第74話 水晶の国

 まるで物語にでもでてきそうな、床も壁も柱すら純白の大理石でできた壮麗で大きな部屋。

 一番奥の数段高い舞台の中央には豪奢な椅子が置かれており、そこには輝くような長い銀髪と透き通るような白い肌の女性が座っている。

 年の頃は皺などない若々しい容貌ながら落ち着きと威厳を兼ね備えていて、30代前半くらいにも見えるし20代といっても充分納得できる。そしてなによりの特徴はその美しさだろう。

 その女性の傍らには50代くらいの男性が立っており、さらに十数人の甲冑姿の騎士が壇上の両側に控えていた。

 

 どこかの国の王宮の謁見の間と思われるその場所にはもうひとり、女性とは段を下がった形で向かい合う男が居る。

 普通に考えて、この謁見の間でもっとも位が高いのは椅子に座る女性であろう。

 だが女性に対している男は膝を付くこともなく立ったまま。しかもどこか嘲るような薄い笑みを浮かべており、女性に不躾な視線を向けていることも相まって非常に尊大な印象を受ける。

 いや、それは単なる印象などではなく、事実男には目の前の女性に対する敬意など欠片も無い。

 相対する座っている女性と壮年の男性の表情も硬く、騎士達にいたっては殺気さえ感じさせる目で睨んですらいる。

 

「……つまり、我がシャルールをドゲルゼイ王国に明け渡せ、そうドルヴァン陛下が要求しておられると」

 女性は座ったまま氷の様に硬く冷たい口調で聞き返す。

 それに対して男はニヤニヤとした笑みのまま殊更大袈裟に頷く。

「まぁ直裁に申し上げればその通りでございますな。

 陛下はシャルール王国にある3つの至宝を差し出せば王国の民は2等国民として遇すると仰っておられます」

「使者殿は……我が国の至宝と呼ばれているのがなんなのか、知った上でそう言われているのでしょうな」

 壮年の男が怒りに顔を歪ませながらもなんとか声音を抑える。

 

「もちろんですとも!

 いやいや、この水晶宮の美しさにも驚きましたが、リュミエーラ女王陛下の美しさも確かに至宝と呼ばれるだけはありますな。

 これならば3つ目の至宝、ユエフィラ王女にも期待できそうで、ドルヴァン陛下もお喜びになるでしょう」

 とても一国の君主を前に使者に過ぎない男が取るとは思えない態度に、そばに控えている騎士達がギリッと奥歯を噛みしめる音が聞こえてきた。

 騎士達が剣の柄に手を伸ばしたのを察したのか、女王であるリュミエーラが右腕を横に伸ばして制止する。

 

「我が愛すべき民をドゲルゼイの奴隷にする、と?」

「人聞きの悪い仰りようですな。2等国民は奴隷ではありませんよ? まぁ確かに1等国民よりは様々な権利が制限されておりますがね。それでも陛下の手を煩わせて3等国民になるよりは余程優遇されているのでは?

 私が言うのもはばかられますが、3等国民となればそれこそ奴隷と同等の扱いをされてしまうでしょうし、慈悲深く聡明な女王陛下がそのような選択をされるとは思いませんが」

「貴様っ!」

「オリーベン、控えよ」

「っ! ……失礼しました」

 あまりな言い様にオリーベンと呼ばれた壮年の男が怒りに声を荒げようとしたのをリュミエーラが制した。

 

 そして椅子から立ち上がると毅然とした態度で使者の男を見下ろす。

 たおやかな見目でありながら君主としての威厳に満ちたその視線に、使者の男は気圧されるように一歩下がる。

「使者殿の口上は確かに承った。

 しかしながら国家と民の行く末をこの場で決めることなどできようはずもない。

 国の主だった者達と十分な協議をした上で結論を定めたく思う。よって、今回はお引き取りいただきたい」

「しょ、承知しておりますとも。

 ドルヴァン陛下は“北狼の瞳”が登る時期まで返答を待つと。

 貴国の決定を伺うためにその頃にまた我が国から使者を出すことになるでしょう。リュミエーラ陛下の賢明なる決断を期待しております。

 ……ドルヴァン陛下に逆らった国がどうなったか、今更語るまでもないでしょうが、よくお考えください」

 

