第44話 おっさん救急救命士

 LAPVエノク軽装甲軍用車両は山越えの細い街道を北に向かってのんびりと進んでいく。

 細い街道とはいっても幅は3メートルほどはあってエノクが進むのに問題はない。道の状態からもそれなりに人や荷車が行き来する整備されているのだろう。

 とはいえ、現代の舗装された道路ではなく、所々道幅が狭くなっている上に場所によっては斜面が脆くなっている可能性があるため速度はせいぜい時速15キロ、人間が走る速さ程度だ。

 それほど急ぐ必要があるわけでは無いし、それでもこの世界の荷車と比べれば充分に早いので問題はない。

 

 ビヤンデの街を出立して3日。

 2、3時間ごとに休憩がてらドローンで周囲を探索して遺跡の痕跡を探しつつの移動なので実際の距離はそれほど進んでいるわけではない。

 辺境の街や村の近隣をいくつか通過したが特に立ち寄ることもなく、地図を見ながら伊織とリゼロッドが『遺跡があってもおかしくない場所』を探しながら移動しているのだ。

 というのも、光神教が遺跡を独占しているとはいってもそれはあくまで発見された遺跡に限ってのもの。つまり、光神教は遺跡が発見されると聖騎士達を動員して現場を封鎖して発掘を始め、教会の影響力を活用して他から干渉させないことで独占しているらしい。だから大陸西部地域の国々から“公式に”遺跡の独占を認められているわけではないのだ。単に文句を言われないだけで。

 

 古代魔法王国時代の遺跡は確かに財宝や魔法道具などがあり、発見できれば大きな富を得ることもできる。だが、実際には博打の要素が多く、費用と労力の割には得られる物が少ないなんて事はザラにある。

 オルストのボラージ達のように個人や少数のグループで探索や発掘をするなら充分に勝算があるだろうが、国や領主が事業として行うには無駄が多すぎるのだ。

 そういった実情を利用して教会は発掘を独占しつつ発見された財宝や魔法道具をある程度権力者に提供することで残りの財貨と魔法資料などを確保している。

 為政者としても“果実”が得られるのなら収穫者は誰でも構わなかったわけだ。

 だったら教会よりも先に遺跡を見つければ発掘したところで問題ないということで、こうして移動しつつ遺跡の探索をしているというわけである。

 といっても、実際にはめぼしい遺跡は粗方教会が数十年の間に探索しているだろうからあったら儲けものといった程度である。

 

 ところで、車での移動というものは退屈なものである。

 最初は車の内部や外の景色の移り変わりに興味津々の目を向けていたルアも慣れてしまえば暇を持て余してしまう。

 幸いルアに乗り物酔いの兆候はなかったので、話をしたりリゼロッドと香澄が自分達が知っている歌を教えたりしていたのだがそればかりではやはり飽きる。

 なので今は伊織が用意した正六面体のパズルゲーム、1980年代に日本で大ブームを巻き起こして現在でも世界大会が開かれており、派生製品も数多く発売されているルー○ックキューブにルア、リゼロッド、香澄が熱中していた。英太はエノクの運転、伊織は助手席で後部の3人の様子を見つつ地図で確認しながらルートのナビをしている。

 

 もちろんまだ6歳の少女と、日本で暮らしていた頃にやったことのある香澄では差がありすぎるのでハンデとしてルアは2×2×2で通常よりも1列少ない物、リゼロッドは3×3×3の通常タイプ、香澄には4×4×4のタイプで同時に揃え始めて最初に揃った人はお菓子の賞品をゲットできるといった単純なゲームだ。

 意外にも真っ先に食いついたのはリゼロッドで数学的要素の詰まったこのゲームを大層気に入ったらしい。

 ルアも、子供らしい思考の柔軟さと想像以上の頭の回転の速さであっという間に最初のキューブをクリアし、他のタイプも夢中になってやっている。

 伊織が用意したタイプは他にもあり、列ごとにパーツの形が異なる“3x3x3ミラーブロックス”、ピラミッド型の“ピラミンクス”、正12面体の“メガミンクス”、長細い形状を様々に変えられる“ルー○ックスネーク”などなど。

 

「うぅ、また負け……」

「ふっふっふ、さすがに6歳児に負けられないわよ」

「リゼさん、大人げないです。それに今回はギリギリだったじゃないですか」

 後部座席で賑やかに騒ぐ女性陣に苦笑を浮かべながら肩を竦める男2人。

「でもまぁ、ルアもだいぶ馴染んだようで良かったよ」

「ずっと伊織さんに張り付いてたっすからね」

 言葉の通り、ビヤンデの街を出てからもルアは片時も伊織から離れようとしなかった。

 ルアを保護すると決めたものの、さすがにこれでは伊織に行動の自由がなさ過ぎるし、なによりトイレにまで付いてこられたのでは非情に困る。

 

