第78話 決戦準備

 大陸北西部は地球でいえば北欧に近い気候の地域であり、冬は長く厳しい反面南側にある山脈から数多くの川が流れ込んでおり、地熱の影響なのか真冬でも凍り付くことはない。

 なので真冬は流氷で閉ざされる沿岸部よりも内陸部の方が発展しており、その気候にもかかわらず食料の生産も盛んだ。むしろ大陸西部よりも豊かといえるかもしれない。

 

 その大陸北西部の中、南東部の内陸にある国がドゲルゼイ王国だ。

 いくつもの鉱山と肥沃な農地をもつが、元々は中堅的な規模の国でしかなかった。

 歴史はそこそこ古く、豊かではあったがそれだけに封建的で腐敗も蔓延していた。

 権力構造は硬直化し、王族や高位貴族はその地位に胡座をかき下級貴族や役人は賄賂なしでは指一本動かすこともしない。

 食料生産が豊かなだけに暴動が起こるほど不満が溜まることこそなかったが閉塞感に似た空気が国全体を覆っていた。

 現国王であるドルヴァン・ビス・ゴルーザが生まれたのは王家の傍系にあたる侯爵家の3男としてだ。

 

 王家の血筋とはいえ傍系の、それも3男ともなれば硬直したドゲルゼイでは身を立てることも難しい立場でしかない。

 精々が騎士か官吏としてうだつの上がらない生き方しかできないだろう。普通なら。

 だがドルヴァンは生来頑健で大きな体躯を持ち、学問の分野でも高い能力を持っていた。そしてそれ以上に強い野心を抱いてもいたのだ。

 ドルヴァンは15歳で成人と認められると騎士団に入り、その才覚でもってわずかの間に頭角を現すと、周辺国との小競り合いで武勲を重ねる。

 同時にその時の王家や高位貴族による絶対支配に不満を抱く下級貴族や武官達を取り込んでいき、25歳の時に行われた国王の生誕祭の場でクーデターを起こした。

 祝賀会が行われた王宮の広間を急襲し、その場に居た王族や高位貴族達を次々に殺害して王位を簒奪したのだ。

 まったくの想定外の出来事であり、貴族家の当主や跡取りを軒並み殺された高位貴族の家はまともに抵抗することもできず取り潰され、接収された財貨はドゲルゼイ王国の税収数十年分にも及んだ。

 今から15年ほど前の話だ。

 

 その後ドルヴァンはそれらの財貨を惜しむことなくつぎ込み軍を拡充、再編していく。

 それまでは偵察や支援に使われるだけだった飛竜を大量に捕獲、育成して部隊を作り、徴兵なども行って軍備を拡張。王国の全人口の2割を超える兵士を抱える異様な軍事国家としてドゲルゼイは生まれ変わることになった。

 そしてドルヴァンが王位について2年後にはついに周辺国への侵略を開始する。

 通常人口における兵士の割合は多くても2~3%程度であり、それ以上は生産能力からして維持することができない。

 ところがドゲルゼイは接収された財貨を使って食料や物資などを買い集めることで短期的にではあるが膨大な兵士を養うことを可能にしていた。

 

 当然周辺国にそれほどの軍に対抗できるような力はなく、瞬く間にドゲルゼイは周囲の国々を併呑していった。

 侵略された国の民衆は奴隷と同じような扱いを受け、全ての富は奪われ、ただひたすら搾取されるようになる。

 そしてそこで得た富でさらに軍備を拡張させ、また侵略を行うという古代ローマ帝国も真っ青な侵略と拡大の歴史を辿っている。

 その結果、ドゲルゼイの本国の民衆は全てにおいて優遇され豊かな暮らしを享受する一方、侵略された国々の民衆は家畜のような生き方を余儀なくされている。

 それ故に国王であるドルヴァンは憎まれ、恐れられる一方で本国の民衆からは絶大な支持を得ているのだ。

 

