第52話 おいでませ暗殺者御一行様
カタラ王国は大陸西部諸国の中では小国と言われる程度の規模しかない。
とはいえそれでも王国全体の人口は50万人以上、王都の人口は6万人を超える。
帝国以南の小国で構成される同盟諸国の食料を支えるだけあって穀物の生産能力は国家消費量の4倍近くあり同盟国に輸出することで比較的豊かな国でもある。
そんなカタラ王国の王都は昼近くともなれば活気に溢れ、通りには多くの露店が並ぶ。
「おっ! あの串焼き美味そうだな。ルアも食べるか?」
「うん! 食べたい! あ、パ、パパ、あの果物も食べてみたい」
「よし、オッチャン串焼きを、そうだな5本くれ」
王都の中心街、メインストリートとも言える通りを散策する伊織達。
ルアを肩車した伊織はちょこちょこと露店や屋台を覗きながら気になった店で買い物をする。
近頃はすっかり子供らしくなってきたルアは相変わらず伊織にべったりと甘えながら時々欲しいものをおねだりしている。
「ちょっと、英太買いすぎよ。そんなに食べられるの?」
「これくらいなら余裕だって。ってか美味いには美味いけど、胡椒とか唐辛子があったほうが良いなぁ。あ、あっちのも美味そう」
「若いって凄いわねぇ。見てるだけでお腹いっぱいになりそう」
本日は香澄、英太、リゼロッドも同行してフルメンバーでの王都散策である。
といっても別に珍しいことではなく、最近では割とこうして王都内をうろちょろすることが多い。
教会による襲撃を撃退した後、ヒューロンとコブラで一足先に侯爵邸まで戻った伊織達は改めて技術者達を王都まで移送する事にした。
とはいえ総勢100名を超える人員だ。
使われたのは汎用ヘリではなく、日本の自衛隊でも活躍している大型輸送ヘリCH-47Dチヌーク2機での移動である。
全長30.18m、胴体幅3.87m、可能乗客数55名、米国ボーイング社製の大型軍用ヘリであり、これならば伊織と英太がそれぞれ操縦すれば一度に全員を移送する事ができる。
早速技術者達を乗せて王都にある王城まで移動してから再度侯爵領へ戻り、技術者達の荷物や機材、資料などを運んでから翌日に式典が行われた。
式典の様子は王都内にも大々的に発表されたため程なくカタラ王国内だけでなく、行き来している商人達を通じて周辺国の一般市民にも広く知られることとなった。
光神教の教徒でもある市民達の反応はといえば、大旨好意的なものが多かったらしい。
というのも、王国は今後教会に所属する以外の治癒師がおこなう治療の料金を症状と程度に応じて分類別に決定し、今後新たに設置する治癒院ではどこでも一定の金額で治療を受けられると告示したのである。
いくつかの治療内容と料金も例として同時に示され、その金額は一般市民にとっても充分に受ける事ができるものであり、これまで教会の高額な治療費を払えないために治療を受けられなかった人達はその発表を喜んだ。
魔法具の生産と販売に関しても同様に発表され、これもまた一般市民にとって恩恵となる内容であったために、まだ発表されただけで実際に目にしていないだけに懐疑的な意見がありつつも期待しているといった雰囲気となったわけだ。
一般市民にとっては教会の利権が侵されるなどといったことは理解の範疇にはなく、単に生活がより楽に、安心に近づくのを歓迎しているのだ。
この発表によって教会が治癒院の設置や魔法具の販売を表だって妨害することは難しくなった。
異教徒の術だとか異端だとか理由をつけたところで庶民にとって有益なものを排除すれば教会に対する不信に繋がりかねないし、本来信者達を扇動して不都合な存在を排除するためには国家権力は必要不可欠だ。
ところが今回のこれはその国家が主導しているのだから協力など得られるはずがないし根本的に利害が対立している。
その上前回の襲撃事件によってカタラ王国内の教会の立場は従来とは完全に異なるものとなってしまった。
襲撃で光神教の司教と聖騎士の部隊長を含め、多数の教会に正式に所属している者が拘束された。現行犯による捕縛なので言い逃れのしようがない。
しかも千人以上による規模での襲撃となれば個人の暴走で片づくような範囲で済まされない。
