第58話 賓客と招かざる客と歓迎するオッサン

「……というわけで、離散していた者達の帰還は完了しました。全員が引き続き殿下の下で働くことを希望しております」


「えい!」


「そうか。ありがたいことだが、とにかく報賞と数日の休みをやってくれ。その上で意思が変わらなければ来てもらおう。それで、被害はどうなっている?」


「あ?! え?! そこもひっくり返るの? あ~っ! マジか!?」


「確定ではないものの助からなかったのが7名、捕らえられたのが4名です。掴まった者の所在は現在調査中ですが、おそらくは……」


「英太、完敗ね。っていうか、まだ始めたばかりのルアちゃんに大差で負けるって、弱すぎるわよ」


「遺族には可能な限りの補償と今後の支援をするしかできないが、説明には私が直接出向こう」


「いや、俺が弱いんじゃなくてルアちゃんが強いんだってば!」


「何も殿下が直接話す必要は無いかと。彼等とて護衛騎士ですから常に覚悟はしていたはずですし、おかげで殿下は無事に帰還する事ができたのですから本懐でしょう。私とセインが遺族には説明致しますから」


「そ~かな~。だってこの間は伊織さんに白一色にされてたじゃない」


「私が彼等の忠義に報いたいのだ。何百ということならさすがにそうもできないだろうが、11名ならば私の口から話をして礼を言いたい」


「やめてくれ~! アレはトラウマになってるから! っていうか、伊織さんが強すぎるんだってば! 直前まで俺の方が多かったのにたった3手で全部引っ繰り返すとかあり得ないって」


「やむを得ませんな。ですが、殿下の身の安全を図ることが第一です。遺族の者達に外門内まで来てもらいましょう」


「まぁ確かに伊織さんは別格としても、ルアちゃんも凄いわよ。私も油断してると負けそうになるし」


「うむ。ならばそうしよう。ところで……」


「で、でも、カスミお姉ちゃんにはまだ勝ったことない。パパにはいっぱいハンデ貰って勝てたけど」


 帝都の宮殿にある第4帝室宮。

 その一室、ウイールの執務室兼応接室でヴェルフェンの報告を受ける王子様は、チラリと視線をソファーとそこに陣取って白黒のボードゲームに興じる少年少女&幼女に向ける。

 3人ともここが仮にも帝国の王位継承権者の執務室であることを微塵も気にする様子無く賑やかな声を上げている。

 おかげで話がし辛いといったらありゃしない。

 

 彼等の保護者たる大人達はというと、リゼロッドは入口近くに形式上置いてあるだけで滅多に使うことのない書記官のデスクに着いて、伴ってきていた光神教会の騎士達と話をしていた。

 どうやら教会が使っている魔術や魔法具の聞き取りなどをしているようで、少し距離があるために声はそれほど聞こえてこないが、こちらもウイール達に遠慮しているような素振りは微塵も感じられなかった。

 ウイールの視線を追ってそれらを見たヴェルフェンも苦笑いするしかない。

 

「まぁ恩人ですからな。それにこの場であれだけ自然体でいられるというのも頼もしいことです。ところでイオリ殿が見あたりませんが」

「イオリ殿は『タバコを吸ってくる』と言ってバルコニーに行った。

 あと、別に彼等の態度に不満があるわけではないぞ。ただ、この厳しい状況で落ち着いていられるのが羨ましいだけだ。

 私などは先日の物資の亡失の件と併せていつ何を言われるか戦々恐々としているというのに」

「今のところ宰相府からは何も言ってきておりませんな。イオリ殿の助言に従っただけですが、あの一言で奴等も下手な手出しができないのでしょう」

 