 そのドルヴァンが座すのがドゲルゼイ王国の王都、ドルビスにある王城だ。

 ドゲルゼイの長い歴史の中で貯め込んだ財貨を惜しみなくつぎ込んだ絢爛たる城であったが、ドルヴァンが主となってからは年を経る毎に華麗さよりも無骨さで化粧されていっているようだ。

 この世界の多くの国でそうであるように、ドルビスにおいても王城は王の住まう居城であると同時に行政府であり、軍の本拠地でもある。

 その王城の一角、行政を司る場所で官吏の取り纏めを任されている男が報告を聞いて怒声を上げる。

 

「シャルールに行った使者が戻らないとはどういうことだ!」

「そ、それが、遅くとも6日もあれば行き来できるはずなのですが、出立して10日も過ぎているのにいまだ戻っておらず。

 お、おそらくは降伏を拒否したシャルールの者共に拘束されたかと」

 報告した男はそれ以上取り纏めの男の怒りを買わないようにか、言葉を選びながらおずおずといった様子で続ける。

 だがそれでも男の怒りは収まる様子は見せない。

「馬鹿な! 古いだけで大した兵力も持たぬ小国がそのような真似をできるはずが無かろうが! ましてや8騎もの飛竜部隊が一緒だったのだろう」

「し、しかし! 使者が戻ってきていないのは事実です。ましてや使者だけでなく部隊の者も誰ひとりとして帰ってきていないのですから。それに、辺境を襲っているはずの部隊も戻らないとなればシャルールの奴等が何かしたとしか」

 

 報告の男の反論に、取り纏めの男は口を噤む。

 降伏を確実なものとするためにドルヴァン王の命令でシャルール王国の辺境を荒らし回らせていた騎竜部隊が予定の時期を過ぎても帰還していないことは数日前に報告を受けていた。

 ただ、ドゲルゼイの兵士は普段からけっして素行がよいとはいえず、どうせシャルールの辺境の街か途中にある侵略した国の街で酒と女に溺れて戻るのが遅れているだけだろうと考えていたのだ。

 そもそも、シャルールの抵抗にあったのだとしても200人からなる腕っ節だけは確かな精鋭部隊がひとり残らず全滅するなど普通ならあり得ない。雪に強い騎獣が共に居るのだから伝令なり報告なりをすることくらいはできるはずなのだ。

 だが現実には騎竜部隊は戻っておらず、飛竜部隊の小隊とシャルールに向かったはずの使者までもが帰らない。

 ドゲルゼイとシャルールの国力と兵力の差を考えればシャルールが降伏を拒否することなど考えられなかったが事実は事実である。

 

「ッチッ!! もういい!」

 取り纏めの男が舌打ちしてそう言うと、報告の男は役目は終わりとばかりにそそくさと部屋を出て行った。

 それを忌々しそうに見送りながら、男の表情は見る間に怒りから暗いものに変わっていく。

 事態が事態なだけにドルヴァン王に報告しないわけにはいかない。

 だが男にとってはそれが途轍もなく気が重い役目であることに変わりない。

 取り纏めという役でわかるだろうが、男は大臣でも宰相でもない、何ら政治的権限を持たない、ただ官吏を纏め事務を処理するだけの役割しか持っていない。

 ドゲルゼイにおいて軍権も行政権も司法権もすべて国王であるドルヴァンが行使している。

 権力を握る高位貴族というものは全て粛正され、王の絶対権力の元で全ての決定が行われるのだ。その決定に従って官吏がそれぞれの役割の範囲で仕事をこなしている。

 細々としたものは別として重要なことは全てドルヴァンの裁可を経なければならない。

 

