第49話 育成開始と光神教の焦り

「え、えっと、お、お兄、ちゃん?」

 赤みがかった肩までのプラチナブロンドの髪をフワフワと揺らしながら首を傾げて言う少女を見て英太の相好は弛みっぱなしになっていた。

「な、なにかすっげぇ感動! あ、でも『お兄様』とかも呼ばれてみたい気もする」

 高校生とはいえ、若い男が小さな女の子に向かって顔を赤らめて鼻息荒くしているというのはかなり変質者ちっくである。

 現代日本ならば即座に通報されることは間違いない。というか逮捕された方が良い。

 

「英太、キモイわよ。ルアちゃんからすぐに離れなさい! 以後半径50メートル以内に接近禁止」

 即座に英太を引きはがしてルアとの間に身体を割り込ませてガードする香澄。

 汚らしい生き物に対するかのようにシッシッと手を振りながらという徹底ぶりだ。

「ちょ、香澄ヒドくね? 俺は別に…」

「寄るな喋るな息するな、こんなロリコン男が幼馴染みとか泣きたくなるわ。ルアちゃん、心配いらないからね!『お姉ちゃん』がキッチリ変態男から守ってあげるから」

 思い人からの容赦ない攻撃に部屋の隅でしゃがみ込んでカーペットの埃を指で集めるDTもといDK。

 

「あ、あの、カスミお姉ちゃん?」

「ん~!! 可愛い! 私、ずっと妹が欲しかったのよ!」

 英太から引き離すついでにルアを抱きしめた香澄は英太に勝るデレッデレの笑顔で頬ずりする。ルアは過剰なスキンシップに困惑しきりだ。

「兄しかいない香澄ちゃんはともかく、英太は元々妹がいるんだろ? 何でそんなテンションになってんだ?」

「妹っていっても歳はひとつしか違わないからタメ口名前呼び捨てなんすよ。だから妹って感じしないし、中学に上がって以降は俺に対する態度酷いっすよ。家族に邪険にされる中年リーマンの悲哀を既に体験してます」

 むくれながら伊織に説明する英太。

 

 いったい何の騒ぎかといえば、先日からルアが伊織のことを『パパ』と呼ぶようになったことを知った高校生コンビは、今度は自分達もルアから『お兄ちゃん』『お姉ちゃん』と呼ばれたいと騒ぎ、戸惑いと恥ずかしさから逃げ腰だったルアからようやく呼んでもらえたということなのである。

 先に呼んでもらえたのは熱烈なアピールを露骨に続けていた英太の方であり、内心は同じく呼んでもらいたくて仕方がなかった香澄の方はルアの意思を尊重するという、謂わば格好つけたスタンスのせいで後塵を拝したわけだ。

 なので英太がルアに対して変な感情を持っていないと分かっていながらも攻撃の手を緩めることはしばらく無いだろう。

 完全な八つ当たりではあるが、女性の激情に特効薬は存在しないのである。

 

「ね、ねぇ、私の事は?」

「え? えっと、のんべお姉ちゃん?」

 ブッ!

 高校生コンビのやり取りを笑いながら見ていたリゼロッドが今度は自分のターンとばかりにルアに聞くが、予想外の返答に英太と香澄が吹き出す。

「ちょっ、イオリでしょ!? 変なこと教えたの!」

 一瞬前にルアが伊織の方を窺っていたのを見逃さずにリゼロッドがくってかかる。

 さすがに自他共に認める酒好きとはいえ少女にいわれるのは堪えるらしい。

「はっはっは! 最近やることが無いからって飲み過ぎだからな。このまま定着しないように少しは控えた方が良いだろ?」

「い、良いじゃない、これからしばらくは忙しくて呑む暇なんて無くなるんだし仕事はちゃんとするんだから」

 悪びれもせずに返す伊織に頬を膨らませるリゼロッド。

 そんな仕草も嫌味にならないくらい見た目が良い分、実に残念な女性なのである。

 

「でも、日本に戻るときどうするんですか? こんなに伊織さんに懐いてるのに離ればなれになったら……」

 この辺のデリカシーのなさは高校生男子の悪癖だろう。

 ルアはその言葉を聞いてビクリと肩を震わせて不安そうに伊織を見る。

 そんな不用意な発言に英太を睨み付ける香澄の手からルアを伊織が奪い返してしっかりと抱き上げつつ、あっさりと英太に答えを返す。

「んなもん、連れてくに決まってるだろ。こっちに身寄りがいるわけでもしがらみがあるわけでもないルアを残して帰るくらいなら最初から一緒に行こうなんて言わないさ。大体、女の子ひとりが後ろ盾もなくこの世界でまともに生きていけるわけがないしな。向こうの戸籍なんかは色々と伝手もあるからどうとでもなるし」

