第95話 ジュバ族の新体制と伊織達のこれから
砂漠の都ラスタルジア。
その都の中を流れるカッレス川の下流側に日干しレンガで作られた真新しい家がいくつも建っている。
位置としてはラスタルジアの外れだが、家々のすぐ側に川が流れており、そこからいくつもの水路が掘られているので、その蒸散作用で周辺の気温はそれほど高くならないようになっている。
井戸もいくつか用意されており、ジュバ族の感覚ではかなり恵まれた立地である。
家の他は石造りの大きな建物もあり、こちらは少し離れた場所にある岩山から伊織によって切り出され、都の住人が総出で組み上げた立派なものだ。
新たに作られたのはこの石造りの建物が3棟と家が10軒。
その区画の入口で、2台の荷車と10人ほどの男女が立ち尽くしている。
似たようなローブのフードをはね除けて露わになった顔立ちを見ると、ほとんどの者はまだ20代くらいだろうか、肌や髪の色からジュバ族ではなく他国出身であることが分かる。
もちろん彼等だけでこんな場所に来たということはなく、すぐ側にルジャディのローブを着た人間がふたりいる。
「おっ、来たか。ここは暑いからまずは建物に入ろうや」
そんな男達が到着するや、さほど待つこともなく伊織が出迎えて石造りの建物のひとつに案内した。
石造りの建物の大きさは某ファストファッションの路面店よりも少しだけ小さい程度。
砂漠では木材は貴重なため素材はほとんど石材で、砂漠の気候に適応するように窓は少なく小さい。
建物の中はいくつかの区画に分かれており、天井はアーチ型の梁を柱が支えるというイスラム建築のような構造になっている。天井はそれなりに高い。
伊織に続いて建物の中に入った男達から感嘆の声が漏れる。
窓が小さいので中は暗いのかと思いきや、壁や天井にいくつも設置されている照明によって屋外と同等とまではいかないが、現代日本の屋内と遜色ない程度に明るさが保たれていた。
周囲を興味深げにキョロキョロと見回す男達に構わず、伊織はさらに奥、この建物のメインフロアというべき場所に進んでいった。
そこにはシラウとラウドの兄弟が待っており、男達の顔を見るとホッと安心したような顔を見せた。
「良く来てくれた。無事に到着できたこと、それから我等の呼びかけに応えてくれたこと、感謝している」
「皆さんの生活はこのラスタルジアを治めるコーリン一族が保証します。
住む家と食料、生活に必要な物は我々が用意していますのでご安心ください」
ラウドとシラウがそれぞれの言葉で彼等を歓迎すると、男の一人、厳つい髭面の壮年の男が一歩前に歩み出て応じる。
「俺達は職人だ。食い詰めてたとはいえ奴隷になりに来たわけじゃねぇ。
砂漠は未開の地と聞いてたんだが、思ったよりもずっと上等な建物が並んでたから驚いている。
……それで、俺達はこの建物を工房として使えば良いのか?」
この新たな区画は砂漠の珪砂を使って作るガラスのための工房と職人が暮らす家を集めた場所だ。
伊織の提案によってジュバ族は鉱物資源の採掘と、砂漠で採れる珪砂を使ったガラス製品を作り、それを南の王国との交易に使うことにした。
とはいえ、ジュバ族にガラスを製造する技術など無い。
伊織が教えるにしてもゼロから試行錯誤を繰り返して作っていったら交易品になるまでどのくらい掛かるかわかったものじゃない。
そこで伊織は南の王国、それもラスタルジアを狙っていたクリディス伯爵領の職人を招聘することにしたのだ。
元々クリディス伯爵領ではジュバ族から買い取った珪砂を使ってガラス製品を作っており、多くの職人を抱えていた。
だが領地の農村を見ても分かるように、領民への税率は高くかなり貧しい暮らしを強いられていた。
当然ガラスの職人も同じで、伯爵に気に入られていたごく一部の職人を除き、最低限の収入しか得られない者が多い。
その中で、比較的若くて腕と才能のある職人をルジャディが調べて接触し、ラスタルジアでガラスを作ることを提案させたのだ。
ルジャディにしても暗殺などという、ある意味後ろ暗い任務よりも同族が豊かになるために動くほうがやり甲斐があるのだろう。さほど時間を掛けることなく十数人の職人が見つかったと報告してきた。
伯爵領に留まっていても先は見えず、為政者に気に入られない限り職人として大成できない場所ではなく、必要な設備と豊富な素材があるというラスタルジアに新天地を求めたということだ。