 唯一ドルヴァンの生家であるゴルーザ侯爵家だけは地位を維持して領地も持っているがそれですら国の運営には関わらせていない。

 兵権だけは信頼する少数の配下に裁量権を与えているが、それも効率よく他国を侵略するためにしているに過ぎない。

 ドルヴァン王は全ての権力を余さず掌中に握っていなければ我慢できない気質なのだ。

 そんな王に、間違いなく怒りを抱くであろう報告をしなければならない。

 男の気が重くなるのも無理はないことだった。

 唯一の救いはドルヴァンは下の者には寛大なことが多く、明らかな失敗をしない限りその場で処断するほど暴虐ではないことくらいだ。

 男としては王の機嫌が悪くないことを祈るばかりであった。

 

 取り纏めの男が重い足を引きずるように行政府の建物からドルヴァン王の暮らす宮殿に入ると、その内部がが騒然としていることに気付いた。そして獣のような叫び声と悲鳴も。

 ただ事ではない様子に取り纏めの男が慌てて奥へ走る。

 宮殿の管理も警備などの兵権を除いて男の管轄なのだ。何か問題が発生したのならすぐに対処しなければならない。

 同じように走り回っている騎士や兵士に跳ね飛ばされそうになりながらなんとか掻き分け、騒動の中心と思われる場所に急ぐ。

 

 そこは宮殿の一番奥まった場所、つまりはドルヴァン王と美姫達の居室のある一角。

 広い廊下には豪奢な絨毯が敷き詰められ、絢爛な調度品が並べられているのだが、今やそこは夥しい血と幾人もの兵士の死体が転がった陰惨な場となっていた。

 その中心に目を血走らせ肩で息をしながら獣の如く雄叫びを上げているのはドゲルゼイ王国の絶対君主であるドルヴァン王だった。

 その手には血に塗れた長剣が握られている。

 その場には幾人もの騎士と兵士がいたが誰もがドルヴァンの様子におののいて遠巻きにするばかりだ。

 何が起きたのかわからず混乱する取り纏めの男。

 あまりの光景に近づくこともできず、近くに居た騎士のひとりを廊下の辻に引っ張り込んで小声で訊ねる。

 

「いったい何事なのですか? 陛下のあの様子は」

「ど、どうやら賊が侵入していたらしいのだ。王が寝所で目を覚ますと部屋にひとりの男が居て、王を愚弄しあまつさえ凶行に及んだと。

 賊はすぐに逃げ去ったらしいが、その者によって王は手傷を負ったらしい。

 王に斬られたのは宮殿の警備をしていた兵の指揮官達だ」

 男は騎士の話に愕然とする。

 宮殿は王城の中でも特に奥まった場所にあり、いくつかの門を潜らなければ辿り着くことはできない。

 当然宮殿の中にも途中にも多くの騎士や兵が詰めており、警備態勢は万全であったはずだ。加えて、ドルヴァン王自身もどの騎士にも負けないほど魁偉で武にも秀でている。

 そんな場所に警備の目をかいくぐって侵入し、ドルヴァンに危害を加えるような人間が存在するなど俄には信じられない。

 

 だがあれほどドルヴァン王が猛り狂っているということは事実であるのだろう。

 とはいえ逃げ帰るわけにもいかない。

 男はカラカラに乾いた喉に無理矢理唾を飲み込ませ、砕けそうな膝を必死で動かして廊下に出る。

「おいっ!」

「ひっ?! は、はいっ!」

 出た途端ドルヴァンから呼ばれ、悲鳴のような返事を返す。

「全ての兵をすぐに集めろ! シャルールを攻める!」

 怒声のような命令に泣きそうになりながらも、それでも確認しないわけにはいかない。

「す、全ての兵、でございますか? し、しかしそれでは版図を守る兵が不足してしまいますが」

「構わん。占領した国の奴等にドゲルゼイに逆らう気力など残っておらんわ!

 最低限の兵だけを残して全て掻き集めろ。予備兵もだ!

 全軍を挙げてシャルールを滅ぼす。

 あの国は身の程も弁えず俺に逆らった! 女王と王女以外は皆殺しにしてやる!

 いいか! ひとり残らずだ! 特に黒髪黒目の男、奴だけは絶対に逃がすな!