 

 実際、虹彩異色症ヘテロクロミアに対する偏見が無かったとしても小さな女の子がひとりで生きていくにはこの世界は厳しすぎる。

 伊織達の庇護が無くなれば、余程の運に恵まれない限りあっという間に命を失うか悪党の喰いものになるか、良くても娼婦になるしか道はない。

 当然といった様子の言葉に、ルアは嬉しそうな笑顔を浮かべながらも一層強く伊織の首にしがみつく。

「いや、その場合は私が引き取るわよ。当たり前でしょ? バーラやオルストなら目の色で差別されたりしないだろうし、イオリ達のおかげで経済的に生活に困ることもないわよ」

 リゼロッドがそう言うが、伊織は呆れたように首を振る。

「リゼは、勿論人間的には信頼できるし性格だって悪くないんだが、生活能力が、なぁ」

「……そうね」

「……逆にルアちゃんがリゼさんの世話をしてる光景しか想像できない。ってか、リゼさんのほうこそ俺達と離れてまともに生活できるのか不安だし」

「私たちの世界の便利さにどっぷり浸かってるしねぇ」

 伊織達のリゼロッドに対する評価はこんなものである。

 

 本人にとってはあんまりな評価に落ち込むリゼロッドを宥めていると、部屋をノックする音が聞こえてきた。

「あ、時間みたいね」

 香澄がそう呟くと同時に扉が開かれ、パーシェドル家の執事が顔を出した。

「準備が整いましたので会場までご案内します」

 執事の言葉に頷くと、香澄の側でルアを床に降ろした伊織はリゼロッドを伴って部屋を出た。

 これまでならば例え英太達の誰かが一緒にいたとしても伊織が離れようとすると不安そうな顔を見せていたルアも、パパ呼びを解禁した事とずっと一緒にいられることがわかって安心したらしく笑顔で見送っていた。

 

 

「侯爵閣下は既に会場に入って諸々の説明と王都から派遣された護衛騎士の紹介を始めております」

 伊織とリゼロッドを先導しながら執事が言う。

 向かっているのは侯爵邸に隣接する迎賓館のホールだ。

 カタラ王国有数の貴族であり主要穀倉地でもある侯爵領の中心だけあってこの街には賓客を迎える館がある。

 100数十名が宿泊することができる居室とホールや娯楽室、会議室、食堂などが完備されており、賓客の安全を守るための外壁や施設も揃っているのだが、今は内部が一部改装されておりホールは机や椅子が並べられているのだ。

 

 その理由はもちろん、オルスト王国とグローバニエ王国、それからバーラ王国から治癒師と錬金術師、魔法具職人が集まってきているからである。

 元々はオルストとグローバニエに対してのみ要請していたのだが、話を聞きつけたバーラ王国側からも「派遣したい」と申し入れがあり急遽10名ずつ20名が追加されることになった。

 バーラとしては元々西方諸国との貿易は自国が一番多いのに、その諸国に対する影響力で両国と差がつくのは避けたかったのだ。

 そのせいで当初の予定よりは数日ほどずれ込んだものの、英太のピストン輸送によって無事に全員がここに集められたというわけである。

 それに先だってカタラ王国の王城で伊織とリゼロッドが国王と面談を行っており、様々な取り決めが細部にわたって決定され、今後は王国が責任持って計画を進めていくことになっている。

 様々な手続きや受け入れた人員からの要望などを聞くために数名の文官と、安全確保を万全とするために200名近い騎士や兵士が派遣されてきている。

 

 そして今日からひと月ほど、治癒師は伊織から、魔法具の制作はリゼロッドによって研修を実施し、終了次第王都で大々的な式典を行った後、各地に派遣される予定だ。

 弟子となる人員については、まず信用できる者の中で素養のある者を秘密裏に選出して第一陣とし、式典の後は大々的に募集し、応募者の身辺調査をしっかりと行ってから順次割り当てていくことになっている。

 当然これまで西方諸国の医療と魔法具の制作・販売を独占してきた光神教教会からの猛烈な反発は予想されるが、本来国民の生活を守る義務を負っているのは国家である。それを国家以外の組織に委ねている現状それ自体が問題であり、いかに教会が帝国を始めとした大陸西方の国々に強い影響力を持つとはいえ正面から反論したり圧力を掛けたりすることは難しい。

