第85話 久々の魔法と紅石

 異世界の砂漠地帯を3台の車両がゆっくりとした速度で進んでいる。

 先頭を走っているのは荷台部分が幌の普通の2tトラックだ。その後ろを荷台に大きなタンクを載せた1tトラック、最後尾がヒューロンAPC。

 2tトラックの荷台には10人ほどの全身を覆うフード付きのローブを被った人間が乗っている。

 運転しているのはオッサン、伊織である。

 

「もうすぐ、村、ある、見える」

「そうか、ああ、木が見えてきたな」

 助手席に座っているのは前回伊織達と話をしていた女性であり、今はフードを下ろして素顔を晒している。

 年の頃は40代半ばくらいだろうか。褐色の肌に黒に近い茶色の髪を結い上げていて面差しは彫りが深く目鼻立ちははっきりとしている。

 現代日本人の基準からするとかなりの美形といえるだろう。もう少し肌を整えてメイクを施せば美魔女ともて囃されそうである。……最近は美魔女という言葉を聞かなくなったが。

 

 伊織達は結局女の頼みを引き受けることにした。

 代わりの水を用意したとはいえ、苦労して運んでいた水瓶を駄目にした罪悪感があったし、周辺地域に関する情報収集もしたい。そしてなにより砂漠の民族やオアシスに興味があったからだ。

 言葉が異なるらしい砂漠の民と話をするにも多少なりとも言葉を知っているこの女性が居た方がスムーズに運ぶだろうという計算もあり、伊織達は彼女らのオアシスに向かうことになった。

 だが当然徒歩の彼女たちの後をヒューロンで付いていくのは時間が掛かる。

 それにさすがに灼熱の砂漠を水瓶を運びながら歩く彼女らを空調の効いた車内で見ているというのは気まず過ぎる。

 オアシスまではまだ半日近く掛かるということなので、伊織がもう一台トラックを出して乗ってもらうことにしたのだ。

 

 彼女たちが運んでいた水瓶は割れないようにクッション材で覆って同じ荷台に固定し、幌は左右と後ろは捲り上げられているので覆っているのは上側だけだ。

 これは自動車など見たことのない彼女たちが必要以上に不安を感じないようにするために伊織が気を使った。

 そして速度も15km/hほどとかなりゆっくりとしたペースである。その気になれば飛び降りて逃げることができるというのも安心感に繋がったのか、今のところ驚きはしても過剰に取り乱したり警戒したりはしていないようだ。

 ただ、言葉が通じる女性だけは道案内のために助手席に乗ってもらっている。

 ファーラと名乗ったこの女性は先代の長の妻という話だった。

 最初は緊張と警戒心がかなりあったようだが、エアコンから吹き出てくる冷風に驚き、シートの座り心地を飛び跳ねながら確かめ、パワーウインドウを玩具のように何度も動かしたりと、まるで子供のように表情をコロコロと変えながら堪能していた。

 

 そうして進むことおよそ1時間。

 オアシスを中心とした村に到着した伊織達は村から300mほどの距離で車を停める。

 先代村長の妻が一緒に居るとはいえいきなり部外者を村の中に入れることはできないので現在の長に経緯を説明に行くためだ。

 トラックの荷台に乗っていた村の者達も降りて水瓶を運んでいく。もちろん伊織が用意したポリタンクもだ。

 予定外に早く、それも幌の屋根で日差しが遮られていたので彼等からすればかなり楽に帰ってこられたようで、最初の警戒心はどこへやら何と言っているのかわからない言葉で口々に伊織達に、おそらく礼を言って戻っていった。

 

 しばらくして、ファーラが数人の男達を引き連れて伊織達のところに戻って来た。

 そしてすぐ後ろにいた人物が一歩前に出る。

「―――、――? ――――!」

「長、話きいた。水、欲しい、が、信じ、すぐ、できない」

 ファーラが通訳してくれたことによると、要は確かに水は欲しいが簡単に伊織達を信用することはできないと言いたいらしい。まぁ当然のことである。

 裕福な村には見えないが、それだけに得体の知れない乗り物に乗って来た見たことのない者達を簡単に信用するような人間に長など務まるわけがない。

「当然だな。俺達はこの辺に来るのが初めてだから知らないことが沢山ある。だから砂漠に住む人達の事や大きな街のことを聞きたい。それと、対価としてそちらが出せると言った紅石? それも少し見せてもらいたい。

