて溜息を吐く。
そのすぐ側で見ていたリゼロッドは苦笑いで、ジーヴェトはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
今の状況はサリアが同行を求めたことから端を発する。
伊織達が砂漠の中心部にあったという古代都市を目指すことが決まった数日後。製鉄の職人達の受け入れも完了し、ジュバ族の新たな体制と産業がスタートした。
同時に、その時点で伊織達の手助けも終了したということになる。
この後はシラウを中心として各氏族の長達と、砂漠の新たな住人となった職人達が試行錯誤しながら舵取りをしていくべきだろう。
そこで伊織はシラウと、ラスタルジアの現在の長であるコランに、街を離れること、砂漠の中心部に向かうことを告げた。
一応はジュバ族の聖地と見なされている場所である。勝手に向かうのではなく、話を通したほうが良いと判断したからだ。
聖地とはいえ、別に絶対不可侵の領域とされていたわけではなく、単に祖先の故郷であり、行くことが不可能なために神聖視されていただけだ。向かうこと自体は反対されることはなかった。
ただ、それでもやはり異国人である伊織達だけが聖地に赴くというのには抵抗があったのか、ジュバ族の誰かを同行させて欲しいという要望がシラウからなされることになった。
そこに手を挙げたのがサリアだったというわけだ。
南の王国との交易を担当していたリュカは、ラウドと同じく騒動の責任を取って重要な役目であった交易の責任者という立場を自ら降り、新たな産業である石炭や鉱物の採掘の統括を務めることになった。
無論それは新たな後継者となったシラウの配慮でもあったが、リュカはそれを引き受けてすでに各採掘場所の整備や輸送路の整備に飛び回っている。
だがそうなると南の王国との交易という、特に今後重要となってくる仕事を誰がするのかという問題となる。
そこでその任は、若いとはいえすでに東側の商隊を率いていたサリアに担ってもらうことに決まり、それまでの仕事は別の氏族から選出してもらうことになった。
と、それは良いのだが、実際には現在、南の王国との交易は停止しているのだ。
というのも、トルーカ砂漠と接する領地の領主だったクリディス伯爵が王家に無断でラスタルジアに兵を送った罪を問われて投獄され、クリディス伯爵領は王家に没収されてしまったのだ。
今後は王家直轄領となったわけだが、王家が選出した代官が任地に入るとまず領地の詳細な調査を行わなければならない。
それが終われば次に問題点を改善して新しい法と税制を決め、周知させてから実施する。
言葉にするのは簡単だが、実際にはかなりの時間と労力が必要となる大事業だ。
そんな状況でジュバ族と交易するような余裕は無く、交易再開を認める通知が代官から出るまではラスタルジアとしては商隊を送りこむことは出来ないのだ。
ジュバ族としては食料の自給自足は出来ているので、南と交易できなくても数年程度ならなんとかなるし、交易が重要となるのはラスタルジア郊外で製作が始まったガラス製品を交易品として使うようになってからのことだ。
ガラス製品がある程度の水準になるには、少なくとも1年以上は掛かるだろうし、クリディス領が落ち着くのもそのくらいだろうと考えられた。
そんなわけで長の息子で、南の王国との交易という重要な立場ながら暇という少々特殊な立ち位置のサリアは、伊織達との同行を強く希望した。
その理由は考えるまでもない。
その証拠に、出発してからサリアは何かと香澄にまとわりついてアプローチを仕掛けていて、その事が気に入らない英太が事ある毎に突っかかっていっているというわけだ。
ちなみにもう一人の同行者はルジャディから選ばれている。
バランスを考えたのか若い女だ。
こちらは特に伊織達に思うところはないようで、今のところ沈着な態度を崩すことはないが、それでもさすがにこの世界の常識をぶっ飛ばした現代機器には興味があるようで目線だけは忙しなく動いている。
「モテる女は大変ね」
「まぁ放っておけば大丈夫だって。見てる分には面白ぇし」
見た目は良いのに中身が残念なせいであまりモテることがないリゼロッドと、このところ子供の世話とリゼロッドの雑用を押し付けられてフラストレーションが溜まり気味だったジーヴェトは完全に観戦者モードである。
「ジーさんの昼食は“ペッパーX”で作ったペペロンチーノにするわ。私達は普通の唐辛子使うけど」
「殺す気かよ! ってか、ジーさん言うな!」
味を思い出したのか、ジーヴェトが泣きそうな顔で抗議する。
ペッパーXというのは2019年に世界一辛い唐辛子として開発され、現在ギネス申請されている新種の唐辛子であり、唐辛子の辛さを表す単位であるスコヴィル値は318万。有名なハバネロのスコヴィル値が30万ほどであり、もはや素手で触ること自体が危険な代物である。
辛い物好きなジーヴェトが酔った勢いで調子に乗って『オマエらの世界で一番辛い食い物だって余裕だぜ』などと口にした。
