第54話 辺境の聖人

 少々荒れた街道をのんびりとしたペースで移動するLAPVエノク軽装甲車。

 カタラ王国首脳との面談を終えた伊織達は準備を整えて3日後に王都を出立した。

 面談から出発まで時間が掛かったのは王都やその周辺まで設置しまくっていたアンテナ類や仕掛けを回収するのに手間が掛かったことと、ある手続きをするのに時間が必要だったためだ。

 そうして王都を発った伊織達だったが、現在向かっているのはタスベルに勧められた帝国でもカタラ王国の同盟諸国でもなく国内。それも南東部の外れ、その先には南部地域と隔てる山々しかないという辺境だ。

 カリシェタ侯パッセから光神教内の派閥のひとつであるセジュー派について聞いた伊織達は、同時にカタラ王国の辺境にそのセジュー派の司祭が派遣されている聖堂があることを聞いて会ってみることにしたのだ。

 

 辺境とといっても、元々小国と呼ぶのが相応しいと言えるカタラ王国である。エノクであれば1日もあれば到着できる程度の距離でしかない。

 それでもさすがに日が暮れてから訪問するのは失礼だろうと、途中で野営して実際にその辺境の街に到着するのは翌日の昼頃になるように調整する予定である。

 そういった事情と辺境へ向かう街道はそれほど道の状態が良くないこともあって移動速度はゆっくりとしたものだ。

 

「えっと、『シンデレラはかぼちゃのばしゃにのって……』でいいの?」

「そうそう、ちゃんと読めてるぞ。ってか、ルアは本当に覚えるの早いな」

「本当? えへへ」

 エノクの後部座席で伊織の膝の上に座って絵本を声を出して読んでいたルアは、伊織に褒められて嬉しそうに笑った。

 読みながらチラチラと伊織の表情を窺っていたので期待通りの返答が聞けて安心したのだろう。

 ビヤンデの街で虐げられていた経験から周囲の人間の顔色を窺う癖が抜けておらず、特に伊織の機嫌を損ねることを恐れている様子に痛ましさを感じるが、こればかりは時間を掛けて信頼関係を築いていくしかないだろう。

 

 ちなみに今ルアが読んでいる絵本は伊織が持っていた『日本語』で書かれた幼児向けのものだ。

 伊織はルアを日本に連れて帰ると決めているので、当然ルアに日本語を覚えてもらう必要があるのだが、日本語というのは自在に操るのが難しい言語でもある。

 だがルアはまだ6歳でギリギリ幼児と呼べる年齢であり、今のうちから文字とセットで覚えることで充分に日本語を習得することができる。

 ルアも挿絵が綺麗な絵本を読むことが楽しいらしく、しかも2、3度読めばほとんど内容を理解し、言葉も覚えてしまうほど記憶力と理解力が高い。

 やはり伊織達に“見捨てられたくない”という意識が働いている部分も大きいのだろうが、それを差し引いてもルアの資質はかなり高いのは間違いなさそうだ。

 もっとも伊織とリゼロッド、英太、香澄の4人はそんなことは関係なしにルアを可愛がっているのだが。

 

「な~んか私だけ疎外感を感じちゃうわねぇ。あ、コーヒー取って。金色の缶の、温かいやつね」

 最近になって『日本語』で会話することが増えたことで会話に加わることができないリゼロッドが不満そうにこぼし、その表情のまま後ろ・・を振り向いて言った。

「…………」

 エノクの後部、荷台の予備シートに座っていた男が傍らの小さなクーラーボックスのような容器を開けて中からキャップ付のアルミ缶タイプで“挽きたて微糖”の文字と金色が眩しいコーヒー飲料を取り出して、差し出された手に渡す。

 受け取ったリゼロッドは礼を言うこともなくすぐにキャップを開けて飲み始める。

 その仕草は慣れたものであり馴染みきっているのだが、そんなリゼロッドを何ともいえない表情でチラリと見ると、男は盛大に溜息を吐いた。

 

「いったい私をどうするつもりなんだ? わざわざカタラ王国から身柄を引き受けたからには目的があるのだろう? だが思い通りになるとでも考えているのなら……」

「何、別に大したことは考えてないさ。教会の実働部隊の指揮官だったなら多少は教会内部の事情を知ってるだろうし、派閥のことも詳しいだろうからな。道すがら色々と聞きたいだけだ。指揮ぶりを見たら少しは使えそうだし」

