第57話 帝都到着とさっそくの馬鹿貴族
アガルタ帝国のほぼ中央に位置する帝都。
特に正式な名が決まっているわけではないが、帝国の名をそのまま取って“アガルタ”と呼ばれることが多い、大陸西部最大の都市である。
人口は中世のヴェネチアやミラノを超える15万。正式には帝都民と認められていない周辺の貧民街や近隣農村の人口を加えると20万にも達しようかという巨大都市である。
現代日本と比較すると埼玉県の熊谷市や山口県山口市と同じような人口なのでそれほど大都市とは思えないが、中近世然としたこの異世界においては紛うことなく大陸屈指の都市だ。
その帝都のこれまた中央には巨大且つ壮麗な宮殿がそびえ立っている。
グローバニエやオルストのそれも王城として充分な面積と勇壮さをもっていたが、帝都の王宮は両国を大きく上回る規模を誇っている。とはいえ、国力自体はそれほど差はないので単にお国柄の違いだろう。
宮殿はいくつかの区画に分かれており、城門の外側に隣接する形で行政府があり、内側が王族の暮らす王宮となっている。
王宮は最奥にある帝王の住まいである帝宮、王太子が生活するための太子宮、他の王子・王女が暮らす第1~第5帝室宮、謁見や懇談、晩餐会などが行われる壮麗殿、賓客が宿泊する迎賓館などの建物が建てられており、各区画は壁や柵によって区切られている。
その中のひとつ、王族の居住する第1帝室宮の一室で、第3王子であり帝位継承権第3位であるレヴィン・カル・ド・アガルタがイライラとした様子でソファーにふんぞり返りながら貧乏揺すりを繰り返していた。
王子様であってもお金持ちであっても貧乏揺すりは貧乏揺すりなのである。
部屋の中には数人の侍女が居るが、レヴィンの癇癪を恐れてか一様に顔を伏せて壁ギリギリまで下がり置物のようにできるだけ気配を殺していた。その様子からもこのような状態が今に始まったことでないのが分かる。
やがて控えめなノックの音が鳴り、侍女の一人が静かに扉を開いた。
「失礼します、殿下。パイラス卿が報告に来られました」
レヴィン付の執事が部屋に入ることなく入口で頭を下げながら告げた言葉に、弾かれたように立ち上がる。
「来たか! すぐに通せ!」
一転して笑みを浮かべるレヴィンだったが、その状態は永くは続かず執事に案内されて部屋に入ってきた貴族風の男の顔を見てすぐに歪むことになった。
「申し訳ございません。ウイール殿下への襲撃は失敗し、殿下は先程宮殿に帰還されました」
「馬鹿な! 2千もの兵を用意したのだぞ?! ガーレス、貴様も絶対に大丈夫だと言っていたではないか!! 何があったというのだ?!」
「ウイール殿下が予想以上に警戒しており寸前に逃亡を許したのは失態でしたが、そこまではある程度は想定しておりました。ですので街道を中心に包囲網を敷き帝都へと繋がる橋は全て監視していました。もちろんコロセア王国へ逃れた後に海路で帝都へ戻ることも視野に入れて。
しかし……得体の知れない者達がウイール殿下に肩入れしたようで」
レヴィンの怒声にもガーレス・ド・パイラス伯爵はムッツリとした表情を崩すことなく報告を続ける。その態度にレヴィンもなんとか激した感情を抑え込んだ。
「得体の知れない連中だと? 奴の子飼いなどたかが知れている。護衛隊長のヴェルフェンはそれなりに腕は立つようだが、その口ぶりだとこの国の者ではないということか。傭兵か何かか?」
「素性は急ぎ調べさせますが、それよりもその者達が乗っている荷車、と言っていいのかどうか、そのせいでウイール殿下が中に居るのが分かっても何もできなかったということです」
ガーレスの言っている事が理解出来ず、レヴィンが眉根を寄せる。
「なんだそれは、その荷車の中に奴が居るのが分かっているのに手出しできなかっただと? 他国の王家の紋章でも掲げていたとでもいうのか?」