“北狼の瞳”とは大陸北部に遅い春の訪れを告げる明るく青い星のことだ。

 地球の5月にあたる『水の月』の初旬に南の空から登ることで知られていて、大陸北部ではこの星が登るとようやく春が来たことになり、農作物を育てるために畑を整え始めるのだ。

 まだ冬は始まったばかりであり、これから厳しい寒さと戦わなければならないシャルール王国としてはまだ多少の猶予がある。

 とはいえそれがあまりに重い決断であることには変わりがない。

 

 使者の男はそれ以上口を開くことなく踵を返し謁見の間を出ていった。

 もちろん男の前後はシャルールの騎士が監視と護衛を兼ねて案内している。

 リュミエーラとオリーベンは男を見送った後、謁見の間と繋がっているバルコニーまで移動する。

 バルコニーの下は練兵場となっており、普段は騎士達が鍛錬をおこなったりしているのだが、今は練兵場の中央に翼をもった巨大な獣が3頭と数人の甲冑姿の人間が見えるだけだ。

 

 獣はドゲルゼイ王国が誇る騎竜部隊のものであり、大陸中央山脈地帯に生息する『飛竜』と呼ばれる生き物を飼い慣らし、兵が騎乗し戦うための訓練を施したものだ。

 竜と呼ばれてはいるものの、その姿はどちらかといえば鳥に近い。

 鱗ではなく固い獣毛に近い羽毛に覆われ、前足はなく後ろ足は太く、鋭い爪も備えている。鳥と翼竜(実在した恐竜類)とティラノサウルスがごちゃ混ぜになったような姿だが体長4メートル、翼幅8メートルの巨体でありながら人を乗せて空を自在に飛ぶことのできる驚異的な存在だ。

 

 しばらくしてそのドゲルゼイの騎兵と飛竜達のところに使者の男が合流した。それから2、3言葉を交わした後、全員が飛竜に騎乗すると飛竜はその太い足で強く地面を蹴り跳び上がる。

 そしてそのまま大きな翼を羽ばたかせて舞い上がると、東に向かって飛んでいった。

 リュミエーラはそれを見届けると大きな溜息を吐く。

 そしてオリーベンに指示を出した。

 

「全ての上位貴族を集めなさい。早急にです」

 

 

 

 見渡す限り純白の雪に覆われた大地を、雪煙を上げながら疾駆する車両がひとつ。

 当然異世界にこの状況で除雪もされていない雪原を走れるような荷車などそうそうあるわけがなく、伊織達一行の乗る現代地球の車両である。

 ちなみに、この世界にも雪の積もった街道で荷物を運ぶためのものはある。

 いわゆるソリの上に荷台を載せ、寒さに強く力のある動物に牽かせるオーソドックスなやり方だが駆動装置のない場合にはもっとも効率的で、現代地球でもいまだに使われているやり方である。

 だが伊織がそんなものを使うわけもなく、今回引っ張りだしてきたのは雪上車である。

 

 雪上車は世界中の積雪地帯で使用されているが雪上車を専門に作っているメーカーは実はそれほど多くない。

 ほとんどの場合はトラックや建設機器のメーカーが既存の車両に雪用のキャタピラを付けただけだ。

 そんな中で日本有数の豪雪地帯である新潟県に本社を構え、日本唯一の雪上車メーカーとして不動の地位を築いている大原鉄工所は自衛隊制式装備の雪上車や南極観測用雪上車を製造・販売している。