 伊織が少しだけ首を後ろに傾けて、詰問する男、ジーヴェトに答える。

「……私が素直に従うとでも?」

「別に逃げたきゃ好きにすれば良いさ。ただ、『捕縛された途端我が身可愛さで素直に取り調べに応じて教会の様々な内部情報を漏洩した』って、教会の処分と一緒に公表してるから、帝国だか公国だかに戻っても大変だとは思うけどな」


「て、テメェ、なんて事しやがる!」

 それまでの堂々とした口調をかなぐり捨ててジーヴェトは腰を浮かせて抗議するが、伊織はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべるばかりだ。

 これまでの会話で分かるとおり、ジーヴェトは伊織達が治癒師達の輸送を偽装した際に襲撃した教会の部隊の指揮官だった男である。

 本来ならば教会の影響力を考慮して死罪とまではいかないまでもカタラ王国の法によって処罰されるはずだったのだが、伊織の要請で身柄を預けられることになったのである。

 法の厳格な適用という現代地球の考えとはそぐわないが、教会の実働部隊の指揮官という微妙な地位であることや王国での大きな懸案であった事柄を解決した功労者である伊織達からの申し出であることなどから国王が許可したのだった。

 

 広くもない車内で大柄な男が掴みかからんばかりに身を乗り出して睨み付ける様はなかなかの迫力だが、生憎それに気圧されるようなかわいげのある人間はルアしかいないし、そのルアも絶対的信頼で伊織の膝でピッタリと身を寄せているのでかつてのような怯える素振りは見られない。

 どこ吹く風といった顔の伊織をしばらく睨み付けていたジーヴェトだったが、結局諦めたように溜息を吐くと再びシートに腰を落とすことになった。

 そもそもいくら凄もうとも襲撃後、逃亡を図ったときに伊織に為す術無くボコボコにされレベルの違いを骨の髄まで叩き込まれた男である。ついでに身柄を預けられる時に『誰かひとりにでも勝てたら無条件で解放』という餌に釣られて行った試合で英太、香澄、リゼロッドにも完膚無きまでに叩きのめされた。

 なのでジーヴェトにもこの視線や口調が何の役にも立たないということは理解している。

 

「くそったれ! 何で俺がこんな目に遭わなきゃならねぇんだ」

 愚痴ったところで状況が変わるわけでもない。

 指揮官であったプライドで口調も威厳のあるものにしていたのに、そんな虚飾が通用しないとなれば本来のものに戻ってしまう。

 とうとう肩を落としてしょぼくれてしまったジーヴェト。

「……どうせ戻れないってんなら好きにしてくれ。襲撃なんて引き受けるんじゃなかったよ。嫌な予感はしてたんだ、クソが」

「まぁそうやさぐれるなよ。ちゃんと協力するなら立場を取り戻すなり成り上がるなり他国で穏やかな余生を過ごすなり、バックアップはしてやるから」

「はぁ~、ソイツはありがたいこった。どうせ元々聖騎士になったのだって少しでも良い暮らしするためだったんだからな。アンタらの存在を考えりゃ、あの時に逃げ切ってたとしてもいつかはこうなったと思うようにするさ」

 

 ジーヴェトは元は帝国の貧乏男爵家の5男坊であり、身を立てるために軍に身を投じた。

 貴族とはいえ完全に名ばかりの、領地も権限もない末端中の末端だがそれでもさすがに一兵卒ではなくわずか5名の小部隊を率いる立場からスタートした。

 15歳で初陣を果たし、運良く少しばかり手柄を立てることにも成功した。

 その後も着実に実績を積み上げて騎士団に入り中隊の指揮官になったときに教会から声を掛けられて部隊長として聖騎士に招かれたのだった。

 だから表面上はともかく信仰心自体は普通の帝国民と同じ程度であり、信仰のためならば何でもするというほど狂信的な信徒ではない。

 

「それで、セジュー派の連中と接触してどうするつもりなんだ? 言っておくがあの連中は欲に塗れたサティアス派とは違って恐ろしく頑固な堅物揃いだぞ。まぁ清廉ではあるけどな」

「そいつは会ってから決めるさ。別に俺達は光神教を潰したいってわけじゃないしな」

 パッセの話では光神教内の派閥にセジュー派と呼ばれるものがあるらしい。

 大司教のひとりであるセジューという男が現在の教会のあり方を批判し、もっと本来の教えに立ち返るべきであり、治癒魔法や魔法具の制作の独占を止めて民衆に寄り添おうと主張しているらしい。

 そのセジューの思想に共感して集まったのがその派閥なのだが、やはりそういった生真面目な主張というのは恩恵を受ける民衆はともかく利益を享受する教会内の支持は得にくい。