「いえ、その荷車は馬などを使わず移動する事ができ、全体が鋼で覆われていたために兵達が攻撃しても足止めすらできず、文字通り手も足も出なかったようです。
ならばと、橋を封鎖し、強引に通るようなら橋を落とすこともできるように準備をしたらしいのですが、信じがたい事ながらその荷車は橋を使わずそのまま河を船のように移動して何事もなかったかのように通り抜けたそうです」
追加で説明を受けても、単にレヴィンの頭に疑問符が増えただけのことだった。
「ちょ、ちょっと待て、馬が牽かないのは良い。いや良くはないが、古代王国の遺物にはそのような乗り物の資料もあったと聞いたことがある。
だが、その荷車は鋼に覆われていたのだろう? なら何故河を渡れるのだ! 沈むはずであろうが!」
重要なのはそこじゃないと思うのだが、レヴィンとしてはまず鋼の荷車が水に浮くのが信じられないらしい。
ちなみに、水に浮くかどうかというのは素材や重量は直接関係がない。むしろ重要なのはその形状であり、もの凄く簡単に言ってしまえば、水に入れたときに押しのけられる水の重量よりも押しのけた物の重量が軽ければどんな素材であっても水に浮く。だから何千トンもある鉄でできた大型船が海を縦横無尽に航行しているのだ。
「それはわかりません。特殊な構造なのか、それとも魔法的な効果が付けられているのか。ただ、その荷車のせいでウイール殿下を止めることはできず帰還させてしまったのは事実。
幸い、連中は攻撃をしてくることは無かったようなのでこちらの損害は軽微ですし、襲撃させた者達も身分を隠して野盗を装わせていたのでウイール殿下もレヴィン殿下を糾弾することはできないでしょう」
この時点では伊織達がウイールを救出するために10数人の追っ手を狙撃したことは伝わっていないようだ。
そして実際にそれ以外では最初にヴェルフェンを助けた際に数人の足を狙撃したのと街道の通行を妨害しようとした連中を蹴散らせたときに怪我人が出たくらいの損害しか与えていない。
もっとも、ウイールやヴェルフェンたち護衛の者達は逃亡中に幾度か交戦しているので多少は被害を出しているだろうが。
「……くそっ! 時間を掛けて根回ししてきた計画が失敗するとは」
「まだ時間はあります。ですがしばらくはウイール殿下には手出ししないほうがよろしいでしょう。ここで焦って行動を起こせばカタール殿下に付け入る隙を与えることになります。
ウイール殿下に手勢が少ないのは変わりません。資金面でもそれほど多くの者を抱えられるはずがありませんから、少数の傭兵を雇うのが精々でしょう。
今回肩入れしている連中は気になりますが、少数ならばできることは限られます。
それよりも、騒ぎが大きくなる前に派遣した兵達を目立たぬように呼び戻して事態を収束させたほうが良いでしょう」
淡々と言うガーレスにレヴィンは怒りを感じるが、それを爆発させることなく息を整える。
気性が荒く感情が表に出やすいがレヴィンも馬鹿ではないしある程度は王族として表面を繕う事くらいできる。
そしてそれ以上に自身を支持してくれる派閥の重鎮であるガーレスと軋轢を生じさせるわけにはいかないのが分かっているからだ。
帝国は現在、後継者の座を巡って大きく4つの派閥に分かれている。
最有力となっているのは第1王子であるカタール・セラ・ド・アガルタの派閥だ。
元々第1王子、それも正妃の長子ということで周囲からは当然のように後継者として見なされていた。その上、母親の生家であり、高位貴族の中でも最も強い権勢を誇るカルバン公爵家の後ろ盾がある。必然的に公爵が率いる派閥は全て第1王子派だ。
それに次ぐのがレヴィンの第3王子派だ。
帝国でも有数の資金力を持つパイラス伯爵を筆頭に、伯爵や子爵といった中位貴族が名を連ねている。
高位貴族からの支持は薄いが、普段から高位貴族に頭を押さえつけられている不満から中位貴族のレヴィンに対する期待は大きい。