その時の伊織の満面の笑みは今でもジーヴェトの夢に出るほどである。悪夢の象徴として。
あまりに辛すぎて危険ということで実も種も一般では販売されていないはずのソレをたっぷりと使って伊織が作った麻婆豆腐。
生物兵器に対応する特殊部隊のようなガスマスク姿で提供された料理に一気に酔いが醒めたジーヴェトだったがもはや引くに引けず、自身の軽口を死ぬほど後悔しながら意を決してレンゲに一欠片の豆腐を掬って口に運んだ。
ジーヴェトにはそこから先の記憶は無く、数時間に及ぶ謎の腹痛と、数日に及ぶ味覚障害、ついでにトイレでの悶絶という結果だけが残った。
ちなみにこのペッパーX、ソースに加工されたものならば日本でも購入が可能だ。激辛好きなら一度は挑戦してみるのも良いかもしれない。ただし、ネットでしっかりとレビューを吟味してからにして欲しいが。
恨めしげにジーヴェトを一睨みした香澄は、いまだに嫌味と皮肉の応酬を続ける二人を横目で見ると、もう一度小さく溜息を吐いた。
最初に会うなり求婚してきたサリアに、香澄はちゃんと断った。
思わせぶりな態度で返事を保留したわけではなく、元の世界に戻りたいと考えていることも、ラスタルジアに長く滞在するつもりが無いことも伝えてある。
そもそも一夫多妻が普通なジュバ族と価値観が合うとは思えないし、この過酷な環境の砂漠で一生を終えるつもりはない。
ところがサリアはそう言われても一向に諦める気配は無く、いまだ一人の伴侶も持っていないのを幸いとばかりに『カスミ以外に伴侶は持たない』とまで言っているのだ。
自身に向けられた純粋な好意には嬉しい思いはあれど、特異な経験や性格で大人びているとはいえ香澄はいまだに高校に行っているような年頃である。恋愛経験は乏しく、情熱的な年上男性を上手くあしらうことなど出来るはずがない。
結果として、ふたりきりになるのを避けたり、直接的な口説き文句は拒絶しているものの状況に流されてしまっているというわけである。
そしてこの件に関しては伊織はまったくあてにならない。
それどころか、『ここに残るって言うなら、この先困らないように住居や車両、燃料、武器弾薬、その他諸々ちゃんと充分に渡してやるぞ』と、嬉しくもない余計な気遣いを見せているほどだった。
もちろん伊織としてはサリアの求婚を受けるべきとか考えているわけではなく、香澄の意思を尊重し、その上で困らないような支援をすると言っているだけなのだが、そのことが余計に問題を複雑にしてしまっているというわけだ。
トルーカ砂漠は前述したように外縁部から中心に向かって岩石砂漠、礫砂漠、砂砂漠と、だんだん構成する地質の粒子が小さくなっていく。
もちろん岩石砂漠であっても所々に砂溜まりがあったり、礫砂漠でも岩山があったりするのだが、大雑把に言えば走れば走るほど地面は滑らかになっていく。
ブッシュマスターで2日ほど走り、距離としては中間点を過ぎる頃には周囲の景色は徐々に岩山が減り、小ぶりな岩石や石、砂ばかりが見渡す限り続いている。
植物や生き物の姿はほとんど見ることができない。
とはいえ、ところどころにサボテンに似た小さな多肉植物や針のような葉を持つ低木があり、ネズミのような小動物や小さなトカゲのような生き物も生息しており、完全な死の荒野というわけではない。
そして、すでに忘れてしまっている人も居るかも知れないが、トルーカ砂漠に生息している生き物の中でも、人を襲うこともあるという特異な生物“砂竜”もまた砂漠に生きる代表的なものだ。
砂竜は主に地中に暮らすヘビのような生き物だ。
ジュバ族の集落がある外縁部に生息しているのは体長が3mほどで、比較的地面の柔らかい砂地に出没するらしい。
ただ、外縁部にはそう言った砂地はそれほど多くないため、ジュバ族は狩るためにそういった砂地を探しているという。
その砂竜だが、今、伊織達の乗るブッシュマスターの前に立ち塞がり、ヘビに似た鎌首をもたげて威嚇していた。
「でかいな」
「完全に魔物っすよね、アレ」
呆れたように呟く伊織に、英太が応じる。
「お、俺もあんなのは初めて見る。だ、大丈夫なのか?」
眼前の砂地から樹木のようにニョッキリと立ち上がった砂竜の高さは見えているだけで5mを超えており、おそらくは全長15m近くに達するだろう。
頭も大きく、開けた口は人を簡単に丸呑みできそうである。
地中に潜る生態のせいなのか目はなく、肌は砂と同じ色合いで鱗はなく、ヘビと言うよりもミミズのようにも見える。
太さも大人が抱えても足りないほどはあり、もしこんなのが集落に出没したとしたら相当な脅威となるだろう。
だが対峙しているのは軍用車である。
名前だけはご同類である毒蛇の名を冠しているものの、どれほど大きかろうがヘビモドキ程度は脅威になるわけがない。
「香澄ちゃん、頼むわ。一応耐久力とか見たいからミニミ使ってみて」
伊織の指示に、香澄は頷いてミニミ軽機関銃を手に上部ハッチを開ける。
そして、
タタタ、タタタタッ!
