第75話 雪原無双と水晶宮

「チッ! 気付かれたか」

 フード付きの白いポンチョ姿の男が1キロほど離れた場所から立ち上る黒い煙を見て舌打ちする。

 この一面雪に覆われ、所々木や茂みがある程度の平原で自然に煙など立ち上るはずがない。それも数メートルの間隔で2つもだ。

 明らかに何らかの合図を送るために誰かが揚げた狼煙なのは間違いない。

 

「これまでの街もそうだったが初動が早いな。よっぽど訓練が行き届いていると見える。うちの国とは大違いだぜ」

「どうする? 追うか?」

「街までそれほど離れてないし、ちんけな街にそれほど兵がいるとも思えん。せいぜい住民を避難させようとするくらいだろうよ」

「後からいくらでも追いつけるな」

「別にいちいち追いかける必要ないんじゃないか? いつものように貰うもん貰って撤収すりゃあいい」

「馬っ鹿、若い女を先に逃がそうとするに決まってんじゃねぇか。見逃せるかよ」

 

 男達が口々に好き勝手なことを話している。

 会話だけ聞いていると野盗にしか思えないほど粗野で悪辣だ。

 だが全員が黒い皮鎧の上に白いポンチョを被り、腰には長剣、手には短槍や弓を携えている。

 明らかに統一された装備の兵士達である。

 数はおよそ200名ほどいるようで、太く長い足と分厚い被毛に覆われた水牛のような生き物に騎乗しているのが7割ほど。残りは同じ生き物が牽く橇に荷と共に乗っている。

 伊織が訪れた街の衛兵が言っていたドゲルゼイの兵というのはこの連中のことだ。

 

 部隊としては中規模と言えるが、ドゲルゼイ王国はシャルール王国から徒歩で最低でも20日はかかる。積雪のある今の時期だと一月以上は必要だろう。

 だがその割には輜重の量はそれほど多くない。

 であれば考えられるのは数日程度の近い位置に物資をもった別の部隊がいるか、必要な物資を略奪しながら移動しているかのどちらかだ。

 そして彼等は後者だ。

 目的はシャルール王国に対する示威行為、つまり嫌がらせだ。

 

 シャルール王国には既にドゲルゼイ王国からの降伏勧告がなされているが、彼等が出発したのはその勧告よりも前であり、返答に関わらずシャルール王国の辺境に対する襲撃はおこなわれることになっていたということだ。

 いくら大国が相手とはいえ、歴史ある独立国家がそう簡単に降伏し主権を明け渡すわけがない。

 それを見越して同時進行で辺境を荒らし回り、手も足も出ないと知らしめることで降伏を選ばざるを得ない状況に追い込むことが目的だ。

 だから今回の遠征軍は数こそ少ないながら破壊工作に馴れた精鋭で、積雪でも行軍でき粗食に耐えるギャムルという大型草食獣を騎獣として連れてきている。

 

 辺境の兵力など多くてもせいぜい100人程度でしかなく、それも実戦経験の浅い者ばかりのシャルール王国は数も多く戦い馴れたこの部隊になんら有効な手立てを講じることができず、蹂躙されるがままの状況が続いていた。

 かといって辺境全てを放棄することなどできるはずもなく、ただ無辜の民の犠牲がわずかでも少なくなるように警戒することしかできなかったのだ。

 ここでもそれは同じで、1000人前後の住民がいる小さな街はドゲルゼイの遠征部隊によって襲撃され、物資や若い女が強奪されるのを散っていった衛兵の骸を背景に指を咥えてみていることしかできない、はずであった。

 

「ん? なんだアレは?」

 部隊のひとりが前方を睨みながらそう呟く。

 その側にいた指揮官らしき男もその声に前方を見る。

「! 野郎、先手を打つってか? 随分と舐められたものだ」

 指揮官は眉を寄せたもののその口調はどちらかといえば呆れたようなものだ。

 前方数キロ先に見えたものは雪煙。大きさからいってせいぜい数十人程度の部隊が騎獣などでこちらに向かっているのだろうと考えられた。

 だがその程度の数で200名からなるドゲルゼイの精鋭部隊と戦えるわけがない。

「しゃあねぇ、わざわざ向こうから来てくれたんだ。歓迎してやるか。

 散開しろ! 騎兵で囲って袋だたきにしてやれ! その後は一気に街まで攻め入るぞ!」

 

