第76話 女王の覚悟

 シュヴェール湖の南岸に広がるシャルール王国の王都。

 その中央部分の湖岸に王宮と街を繋ぐ石造りの橋が架かっている。

 幅はおよそ20メートル。湖面からの高さは5メートルほどあり、長さも200メートルはあるだろう。

 この世界の橋としてはかなり立派なものだ。

 除雪もしっかりとされており、滑り止めのためだろう太めのあしか細い竹のような植物が粗く編まれた葦簀よしずのようなものが敷き詰められている。

 

 声を掛けてきた初老の男に呼び止められた伊織達は、その要請に従って王宮まで赴くことになった。

 ただ、そのまま雪上車で橋を渡っては敷き詰められている葦簀が駄目になってしまうだろうし、伊織達のためだけに除けてもらうのも気が引ける。

 男達の態度に不穏なものを感じなかったこともあり、橋の手前、邪魔にならない場所に雪上車を駐め、施錠した上で置いていくことにした。

 少々の悪戯程度はされるかもしれないが力一杯壊そうとでもしない限り頑丈な雪上車はびくともしないだろう。

 それに一応王都民が不用意に近づいたりしないように数人の騎士が監視してくれるようだ。

 ちなみに寝転けていたリゼロッドとジーヴェトは伊織に叩き起こされた。

 

 既にほとんど日は沈みかけており真冬の風は身を切るような冷たさだが、我慢や忍耐など欠片もするつもりが無い伊織は全員にがっつりと防寒着を用意している。

 冬山登山だろうが厳冬期の天体観測だろうが余裕でこなせる撥水・保温・透湿に優れたダウンジャケット&パンツ、メリノウール素材の靴下や氷の上に何時間立っていても冷たさが伝わらないスノーブーツ、薄手で柔らかいのに暖かいヒーター機能付き手袋でバッチリ対策している。もちろん耳当て付の帽子やネックウオーマーだって完全装備である。

 ちなみにルアは襟元や袖口、裾にファーのついた真っ白なセミロング丈のダウンコートにゴマフアザラシの赤ちゃんを模したふわふわの帽子に耳まで覆われている。

 全員が装備したその格好を初老の男に付き従っていた騎士らしき男達がめっちゃ見ている。どことなく羨ましそうだ。

 

 寒風吹きすさぶ橋を渡り城の中に入る。

 大きな城門を潜ると一番手前にあるのが何も無い広い空間。

 普段は練兵などに使われているのだろうが、おそらくは非常時に王都民達の避難場所としても使えるようになっているのか、王宮の規模からすると不釣り合いなほどの面積がある。

 屋根こそないものの城壁に囲まれている分、風が遮られて幾分か暖かく感じる。

 そしてそのだだっ広い場所を通り過ぎた奥に王宮がある。

 

 湖岸から見たときも美しいと感じたが、実際に城門の中から見上げる王宮もその美しさを損なわず、大理石を積み上げて作り上げられた建物は大理石の英語名marbleマーブルの語源である古代ギリシャ語の輝く石という意味をそのまま体現したかのように夕暮れの薄闇にあって一際輝いているようだ。

 建物の規模自体はそれほど大きくはない。

 アガルタ帝国の王城はもちろん、グローバニエやオルストの王宮よりもずっと小さい。

 とはいえ、一国家の中心地である。小さいというのは単に大国と比較してというだけであって王宮としては十分な規模をもっている。

 

 そんな王宮の中に初老の男に続いて入る。

 さすがに建物の中は暖かい。といってもおそらく室温は15度前後程度だとは思うが、外との気温差はそうとうなものだ。

 王宮の構造は一般的なものとさほど違いはないようで、土地柄だろうか暖色系の色合いのカーペットが敷き詰められ落ち着いた雰囲気の内装になっている。

 熱を逃がさないためだろう、天井は低めだが圧迫感がない程度に抑えられている。

 

 しばらく王宮を奥に進み、やがて応接室のような部屋に案内される。

「しばしこの場でお待ちください」

 初老の男はそう言って部屋を出て行った。

 中に残されたのは伊織達6人だけだ。見張りの兵すらいない。扉の外側には2人ほどいるようだが。

 部屋は20畳ほどの面積にいくつかの調度品と複数の3人掛けくらいのソファー、横長のテーブルが置かれていて、賓客を迎える応接室としては簡素な印象を受ける。

 だが華美にならず落ち着いた調度品は品が良く、訪れた者をもてなそうとする気遣いが感じられた。

 