 村に入るなというならそれでもかまわないから、入れ物があるなら必要なだけ水を提供しよう」

 伊織がそう言うと、ファーラがそれを長に伝える。

 

「水、買いたい。対価、足りない、人、売らない」

「いやいや、村人売るとか言われても困るから!……そうだな、俺達はそっちの言葉がわからない。言葉を覚えるための魔法があるんだが、それに協力してくれないか? もちろん安全は保証するし、先に水を欲しいだけ渡そう」

 その言葉もそのまま長に伝えられたようで、長の男はしばらく考えてから頷いた。

 そして一緒に来ていた者達に何事かを指示すると彼等は走って村に戻っていく。

 しばらく待っていると、村人達が大勢大小様々な大きさの木樽や水瓶、鍋などを次々に持ってきた。

 村人は100人ほどだろうか、小さな子供までが瓶や壺を手に集まっている。

 

「こりゃぁ今積んである分じゃ足りないな。英太、とりあえず順番に入れていってやってくれ。別のを出してくるから」

「ういっす!」

 伊織は英太に指示してから再び魔法陣を開く。

 やはり村人達は驚いたようだが、来る前にも見ていた村人達が声を張り上げて落ち着かせているようで、最初の時ほどの動揺はない。

 ともかく、100名からの村人が持ち寄った容器の数々である。

 1tトラックに乗る程度の水タンクは見る間に減っていき、残りがわずかとなった頃、異空間倉庫から別の車両、それも大型のステンレス製液体運搬車両がゆっくりと出てくると、その巨大さにさすがに悲鳴に似た響めきが漏れる。

 容量は10,000L。

 村の全ての容器を満たしても十分な余裕があったのだった。

 

 

 その後、伊織達は村の中に招き入れられることになった。

 貴重な水を大量に提供した恩人ということもないわけではないだろうが、砂漠を難なく走り抜ける車両や信じられないほど清浄でしかも大量の水を持っていること、異空間倉庫などの魔法を見て、もし伊織達に害意があれば小さな村など警戒するだけ無駄だという諦めに近い。

 そうして村の中に入った伊織は、さっそく村の中心部にある泉の近くの小さな広場のような場所を借りて地面に魔法陣を描きはじめた。

 直径が2mほどの円を縦横に並べ、それをさらに大きな円で囲む。

 さらにその周囲に複雑な文様や文字のようなものをビッシリと特殊な顔料で描いていく。

 かなり特殊な術式なのか、リゼロッドは興味津々という表情で魔法陣を観察していた。

 

「よし、完成っと! んじゃ頼めるか?」

「……安全、絶対? 一族、大事」

 心配はすれど約束は約束だ。伊織が安心させるように笑みを浮かべながら頷くと、一層表情を硬くした一組の男女がおずおずと歩み出る。

「伊織さん、なんか微妙に笑顔が悪そうっすよ」

「酷っ! いや俺も久々の魔法だし? ようやくちゃんと会話出来るようになるし? ちょっと、いや、ほんのちょっと楽しんでるのは否定しないけど?」

「だから胡散臭さが増量されるんじゃない。周りの視線が痛いから早く終わらせましょうよ」

「イオリ、後でその魔法教えてよね」

「と、とにかく! アンタらは一人ずつそっちの円の中に座ってくれ。

 んで、香澄ちゃんとリゼはそっちの円、英太とヴェトはそこだ」

 誤魔化すように言って円の中に追い立てる。ルアだけは少し離れたところに停めたヒューロンの中でお留守番である。

 

「コホン! んじゃ始めっぞ!