 その大原鉄工所製の雪上車が今回登場した車両である。

 仕様としては自衛隊の10式雪上車と同じ全長4.65m、全幅2.25mだ。

 だが10式雪上車とは異なり後部の荷台部分も幌ではなくフルパネルであり、内装も軍事車両の無骨なベンチではなく座り心地の良さそうなリクライニングシートや30インチモニター、冷蔵庫、簡易キッチンにトイレまである。

 車体の前面にはブルドーザーのような除雪のためのブレードが取り付けられており上下動と左右への角度変更ができるアタッチメントが追加装備されている。

 さらに雪上車の後ろには一回り大きな箱型のトレーラーが連結されており車体下部は車輪と橇で接地するようになっているようだ。

 基本的に雪上車などは量産品ではなく受注生産のフルオーダー品なのでここぞとばかりに注文をつけまくったのであろう。値段は考えない方が良さそうだ。

 

 そんな雪上車の車内で鼻歌を歌いながらご機嫌な様子でハンドルを握るのは伊織である。

「伊織さん、随分機嫌良さそうね。まぁ気持ちはわかるけど」

「そうだよなぁ。リゼさんはその分大変そうだけど」

 助手席側で香澄と英太が苦笑気味に頷いている。窓際に座る英太の膝の上でルアはキラキラした目で外の雪原を見ているが。

 雪上車の助手席はベンチシートタイプでふたりがある程度余裕を持って座れる幅がある。

 最初は英太だけが座っていたのだが、伊織の顔が見られないことが淋しかったらしく走り出してしばらくしてからルアが助手席にやってきた。

 するとひとりだけ取り残される形になった香澄も結局やってきてこのような状態になったというわけだ。

 

 ちなみにリゼロッドはこちらではなく牽引しているトレーラーの方で資料の内容確認と仕分け作業を行っている。

 元々は教会が保有していたあの膨大な量の古代遺跡資料をリゼロッドが主導しながら全員で整理し、その後の精査と分析は単独で行うことになっていた。

 資料の分類と整理は2週間ほどで終了したのだが、精査と分析に関しては先に資料の内容を確認しつつさらに細かく分類し、それから分析にかからなくてはならないため門外漢の出る幕ではない。というよりも手伝いのしようがない。

 伊織ならば共同で進めることもできるのだろうが、研究者の性かリゼロッドは一部とはいえ人任せにすることを良しとせず、時々資料の片付けや複写、電子機器への取り込み作業程度の手伝いだけを頼まれた。

 

 で、手の空いた面々はその間折角なので『物見遊山に出かけよう』などと伊織が言いだした。

 というのも帝国の新たな貿易拠点となったコットラの街で、交易商人から大陸の北に“水晶の国”と呼ばれる美しい国があると聞いたからだ。

 なんでも、厳冬の大陸北部にありながら地熱と海流の関係で農業も盛んで豊かな国らしく、特に王都がある湖に浮かぶ大理石でできた白亜の王宮とオーロラは言葉では言い表せないほど美しいらしい。さらにその国を治める女王もまたそれに劣らぬほど秀麗だとか。

 その話に俄然興味を引かれたわけだが、それを聞きつけたリゼロッドが盛大に拗ねた。

 まぁ確かにこれまでさんざん伊織達の世界の料理や道具で美味しい思いをしてきたことと引き替えとはいえ、自分が必死になって膨大な資料と格闘している最中、依頼主が遊びほうけていたら面白くはなかろう。

 

 だからといってリゼロッドまで一緒になって遊んでいてはいつまで経っても資料の分析は進まない。さりとてやはり核心部分は自分で研究したい。

 リゼロッドは研究者をしているだけあって好奇心が旺盛で知らない、見たことのないものに対する興味は強い。

 ましてやこの世界の移動手段ではとてもじゃないが拠点としているバーラ王国から遠く離れた場所に行く事などできないのに、伊織達と一緒ならその好奇心を満たすことができるのだ。その機会を逃すことなどできるわけもない。

