第92話 オッサン、現実を突き付ける

「パパ~!! お帰りなさい!」

 シェルター住宅の2重玄関を開けるとルアがテテテと駆け寄って伊織に抱きつく。

 最近では少しくらいの時間なら一人でお留守番もできるくらいには伊織を信頼しているルアではあるが、それとは関係なくやはり伊織と離れるのは淋しいらしい。

 こうして伊織が帰ってくると真っ先に出迎えて甘えてくるのだが、伊織もそんなルアが可愛いらしく、優しく頭を撫でて抱き上げる。

 

 ルアよりは遅れたもののジーヴェトとシラウの子供達も後に続いて出迎えた。

 当然ルア以外の子供達はシラウの出迎えである。

 10歳になる長女は少しはにかみながら、他の3人は満面の笑みを浮かべてシラウにまとわりつき、口々にシェルターの中で驚いたことや娯楽室でどんな遊びをしたのかを捲し立てている。シラウもそれを楽しげに聞いていた。

 どうやらシラウはかなり良い父親の顔も持っているようだ。

 

「パパ、あのね、南の言葉、もうほとんどしゃべれるようになったんだよ!」

「おぉ~、頑張ったなぁ。偉いぞ!」

 こっちもなかなかのパパっぷりを見せる伊織もルアの言葉に優しげな笑みを浮かべたまま髪の毛をわしゃわしゃと掻き回した。

 ルアは頭を押さえて逃げるがその顔は嬉しそうだ。

「でも実際、嬢ちゃんはその子達ともう通訳無しで普通に話してるぜ。俺たちゃぁズルみたいな魔法で覚えたのによ」

 ジーヴェトがそう嘆息するように、ルアは西部のオアシスに滞在している間にかなり言葉を覚えていた。

 

 魔法による過剰な負荷を避けるために伊織はルアには魔法による言語習得をさせていない。

 言語習得の魔法は言語提供者の脳にある言語中枢の情報を抽出して最適化し、魔法が指定した相手の脳に伝達、つまりインストールする術式になっている。

 大人ならば魔法適性が低くても激しい頭痛や、最悪でも優先度の低い記憶が欠落する程度で済むが、発達途上の子供の場合脳に悪影響が出かねない。

 伊織の見たところルアの魔法適性は高いようではあるが、それでも万が一を考えて脳に直接影響を及ぼす魔法の行使は避けたのである。

 それに、ルアは地頭がかなり良い。すでに日本語という異世界の言語をある程度習得しているほどであり、多少の時間を掛ければ他の言語も覚えられるだろうという目論見もあった。

 そもそもルアが一人で行動することは無いので、伊織達の誰かが一緒に居れば言葉が分からなくてもそれほど問題ない。

 ただ、ルア自身はそれが嫌だったらしく、かなり熱心に言葉を覚えようと努力をしていた。

 

「パパ、その人だあれ?」

 キャッキャ言いながら逃げ回っていたルアがようやく英太と香澄の後ろに居るサリアの姿に気がついた。

 人の悪意に敏感なルアだったがサリアに対しては警戒する様子は無く、単純な疑問に小首を傾げて伊織に訊ねる。

「シラウの弟だとさ。それと、香澄ちゃんに求婚した恋人候補ってところか?」

「ちょ、伊織さん?!」

「ち、違うわよ!」

 ニヤニヤと人の悪そうな表情でサリアを紹介する伊織に英太と香澄が慌てた声を上げる。

 

「私はコーリン一族の6子でサリアだ。イオリ殿の言うとおり先程カスミに求婚した。

 ってことは、キミと兄妹みたいな関係になるってことかな? よろしくな!」

 紹介を受けたサリアは動じることなく、ルアの前で腰を屈めて目線を合わせてそんなことを言い出した。この令息はなかなかタフなメンタルの持ち主らしい。

「おい、テメェふざけんなよ」

 英太の目つきと口調が厳しくなる。

 まるでいきなり喧嘩を売られたヤンキーのようだ。

「……キミには関係のないことだと思うが? それともキミはカスミの伴侶なのか?」

 英太の喧嘩腰の態度にサリアの口調もトゲトゲがてんこ盛りである。

 そしてつい先程求婚に困惑する香澄に伴侶は居るのかと問いかけ、『は、伴侶?! い、居ませんけど』と確認済みなのだ。

 だからサリアの言葉は英太に対する嫌味だ。

 