そしてそれだけでなく、レヴィンがカタールに迫る後継者候補となっている最大の理由は、帝国に大きな影響力をもつキーヤ光神教の大主教2人がレヴィンを支持しているからだ。
その影響はジワジワと広がってきており、最近ではカルバン公爵家と距離を置く侯爵家などの高位貴族からも接触を求められるまでになっていた。
3番目が第2王女であり、宰相を母方の祖父に持つレビテンス・ハリ・ド・アガルタ。帝位継承権は第4位だ。
もう一つの公爵家であり、祖父が当主を務めるリーハイト公爵家を後ろ盾に、高級官僚の支持を受けている。
第2王子であり帝位継承権第2位の兄、オッセル・テト・ド・アガルタは王子という立場ながら気質は典型的な武人であり、北部諸国との国境にある砦に将軍として駐留している。
オッセルは母親が子爵家出身と身分が高くなく、第2王子という立場であっても後継者にはならないと常に公言している。そして今回の後継者レースでも早々に『誰が後継者になったとしても忠誠を尽くすが、武人が政治に口を出すべきではない』と言って北方砦に籠もったまま動こうとはしないため放置されているというのが現状だ。
そして4番目、最近になって注目を集めるようになってしまったのがウイール王子だ。
3人の兄姉達とは異なり、母親はオッセルの母親よりも下位の男爵家出身であり、帝位継承権も7位と、普通に考えれば後継者にはなり得ない。
一応王宮内に居室は用意されているものの割り当てられる予算も少なく、侍女もほんの数人しか居ない。
それだけに兄達の誰かが王太子として指名されれば王宮を出て身を立てるべく学問や兵法、剣術などに真面目に取り組んできたのだ。
本人の意識が高かったこともあり、指導した者からは高く評価されていたのだが、それが裏目に出て後継者争いに巻き込まれることになってしまった。
カタール、レヴィン、レビテンスの3人からしたら突然割り込んできた邪魔者でしかなく、なまじ能力が高いがために目障りで仕方がないのだ。
特に王子という立場ながらあまり恵まれた待遇ではなかったウイールは誰に対しても気さくで庶民的であり、それだけに下級官僚や下級兵士、帝都民からの人気が高い。
滅多に顔を見ることすらできないカタールやレヴィンよりも、少数の護衛のみで頻繁に帝都内を散策したり役所や兵舎を見舞ったりしているウイールのほうが親しみを覚えるのも当然だろう。
某会いに行けるアイドルみたいなものである。
加えて、帝王が『後継者は能力重視で選ぶ』などと言いだしたものだから最近では下級貴族も擦り寄り始めていたのだから、これ以上放置するわけにはいかないと排除するための計画を練り、政敵でもあるレビテンスにも協力させて南部国境の砦に慰問するよう要請させたわけだ。
「……仕方がない、か。だが、その肩入れしたという連中は早めに排除しろ。変に掻き回されてはたまらん。ああ、だが、その鋼に覆われた荷車というのは興味がある。何とかして手に入れてくれ。
それからウイールへの監視は続けるように。どうせ兄上やレビの奴も監視しているだろうしな」
「承知しております」
一礼して部屋を出ていくガーレスの背中を険しい表情で見やりながら、レヴィンは忌々しげに舌打ちしてソファーにどっかりと腰を落とした。
ウイール王子の居室のある第4帝室宮は王族が住んでいる王宮の中でも比較的内門、つまり賓客を迎えたり帝国貴族などの謁見を行う謂わば外部の者達が出入りする外門と内門の間の区画に近い場所にある。
帝王や正妃など帝国内で高い立場にある者ほど王宮の奥側に住んでいるので内門に近いということはそれだけ帝室での立場が低いという表れでもある。
第1王子であるカタールは暫定的にではあるが太子宮に住んでいるし、第3王子であるレヴィン、第2王女であるレビテンスなどはそれぞれ第1、第2帝室宮が丸々宛がわれている。