 そこでだした妥協案が移動中や滞在時の空き時間を利用して資料の分析を進め、ここぞという場所にはリゼロッドも同行するということになったわけである。

 そして、

 

「にしても、まさかヴェトさんまで付いてくることになるとは思わなかったけど」

「マジそれな。本当に良かったんすか?」

 そう。

 伊織達が一時的に帝国を離れると知ったジーヴェトまでが同行を申し出たのである。

 ジーヴェトが言うには、やはり最後まで伊織達と行動を共にしていたということで彼へ冷たい視線を向ける者が多いらしい。

 サティアス派が事実上完全に崩壊したとはいえ処罰の対象となっていない聖職者はそれなりにいる。それも当然で、光神教の聖職者の大半がサティアス派に属していた以上、全てを排除することなどできるはずもない。

 それに最初から主張が対立していたセジュー派とは異なり、ジーヴェトはサティアス派に属する聖騎士の部隊長だった男だ。要するに『裏切り者』というレッテルはいまだに健在、どころかサティアス派の高位聖職者が軒並み失脚したことで、むしろセジュー派へと向かうはずの恨みまでジーヴェトに集まってしまっているということだった。

 

 それでも圧倒的な実力で教会を叩き潰した伊織達と一緒に居れば直接的にも間接的にも手は出されない。が、伊織達が居なくなるとなればそうはいかないだろう。

 離れるのが一時的にということであればそれほど致命的な攻撃はされないだろうが反撃しづらい嫌がらせはたっぷりされるだろうし、下手をすれば実家にも迷惑を掛けかねない。

 そんなわけでジーヴェトは伊織に連れて行ってもらえるように泣き付き、伊織も雑用要員として働くことを条件に了承したというわけである。

 そして今現在はリゼロッドのアシスタントとして扱き使われているはずだ。

 

「まぁ雑用係が居ればリゼも多少は作業が進むだろうし、なにか不測の事態に巻き込まれたときも手は多い方が良いこともあるからな。

 あれで結構義理堅いし責任感も強い。多少は腕も立つしな」

「うん。ヴェトは良い人、だよ。面白いし」

 ルアは随分とジーヴェトと打ち解けているので肯定的だった。やはり公都の大聖堂に侵入したときに一緒に留守番していた影響だろうか。それにルアの人を見る目は馬鹿にしたものじゃない。

 英太と香澄にしても、伊織とルアが良いと言うのなら文句は無かった。

 

「にしても、周囲が一面雪って、距離感とか無くなりますね」

「そうね、目がチカチカしてくるわ」

 英太も香澄も東京育ちなので雪には馴れていない。

 もちろんテレビなどで散々雪国の映像は見ているし、中学校の課外授業でスキー教室も経験しているが、そこはそれ最初は一面の雪にテンションが上がった。

 ただ、当たり前だが数日間同じ景色を見ていれば飽きる。

 見渡す限り真っ白で代わり映えしないとなれば尚更だ。

 

 帝国に来たばかりの頃はまだ秋の終わりで雪も降っていなかったが、光神教絡みの後始末をしている内にすっかり冬に突入してしまった。

 そして今向かっているのはさらに北。

 進むにつれてどんどん雪深くなり、寒さも増してきている。

 ついでに言えば今回は商人達から集めた情報を基にルートを決めており、事前に地図を作成していない。

 帰るための情報収集に一定の目処がついて急ぐ必要も無い。どうせなら行き当たりばったりも楽しいだろうということで、途中の街や村に立ち寄りながら情報を集めてのんびりとやってきたのだった。

 そもそも雪上車は最高でも時速40km位しか出せないし平均はその半分程度なのである。そりゃあ時間が掛かるというものだ。

 