「ここって、この国の王宮ですよね? ってことはつまり」

「あの国境近くの街でイオリ達が暴れまくったから利用したいんじゃない?」

「衛兵の隊長さんが決死の覚悟まで固めたドゲルゼイとかの部隊を鎧袖一触だったんだから仕方ないんじゃない? 今この国は、そのドゲルゼイの侵攻を受けてるって話だし」

「っつーか、なんでアンタらはこうも行く先々で暴れるんだよ! 今回は単なる観光だったんじゃなかったのかよ」

「「「知らねーよ!」」」

 部屋の中は充分に暖かいので防寒着を脱ぎ、軽装になった一行はソファーに座った途端、伊織とルアを除いた面々が騒ぐ。

 

「それで、伊織さんはどうするつもりなの? 私としてはこの綺麗なお城が戦争で壊されたりするのはちょっととは思うけど」

「ん~、途中の、なんて街だったっけ? そこのお酒が美味しかったのよねぇ」

「俺は伊織さん次第ってことで」

「どうせ俺には選択権ねぇし」

 伊織はアザラシ型帽子を離そうとしない膝の上のルアの頭を撫でながら香澄達の言葉に肩を竦めた。

 

「どっちにしても話を聞いてからだな。この国に悪い印象は無いがだからといって肩入れするだけの理由もない。

 特に今回は国と国との争いだからな。本来国を守るのはその国に住んでいる奴がしなきゃならないことだ。

 よほどの事情なり対価なりがなきゃ他人が嘴突っ込むことじゃないさ」

 伊織の言葉にそれぞれが頷く。

 実際、伊織達はこのシャルール王国に悪い印象を持っていない。どちらかといえばかなり印象が良いと言えるだろう。

 この王宮を始めとした美しい景色や、ここまでの道程で立ち寄った街で口にした食べ物や飲み物も美味しいものが多かった。

 それになにより、兵士や警邏だけでなく一般の人も季節外れの観光客、それも得体の知れない乗り物でやってきた伊織達に対して多少の警戒心はあれど、一様に礼儀正しく親切だったのだ。

 

 だから多少の手助けをする程度ならば躊躇うこともないのだが、ことが国と国にまで発展してはそう簡単に手を出すわけにはいかない。

 無尽蔵とも思えるほど武器弾薬を持っている伊織とはいえ、実際に無限に弾薬を生み出せるわけではないし、そもそもいくら現代地球の理不尽な兵器類と所持しているからといっても、たかが数人で全てのことができるわけではないのだ。

 伊織達にしても不死身ではない。

 伊織はともかく、英太も香澄も並外れた力量を持つとはいえ絶対的な強さとまでは言えないし、人間である以上不意を突かれることだってある。

 リゼロッドとジーヴェトもこの世界基準では十分な強さをもってはいるが数十人の敵に囲まれて生還できるほどではないし、ルアにいたっては戦闘力は皆無に近い。

 戦いというのはどれほど優秀な兵器をもっていたとしても自分達の命を賭のテーブルに載せることなのだ。ほんの些細な失敗で全てを失う危険は常につきまとう。

 

 しばらくして扉を叩く音が響き、リゼロッドが返事をすると二人の男女が部屋に入ってきた。

 一人は伊織達をここまで連れてきた初老の男であり、もうひとりは女性だった。

「うわぁ~めっちゃ美人、っつぅ!」

 女性を見た途端、思わず小声で呟いた英太が香澄につま先を思いっきり踏んづけられて悲鳴を上げる。

 ただ、その香澄やリゼロッドでさえ思わず凝視してしまうほど女性は美しかった。

 銀糸のような髪をアップに纏め、肌は透き通るほど白く、均整の取れたプロポーションと愁いを帯びたような整った目鼻立ち。

 ジーヴェトにいたっては言葉も出ないほど惚けている。伊織は片眉を上げただけだが。

 

 伊織達はソファーから立ち上がって会釈を、ジーヴェトは胸に拳を当てて聖騎士の敬礼をして迎える。

 この時点で女性の身分には見当がついていたが正式に名乗られたわけではないので礼はごく簡単なもので済ませる。

 女性と初老の男は伊織達のいるソファーの対面、テーブルを挟んだ向かい側まで歩き、伊織達に着席を促した。

 配置としては部屋の入口側のソファーに伊織とルア、リゼロッドが座り、その左右のソファーに英太と香澄が座った。ジーヴェトは遠慮したのか伊織の後ろ側に従者のように立ったままだ。