 とはいえ、これまでルアが置かれていた状況を考えればようやく現れた庇護者から離れたくないと思うのも無理はないことだし、伊織達にしても現代日本なら小学校低学年程度の少女から目を離すなんてことは心配でできるわけがない。ましてや現代人感覚では治安が良いとは言えない異世界の、それもルアを迫害していた光神教が蔓延っている大陸西部ならば尚更だ。

 要は伊織に懐くのは問題ないが、同じように英太、香澄、リゼロッドとも打ち解けてメンバーの誰かと一緒であれば大丈夫だと感じられれば良いのである。

 そうして色々と懸命なアプローチの甲斐あって、ルアが不安そうな表情をすることも減ってきて、時折子供らしい笑顔も見せるようになった。

 今では4人のうち誰かが側にいれば問題なく過ごせるようになってきている。まぁ結局伊織の側が一番落ち着くようではあるが。

 

 そんなふうにほのぼのとした車内の空気を保ったまま街道を走っていた一行だったが、前方に数台の荷車を牽いた集団が先行しているのが見えてきた。

 だが様子がおかしい。

 商隊なのか、大型の荷車が3台、それぞれ2羽(2頭?)のドゥルゥに牽かれており、馬に乗った騎兵らしき者が10数人いるようだった。

 しかしその周囲は荷車が通ったからだけでない土埃が舞っており、騎兵の半数ほどが馬を降りている。

 そして何より、街道の右側の一部が崩れたように抉れており、数人の騎士姿の男が下を覗き込んでいた。

 

「事故、ですかね?」

「の、ようだな。一応見に行ってみるか。英太達はここにいてくれ」

 そう言って伊織が車をその場に停車させて降りる。

 最後尾の荷車まで20メートルほど近づいたところで伊織に気付いていた騎士が制止する。

「止まれ! 何者だ!」

「通りがかった者だ。事故が起こったようなので様子を見に来た。俺達もこの先に行こうとしていた。何か手助けできることがあるなら手伝おう。どのみちあんた達がどいてくれないと進めないからな」

 事故の直後に見知らぬ男が近づいてこれば警戒するのが当然である。

 険しい表情で誰何してきた騎士に気を悪くすることなく伊織は言う。

 

「……不要だ。申し出には感謝するが、これ以上近づかないでもら……」

「待て! 通行の妨げになって申し訳ない。もしロープがあれば分けてもらいたい。代価は払う」

 言いかけた騎士を後からやってきた別の騎士が遮り伊織に訊ねる。

 緊急事態であろうにも関わらず余程しっかりとした教育がされているのであろう、突然現れた正体不明の男に対して礼節を崩さずに応じる態度に伊織は好感を持ったようだ。

「ロープだな? 待っててくれ」

 そう一言言い置くと走ってエノクに戻り、後部のカーゴスペースからロープの束を持ち出す。

 

「感謝する。だが、見たことのない素材だな。それに細い」

 受け取った先ほどの騎士が手にあるロープを見て呟く。

 どうやら騎士達の指揮官である様子の男はロープと伊織を見比べながら逡巡する。

「心配しなくても十分な強度があるから大丈夫だ。あんた達くらいの重さなら20人吊り上げても切れないさ」

 伊織の言葉に目を剥く騎士ふたり。

 実際に伊織が手渡したロープは直径こそ10ミリ程度だがアラミド繊維でできた産業用ロープであり、同じ太さのワイヤーと同等以上の引っ張り強度と高い耐摩擦性で岩などに擦れても簡単に切れたりしない。長さも100メートル以上あるので事は足りるはずだ。

 

「……信じよう。ロープを無事な荷車に結びつけろ!」

 そう言って踵を返した騎士に伊織も付いていくが、一応は協力者として認識したのか別の騎士もそれを止めることなく、それでも油断無く少し離れた場所に駐まったままのエノクに意識を向けつつ後に続いた。

 程なく荷車の土台部分に結びつけられたロープを下に垂らし、先ほどの騎士がそれに伝って降りていく。

 やはり街道の右側が崩落したらしく、上から見ると20メートルほど崖下で荷車が横倒しになっており、牽いていたドゥルゥもわずかに身動ぎするものの瀕死の様子だった。

 すぐ側には御者をしていた男だろうか、何やら荷車の下を覗き込んでいる様子が見える。

 