「さすがにいいかげん飽きてきたのは確かだな。ただ、情報が確かならそろそろ街が見えてきてもいいはずなんだが……ん? あれかな?」

 雪景色というものは距離感が掴みづらく、街も雪を被っているために分かりづらい。

 伊織が雪上車を進ませながら目を懲らすと、微かに街らしき姿が見えてきた。

 それほど大きいというわけではなく、城壁なども見あたらないが確かに村ではなく街だ。

 さらに30分も進むともう街は目前となる。意外に近かったらしい。

 

 そのまま街まで雪上車を進めようとした伊織だったが、街の入口と思われる場所まで数百メートルの位置に来たとき、衛兵と思われる武装した者達が前に立ち塞がった。両手を広げて止まるように言っているようだ。

 伊織は素直にその場で雪上車を止め、車から降りる。

 香澄達は車内に残し、英太も後に続く。

「待て! それ以上近づくな! 貴公等は何者だ。この街に来た目的はなんだ」

 衛兵が鋭い声音で誰何する。

 情報を聞いた商人の話ではこの街が属するシャルール王国は豊かで治安も良く多くの商人が訪れていて、観光目的でくる者も珍しくはないという話だった。

 さすがに冬となれば訪れる者は稀だろうから警戒するのも仕方がないとは言えるだろうが、それにしても衛兵の表情は硬く今にも剣を抜きそうですらある。

 この世界の者から見れば得体の知れない荷車だろうが、それを考慮してもかなり物々しい。

 

「騒がせて申し訳ない。

 ここから南にあるアガルタ帝国から来た旅行者だ。人数は荷車にいる者を含めて6人。

 交易商人からシャルール王国は大層美しく、特に王宮とオーロラはこの世のものとは思えないほどだと聞いて一目見てみたいと思ってやってきた」

 伊織が指示されたとおりの場所で立ち止まりそう言うと、衛兵は困惑したように眉根を寄せる。

「旅行者だと? 雪に閉ざされるこんな時期にか?」

「冬が一番オーロラが綺麗に見えるのだろう? 幸い我々には雪でも移動できる荷車があるし、もし宿などが見つからなくても寝泊まりする手段があるから特に問題ないと思っていたんだが。

 必要ならばアガルタ帝国の帝室が発行した身分証を見せるし、理不尽なものでない限りシャルール王国の法に従うと誓おう。

 どうか街へ入ることと王都までの道や美味い食べ物などの情報収集を許してもらいたい」

 

「……身分証を確認させてもらいたい」

 衛兵の一人が一歩前に出て周囲の兵に突き出していた槍先を下げさせた。

 伊織も要求に従って英太に雪上車から身分証を持ってこさせ、衛兵に渡した。

 これはオルスト王国が発行した伊織達の身分を保証する書類が思いの外効力を発揮したことに味を占めた伊織が、カタール王太子を脅してに頼んで発行してもらったものだ。

 内容は伊織達が大陸南西部の大国オルスト出身の旅行者兼研究者であり、その身分と行動の責任をアガルタ帝国が負うということを保証するものとなっている。

 多くはないがシャルール王国もアガルタ帝国と交流があるのでまったくの無意味ではないだろう。

 

「失礼しました。この時期に見慣れぬ荷車で街に近づいて来たので」

 そう言って衛兵が頭を下げた。

 ただ、警戒を完全に解いたわけではないようで、探るような目を伊織達に向けていたし、他の衛兵もいつでも武器を構えられるような緊張感をもったままだ。

 とはいえ伊織がそれを不快に思うことはない。

 最初から礼に外れるような言動をされたわけではないし、衛兵として見知らぬ者達を警戒するのは当然の職務だ。

 

