第69話 光神教の闇
すっかり日の落ちた荒れ地を10数名の男達が各々ランプを片手に歩いている。
場所は公都から徒歩で半日ほどで街道からも外れているが、腰ほどの高さの下生えと民家の屋根ほどの高さの樹木が疎らに生えている程度の荒れ地なので歩くのにはそれほど苦労はない。
魔法によって火を使わずとも辺りを照らすランプの光は些か頼りなく足元とわずか先を少しばかり見通せる程度ではあるが、基本的にこの世界の人間は夜目が利く。というより、現代地球人、特に先進国の人間が人工的な光に慣れすぎて退化しているだけなのだが、月や星の明かりだけでも大まかには周囲の様子を知ることくらいはできるし足元が見えればそれで充分なのである。
「本当にこっちであっているのだろうな?」
周囲のあまりに
この辺りは街道からも離れているし農地にも向かないため人が立ち入ることなど殆どない。
疎らにとはいえ草木が生えているせいでそれほど見通しが良いとは言えないし川なども流れていないので飲み水を確保する事もできない。そもそも目印となりそうなものもほとんどない。
公都からそれほど離れていないとはいえそんな場所に土地勘の無い者が野営地を作ることは考えられなかった。
「我々の能力を疑うような発言は控えていただきたいものですな。そう心配なさらずとも間もなく、ああ、見えてきましたな。アレが奴等の拠点ですよ」
問われた男は薄い笑みを浮かべならが答え、顎をしゃくって見せた。
その言葉で男が示した方角に目をやるが質問をした男には月明かりにうっすらと浮かんだ木々や遠くの山々のシルエットしか判別することはできない。
「もう少し行けば貴方の目でも分かるでしょう。もっとも見えたところで信じられないかもしれませんがね」
相変わらずの口元だけの笑みを見せながら言う男に、最初の男が不満そうに顔を歪めた。
(いつもながら不気味な奴等だ。大主教猊下は何故このような者達を重用されるのか)
口に出すことなく心の内で呟く。
最初に言葉を発した男の身体は光神教の聖騎士の甲冑姿だ。
男は公都の大聖堂を守護する聖騎士達の指揮官であり、伊織達が行政府を訪れた際に案内をした者でもある。
伊織達が公都内のあちこちでオーロラビジョンによる上映会を繰り広げた結果、公都には小さからぬ動揺が広がっている。
伊織達が来る以前に大聖堂から公式に発表されていた事とはかけ離れた内容が帝都の大主教や主教などの高位聖職者から語られ、さらにその者達のものと思われる信じられないほど豪奢な暮らしぶりや貯め込んだ財宝の数々、さらには長年光神教を支え公都でもその顔と清廉な人柄が広く知られているセジュー大主教が繰り広げた現在の教会のあり方への批判と罪を暴いた伊織達を擁護する発言の映像は敬虔な信徒達の心に大きな波紋を生んだのだ。
その事態を憂慮して伊織達の行動を阻止しようにも相手は帝王の勅使。
名目上止めることもできず、狂信的な信徒を使って妨害しようとしてもあっさりと実力で排除されてしまう。さりとて聖騎士達が強引に動けば逆に信徒達から不審の目を向けられかねない。
結局1週間もの間、教会は指を咥えて伊織達の所行を見ていることしかできなかった。
しかも彼等は朝になるとどこからともなく機材を運び入れて上映し始め、公都に留まることなく夕方になると機材ごとどこかに行ってしまう。
そんな状況が続く中、指揮官である男のところに伊織達の拠点としている場所が判明したという情報がもたらされた。
それを持ってきたのが現在彼等を先導して歩くこの男だったのだ。
男は聖騎士でも行政府の人間でもない。公的な立場はカリファネス大主教の使用人であるのだが、実際は私兵でありカリファネス大主教の命令しか受け付けない。
ここには同じ立場のものはもうひとりしか同行していないが、そういった私兵は2、30人ほど居ると聞いてはいるが詳しいことは何も知らされていないので分からない。