 ウイール達が帝都に帰還した翌日、バッカオ砦に向かう途上で襲撃を受けたこととそのせいで届ける資材を失った事を行政府に報告した。

 権謀術数渦巻く宮殿内、それも後継者競争が激化している今はどんな些細な失態も致命傷となりかねない。それは字面通り命を失うことも充分あり得る。

 そんな状況で資材の亡失というウイールの過誤に、他の候補者達が黙っているわけがないのだが、伊織が報告の際に『貴重な資材を失った事に責任を感じている。ついては責任を取るためにも襲撃してきた者達の身元や目的を調査し明らかにしたい。街道警備の兵士が野盗集団の存在を把握していなかった事から奴等はこちらの輸送経路や運搬の日程などを事前に把握していたことは明らか。その情報をどこで得たのかも含め徹底的に調べたい』と告げるように助言を受けた。

 

 加えて『調べる方法はいくつもあるし、それほど時間も掛からないだろう』と付け足すと対応していた行政府の官僚の顔が引きつっていた。

 バッカオ砦にウイールが慰問に訪れるということ自体がウイールを暗殺するためだということは明らかであり、当然宰相府や行政府の高官が関与していることも間違いない。

 事は帝位継承権者、王族の暗殺であり、いくら後継者候補同士の暗闘が公然の秘密となっているとはいえ関与した者が明らかになればただで済むはずがない。

 そしてその言葉を補完しているのが見たことのない荷車と外国人の集団である伊織達の存在である。未知の技術を持った得体の知れない連中がウイールに味方している。

 その上で平然としていられるのは余程証拠隠滅に自信があるか清廉潔白な者だけだろう。

 結局報告から数日経ってもいまだにウイールに対する処分が決定していないというのは、官僚達がそのどちらでもないということだ。

 

 そのやり取りを思い出して肩を竦めるウイールとニヤリと口元を歪めるヴェルフェン。

 と、執務室の扉が叩かれ、ウイールの執事のようなことをしてくれている初老の男が顔を覗かせた。

「失礼します。殿下、アルグラッド子爵令嬢カレリア様がお越しになりました」

「もうそんな時間か? いや、通して…」

「ウイール様!」

 最後まで言い終える前にウイールの名を呼ぶ声が響き、執事役の男が強く押しのけられて若い女が飛び出してくる。

 

 話の流れから察するにこの女性がカレリアという令嬢なのだろうが、普通なら執事が王子に来客を告げて許可を取り、その後案内に従ってこの部屋まで来るという順番なのが、待ちきれずに執事を追いかけて部屋が開いた途端に執事邪魔者を押しのけたという、少々、いやかなり令嬢らしくない行動力を発揮している。

 押しのけられた執事役の男は年齢のせいか反応できずにひっくり返ってしまっていた。腰の具合が心配である。

 カレリアはさすがにウイールに飛びつくまでの暴挙に及ぶことはなく、手前で停まるとウイールの全身に素早く目をやると安心したように大きく息を吐いた。

 この国の女性としてはやや高い背に赤みがかった金髪をアップに纏め、ロココスタイルというのか、所々に刺繍などの装飾が施され腰回りをパニエで膨らませた淡い青色のワンピースドレスに同系のやや色の濃いジャケットを羽織ったなかなかの美少女である。

 そしてその令嬢は、室内の人達の視線を一斉に浴びていることと同時に自らの令嬢らしくない行動を思い出し、顔を真っ赤にして深々と頭を下げた。

 

「あ、あの、申し訳ございません。ウイール様の行方が分からなくなったという知らせを聞いて心配していたところ、先日帝都に帰還されたと報告を受けて、その、どこかお怪我でもなさっていたらと、えっと、し、失礼致しました」

 真っ赤な顔を伏せたままワタワタと言い訳するカレリアに、ウイールが軽く笑いながら首を振る。

「心配掛けてしまったようですまない。身が危うかったのは事実だが護衛騎士達の献身と予想もしなかった幸運のおかげでなんとか帰ってくる事ができたよ」

 そう返す表情にはカレリアに対する親愛が現れているように見える。

 ウイールは伏せたままのカレリアの手を取って甲にキスすると、その顔を覗き込む。

 さすがは王子様。どう見てもイケメンの仕草である。

 イケメン王子様にそんなことをされた令嬢はますます恥ずかしがってしまったようだ。

 ちなみに古狸が若かりし頃、当時付き合っていた女性の顔を下から覗き込んだときに『チンピラがメンチ切ってるとしか思えない』と言われて大層ヘコんだものである。

 

