第90話 ルジャディの闇

「……っ! シラウ、下がれ!」

 ヒューロンを囲むように現れたのは袖無しのローブを目深に被った10人ほどの人間だった。

 顔は見えないので性別はわからないが背はそれほど高くなく体つきも小柄だ。

 多少の差異はあるがタスバの街で会ったルジャディと呼ばれる者達と同じ雰囲気を持っているのでこの者達もそうなのだろう。

 

 伊織達が気付いたことを知るとルジャディは一気に距離を詰めてくる。

 そして、ローブの下から一瞬何かが光ったのと同時に伊織がシラウに警告の声を挙げる。

「くっ!?」

 ギンッ!

 慌てて身を伏せたシラウの上を何かが通り過ぎ、直後、今度はシラウの顔の前で伊織が振るったナイフが金属音を鳴らす。

 

「投擲武器か。……シラウ、このローブを着てろ」

 伊織が眉を顰めながら自分の着ているローブを脱いでシラウに投げる。

「イオリ殿?」

「投擲武器程度じゃそいつは貫けない。まぁ多少は痛いがそれくらいは我慢してくれ」

 そんな会話をしている間にルジャディは伊織達まで数mのところに迫ってきていた。

「伊織さん、撃退? 殲滅?」

「とりあえず捕縛で。2、3人捕まえたら別に後は逃げられてもかまわないから」

 

 香澄が確認すると、すぐに英太が動いた。

 捕縛となると香澄の得意とする銃器は不向きだ。

 英太は抜いた日本刀の刃を返して迎撃態勢を取る。

 だがルジャディが狙ったのは香澄でも英太でもなく、伊織とシラウの方だ。

「ほうほう、そういうことか」

 とはいえ、この程度でオッサンが狼狽えるはずもない。

 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、向かってきたルジャディのひとりの顔に掌底を叩き込みつつホルスターからデザートイーグルを抜いて発砲する。

 狙いはシラウを狙って剣を抜いたルジャディ、その顔面すれすれの耳元だ。

 伊織のデザートイーグルに装填されているのは.50AE弾。その初速はおよそ450m/s、音速を超える高速の弾丸に耳元を通過されたルジャディはその衝撃で動きが完全に止まる。

 

 その隙に英太が肉薄し横薙ぎに胴を払う。

「ぐあっ!」

 今の英太なら峰打ちでも胴を両断することもできる。だが今回は捕縛が目的なので鋭さよりも重さを重視した打ち込みでルジャディを打ちすえるに留めた。

 投擲武器も通じず、瞬く間にふたりが倒されたのを見て不利を悟ったらしい残りのルジャディ達は、一瞬の躊躇の後踵を返して逃走する。

 敵わないと見るやすぐに切り替えられるのはルジャディが武人ではなく諜報や暗殺を主とする部隊だからだろう。

 伊織もそれ以上追撃しようとはせずにそれを見送った。

 

「あっ! えっ?! ヤバっ!!」

 その直後、英太の焦ったような声が響く。

「どうした?」

「俺が峰打ちしたコイツだけど、死んでる!」

「なにやってんのよ! 強く打ちすぎたの?」

 伊織の捕縛の指示に反して死なせてしまった事に英太が顔を青くする。

 が、伊織はその亡骸を見て首を振った。

「いや、こりゃ毒だな。多分逃げられないとわかってすぐに口に含んだんだろ」

「ちょ、そこまでする?!」

「まぁ諜報や暗殺を主任務にしてるならそのくらいはしてもおかしくないだろ。とりあえず、そっちの奴は脳味噌揺らして意識とばしてるから、猿轡して両手両足縛っておこう」

 さほど気にした風もなく伊織はそう言って英太にロープを用意させる。

 

「さて、襲撃の理由は後で尋問でもするとして、シラウはすぐに家に帰って家族を連れてきた方が良いだろうな」

 突然話の矛先が代わり驚いたシラウは、死んだルジャディから伊織に視線を移す。

「ど、どういうことですか?」

「どうも連中はシラウを狙ってたみたいだからな。それが本命だとすると長の家で俺達を敵視したのも邪魔しそうだからだっていう可能性が出てくる。

 どっちにしても理由がはっきりするまではシラウとその家族の安全を確保しておいた方が安心できるだろ?