しかもそのほとんどの者は全身をフード付きの長いローブやマントで全身を覆っているので人相などが知られていない者も多く、眼前の男のように顔を晒していてもどこか人を喰ったような態度と異様な雰囲気を持っている。
指揮官の男からすれば得体の知れなさは伊織達と似たようなものだ。下手をすれば飄々としていてつかみ所はないものの伊織の方が接しやすいとすら言えるかもしれない。教会に敵対的な行動を取っていなければ反感を持つようなこともなかっただろう。
だがこの男達は違う。
人、指揮官の男に対してだけでなくカリファネス大主教や同じ私兵以外の全ての者達を見下すような、いやむしろ恨みでも持っているかのような態度が見え隠れしている。それに時折感じる狂気とも思える不穏な気配。
聖騎士として公都の大聖堂に勤め始めた当初からこれまで会うたびに怖気を振るうような不安を感じている。
(今は余計な事を考えている時ではない。少なくともこの者達はカリファネス大主教猊下に忠誠を誓っている。キーヤ神にではないことに不安はあるが教会に仇なす事はないはずだ)
指揮官の男はそう自分を納得させると、男の後を黙ってついていった。
「……なんだ、アレは?」
「見ての通り、例の異国人の拠点ですよ。どうやって作ったのかは想像もできませんがね」
指揮官の男が思わず呟いたそれはもちろん伊織のシェルター住宅である。
まだ距離があるし月明かりのうっすらとしたものでしかないがこの世界の常識から考えれば異常としか思えないその外観に驚愕するしかない。
大きさそのものは驚くようなものでもない。確かに一般的な家屋よりは遥かに大きいが規模でいえば庁舎や大店の商会の建物の方が大きいし大聖堂とも比較にならない。
だがまるで巨大な岩を丹念に削りだしたような継ぎ目のない真四角な形と形の揃った窓から漏れる灯り。とても人の手で作り上げられるような物とは思えない。
だがその建物の側には広場で様々な映像を映していた壁が入った檻が置かれているし、それを運んでいたという空飛ぶ筒状の荷車、公都の中を走り回っていた動物の牽かない荷車が駐まっている。
「一応の確認ですが、段取りはご理解いただいていますよね?」
案内の男が嘲るような声音で指揮官の男に尋ねる。その言葉にムッとした表情を隠すことなく頷いた。
「もし可能ならば全員を暗殺するが主目的は拠点に隠密に長けた者を忍び込ませる事。そのどちらもする隙が無いようならば大主教猊下からの書状を渡し会談の交渉を行う。重要なのは相手に警戒させないこと、だろう。
だがあの建物が奴等の拠点ならば潜入させるのは無理ではないか?」
「確かにその通りではありますねぇ。まぁ一応周囲に20人ほど隠れさせてますから出てきさえすれば何とでもなるでしょうが奴等の手の内を把握できない内はあまり無理をしたくはありませんし。最低限連中を大聖堂におびき寄せることができれば始末はつけられますから」
指揮官の男は複雑な思いを噛みしめながらごく小さな溜息を溢す。
聖騎士として光神教とその信徒を守っているという自負があり、それを誇りにしている。
それがまるで無法者のように謀に従い暗殺やら罠に嵌めるために誘き出すやらといった後ろ暗い事に加担しなければならない。
確かにあの異国人達は教会にとって好ましくない者達だろう。事の是非はともかく光神教と敵対し、教会を貶めようとしている。排除しなければならない存在であることは確かだ。
だがだからといって無法に無法を持って対して良いわけではない。ましてや暴力的な手段を使って来たというわけではないのだ。
本来ならば教会の正当性を証し立てて不当に貶める行為を糾弾することで対抗するべきだ。ところが命じられたのはチャンスがあったら暗殺しろ無くても罠に嵌めろというもの。
これは男の聖騎士としての矜持を深く傷つけるものだ。だが教会に勤める者として大主教の命令には従わなければならない。男の後ろに従っている他の聖騎士達の心情も似たり寄ったりだろう。