「う~ん、なかなか綺麗なお嬢さんじゃないか。殿下も隅に置けないねぇ!」

「うわっ?! い、イオリ殿? いつの間に」

「え? あ、あの…」

 ついさっきまで姿が見えなかったはずの伊織が突然現れ、ニヤニヤしながらウイールの肩をバンバンと叩く。

 まるで親戚が集まる席で新婚の甥をからかう酔っぱらったオッサンである。

「うっわぁ~、伊織さんめっちゃ楽しそう」

「相手王子様って事忘れてんじゃないのかな?」

 高校生コンビのツッコミもなんのその。

 伊織はウイールを促してカレリア嬢をソファーまで移動させる。

 そしてウイールとカレリアを同じソファーに腰掛けさせると、先程までルア達が遊んでいたリバーシを退かして対面に座った。すかさずルアが伊織の隣に陣取る。

 すると、それまで部屋の隅っこでジーヴェトとセッタ相手に聞き取り調査をしていたはずのリゼロッドまでいつの間にか寄ってきて当然のようにルアと反対側に座る。

 

「あ~、その、イオリ殿に紹介する。こちらは私と親しくしてくれているアルグラッド子爵家の令嬢、カレリア殿だ。

 カレリア、彼は私が襲撃者に追われているときに危ういところで助けてくれた、大陸南部の大国オルスト王国から来たイオリ殿とその仲間の方々だ」

 伊織は自分達の出自の説明を実に適当な言葉で終わらせていた。曰く『オルストのから来た旅行者だ』と。『消防署の方から来た』と消火器を押し売りしていた昭和のチンピラみたいなものである。しかもその理由は単に面倒だからというものなのだから始末に負えない。

 とはいえ、そんなことは知らないカレリア嬢は慌てて立ち上がると優雅な仕草で頭を下げる。異世界物の定番としてはカーテシーなのだろうが、普通のお辞儀である。多分近世ヨーロッパのご夫人のような鎧めいたコルセットはしていないのだろう。

 

「ウイール殿下を救っていただき、アルグラッド子爵家に代わってお礼申し上げます。

 殿下は我が子爵家にとっても大恩ある御方。今後私共に求めるものがございましたら何なりと申しつけ下さいませ」

「いやいや、こっちは王子様と契約を交わしただけだからお気遣い無く」

「そうそう! それより、お二人のご関係は? 出会った馴れ初めとか親しくなった切っ掛けとか、結婚の予定は?」

「リ、リゼロッド殿?!」

「あ、あの、その…」

「……親戚のおばちゃんにあーゆー人いるわ」

「うちにも居るわよ。父方の叔母がそうだし、近所の自治会長の奥さんもそうね」

 今にも吹き出しそうな表情で笑いを堪える護衛隊長と呆れたように距離を取る少年少女。今だけは宮廷内の暗闘もどこ吹く風であった。

 

 

「3年ほど前になるのですが、とある侯爵家に難癖を付けられて所領の中心である港町を奪われそうになったのです。

 我が家の領は元々水産物が主産業だったのですが祖父の代から時間を掛けて少しづつ港と造船設備を整備してようやく交易が盛んになってきた頃でした。

 爵位も資金力も大きな差のある侯爵家が相手とあって、付き合いのあった貴族家の方々も及び腰で、結局どこも助けてくれようとはしませんでした。

 しかしそのことを知ったウイール殿下が間に立ってくださって、侯爵家の主張が言い掛かりに過ぎないことを証明して逆に賠償金を払うよう命じてくださったのです。

 さらには同じようなことを他の下級貴族にもしていたことも追及し、結局その侯爵家は没落し財産と所領のほとんどを失った事で報復を恐れる必要も無くなりました。

 以来、我がアルグラッド家はウイール殿下に忠誠を誓っております」

 王家そのものではなくウイール個人に対して忠誠を誓う。

 なかなか危険な発言ではあるが、他の候補者を支持している貴族達もやっていることは同じだ。

 

