第45話 パーシェドル侯爵

 タカラ王国パーシェドル領。

 王国南東部に位置し、肥沃な土地が広がる王国の一大食料生産拠点として発展している豊かな場所である。

 タカラ王国は大陸西部地域の中では小さな国であり、北にあるアガルタ帝国が拡大路線を掲げていた頃は近隣の国と同盟を組んで対抗していたが、帝国の先代帝王が政策を内政重視に転換し、現在の帝王もそれを継承していることから同盟は実質的に形式上のものとなっている。とはいえ、同盟国として近隣諸国とは良好な外交関係を維持できているので比較的安定した地域である。

 そして南部に位置する土地柄、穀物を中心とした食料の生産が盛んで主要輸出産業ともなっている。

 

 パーシェドルはタカラ王国で3家しかない侯爵家であり、他の2家と並んで王家に次ぐ権力を誇る。

 その所領のほぼ中央にある街、領主の姓を冠した都市パーシェドルは人口3万を超えるタカラ王国有数の街であり、山側にある領主の邸宅から西側に街並みが広がっている。

 領主の住まいであり行政府でもある侯爵邸はその地位に相応しい広さと威容を備えていた。

 そしてその伯爵邸の敷地の奥まったところにある、伯爵家の家族が暮らす本館とも言うべき建物の一室でベッドに横たわる人物が一人。

 歳の頃は20代前半だろうか、元は端正な顔立ちだったのだろうが今は窶れ果て青黒い顔色をしている。苦しげに呻く口元を見なければ死人だと言われても違和感は無かっただろう。

 その脇には真剣な表情で横になった青年の様子を見ている生成りの白衣のようなものを着た初老の男と、貴族的で上品な服を身に纏った壮年の男性が立っている。

 

 しばらくして初老の男が難しい表情でもう一人の男に振り向く。

「かなり厳しい状態です。このままではあと数日保たないかと」

「そう、か……教会の治癒師はどうなっている?」

「また明朝に来ることになっておりますが、これまで幾度も治療したにも関わらず悪化するばかり、口にするのは憚られますが望みは薄いかと」

 初老の男は相手の顔色を窺うように恐る恐る自身の見解を口にした。

 その言葉を聞いた男がきつく目を閉じて唇を噛みしめる。

「あの役立たず共が! これまで何かと金をせびり、やることに口を出していたくせに肝心の時には言い訳ばかりで逃げ回る!」

 爪が食い込むほど強く握り締められた拳が男の気持ちを端的に表していた。

 

 しばらく気持ちを落ち着けた男は痛ましげな目で横たわる青年を見やり、何かを堪えるようにもう一度目を瞑ってから踵を返す。

 そのまま部屋を出る男に続く初老の男。

「ラディウス、すまぬがどうかこれからもあれの、ツヴァイの面倒を見てやってほしい。厳しいと分かってはいるが最期まで希望を捨てたくはないのだ」

「もちろんでございます。私ももう一度薬を試してみましょう。ただ……」

「うむ、そなたの判断で教会を拒否しても構わん。どうせこれ以上奴等に期待しても無駄だろうし、拒否したところで責任が逃れられると喜ぶだけだろう」

 そう交わしながら残っている仕事を片付けるべく執務室へ向かって歩いていく男の前方から慌ただしく執事姿の男が走ってくる。

 侯爵邸の執事としては不作法に過ぎるといえるのだが、その様子から何事か起こったことは間違いない。

 

「どうした!」

「か、閣下! たった今、南部の村に行った徴税官に同行していた騎士隊長が戻ってきまして」

「何かあったのか?!」

「そ、それが、その、不可思議な乗り物に乗った異国の者が同行していて、騎士隊長のバンゼルクの話では、その、信じられないほどの治療技術を持っている、と」

「な、なんだと!?」

 

 

 

 

 街道の左右に広がる広い麦畑の中を2台の車両が進んでいく。

 一台は民生車両ながら兵員の輸送もできる軽装甲車両ヒューロンAPC、そしてもう一台は日野自動車の大型フルキャブ10tトラックである。

 崖下に落下した騎士の救助と治療、そして荷車と荷物の回収を終えた伊織達はバンゼルクと名乗った騎士隊の小隊長からの要請を受けることにした。

 一通りの作業を終えたのは昼を過ぎた頃だったのだが、その場所から騎士や徴税官の帰還先であるパーシェドル領の中心都市まではまだ荷車で1日以上かかる。

 話を聞けば怪我人の治療ということで被傷したのは10日ほど前。

 当初は重傷ではあるもののすぐに教会の治癒師が治療にあたり、さほどたたずに治ると思われていたらしい。

 だが、予想に反して日に日に状態は悪化し、治癒の効果がまったく見られなかったそうだ。

 