男達が懊悩を抱えながらも歩を進め、建物まであと50メートルほどまで近づいたその時、何の前触れもなく周囲が目も眩むような光に照らされた。
といっても目を焼くというほどではなく、まるで昼間のようにといった表現になるくらいの明るさだ。
頼りないランプの灯りと月明かりで慣れた目には眩しいが行動が阻害されるというわけではない。
「な、なんだ?!」
「これは……気付かれた、んでしょうが……まぁ考えても無駄ですね。この明るさでは夜陰に乗じて近づくのは無理です。カリファネス様からの招待状を渡すだけにしましょうか」
「あ、ああ、承知した」
突然周囲が明るくなった事に驚愕する男達。
見回せば建物やいくつもの木々に大きなランプのような物が取り付けられそこから眩い光が発せられている。
これほどの光を放つ道具には驚くがそれも今更だろう。広場で見た映像を映し出す壁に比べればまだ理解できるというものだ。
指揮官の男が恐る恐る建物の入口に近づく。
(……どうすれば良いのだ? 大声で声を掛けるか?)
近づいたは良いが、ドアらしきものに
案内してきた男の方にも目を向けるがフイッと目を逸らされてしまう。
『我々の能力を疑うな』と曰ったご自慢の調査力もこんなところまではサポートしていないらしい。
『何か用か? 呼んだ覚えは無いんだが』
戸惑ってワタワタしている指揮官の男に、不意に声が掛けられ驚いて思わず腰の剣に手が伸びる。が、すぐに思い直し要件を伝えた。
姿は見えないがどうせまた何か仕掛けがあるのだろう。最早理解することを諦めた様子なのはどうしてなかなか見所がある。
「大主教猊下が先日の訪問の際に貴公等にすぐに会えなかったことの謝罪と、腹を割った話がしたいと望んでおられる。
明日、3の鐘が鳴る頃大聖堂でお待ちするとのことだ。書状を持ってきたので確認してもらいたい」
指揮官の男の言葉に返事は無かった。
が、数十秒の後、ドアの向こう側に気配を感じ、そして何かが動く音がすると静かに扉が開かれた。
その直前、案内の男が別のひとりに何やら目配せをするとその男が扉の死角になる位置に移動する。
目的は分かりきっている。隙があるなら中に突入するなり出て来た者を殺すなりするつもりだろう。その時には周囲に潜んでいるという大主教の私兵達が一斉になだれ込んでくるはずだ。
だがそれが実行されることは無かった。
扉が開かれ、姿を現したのは壮年の無精髭の男ひとり。つまりは伊織だ。
口元に皮肉気な笑みを浮かべているものの指揮官の男が以前会ったときと同じ飄々とした雰囲気だ。
だが、伊織と間近で相対した案内の男は思わず一歩下がる。というか階段から一段落ちる。慌てて手摺りを掴んで転倒は免れたようだが。
「んで? 大主教サマからの御招待だって? 前に会おうとした時は門前払いだったくせにどういう風の吹き回しだ?」
「あ、いや、前回は重要な祈りの最中だったために行政府の者達が気を利かせたつもりだったのだ。帝王陛下からの勅使に対し適切な対応ではなかったと担当の者に苦言を呈されていた。
ただ、色々とたて込んでいたために謝罪が遅れた事をお詫びしたいとそう仰っておられる」
見え透いた言い訳である。
名目上は大主教は教会内だけの地位であり、行政府は大公の管轄下の組織だ。だが宗教国家であるキーヤ公国においては教会内の地位は事実上国家での地位であり役人はすべからく大主教の部下でもある。
にもかかわらず叱責ではなく苦言を呈したということは実質何もしていないと言っているようなものだ。それに門前払いしてから既に1週間が経過しており、その間毎日公都の大聖堂前に陣取って嫌がらせを続けていた伊織に何らアクションを起こしていないのだから謝罪するつもりなど無かったことは明らかである。
そもそも使者である指揮官の男の言葉には大主教に対する敬意はあっても勅使たる伊織達に対する敬意がない。
もっとも伊織からすればそれも当然織り込み済みであり、何を企んでいるかなど考えるまでも無いことだ。