「あ゛あ゛ん!?」

「あ゛!?」

 青筋立てながらメンチを切り合う若者ふたり。

「……伊織さん、どうしてくれるのよ、これ」

 恨めしげに睨む香澄の横で腹を抱えて大笑いするオッサン。

 その後ろでオロオロと事態を見守っているシラウの妻達。

 軽くカオスである。

 

 

「さて、んじゃ詳しい話を聞こうか」

 この日も伊織の作った料理を堪能してから談話室に集まった面々を前に伊織が切り出した。

 もちろん全員が入浴済みであり、シラウ達砂漠の民は連日の風呂に困惑と歓喜の声を上げる。特にサリアの騒ぎっぷりはうるさいばかりだった。

 ちなみに英太はすっかりヘソを曲げてしまい、大浴場ではなく部屋にあるシャワーで簡単に済ませていた。

 食事の方は『腹が痛いので簡単に』と言って、ゴールデンな市販ルーを使ったカレーである。

 スパイシーで豊かな味わいは砂漠の民にも好評なようだ。

 

 さすがに表情を改めた伊織を前にして求婚騒動を蒸し返すことはせず、サリアはシラウに視線を向ける。

 当然話というのはコーリンの屋敷での一幕についてだ。

「……以前から私とリュカは意見が対立することが多かったのです。

 リュカの主張はジュバ族は貧しすぎる、もっと豊かになるようにするべきというものです。どうやら南の王国との交易でその領地の街の豊かさを見てそう考えるようになったようですが。

 もちろん私も同朋が豊かになるのは喜ばしいことだと思っています。そのために山岳地帯の部族と交易することを望んでいたのですから。

 ですが、リュカはそのように迂遠な方法ではなく、小さなオアシスの氏族を南の王国に移住させるべきだと主張するようになりました」

 そこまで話してシラウは溜息を吐く。

 

「つっても、実際は小さな集落の長達だって住んでいるオアシスを離れたく無いってのが本音だぜ?

 さすがに西のオアシスみたいに水が涸れちゃどうしようもないけどな」

 どちらかと言えば考えはシラウに近いのか、セリアも呆れたようにそう言葉を添える。

「大きな氏族であれば尚更そうだろう。

 私達は砂漠の民、何百年もトルーカ砂漠の外縁に暮らしています。確かに豊かとは言えない暮らしですが、それでも争うことなく穏やかな幸せを得ながら生きてきたのです。それを捨てて新たな地で新たな暮らしをすることはそう簡単にできることではありません。

 一族の長も同じ考えで、リュカには度々言いきかせているらしいのですが、最近になって長子であるラウド兄上までがリュカの主張に賛同するようになったのです」

 

 シラウの説明によるとルジャディの人員総数は400人ほど。

 その育成と運営はコーリン一族が主体となっているが、ジュバ族の中では豊かなラスタルジアとはいえ、そのすべてを賄うのはかなり負担が大きい。

 なので他の力ある氏族にルジャディを貸し出して対価として物資の拠出を頼んでいるらしい。

 だがそれでも組織を維持するのはギリギリといった状況で、さらに南の王国との交易が近年盛んになってきていることで情報収集により多くの人員を割かなければならなくなっている。

 ルジャディの育成には長い年月と多大な労力を要する。だがこれ以上他の氏族から物資の支援を受けることはできないし、労力に見合わない待遇にルジャディの者達の不満も高まっている。

 このままでは必要な人員を確保することは難しくなり、結果としてジュバ族はより危険な状況に追い込まれかねない。その危機感の表れなのだろうとシラウは推測していた。

 

 伊織がラウドに指摘したように、ルジャディは他国にとって危険であると同時に十分な利用価値のある存在だ。

 その気になれば十分すぎるほどの富をジュバ族にもたらす可能性があるのと同時に無用な敵を増やすことにも繋がりかねない。

 おそらくラウドは南の王国、その北側の領主達に土地を提供させる見返りとしてある程度ルジャディを利用させ、余力ができればルジャディの待遇改善と人員の拡充を行うつもりなのだろう。

 だがそれは伊織から見ればかなり危うい賭の要素を孕んでいる。

 