 ってわけで、英太と香澄ちゃんはシラウを連れて家族の保護に向かってくれ。あ、荷物持ちにジーヴェトも連れてっていいぞ」

 伊織は英太が持ってきたロープを受け取りながらそう指示を出す。

 ついでに香澄にはレミントンM870ショットガンとテイザー弾を渡した。相手の目的がわからないうちは無闇に殺さないためだ。

 無論優先順位はあるのでできる限りという注釈はつくが。

 

 伊織の警告にシラウは何か思い当たることがあったのか、それ以上の問答をすることなく英太と香澄に頭を下げてヒューロンに乗り込んだ。

 暗殺の成否もわからない状況でいきなり家族を襲うとは思えないが、タスバの街から伊織達の到着よりも先に情報が伝わっている可能性が高いことを考えると、何らかの通信手段を考慮しなければならない。

 であれば行動は早いに越したことはない。

 そして、シラウとその家族程度であれば、今異世界倉庫から出勤途中のシェルター住宅で充分に対応できる。

 現在のところルジャディの狙いがシラウなのか伊織達なのかは判然としないが用心に越したことはないだろう。

 

「にしても、行く先々でトラブルに遭遇するってのはどうにかならんもんかねぇ」

「半分以上はイオリが首突っ込んでるじゃない。それに、この砂漠とジュバ族の言い伝えには興味あるからこの際ガッツリと関わってみたら?」

「パパがすることにまちがいはないの」

 エアコンの効いた車内からクソ暑い外に出たことでウンザリといった表情のリゼロッドと、ちゃっかりと冷凍庫から可愛くない丸坊主のガキのパッケージの氷アイスを持ち出してご満悦のルア。

 二人の様子に肩を竦めつつこの場をリゼロッドに任せ、伊織は拘束したルジャディの尋問に取りかかった。

 

 

 

「わぁ~っ! すごい!」

「きれい~!!」

「美味しそう!!」

 シェルター住宅の食堂。

 この要塞じみた住宅は10畳ほどの大きさの居室が12部屋あり、当然キッチンや食堂もそれに見合う大きさがある。

 一度に20人以上が食事を摂ることができる大きさのテーブルには沢山の料理が並べられ、それを見たシラウの子供達が歓声を上げる。

 

 英太の運転するヒューロンでシラウの家に向かった一行は無事にシラウの家族と合流することができた。

 香澄が周囲の気配を探っていたが、特に監視されている様子は見られなかったらしく、シラウの説明にその妻や子供達も困惑したものの家長の指示に疑問を差し挟むことなく大人しく身の回りの荷物をまとめて英太達に連れられてやってきたというわけだ。

 シラウの家族は妻が3人と子供が4人。

 子供は一番上が10歳くらいの女の子で一番下はまだ3歳らしい。一男三女の、日本人的感覚では大家族だがジュバ族では平均的な家族構成らしい。

 

 シェルター住宅に到着したシラウ達はまず風呂に案内された。

 さすがに男女に分かれてはいないものの、10人以上が一度に入れるほどの大きさの大浴場の浴槽になみなみと湛えられたお湯に驚愕する面々。

 水が貴重な砂漠にあって身を清めるためだけにこれだけの湯を使うというのは彼等の理解を遥かに超えており、当然初めての体験となる。

 とはいえこのシェルター住宅の場合、浴槽の湯は循環浄化されて再び供給されているし、排水も1階部分にある施設で再利用可能になるまで浄化されて飲料水以外の用途として使用されるので実際の水使用量はそれほどでもないのだが、彼等がそれを理解することはできない。

 それでもまず女性陣がリゼロッドと香澄の説明を受けながら入浴し、シラウも英太やジーヴェトと一緒に入るとその心地よさに夢見心地になっていた。

 

 そして、その間に伊織とルアによって食事の準備が整えられてこうしてテーブルに並んでいるというわけである。

 オアシスに滞在している間にジュバ族の食事の好みはある程度把握できていて、それに合う料理、主に地球で世界三大料理の1つと称されるトルコ料理を中心に10種類ほどの料理を用意した。

 他にも数種類のパンや果物の盛り合わせも出されており、まるでパーティーでもするかのような色とりどりで豪勢な食卓となっている。

 子供達だけでなくシラウの妻達も見知らぬ異世界の料理に目を輝かせている。

 