 街を戦場にしないために玉砕覚悟で特攻してきたのだろうと考え、余裕を持って迎撃態勢に入ろうとしていた。

 それが大きな間違いであり、もはや逃げることすらできない悪夢が訪れることなど思いもしない。

 最初に異変に気付いたのは最初に声をあげた男だった。

「な?! は、速いぞ?!」

 慌てて指揮官の男も前方を見る。

 つい先程まで数キロは離れていたはずの雪煙はほんの1キロほどにまで迫っていた。雪に強いギャムルの騎獣であってもあり得ない速度だ。

 と、同時に、ゴーッという地響きのような音も聞こえてきた。

 直後、バスンッ!という爆音が響き、それとほぼ同時に指揮官達の左側、部隊が散開しようとしていた場所の中心で何かが爆発する。

 

「ぎゃぁぁぁっ!!」

「ひ、い、痛ぇぇぇっ!」

「目が、目がぁぁぁ!!」

 つんざく轟音と直後にあがるいくつもの悲鳴。

「な、なにが起こった?!」

 指揮官の男はただ呆然と呟くことしかできなかった。

 

 

 

「見っけ! ルアちゃんが言った通り」

『伊織さん、どうする? 追い散らす?』

『いや、今回は殲滅で。あの街に長居するつもりはないからな。応援呼ばれると困るし、もし他にも居たとしても200人の部隊が全滅したらそう迂闊な行動は取れなくなるだろ』

 ヘッドセットから聞こえてくる各々の声。

 今回もまた伊織と英太&香澄の高校生コンビは別行動だ。

 といっても目的は同じであり、単に移動方法が違うだけだが。

 

 英太と香澄が乗っているのは雪上車ではない。

 伊織は戦闘に向いておらず、射撃のためのルーフもない雪上車とは別の車両を用意していた。

 戦闘といえばこれまでコブラやパトリアAMVなどの装輪式歩兵戦闘車両を使用してきたが、一般的な自動車よりは走破性が高いとはいえタイヤで駆動する装輪式で積雪した平原を走るのは無理がある。

 というわけで、初の装軌式戦闘車両。スエーデンが開発した歩兵戦闘車CV9030IFVの登場である。

 全長6.549m、全幅3.192m、全高2.779m、重量26t。

 主武装に80口径30mm機関砲ブッシュマスターⅡ、副武装として7.62mm機関銃を装備した戦車と見まごうほど戦闘に特化した支援車両だ。

 元が寒さの厳しい北欧で運用する事を想定した寒冷地に適した設計であることに加え、悪路走行に向いた装軌式(キャタピラ)であるので異世界の雪原でもまったく問題なく時速50km以上で走行することができる。

 

 対して伊織である。

 超重量級の戦闘車両とは異なり、速度と操作性重視の積雪用小型車両、つまりはスノーモービルだ。

 チョイスしたのは日本のヤマハ発動機社製VK ProfessionalⅡEPS。排気量1000ccオーバーのモンスターエンジンを搭載し、登坂地面でも優に100km/hを超える速度で走ることができる。

 ひとり残らず徹底して殲滅する気満々のラインナップである。

 さらに上空からはルアが軍用ドローンで監視しつつ逐次その情報が伊織や英太達に伝達される。

 文字通り逃れる術など欠片も無い。

 

 口火を切ったのはCV90の機関砲から発射された30mm榴弾だ。

 雪の積もった場所では着弾してからの炸裂では効果が薄くなるので、地面に着弾する寸前に爆発する近接信管を使っている。

 左右に分かれようとしている右側のもっとも兵の集中している場所を目掛けて香澄が撃ち込む。

 防弾パネルに守られているわけでもない、寒冷地に対応するための簡素な皮鎧と外套しか身につけていない兵達はもちろん、至近で炸裂されては分厚い毛皮に覆われた騎獣ですらただでは済まない。