だがさすがに具体的な証拠のない状況でカタラ王国内の教会を統括する主教やその上役である大主教まだ罪に問うのは難しく、両者は事情聴取の後に解放されている。
ただし、教会に対しては当然無罪とはならず、今後カタラ王国内で聖騎士の活動は大幅に制限されることとなった。
具体的には主要都市部の教会では最低限の護衛人員を超える私兵の滞在は許されず、また武装に魔法装備は認められない。
地方で治安維持の名目で派遣されている聖騎士も、順次地方の警備兵が拡充されると同時に人員を減らし、最終的には都市部と同じく最低限の護衛のみ認められ、それ以外は国外退去となった。
つまり聖職者を守るための必要最小限以外の武力は認められないということが決定されたわけである。
当然教会側も反論しようとはしたのだが、実際に王家とそれを補弼する侯爵家が招いた賓客を教会の聖騎士達が襲撃した以上異論を差し挟む余地は無く、結局大主教と主教の連名でこの屈辱的な条件を呑まざるを得なかった。
これによってカタラ王国で教会の影響力は大幅に制限されることになり、今後地方への治癒院建設と魔法具の販売によってさらに制限は大きくなっていくだろう。
そして、そうなれば教会が打てる手といえば、この状況がカタラ王国以外にも拡がることを何とかして防ぐこと。それからこの動きの原因となった者達、つまりは異国からやってきた得体の知れない連中である伊織達の排除である。
「……伊織さん」
串焼きを齧りながら織物の露店を覗くという暴挙を繰り広げていた伊織にさり気なく近づいてその襟首を引っ掴み店から引き剥がしつつ、香澄が小さく伊織に声を掛ける。
「お? さすがに香澄ちゃんも気付いたか。ルアの方が先だったのは意外だけどな」
ほんの微かに視線を感じた香澄が周囲の気配を探り、伊織達を監視するように遠巻きにしている数人の人間を見つけたのはつい先程だ。
香澄も伊織ならとっくに気付いていてもおかしくないと思っていたのだが、ルアが香澄よりも先に気付いたのには驚く。
「俺達に会う前までの環境のせいか、ルアは視線や気配にかなり敏感みたいだな。この通りに入ってすぐ気付いたみたいだぞ」
「う、ちょっとショック」
「まぁ気にすんな。重要なのはこれから先、だろ?」
そう言って笑う伊織の顔は、実に、心の底から、その、なんていうか、性格が表れていたのだった。
「えっと、リゼさんに頼まれたのはこれで全部、だよな?」
翌日は各自が自由に過ごすということになっていたので英太はまた王都内を散策することにしたのだが、リゼから錬金術に使う素材のお使いを頼まれたので四苦八苦しながら売っている店を探し、何とか言われた物を全て揃える事ができた。
メモ帳を見ながら買い忘れが無いかチェックして、抜けがないことを確かめた英太は店を出る。
教会が魔法を独占していたためにこの王都、というかカタラ王国に魔法素材や錬金術の店はない。
なので英太が回ったのは薬師の店や道具屋、建築資材や塗料などを扱う店などの一見魔法や錬金術とは無関係な場所ばかりだ。
とはいってもリゼロッド曰く、魔法や錬金術のみでしか使わない素材というのは実はそれほど多くなく、大部分が他の用途の材料としてそのまま使われていたり、少々の加工や精製で使える物ばかりらしい。なので必要な物はある程度揃える事ができるのだった。
店を出ると外はかなり日が傾き、路地などは既に薄暗さを感じさせていた。
季節はもう秋だ。グローバニエよりも北に位置する大陸西部地域はそれだけ日が暮れるのも早い。
時間としてはまだ3時頃の筈なのだがあと1時間もしないうちに暗くなってしまいそうである。
とはいえ、田舎町ならともかく王都だけに街の賑わいが衰える気配はなく、露店などは店じまいをしているところもあるものの市場や飲食店などは一層活気が増しているようだった。
英太はリゼロッドのお使い品の入ったずっしりとした重さの袋を肩に担ぎ直すと、最後の売り時とばかりに声を張り上げていた屋台でホットドッグのような食べ物を買うと、それを頬ばりながら細い路地に入っていく。
この王都は統治がしっかりとしているらしくスラム街のような著しく治安の悪いエリアは存在しない。