しかしその他の弟妹達は第3から第5までの帝室宮に分散して押し込まれており、ウイールも第4帝室宮の一角にいくつかの部屋を割り当てられているに過ぎない。
といってもさすがに王族が生活する場所であるためみすぼらしいといったことはなく、装飾品は多くないものの不満を漏らすような事ではない。
そしてその帝室宮へ続く内門へは王宮の外門を入って数百メートル歩かなければならない。
通常の王族用馬車ならばそのまま内門を通ることができるが、さすがに馬車よりも遥かに大きく、しかも馬が牽くわけでもない得体の知れない荷車で通り抜けるわけにはいかない。
この期に及んで王宮内でウイールに直接危害を加えるということは考えづらかったのもあり、迎賓館の厩舎前にコンドルⅡとパトリアAMVを駐める事にして徒歩で移動する。
「置きっぱなしで良いんすか?」
という英太の質問には、
「鍵掛けておきゃあ大丈夫だろ」
というあっさりとした返答。
まぁ、確かにこの上なく堅牢な装甲車を、何の知識も無い人間がどうこうできるわけもない。盗むことはおろか扉を開けることすらできないだろう。
護衛隊長であるヴェルフェンはここで一旦離れ、散り散りになった部下達が帰ってこられるように、『街道を野盗の集団が封鎖しているので治安部隊の派遣を要請する』という。
ウイールが帰還した以上、野盗に扮した暗殺部隊も撤収するだろうが、食料や物資が乏しい部下達が少しでも早く安心できるようにしてやりたいのだろう。
引き続きウイールの護衛にセインとカッファー、連絡役としてゴタンとガズンが残り、ここまで一緒に乗ってきた他の護衛騎士達もヴェルフェンと共に部下の捜索に加わる事になった。
移動中の車内で詳しい話を聞いたウイールは、結局伊織達と契約を結び当面の間身辺の警護とその他の支援を受ける事になった。
今現在ウイールの護衛が2人しかいないのも伊織達がいるからである。
積み上げてきた信頼関係もないのにそんなに信用しても良いのかという疑問はあるが、ウイールもヴェルフェンも伊織達がウイールを害するつもりなら裏切るような面倒な事をする必要がないと割り切っている。
これも一種の信頼と言えなくもない、かもしれない。とても真っ当とは言えないが。
帝都に到着したのはウイール達と合流した翌日の午後。
いまだに日は高く、天気も良いので中庭を急ぐでもなく歩いて移動する。
そもそもがウイールを暗殺するために仕組まれた任務だとはいえ砦に運ぶ資材を亡失させたことを報告する必要があるのだが、3日に及ぶ逃亡生活と伊織達と合流してからの精神的なショックでウイール王子が疲労しているのでまずは居室に戻って休み、後日改めて行政府に赴くことにしたわけだ。
「それにしても、宮殿の庭にしては無骨というか、味気ない感じなんですね」
中庭に設けられた小道を歩きながら香澄がウイールに訊ねる。
香澄としては帝国の中心たる宮殿の庭園なのだからもっと壮麗なものを想像していたのだ。イメージの出所は現代地球の西欧宮殿だろう。
ここ最近は銃火器をぶっ放してばかりとはいえ年頃の女の子としては色とりどりの花々に彩られた庭園を目にしたかったのだがすっかり裏切られた思いだ。
「祖父の代までは戦争ばかりしていたからね。文化面では質実剛健というか北方の国のような色彩豊かな装飾は好まれないんだ」
ウイールの言葉通り、庭園は白と黒の小石が敷き詰められた地面と味気なく等間隔に植えられた樹木、腰までの高さの生け垣が整然と整えられているばかりでどこか人工物を思わせる。冬に向かう季節という時期もあるのかも知れないが、白黒の地面と深緑の葉だけの色合いは無骨でつまらないものに感じる。むしろ芝が一面に敷き詰められていたほうがまだマシだったかもしれない。
