第93話 第3の道
王国北部にあるクリディス伯爵領の村のひとつ。
人口は200人に満たない程度の小さな村の家々や農地を見て回り、エノクに戻ったリュカ達は一様に黙りこくって俯いている。
南の国への移住を主張していたリュカだけでなく反対する立場であったシラウもそれは同じだった。
彼もまた自分達ジュバ族の者達は他国に比べて貧しく、特に小さなオアシスの氏族はギリギリの暮らしを余儀なくされていると思っていたのだ。
ところが実際に南の王国の村人を見ると、まだしも最も貧しいオアシスの暮らしの方がマシなのではないかと思えてならない。
「だが、領主の男は我々に豊かな土地を与える用意があると、それに支援もすると約束していた」
リュカがまるで自分に言いきかせるように呟く。
だがそれを否定したのは伊織ではなくラウドだった。
「奴等はジュバ族を優遇するつもりなど無い。適当な開拓地を押し付けるだけだ。
ラスタルジアさえ手に入れればジュバ族などどうとでもなると思っているようだからな」
リュカが驚いてラウドに目を向ける。
「どういうことだ?! ラウド兄上は同朋の移住に賛同していたではないか!」
ラウドの言葉はこの土地の領主が信用できない相手であることを最初から知っていたということだ。
当然リュカとしては納得できるわけがない。
「奴等の動向は常にルジャディが監視している。移住の話し合いが本格的に始まったときにその事実を突き付ける予定だった。
だがこの村や先程の街を見る限りそれだけでは有利な条件は引き出せそうにない。場合によってはもっと強硬な手段を考えなければならないだろう」
つまりラウドとしてはルジャディの力を背景に領主に圧力を掛けて移住したジュバ族に何らかの支援をさせるつもりだったのだろう。
だがラウドのその言葉に伊織は呆れたように溜息を吐いた。
「あ~、英太と香澄ちゃんはどう思う?」
いきなり高校生コンビに振る。
「俺っすか? えっと、無理じゃないかな、と」
「……ラウドさんが本気で言っているのだとすると、はっきり言って甘すぎるわよね」
年若いふたりにバッサリと切り捨てられたことにラウドが眉を顰める。
「ルジャディの力は南の王国でも恐れられている。いくら武力があろうと全てを防ぐことなどできない。家族や側近を狙われれば要求を呑まねばならないはずだ」
「その考えが甘いのよ。貴族ってのはね、極端な話、家の隆盛にしか興味がないの。逆に言えばその障害になるのならどんな手を使ってでも相手を排除しようとするわ。
今回の場合なら一旦ジュバ族の要求を受け入れてから条件のいい場所を提供して、実際に移住者が来たら兵士が包囲して拘束。その人達を人質にルジャディに命令するようになるでしょうね」
「アンタ達は同族を見捨てられないだろ? 結局なし崩しに他の氏族の人達も人質に取られて都も奪われて、ジュバ族全員が奴隷にされるってのがオチだと思うよ。
こういう姑息な手を使う貴族を相手にするには圧倒的な力を見せつけて、敵対すれば家ごと叩き潰されるか回復不能な損害を受けるって思わせないと」
若いとは言っても英太も香澄もグローバニエ王国で散々貴族のやり口を見てきたし、幾度となく身の危険を感じながらも何とか生き残ってきたのだ。
ルジャディの力自体は警戒されているとしても所詮は数百人程度の部隊など力ある貴族や国が本気を出せば力ずくで磨り潰すことは難しくない。
これまでそうされなかったのは単に労力に対して得られる利益が釣り合わなかったからに過ぎない。
伊織達はこれまでのシラウ達の言葉からそのことを察しており、それだけにあまりに浅い目論見に容赦ない駄目出しをする。
伊織は高校生コンビが冷徹に正しい分析ができているのを見て満足そうに、それもわざとらしく何度も頷いている。
「そういうこった。暗殺や謀略ってのはそれを支える武力がなきゃ大きなことはできないんだよ。ジュバ族は土台が弱すぎるからな」
伊織がトドメを刺すと、これまで見せていた泰然とした態度を見せていたラウドがショックを受けたように黙り込んだ。
「それでは、俺達のやってきたことは同朋を危険に晒すことだったというのか……」
リュカもルジャディの力をあてにする部分があったのか、同様に苦しげに呻く。