「気にする必要は無いさ。荷車も俺達の服装も、怪しまれても仕方がないことは自覚してるからな。

 ただ、こちらとしても無用な騒動を望んでいるわけじゃない。差し支えなければここまで警戒する理由を教えてもらいたい。もちろん言えないなら無理に聞かない。

 それに、この街で泊まりたいと考えていたんだが迷惑なら諦めよう。まぁ王宮とオーロラを見るのは諦めたくないから通過だけは認めてもらいたいが」

 伊織が穏やかにそう言うと、衛兵の顔がようやく柔らかくなる。

「貴公は今現在シャルール王国が置かれている立場をご存じないようだ。

 我が国は東方にあるドゲルゼイ王国による侵攻を受けている。無論本格的なものではないのだが辺境の村や街が度々ドゲルゼイ兵の襲撃を受けている状況だ。

 その部隊が別の村を襲った後にこちらに向かったという情報がもたらされたのでこのように警戒している。

 といっても、もし連中が現れたとしたら我々だけでは食い止めることは難しいだろうが。

 貴公等も巻き込まれたくなければ早めに街を離れた方が良かろうと思う。できればアガルタ帝国へ帰られるのが一番だが」

 

 ドゲルゼイ王国の名は伊織達も商人から聞いていた。

 領土欲が旺盛であり得ないほど非道であるとも。

 周辺国に度々侵攻しては占領し、占領した国の民衆を奴隷として酷使しているらしい。

 もっとも話をしてくれた商人もドゲルゼイ王国に行ったことは無いらしく、あくまで人伝の話ということだったが。

 

「こっちの心配は無用だ。それなりに戦う術は持っているからな。だが……」

 カンカンカンカンッ!!

 伊織がさらに話を聞き出そうとしたとき、街の入口近くにある櫓から鐘を打ち鳴らす音が響いた。

「なにがあった!!」

「東から狼煙が上がりました! 2つです!」

「っ!…………貴公のあの荷車、人を乗せてもらうことはできないだろうか」

「ん? 乗せられないこともないが、どうした?」

「ドゲルゼイの兵を見つけたという狼煙が上がった。

 貴公等に頼める筋合いのことではないのは承知している。出せるだけの報酬も払おう。若い女や子供を乗せられるだけ乗せてこの街より北に逃げてもらいたい。2日の距離にタールという街がある。そこなら辺境騎士団が駐屯しているはずだ。そこまでで良いから頼みたい」

 

 真剣な、挑むような目で伊織を見つめる衛兵の男。

 身分証を持っているとはいえ得体の知れない男達に街の住民を託そうというのだ。街の衛兵としては苦渋の決断だろう。

 それを躊躇うことなく選択した決断力に、伊織は笑みを浮かべる。

「頼まれれば吝かじゃないが、先に教えてもらいたい。

 ドゲ、なんとかの部隊の規模はどのくらいだ? それと位置だ」

「き、規模は、別の場所を襲撃した部隊は100人ほどという話だ。ただ同数程度の予備部隊が居る可能性が高い。

 位置はこの街の東の方角だ。おそらくは一刻ほどの距離だと思うが」

 

 伊織は衛兵の言葉に頷く。

「だったらその襲撃部隊の方を俺達が引き受けよう。

 あの雪上車じゃ目一杯詰め込んでも3、40人くらいしか運べない。住民の数を考えたらほんの一部だろう?」

「そ、それは、だが、そんなことが……」

 伊織の言葉に目を丸くした衛兵の男がなにかを言いかけるが、既にオッサンは聞いちゃいない。


「英太! ルアにドローンで東側の捜索をさせてくれ。それからリゼに雪上車の運転席で待機するように伝えろ。

 準備ができたら英太と香澄ちゃんは俺と一緒にドゲだかゼイだかいう馬鹿共の殲滅だ。ヴェトは……とりあえず適当に」

「了~解!」

「伊織さん、出番?!」

「おう。どうやら遠慮のいらない相手らしいし、こっちには戦えない女子供が不安に脅えてるぞ」

 妙に生き生きと会話をしつつ、雪上車から飛び降りた香澄と伊織は踏み固められた街の入口に異空間倉庫を開くための宝玉を並べ始めた。

 なにが始まったのかわからず困惑している衛兵達をそっちのけで。

 

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