「なるほどねぇ。

 ルジャディは情報収集能力と暗殺能力に長けているって自信からきた考えなんだろうが、ずいぶんと危なっかしいこった」

 伊織は半ば呆れたように肩を竦める。

 他人事ということもあるが、そもそも伊織からすれば前提条件自体が間違っているのでそれ以外に態度のとりようがない。

「能力自体は高くても、根本的に考えが甘いわよねぇ」

 貴族と身近に接する機会が多く、その気質も熟知しているリゼロッドも同じ意見のようだ。

 日々謀略と陰湿な勢力争いに明け暮れる貴族という生き物を相手取るにはジュバ族は人が良すぎる。

 いくら情報を得ていようと、気がついたらいつの間にか逃げ場を全て塞がれていたと言うことになりかねないのだ。

 

「ジュバ族が貧しいから何とかしたいってのは、まぁ後で考えるとして、とにかくシラウの、そのお花畑に虫が湧いた兄弟達には現実を突き付けるのが一番早いだろうよ」

 シラウとサリアから状況を詳しく聞いた伊織がそう結論を出す。

「現実を突き付ける、というのは?」

「あ~あ、結局余所の事情に首を突っ込むことになったよ」

「まぁ仕方ないんじゃない? それにやっぱり一緒に過ごす時間が長くなれば情も移るから。ルアちゃんもシラウさんの子供と仲良くなったみたいだし」

 疑問符を頭に浮かべるシラウとサリアを余所に、英太と香澄が苦笑を浮かべて頷き合った。

 ちなみに香澄の言葉通り、ルアはシラウの娘達とすっかり仲良くなったらしく、今もジーヴェトを従えて娯楽室でテーブルゲームに興じているはずである。

 

「とにかく、俺達のほうで色々調べて、それからお花虫兄弟を引っ張ってこよう。

 ってことで、護衛とかは英太と香澄ちゃんのほうで何とかしてくれ」

「了解っす」

「はいはい」

 というわけで、しばらくの間、伊織が野放しになることが決まった。

 

 

 

「なんだこれは?! 貴様等、いったい何のつもりだ!!」

 サリアに連れて来られたリュカが伊織達を前に喚き立てている。

 その後ろに居るラウドも憮然とも唖然ともつかない奇妙な表情のまま固まっていた。

 シラウが呼びだしたとなれば絶対に素直に従わないだろうことを見越して、それほど関係が拗れていないサリアがこうしてふたりを『見てほしいものがある』と言って連れてきたのだ。

 場所は伊織が設置したシェルター住宅のすぐ近く。

 この世界の人間が見たら異様としか思えないシェルター住宅に驚く間もなく、そこにはもっと異様なものが鎮座ましている。

 

 日本の新明和工業が開発した、海上自衛隊が世界に誇る飛行艇US-2である。

 四方を海に囲まれた日本で海難救助に特化した水陸両用航空機だ。

 その特徴は何と言っても波高3mの荒波でも着水離水できる耐波性と90km/hという極低速での飛行、長短距離での離着水、4700km以上という航続距離だ。

 そして機内は傷病者の看護ができるように与圧されており、居住性も高い。また、速度も最大580km/h以上と迅速に現場に到着できるように作られている。

 他国の飛行艇と比較して速度、航続距離、離着水距離、耐波性で一線を画す機体なのだ。

 いまだに海上自衛隊以外の販売実績はないはずなのだが、オッサンはどうやって入手したのだろうか、謎である。

 

「まぁそう言うな。どうにも脳内のお花畑が咲き乱れてるらしいアンタ達に現実って奴を見せてやろうと思ってな。

 身柄の安全とラスタルジアへの帰還、その後の自由は保障する。ジュバ族のためにもしっかりと見聞を広げてもらいたい」

 伊織がそう言うと、リュカが口を開く前にラウドが一歩前に出た。

「貴公が何やら奇怪な乗り物で空を飛び、南に向かっていたと報告を受けている。なるほど初めて見るがこれがそうなのであろう。

 今口にしたこと、約束できるのであれば口車に乗ろう。貴公の言う現実とやら、見せてもらおうか」

「兄上?!」

「リュカ、我等は一族のみならずジュバ族全体を考えて行動してきたはずだ。それが正しいかしっかりと確認する必要がある。

 その上でそれでも考えが変わらぬとなればシラウも長も納得するはずだ」

 ラウドがそう言うと、リュカは少し考えた末に小さく頷く。

 