 ……――――、――――――――、―――――――………………」

「くっ……」

「うぅっ!」

「なんだコレ、い、痛ぇっっっ!!」

 伊織自身も英太とジーヴェトのいる円に入り、呪文の詠唱を始める。

 と、キィィンという耳鳴りと脳に何かが強引に入ってくるような痛みが英太達に襲いかかる。

 どうやらこの状況は村人2人には影響していないようで、それも伊織と香澄は微かに顔を顰める程度、リゼロッドは一瞬呻き声をあげ、英太は痛みを堪えるようにこめかみを押さえる。ジーヴェトにいたっては蹲って大声で泣き言を叫んでいた。

 どうやら魔法の素養が高いほど耐性が高いようだ。

 そして、2、3分ほどそれが続き、唐突に治まった。

 

「おしまいっと! あ~、あ~、とりあえず協力してくれてありがとう。俺の言っていることわかるか?」

 印を結んでいた手を解き、大きく息を吐くと肩をグルグルと回しながら伊織がこれまでとは異なる言葉で話し出す。

 周囲で見守っていた村人達が響めき、円に入っていた男女も驚いたように顔を見合わせる。

「ん? 通じてるんだよな?」

「は、はい、わ、わかります。あの、あっしらは別に何ともなかったんだけど、こんなんで言葉がわかるようになる、ですか?」

 伊織はその問いには直接答えず、村人に手を差し出して立ち上がらせるとヒューロンの車内でこちらを伺っていたルアに手招きした。

 すると扉を開けたルアが飛び出してきて伊織に抱きついた。

 

「何かすっごい変な感じ。もの凄い勢いで頭の中に言葉の渦が流れ込んだみたい。それにちゃんと大陸西部の言葉と区別して理解できるってのも気持ち悪い。

 ねぇ伊織さん、この魔法ってひょっとして召喚され後、グローバニエの馬鹿騎士団長に掛けた魔法と同じもの?」

 香澄は、伊織がグローバニエ王国に召喚された時、最初伊織が言葉を理解できていない様子だったのを思い出していた。

 そして後日になって召喚の魔法陣には言葉を理解させたり魔力を付与したりという効果が加えられていたこと、伊織に関してはその影響を受けていないことを聞いている。

 つまり伊織はあの召喚場所で危害を加えようとして投げ飛ばされた騎士団長から大陸西部の言語知識を吸収したというわけで、未知の言語を習得するということから今回の魔法も同じようなものなのではないかと考えたのだ。

 

「お~、よく憶えてたな。基本的には同じだが、アレは術者だけに適用される簡易版だからな。こっちが正式な術式だ」

 そんなふうに香澄やリゼロッドに魔法の説明をしながら地面に描いた魔法陣を消していく。

 再利用できないタイプの魔法陣なのだが村の中にこんなものがあっては村人は落ち着かないだろう。

 その間に英太とジーヴェトはファーラにこの周辺のことや砂漠地帯に住んでいる人達の風俗などの聞き取りを始めていた。

 聞く内容は予め香澄が英太に伝えているし、ジーヴェトもなかなかそつがないので問題ないだろう。

 

 

 

「あなた方には感謝している。ささやかだが歓迎の宴を催したい。受けてもらえるだろうか」

 魔法陣を消し、ある程度の聞き取りを終えた伊織達は、オマケとして水の入った20Lポリタンクを20本と災害物資用の飲料水を提供してから異空間倉庫にトラックを回収した。

 遺跡をそのまま使っている街の場所なども聞くことができたので伊織達としてもそれだけの価値のある取引だったということらしい。

 そうして後は挨拶だけという時にファーラと長の男がそう声を掛けてきた。

 

「いや、こちらも言葉を覚えることができたし必要な情報が得られたからな。礼には及ばないが、ただ、断るのがあなた方の習わしにそぐわないというのなら受けるが」

「我ら砂漠に生きるジュバ族は受けた恩を返さないのは許されない。もたらしてくれた水で我らは当分命を繋ぐことができる。

 とても返しきれないが、せめてもの心づくしを受けてもらえると嬉しい」

 友好的な言葉と内心を伺わせない仏頂面という奇妙な組み合わせで言う長に、伊織は気にした風もなく頷いた。

「あ~、なんかデジャビュ」

「このパターンって絶対面倒ごとが降りかかってくるわよね」

「そう言うなって。断るのは簡単だけど、風習を蔑ろにするともっと余計なトラブルを招くことになるからな。それにこういった環境で暮らしているせいか警戒心の強さと人の良さが奇妙なバランスで成り立ってるみたいでなかなか面白いぞ」

 