「んもう! それで、貴女自身はこの王子様のことをどう思って…痛っ?!」

「はいはい、その手の質問はまた今度な」

 簡単な自己紹介の後、令嬢から説明を受ける伊織達。

 すかさず脱線させようとしたリゼロッドをデコピンで窘め、伊織はルアに視線を落とす。

「ルア、ルアはこのねーちゃん、どう思う?」

「良い人、だと思う。それと、王子様の事、すごく好きだと思う」

 人の気質や感情に敏感なルアがそう言うと伊織は優しく頭を撫でた。

 対するカレリアは一瞬で茹で蛸のように顔だけでなく露出している部分全てを真っ赤にして縮こまった。

 

「ふむ。さて、王子様は結局どうするんだ? 腹を括るのかそれとも逃げに徹するのか。ちなみにこのご令嬢とのキャッキャウフフのことじゃないぞ?」

 ホンワカした空気を無視して伊織がウイールに視線を向ける。

 その表情は真剣そのものだ。

「ど、どういう意味だ?」

「このご令嬢がここまで言い切るってことはアルグラッド子爵家が王子を支持しているのは他の連中にも知られているだろう。当然、アンタ以外が帝位に就けば立場は危うくなる。立場だけでなく財産も命も、な。

 だから決断しなきゃならない。

 自分と近しい人だけを連れて他国に亡命するか、それともたとえ兄姉殺しの汚名を着ようが他の候補者を蹴落として手出しできないだけの立場と力を手に入れるか。

 あれだけ直接的に手出ししようとしたんだ、迷ってる時間はねぇぞ。

 ……どっちを選ぶ?」

 

 

 

 王宮の内門を過ぎたところに最初にある2棟の建物。

 第4帝室宮と第5帝室宮である。

 帝位継承権を持つ王族の中でも比較的継承権の低い者が暮らす事になっているこの建物は、内部が5つの区画に分かれている。

 1階部分は大食堂やホール、遊戯室、書庫などの共用施設で占められている。

 2、3階部分はそれぞれ南北で区切られており、その4つの区画にそれぞれ王族が割り当てられている。

 ちなみに継承権第2位の第2王子、オッセルは自ら望んで第5帝室宮の一角に居室を移しており、しかも普段は北方砦の兵舎に寝泊まりしているため滅多に王宮の部屋に来ることはない。使用人も最低限施設を維持するために2名しか居ないという徹底ぶりだ。

 

 ウイールの居室がある第4帝室宮はウイールの他に3人の弟妹が暮らしている。

 ただ、継承権が低いうえに母親の身分も高くなく、さらに年若いのでまだ才覚が評価される段階でもない。それ故に現在の後継者争いに巻き込まれることなく平穏な生活が維持されていた。

 もっともそれさえも選ばれる後継者によっては後に禍根を残さないために排除される可能性は捨てきれないが。

 ウイールに割り当てられた居室は2階の南側であり、執務室や寝室、従者や護衛の詰め所、小食堂、浴堂など、生活するのに不自由のない設備が揃っている。

 同じ第4帝室宮の弟妹達との仲も悪くはなく、1階の大食堂で一緒に食事したり談話室で談笑したりすることもあるが、後継者レースの激化に伴い巻き込むことを恐れたウイールが距離を取っているので最近では顔を合わせることが少なくなっている。

 