 だが殺すなよ。手足を切り落とし、生きたまま俺の前に連れて来い!」

 

 今にも長剣を男に振り下ろしそうな形相で命じるドルヴァンに、男は千切れそうなくらいの勢いで首を縦に振る。

「た、たた、直ちに手配します! し、ししし、しかしながら全軍となると、よ、呼び寄せるのに二月は……」

「一月だ! 物資は途中の国に用意させろ! いいか! 一日たりとも遅れるな!」

「ひっ! は、はい!」

 男にはそれ以上の反論はできず、這うように行政府へ戻るしかできなかった。

 

 

 

 シャルール王国の王都、シュヴェールをぐるりと囲む幅100メートル近い堀に勢いよく湖から水が流れ込んでくる。

 堀の両岸は異世界には似つかわしくないコンクリートで覆われ、深さは10メートルを超えている。

 底に溜まっていた雪は浮き上がり、見る間に氷の壁を作り出すがしばらくすれば湖に流れていったり溶けたりして消えてしまうだろう。

「なんとか間に合いましたね」

 水を堰き止めていた蓋をクレーンで吊り上げ、撤去し終えた英太が状況を確認しつつ脇に立つ少女に向かって笑顔を見せる。

 

 声を掛けられた少女は潤んだ目で英太を見つめ、見つめられている方はちょっと、いや、かなりドギマギして目を逸らした。

「これほどのものが冬の間だけでできるなんて今でも信じられません。

 これで王都にいる民は守られるのですね?」

「ドゲルゼイには水軍は居ないらしいし、橋が突破されない限り大丈夫だと思いますよ。まぁ、ドゲルゼイが来るまでにやらなきゃいけないことはまだ沢山あるんですけど」

「本当に、エータ様達にはいくら感謝を捧げても足りません。

 この気持ちをどのようにお伝えすれば良いのか……その、何かわたくしにできることはないでしょうか。エータ様が望まれるならどのようなことでもしたいのですが」

 

「いや、ちょ、その、えっと」

 傍らの少女、シャルール王国の王女であるユエフィラの言葉にドギマギする純情童貞高校生男子。

 世界的なアイドルでも裸足で逃げ出すような完璧な美少女にそんなことをいわれたらイケナイ想像をするなというほうが無理である。

 思わず周囲をキョロキョロと見回すが、生憎この場にいるのは英太とユエフィラだけである。

 一国の王女が他国からやってきた男とふたりきりなど普通はあり得ないのだろうが、今のシャルール王国に手の空いている者などひとりも居ない。

 騎士や兵士はおろか、官吏も平民も誰しもが必死になって割り当てられた仕事をこなしている真っ最中である。

 一番の難事業であったこの堀が完成したとはいえ、ドゲルゼイの軍勢がやってくるまでにしなければならないことはまだまだ沢山あるのだ。

 

 数ヶ月前に女王と貴族達の覚悟を見定めた伊織は、すぐさまドゲルゼイを迎え撃つための作戦を立案した。

 国を守るのはその国の者がするべきという方針は揺るがないとしても、現実問題としてシャルールの国力と兵力でドゲルゼイに対抗することはできない。

 そこでまず伊織達の提案で、王都シュヴェールとドゲルゼイ王国の間にある街や村の領民を全て避難させることにした。

 持ち出しが困難な家屋や家具などを除き、全ての財産や資材を持って王都やさらに西側の街に住民を移動させる。

 ドゲルゼイが侵攻してきたとしても人っ子ひとりおらずもぬけの空になった街や村を占拠したところで手に入れられるのは水くらいしかない。

 見せしめのためでもなければ家を壊したり火を放ったりする意味は無いし労力と資材を無駄に消費するだけとなればいちいち手間を掛けるようなことはしないだろう。

 

 もちろん時期は真冬であり、普通なら街や村を出て移動することなど自殺行為でしかないが、伊織は大型除雪車を持ちだして街道を移動可能な状態にし、王都の商会にも協力させて沢山の荷橇を確保。移動困難な病人や幼子、妊婦、老人などは輸送ヘリも駆使して一月ほどで避難を完了させた。