 それに、民衆は国民であると同時に光神教徒でもある。対抗措置として傷病者の治療を拒否したり魔法具の販売を停止したりすれば王国内の信徒からの支持を失いかねないのだ。そのため教会が打てる手はある程度限定される。

 

 

 侯爵邸を出た伊織達は徒歩で迎賓館に向かう。

 といっても敷地内の庭園を横切ればすぐに迎賓館に続く内門があるのでそれほどの距離ではない。

 外部から迎賓館に入る正門や裏門だけでなく、侯爵邸と繋がっている内門にも警護の兵が多数配置されていた。

 普段の迎賓館の警備を大きく超える厳重な態勢だが、警護に責任を負うと約束したカタラ王国の本気度が分かる。

 既に面通しを済ませている伊織とリゼロッドなので警備兵は敬礼をしながら門を開けた。

 

 迎賓館の玄関を入ってすぐの場所は小ホールとなっていて、その奥に研修会場となる大ホールがある。通常はパーティーやダンスホールとして使われる場所だ。

 今は詳細の説明と今後の研修について全員に話をするために机と椅子が並べられているのだが、実際の研修はこの大ホールと会議室に分かれることになっている。

 扉の前で一旦待機し、執事がまず中の様子を確認。

 少し間を置いてから扉が開かれたので伊織とリゼロッドは中に入る。

 ホールの右側に一段高く壇が設けられており、タスベルがその中央で集められた技術者達に説明をしていたようだ。

 他には甲冑姿の男性が数名壇上にいる。警護を担当する騎士団と警備兵の隊長達だ。

 

 到着が丁度いいタイミングだったようで、伊織達はすぐにタスベルに促されて壇上に登る。

 伊織が席に座る面々の前に立つと、小さなざわめきと息を呑むいくつかの音、それに空気が緊張を帯びる。

 オルストやグローバニエで好き勝手に暴れまくった伊織のことを見知っている者がいるようだ。

 壇上に立った伊織は真剣な顔で自身を見る面々を気怠げに見回すと、普段と変わらぬ様子で話し出す。

「とりあえず、要請に応じて遠方から見知らぬ土地までよく来てくれた。まぁ、ご苦労さん。

 細かな条件とかはこの国の連中から聞いてるだろうし、何かあったらそっちに言ってくれ。

 

 聞いている奴もいるだろうが、あんた達がここに来ることになった切っ掛けは俺がこの侯爵閣下に提案したからだ。

 事前に説明があったとおり、大陸西部地域の医療体制と魔法具ってのは酷い状態で、俺としてはそれが気に入らなかった。まぁ、そんなところだ。

 他にも理由はあるがな。

 んでだ、既に資料は渡されてるから大体頭に入っているとは思うが、当然読んだだけで実践できるわけが無いんでな。これから1ヶ月ほどの期間でその内容を完全に習得してもらう」

 伊織の言葉の通り、各国で派遣される人員が確定した時点でそれぞれに資料は配付されている。

 いずれも向上心の高い、一定以上の実力を持った若手から中堅までの治癒師や職人達ばかりであり、受け取ったその日から準備の傍ら資料を熟読している。

 そうするように伝えてあったわけでもあるが、そうでなくてもそれだけの意欲がある人間を各国が選出してきているのだ。既に資料の内容は大まかに頭に入れているはずである。

 

「期間が短いからちょっとばかり大変だろうが、まぁ大丈夫だろ?

 とにかく、それが終われば国が選んだ弟子達が押し付けられるからとりあえず1年で何とかある程度使い物になるようにしてもらう。

 基礎すら知らない連中だろうから苦労するのは間違いないが、その代わりに俺から別の報酬を用意している」

 集まった技術者の中には既に弟子を持っていた者も多いし、そうでない若手も何年も弟子として修練を積んできたのだから1年という短い期間である程度使えるようにするということの難しさは十分理解できる。

 しかもそれは最初の一年だけでなく、割り当てられた弟子が一定人数に達するまで続けられるし、その間にも多くのひとに対する治療や数多くの魔法具の制作を行わなければならないのだ。

 事前に聞いてはいたものの、改めて告げられてその困難さを想像し難しい顔をしていた。

 

 そこに伊織の指示で分厚い書籍が一冊ずつ配られる。

 治癒師と職人達にそれぞれ別のものだが、渡された書籍を開いた技術者達からは大きなざわめきが漏れた。

「研修を終えた時点であんた達はこの世界で最高水準の知識と技術を身につけたことになる。ただ、それは余さず弟子になる連中に教えなきゃならない。

 となると、いずれは教え子に追い抜かれるだろうし、それは面白くないだろ?