 結局のところこのオッサンは好奇心の赴くまま行動するのである。

 そして質の悪いことに、その結果何らかの問題が降りかかってきたとしても力尽くで粉砕できるだけの実力があるので尚更遠慮がないのだ。

 それでも英太や香澄の意思を無視することはないし、伊織の好みというのもそれほど二人とかけ離れてはいない。

 まぁ、止めることを諦めている部分がないわけではないが。

 リゼロッドにしても研究者という職業柄、同じく好奇心の塊でありどちらかと言えば伊織側の思考だし、ルアはそもそも伊織達と一緒にいられるなら不満は無い。

 気の毒なのはジーヴェトであるが、そこはそれ、好きこのんで付いてきたのだから諦めるしかない。

 

 砂漠の昼間は灼熱の世界である。

 それでもオアシスの周辺は通常ならば水が蒸発することで潜熱が失われ涼しくなるものだ。だがこの村は泉の水量が少ないため日暮れ近くなっても気温は高いままだ。

 完全に日が沈むと今度は放射冷却でどんどん気温は下がっていき、明け方近くには氷点下にまでなる。一日の気温差が50℃以上という過酷な環境だ。

 伊織達の歓迎の宴は太陽が地平に沈み、空にわずかな赤みが残る頃に泉脇の広場で始まった。

 周囲には篝火が焚かれ、広場には幾枚もの絨毯のような布が敷かれている。

 椅子などはなく布の上に直接座って大きな木皿に盛られた料理を食べるらしい。

 この場にいるのは30人ほどの村人と長、ファーラ、それから伊織達だ。

 

「これより歓迎の宴を始める! 我が村に貴重な水をもたらしてくれた客人に感謝を!」

『感謝を!!』

 長に続いて村人が唱和し、それを合図に料理の載った木皿が運ばれてくる。

 伊織達の手には赤みがかった琥珀色の液体が入った器がある。砂漠では一般的に飲まれているワインのような酒らしく、酸味は強いが酒精は弱いようだ。

 ただリゼロッドの口には合わなかったようだが、それでも嫌な顔をするほど狭量ではないので勧められるまま口を付ける。

 英太と香澄、ルアは「酒は飲めない」と言って自前のウーロン茶を飲んでいる。

 

 そんな彼等の元には村人達が入れ替わり立ち替わり訪れて水の礼を告げていく。

 その都度酒を注がれるのだが、伊織は嫌な顔ひとつせずに笑みを浮かべて一言二言言葉を交わして飲み干していった。

「うわっ、コレってトカゲ?」

「そっちのはヘビみたいね。やっぱり砂漠だとこういった食事になるのね」

「でも割と美味しいわよ? こんな環境じゃそうそう家畜も増やせないし仕方ないんじゃない?」

「軍の糧食よりゃよっぽどマシだぜ? それほど豊かじゃないみたいだし、これでも精一杯の歓待なんだろうよ」

 大陸西部の言葉で感想を言い合いながらもせっかくの心づくしを無にすることはなく食べる。

 料理そのものは素朴というか、簡素なものばかりだ。

 砂漠に生息するトカゲやヘビを塩で味付けして焼いたものや芋類を煮たもの、薄く焼いたナンのようなパン状のものなど、味付けは塩のみという素朴さだ。

 

「すまぬな、客人を満足させられるようなものではないのだが」

「いや、コレもまた砂漠の民の料理だろう? 気持ちだけでもありがたいし、それにそれほど悪くない」

 一通りの挨拶が終わったのを見計らって長が庵の向かい側に腰を下ろして頭を下げた。

「それより、随分と泉の水が少ないようだがこれは季節に関係するのか?」

 器を傾けながら伊織が訊ねる。

 村人達は伊織達が持ち込んだ水を確かに喜んでいるのだが、その表情にあまり明るさがないことが気になっていたからだ。

「……いや、半年ほど前から徐々に泉の水が少なくなってきたのだ。今では飲むことができないほどになり、女達が山まで行って水を汲んできている」

 少し躊躇したようだが、秘密にしたところで意味がないと思ったのだろう、思いの外あっさりと長が事情を話し始めた。

 