 榴弾ではそれほど多くの兵が即死することはないが、深く降り積もった雪原で身動き取れなくなるほどの怪我を負えばさほど時間も掛からず冥府へ旅立つことになるだろう。

 

 香澄は続けざまさらに数発の榴弾をドゲルゼイの兵達に撃ち込む。

 なにが起こったのかわからずパニックになるドゲルゼイ兵。

 なまじ街への襲撃のために密集していたことであっという間に数十人が戦闘不能になって雪に埋もれる。

 騎獣達も初めて体験する凄まじい破裂音と榴弾の破片を身体に受けて恐慌状態になり次々に兵達を振り落として暴れ回る。

 もはや作戦行動どころではない。

 指揮を執るべき男達もあまりの状況に混乱するばかりでまともな命令を下すこともできない。もっとも、命令をしたところでパニックに陥った兵達が聞けるとも思えないが。

 

 そこに英太の駆るCV90が突っ込む。

 咄嗟に弓で射掛ける者も居たには居たが、相手は全周に渡って14.5mm重機関銃の直撃に耐えることのできる戦闘車両である。弓矢程度では塗装を剥がす効果すらない。短槍や長剣を渾身の力で突き出しても同じことだ。

 突如姿を現した轟音を立てながら疾駆する巨大な鉄の塊に愕然と立ち尽くす兵達など居ないかのように走り抜けるCV90。

 通り抜けた後に残るのは雪に残された轍の跡と逃げ遅れて踏みつぶされた兵達だ。騎獣にもぶつかるが1トンを超える獣ですら意に介すことはない。

 なんとか榴弾と鋼鉄の戦闘車の直撃を避けた兵達だったが、一息つく間も与えられず、今度は砲塔を旋回させた香澄が7.62mmの機関銃で撫で切りならぬ撫で撃ちで棒立ちになっていた兵を打ち倒していく。

 

「ば、馬鹿な……なんだ、アレは……」

 余程悪運が強いのか、高校生コンビによる一連の攻撃から逃れることができた指揮官の男が呆然と呟く。

 単純な任務の筈だった。

 国力はドゲルゼイ王国の方がシャルール王国よりも遥かに上。

 そして小部隊とはいえ自分達は実戦経験豊富な精鋭部隊であり、シャルール王国の辺境には対抗できるような戦力はないはずだった。

 仮に同数程度の兵士が居たとしても全員が騎獣を駆り、装備も充実している自分達が負けることなどあり得ない。

 一通り辺境を荒らしたら意気揚々と本国へ帰るつもりだった。

 襲撃の戦利品を分配し、途中にあるかつての独立国、今では属領になり果てた街でも報賞金を受け取って、豪遊してからのんびりと帰途につくのでも良い。もちろん蹂躙したシャルール兵や嬲り殺しにした平民達、陵辱した女の話で盛り上がりながらだ。

 

 だがそれが叶うことは永遠にない。

 シャルール王国に降り立った、この世界にとってのたったひとつの異物によって。

 彼等に知るよしなどないが、一人のオッサンのほんの気まぐれで、たまたま訪れた街、それが丁度このタイミングだったこと。そして職務に精励した衛兵の態度と悲壮な覚悟を秘めながらも女子供を避難させようとした心意気が、決して覆るはずの無かった事態を盤ごと引っ繰り返してしまったのだ。

 