 ロープで降りた騎士が下に付いたのとほぼ同時に、様子を見ていた伊織が舌打ちをひとつすると、崖の斜面に身を投げ出した。

「な?! ま、ちょっ!」

 慌てる騎士に構わず、器用且つ身軽に数度60度ほどはあろう角度の斜面を数度岩を蹴りつつ一気に飛び降りた伊織は荷車に駆け寄る。

「怪我人か?」

「っ?! 貴公、どうやって? い、いや、そ、そうだ。騎乗した騎士が一人崩落に巻き込まれた。その後に荷車が落ちて下敷きになっているようだ」

 下敷きになった騎士は、どうやら意識はあるらしく、呼びかけに弱々しいながら反応を返している。

 荷車の下を覗き込んだ騎士が大声で上にいる騎士を呼ぶ。

 崖の上で慌ただしく人が動くのが下からも見て取ることができた。その様子に伊織は顎に手を当てて少し何かを考えた後、他の者が降りてくるのも待たずに荷車に載ったままの荷物を除け始めた騎士に声を掛けた。

 

「これも縁かね。……提案がある。俺達にはこの状況を速やかに何とかする手段があるが、受けるか? 余計な真似をするなというならこれ以上は何も言わない。大人しく待っていよう」

 その言葉に驚いたように手を止めた騎士が伊織を探るように鋭い視線を向ける。

「……代価は? 貴公は我々に何を要求する?」

「そうだな。求めるものは情報、それと、可能であれば権力者との面談を口利きして欲しい。無論できる範囲で構わない」

 通常ならばそもそも耳を貸そうとは思わなかっただろう。だが今は不測の事態に見舞われ部下が荷車の下敷きになっている。

 無論時間を掛ければ救出することはできるだろうが、怪我の状態が分からない以上一刻も早く助け出す必要がある。

 

 そんな中で突然現れた見知らぬ、見たことのない服装で、牽く動物の居ない不可思議な荷車のような乗り物でやってきた得体の知れない男。

 あのロープといい、放言とすら思えるほどあっさりと解決できると言ってのけるだけの“何か”があるのだと信じさせるだけの雰囲気を持っている。

 にもかかわらず、代価として求めるのができる範囲での情報と口利き。

 あまりにも不釣り合いな条件に躊躇を覚えるが、それでも覚悟を決める。

 

「承知した。申し出を受けさせてもらいたい。ただし、この約束は私個人のみが責任を負う」

 その言葉を聞いて伊織がニヤリと口元を歪めた。

 当然その悪人面を見て騎士が後悔するがもう遅い。

「あっ! ちょ、ま」

 呼び止める間もなく降りてきた騎士達と入れ違いにスルスルと軽やかにロープを崖上まで登っていく伊織の姿に、騎士の背中には冷たい汗が吹き出していた。

 

 

 

 ヴィィィィン。

 異世界に不似合いなモーター音と共に一抱えもある大きさの吊り上げフックが荷車のところに降りてくる。

 伊織が荷車の下を通したベルトスリング2本の端の輪をフックに引っかけてから無線で英太に指示を出す。下敷きになっている騎士が居るためわずかでもバランスが悪いと致命傷になりかねないので慎重に動きを見ていく。

「少しずつ上げてくれ……ストップ!……よし、上げて」

 合図と共に持ち上がっていく荷車を呆然と見上げる騎士達。

 麻袋に入れられて荷車に積まれていた大量の麦は騎士達の手で避けられているとはいえ、崩落した崖下で足場が悪く動かすことすら困難な荷車があっさりと持ち上げられていくのだ。驚くのも当然である。

 

 騎士の承諾を受けた伊織は素早く英太達の所に戻ると、すぐに異空間倉庫を開いた。それも街道の幅いっぱいの大きさで、だ。

 そしてその光景に驚いている騎士達に指示して馬や残っている荷車をどけさせると、英太と共に中に入り伊織が崩落防止のために地面に鉄板を敷設。

 その後英太の運転で登場したのがタダノ社製ラフテレーンクレーン(トラックに乗せられたものでなくクレーン自体に車輪が付いている移動式クレーン)GR-160Nだ。

 このクレーンはブームの長さは最大で約27m、16tもの吊り上げ能力を持っており、斜面の下から充分に吊り上げることができる。

 不安定な斜面に作られた街道のため、土台を作るのに多少の時間は要したものの、下に降りた騎士達が準備を終えた頃にはこうして作業に入ることができたわけである。

 