「ここまでしていただくのは申し訳ない気がしてしまうのですが」

「なに、いきなりこんなところに連れて来られたんだ。奥さんや子供達に少しでも寛いでもらわなきゃこっちも落ち着かないからな。

 まずは好きなだけ食ってくれ。細かい話はその後だ」

「伊織さんの料理スキルがバグってるんすけど?」

「知れば知るほど謎が増えるのよね。まぁいちいち驚くのも飽きたけど」

 高校生コンビのぼやきはサラッとスルーして、伊織はシラウ達に食べるように促すと、子供達は年相応の果敢さで料理に手を伸ばし、シラウとその妻達はおずおずと手近な料理から口にする。

 

 香辛料をふんだんに使った肉料理は匂いだけで食欲をそそる。

 本来のトルコ料理はイスラム教の影響で羊肉が中心なのだが、羊は独特の癖があるし宗教的な問題もないので肉は豚と牛が使われている。

 見たことのない料理だったがどうやら彼等の口に合ったらしく、最初のおっかなびっくりといった感じは一口食べた後は笑みを浮かべながら次々と口に運び始めた。

 子供達にいたっては口の周りを盛大に汚しながら我先にと手づかみで料理を口に目一杯頬ばっている。

 英太達も負けじと健啖さを披露しつつ瞬く間に料理は減っていき、テーブル一杯に広げられていた数々の料理は果物も含めて小一時間ほどで綺麗に平らげられていったのであった。

 

 食事を終えると、リゼロッドの案内で妻と子供達が部屋に案内されていく。

 シラウ達には3つの部屋が割り当てられて自由に使うことになっている。

 そして伊織と高校生コンビ、シラウはリビングに場所を移すことになった。

 ジーヴェトとルアは話し合いが終わるまでの間、娯楽室で時間を潰すことになっている。

 娯楽室には映画が観られる大画面テレビや大量のコミック、ビリヤード台、卓球台、各種テーブルゲームなども置かれているので退屈することもないだろう。眠くなればソファーに横になることもできる。

 

 ともかく、リビングに移動すると、伊織が飲み物を用意してからソファーに車座になって座る。

「さて、んじゃそろそろ情報交換と今後の事を話すとするか」

「そうね。とにかく分からない事だらけだからまず情報整理がしたいわよ」

「確かに。今のところ“まだ”伊織さんも特に大きな問題起こしてないのに、いきなり襲われたしね」

「英太君? そろそろ俺は口が軽くなっちゃいそうなんだけど?」

「ちょ、ずるくないっすか?! 貝のように口が堅いってのは嘘っすか?!」

「知ってるか? 貝ってのは熱を加えるとパカッと開いちゃうんだぞ?」

「酷っ!」

「ねぇ、話が進まないからその辺にしてくれないかなぁ」

「「イエッサー!」」

 懐からファイブセブンを抜いた香澄に慌てて敬礼する男2人。

 何をしているんだか、一向に緊迫感が芽生えないのは、まぁ、いつものことか。

 

「あ~、仕切り直してっと、まずシラウに聞いておきたいんだが」

「ルジャディのこと、ですね?」

 今回襲ってきたのはタスバの街でバカ息子の護衛をしていたのと同じルジャディと呼ばれている者達だ。

 伊織の見立てでは戦闘そのものよりも諜報や暗殺に特化した連中ということだが、なぜそのルジャディが伊織ないしシラウを襲うのかがわからない。

「ああ。相手のことを知らなきゃ始まらないからな。話せないこともあるかも知れんが状況を把握するためにもできるだけ教えてくれ」

「……わかりました。ただ、他言は無用でお願いします」

 シラウはしばらく躊躇した様子だったが、それでも今の状況が通常では考えられない事態であることで話す決断をしたようだ。

 

「我々ジュバ族の街は軍隊というものを持っていません。

 もちろん悪いことをする人間がいないというわけではありませんし、南の国からならず者が流れてくることもありますので治安を維持するための警備兵はいますが、それでも他国から街を守るほどの兵士を維持するほどの力は無いのです」

「え? でも、特に南の国が欲しがるような物もほとんど無いし、環境が厳しすぎるから攻める意味が無いんじゃないですか?」

 英太の素朴な疑問にシラウは首を振り、伊織が補足する。

「人の欲には際限がないからな。環境が厳しくても人が住める以上、そこを版図にしようって奴も居るだろうさ。それに他の街や集落はともかく、このラスタルジアは充分に豊かで繁栄しているからな。まともな軍を持っていないのに侵略を受けないのは別の理由があるってことだろう」