もちろん貧富の格差はあるので比較的定収入の者達が住む地域はあるが、それでも西部諸国の中でも豊かな食料生産を誇るカタラ王国である。貧しいとは言っても食に困るほどではなく、よってスラムのような無法地帯も定着しないのだ。
だから路地に入っても即座に絡まれたりする事はなく、多少の薄暗さ以外に困るようなこともない。まぁそれでも現代日本の治安とは比較にならないので香澄達が単独で歩けるというわけではないが。
裏路地はこの地域に住む人達の生活道路である。
広くはないが所々に広場のような場所があり普通に人も行き交っている。が、建物に挟まれているので日の光はあまり届かず外灯のような物もないので一層薄暗さは増す。
しばらく歩いていると路地はどんどん暗くなっていき、歩く人の姿もすっかり無くなってしまった。
英太は足を速めるでもなく歩き続け、放射状に路地が分岐する広場のような場所で唐突に足を止めた。
「そろそろ姿を現したら?」
不意に投げかけられた言葉に音もなく驚いたような気配が感じられた。
しばし躊躇するかのような沈黙の後、英太の通ってきた路地や前方から複数の男達が音もなく姿を現す。
石畳の地面を足音を響かせることなく滑るように移動して英太を取り囲む。数は10人ほど。
「ずっと付いてきてたみたいだけど、何か用? まぁその物騒な物見たら内容は聞かなくても分かるけど」
英太の言葉通り、囲んでいた男達は無言のまま腰からすらりと剣を抜いていた。
刃の長さが40センチ程度のいわゆるショートソードと呼ばれるタイプの武器だ。おそらく狭い路地で使うことを考えたのだろう。
しかも刃は黒く塗られており、明らかに普通の兵士や街の無法者が持つような武器ではない。分かりやすく見るからに暗殺者といった感じだ。
対して英太はといえば、いつも腰に佩いている日本刀は持っておらず、一見丸腰に見える。
が、もちろんそんなわけはなく、リゼロッドの荷物を足元に下ろすとライダース風のミリタリージャケットを捲って腰に手をやり中から長さ50センチほどの棒状の物を取り出した。
太さは直径5センチほどの金属製で、棒の先端に近い位置にグリップが直角に取り付けられた、トンファーと呼ばれる武器だ。
扱いにはそれなりの訓練が必要となるが、屋内や路地などの狭い場所で使いやすく防御に長けた中国武具である。
狭い路地で取り囲まれ、場合によっては剣に毒が塗られている可能性を考えれば無難なチョイスであると言える。
「さて、どうせ光神教の教会関係でしょ? 面倒だからさっさと、うおぅっ!」
ギンッ!
ヒュッ、ガスッ!
「ぐぁっ!」
トンファーを構えながら言った言葉の途中で英太に3人の男達が襲いかかる。
ひとりから振り下ろされた剣を左手の櫂で受けながら弾き、別の男の側頭部を右手の櫂でぶん殴る。
男達はこういった対人戦に慣れていてかなりの訓練を積んでいるようではあるが、それでも英太から見れば隙があり、速さも充分に対処できる程度でしかない。
側頭部に一撃くらった男はそれだけで意識を飛ばしたらしく、最初に剣を振り下ろした男もすぐさま繰り出された英太の蹴りで足元を払われ、次いで振られたトンファーによって足を砕かれた。
それを見て躍りかかってきた残りのひとりは慌てて距離を取る。
ヒュッ!
背後から放たれた微かな風切り音に、無造作とも言える動きでトンファーの櫂を振り、飛来した物、短剣を弾く。ついでに弾き飛ばす方向は別の暗殺者に向かうように角度を調節する。さらには勢いも追加された短剣は別の男の肩に深々と突き刺さった。
すると身体で受ける羽目になった男はわずか数秒で膝から崩れ落ち、全身で痙攣するように震えた後、動かなくなった。
「うっわ、ヤバぁ、毒かよ」
心底嫌そうな顔で男の最期を見る英太。
とはいえ、アラミド繊維とカーボンファイバーで作られたインナーアーマーを上下とも着込んでいる英太にとっては顔と頭部さえ守れば投げナイフ程度は脅威にはならない。
今度はこっちの番とばかりに男達に突っ込むと、同時に別々の男に左右のトンファーを振るい、当たった瞬間、グリップのボタンを押す。
バチバチバチッ!