「ロペス、しっかりしろ! すぐに助けてやるからな!」

 荷車が取り除かれたことで下敷きになっていた騎士の姿が露わになる。

 だが、その状態を見た騎士達の顔は見る間に曇る。

 ロペスと呼ばれた騎士は、辛うじて息はあるものの太ももから下が完全に潰れており、ひしゃげた鎧を数人がかりで外すと内臓が損傷しているのかそれとも血が溜まっているのか腹部が不自然に膨らんでいる。どう見ても長くは保たない瀕死の状態だった。

「ボケッとすんな! できるだけ動かさないようにしてこの上に寝かせろ!」

 仲間の惨状を見て諦めているような騎士達に伊織の叱咤が飛ぶ。

 伊織が用意したのは樹脂製の板のような形の担架、ヘリなどで患者を吊り上げるときに使われるバックボードと呼ばれるタイプのものだ。

 騎士に手伝わせてロペスを引きずるようにバックボードに乗せると、手早くベルトで身体を固定してからクレーンで吊り上げる。

 

 途中でずり落ちたりしないように見送った後、すぐさま伊織はロープを使って上に登る。指揮官の騎士も慌ててそれに続いた。

 ロペスの状態は絶望的とはいえ、指揮官の責任として最期まで見届けなければならない。

 軽やかに登っていった伊織に遅れることしばし、騎士が登りきったときにはクレーン車両の後ろに新たな車両が準備されていた。

 特殊衛生車両。災害派遣や難民キャンプ、紛争地帯などで使用することを想定して作られた軽装甲車両で、4tトラックに簡単な手術ができるような装備と面積確保のためにの荷台部分が左右に拡張する機能を持っていて、患者をストレッチャーに乗せたまま運び込めるように後部に昇降リフトもある。

 尚、使用後は完全滅菌のために内部をオゾンで満たす機能も装備されていたりするのだ。

 

 ロペスはその手前でバックボードのままストレッチャーに乗せられて、リゼロッドと別の騎士の手で鎧と衣類を剥ぎ取られていた。

 それが終わるとリゼロッドがストレッチャーをリフトに乗せる。

「待ってくれ! 私も立ち会わせてほしい」

「良いぞ。ただし、鎧と武器は外して服の上からコレを着てくれ」

 衛星車両の中から伊織がそう応じて衛生服を渡した。

 その間にもロペスが中に運び込まれて、香澄が酸素マスクや測定機器を装着していく。

 流れるような連携作業だが、それも当然のことだ。

 

 紛争が絶えず治安も悪い異世界では、伊織達といえどいつ怪我や病気に見舞われるかわからない。

 だから実際に必要があったときに備えて伊織は英太や香澄、リゼロッドに現代機器を交えた訓練を幾度も行っていたのだ。

 伊織の用意周到さは銃器や兵器類、建設車両だけでなく医薬品や医療機器にも及んでおり、薬品や検査機器はおろか輸血用冷凍血液までストックされている。

 だから全員が最低限の医療知識と薬品、機器の操作方法を伊織から叩き込まれている。

 そしてそれだけでは無い。

 

 

「リゼ、頼んだ」

「了解。この魔法陣を起動させれば良いのね?」

 全員が車両の手術室に乗り込み、中央にロペスの乗ったストレッチャーが固定されると、予め床に描かれていた魔法陣を伊織の合図でリゼロッドが起動させる。

 途端に車内が清浄な空気に満たされ、疲れ果てていた疲労がまたたく間に消えていくのが分かった。

 剣と魔法の異世界からの帰還者でもある伊織の真骨頂、現代科学だけでは実現できない魔法と現代医療のハイブリッド手術室というトンデモ装備を備えた代物である。

「ち、治癒魔法、なのか?」

「いや、生命力と抵抗力を高める魔法陣だ。それと、治癒魔法を使ったときに効果を高めるようになっている」

 そう言いながら伊織はロペスの胸にも複雑な文様を描き、それから小さな刃物、メスを手に取った。ちなみに描かれた魔法陣は、以前バーラで悪徳商人を木に吊したときに“お仕置き”のために描かれたものと同じものなのだが、本来の使い方はこっちである。

 