 避難先でも住民達が住居や施設を提供し、食料などは王宮が備蓄分を放出することで賄う。

 元々厳しい気候でありながら食料は豊かな国だし、避難民達も蓄えていた食料を全て持ち出すこともできていたので問題ない。

 

 次にしたのは王都をぐるりと堀で囲むことだ。

 とはいえ王都全体を囲むとなると長さは10数キロにも及ぶ。

 そこで10台のパワーショベルとダンプトラックの操作を王国の兵士に突貫で叩き込み、避難民も含めて王都の男達が人夫として数千人単位で凍り付いた地面を掘って幅100メートルもの堀を造ったのだ。

 岸を崩されて埋められても困るので伊織がコンクリートを提供して固めてもいる。

 掘り出した土は別の場所に土塀を作ったり戦いの準備のために余すことなく使用した。

 とりあえず一番の大工事だった堀は完成したが、まだまだしなければならないことは残っている。

 

 人夫として堀を造っていた者達は別の場所でまた別の作業に追われているし、鍛冶士や木工職人、細工職人、大工や石工などの職人達はそれぞれ武器や防具、防御施設の製作に寝る間も惜しんで没頭している。

 兵士達は戦いのために厳しい訓練を重ねているし、官吏達は各作業場所を駆け回って資材の手配や人員の配置、工程の確認に忙しい。

 女達も懸命に作業する男達の食事を用意したり怪我人や病人の救護に励んでいるし、子供ですら荷物運びや小間使いなどで誰しもが一丸となって戦いの準備に明け暮れていた。

 女王や貴族達もまた作戦の立案や作業の進捗状況の確認、各所への指示出しなどで休む暇などまったくない。

 まさに挙国一致を体現するような状況なのである。

 そしてそれは異国からの旅行者である英太達も同じことであり、重機や機材の扱いに長けた英太を筆頭に、同じく現代機器の操作ができる香澄、魔術師として作戦立案や戦闘魔法の準備に忙しいリゼロッド、聖騎士の指揮官として実戦経験のあるジーヴェトは集団戦や部隊運用の訓練指導を行っていたのだった。

 

「それにしても、イオリ様は酷いですわ。

 エータ様達に全て押し付けてほとんどいらっしゃらないではないですか!」

 ユエフィラがその秀麗な眉根を寄せて頬を膨らませる。

 怒っているのだろうが、あまりに整った顔をしているので逆に常にない愛らしさが表面に現れているようだ。

 恋する青少年である英太なのだが、思い人ではないとはいえ類い希な美少女にそのような顔で見つめられるとどうして良いのかわからなくなる。

 彼女いない歴=年齢の童貞君は決定的に経験が不足しているのである。

 

 事実、ユエフィラが言うように伊織はといえば、時折女王リュミエーラや貴族達とやり取りするために王宮に現れてはいるものの、実際の作業に加わることなく準備の間どこかに出かけてしまっているのだ。

 大量の重機や機器、資材などを提供しているため不満を漏らす者はいないが、同じような疑問を持っている者は少なくないだろう。

 ただ、リュミエーラや陣頭指揮にあたっている貴族達がそれに言及していないので口には出せないだけだ。

 

「伊織さんは色々とやることがあるんだと思う。

 人任せにしてサボるような人じゃないし、伊織さんにも考えがあってのことだと思う、えっと、思いますよ」

 言いながらも英太の脳裏には伊織の悪戯好きな面も浮かんでいたが、それはあえて口にしない。

 あえて騒動を大きくしたりだとかタイミングを見計らって登場したとしか思えないことだとか、日頃の行いというものは大事なのである。

 

 英太の返答に、ユエフィラの頬がさらに膨らむ。

「エータ様はいつまでそのような他人行儀な物言いをされるのですか?