「ガァッ!?」
現代日本人ならガスコンロの着火音で聞き馴染みのある、より強い音が暗い路地に響き、腹部を殴られただけの男達はその場で短い悲鳴を上げて転げ落ちた。
しかも訓練を受けていたはずの男達がろくに動くこともできない。
それもそのはず、英太が使ったのはショックバトンと呼ばれるタイプのスタンガンであり、それも護身用ではなく暴徒や凶悪犯の鎮圧に使われる高電圧のもので分厚い服の上からでも電流が全身を駆け巡り本人の意思にかかわらず自由に動くことはできなくなる。
といっても、電圧は高くても電流は数ミリアンペアなので基本的には殺傷能力はほとんど無く数十秒~数分で回復する。のだが、英太にとってはそれで充分だ。
特殊部隊用に開発されたトンファー型のスタンガンであり数秒間のチャージ時間で連続使用ができるので一瞬の出来事に固まった別の男を蹴り飛ばし、少し離れた位置にいた男2人にも電気ショックをくらわす。
「チッ! 引け!」
男の1人がそう言うと、残った数人は一目散に路地に飛び込んで立ち去っていった。
英太はそれを見ても追うことはしない。
全滅させるよりも数人を確実に確保する方を優先するように伊織に言われているからだ。
なので、暗殺者の常套手段である自害を防ぐために後ろ手に手錠を掛けた上で顎と両肩の関節を外し、身体を探って武器類を没収する。
そしてとりあえず3人にナイロン製のロープを縛り付けて大通りまで引きずり始めた。
「さて、こっちは予定通りだけど、香澄達は大丈夫、だな。間違いなく」
最近特に逞しく恐くなってきた幼馴染みを思いつつズルズルと男達を引っ張って歩いていった。
「……来ましたね」
「! そっか、それじゃルアちゃんはパパに言われたとおりそこに入っててね。何があっても自分から開けちゃダメよ」
「うん。わかった。あの、きをつけて、ね? ぜったい、だいじょうぶ、ね?」
「ん~~!! ルアちゃん可愛い! 大丈夫よ、スカッと一瞬で終わらすから!」
「緊張感ないわねぇ。まぁ予定通りだから仕方ないかも知れないけど、油断しちゃ駄目よ」
呆れたように香澄に忠告するリゼロッドを余所に、40畳ほども広さのある部屋の一角に置かれた一辺が2mほどの立方体にルアが入り、その扉がしっかりと閉まったのを香澄は入念にチェックする。
王都を散策しているときに監視されていることを察知した伊織達だったが、元々これは想定されていたことだった。
というか、カタラ王国で立場を完全に失うことになった教会には打てる手がほとんど残っていない。
現在は治癒師や魔法具の職人達に厳重な警護が王家の命令で付けられている。
しかも活動拠点が分散しているためにそれら技術者達を襲撃したり暗殺しようとしても数人ならともかく100人以上を殺害するなどほぼ不可能だ。
その上王都で同盟国の大使や賓客も列席する中で大々的に式典が行われ一般市民にも周知されたことで、もし技術者が殺されるようなことがあれば真っ先に教会が疑われ、一気に求心力を失ってしまうだろう。
既に同盟各国からも水面下で技術者の育成に関する申し入れがされており、どのように抵抗しようとカタラ王国を中心とした同盟諸国に治癒と魔法具作成の技術が拡がっていく流れは止められない。
教会にできるのはせいぜいその流れを遅延させることと、帝国内にその技術が入らないようにすることくらいだ。
そのために最も重要なのは、そもそもカタラ王国に治癒と魔法具作成の技術を持ち込んだ張本人である異国からの来訪者、つまり伊織達をこれ以上自由にさせないことだ。
そうでなければこの流れが帝国南部諸国だけでなく北部、それに帝国内にまで拡がり、最悪の場合は総本山であるキーヤ公国の屋台骨すら揺らぎかねない。
そして伊織達は自分達の存在を一切隠しておらず、教会が各地に広げたネットワークを駆使するまでもなく伊織達の所在としでかした数々を知ることができたわけである。
となれば教会が伊織達の排除に動くのは当然の帰結であり、聖騎士達の大部分が国外退去と武装制限されている現状、暗殺しか手が残っていないというわけだ。