「まぁ実際にはあり得ないが、仮に移住が上手く行ったとしても、移住した氏族と砂漠に残った氏族の間には間違いなく溝ができる。それもジュバ族を完全に分断しかねないほど深刻な溝が、な」
さらに重ねた伊織の言葉に、とうとうリュカが癇癪を起こす。
「ではどうしろと言うのだ! ジュバ族はこれから先も貧しく、苦しい生き方を強いられねばならないと言うのか!? 貴様等異国人に小さな氏族やルジャディの苦しみの何がわかる!!」
「リュカ、落ち着け!」
憎しみすらこもっているかのような目で伊織を睨み付けながら声を荒げるリュカをシラウが抑える。
「所詮、俺達は物見遊山で砂漠に来ただけの人間だからな。アンタらがどれほど苦悩してるかなんて知るわけがないさ。
だが、手を貸すつもりが無いんだったらいちいち口を出したりしないぞ。
心配しないでも砂漠には充分にジュバ族が豊かになれる資源が眠ってるし、ラスタルジアを狙ってる連中に手を出させない方法もある」
「「「?!」」」
伊織のあっけらかんとした言葉にシラウ、リュカ、ラウドの3人はギョッとした顔で絶句する。
「……どうりでこの辺の情勢を調べるだけにしてはあっちこっち移動しまくってると思えば」
「まぁ伊織さんだしねぇ。絶対先のことも考えてるとは思ってたけど」
若者ふたりは若干の呆れ顔だ。
「砂漠に、豊かになれる資源、だと?」
「ああ、元々珪砂、白い砂は豊富にあるんだろ? 普通は珪砂ってのは不純物が多いから色々と面倒な処理をして石英を取り出すんだが、俺が見たところジュバ族の白い砂はほぼ純粋な石英の砂だ。
それにアラビス川だったか、その川沿いには淡水性の貝殻が大量に堆積した場所もあった。そいつで炭酸カルシウムを作れるからガラス製造にはうってつけだ。
まぁ他にも色々と見つけたから細かい事は後で教えるが、とにかく多少時間は掛かるがジュバ族が豊かになるには砂漠でしかできない産業を生み出すしかない。
そのための材料はちゃんと持ってるんだから、次に考えなきゃならないのはどうやってジュバ族の土地を守るかだ」
伊織はそう言って悪戯っぽくニヤリと笑う。
「っつーか、伊織さんなんでこんな短期間にそんなに色々見つけられるんすか?」
「これまでに色々やってきたからなぁ。特に鉱山なんかの資源探索は得意だぞ。
そのおかげでたっぷりと金を稼げたから欲しいものを片っ端から買い漁ってたんだからな。まぁそれだけじゃないが」
謎が解明されたようなさらに深まったような……。
英太も香澄もこれ以上ツッコんでも話が進まないので話題を元に戻す。
「でも豊かになったら今度は間違いなくこの国に狙われるわよね? どうするの?」
「守れるだけの兵力をすぐに用意するのは無理っすよね?」
ふたりの言葉に、先程自分の計画を盛大に切り捨てられたラウド達も伊織に視線を集中させる。
そして、注目を浴びたオッサンはというと、実に人の悪そうな笑みを浮かべながら口を開いた。
クリディス伯爵領の中心、クリデリアの領主の館、その執務室で仕事をしていたクリディス伯爵の元に初老の家令が飛び込んでくる。
「か、閣下! た、大変です!」
「何事だ」
家令の慌てぶりに、ただ事ではないと察しながらも冷静に訊ねるクリディス伯。
腐っても貴族の端くれである。周囲に動揺を見せない程度の胆力は持っている。
「そ、それが、砂漠の民が、閣下に話があると、その、見たことのない恐ろしい荷車でやってきて……」
要領を得ない家令の言葉に眉を顰める。
家令は執事とは違い、屋敷の中だけでなく領地運営の補佐も務める。
当然様々な問題処理も仕事のうちであり、少々のことで動じるようでは務まるわけもない。
この初老の家令も長くクリディス伯に仕えており経験も豊富。その男がまともな報告ひとつできないほど混乱しているのが信じられない。
それに、クリディス伯が“砂ネズミ”と蔑んでいる砂漠の民が突然やってきたというのも解せなかった。
砂漠の都とこのクリデリアは片道で一月近く掛かるほど遠く離れている。
クリディス伯爵領と交易しているリュカという男が前回訪れたときからまだ一月半ほどしか経っておらず、このタイミングでの訪問は考えられなかった。
結局何が起こっているのかは実際に見てみるしかないという考えに至り、クリディス伯は護衛の騎士数人を従えて館の門まで出向くことにする。