 その後、通常任務で予定されていた徴税官の護衛としてバンゼルクの小隊が同行することになっていて現在の状態は分からない。

 なので、既に治癒している可能性もないわけではないのだが、逆にさらに悪化していたり最悪の場合は亡くなっている可能性もある。

 だから、もしかしたら無駄足になるかもしれないが、現在も治療が続けられているのであれば手を貸してほしいというのがバンゼルクの要請だった。

 それを聞いた伊織はリゼロッド、香澄、英太と話し合った上で、治療するのならばできるだけ早いほうが良いだろうと判断。

 ただ、伊織達だけで先行したところで門前払いされるのが当たり前。

 なので、徴税した物品の大部分を伊織の持つトラックに乗せ替え、徴税官と騎士達の半数は伊織達と一緒に先に戻り、積みきれなかった一部の荷物と荷車、騎士の騎乗する馬を残りの半数の騎士達で移動させることにしたのである。

 

 半数とはいえ6名の騎士が守るほとんど荷物の積まれていない荷車3台と御者、馬であればわざわざ襲うような野盗など居るわけがないし、荷がなければ荷車もほとんど負担なく移動する事ができるので遅くとも翌日の昼過ぎには街に戻ることができる。

 そして騎士と徴税官を伊織が運転するヒューロンAPCで、荷物は英太が運転するトラックで移動すればその日のうちに到着できるだろうということで、異世界にはまったくそぐわない車両2台で街道をひた走ってきたわけである。

 もちろんヒューロンに乗り込んだバンゼルク達は大騒ぎだったわけだが、ともあれ無事にこうしてパーシェドルの街が間近に迫ってきたのだ。

 

 2台はバンゼルクの指示で街の外縁を回り込んで西側から街に入る。

 中近世然とした都市としてはかなりの規模をもっているパーシェドルの街だ。当然行き交う人や荷車は多い。

 そんな中に馬やドゥルゥが牽いていない巨大と言って良いほどの大きさの荷車らしき車両が入ってこれば大騒ぎになる。

 だが伊織達はそんなことはお構いなしに指示された道を通って行政府でもある侯爵邸に向かう。

 人の多い街中なので速度は人が小走りする程度のものであり、物見高い連中が後を付いてくるのでさらに騒ぎが大きくなる。

 結局、侯爵邸のずっと手前まで来た段階で衛兵と思われる短槍と甲冑姿の男達が立ちふさがってしまった。

 

「止まれ!! 貴様達はいったい何者だ!」

「待て! 我々はパーシェドル領騎士団第7小隊の者だ! 侯爵閣下に大至急報告する事がある! 領主邸の前でこの荷車は待機するので道を空けてもらいたい!」

 誰何する衛兵に、ヒューロンから降りたバンゼルクが答える。

 階級としてはバンゼルクの方が上なのか、その姿を見た衛兵は慌てて突きつけていた短槍を引き右の握り拳を胸に当てて敬礼する。だがすぐに道を空けることはせずに立ちふさがったままさらに質問を重ねた。

「報告の概要をお聞かせいただきたい。それから、行政府に入るのはバンゼルク殿お一人で、乗っている方々は全員降りていただき、荷車の中も検めさせていただきますが宜しいですか?」

 衛兵としては当然の要求だろう。

 バンゼルクは頷いて了承する。

 当然事前に伊織に話をしていて、伊織達にも異存はない。もっとも検めたところで大半が理解できない代物だろうが。

 

 それを受けて道を空けた衛兵が先導し、バンゼルクはそのまま徒歩で、その後ろをヒューロンとトラックがゆっくりと続く。

 侯爵邸の前は広場になっており、その端に車を寄せて駐める。

 そしてヒューロンからは徴税官と騎士達が先に降りて衛兵に事情を説明。バンゼルクは行政府の中に入っていった。

 しばらくそのまま待つと徴税官が10人ほどの男達と手押しの荷車を持ってきたのでトラックのキャブを開ける。

 モーター音を響かせながら電動で開く荷台にどよめいたり積まれた荷の量に人夫らしき男達が引きつったりしながらも、税として徴収された作物は無事に全て運ばれていった。

 