とはいえ、香澄にしても肉体的精神的な疲労から表情が沈みがちだったウイール王子の気を紛らわすために適当に振った話題だったのでそれほど気になっているわけでもない。
「おや? これはこれは、ウイール殿下ではありませんか。南部の砦に慰問に行かれたと聞きましたが、いつお帰りに?」
不意に前方からウイールに向かって声が掛けられる。
「トーレ子爵か。いやたった今帰ってきたところだ」
香澄や英太と短い会話を繰り返すうちに少しだけ表情が柔らかくなっていたウイールだったが、声を掛けてきたトーレ子爵の顔を見るなり表情が固くなる。
トーレは護衛と思われる男を2人伴って無遠慮に近づいてくる。
子爵という階位でありながら王族に対する態度とも思えない。
「おお、そうでしたか、それはご無事のお帰り、お慶び申し上げます。ですが、おかしいですなぁ、つい先頃バッカオ砦からまだ殿下も物資も到着していないとの報告を受けたばかりなのですが」
大袈裟な口調と身振りでわざとらしく言いながらも、トーレ子爵の目の奥には怒りにも似た光が灯っているように感じられた。
「……物資の輸送中に正体不明の部隊から襲撃を受けたのだ。野盗に扮してはいたが明らかに訓練を受けた兵士達だった」
「なんと! それはそれは、ですが、殿下も護衛の騎士を伴っていたはずでは? まさか野盗ごときに怖じ気づいて逃げたのではありますまいな」
嘲るような口ぶりだ。
ウイールは『野盗に扮した兵士』と言ったにもかかわらず意図的にそれを無視する言い様に、この男がウイールが襲撃されたことも、交戦せずにすぐに分散して撤退したことも知っている事を察することができる。
「周到に準備をしていることからも、私を狙った襲撃であることは明らかだった。こちらの手勢は数が少ない。囲まれて逃げ場が無くなる前に撤退しただけだ」
「ものは言い様ですなぁ。帝国民の血税で準備した貴重な物資をうち捨てて戦うことすらせずに逃げ出すとは、王族とはいえ第5王子はお気楽なものですな」
ギリッ!
ウイールが奥歯を強く噛み、拳を握り締める。
必死に表情を保つ王子の努力は、しかし、欠片も空気を読むつもりが無いオッサンによって無駄になる。
「ぶれーものーっ! 子爵ふぜーが、立場を弁えろーっ!」
バッチーン!!
「ふぶぇ?!」
「うわぁ、すっげぇどうでもよさそうにまともな事を言ったよ、この人」
「あ~ぁ、誰よこんな伊織さんが喜びそうな人連れてきたの」
途轍もなく棒読みで声を張り上げながら帝国子爵に対してフルスイングでビンタをかますオッサンがひとり。
忠義に篤い騎士が怒りにまかせて殴ったのではない。
貴族に対して痴話喧嘩の末に女性がするような顔面ビンタである。
大きな音と共に派手にぶっ倒れたトーレ子爵だったが見た目ほどのダメージはない。ただ、その頬は見事なまでに手形クッキリの赤い刻印が残されている。
あまりに予想外で咄嗟のことに護衛の男達は反応が遅れる。
が、伊織が特に追撃しなかったために、慌てて片方が子爵を助け起こし、もう一方は庇うように間に入る。
反射的に手は腰をまさぐるがそこには剣は無い。王宮内に剣を持ち込むことができなかったからだろう。
助け起こされたトーレ子爵はしばらく呆然としていたが、ようやく我に返るとニヤニヤ笑っている伊織に向かって怒声を上げる。
「き、貴様! 私に向かって手を上げるなど、そんなことをしてただで済むと思っているのか! 絶対に許さんからな!」
一通りまくし立てると今度は矛先をウイールに向ける。
「殿下! その無礼者は殿下がここに連れてきたのですな? この責任をどう取ってくれるおつもりですか! 返答次第では……」
シュボッ、ジッシュゥゥゥゥ。
伊織が右手でジッポーライターに火を着け、左手の物を近づける。
それが火花を散らし始めると同時に子爵の足元にヒョイと放り投げた。
バンッパパパパパパパパン、パン、パンッ!