 なので主流派であるサティアス派からは疎まれ、セジュー派の聖職者達は辺境の、教会に対する影響力を持ち得ない場所に追いやられる傾向にあるらしい。

 

 伊織としてもこういった中世的な封権社会において宗教の果たす役割は理解している。

 庶民の人心の安定のためには宗教は欠かすことはできない規範であり、無闇矢鱈に潰していいものでもない。社会が混乱するだけだ。

 とはいえ伊織達の優先順位は古代魔法の解析であり、そのために教会の所有しているであろう遺跡の資料が必要だ。

 既に穏便な関係を現在の教会と築くことは不可能に近いので別の方法を考える必要がある。

 と、いうわけで突破口になるかもしれないとセジュー派と接触してみることにしたわけだ。

 

「まぁ、駄目なら駄目で教会の本部を襲撃するなり総大主教とやらをとっ捕まえるなりするさ」

「何だよその極端な2択は! 発想が過激すぎるだろ!」

 最終的な手段として力圧しをすれば良いと割り切っているため伊織達に悲壮感は無いのであった。

 教会にとっては災厄としか言い様がないだろう。

 

 

 

 カリツの街。

 街とはいっても住民は千人ほどであり、家は数百戸ていどの、国によっては村に分類されるような小さな街だ。

 平地が少ないので穀物の栽培には適しておらず、狩猟や果樹の栽培が主産業である。

 だがそんな辺境の街であっても当然の事ながら領主がおり、派遣されている代官がいる。

 その領主の仕事場が街の中央にある役場であり、役所と警察署、裁判所など行政全ての機関がそこに入っている。

 

 その役場からたった今出てきたのは、白いローブ型の神官服を着た20代後半くらいの男だ。

 と、建物から出たばかりの男に純白の甲冑を身に纏った別の男が駆け寄る。

「ルアエタム様!」

「セッタ。何をそんなに慌てているんですか?」

 まさに血相を変えるという形容が似合いすぎた感じのセッタと呼ばれた騎士に、呆れたような神官、ルアエタムが落ち着いた声音で尋ねる。

 

「代官からいきなり呼び出されたと聞けば慌てますって。特に先日の発表があったばかりですし。それで、話の内容はどんなことだったんですか?」

 何事もなかったかのような沈着な態度のルアエタムに少しだけ落ち着きを取り戻したセッタ。

 そんな彼を見て肩を竦めて軽く笑いながらルアエタムは街外れに近い場所にある小さな聖堂に足を向けた。

 話は歩きながら、ということだろう。

 セッタはすぐにその意図を察してルアエタムの隣に並んで歩き出す。

 

「特に何か言われたわけではありませんでしたよ。先日の発表があまりに衝撃的でしたので代官殿もこちらを心配してくださっているようです。

 それと、聖騎士達の国外退去に関してはこの街に正規の兵が派遣されるのは当分先になるという通達があったようです。どうも問題のあった街から順に警備兵を拡充して聖騎士を退去させるということでした」

「そうですか。それってこの街はいつぐらいになるんですかね?」

「はっきりとはわかりません。ですが警備兵を増やすといってもそう簡単なことではありませんし、王国としても民衆の反感を買うわけにはいきませんから最低でも2、3年は掛かるというのが代官殿の予想でした。

 それに内務大臣であるカリシェタ侯が問題の起きていない地域の教会は条件付で今の状態を維持できるように国王陛下に進言してくださっているようですから」

 

 そこまで聞いてセッタの肩からようやく力が抜けた。

「だったらこの街は大丈夫ですね。なんといってもルアエタム様は代官様や街の者達から信頼されていますから」

 セッタの言葉にルアエタムは複雑そうな表情をしつつ苦笑いを浮かべる。

「私は自分に出来ることをしているだけです。それに助祭のパタロも助けてくれていますし、セッタ達聖騎士達が街の方達と良い関係を築いていてくれるおかげですよ」

「パタロだってルアエタム様がいたから助祭になれたようなものでしょう。じゃなきゃ帝国の聖堂で虐め殺されてますよ。俺達だってルアエタム様がいるから少しでもお役に立ちたくなったってだけです。

 ったく、まぁ、そんな貴方だから『辺境の聖人』なんて呼ばれてるんでしょうけどね」

「それ、恥ずかしいから止めて欲しいんですけどね。私はそんな大層な者ではありませんし。

 ただ、話は戻りますが、南部の大国から来たという方が書いたという医術書は見てみたいものです。

 王陛下が教会の治癒師を排除しても構わないとまで考えさせた素晴らしい医術書らしいので。

 まぁ、その方達は教会と敵対してしまったらしいので叶わぬ望みでしょうけど」

 