「へぇ? まぁいいや。明日の昼過ぎねぇ、了解した。せいぜい盛大な歓迎を期待していると伝えてくれ」
伊織は受け取った書状の内容を確認するとあっさりとそう答え、用は済んだとばかりに扉を閉めてしまった。
その態度に少々不満はあるものの指揮官の男は最低限の役割を終えて小さく息を吐く。
暗殺も潜入も果たせなかったので本当に最低限でしかないのは分かっているが、この建物の異様さと伊織の隙のなさを考えればやむを得ないと考えるしかない。
入口は2重構造となっているようで伊織の背後にも堅牢そうな扉が見えたので強引に侵入しようとしても果たせるとはとても思えなかったのだ。
「ふぅ……ん? どうかしたのか?」
指揮官の男が階段を降りると案内の男は俯いて何やらブツブツと呟いている。この男の指示で扉の影に隠れていた男にいたっては硬直したかのように身動ぎひとつせずにその場に留まったままだ。
「……なんだアレは?…ダメだ……こうなったら……いや、それより……」
「お、おい、どうし……」
惑乱し何かを呟き続ける男に指揮官が声を掛けようとした瞬間、ガバッと顔を上げた男が狂気を含んだ目を向けた。
「あの男は危険です。カリファネス様をお守りするために聖騎士の方々の協力をお願いしたい」
「う、うむ。それは吝かではないが」
本来聖職者や信徒を守るのが聖騎士の務めである。
ましてや伊織達が教会にとって危険なことは十分承知しているため、協力を求められるまでもなく警護には全力を持ってあたるつもりでいた。
だが、男の言う協力と指揮官の男の考えるものとは大きな隔たりがあることを知ったときには全てが遅かった。
翌日の指定された時刻の少し前に伊織達は大聖堂の正門に来ていた。
メンバーは伊織、英太、香澄、リゼロッド、それからセッタの5人である。
さすがに手ぐすね引いているであろう罠に飛び込んでいこうという場所に身を守る力のないルアを連れて行くことはできない。
未だに力の底を見せない伊織であってもそれは同じで、特に今回は事前調査が十分とは言えないため、ルアには留守番していてもらうしかなかった。
しかし伊織はもちろん、英太と香澄は戦力として必要だったし、場所がリセウミス期時代の遺跡を利用した大聖堂であることを考えると専門家であるリゼロッドの力も必要とする場面があるだろう。
そんな中でルアのお守りに名乗りを上げたのはジーヴェトだった。
「俺が嬢ちゃんの相手しながら待ってることにするわ。やっぱり元とはいえ同じ派閥の連中相手に戦うってのは気が引けるし、そもそも俺程度じゃ足手まといでしかないからな。っつっても俺は結婚したことも子守したこともねぇからな。様子を見てるってくらいしかできないだろうがよ」
普段の態度からもさほどサティアス派に未練があるというわけでも無いようなのでおそらくは後半の言葉が本音だろう。といっても別にジーヴェトが騎士として弱いというわけではもちろんなく、伊織達4人が規格外というだけである。
それどころか以前にも言ったが聖騎士の中でもその剣の技量と指揮官としての能力で知られたほどの男なのである。
そして伊織達と出会ってから初めて4人の内ひとりも側に居なくなるという状況に不安になって縋り付くと思われたルアだったが、寂しそうな表情はしたものの大人しく留守番することをあっさりと了承した。
ルアは人の心情を察するのが上手い。というか、そうしなければ生きていけない状況に置かれていた期間が長かったために身についた能力だろう。それに幼いながらもかなりの洞察力と判断力を持っている。
だから今回が我が儘を言って良い状況では無いということを理解しているのだろう。
それと伊織が自分を見捨てたりしないという信頼をここまでの道程で築き上げることが出来たという部分もある。
「伊織さん、あの人にルアちゃん任せて大丈夫っすかね」
道中で英太が伊織に確認していた。