「ひ、ひぃぃぃっ! た、助けてくれぇぇ!!」

「じょ、冗談じゃねぇっ! こんなところで死んでたまるか!」

 兵達が崩れるのはあっという間だった。

 ある者は騎獣から投げ出されて雪の上を藻掻きながら、ある者はなんとか騎獣を落ち着かせて、一斉にこの場から逃げ出し始める。

 制止しようにも今の状況では抑えきれるものではないし、指揮官にしてもあの鋼鉄の荷車に抗する手段は思い浮かばず、撤退することに異論はない。

 だが冬期の大陸北部で荷を持たずに逃げ出したところで待っているのは死しかない。テントや暖房の魔法具、食料が無ければ一番近い村にすら辿り着けないだろう。雪がなければ1日で辿り着ける場所でも冬場に徒歩では3日はかかるのだ。

 騎獣で逃げた者は運が良ければどこかの村か街まで辿り着けるかも知れないが、この近くの街や村は軒並みこの部隊が襲撃した後だ。火を放った場所も多く、まともに休める場所や食料を見つけることは難しいだろう。ただでさえ後2刻もすれば日が沈む。

 そんな当たり前の事にすら考えが及ばないほどドゲルゼイの兵達は恐怖に駆られてしまっていた。

 

 指揮官の男はせめてもと輜重の荷と共に撤退することを選択する。

 どのくらいの兵士が覚えているかは知らないが、一応撤退した場合のルートも事前に決められている。運が良ければ途中で合流できるだろう。

 幸いあの鋼鉄の荷車らしきものは別の方向に逃げた兵達の方向へ行っているようなので今なら輜重数台なら一緒に離脱できるだろう。

 だがその考えもすぐに頓挫する。

 指揮官の男が騎獣の手綱を操作して輜重の橇に近づいたその時、兵士達の混乱を見て同じように右往左往していた橇の御者を務めていた兵士の頭が突然爆発したかのように弾け飛んだ。少なくとも指揮官にはそう見えた。

 そしてそれは一度だけでなく、瞬く間に10台の輜重橇全ての御者の身に起こった。さらにその次には橇を牽いていたギャムルもまた次々と頭から血を流しその場に崩れ落ちた。

 

「くっ、くそったれが!」

 こうなってしまっては輜重を諦めるしかない。

 ギャムルまで殺されてしまっては荷を牽くことなどできないし、代わりのギャムルを用意する余裕もない。

 指揮官の男は荷にあった予備の防寒用外套を数枚引っ掴むと騎獣を南に向けて走り出した。

 その方向にはそれほど大きくはないが針葉樹が立ち並ぶ林がある。

 あの鋼鉄の荷車の大きさでは林の中ではそれほど速く走ることはできないだろうと思えたからだ。

 同じことを考えたのだろう、10騎ほどが先行しており、指揮官の後からも数旗が続いている。

 チラリと荷車の方を確認すると、ソレは別の方向に逃げた者達を追っているようだった。

 指揮官はほんのわずか安堵の息を吐くと、油断することなく林を目指す。

 

 そしてそのまま林の中に入るとようやく速度を落とした先行していた兵達と合流する。

 指揮官達よりも先に来ていた者も居たようだが、それでも30騎に満たない数でしかない。だが単騎で逃げるよりは余程マシだ。

「このまま林の中を抜けながら南の街道に出る。他国に入ればそれ以上追ってくることはないだろう。幸い星は見えそうだから夜通しでも移動するぞ。とにかく食料を手に入れなければ本国に帰ることもできん」

 指揮官の男がそう言うと、他の者達は黙って頷いた。

 いつもはろくに命令も聞かないような跳ねっ返りばかりだが、さすがにこの状況で言い返すような気力はないようだ。すぐに騎獣の足を速めさせる。

 

 雪に強いギャムルとはいえ降り積もった地面ではそれほどの速度は出せない。せいぜい人が早歩きをする程度の速さだ。

 それでも入ってきた林の端が見えなくなるほど奥にくれば少しは安心できる。

 それにあまり騎獣に無理をさせればそれこそ取り返しがつかなくなりかねない。そう考えた指揮官は少し足を緩めさせる。

 だがそんなことは関係無しに彼等の悪夢は続いていた。

 