 小さな街だ。

 中心にある役場と外れにある聖堂とはいってもそれほど距離があるわけではなく、二人は程なく聖堂まで戻ってくる。

 が、普段なら聖堂の隣にある騎士団の官舎前で鍛錬をしているときでない限り街中で警邏と称した雑用をしているか官舎の部屋で惰眠を貪っている騎士団員達が集まっている。

 そしてその騎士達の視線の先には見たことのない荷車のようなものが停まっており、周囲に5人の大人と1人の子供がいた。

 

 10代半ばほどの男女と20代の女、無精髭の男とその腕に抱えられた少女、壮年の大柄な男だ。言わずと知れた伊織達一行である

 それに対する騎士達は戸惑いと警戒が半々といった様子である程度の距離を保ったままお互いを観察している状況に見える。

 その騎士達の内数人がルアエタムとセッタに気付き駆け寄ってきた。

「どうしたのです? どうやら見知らぬ方々が来ているようですが」

「それが、王都よりルアエタム様に会いに来たとか。来たのはつい先頃ですが。あと、連れている子供ですが、その、目の色が左右で異なっていて……」

「おい、一緒にいるのってジーヴェトじゃないか? サティアスの部隊長が何の用だ?」

「なるほど、とにかく私が対応しますので刺激しないようにしてください」

 ルアエタムはそう言って騎士達を下がらせ伊織達の前まで歩み出る。

 セッタも半ば強引に付いていく。

 万が一の時には何としてでもルアエタムを守るつもりなのだろう。

 

「お待たせ致しました。このカリツの街で光神教の司祭を務めさせていただいておりますルアエタムと申します。

 南部の国から来られた方々とお見受けしますが、間違いございませんか?」

「?! そ、それじゃ、コイツらが?!」

 真っ直ぐに伊織を見つめながら挨拶をするルアエタムと、その言葉に思わず驚きの声を上げるセッタ。

 そんな2人に一瞬片眉を上げてから面白そうに口元を歪める伊織。

 

「へぇ。おっと、申し訳ない。お察しの通り南部の国オルストの方から来た伊織だ。こっちは錬金術師であり古代遺跡の研究者のリゼロッド。そっちの2人が男の方が英太、女の子が香澄、それと、この子はルアだ」

 ナチュラルにジーヴェトがスルーされるが誰も突っ込まない。

 本人も気まずそうに微妙に距離を開けているので文句は無いようだ。

 そして挨拶を終えた伊織とルアエタムは互いを観察するようにしばし無言で見つめ合う。

 長年掛けて築き上げてきた教会の地盤をひっくり返した壊し屋と、その実績により庶民から『辺境の聖人』と呼ばれている司祭との、初の邂逅である。

 

 

 

 

 アガルタ帝国。

 大陸西部で最大の版図を持つ国であり、かつては旺盛な征服欲によって周辺国家を武力で制圧していったという歴史を持っている。

 ただ気候的に作物の栽培が制限される中で長年拡大路線を続けていたために国内が疲弊し、先代帝王の頃に国境紛争以外の軍事行動を控えて内政重視の政策に転換している。

 とはいえ、だからといって領地を削り取られた周辺国との関係が劇的に良くなるはずもなく、南部諸国や北部諸国との国境では今でも小競り合いは度々起こっており緊張感は保ったままだ。

 特に大規模な軍を動かすことができそうな地域には砦が築かれて互いを牽制している。

 

 南部諸国のひとつ、コロセア王国との国境にある帝国の砦、バッカオ砦に通じる街道を10台の荷車と30人ほどの騎兵が進んでいた。

 荷車の先頭は豪奢な箱馬車であり、側面には帝室の紋章が掲げられている。その他の荷車はドゥルゥが牽く物資運搬の普通の荷車だ。

 見たままを説明するなら、王族の誰かが砦に物資の差し入れに護衛付きで向かっているといったところだろう。

 実際もその通りの事であり、関係が改善されているわけではないとはいえコロセア王国とはここ数年大きな戦闘は起きておらず、非公式ながら商人の行き来は盛んになっている。

 時折起こっている小競り合いも、南部諸国の同盟を維持するためと、国内の緊張を維持するためという互いの国の国内事情によるアリバイ作りの意味合いが強くなっている。

 