 ちなにみ、伊織達はというと、放置されていた。

 実際には放置というよりは衛兵達に遠巻きに監視されていたのだが、これまでのところ衛兵達は近づいてこようとはせず、出自を問われることもこの街に来た目的を質されることもなく放っておかれている。

「どうしたんですかね?」

「あの小隊長さんが説明に行ってるみたいだし、様子見してるんじゃない?」

「というか、見たことのない乗り物乗ってきた得体の知れない人間に近づきたくないんだろ?」

「それ、自分で言います?」

 不安そうに伊織に抱きついたままキョロキョロと辺りを見回すルアを抱き上げつつヒューロンにもたれて暢気に会話することしばし。

 

 結局小一時間ほど待たされてようやくバンゼルクが戻ってきた。

「待たせて申し訳ない。侯爵閣下がお会いになる。

 悪いが武器の類は持ち込ませるわけにはいかないが、貴公等の身の安全は保証するので了承してもらいたい」

「まぁ、そりゃそうだろうな。俺とリゼロッドの2人で行こう。

 お偉いさんに子連れで会うってわけにはいかないし、子供だけ置いておくこともできないからな」

 当然の申し出に、伊織も条件をつけて了承する。

 そしてホルスターを外して銃器類やナイフなどを英太に手渡す。ルアは香澄が抱っこした。

 

 元々これは予定の行動だ。

 バンゼルクを始めとした騎士達の言動は統制が取れており練度の高さが伺える。

 兵の質はそれを束ねる指揮官と統治者の質をそのまま表す。だから正規の方法で招き入れた以上は不当な行動に出ることはないだろうと考えられた。

 とはいえ、だからといって絶対などというものはあり得ないし、万が一の場合にルアを危険に晒すのも避けたい。

 さらに言えば、無線を使えば連絡を取り合うこともできるので二手に分かれることにしたのである。

 

 診察に必要な道具類を持った伊織と身分証明の書簡の入った箱を持ったリゼロッドがバンゼルクの後に従って行政府の門から中に入る。

 だが正面の建物には入らず、そのまま建物を迂回する通路を通って奥へ案内された。

 途中、通路が門によって遮られており2名の門番によって一旦止められる。

 行政府はある程度不特定多数の者が出入りするのに対し、この先は許可のある者のみが通されるのだろう。

 事前に話がされていたとみえて、バンゼルクが何事かを告げるとあっさり門番が扉を開き、伊織達を通した。

 

「ようこそパーシェドル侯爵領へ」

 侯爵の私邸と思われる建物に入り、出迎えた執事姿の男性の先導で部屋に案内されて応接室に入ると50歳くらいの壮年の男性と60歳くらいの初老の男が待っていた。

 そして伊織とリゼロッドに向かって挨拶を交わす。

「初めてお目に掛かります。私は大陸中西部の国、オルスト王国から来ました伊織と申します。こちらはバーラ王国出身の遺跡研究者であるリゼロッド・シェリナグ嬢」

「お目に掛かれて光栄です、パーシェドル侯爵閣下。

 まずは、私共の身分を明らかにしたいと思います」

 

 最初の瞬間から伊織達に対して猜疑と警戒の目を向けている2人にそう言って自己紹介をすると、リゼロッドが書簡の入った箱を開けて3通の書簡を広げてみせた。

 例のビヤンデの街で出したオルスト、グローバニエ、バーラそれぞれの国王が直接記した伊織達の身分に関する保証書だ。

 それらに目を通した2人は驚愕の表情を浮かべる。

「私共は別に国の特使というわけではありませんし、密命を帯びているわけでもありません。単に3国からの保証を得ているというだけだとお考えください。

 もちろん報酬以外での対価を求めることはありませんし、この領及びカタラ王国に含むところもありませんのでご安心ください」

 

「……書簡の内容は俄には信じがたいし、我が領で書簡の真偽を図ることもできないので、通常の客人としての扱いしかできん。了承してもらいたい」

「構いません。

 今回は偶然知り合うこととなったバンゼルク殿の要請でこちらに伺うことになりました。

 治療が必要な方がいらっしゃるというお話でしたが、どうなさいますか?