 ヴオォォォォォィィン。

 新雪を掻き分けながら進む彼等の耳に聞き慣れない音が聞こえてきた。

 そして振り返る間もなく、その音が彼等の脇を通り抜けたかと思うとスノーモービルに乗った男が騎獣の前に立ち塞がる。

「な?! だ、誰だ!」

 先頭を走っていた指揮官が慌てて騎獣を止め、声を張り上げる。

 誰だもなにも、この状況であれば追っ手に決まっているのだが。

 

「寒さで顔が強張ってるからいちいち問答したくないんでな。まぁ、せいぜい地獄で自分達の罪を懺悔してくれ」

 男、伊織のその言葉の直後、その手にあるM4カービンの銃口が指揮官の男に向けられた。

 指揮官の意識はそこで途絶え、残りの者も抵抗すら試みることなく後に続いた。

 

 

 

「な、なんだアレは……」

 英太の駆るCV90と伊織のスノーモービルがドゲルゼイの兵達を蹂躙している光景を少し離れた丘の上から見ている数人の男が居た。

 その手にはこの世界に似つかわしくない無骨な双眼鏡が握られている。

 プロの船乗りが使う視野角の広い8倍率の物だが、目の良いこの世界の兵士ならばかなりの距離を鮮明に見る事ができる。

 もちろんこの世界にこんな物があるわけもなく、同行すると言い張っていた衛兵隊長に伊織が『んじゃ、一緒にってわけにはいかないが、近くで見てろ』と言ってドゲルゼイの部隊がいる場所から近い小高い丘の上まで連れてきて双眼鏡をいくつか渡したのだ。

 

 最初こそ双眼鏡を通して見える拡大された景色に驚愕したものの、実際に戦闘が始まるとこれほどの性能が些細なものにしか思えないほどの光景に思考が固まる。

 辺境の街や村では為す術が無く、王国南部の辺境最大の街に駐屯する王国南部方面騎士団でも勝利するのは難しいと思われていたドゲルゼイ王国の遠征部隊を相手に、圧倒的という表現すら生温いほど一方的な蹂躙。

 まるで竜が野ねずみを狩るがごとき光景に唖然とするしかない。

 シャルール王国のものよりも一回り以上大きなギャムルは子鹿の如く逃げ惑い、精鋭と恐れられたドゲルゼイの騎兵は一矢報いることすらできず文字通り全滅させられた。

 少なくともドゲルゼイの兵があと数倍居たとしても同じ結果になるとしか思えないほどの力の差を見せつけられた。

 

 ひとつだけ言えることは、シャルール王国が総力を挙げたとしても彼等を止める方法が考えつかないということだ。

 無論いくら考えられないほどの力を持つ道具を持っていたとしても神ならぬ身だ。何らかの欠点や弱点もあるだろうとは想像できるが、それを突くことができるかどうかは完全に別問題であり、衛兵隊長から見てそれができるとは思えなかった。

 だが同時に不安にもなる。

 これほどの力を持つ人物が、なんの理由があってシャルール王国に来たのか。どういう目論見でドゲルゼイ王国の兵を返り討ちにしたのか。なにを目的に王都まで向かおうとしているのか。

 敵か味方か……

 

 そこまで考えて衛兵隊長は溜息を吐きながら首を振った。

「……彼等は何者なんでしょうか? もしドゲルゼイの工作員だとしたら」

「それは無いだろう。もしそうならあそこまで徹底して殲滅はしないだろうし、あれほどの力を見せつけたりもしないだろう。隠したまま王都に入ったほうが警戒されずに済むからな。

 まぁもしそうなっていたとしたら我々は何もできずに全てを奪われただろうな。

 少なくとも今は彼等は街を救ってくれた恩人だ。それに万が一にもあの力が我が国に向くことは避けなければならない。

 彼等が何者かなど、考えるだけ無駄な事だ。調べる術もないし、訊いたところで答えが真実かどうかもわからないからな」

 隊長と同じく双眼鏡で戦場を見ていた部下が不安そうに溢したが、それに対する答えはたった今脳内で出した結論だ。

 