ジーヴェトはろくでもないことばかりしていた光神教のサティアス派に所属していた聖騎士だ。しかも伊織によって半ば脅すような形でここまで同行してきたという経緯もある。英太からすればいまひとつ信用しきれないというのが本音である。
「まぁ大丈夫だろ。元々ルアの目のこともほとんど気にしてなかったようだしな」
そんな英太の懸念を伊織はあっけらかんと吹き飛ばす。
実際、伊織はジーヴェトのことを割と気に入っているようだ。
これまで共に行動していて、口にする言葉とは裏腹に伊織達に対して恨んでいる様子は見られないし、そもそも以前本人が語っていたように食っていくために聖騎士になったらしくそこまで光神教に思い入れが深くないようだった。
そして何より伊織が評価しているのは、最初の邂逅となった技術者達への襲撃の際、その指揮の的確さはもちろん最後まで護衛対象だった司教を見捨てずに最善を尽くそうとした心根だった。さらに言えば司教との関係もそれほど深いものではなかったにも関わらず、だ。
性格は大雑把で明け透けな部分があり面倒見もいい。聖騎士部隊の指揮官をしていたときも部下からの信頼も篤かった。
愚痴と文句は多いがそれだけに気安い態度で接することができルアとも割と打ち解けている。
それに、万が一を考えてシェルター住宅の中には以前カタラ王国の離宮が襲撃されたときに使用した屋内設置用シェルターが避難場所として複数設置されているし、出入口はロックされているのでジーヴェトは外に出ることができないのだから自棄にならない限り彼がルアに危害を加えることは無いだろう。
もちろん最悪を想定してルアにだけは非常口の場所と出る方法などは教えてあるが。
そんなわけで万全の態勢で大聖堂にやってきたというわけである。
ちなみにセッタも足手まといではあるが、こちらは強硬に同行を申し出てきたので一緒に来ている。融通が利かないほど責任感が強いらしい。
伊織達がコブラを降りて門を通るとひとりの男が走り寄ってくる。
どこかで見たような、と思ったら最初に行政府で伊織達をガン無視していた役人だった。
「お待ちしておりました。大主教猊下の居る場所までご案内します」
相変わらず勅使の前での猊下呼びにいちいちツッコムことはせずに大人しくついていく。
ちなみに伊織達の服装だが相変わらずのミリタリーウェアでリゼロッドだけはその上から魔術師らしくローブを被っている。
英太は腰に2本差しだが香澄も伊織も小銃などは持っていない。両腋はちょっと膨らんでいるが。
「……なぁ、伊織さん、なんか機嫌悪くないか?」
「そうね。セッタさん達からの報告を聞いてからだと思うから何か気になる部分があったのかも」
役人の後ろを歩く伊織とリゼロッドのそのまた後ろで英太と香澄が小声で囁き合う。
伊織は普段通りの態度ではあるが、ほんのわずかな雰囲気の違いを感じているのだ。
だからといって聞いても答えてはくれないだろうし考えても無駄かと高校生コンビは肩を竦めあった。
一言で大聖堂といっても敷地内にあるのは正門から見て正面にある本当の意味での大聖堂だけではない。
行政府の建物や聖職者達の宿舎などいくつもの建物が広大な敷地に点在している。広さでいえば庭園全てを含むベルサイユ宮殿を遥かに凌ぐ規模だ。というか公都の他の部分全てを合わせたよりも広いかもしれないほどである。
といっても広大な敷地に比して建物が占める面積はそれほどでもなく、人工的に作られた池や水路、黄色みがかった葉を茂らせるクローバーに似た草を一面に植えた庭園が大部分だ。光の神を奉る場所だけに陽が注ぐと反射してキラキラと輝くらしい。
教会の施設の重要な部分はリセウミス期の遺跡を流用しており大部分は地下にあるという。
伊織達はそんな広大な敷地を嫌がらせのように歩いて移動する。
そして大聖堂の脇を通り抜けて裏手に回ったところにある小さな建物の中に案内された。
そこで待っていたのは3人の人物だ。
生成りの神官服を着たどこか虚ろな目をした若い女とローブを着た痩せ型の男、それから部屋の中央に置いてある応接セットのソファーの前に立つ銀色の長い髪に流麗な容貌をした20代半ばの男だ。