 

 それからすぐに再度部屋の扉が開けられ、侍女のような女がひとりワゴンを押しながら入ってくる。

 そして木造りのマグカップを並べて同じく木製のポットから琥珀色の飲み物を注いで配っていった。

 無造作とも見える手つきでカップを並べたのも、同じポットから全員の分を注いだのも毒などが入っていないというアピールなのだろう。

 それらの仕事を終えると侍女は一礼して部屋を出て行った。

 

「突然このような形でお呼びだてして申し訳ない。

 先日辺境の街クルルの衛兵長より『雪の中でも進むことのできる不可思議な荷車に乗った異国人が辺境を町や村を襲撃しているドゲルゼイの部隊を撃退してくれた』と報告を受けた。

 報告にあった特徴が貴公等と一致したために礼をしたいと考えたのだ。

 名乗りが遅れてしまったが、こちらはシャルール王国のリュミエーラ女王であらせられる。

 私は宰相を務めるエラケルザ・ファン・オリーベンと申す」

 伊織の対面に腰掛けたリュミエーラ女王の横で立ったままオリーベン宰相は伊織達が飲み物を一口飲んだタイミングでそう口火を切る。

 

「わたくしからもお礼を申し上げます。

 我が民を救ってくださり、ありがとうございました」

 リュミエーラ女王はそう言って座ったままではあるが頭を下げる。

 これにはジーヴェトが息を呑み、英太と香澄、リゼロッドも驚いた顔をする。

 普通は君主という立場上、礼をいうにしても頭を下げることはしない。

 伊織も意外そうに目を見開くと興味深そうに口元を歪めた。

 リュミエーラ女王はしっかりと伊織の目を見つめると、暫しの沈黙を挟んで再び口を開く。

 

「率直に申し上げます。

 クルルの衛兵長の話ではドゲルゼイの精鋭200を歯牙にもかけず殲滅したと。

 どうか、そのお力を我がシャルールにお貸し願いたいのです」

「既にお聞き及びのことかもしれませんが、我が国は現在東にあるドゲルゼイ王国の侵攻を受けております。

 かの国からは我が国に対し3つの至宝と呼ばれるものを全て王であるドルヴァンに差し出し、シャルール王国に臣従するようにと要求を突き付けました。同時に辺境を幾度も襲撃してきている状況です」

 オリーベン宰相が後に続いて状況を説明する。

 まぁ、伊織達もクルルの街である程度の事情は聞き及んでいるので驚きはない。

 

「その口ぶりだと、その“3つの至宝”とやらを差し出しても形ばかりの臣従では引きそうにないってことですか。

 まぁ、降伏を勧告しながら返答を待たずに侵攻するなんざ、まともな国のすることじゃないでしょうが。

 ところで、その至宝とはどのようなものなのかお聞きしても?」

 ドゲルゼイ王国がシャルール王国に対して臣従を迫り、度々辺境を侵していることは聞いていた伊織達だが3つの至宝というワードは初耳だ。

 そのことを訊ねると、オリーベン宰相はしばし躊躇った後、説明を続けた。

「これは別に陛下や王宮の者が喧伝したわけではないのだが、元々我が国の王宮はシャルールの至宝と呼ばれ、一目見ようと近隣の国から多くの者が訪れていた。

 そしてここ数年はそれに女王陛下と王女殿下を加えて“3つの至宝”と王都の民が呼ぶようになり、あの国にもそれが伝わったようだ」

 それは言葉を濁したくもなるだろう。

 確かに目の前に座るリュミエーラ女王は稀に見る美貌だし、その娘なら相当なレベルであろうことはわかるが、身内とも言える宰相がそれを口にするのはかなり微妙だ。

 

「無礼を承知でお訊ねするが、その至宝とやらをドゲルゼイに差し出し実質的な独立を維持できるように交渉する。そういった意見は出ていないのですか?」

 あまりな伊織の言い様ではあるが、リュミエーラ女王もオリーベンも表情を変えることなく頷いた。

「それはありません。

 そのことは別に王家がそれだけの忠誠を得ているという意味ではなく、ドゲルゼイ王国のこれまでの行いが知られているからです。

 あの国に臣従するということは我が国の者は全て2等国民とされ、実質的に奴隷と変わらない扱いを受けることになります。

 財産などは全て奪われ、若い娘は連れ去られるでしょう。

 そして仮に王家を裏切ってドゲルゼイに下っても、国王であるドルヴァンは裏切り者を信用しません。利用できるだけ利用し、なにかの名目で切り捨てることが過去に侵攻した国の状況から明らかなのです。