普段は荷車で通り抜ける石畳を歩いて門近くまで行くと、十数人の衛兵が門の前を固めており、その向こう側が騒然としているのがようやく分かる。
「何があった!」
クリディス伯が衛兵に声を掛けると、彼等は慌てて敬礼する。
「あ、あの、砂漠の連中、あ、いえ、砂漠のリュカという男が来ているのですが……」
こちらでも煮え切らずに言葉を濁す衛兵に痺れを切らし、護衛騎士に指示して道を空けさせる。
「な、なんだ、アレは?!」
門の前にデーンと異様な存在感を振りまいているのは、モスグリーンの塗装が施された鋼鉄の荷車たるパトリアAMVだ。
そしてその前にいるのは砂漠とクリディス領の交易を取り仕切っている砂漠随一の氏族の嫡子であるリュカ。
それに、見慣れない数人の男女の姿だった。
リュカを含めた3人はこれまでにも幾度も見た砂漠の民特有の衣装だが、残りは砂漠の民とも王国の民とも異なる異国風の衣装を身に纏っている。
呆然とパトリアを見上げるクリディス伯の姿を認めたリュカが、ふたりの砂漠の民、ラウドとシラウと共に殊更ゆっくりと歩み寄る。
「クリディス伯爵殿、お久しぶりですね」
リュカの挨拶でようやく我に返ったクリディス伯が何とか表情を繕って引き攣った笑みを浮かべる。
「そう、ですな。次に見えられるまでまだ日があると思っていたので驚いた。
そ、それで、そこの荷車はいったい何なのだろうか、見たところ途轍もない重さがありそうだし、何より荷車を牽くバラジュや馬なども見あたらないのだが」
「この荷車のことはどうかお気になさらずに。今後交易に使う予定もありませんし、今回は取り急ぎ伯爵に会わねばならないので彼等に協力を願っただけですから」
愛想笑いを浮かべる伯爵に対し、リュカは常に無く硬い表情をしていることにクリディス伯の中に得も言われぬ不安が芽生える。
これまでならばリュカはクリディス伯に何とか上手く取り入ろうという思惑が透けて見えていた。
ところが今のリュカにはそんな気配は微塵もなく、淡々とした態度を崩そうとしない。
一緒に居る砂漠の民の影響かとも思えたが、それでもここまで急激な態度の変化に思い当たることはひとつしかない。
ラスタルジアを手に入れるために砂漠の民を移住を餌におびき寄せようとしたことをルジャディが掴んだ、そうとしか思えなかったがそれを確認する事はできない。
「そうか。と、とにかくこんなところで立ち話というのも落ち着かん。中で話を聞こうではないか」
そう言って時間を稼ぐことにするクリディス伯。
そして、護衛の騎士のひとりにわずかに目配せをし、その騎士がゆっくりと目立たないようにその場を離れる。
だが当然ながらそれに気付かないほど伊織達は間抜けではない。といっても特に咎めることはしなかったが。
ともかく、リュカとラウド、シラウがクリディス伯に促されて館の中に入る。そして英太と香澄がそれに続いた。
そのことに怪訝そうな伯爵だったが、ふたりがまだ若い男女でしかなかったためにそれに言及することはなかった。
館に入ってすぐの場所にある応接室に移動し、対面に座ったクリディス伯にリュカは早速本題を切り出す。
「伯爵殿とこれまでに我が同朋を移住させていただく話を進めてきましたが、少々気がかりなことが多く、一旦計画を白紙にさせていただくことにしました」
直裁の言葉にクリディス伯は『やはり』と思いつつも表情に出さないように努めて声を押し殺す。
「……ふむ。何か行き違いでもあっただろうかな? こちらとしてはできる限り便宜を図りたいと思っていたし、現在具体的な移住先も選定したばかりなのだか」
「具体的な移住先というのはどの場所ですかな? ちょうど地図を持ってきているので教えていただきたい」
時間稼ぎの言い訳を繰り出したクリディス伯にラウドがローブの懐から一枚の巻かれた紙を取り出して眼前のテーブルに広げる。
「な?! こ、これは!!」
この世界ではあり得ない詳細かつ正確な地図が描かれた、真っ白で光沢のある紙にクリディス伯が目を剥く。
言うまでもなく詳細な地図というのは戦略物資だ。
どの国でも自国内の正確な地図を得るために多くの人員を割いて作成しているし、敵国の地図は喉から手が出るほど欲している。
それがこうまで無造作に広げられて二の句が継げずに黙り込んでしまう。