「ようこそおいでくださいました。このような形でお呼び立てしてしまって申し訳ございません。私はこの公都で大主教を務めさせていただいておりますカリファネスと申します。
お恥ずかしい話ながら帝王陛下の勅使の方が公都にいらっしゃっていたことはつい先日耳にしたばかりでして、対応が遅れてしまったこと心よりお詫び申し上げます」
「は?! 大主教?」
「え? あれ? セジューさんとどっこいの年齢って聞いてたけど?」
英太と香澄がカリファネスと名乗った男の顔を見て驚きの声を上げる。
何気に、どころではなく失礼である。指までさしてるし。
そして伊織はといえば、カリファネスが促すよりも前に彼の正面のソファー、そのど真ん中にどっかりと座りふんぞり返って足を組む。
失礼や無礼を通り越して喧嘩を売っているとしか思えない態度である。
残るリゼロッドは厳しい表情で睨むようにカリファネスを見ている。
シュッ、ボッ! ジジジジジ……
「ふぅ~~~……まぁ取り合えずこちらの要求を伝えておくが、光神教は遺跡と魔法に関する資料及び教会が開発した魔法と魔法道具に関する資料を全て帝国に引き渡してもらう。その上で今後魔法や魔法道具に関する研究と遺跡の調査を禁止する。これまでに得られた財貨と魔法に関わらない財宝の所有権に関しては引き続き認めるがまずは帝国の査察を受け問題ないと認められたものに限る。
これらは教会が遺跡から発掘された資料を基に危険な魔法と魔法道具を開発し帝国に対し謀反を起こしたこと、それと不当な手段を用いて財貨を得ていたという光神教と帝国の信義誠実の原則を踏みにじる行為に対する措置ってことだ。
証拠は揃ってるからいちいち反論すんな。面倒臭いだけだからな。
ってことで、速やかに実行してもらおう」
ふんぞり返ったままタバコをふかしつつ、伊織が一方的に言ってのける。
「随分と性急で高圧的なお言葉ですね。帝国内の他の高位聖職者が反乱に関わっているというのが仮に事実であっても総本山である公国の教会が関わっている証し立てられたわけではないかと存じます。
まずは帝国の査察団の調査を行い、その上で万が一疑わしい事柄があれば改めて釈明の機会をいただくのが筋というものではないでしょうか。
確かに今でも公国は帝国の臣下ではありますが自治権を持つ立派は国家であります。それをこうまで一方的に呑めぬ要求を突きつけられては帝国との間の絆に罅が入るというもの。
どうか尋常なる手続きで話を進めていただければと思います」
整った顔であくまで穏やかに応じるカリファネス。
絵面だけ見れば理不尽な要求をするチンピラと冷静に対応する弁護士とでもいった感じだ。一方は主人公なのに。
しかし伊織はカリファネスの言葉を鼻で笑い飛ばす。
「おいおい、人間辞めちまった奴をまともに相手する意味がどこにあるんだ?」
その言葉にカリファネスが浮かべていたうっすらとした笑みが消える。
「……人間を辞めたとは心外なお言葉ですね。私はキーヤ神に至情でお仕えする身、その御心に近づくため日々研鑽しております。それによって確かに他の者よりもキーヤ神の御力を体現することが叶うようになりましたがそれを……」
「その御心とやらに近づくためにしたことが他人を生け贄にして魔力を吸い取ることか?」
「「!?」」
「伊織さん、それって」
カリファネスの眉が跳ね上がり、英太のほうは思わず伊織に目を向ける。
だが香澄は思い当たることがあったのだろう、細く鋭い視線をカリファネス達に向ける。
「どうにもこの地域に住んでた古代魔法王国の連中はろくでもない研究をしていたみたいだなぁ。
人間の生命力を全て魔力に変換して利用する、人間の身体を改造する、それに人間の精神を消滅させて生きた操り人形を作る。どれもアンタらの技術じゃ実現できないものばかりだ。
だったらそれは発掘された遺跡で見つかった資料を解読して復活させたってことだろう?