 伊織の先導でUS-2の機体側部の大きなハッチから乗り込むラウド、リュカ、サリア。

「兄上にリュカ、良く来てくれた。言いたいことはあるだろうが、とにかく今は確執を横に置いて共に南の王国の現実を見に行ってほしい」

「シラウ。そう、だな。まずはその提案に乗ろう」

 機内で待っていたシラウの顔を見て驚くふたりだが、すぐに表情を改めて頷いた。

 元々互いが憎くていがみ合っていたわけではなく、ジュバ族の将来に対する見方の相違が確執の原因なのだ。

「シラウはあの男が何を見せようとしているのか知っているのか?」

「いや、私も現実を見せるとしか聞いていない。だから、もし、今日見た上でリュカ達の主張に利と義があるのなら私もこれ以上何も言わないつもりだ」

 リュカがシラウを睨め付けながら問うとシラウは首を振る。

 それを聞いてようやくリュカも肩の力を抜いた。

「……わかった。俺も自分の考えに囚われることなく現実とやらを見させてもらうことにする。その上で間違っていたと思ったとしたら、シラウ兄にも詫びよう。おそらくそうはならないだろうがな」

 しかつめらしくそう言うと、リュカはそっぽを向いて窓から外に視線を向けた。

 

「それじゃぁ、離陸するからベルトをしっかり締めて」

 香澄がそう言いながら機体側面に沿って並んでいるシートに座るシラウ達にベルトを装着させる。

 その際にサリアが何やら囁いていたがそれは香澄は完全スルーすることにしたらしいが、まぁ今回の件には関係ないので割愛する。

 今回US-2に搭乗しているのはシラウ達の他は操縦席に伊織、副操縦席に英太、それから補助要員として香澄の合計7人だ。

 

 今回US-2を伊織がチョイスした理由は南の王国との距離である。

 ラスタルジアから南の王国の北にある街まで荷車で一月近くの距離、つまりおよそ1000kmほどは離れている。

 以前使用したV-22オスプレイでも良いのだが、今回は帰りに少々寄り道する予定なのと、到着先の街の近くには川が流れているということもあってこの機体にしたらしい。

 決して、最近新しい現代機器が登場していないので新鋭機を出したかったからとかいう理由ではないはずだ。

 

 砂漠の外縁部は平坦な場所が多く、整地されていなくてもなんとか航空機の離着陸ができる。タイヤには負担は掛かるだろうが。

 というわけで、一同が乗り込んだUS-2はすぐにエンジンが起動し、離陸態勢に入る。

 飛行機の離陸速度としてはかなり遅いのだが、それでも初めての経験に砂漠の民4人は引き攣ったような声を上げる。

「うわっ、わわわ!」

「くっ、うぅ……」

「すっげぇ! 飛んでるよ!」

 リュカとシラウは悲鳴に似た声を、サリアは窓から見えるどんどん眼下に下がっていく地面に歓声を上げる。

 ラウドは顔を引き攣らせながらも、ルジャディを率いる者のプライドか、歯を食いしばって声を殺していた。

 

 そんな騒動も水平飛行高度まで達すれば落ち着いてくる。

 やがて眼下に見える景色は岩と土、砂ばかりのトルーカ砂漠から疎らな低木地帯を経て緑豊かな森林地帯へと変わっていく。

「こうして見ると、やはりトルーカ砂漠は枯れた大地なのだな」

「ああ、南の王国は川が多く、水に苦労することは無いらしい。だから作物も良く実り飢えることなどあり得ないそうだ」

 率直な感想をシラウが漏らすと、リュカは得たりとばかりに自らが聞いた王国の状況を話す。

「じゃあ、南の王国に住んでる奴はみんな豊かな生活をしてるのか? オアシスじゃみんな苦労して食い物を得てるってのになぁ」

 

 高度が高いため人の姿はおろか家も判別することはできないが、やがて川沿いや森の中に開けた場所がチラホラ見えてくる。

 どれも豆粒ほどの大きさでしか見えずそこが街なのか村なのかわからないが、明らかに自然な情景ではなく人によって切り開かれた場所に思える。

「そろそろ降りるわよ。ベルトは締めたままで、シートから身体を浮かさないように」

 香澄の注意喚起の後、US-2は見る間に高度を下げていく。

 眼下には降りられるような場所は見られず、ただ森が広がっているばかりだ。

「お、降りるとは、どうやってだ?」

「この飛行機は水面に降りられるのよ。だから川ね」

 香澄がそう言うが当然4人には理解などできない。

 だがそもそも空を飛ぶということが理解から外れているので納得するしかない。

 