5.56mmのNATO弾はあっさりと砂竜を貫き、苦痛に暴れ回るもすぐに頭部も撃ち抜かれて動かなくなった。
行く手を邪魔されただけなのに、さぞ理不尽を天に呪ったことだろう。一方的すぎて砂竜の方に同情を禁じ得ない。
砂竜が倒れたのでそのまま通り過ぎようとしたところにサリアが待ったを掛ける。
「イオリ、あの砂竜から紅石を回収しても良いか? あれだけの大きさならかなりの物が採れるはずなんだ」
言われて伊織達も紅石が砂竜の身体の中から採取されることを思い出す。
伊織は自分達に必要な分は確保できたと言っていたが、ジュバ族にとっては貴重な資源に違いない。
それに紅石が砂竜の体内にどう生成されるのかにも興味があったこともあり、サリアの申し出を受けることになる。
ルアとジーヴェトを車内に残してブッシュマスターを降りる伊織達。
とはいえ太陽はほぼ真上にある、一日の間で最も気温の高くなる時間帯だ。降りた途端苦しいほど熱せられた空気が全身を包む。
外縁部と比較して明らかに気温が高く日差しだけで火ぶくれが出来そうなほどだ。
砂漠で暮らしているサリアですら一瞬息を詰まらせ、ローブのフードを深くかぶり直す。
「まだ半分しか来てないってのにこの暑さってやばくないっすか?」
「息をするだけで辛いわね」
英太と香澄もウンザリした様子で溢す。
ふたりとももちろんローブの下に保冷剤入りのベストを着用しているし、肌が露出しないように手袋もしている。
それでもおそらく50℃近くに達しているだろう気温では長時間外にいるのは危険だ。
「中心だからここより暑いとは限らないけどな」
伊織だけは飄々とした態度を崩すことなくふたりの言葉にも肩を竦めるばかりだ。
それよりも興味は砂竜にあるらしく、サリアが短剣で砂竜の腹、おそらくは下腹部にあたるだろう場所を割き、内臓を取り出すのを見ている。
「肉を持ち帰れないのは残念だけど、よっと、あった、ここだ」
引き吊り出した内臓から手早く紅石を探り出すサリア。
手にしたのは大人の握り拳の倍ほどもある大きさの赤い石だ。
「……これほどの大きさの物を見たのは初めてです」
「俺もだ。まぁ、こんな大きな砂竜は聞いたこともないからな」
感嘆の声を挙げるジュバ族のふたりだったが、直後、伊織の声が響く。
「下がれ! 新手が来たぞ!」
言い終えるとほぼ同時に倒れた砂竜のすぐ横の砂地が盛り上がり、何かがルジャディの女に向かって伸びる。
「っ!!」
女が短剣を手に振り返るよりも早く襲いかかった影は、さらに早く間に割り込んだ英太が振るった刀の一閃で頭を飛ばす。
「車に戻って! 早く!」
振り抜いた姿勢のまま張り上げた英太の声に、サリアと女が弾かれたように踵を返す。
様子を見ていたのだろう、サリア達がブッシュマスターに近づくと同時にジーヴェトがドアを開けてサリアに手を伸ばし引っ張り上げる。
「ラウラ!」
「っつ!」
続いてルジャディの女、ラウラもサリアとジーヴェトの手を借りて乗り込んだ。
タタタタ、タタタッ!!