もちろんこれは伊織が渡したものだ。色々と調べ回っているついでに作ったらしい。
「貴公の属する王国全土を網羅した物もあるのだが、とりあえずこの領地だけで事は足りるだろう。
さあ、移住の候補地というのはどの辺りなのか教えていただこうか」
ラウドの追及に焦りを見せるクリディス伯。
当然だ。最初からそんなものは無いのだから答えようがない。
しかしそう言うわけにもいかず、苦し紛れにいくつかある比較的条件の良さそうな場所を指さした。
そこにはすでに中規模の村があり、それなりの税収が得られている場所なので決して悪い場所ではない。と、思っていたのだがラウドとリュカは呆れたように首を振った。
「その場所と周辺は先日視察させてもらったが、村人はかなり貧しそうな印象しか受けなかった。農地をそれ以上に広げるには森を切り開くしかなさそうだが、とてもそんな労力は掛けられない。やはり移住は無理だな」
ギリッ。
クリディス伯が奥歯を悔しげに噛みしめる。
領内を砂漠の民が視察して回ったなど、そんな報告は受けていなかった。
この分では間違いなくクリディス伯の計画は筒抜けとなっているだろう。
焦りは人の判断を狂わせる。
だからこそ簡単に本性を現して短絡的な行動を起こさせた。
クリディス伯はおもむろに傍らにあったハンドベルを手に取ると振り鳴らす。
直後、十数人の甲冑姿の騎士が応接室になだれ込んできた。
騎士達はリュカや英太達を5メートルほどの距離で取り囲む。
「つまらんことをグダグダと言いおって! 貴様等は黙って言うことを聞いていればよいのだ!
ルジャディを動かそうとしても無駄だぞ。もし私が死んだとしても我が領の兵はラスタルジアに攻め入ることになっている。
たかが暗殺しか武器のない砂ネズミ風情が、栄えある王国の高位貴族に逆らえるなど思い上が……」
クリディス伯爵の言葉は最後まで続けることはできなかった。
それどころか、囲んでいる騎士達も身動ぎひとつとることができず、今にも崩れそうな膝に必死に力を込めるのが精一杯だ。
その元凶たる2人がソファから立ち上がる。
英太と香澄。
勇者として幾多の修羅場を潜り抜け、伊織によって魔改造を施された若者は歴戦の戦士すら凍り付かせるほどの凄まじい殺気を放ってこの場の全ての者達の動きを止めていた。
その手にはいつの間にか抜き身の刀身と無骨な拳銃がそれぞれ握られている。
とはいえそんなことは関係なく、押し潰されそうなプレッシャーで誰ひとり動くことなどできないのだが。
「あ~、予定じゃリュカさんが伝えるはずだったんだけどなぁ」
「……そういえばそうだったわね。あんまり私達が出しゃばるのも良くないし、この辺にしておきましょう」
英太と香澄がそう言って殺気を引っ込める。
唐突に自由になったとはいえさすがに圧倒的な実力差が分からないはずもなく、騎士達は一斉に英太達から距離を取った。もはやその顔には恐怖しか浮かんでいない。
開放されたのはクリディス伯やリュカ達も同じだが、大きく息を吐いて冷や汗を拭うだけの砂漠の民とは異なり、伯爵の顔は蒼白なままだ。
「ふぅ~……は、話が途中だったな。
コホン。
我等ジュバ族の都ラスタルジアを含む全ての氏族の街とオアシスはタラリカ王国の自治領として正式に認められた。
一定の猶予期間を経た後にジュバ族は租税を納め、代わりに完全な自治権が保証される。
ジュバ族及びその領土は国王陛下直轄の特別自治区と見なされることになった」
この場では一番位の高いジュバ族であるラウドがクリディス伯に宣言し、羊皮紙のような巻物をシラウから受け取って広げて見せた。
「?! ば、馬鹿な!!」
クリディス伯が声を荒げたものの、確かにタラリカ王国の正式な詔書であり、国王の署名と国璽も押されている。
「そういうことで、今後砂漠の民は全てを直接王家と話し合って決定することになる。これまでの伯爵の温情には感謝するが、これまでの交渉は全て白紙ということでお願いする」
そう言ってラウドは立ち上がり、シラウとリュカもそれに続いた。
そして固まったままのクリディス伯爵を一瞥すると応接室を出て行ったのだった。
それを止める者は誰もおらず、騎士達もどうして良いのかと顔を見合わせていた。
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