なぁ? どこに居るのかは知らないが、自分だけは安全な場所に隠れて人形越しに話してる大主教サン?」
「……驚きましたね。いつから、どうして分かったのですか?」
「噂になってる奇跡のほとんどは魔力のゴリ押しでできるものばかり。過剰な魔力で老化も止めているんだろ。もっとも若返ることまではできないから相当以前からやっていたはずだ。
それに昨日俺達のところに来た連中の中に明らかに魔力の流れがおかしい連中が居た。あれは魔法で肉体を改造された人間特有のものだ。
極めつけは今目の前にある
伊織はそこまで言っておもむろに懐からP320-X5を抜き間髪入れず
伊織は人形と呼んだもののどう見ても生きた人間にしか見えない。
実際に打たれた腹部からはドクドクと血が流れ、瞬く間に座っているソファーの座面から滴り始めている。
だが普通ならば痛みや苦しさでのたうち回るであろう深手にも関わらず、何事もなかったように平然と、むしろ笑みさえ浮かべて人形と呼ばれた男が口を開く。
「くっくくくく……どうやら私は貴方達を甘く見すぎていたらしい。ただ、人形を殺したところで意味はありませんよ?
ですが折角こうして来て頂いたのです。私は本当の神殿でお待ちすることにしましょう。直接お会いするのを楽しみにしていますよ」
その言葉を最後に人形はソファーから崩れ落ち、それきり動くことはなかった。
「伊織さん、どうするんですか? って、あっ?!」
「!! 待ちなさ…」
「ああ、良い良い、ほっとけって。どうせ後で会うだろうし。リゼ、辿れたか?」
人形が倒れたのとほぼ同時に部屋にいた別の男は素早く部屋の奥の壁まで移動し、隠し扉の向こうに姿を消す。
英太と香澄が気付いたときには既にローブの裾が扉の隙間を抜けようとしており、慌てて追おうとしたのを伊織が止める。
この言葉にようやく平静を取り戻したふたりが伊織の側に戻ると、リゼロッドが人形の身体を調べだし、しばらくして首を振った。
「無理ね。魔法の痕跡はあるけどどこから操っていたのかまでは分からないわ。ただ、それほど遠隔では操れない筈よ。じゃなきゃわざわざ私達をここまで呼んだりしないでしょうから」
「そうなるとやっぱり本当の神殿とかいう場所に行く必要がありそうね」
「どう考えても罠っぽいけど、行くっきゃないっすかね」
「そうね。胸糞悪い話も聞いたし、これ以上連中に遺跡の資料を渡しておくわけにはいかないわよ。何とかアンタ達でぶちのめしてね」
「他力本願で何とかしようとすんな。連中の本丸は遺跡らしいしリゼの得意分野なんだからたっぷり働いてもらうぞ。
さて、どんな歓迎をしてくれるのかは知らないが、それならそれでこっちも遠慮せずに行けるってもんだしな」
「っつか、今まで遠慮とかしてたんですか?」
「伊織さん、私バレットM82撃ってみたいんだけど」
交わされる言葉だけを聞いていればまったく緊張感が感じられないのだが、足取り軽く部屋を出て行く面々の顔は、ちょっと見せられないほど凄絶な笑みを浮かべていた。
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