 そんな第4帝室宮に、それも深夜、人が寝静まった時間に近づく人影がある。

 冬に近いこの季節、大陸西部は曇天が多くこの日の夜空も厚く覆った雲によって星も月もその光を地表に届かせることは叶わない。

 内門の周囲には魔法具による篝火代わりの灯りがあるので多少は見通すこともできるがそこから離れると質量を伴うかのような暗闇で自分の手足すら見る事はできない。

 そんな中を、さすがにさほど速くはないが迷い無く進む人影の足はやがて帝室宮の玄関に辿り着く。

 玄関は横長の建物の東側中央にあり、入口の大扉の両腋にひっそりと明かりが灯されており、人影の姿をユラリと映し出した。

 といっても全身が黒ずくめの装束で、顔も覆面のようなもので覆われているので人相を確認する事はできない。

 

 そんな影が5つ、玄関前に集まる。

 その内のひとりが玄関の下側を小さく叩く。と、その直後に玄関の扉が音もなくわずかに開かれた。

 人ひとりがようやくすり抜けられる程度の隙間に身体を滑り込ませ建物の中に入る5つの影達。

 全ての影が建物に吸い込まれた直後、開いた時と同じように音もなく再び扉は閉じられた。

 

 中に入った影達を出迎えたのは侍女のお仕着せを身につけた若い女だ。この女が影達の合図で内側から扉を開けたのだろう。

 建物内も外と同じく灯りはほとんど無い。ただいくつかの曲がり角や階段には灯されているので侵入者が居ないという前提ならばそれで問題ないのだろう。

 さすがにこのような状態で女では歩くこともままならないのか、女の手には灯りのついた燭台がある。蝋燭ではなく魔法具の灯りのようだが。

 そのうっすらとした光の中で、影達と女はほんの微かに頷き合うと、女の手から小さな鍵が影のひとりに渡された。

 それを受け取ると影達は呼吸音すら漏らすことなく、滑るように階段へと足を向ける。

 女はそんな影達にそれ以上目を向けることなく、逆方向に歩きだした。

 

 影達はゆっくりと、足音は疎か衣擦れの音もたてることなく階段を上る。

 相当な訓練を積んできたのであろう事は容易に推察することができるが、そのような訓練を受けるのは諜報員か暗殺者くらいしか居ない。

 そしてこの建物はウイール王子の住んでいる第4帝室宮であり、影達が登っているのは南側の階段だ。

 影達の目的地がどこなのかは考えるまでもない。

 とはいえ、いくら後継者争いが公然の秘密となっていてもさすがに宮殿内で王族が害されれば、命じた候補者以外の候補者は血眼になって犯人捜しを行うことだろう。

 間違いなく命令者は対抗する候補者であるし、証拠を掴むことができればすぐさま排除する口実となる。

 

 だからウイール達も帝宮内で直接的に害される危険は少ないと考えていた。そして、事実影達の目的も厳密にはウイール本人ではない。

 といってもこんな時間に侵入すればいくら卓越した隠密の技術を持っていたとしても護衛に見つかる可能性は排除できないし、もしウイール自身と出くわすことでもあれば状況によっては殺すことになるかも知れない。

 そんなリスクを負ってまでここに忍び込む事になったのには当然ながら理由がある。

 

 ウイールに限らず継承権を持っている王族には各候補者が送り込んだ監視役の使用人が複数潜り込んでいる。

 帝宮内で働いている使用人の数は多く、誰しもがその可能性を考えながらも完全に排除するのは難しい。

 刺客であればまだ防ぐことができる可能性は高い。相手を害する意図を持つ者は事前に様々な準備を行わなければならないし、そもそも道具も必要だ。

 だから相互に監視させることで怪しい動きをする者を見つけることはできるし、そもそも帝宮内で暗殺者を使うことは前述した理由で適さない。

 それに対して監視するために潜り込んだ者は見つけるのが難しい。

 もちろん書類を盗み出したり盗聴をするなどという行動のように深く入り込もうとするのなら行動に不自然さが出るために見つけることができる。

 だが単に行動や人の出入りなどを監視するだけの者を見つけることは不可能に近い。その筈、だったのだ。

 