香澄が砂地に向けてミニミを斉射しつつ後退する。英太はその香澄を守るように周囲に目を光らせながら背を守っている。
「カスミ……」
ズダンッ! ズダンッ!
サリアの呟きは伊織のデザートイーグルの銃声によってかき消される。
やがて香澄と英太がブッシュマスターに乗り込み、最後に伊織が悠々と戻る頃にはいくつのも砂竜の死骸と薬莢が散らばる以外は何も無い砂地に戻っていた。
結局出現した砂竜は十数匹といったところで、半数ほどは分が悪いと悟ったのか逃げ去ったようだった。
「なんか、すっげぇ光景っすね」
砂竜の襲撃からさらに2日。
途中で幾度か同じように砂竜の襲撃を受けたものの、今度はブッシュマスターを降りることなく軍用車両と上部ハッチからの銃撃であっさりと退けることで特に問題なく進むことが出来ていた。
旅程としては8割ほどの距離を進んだことになるのだが、ここに来て問題にぶち当たることになった。
砂漠を進むにつれて地面の粒子が細かくなって来ていたのだが、200kmほど前から完全な砂砂漠となっていた。
まさにサハラ砂漠でイメージするようなサラサラの砂地がどこまでも続く大地だ。
さすがにこうなると軍用車両であっても装輪式のそれも4輪では足を取られることも多くなる。
相応に運転技術も要するために、それまでは交代していた運転も今は伊織が一人で担っているほどだ。
そうしてここまで来たというわけだが、目の前に広がる光景にさすがの伊織も眉を顰めざるを得ない。
眼前にはまるで広大な湖のように、起伏のない乳白色の大地が広がっている。
といっても水があるわけではなく、砂よりもさらに細かなパウダー状の土だ。
それなのに砂丘のように風で地形が形成されることはなく、ただただ滑らかな平地となっており、車輪がただ乗っているだけで徐々に沈み込んでいくほど柔らかい。
まるで小麦粉の海のようで、砂というよりは液体に近い感触だ。
運転していた伊織がいち早く気付いて戻ったためにスタック(車輪が雪やぬかるみにはまって動けなくなること)することはなかったが、これ以上ブッシュマスターで進むことは出来なくなった。
とりあえず比較的地面が安定している場所まで戻り、こうして状況を確認しているところである。
「伊織さん、車を装軌式に変えます?」
装輪式よりも不整地走破性の高い装軌式車両としてすでに登場しているCV9030への変更を英太が提案するが、伊織は首を振る。
「装軌式でも無理だろうな。あれだけ細かな砂が固まらずに積もってると性質としては液体に近い。だが本当の液体と違ってスクリューで進むのも無理だ」
ああいった性質の砂が自然界に存在しないわけではない。
陶磁器に使われるようなキメの細かな粘土を乾燥させて磨り潰せば同じ物が出来るだろう。
だが通常はあれだけ細かいと周囲の湿気を吸収して固まりやすいためにパウダーの状態で積もることはまずない。それにちょっとした風でも吹き飛ばされてしまうのであれだけの面積を被うということはあり得ないはずなのである。
しかしこの広大なトルーカ砂漠の中心部はどうやらほとんど無風地帯らしく、むしろ中心に向かってゆったりと渦を巻くような風の流れになっているようだ。
だから外縁部から中央部に向かって粒子が細かく軽い砂が集まってああいった地形となったのだろう。
そして伊織が言ったように、液体っぽくても液体ではないので船や水陸両用車のスクリューで進むことも出来ない。
「まぁ、進むってだけなら潟スキーって方法もあるけどなぁ」
「いや無理っしょ!」
潟スキーとは潮の引いた干潟で貝やカニ、ハゼなどを捕る猟師が使うフィンのついていないサーフボードのようなソリのことだ。上に乗りながら足で干潟を蹴って進む事が出来る。
だが当然ながらそんな方法で後百数十kmを行けるはずがない。
普通ならこれで打つ手なしとなるのであろうが、伊織の表情には諦めも悲壮感も浮かんでいない。
「ってことは、また新アイテムっすか?」
「いったいどこまで用意してるんだか」
英太と香澄の呆れた目を余所に、伊織は魔法陣の宝玉を並べ始めたのだった。
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