 だから今回要請を受けて苦労するだろうあんた達には、もう一段高度な知識と技術を記した資料を用意した。

 少なくとも大陸西部と西南部諸国の中でこれを手にできるのはこの場にいるあんた達だけだ。そもそも研修を終える程度の知識と技術がなければ理解できないだろうしな」

 その言葉に技術者達の目の色が変わった。

 

 この場にいる技術者は治癒と魔法具でそれぞれ50名。

 人数とすればそれなりだが、祖国に何百といる技術者達、これから先育てる予定の数千人の弟子達、既にいると言われている教会所属の治癒師や魔法具職人、その実質的な頂点に立つことができるのだ。

 高度な技術に惹かれたとはいえ、見知らぬ土地で身を立てようとする程度には向上心と功名心といった野心を持っている彼等からすればこれ以上ない報酬といえる。

 しかも、今後の生活と最低限の立場、身の回りの安全はカタラ王国とその他派遣先の国が保証してくれる。

 少なくとも身の丈に合わないほどの欲を持たなければ、求められる職務を全うする限り将来を約束されるのに等しい。

 この瞬間、彼等のモチベーションは最高に達する。

 

 そんな技術者達の目を見て、伊織がニヤリと嗤う。

「全てはあんた達次第だ。チャンスは掴んだんだ、後は是が非でも成功させろ」

『応っ!!』

 ホールが震えるほどの、雄叫びに似た返事が響いた。

 

 

 

 

 カタラ王国の王都。

 その中心にある王城から程近い場所に、それほど大きくはないものの壮麗な聖堂が建っている。

 言わずと知れた光神教のカタラ王国支部を兼ねた大聖堂である。

 その聖堂の奥まった場所に小さな祭壇が築かれた祈祷室のような部屋がある。

 その部屋で祭壇に向かって跪いているのはパーシェドル領の中心都市の教会で司教の職にあるでっぷりと太ったあの男だった。

 

「だ、大主教猊下におかれましては、ご、ご機嫌うる……」

「公式な場所ではないのだ、そう畏まる必要はない。だが、穏やかな話というわけにもいかなそうだな」

 大主教と呼ばれた男の言葉にパーシェドルの司教の全身から冷たい汗が噴き出す。

 大主教の表情は声と同じく実に穏やかなものでその様子に安心してしまいそうになるが、カタラ王国とその周辺国の教会を統括する立場であるこの男はそんな甘い相手ではないことを知っている。

 せめて多少なりとも取りなしてもらえればと司教は大主教の後ろに控えているもうひとりの男、カタラ王国内の教会を取り纏めている主教に縋るような目を向けた。

 

「大主教猊下、この司教はこれまでに教会に対して多大な貢献をしてきた者。この度も自己の手に余るとすぐさま判断してこうして報告に参ったのでしょう。

 まずはその報告を聞き、猊下が適切な指示をすれば間違いなくよい結果をもたらすことでしょう」

 主教の男は常になく情けない顔で縋ってくる司教に薄い笑みを浮かべると、その期待に応えるべく大主教に囁く。

 無論それは単なる善意からくるものではないが、これまでこの司教が自身に何かと力を尽くしてきたことは事実であり、多少の取りなしくらいはしてやろうと考えたのだった。

 

「ふむ。私は別に彼を責めるような事はするつもりはなかったのですが、まぁ良いでしょう」

 大主教は首を傾げながら不思議そうに言ったが、それでも司教が感じる圧力は少しばかり少なくなったような気がした。

「さて、それでは報告をお願いしますよ。我々が聞き及んだところカタラ王国の王家と侯爵家が何やら画策してキーヤ光神教が神から与えられた力を蔑ろにしようとしているとか」

 この言葉で既にこの大主教が大凡の情報を得ていることが分かる。

 司教は緊張に身を固くしながらも慎重に言葉を選んで話し始めた。

 

「は、はい。パーシェドル侯爵が国王に働きかけ、南部の国から治癒師と魔法具の職人達を招聘したという話でございます。

 およそ一月後にここ王都でお披露目をしてから各地へ移動し、弟子を募るとか」

 そこまで聞いても笑みをピクリとも動かさない大主教ではなく、主教の方が眉を寄せる。

「カタラ王国は確かに南部の国と多少交易はありますが、それでも治癒師と錬金術師程貴重な人材を招聘できるほどのパイプがあるとは思えませんな。ましてやパーシェドル侯爵領に到ってはその交易すらほとんどなかったはず。

 いったいどのような方法で交渉したのでしょう?」

 