 ところが、ウイールが帰還してからわずか数日で影達に命令した人物が送り込んでいた監視者が全てウイールの使用人を解雇されてしまったのだ。

 元々ウイールの使用人は多くないが、半数以上が何らかの理由を付けられて暇を出され、代わりにアルグラッド子爵家を始めとするウイールと親しい下級貴族がその分の使用人を用意して送り込んできた。

 そのためウイールの居室内の状況がまったく掴めなくなり、辛うじて訪問客をある程度把握するのが精一杯となってしまった。

 

 ライバルと目する継承権者の同行がほとんど分からない。

 これは他の候補者からすれば恐怖といっても良いだろう。特にそれまでさほど苦労することなく監視できていたのだから尚更だ。

 加えてウイールがどこからともなく連れてきたという異国人。

 大陸南部の大国、オルスト王国から来たそれなりの身分の者であることだけは報告されているが詳細は不明。

 今回の監視者排除に関してもこの異国人が関わっていることは間違いない。

 とうとう疑心暗鬼に耐えられなくなった影達の主はこの異国人を排除することを命じたというわけだ。

 

 帝国は大陸西部に覇を唱える大国である。

 必然的に諜報や裏の活動を行う機関が存在し、影達も候補者のひとりを支持する派閥に属している。

 その中でも特に隠密と暗殺術に長けた者達5人が選抜され、こうして侵入を果たしたというわけだ。

 

 木造の階段を上りながらも足音ひとつ立てることなく2階に辿り着く影達。

 階段とウイール達が生活する区画とは鍵のかかった扉で隔てられている。

 その扉の鍵穴に女から渡された鍵を入れ、そっと回す。

 カチャリと小さな音をたてて解除される鍵。

 影はそのまましばらく扉の向こう側の気配を探り、動きがないことを確認してからそっと扉を開ける。

 居室側は灯りひとつない真っ暗闇に沈んでいた。

 だが影達にとって暗闇は馴染んだ空間であり、離れた場所にあるほんの小さな光さえあれば充分に周囲の状況を見て取ることができる技能を持っている。

 

 玄関の時と同じく、わずかな隙間から全員が中に入る。

 その瞬間、影達の脳裏にほんの小さな違和感がよぎる。

 その正体に思いを馳せる暇もなく、扉が閉じられた。と、その直後、

 ウィ~ン、カチャン。

 これまでに聞いたことのない音が扉から聞こえた。

「?! っ!」

 その音に途轍もなく危険なものを感じて影のひとりが再び扉を開こうとする。

 だが、確かに開けたはずの扉は微動だにしない。

 カチャン……カチャン……

 鍵穴に鍵を突っ込んで回すも、開閉の音は響くもののそんなことは関係なく扉は閉ざされたままだ。

 

(罠、か。どうする?)

(魔術の類か魔法具か、やむを得ん。扉が開かないのであれば進むしかない。ここは2階だ、どこかの部屋に入れば窓から脱出できる。異国人の排除が最優先だが、難しければ無理をせずに撤退する)

(応)

 口をほとんど動かさず、周囲に声を響かせることもない特殊な発音法で素早く影達が意思を疎通する。

 そしてすぐに行動を開始した影達。

 扉を閉ざした仕掛けが分からない以上のんびりするわけにはいかない。

 影達は異国人、つまり伊織達が寝泊まりしている可能性が最も高い客室の前まで素早く移動する。

 

 そして扉に手を掛ける。と、意外なほどあっさりと開いてしまう。

 客室は二間で入ってすぐがリビング。奥に寝室へ通じる扉がある。

 影達は気配を極限まで殺しながら全員で部屋に入り、2人が退路を確保するために窓の鎧戸に近づき、残りが寝室へ足を向ける。

 直後、リビングは光に満たされた。

 

 突然の眩しさに顔を覆う影達。

 そんな彼等に楽しげな声が掛けられた。

「ウェ~ルカ~ム! パーティーへようこそ!」

(馬鹿な! 気配などどこにもなかったはずだ!)

 慌てて声の方を見る影達。

 その視線の先、リビングのソファーに居たのはワイングラスを高々と掲げた伊織だった。

 

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