「その通りです。

 この都は砂漠にあって水が豊富であり、周囲に大きな農地も持っています。

 だから度々南の国から帰順するように度々要求されてきました。

 ですがジュバ族はこのトルーカ砂漠の外縁に古くから暮らし、そのことに誇りも持っています。

 そこでラスタルジアを治めるコーリン一族は南の国やその周辺国の情報を集め、ラスタルジアを侵攻する兆候が見えたらすぐにそれを妨害する組織を作りました。それがルジャディです」

 シラウが説明を続ける。

 

 自分達ジュバ族の生活が脅かされないようにと組織されたルジャディの主任務は周辺国の情報収集と、ラスタルジアに対する強硬派の排除だ。

 ラスタルジアを含めた砂漠は、国を挙げて侵略するほどの旨味は無い。

 だが、まともな軍を持っていないこともあって、トルーカ砂漠に接する領地の領主や国中枢の一部には少数でも攻めることはできると主張する者も当然居る。

 中には実際に千人規模の軍を派遣しようと具体的に動いた者もいたが、そういった者達の情報をルジャディは集め、場合によっては首謀者やキーマンとなっている者を暗殺することで計画を防いできたのだ。

 やがてルジャディの技術が成熟してくると、周辺国の有力者から情報を求められることも増え、さらには政敵や不穏分子の暗殺という仕事も請け負うようになる。

 

 そしてそうなると国境を接する南の国としてはジュバ族を版図に組み込むよりも、独立した国として利用する方がメリットが大きくなる。

 暗殺という手段は効率がいい反面、外聞が悪く大義名分を得にくい。それに当然恨みも買う。

 それをラスタルジアに押し付けることができれば国としての安定は維持しながら利益を享受することができるというわけである。

 その意味で、ルジャディは2重にラスタルジアを守っていると言える。

 

 ルジャディを構成する人間は、主に貧しい集落が支援を受ける見返りとしてコーリン一族に引き渡された幼い子供を訓練している。

 10年近い年月を掛けて諜報術や格闘術、暗殺術などを叩き込まれ、一人前と認められると周辺国に派遣される。

 そして一定年齢になるとジュバ族の有力氏族の護衛となることが多いのだ。

 タスバの街に居たのもそうした者達であり、彼等は各氏族や周辺の集落に関する情報を収集してラスタルジアに報告する任務も負っているというわけだ。

 

「ですが、近年ルジャディの中に不満を漏らす者が増えているということ聞いています。

 彼等は任務の特性から妻を娶ることも引退前に定住することもできず、全てをラスタルジアに捧げることを強いられていますから。

 自分達がラスタルジアやジュバ族を守っているのに報われることが許されていないことがその理由なのでしょう」

 一通りのことを説明し終えてシラウが口を閉ざすと、伊織は難しい顔で何度か頷いた。

 

「なるほどな。

 んじゃ、次は襲ってきた一人から聞きだした内容だな」

「聞き出せたんですか? 捕まりそうになっただけで自害するような相手からよく聞き出せましたね。

 そういえば、その捕まえた人ってどうしたんです?」

「まぁ、尋問する方法は色々あるってことで、詳しくは聞かないように。青少年の教育にはあまりよろしくないからな。

 で、聞き出したあとは適当にその辺に放りだしたおいた。

 自力で戻るなり仲間が回収するなりしたみたいで、ちょっと前に居なくなってた。

 ……ホントだぞ?」

 香澄と英太のジト目に苦笑を返す伊織。

 実際に伊織は尋問を終えた後は拘束を解いて炎天下の荒野に意識が朦朧としたルジャディを放りだした。

 慈悲深いんだか薄情なんだかわからない。

 

「そ、それで、何かわかったんですか?」

 シラウが落ち着かない様子で先を促す。

「ああ、連中の狙いは西部の街道を整備して山麓の部族と交易を進めようとしているシラクの方らしい。

 といっても詳しいことまでは知らないようだったが、同時に西部の集落に新しいオアシスを探して引き渡した俺達のこともかなり警戒してるのも確かだな。

 それに、この件にはシラウの一族の誰かも絡んでる。心当たりは無いか?」

 伊織がそこまで言うと、シラウの顔色が変わった。

 

「ま、まさか、いや、しかし……」

 どうやら心当たりが無いわけではなさそうだ。

 

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