 信頼とは一朝一夕に培われるものではありませんし、詳細は聞いておりませんがわざわざ領主閣下が直接対応なさるというのならパーシェドル侯爵家にとって大切な方なのでしょう。

 そちらにとって我々は得体の知れない異邦人でしょうし、我々も治療を絶対に成功させられるなどと安請け合いはできません」

 

 淡々と述べる伊織を探るようにジッと見つめる侯爵。

 それは伊織が言い終えてからもしばらく続き、やがて重苦しく口を開いた。

「怪我をしたのは私の息子だ。

 今年23でまだまだ為政者としては若輩だが、いずれ私から領地を引き継ぐべく日々研鑽していた。

 そして10日前のことだ。

 近隣の村を視察するために少数の騎士と共に移動していたところ、領民が森狼の群に追われているのに気付きそれを撃退した。そこまでは良かったのだがな。

 瀕死だった森狼が息子が乗っていた馬の後ろ足に噛みつき、驚いて暴れた馬から振り落とされたときに足を大怪我したのだ。

 すぐさまこの屋敷に戻って教会の治癒師に治療させたのだが日々悪化するばかり。

 とうとう昨日から意識も失われている。もはや神に祈ることしかできん状況だ。

 バンゼルクより貴公等が信じられないような魔法と技術で騎士を救ったと聞いた。この上は貴公等の出自など問いただしているゆとりなどない。

 無論、最善を尽くした上で息子の命が潰えたのなら責任を問うようなことはせぬ。この事はすぐにでも誓約書を書いて渡す」

 

「……怪我をした方というのは跡継ぎですか?」

「跡継ぎではある。だが、それは分家から養子でも迎えればいい話。そんなことよりも、たった一人の息子なのだ! 親より先に死なせてたまるものか!!」

 ダンッ!

 伊織の言葉を挑発と受け取ったのか、激高してテーブルに拳を叩き付ける。

「閣下……」

「……すまん。どうも過敏になっているようだ。気分を害されたのなら謝罪しよう」

 気にするなというように首を振った伊織はリゼロッドにチラリと視線を向けると、彼女が小さく頷く。

 

「とにかく怪我人に会わせてもらいたい。患者を診てみなければ話は進まないだろう」

 そう言って立ち上がった伊織に侯爵も頷いた。

「そう言えば、まだ名乗っていなかったな。私はこの領地を国王陛下より与っているタスベル・ド・パーシェドル。

 この者は息子の治療をしてくれている薬師のラディウスだ。治療にはこのラディウスも同席させて頂きたい」

 これにも伊織が了承した。

 

 

「こいつは……マズイな」

 侯爵に案内されて息子の病室に入るなり診察を開始した伊織は、すぐに表情を厳しいものに変える。

 特に首筋から顎周りの筋肉の強ばりと足底反射などを確認した後、侯爵に向き直った。

「破傷風がかなり進行している。怪我の部位である右足は壊死が始まっているし、意識障害があるってことはおそらくは敗血症も併発している。このままでは助からないだろう」

 伊織が“このままでは”を強調する。

「……治療、できるかね」

「少なくとも右足は膝上で切断しなきゃならない。敗血症がどこまで進行しているかは今は何とも言えないが、分はあまり良くない。それでも治療を望むなら全力を尽くすが」

「頼む!」

 間髪入れずに答えた侯爵に、伊織は頷く。そして。

 

 部屋の空いているスペースに移動した伊織が、リゼロッド達に理解できない言語で何事か呟くと、床に魔法陣が出現した。

 その直後、その魔法陣の上にポッカリと何も移さない空間が現れる。

 普段リゼロッドは異空間倉庫を開くための魔法具を地面に並べて開くものしか見ていないが、伊織の異空間倉庫は伊織の身につけている腕輪と自身の魔力で開く簡易型のものもあり、地面に設置する必要がないために場所を選ばない反面制約もあるためそれほど使うことがない。

 今回はそれをあえて使い、中からストレッチャーを取りだして患者を移動するように侯爵と薬師に言った。

 そして呆然とする二人を振り返ることなく、準備のために応接室で待っているバンゼルクのところに足早に戻っていった。

 

 その後のことは、侯爵自身が『荒唐無稽な夢を見ているようだった』と述懐しているし、薬師であるラディウスも弟子達に『何一つ理解できることが無かった。見たことのない魔法陣が描かれ、透明な管がツヴァイ様の鼻や口、腕に繋がれた。足が切り裂かれ、悪臭がする黒い血が流れた。にもかかわらずツヴァイ様は痛みを感じていないかのように眠り続け、我に返ったときには全てが終わっていた』と語った。

 