そしておよそ一月を掛け、荷車に乗せた仕事道具と共にやってきた職人達。
伊織達が車両なり航空機なりを使えば1日で連れて来られるのだが、今回は敢えてそうしなかった。
道中で砂漠の環境の厳しさや故郷との距離を体感しなければ、いざラスタルジアにやってきても後々不満が出てくることになるからだ。
事実、数人の職人が途中で荒涼とした風景と厳しい暑さに耐えかねてラスタルジア行きを撤回した。
もちろんその者だけを帰らせるわけにはいかないので、同行しているルジャディから連絡を受けたラウドの要請で、伊織が職人を回収して伯爵領まで送り届けている。
そうしてやってきたのがこの場にいる10名の職人だ。ちなみに二人ほど妻帯者がおり、妻も一緒に移り住むために帯同している。
過酷な環境を体感しても決意が揺らぐことはなく、工房となるこの建物を興味深げに見回していた。
「我々が望んでいるのはここでガラス製造の技術を確立させることと、それを以降も伝えていくことだ。
そのためにできるだけの事はするつもりだし、ジュバ族の者達を弟子にとってもらいたい」
ラウドが真剣な表情で職人達に語りかける。
今回、ガラス製造の統括と職人達の取り纏めはラウドが担当することになっている。
見通しの甘さと視野の狭さから兄弟間対立を引き起こすことになったラウドはコーリン一族の跡継ぎの座を自ら降りることとなった。
同朋の信頼を失い、コランともども氏族の長達に頭を下げたラウドはジュバ族の一人として同朋のために働くことを誓い、新たに跡継ぎとして指名されたシラウがラウドの失地回復にと、新たな事業であるガラス製造の責任者を要請したのだ。
ただ、ルジャディの総領としての地位はそのままだ。
特殊な技能を有するルジャディを扱うのは長い経験が必要であり、ルジャディからの信任も必要となるが、これは一朝一夕に代わりが務まるものではない。
本来シラウとラウドの関係は悪いものではなかったし、将来的にシラウの子にその役目を引き継がせるための育成を平行して行っていくこととなった。
「異なる土地で生まれ育った我々とあなた方では慣習や考え方が異なることも多いと思う。出来るだけ歩み寄っていきたいと思っているが、不満や困ったことがあれば早めに言ってほしい。
当面は余計な軋轢を避けるために幾人かの世話役をつけるのでその者達と話し合いながら暮らしの基盤を作っていってくれ。そして可能であればこの地で骨を埋めてもらいたいと考えている」
「俺達はあのまま居てもうだつの上がらない生き方しか出来なかっただろう食い詰め者ばかりだ。だが、職人としての腕には誇りを持っている。
先のことはわからねぇが、見せてもらった珪砂を存分に使わせてもらえるならすぐにでも最高のガラスを作ってみせる。それを相応に評価してもらえるなら文句はねぇ」
シラウの言葉に、先程の職人が答えた。
彼等も軽い気持ちでここにやってきたわけではない。
貧しかったということも確かにあるが、それだけで生まれ育った場所を捨て、未開の蛮族と蔑まれていた砂漠の民のところに行こうなどと考えるわけがない。
事前に見させられた質の高い珪砂と燃える石、鉛や銅、マンガンやコバルトなどの様々な金属化合物。
それらの、一介の職人では容易に手にすることの出来ない素材が豊富に使えるという条件がなにより彼等の心を動かした。
蛮族といわれていても、髪や肌の色や体格が多少違うくらいで言葉も通じる。厳しい環境だとは聞いていたが、元々ガラス工房は暑くて過酷な仕事だ。
騙されているかも知れない、全てを失って死ぬかも知れない、それでも賭けてみたいと思ってここまでやってきた。
道すがら同行した案内のジュバ族から話を聞き、良いことも悪いことも率直に話す彼等の為人にも好感を得ていたこともあって、約束された条件が確かであればラスタルジアで職人としての生を全うしたいとすら考えている。
「さて、こっから先は俺の方で説明させてもらう」
一通りの挨拶を終えたタイミングで伊織が口を開いた。
職人達にとって重要なのは職場である工房の設備と素材だ。
それだけに職人達は部屋の一番奥側に造られた炉が気になって仕方がない様子なので残りの話は後回しにして仕事の説明に入る。
とはいえ、ラウドもシラウもガラスに関する知識など持っていないので、この工房や炉、素材の種類や採掘、精製方法はすべて伊織によってもたらされたものだ。
なのでここから先は伊織主導で説明されることになる。