 そう、結論のでないことは考えても意味が無い。

 考えるべきはシャルール王国のためになにをすべきかだ。

「すまないが急いで王都まで報告に向かってくれないか。報告の内容はすぐに書面にして渡す。それを宰相閣下に直接届けて欲しい。辺境にドゲルゼイの部隊が来たこととこの街に訪れていた旅行者がそれを殲滅したことを伝えれば会えるはずだ。

 この季節に王都までは辛いとは思うがシャルールの未来が掛かっている。頼む」

「了解しました。ギャムルを3頭と人員を2人連れていきます」

 部下の男の力のこもった応えに頷いて返し、もう一度、最早逃げる者すらほんの数える程度になった戦場に目をやった。

 

 

 

「おお~っ! こりゃ聞いてた以上だなぁ」

「ふぁぁぁぁ~……」

「綺麗~!! まるでお伽噺に出てくるお城ね」

「確かに、なんか幻想的っすね」

 伊織、ルア、香澄、英太が眼前の湖上に浮かぶ美しい王城を見て感嘆の声をあげる。

 普段飄々としたつかみ所のない態度に終始する伊織でさえ、青白く光を放っているかのように見える美しい色合いの城に目を奪われていた。

 ルアにいたっては王城に向かってポカンと口を開け、言葉も出せないくらい見とれている。

 まさに香澄の言葉のようにお伽噺か神話に出てきても不思議ではないほど幻想的で、訪れたことのある商人が口を揃えて褒め称えるのも納得の光景だ。

 

 シャルール王国の南部でドゲルゼイの部隊を殲滅した日から10日。

 伊織達一行はようやく王都であるシュヴェールに到着した。

 湖の名をそのまま冠したこの王都は湖畔の南側に広がっており人口は5万人を擁する大きな都だ。

 辺境の街から真っ直ぐ来れば2日ほどの距離(あくまで伊織の雪上車を使えばの話だが)なのだが、街を救ってくれたお礼ということで衛兵隊長から街の近隣や王都までのルートに近い場所の見所やその街でしか食べられないような美味い料理の情報が惜しみなく提供された。

 

 もとより急ぐ必要も無いし、オーロラが一番美しく見られる時期はもう少しばかり先だというので薦め従ってのんびりと寄り道しつつ王都までやってきたのだ。

 実際、途中の村近くを流れる川の上流にあった凍り付いた滝や現地で『氷雪華』と呼ばれているらしい、地面に含まれる赤い色素が吸い上げられて華のようになった氷などの絶景や土地ならではの食材を使った料理などは伊織達を充分満足させるもので不満などまったくない。

 ただ、折角の湖上の王宮が眼前にあるというのにリゼロッドとジーヴェトの2人は道中の資料整理が祟って寝転けてしまっているのだが。

 

 一通り美しい王城を堪能していると、早くも日が傾き薄暗くなってくる。

 地球の北欧に近い気候の大陸北部は冬ともなると明るい時間は極端に短い。まったく日の出ない極夜も数日間あるらしい。

 オーロラがもっとも綺麗に見えるのもその時期であり、あと20日ほどでその期間に入るそうだ。

 伊織達はいつも通りに寝泊まりする家屋を用意することも出来るが、折角なのでそれなりの宿が取れれば滞在してみるつもりでいる。

 もちろん王都の宿や美味い店なども衛兵隊長から教えてもらっている。

 完全に暗くなる前に宿だけでも決めておこうと雪上車に戻ろうとした伊織達だったが、そんな彼等に近づいてくる数人の男達がいた。

 

「もし、突然声を掛けて申し訳ないが、辺境の街クルルを襲撃しようとしたドゲルゼイの兵を撃退してくれたイオリ殿の御一行というのは貴公等のことであろうか」

 そんなふうに声を掛けてきたのは身なりの良い服装をした穏やかな顔と鋭い眼光をした初老の男だった。

 男の背後には護衛と見られる数人の騎士らしき者も付き従っている。

 

 英太と香澄は顔を見合わせ、伊織は肩を竦めてからルアを抱き上げた。


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