 実際は応接室に急ぎ足で戻った伊織はバンゼルクに館の側に特殊衛生車両を移動する事を了承させるように言い、英太達と合流。

 ヒューロンとトラックを異空間倉庫に戻しつつ再び特殊衛生車両と医薬品が満載された補助車両を出して侯爵邸に突入。

 慌てた衛兵をガン無視してそのまま進み、奥の私邸の門に突っ込む寸前にバンゼルクが門扉を開けた。

 その後バンゼルクが追いかけてきた衛兵相手に必死に説明するのを尻目に私邸の玄関前に特殊衛生車両を横付け。

 少し遅れてストレッチャーを押してきたリゼロッドにルアを預ける。

 そして侯爵とラディウスに衛生服を渡し着替えるように指示してから自分達も術着を準備。

 事前準備が整った所で車両内の手術室に患者を運んで魔法を起動しつつ手術を開始したのである。

 

 抗生物質を始めとした薬品も使用し、完全に壊死していた部分を含む右足を膝上から切断。

 結局全ての手術が完了したのは翌朝、日が登った頃だった。

 開始したのが前日のまだ日があるうちだったことを考えれば実に十数時間に及ぶ大手術である。もっとも、色々できるとはいえ伊織も本職の医者ではないのでこれは仕方がないことなのだろう。

 ともあれ、手術自体は何とか成功し、一山越えたことは間違いない。

 まだ患者の意識は戻っていないし、当然の事ながらしばらくは経過観察が必要だ。それに命を救うためであり、残したところで元に戻ることはあり得ない右足を切断している。

 とはいえ、さすがの伊織達異世界組もそれなりに疲労しているし、見守っていただけとはいえ侯爵やラディウスなどは疲労困憊といった様子がありありと顔に出ている。

 特殊衛生車両からストレッチャーごとツヴァイを元の病室に運ばれているのを見送り、手術室の片付けをさっさと終わらせる。

 

「治療が終わったというのはわかったが、正直に言って何が何やらわからない。結局息子は、ツヴァイの容態はどうなったのだ?」

「こっちも率直に言うが、とりあえずは一山越えたところだ。だが、抗生物質や抗菌剤の影響がどう出るかはまだわからん。敗血症の後遺症もあるだろうし、少なくとも3、4日は経過観察が必要だな。完全に安心するにはまだ早い」

「つ、つまり、それさえ乗り切れば……」

「まぁ、一番危険な状態は何とかなったから、後は意識が回復してくれれば状態の聞き取りもできるし追加検査もできる。こうなったら安定するまでは面倒見るさ」

 伊織の言葉を聞き、侯爵が崩れるように地面に座り込んだ。

「か、閣下!」

 周囲を囲んでいた騎士達が慌てて駆け寄って侯爵を支える。

 

「何と言って感謝すればいいのかわからぬ。が、そのような話は後にした方が良かろうな。

 とりあえず部屋を用意させよう。ゆっくり休んでもらいたい」

「そりゃ助かる。そういやぁリゼとルアはどうしたんだ?」

 さすがの伊織も疲れたのか口調が元に戻っていたが、この状況でそれを咎めることは誰もしない。

 そして二人の姿を探して首を巡らす伊織に執事姿の男が答えた。

「お二方はこちらが用意させて頂いた部屋でお休みになっておられますのでご安心を。後ほど案内させましょう」


「伊織さん、車両はどうすんの? しまっとく?」

「とりあえず邪魔にならない所に移動して鍵だけ掛けときゃ大丈夫だろ。容態が急変したら困るし、落ち着いてから検査もしなきゃならないから」

「そうね。移動くらいなら私と英太でやっとくわ。念のため拳銃だけ持ってく?」

「まぁ心配ないとは思うけどな。香澄ちゃんの方でファイブセブンゴーナナと予備弾倉3つくらい持っててくれ」

 香澄が頷き、英太と共に2台の車両を移動し始めると、伊織は使用人達に指示を出している侯爵に向かう。

 

 と、そこに衛兵らしき男が小走りで駆け寄ってきた。

「閣下、光神教の司祭がツヴァイ様の治療にと訪問してきましたが」

 その言葉に、侯爵は苦虫をかみつぶしたような顔になる。

「そう言えばそんな予定もあったか」

 側にいたラディウスも能面のように表情を消している。

「今更彼等が来たところで意味はありませんが、いかがなさいますか?」

「そうだな、もはや治療は不要と追い返…」

「ちょっと良いか?」

 侯爵の言葉を伊織が遮る。

「イオリ殿? 何か?」

「御子息の治療内容で連中に確認したいことがあるんだが、丁度良いから呼んでもらえないか? もちろん侯爵閣下と、えっと、薬師殿? も一緒で」

 意地悪く口元を吊り上げた伊織の言葉に、侯爵とラディウスが顔を見合わせた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る