直後にけたたましく響く破裂音。
中国のお祭りではお馴染みの爆竹の音である。
といっても伊織が投げたのは日本でも普通に売っている20連発の物だ。
そして英太と香澄、リゼロッドの耳にはいつの間にやら耳栓が嵌められ、ルアにはイヤープロテクターが、セインとカッファーには英太がジェスチャーで耳を塞ぐように支持し、ウイールの耳はリゼロッドが掌で塞いでいた。
「な?! なななな……」
突然の大音響に何が起こったのか分からず飛び跳ねるように破裂音から逃げようと奇妙なダンスを踊る子爵。
……パンッパパンッ!
収まったと思った直後に狙ったかのように遅れて破裂したのがトドメとなり、トーレ子爵は腰を抜かしてへたり込む。
そこでようやく伊織がトーレ子爵の顔を覗き込むように目を合わせる。
「ひとつ確認だ。この国では帝位継承権を持つ王子よりも子爵のほうが位が高いのか?」
「っ!」
聞くまでもない事を敢えて確認する。
その意味が理解できないわけがない。
いくら継承権が低いとはいっても王族である。
実質的な権限は別として、形としては全ての貴族は帝王の臣下であり、その家族である王族にも相応の敬意を払わなければならないのは当然である。
いくらバックにより高位の王族がいようが実権を持つ高位貴族が後ろ盾になっていようが子爵が王族に勝るわけがない。
「わ、私はレヴィン殿下の…」
「レビンだかトレノだかって王子様はどうでもいいんだよ。それともその王子様にアンタは命令できるだけの力を持ってるとでも?
いいか? どうもアンタは相当なお馬鹿なようだから言っておいてやるが、ドラゴンの近くに居るからってドラゴンになれるわけじゃない。ネズミはどこまでいってもネズミでしかないんだ。勘違いしないほうが良いぞ」
噛んで含めるように殊更ゆっくりと言う伊織。
「ついでに言っておくと、今更脅しも圧力も無意味だ。
ウイール殿下がどんな態度を取ろうが何をしようが、地位を脅かされると思ってる連中がすることは変わらない。
今回の事も裏で糸を引いているのが第3王子だろうって事も分かってる。
だったら殿下がいちいちへりくだる必要なんざ欠片も無いんだよ。
わざわざ寝た子を起こすような真似をしたんだ。そのツケは自分達で払うんだな。飼い主にもそう言っておけ」
反論しようとでもしたのかトーレ子爵の口がパクパクと動くが、伊織の圧力で実際に口から出ることはなかった。
護衛の2人も凍り付いたかのように身動ぎひとつすることができず、ただ伊織の言葉が耳の奥に焼き付いていく。
「っと、まぁ、そんなところだ。じゃあ気をつけて帰りなよ」
最後にそう言って伊織がトーレ子爵の方をポンポンと叩いた。
「ひっ?!」
真っ白な顔で息を詰まらせた子爵を置いて、伊織達はその場を後にした。
「なんか腹減ったなぁ、昼飯牛丼で良いか?」
「せ、せっかくシリアス路線で終わると思ったのに」
「まぁ伊織さんだし。あ、デザートにハー○ンダッツ食べたい。ラムレーズンの」
「香澄まで!」
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