 通常ならばそういった事情を考えれば今回の砦訪問も砦の兵達の士気を維持するためのパフォーマンスであり、形式的なもので終わるはずである。

 だが、周囲を囲んでいる騎士達の表情はどれも緊張感を持った真剣なもので、弛緩した雰囲気は微塵も感じられなかった。

 そしてそれは先頭の箱馬車に乗る人物の身分と、現在の帝国で起きている国内事情に起因するものであった。

「今のところ周辺に不審な兆候は見られません」

「そうか。引き続き警戒を怠るな」

「はっ!」

 時折こうして周囲を守る騎士が箱馬車に乗っている護衛隊長に報告する。

 

「苦労を掛けるな」

 苦笑いを浮かべながらそう言って護衛隊長を労うのは箱馬車の中央に座る20歳くらいの若者だ。

「もったいないお言葉です。我々はこれが仕事ですのでお気遣い無く」

 神妙な口調でそう言って目を伏せる護衛隊長は40代半ばくらいか。

 幼少の頃より若者を守ってきた信頼できる部下である。

 

「帝国の中を移動するのにこのような警戒をしなければならないとはな。兄上達も私などを警戒せずともこちらには野心など無いのにな。

 そもそも継承権の順位は7番目なのだぞ? 兄上達と後継者争いをするよりもどうやって身を立てるか考える方が現実的だ。

 私としてはどこかの辺境にでも領地をもらって伯爵家か子爵家の3女あたりを嫁に迎えてのんびりと暮らしたいと思っているし、ことある毎にそう言ってきたのだがな」

 若者がぼやくのも無理はない。

 

 箱馬車の紋章からも分かるとおり、確かに若者は王族に名を連ねるひとりではある。

 だが現在の帝室には兄や姉達が数人おり、側妃の子である若者の継承順位は決して高くはない。というよりは普通に考えて帝室を次ぐ可能性はほとんど無い。

 それこそ若者とその下の順位の王族が帝都を離れているときに天変地異が襲うとか致死性の流行病が王城内を席巻でもしないかぎりあり得ないと言って良い。

 実際に、最近まで若者の存在など高位貴族の誰も見向きもせず、当然ながら後ろ盾のひとりも見つけることはできていないのだ。

 幼い頃からそのような状況であったため、若者も自分が王族であるという自覚を持つ必要性を感じることもほとんど無く、むしろ存在を忘れられることすら少なくなかったくらいだ。

 

 ところが、1年ほど前に父親である現帝王が『後継者は継承権を持つ者の中で最も能力に優れている者を選ぶ』と言いだしたから状況がガラリと変わってしまったのである。

 なまじ帝室の支援が期待できないので身を立てるには努力するしかないと学問や剣術、用兵術などを真剣に学び、お情けでつけてもらっていた教師からも高く評価されていたこともあって途端に有力な後継者候補と見なされるようになってしまったのだ。

 まさに青天の霹靂というべき事態であり、若者にとっては先の見通しは立たないまでもお気楽な立場でいられたのが、今ではいつ命を狙われてもおかしくない危険な立ち位置に押しやられてしまったわけである。

 

 単純に権力を手に入れられるチャンスと捉えられるのなら良いのだろうが、急にそんな立場に立たされたとしても、元々後継者になる可能性が高かった兄達と違って若者を支える基盤が無い。

 すり寄ってくる貴族は一気に増えたが信頼できる後ろ盾など一朝一夕に見つかるものではない。

 抱える戦力も乏しく、幼少の頃から仕えてくれていた者達を掻き集めたうえで何とか伝手を辿って拡充しても今回同行している50数名が全てである。

 後は帝都の家に数人の使用人が残るばかりだ。

 

「兄君からはそう思えないのでしょう。特に何の努力もせずに地位に胡座をかいていただけの方々は」

「いや、本当に勘弁してくれ。放棄が許されるならすぐにでも放棄するし、兄上の誰かのために働けと言われるならそうするから放っておいて欲しい」

 若者の愚痴は止まらない。

 幼い頃から共に居るこの護衛隊長は、年に数回程度しか顔を合わせることのない父親よりも若者にとって兄とも父とも言える存在なのだ。

 だからこそこうして憚ることなく心情を吐露することができる。

 

 だがそんな弱音もいつまでも言っていられない状況になるものだ。

 不意に護衛隊長の表情が引き締まり、箱馬車の窓を開く。

 直後、外から警戒を呼びかける声が届いた。

「この先の街道が石や木で塞がれています! 周囲に気配あり!」

「……来たか」

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