伊織は式典の後にカタラ王国の内務大臣であり3侯爵家のひとつであるカリシェタ侯パッセから教会は暗殺や謀略などを行う専門機関を持っているらしいという情報が提供された。
そこで教会がその組織を使って攻撃を仕掛けてくるように、ある程度の目的を達したにも関わらずカタラ王国の王都に留まりつつ隙だらけの状態で王都内を散策していたのだ。
滞在先である王城には当然光神教徒が沢山いる。というか国民の大部分が光神教徒であり、特に箝口令などを布かない限り使用人などから悪意無く伊織達の行動が教会に伝わるだろう。
そうなればいずれ必ず行動を起こす。伊織はそれを迎え撃つという計画を立てたというわけである。
そしてとうとうその蜘蛛の巣に
不審な気配が香澄達の居る王城内の小さな離宮に近づいて来たのを事前に備えておいた検知魔法で知った香澄は迎え撃つ準備を進める。
各所に目立たないように設置しておいたカメラの映像をモニターに映し出しつつ他の備えをチェックする。
この離宮は他国の王族や貴族が家族で滞在するための建物として造られており部屋数は少ないが一つ一つが広めに作られている。
そして伊織達の要請で基本的に使用人の類は常駐しておらず昼間の短時間に食堂や厨房、玄関ホールなどの共用部分の清掃だけを王城の使用人達が行っており、リビングや寝室などには立ち入らないことにしてもらっている。
そしてそれをいいことに伊織は滞在が快適になるように様々な設備や機材を持ち込み、さらに建物中に監視カメラや侵入者捕縛用の仕掛けを設置したのだ。
ルアが入っていった小部屋もそのひとつで、屋内設置用の簡易シェルターなのだ。
中は人ひとりが充分快適に横になる事のできるスペースと小さなシャワールーム、トイレがあり、一月分の水や食料、空気の浄化システム、蓄電発電システムも完備。
加えてルアが退屈したりしないようにモニターとDVDデッキ、音楽プレーヤー、マンガにぬいぐるみなどが持ち込まれている。そして無線機もあるのでその気になれば伊織達と連絡を取ることもできるのだ。
そして当然安全製は折り紙付きでこちらの世界の魔法や技術では相当大がかりなものでない限り音すら通さない。
「チェックポイントを通過したわね」
「手になにか持ってますね。部屋に投げ込むつもりかしら」
「ならプランBね」
20人近い不審者が夕闇に沈んだ離宮を取り囲み、慎重に距離を詰めてくる。
隙を窺い、周到に準備を整えてきたのだろうが、まさか自分達の姿も行動もリアルタイムで筒抜けになっているなどとは思いもしないだろう。
やがて不審者達は正面玄関と裏口から10人ほどが建物内に侵入した。
香澄達がいるこの部屋の2個所の窓の外側に残りが配置する。
そして、外から窓を突き破って重い何かが投げ込まれた。
途端に部屋に拡がる白い煙。
と、同時に部屋を照らしていた灯りが消える。
直後、2個所の窓から、部屋のドアから一斉に不審者達がなだれ込んできた。
襲撃を察知して灯りを消したのだろうと教会の暗殺者達は考えたが、そのこと自体を警戒してはいなかった。
暗殺者として訓練を受けていた彼等は暗闇を苦にしない。むしろ暗がりこそが仕事場であり通常ならば暗闇は暗殺者達にとって有利なフィールドでしかない。
例え初めての場所であってもわずかな光が一瞬でもあれば周囲を把握することができるしターゲットは気配だけで十分だ。
離宮の構造は把握しているし部屋の内装やレイアウトも事前に調べてある。
加えて今回投げ込んだのは内部で燃えながら煙を出し身体を麻痺させる特製の煙玉だ。特別な解毒剤を服用している暗殺者達は別として、ほんのわずかでも吸い込めばすぐに動きが鈍る。失敗しようのない計画だと。
そしてそんな楽観的な判断は彼等にとって致命的な失態となった。
部屋の中央付近に2人の女の気配を察知し、男達は中に入るなり拡がって包囲するような陣形をとる。
幸い椅子やソファー、テーブルなどという動きを阻害するような家具類は無く、実にスムーズに包囲が完成する。