 それでも森を縦断する川面に真っ直ぐ突っ込んでいくのを見ては緊張を押さえることができずにシートを握り締めて悲鳴を押し殺していた。

 だがその覚悟が拍子抜けするほど滑らかに水面を滑り、US-2はわずかな制動距離で着水した。

 そしてそのまま川辺の砂州になっている場所に設置して乗り上げる。

 砂州の広さは幅50m、長さ200mほどであり、その片隅にはすでに移動用の軍用車両エノクが用意されていた。相変わらずの周到さである。

「んじゃ、時間がもったいないからサクサク行くぞ。乗った乗った」

 伊織にせき立てられUS-2からエノクに乗り換える一行。

 後は陸上移動である。

 

 

「こ、これは……」

 リュカが愕然として目の前の光景に絶句している。

 英太の運転するエノクで向かったのは川縁にある街だ。

 王国北部にあるクリディス伯爵領にいくつかある街のひとつで、人口規模は2000人程度の小さなものだが、中近世然としたこの異世界ではごく一般的な規模の街と言える。

 街には領主の代官が駐在して街と近隣の村を統治している。

 伊織達は街から少し離れた場所にエノクを駐めて、徒歩で街までやってきていた。

 街に入ってすぐ感じたのは不衛生な糞便の臭いと、それに混ざって何とも言えない悪臭だった。

 通りにはチラホラと人が行き来しているが、一様に痩せていて活気はあまり感じられない。

 そしてメインとなっているであろう通りから路地を入ると悪臭は一際強くなり、小さく粗末な家が建ち並んでいる光景が目に入る。

 

 そして路地の隅には老人と見られる男が蹲っておりピクリとも動く気配は無い。

 着ている服は汚い上にボロく、まるで物乞いのようだ。

 リュカはそんな光景を呆然と見ていた。

「あの人は死んでいるのでしょうか」

「一応息はしているみたいだが、あの様子じゃ長くはなさそうだな。っていうか、向こうにも似たような感じの奴が転がってるぞ」

 死にそうな男に、街の者達は誰も手を差し伸べようとしない。

 おそらくはこの街ではありふれた光景なのだろう。だれもが自分達のことだけで精一杯の様子で人を助ける余裕などないのだ。

 

「別にここが特別な場所ってわけじゃないし、あの男が罪人のわけでもない。表の通りはまだマシだが一本裏に回ればこの通りだよ。

 よし、次に行くぞ」

 そう言ってまだ立ち尽くしたままのリュカの襟を引っ掴んで引っ張っていく。

 30分もあれば一周してしまえる程度の小さな街だ。

 一通り見てからまたエノクに乗り込み、今度は近くの村を訪れる。

 どこにでもある農村であり、住民のほとんどは畑仕事で生計を立てる農民が暮らす村だ。

 

 そこも光景としては似たようなものだった。

 今度はエノクでそのまま村の前までやってきたので、数人の村人が伊織達を遠巻きにして見ていたのだが、その身体は痩せた者が多く、誰も彼もが顔に生気が乏しい。

「これが南の国の一般的な街と村の光景だ」

「そ、そんな、バカな。俺が見た街と村はもっと綺麗で人も沢山行き交って活気があったぞ」

 リュカが信じられずに呟く。

 だがそれを伊織はあっさりとぶった切った。

 

「んなもん、綺麗なところしか見せてないだけだろうよ。見ての通り農村や街の平民の暮らしは良くない、というか悪い。

 収穫した作物の大部分は税として接収され、住民は日々の食事を必死の思いで確保してる。

 他にもいくつもの街や村を見たがどこも似たようなものだったな」

「そんな、これではオアシスの集落よりも貧しいようにしか見えない」

 様々な感情が渦巻き、喉がヒリつきそうなほど渇いたリュカが絞り出すように言うと、リュカがようやく本音を口の端に乗せる。

 

「お前さんがこの国にどんな希望を見いだしていたかは知らんが、為政者ってのは統治する場所の住人から収入の大部分を搾取して蔑ろにするもんだ。

 これでもこの国に移住することが正しいと思っているか?」

 

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