 かといって要求を拒否して戦い、負ければ民は最も低い身分である3等国民として家畜以下の生き方を余儀なくされます」

 

「うわぁ、予想以上のクズだ」

「グローバニエの腹黒王女といい勝負ができそうね」

 思わず英太と香澄の口からボソッとツッコミが入る。

 伊織が苦笑いを浮かべ、女王と宰相は聞こえはしただろうがあえてそこには触れずに流した。

「王都のみならずできる限り民衆は冬の間に南部諸国へ避難させるつもりではあるが、この季節に街や村を出て移動するのは非常に危険を伴う。それだけの体力がない家族を抱える者も多いし代々暮らしてきた場所を離れたがらない民もいる。

 それに、避難したとしてもその先で生活する術も持たず受け入れを歓迎してくれるわけもない。もちろん繋がりのある国へは受け入れを要請するが」

 どこの世界、いつの時代、どの場所でも侵略を受けた国の民衆というのは悲惨なものだ。

 それまでの生活基盤を全て失い、抱えられるわずかな財産と信頼できる身内だけを頼りに難民となるしかない。

 新しい地で生活を立て直すことができる幸運に恵まれる者など一握りに過ぎないだろう。

 

「降伏するも逃げるも戦うも、どれを選んでも地獄ならばせめて最後の一兵まで民を守って戦いたいとほとんどの貴族や兵士は考えております。

 ドゲルゼイの部隊をわずかの損害すら受けずに壊滅させた貴公等のお力を、どうかお貸し願えないでしょうか」

 そう言って女王は立ち上がり、深々と頭を下げた。

 それを伊織は冷徹な声で制止する。

「頭を上げて頂きたい」

 口元からいつもの笑みを引っ込め、冷たいとさえ感じさせる目で真っ直ぐにリュミエーラ女王を見据える。

 君主として常に威厳を保っていた女王でさえその圧力に思わず背中に冷たい汗が伝う。

 

「先に陛下と宰相殿が知りたいであろうことを伝えておく。

 まず、俺達の力でドゲルゼイの侵攻を止めさせること、それはできる。というかそれほど難しい事じゃない」

 伊織があっさりと言い切り、その想定以上の内容にリュミエーラもオリーベンも息を呑む。

「ちょっと、そんなあっさり言って大丈夫なの? 何万人も兵士を抱えた国なんでしょ?」

 リゼロッドが思わず口を寄せてツッコムが、伊織は軽く肩を竦めるだけだ。

「そのドルなんとかっていう国王がいる王宮に500ポンド爆弾の10発もぶち込めば他の国を侵略するどころじゃなくなるだろうよ。都合良く死んでくれればさらに混乱するだろうしな」

 

「そ、そんなことが……」

 絶句する女王と宰相。

 しかし伊織の言いたいことはそれではない。

「だが侵攻を一時的に止めて、それからどうする?

 俺達はいつまでもこの国に居るわけじゃない。

 ドゲルゼイはこれまで周辺国を侵攻して国力を高めていた。強引すぎるやり方でな。侵略した国の民衆を奴隷にするなんざ目先のことしか考えられない阿呆のすることだ。

 どれほど国が混乱しようが拡張主義から転換することはできないだろう。手綱を緩めた途端に国民も占領した国の民衆も爆発するだろうからな。

 ということは、いずれまたこの国はドゲルゼイの脅威に曝されることになる。待っている先は破滅しかないとしても今更他の方法を執ることはできない。誰が後継者になったとしてもな。

 稼いだ時間で軍備を増強するのも手だろうが、元々の国力と領土に差がありすぎる。完全に対抗できるだけの戦力を得るのは難しいだろうよ。

 言っておくが、さすがに俺達だけでドゲルゼイの軍勢全てを倒すことは無理だぞ」

 

 突き付けられる厳しい現実。

 だがその内容は女王も宰相も認めざるを得ないものだ。厳しい表情で黙り込む。

「それに、俺達にそれを依頼するとして、対価はどうするつもりだ?

 国が滅ぶのを、一時的なものだとしても止めた俺達の行動に何をもって報いる?