普通に考えて賓客が滞在する離宮の部屋で家具や調度品が置かれていないなどということがあるだろうか。暗殺者の中には職業柄違和感を覚えた者も多かったに違いない。
だがそう思ったところで全ては手遅れだった。
パサッ。
軽い音と共に暗殺者達の頭上から何かが降り注いだ。
と、同時に彼等の足元に何かがいくつも転がってくる。当然意識がそこに向く。
直後に襲ってきたのは凄まじい閃光と鼓膜を打ち破るかのような轟音。
お馴染み閃光手榴弾の乱れ打ち。
グローバニエから脱出する時にはたった2個しか使っていないのに、この部屋の中では同時に4個。大盤振る舞いである。
予想外の攻撃に屋内にいた暗殺者達全員が三半規管と視界が焼かれ、防衛反応として無意識にその場でしゃがみ込んでしまう。
すると今度はモーター音が響き先に暗殺者達に降り注いだ物、特殊強化繊維で編まれたネットが巻き取られてしゃがみ込んだ姿勢のまま網に絡め取られていく。
見事な3連コンボである。
この仕掛けを設置しながら「ピタゴ○スイッチ♪」などと口ずさむ伊織を見て呆れていた香澄とリゼロッドだったのだが、こうも見事に引っかかるとその時の伊織の気持ちがほんのちょっとだけ理解できた。実に不本意だが。
ところで、これも当然ながら香澄とリゼロッドは煙玉も閃光手榴弾も影響は受けていない。
即時反応式偏光グラスの暗視ゴーグルとガスマスク、イヤープロテクターを最初から装備していたからだ。
暗殺者達にその姿が見えていたのならば迂闊に部屋に飛び込んだりしなかったのだろうが、やはり敵にした相手が悪かったとしか言い様がないだろう。
ただ、香澄達も英太と同じく襲撃してきた暗殺者達全てを捕縛することはできず、半数近くが部屋に入らなかったため作戦失敗を悟って逃げ去ってしまっていたのだった。
完全に日が沈んだ王都から逃げるように森を疾走するひとりの男。
相当な訓練を積んでいるのだろう、わずかな月明かりだけしかないにも関わらずその足取りに不安はない。
男は街道を外れ、森の中をひた走る。
(何だ、アレは? 俺は、俺達は何を見たんだ? アレが敵だと?)
足取りはしっかりしていても、その表情に冷徹な暗殺者の面影は欠片もなく恐怖とも泣き顔ともつかない必死さだけが張り付いていた。
森の中を一刻ほども走り続ける男。地球であれば間違いなくフルマラソンで世界新記録を更新できるだろう。
やがて森を抜けると崩れ果てた遺跡に辿り着く。
規模としてはそれほど大きくはないものの、いくつかの建物はまだ原形を留めており、ひとつの建物の入口には夜にも関わらず篝火が焚かれていた。
男は一旦立ち止まって息を整えると注意深く周囲の気配を探り、中に入っていった。
建物の中に地下に降りる階段がある。
男は迷う素振りはなく階段に足を踏み入れた。
階段を降りきったところには扉があり、男がその扉を数回叩くと静かに開かれた。
「おお、待っていたぞ。して、奴等の始末は無事に完了したのであろうな」
部屋の中に居たのは10人ほどの騎士姿の男達。それから教会の大主教だった。
男はすぐに問いに答えることなく、大主教の前まで歩み出て跪いた。
「……どうした? まさか失敗したなどと言うまいな?」
男の雰囲気に、大主教は眉を顰めて再度問いかける。
「……暗殺は、失敗です。いえ、アレは、あんなのを殺すなど不可能です! 大主教猊下! すぐに本国へお逃げください! アレは、アレは化け物です!」
「な?!」
跪いた男のあまりに悲壮感溢れる表情と絶叫のような言葉に、失敗を責める言葉を出せずに戸惑う大主教。
「おいおい、化け物は酷ぇなぁ、化け物は。
ああ、アンタが光神教の大主教様とかいうお偉いさんか?
初めまして、だな? どうやら俺に用があるようだから、せっかくなんで直接話をしようと思って来てやったぜ?」
突然部屋の入口から響いてきた声に、一斉に視線が集まった。
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