「細かい事は後で詳しく説明するが、見ての通りガラスを作るための炉はこちらで用意した物を使ってもらう。
おたくらの国で使われてる炉とは違うだろうが、使い勝手はこっちのほうが良いはずだ」
そう前置きして設備の説明を進める。
伊織が設計して作らせた炉は近世までヨーロッパで主流だった形状で、石炭や木炭を使用する汎用性の高いものだ。
当然技術が拙いこちらの世界でも保全が出来るような素材と構造になっている。それにジュバ族の若者が中心になって造ったので増設新設することも可能だろう。
職人達もそれが分かったのか、かなり真剣な目で隅々まで炉を観察している。
次いで用意されている素材類も確認させる。
こちらは併設された別棟に素材ごとに保管されている。中には人体に有害な物もあるため管理は徹底されている。
職人達はその原料や素材の量や種類の豊富さに目を丸くし、改めて自分達の選択の正しさを実感したようだ。
特に、鉛や銅、コバルトなどの金属類はガラスの透明度を高めたり着色するためには欠かせない素材ながら、この世界では途轍もない高価なものだ。というか、コバルトやマンガンにいたってはその存在すら知られていない。
基本的には鉄や銅、亜鉛などで着色されるが、その技術はまだまだ未熟でありくすんだ半透明の発色が精一杯である。
その後は石炭の集積場所とその取り扱いについて説明しつつ工房に戻る。
最後に別室に案内された職人達は、そこに並べられていたガラス製品を見てあまりの衝撃に硬直する。
そこはガラス製品を保管できる頑丈な棚が並ぶ部屋で、その中央に長いテーブルが置かれている。
その上には大小、色合い、形状が様々なガラス製品が所狭しと置かれていた。
「こ、これは……」
伊織が見本として用意した地球の伝統的なガラス工芸品。
ヴェネツィア、ボヘミア、チェコ、マルタ、和硝子など、吹きガラスを中心とした美しいガラスに、職人達だけでなくラウドやシラウまでも目を奪われる。
中にはヴェネツィアの秘宝と呼ばれるレースガラスまで取り揃えていたりするのだから無理もないだろう。
「今目の前に並んでいるのがアンタ達に目指してもらう物だ。
まったく同じものである必要はない。だがそれと同等の物を作ることが出来れば大陸でも最高のガラス職人と認められるだろう。
大雑把に技術のレクチャーはするが、そこからは試行錯誤しながら技術を高めていってくれ。材料は全て揃っているからな。ただし段階的にだ。
まずは製品作って王国に売れなきゃ後が続かないからな」
ゴクリと職人達の喉が鳴る。
最高の設備と素材、用意された環境に歓喜すると同時に、示された頂の高さに目眩がする。
と、同時にその目には凄まじいほどの熱意が宿る。
職人としての意地と誇りが目の前の現実を受け入れて高みを目指す気概へと変わっていく。
「……なんとかなりそうだな」
「そうですね。異国の職人を受け入れるというのは不安もありますが同朋が豊かになるために頑張るしかないでしょう」
「すべてあの男の掌の上というのが恐ろしいが、な」
職人達の様子を見ていたラウドとシラウが言い合う。
二人の間にわだかまりは残っていないようだ。
ラウドは跡継ぎの座を降り、代わってシラウがその座についた。
だがもとより彼等に権力欲などというものは無い。互いに同朋が豊かになるためにそれぞれの考えに基づいて行動してきたのだ。
これからジュバ族は新たな体制を構築することになっている。
ここと同様の新しい集落が別の場所でも作られることになっており、そちらには製鉄と鍛冶の職人が工房を構えて鉄製品を作ることになっているし、ルジャディが持っている遠隔地との意思疎通の手段を用いて各氏族との連絡を頻繁に取り合うということも決まった。
各氏族の代表が集まって協議する場も年に一度に改められ、王家から定期的に視察団を受け入れることにもなった。
租税は10年後からジュバ族の産物を現物納付することになり、代わりに王家がジュバ族の自治と領地の保護を保証する。窓口はラスタルジアの長が務める。
ちなみに、トルーカ砂漠と接していたクリディス伯爵領だが、王家の直轄地となったことを知りながら無断で兵士を派遣し、さらにはその兵士4000名のほとんどは砂漠地帯で謎の襲撃によって失われた。生きて伯爵領に戻れたのは500名に満たない数でしかなかった。
伯爵はその罪を問われて身分を剥奪され投獄。関係の深かった貴族家も領地を没収されて王家直轄領となった。