「現在侯爵領に滞在している異国人が力を貸したようです。

 南部訛りの言葉を話す4人の男女ですが、どうやらかなりの実力を持つ治癒師と錬金術師がいるようで、我々が完治させることができず瀕死だった領主の息子を治療し……」

 司教は伊織達に関して調べた内容を報告する。

 その中にはビヤンデの街で伊織達と揉めた司祭に関することも含まれる。

「その異国人達の身分に関してはとても信じられませんが、それでもそうして治癒師達を呼び寄せることができるならまったくの眉唾というわけでもない、というわけでしょうな。

 それに、南部の国から人を連れてくるには船で一月近く掛けるか、山越えで蛮族の住む集落の近くを通らなければならないはず」

 

 司教の男としては自らの地位を守るために必死の思いで調べ上げた内容だ。

 しかし、これまでならば侯爵をはじめとして使用人達、いや街の住人の大部分が光神教徒であるため情報を集めようとすれば簡単に集めることができていたのだが、最近では侯爵が教会と距離を置き始めていたために重要な情報を入手しづらくなってきていた。

 それに追い打ちを掛けたのが侯爵令息の治療失敗と、つい先日調査済みの遺跡跡で聖騎士達が迂闊にも侯爵令息の聞いている場で侯爵を軽んじる発言をしたことだった。

 

 慌ててその場で当事者たる聖騎士が謝罪したものの、当然それで修まるはずがなく、侯爵家から教会に抗議があった。

 当初は知らぬ存ぜぬで済ませようとしたものの、異国人が取り出した見たことのない魔法具がその時のやり取りを記録していたため惚けることもできず、逆に誤魔化そうとしたことも含めて謝罪をしなければならなくなったのだ。

 その結果、侯爵家と教会の溝は一層深まり、侯爵家内部の情報は出入りの者に当たり障りのない範囲でしか聞くことができなくなってしまった。

 今回の治癒師達の件は、10数日前から不自然に王都の騎士や兵士が侯爵領に入ったことに不信感を抱いて調べていたのだ。

 さすがに100名以上の治癒師や職人、護衛の騎士達の滞在で普段出入りしている商会だけでは賄いきれず他の商会も協力することになったために口の軽い数人から治癒師達が南部の国から来ていることをようやく聞き出すことが出来たというわけである。

 報告の前から大主教と主教がある程度事情を把握していたのは、王都側から何らかの方法で情報を入手していたということなのだろう。

 

「その異国人達は馬やドゥルゥが牽かなくても動く大きな荷車を持っていたり、得体の知れない術で城のように巨大な建物を作ることができるそうです。

 おそらくはその荷車を使って山を越えて治癒師達を連れてきたのかと」

 司教は得られた情報を基に推測しそう報告を終えた。

「ふむ。さすがに100名の治癒師と職人は捨て置くわけにはいきませんねぇ。

 折角治癒師と魔法具の製造を独占することができているのに、その優位性を失うことはキーヤ神様のご意志にそぐいません。

 かといって各地に派遣されてからでは対処も難しくなりますし、王家も護衛をつけるでしょう」

 難しい顔を見せて顎に手をやり何やら思案する大主教。

 

「治癒師達が100名と王都から派遣された騎士が200名、間違いないですか?」

「は、はい。ただ、領軍からも100人ほど動員されていますし、王都までの護衛には200程は護衛に加わる可能性があります」

 大主教が考えを巡らす間に主教の男が司教に確認をする。

「……至急聖騎士を集めなさい。

 カタラだけでなく周辺国で、辺境に派遣している者まで含めれば1000名は集まるでしょう。

 確か、パーシェドル領から王都までの街道に森を抜ける場所がありましたね? その中にある泉周辺で野営をする。そうでしたね?」

 大主教の口が笑みを浮かべながらそう言った。

 

「!!」

 その言葉に、聞いていた2人の顔が凍り付く。

「400名の護衛。さて、神の試練に耐えられるのでしょうか。

 キーヤ神の試練を乗り越えられたとするならば、それもまた神の御意志、かもしれませんねぇ」

 倍以上の聖騎士による襲撃。

 人の良さそうな笑みは何一つ変わらないまま、その気配だけが禍々しく歪む。

 そんな大主教に戦きながら、主教と司教は一礼して指示に従うべくその場を後にした。

 

 だが彼等は見落としている。

 ビヤンデの聖騎士達が見た空を飛ぶ荷車の存在を。

 そして30名の聖騎士が何一つできないまま戦闘不能にされたことを。

 なぜここにきて治癒師達の動向や護衛騎士の人数までが不自然に漏洩したがということを。

 

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