「それって、泉が涸れかけてるってこと?」

 思わず英太が聞き返すと、長が頷く。

「それまではどれほど汲んでも尽きぬほど豊かな水が湧き出していたのだ。だが突然新たな水が湧かなくなってしまった。

 それも近くの村のほとんどの泉で同じように水が湧かなくなってきているらしい。

 色々と調べたり占ってみたのだが理由はわからないままでな」

「それでファーラさん達が水を汲みに行ってたんだ」

「うむ。だが山の近くには毒虫や砂狼がでるし水場の水はあまり綺麗ではなくてな。困っていたのだ」

 会話しているうちに長の表情はどんどん厳しいものになっていく。

 それだけ深刻なのだろう。

 

「周辺全部のオアシスが干上がるなんてことあるんですか?」

「まぁ色々な原因でそうなることはあり得るが、周辺のオアシスがほぼ同時にってことなら多分水脈が移動したんだろうなぁ」

 香澄の疑問に伊織が答える。

 その言葉に反応したのは長の方だ。

「どういうことだ? 言い伝えでは遙かな昔にも同じようにいくつもの泉が涸れ、我らの祖先は長く旅をして新たな泉を見つけたと言われている。それと同じ事がまた起こったというのか?」

「そいつはわからん。

 そもそも水脈ってのは地面の下を流れる川だ。上流の方で地震があったりして地形が変われば地下の水の流れも変わってしまう。

 その変わった場所が遠ければそれだけ下流側の広い範囲で影響が出るだろうな」

 

 そもそも湧き水というのは地下を流れる水が圧力を受けて地表近くまで運ばれる現象のことだ。

 水脈は粒子が細かく水を通しにくい地層の上を砂などの水を通しやすい地層や空洞を水が川のように流れていっている状態だ。

 地域にもよるが特にこの砂漠地帯のように西側の山脈で積もった雪解け水が地下に染みこんで固い岩盤の上に積もった砂の層を、比較的抵抗の少ない箇所を選んで流れていくことが多い。

 だが山脈の雪解け水が流れ込む場所に異変があったり、地殻変動などで帯水層の高さが変わったりすれば簡単に流れも変わってしまう。

 原因を特定することは現代地球の科学力でも困難だし、元に戻すことはほぼ不可能だ。

 

「そう、か。やはりもはやこの泉は捨てなければならないか」

「他のオアシスを探せないの?」

「我らの祖先がこの泉に辿り着いたときには民は半分以下にまで減ってしまったという。私は一族のものにそんな苦難は味あわせたくない。だが、このまま住むことができないとなれば……」

 そう言って瞑目する長の顔には諦観とも慚愧ともとれる複雑な表情が浮かんでいた。

 こうなると部外者でしかない英太や香澄に言えるようなことはない。

 

「ところで、最初に水を売って欲しいと言われたときに紅石とかいうのがあるって聞いたんだが、どんなものか見せてもらって良いか?」

 話題を変えるためか、伊織が殊更明るい口調で長に尋ねた。

「あ、ああ。そうだな、時折訪れる行商人が買い取っていく石だが、砂竜という生き物の身体から採れるものだ」

 長の説明では、砂竜というのは地面の下に棲む目のないヘビのような生き物で、時折水場に現れては人を襲うらしい。

 体長は人の倍ほどもあり力が強いので砂竜という名が付いているそうだ。

 動きはそれほど速くないので不意を突かれなければ逃げることはできるらしいのだが、砂漠では貴重な食料として狩ることもある。

 その時に身体の中から見つかる石が紅石と呼ばれる透明感のある赤い石だそうだ。

 長に指示されて若い女性が植物を編んだ小箱を持ってきて渡す。

 それを開けて中から親指大の石をいくつか取りだして伊織に渡した。

 

「異国の者に価値があるかわからんが、そんなもので良ければまだいくらかはあるはずだ。最近は行商人も来ていないからな」

 そんな長の言葉が聞こえているのかどうなのか、伊織はそれを手にした途端に真剣な目で紅石を角度を変えたりライトを当てたり、挙げ句はどこから取りだしたのかルーペまで使って観察する。

 そして、実に機嫌良く笑みを浮かべた。

「なぁ、ひょっとして近くの泉に住んでる連中もこの紅石持ってるのか?」

「あ、ああ、我々には行商人に売れるようなものは少ないからな。砂竜は狩っているはずだから保管していると思うが」

 それを聞いて無言のガッツポーズをする伊織。

 

「ありったけの紅石と引き替えに、俺達が新しいオアシス、探してやろうか?」

 そんな提案をするのだった。

 

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