 少なくともわたくしに対してはもっと親しげに話をしていただきたいです。

 エータ様はシャルールを救うべく奮闘されているのですよ? 文句を言う者などおりません!」

 英太のどこが琴線に触れたのか、グイグイ来るユエフィラにタジタジの様子の童貞少年。

「あ、いや、さすがに王女様相手に気安い口を利くってのは、その」

 顔を赤くしながら腰が引けた英太との距離をさらに詰めるユエフィラ。

 その色香にクラクラきていた英太の背中は次に掛けられた声に凍り付くことになる。

 

「ふぅ~ん? 人が休憩時間すら取れずに重機乗り回してるってのに、英太は何をイチャコラしてるのかしら?」

 慌てて振り向いた英太の目に飛び込んできたのは、青筋立てて口元を引きつらせている同郷の思い人である。

(えっと、次は、何をするんだったっけ? っていうか、伊織さん、助けて!)

 学校の先生も人生の先輩伊織も教えてくれなかった事態に、途方に暮れる少年であった。

 

 

 

「ドゲルゼイの軍勢が現れました!」

「位置は第1警戒線の手前一刻ほどの場所です!」

 王宮の謁見の間に設置された司令室。

 かつてコットラの街を馬鹿王子と教会の襲撃から守るために設置したのと同じような光景が広がっている。

 その時に証明されたように、兵の運用はタイムリーで正確な情報とタイムラグのない指示伝達、無駄が無く素早い人員配置が重要である。

 当然この不利な状況の中で伊織が機材を出し惜しみすることなどあるはずもなく、ドゲルゼイとシュヴェールを結ぶ街道沿いやシュヴェールの周囲には無線式の監視カメラ網が張り巡らされ、さらには長距離飛行が可能な軍用無人偵察機によって警戒態勢が敷かれている。

 運用に関しては数週間にわたってシャルール兵数十人で徹底した訓練を積み重ねていた。

 

 その警戒網にとうとうドゲルゼイと思われる軍勢が引っかかったというわけだ。

「予想より一月近く早いですな。準備が間に合って良かったですが」

「だが数が多い。これは10万ではきかんぞ」

 コットラの時とは違い、訓練を経た兵もそれを見守る貴族達にも驚きはない。

 ただ、想定していたよりも早く、数の多い敵軍に思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。

「これは、ドゲルゼイめ、ほぼ全軍を挙げていると見える。おそらく15万は超えているだろう」

 呟くように言う宰相オリーベンの言葉がずっしりとした重さをもって周囲の者達にのしかかる。

 

「多少は早かったけど、まぁ予定通りだな。

 到着まではあと3日ってところだし、今からそんな肩に力が入ってたら保たないぞ」

 のほほんとした声が重くなった空気を吹き飛ばす。

「イオリ様!!」

 振り向いた女王や貴族達の視線が集中する中、無精髭を撫でながらニヤリと不敵な笑みを浮かべるオッサン。

 そのふてぶてしい態度は彼等に余裕を取り戻させるには十分な力を持っていた。

 

「これから、最低限の見張りを残して交代で休みを取らせよ。

 義勇兵には酒も振る舞ってやれ。どうせ負ければ全て奪われるのだ食料も酒も惜しまず配ってやるがいい。

 外に出ている者は全て呼び寄せて王都の中に避難させよ。

 ……これでよろしいですな?」

「ああ。明後日は俺達の故郷で勝負の前に食う美味いもんをみんなに配るし、勝った後はアガルタ帝国から大量の酒と食料が届くことになってるから心配すんな」

 まるで勝つのが当たり前のような伊織の態度に、貴族達の顔にも笑みが広がる。

 

「さて、国を民を家族を守る人間の強さを、身の程知らずの連中に見せつけてやれ!」

『応っ!!』

 謁見の間に居た者達が伊織の煽り言葉に雄叫びに似た声で応じる。

 その顔にはどこぞのオッサンを彷彿とさせるふてぶてしい笑みが浮かんでいた。

 

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