おかげでジュバ族は交易で通行税などを徴収されることはなくなり、交易品も不当に買い叩かれることが無くなった。
まだまだ課題は山積しているものの、ジュバ族にとって当面の問題は解決したと言って良いだろう。
石炭や鉱物資源の採掘と運搬はリュカを責任者として小さな氏族から働き手を数人ずつ派遣してもらい、規定の支援をラスタルジアが行う。
ガラスと製鉄の職人には希望者を中心に弟子入りさせて技術の習得と継承をすることになっている。
このように、最良とまではいかなくも、将来の展望が開けた結果となったわけである。
「んで、結局、どうしてここまで伊織さんが手を貸したんすか?」
なんだかんだでラスタルジアに到着してから2ヶ月近くが経過している。
その間に伊織と英太、香澄がしたことと言えば工房を作ったり井戸を掘ったり鉱山を採掘可能になるまで整備したり各地を結ぶ街道を整備したりという、土木作業ばかりだ。
英太と香澄から見て、オルストや帝国、シャルール王国の時のように伊織が肩入れする理由が分からない。
確かにジュバ族の者達は好感が持てる人柄だとは思うが、そこまで手助けをするほどとは思えないからだ。
なので思い切って英太が伊織に訊ねたというわけだ。
「あ~、リゼに頼まれたんだよ。なんでも、ジュバ族の伝承にかなり気になる点が多いらしくてなぁ。年寄り達から話を集めたいから、その間連中の手助けをしてやってくれ、だとよ」
多少慣れたとはいえ、相変わらずの厳しい暑さに閉口しながら新しい集落の建設進捗を確認しつつ伊織が答える。
日が高くなった今は、作業する者はおらず伊織は断熱素材のローブを頭から被りながら肩を竦めた。
「リゼさんが? 最近ほとんど出ずっぱりだと思ったら」
「まぁ、ルアもシラウの子供達と仲良くなったからな。今もシェルター住宅で遊んでるし。どちらにしてもリゼが満足するまでここから離れられないんだから多少手伝うくらいなら良いだろ」
「……あれで多少の手伝いなんだ」
伊織の返答に呆れる英太と香澄だが、シャルール王国の時を考えればスケールが違うとも言える。
「イオリ、砂漠の中心部に連れて行ってくれない?」
その日の晩餐。
その席で唐突にリゼロッドが言い出した。
「中心部? それって、ジュバ族の先祖が都市を築いてたって場所?」
「なにか面白そうな話があったんですか?」
その言葉に英太と香澄が聞き返す。
シラウの家族達はすでに元の家に戻っているのでこの場にいるのは伊織達だけだ。
ルアはシラウの子供達と遊びすぎて少々眠そうに目を擦りつつパスタを口に運んでいる。
「街の年寄り達から昔の伝承なんかを聞いてたんだけど、どうもその都市が滅びた時期と、オルストやバーラの古代文明が滅びた時期が同じ頃のようなのよ。
それも、オルストだと曖昧な伝承が、こっちだとかなり具体的で整合性も高いの。
それに、以前話したことがあったと思うけど、オルストやバーラで見つかった遺跡の遺物に石化した食事や動物があった。
こちらで語り継がれた話の中に、内戦が激化したとき一部の氏族が全てを凍らせる魔法を使ったという話があるの。
もしそれがオルストで見つかった石化の魔法なら、その時の都市の一部くらいはまだ残っている可能性がある。
砂に埋まってしまっている気はするけど、ひょっとしたらリセウミス期の文明が滅びた理由が分かるかも知れない」
熱意のこもったリゼロッドの主張。
普段はだらしない反面、興味のあることには相当な執着を持つ考古学者気質に伊織達も苦笑いをするしかない。
「そろそろラスタルジアを離れる頃合いだし、別に構わないか。
ルア、シラウの子供達とお別れになってしまうが大丈夫か? なんなら戻ってくるまでここでジーヴェトと一緒に留守番でも良いんだが」
「一緒に行く!! 置いてっちゃやだ!」
伊織の言葉にすっかり眠気が吹き飛んだらしいルアが離されまいと腕にしがみつく。
このところ同年代の友人が出来たことで安心して別行動をとっていたのだが、それはそれで淋しかったらしい。
「俺も問題ないっすよ」
「私も」
「俺に選択権、なくね?」
残りのメンバーの意見もおおむね問題ないようだ。
ということで、伊織達の次の目的地は砂漠の最深部ということになったのだった。
なんだかようやくファンタジーっぽい展開になりそうな予感がしていた。
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