 この国は良い国だ。

 食い物は美味いし兵士は勤勉で礼儀正しい。国民も親切だ。

 片手間にできる程度のことなら力を貸すのも吝かじゃない。

 だが、大国を相手に、というなら大量の貴重な物資を使い、命すら賭けなきゃならない。

 ましてや何万人もの民衆の命が俺達の両肩に掛かるというなら安請け合いするわけにいかねぇよ」

 そこまで言うと伊織はソファーから立ち上がる。

 

「すぐに結論を出せるようなことじゃないでしょう。

 元々極夜のオーロラを見に来たのですからしばらくは王都に滞在しています。

 じっくりと話し合われるのがよろしいかと。

 それでは女王陛下、宰相閣下、私共はこれで。

 ……美味しいお茶を馳走してくださってありがとうございました」

 伊織はそう言って優雅な仕草で礼をする。

 つくづくこの男は意味がわからない。

 荒くれのような粗野な態度を取ったかと思えば一転して貴族もかくやという気品ある仕草も見せるのだ。

 

 ルアの手を取り部屋の入口に向かって歩きだした伊織の後に英太達も慌てて追う。

 そうして部屋を後にする一行を、女王と宰相はただ黙って見送った。

 

 

 

「……オリーベン、どう思いましたか?」

 伊織達が部屋を出て行った後、リュミエーラはその場でしばし立ち尽くし、そしてソファーに崩れるように座り直した。

 扉の外まで伊織達を見送り、部屋の外に待機していた騎士に彼等を王宮の外まで案内するように指示して戻ってきたオリーベンは主君の言葉に大きく息を吐く。

 すぐには言葉を返さず、リュミエーラに促されて対面のソファー、伊織が掛けていた場所に腰を下ろす。

 

「正直に申し上げて、計り知れない、としか」

 最初に会ったときは飄々として口元に笑みを浮かべたあの人物が200名ものドゲルゼイ兵を殲滅したというのが信じられなかった。

 だが、話をしている途中で急にその気配は変わり、今にも押し潰されそうなほどの圧力をイオリという男から感じるようになったのだ。

 ドゲルゼイの兵を歯牙にも掛けなかったというのは所持している荷車や武器の性能だけではないのをまざまざと突き付けられた気分だ。

 

 女王であるリュミエーラが素性の知れない男達と謁見するというのにこの場には護衛の騎士はひとりも居ない。不用意に別のものが近づかないように入口にふたりの騎士、今は伊織達を案内するためにひとり場を外れているが、立っているだけだ。

 兵を隠しておくものも牽制のために複数の騎士を連れて行くのもリュミエーラが却下した。

 武装した騎士達に威圧されて面白く感じる者などいないし、そもそも200名の精鋭ともいえる部隊を殲滅した相手に少数の騎士などなんの意味もないだろうということだった。

 事実、あの威圧感すら感じた空気に接すればその選択が正しかったのだと理解せざるを得ない。

 

「あの者の言っていた内容に関してはどうです?」

「一時的に侵攻を阻むことができるという部分に関しては、おそらくは真でありましょう。

 語る言葉の内容は一部理解できない部分もありましたが、なんの気負いもなくごく当たり前の事のように言ってのけたのです。クルルの街でのことも考えると、方法など想像もつかないですが、実際にそれだけの自信と根拠があるのだろうと思えます」

「そう、ですね」

 呟くように同意してリュミエーラは座ったまま瞑目する。

 

「……陛下。

 これからわたくしが口にすることはこの上なく不敬であり、陛下の臣である身で許されるべきことではありません。お気に召さなければ直ちに斬首を命じください。

 その上であえて具申奉ります。

 ……陛下、ユエフィラ王女殿下と共に、その身を彼等に捧げていただきますよう。

 それをもって対価とし、貴族、騎士、兵が全ての力を振り絞りドゲルゼイを撃滅する助力を願う。それしかないと愚考いたします。

 彼等はどれほどの金銭宝物でも心動くことはなかろうと思われます。ですが、誠心でもって尽くせば力を惜しまれることはないと……」

 オリーベンの言葉をリュミエーラは片手を上げて制す。

 

「宰相からの忠言、よくぞ言ってくれました」

 リュミエーラがそう労う。

 言っている内容は不敬そのものであり、臣下として許されないだろう。

 だから最後まで言わせず、さらに労いの言葉を掛けることでその言葉を許した。

「3日後、王宮に全ての貴族を集めなさい。

 そしてその場にイオリ殿達も来て頂くよう願いましょう」

 淡々と、いや、穏やかな笑みさえ浮かべてリュミエーラがそう指示を出した。

 それに両膝をつき滂沱の涙を流しながらオリーベンは声にならぬ返事を返した。

 

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