「内部でかなり出血してるはずだ。開腹したら香澄ちゃんはとにかく血を吸い取ってくれ。腸が傷ついてなければ濾過してそのまま自己輸血をするから。

 リゼはバイタルのチェックをしつつ輸液の管理を頼む。

 腹部の処置が終わったらそのまま両足の復元に入るから……」

 伊織達が言葉を交わしながら目まぐるしく動き回るのを指揮官の騎士はただ立ち尽くして見ていた。

 瀕死で横たわる部下にいくつもの管が繋がれ、鋭い刃物であちこちが切り刻まれていく。

 陰惨にも見える光景のはずが、同時にとても神聖な儀式のようにも思えていた。

 使われる道具類も交わされる言葉も、何一つ理解できない。その上見たこともないほど高度な魔法も平行して施されている。

 この世界の常識では絶対に助からないはずのロペスの怪我が、時間が巻き戻っていくかのように修復されていく。

 もはやそれは騎士から見て神の御業としか思えなかった。

 

 どれほど時間が過ぎただろうか、その儀式は至極あっさりと終わりを迎えた。

「おし! 終わりっと。とりあえずこれで大丈夫だろう」

「はぁ~っ! つ、疲れたぁ」

「リゼさん、座り込まないで! でも、伊織さん、本当に何者なんですか? 手術までできるなんて、日本でどんな仕事してたのよ」

「以前にアフリカで鉱山開発の調査してたらその国で内乱が勃発してな。3ヶ月近く紛争地で足止めくらったんだよ。その時に暇だったから野戦病院でボランティアしてたんだが、人手不足でさんざん手術の助手をやらされたんだ。そんな状況じゃ資格だ専門知識だなんて悠長なこと言ってられないからな。

 おかげである程度の怪我の手術なら何とかこなせるようになったけど、病気の手術は無理だし魔法を使えなきゃ大したことはできないさ。

 ……んで、この人、どうしたんだ?」

 

 まだ意識は回復していないものの、外見上はすっかり元の状態に戻ったように見えるロペスをそのままに、使用した器具類の後片付けをしながらのほほんとした会話を始めた伊織達だったが、手術室の隅でまるで神に祈るように手を組んで跪いている衛生着姿の騎士を困ったような顔で指さす。若干引き気味である。

「まぁ、仕方ないんじゃない? 魔法があるとはいってもさすがにあれだけの怪我を治すことなんて普通はできないし、イオリ達の世界の道具を見たら当然の反応よ」

「日本でだってこんなの反則よ。普通なら完治するのに何ヶ月も掛かると思うわ」

 リゼロッドと香澄の言葉に肩を竦めながら作業を終え、術着を脱いでから跪いたままだった騎士を追い立てて特殊衛生車両を出る。

 

「ロペス! ロペスはどうなったんだ!」

 ストレッチャーに乗ったままのロペスに数人の騎士が群がり、別の一人が伊織に詰め寄る。

「治療は上手くいった。ただ危険な状態まで消耗してたから目覚めるのはもう少し掛かるだろうし、完全に元に戻るには一月は必要だろう。それまでは充分な栄養と安静が必要だな」

 答えながら伊織は騎士達を感心したように見ていた。

 幾人もの騎士達がロペスを囲んでいるが半数以上は護衛対象であろう荷車の周囲に留まっている。そして荷車の引き上げと仲間の治療という騎士達に協力的な行動をした伊織達に対して未だに警戒を解いていない。

 これは騎士達が十分な練度と正しい訓練を受けていることを証明している。

 いくら自分達にとって有益な行動を取っていたとしても、騎士達にとって伊織達はまだ得体の知れない異邦人であり、行動の目的も分からないまま気を許すなどという油断は危険でしかないことを理解しているのだろう。

 

「ちょっ、ルアちゃん、走っちゃダメだって!」

 英太の叫び声に振り向いた伊織の足にプラチナブロンドの少女がしがみついた。

 英太と一緒にクレーンに乗っていたルアだったのだが、伊織と離れて既に2時間近くが経過している。

 英太ともそれなりに打ち解けていたとはいえ、ルアと伊織が出会ってからこれほどの時間離れていたのは初めてのことなので不安になったようだ。

 ウルウルとした金とパープルの虹彩異色症ヘテロクロミアの瞳でジッと伊織の顔を窺うルアの頭を優しく撫でてそのまま抱き上げる。

 

「さてと、崖下の積荷も揚げちまおう。荷車が壊れてるが、他の荷車に乗りそうか?」

「え? あ、ああ、残りの3台に振り分ければ何とか乗せられると思うが」

 手術室を出てから半ば呆然としたままの騎士に伊織が話を振ると、反射的に応答が返ってくる。

 その言葉に頷くと、ルアを今度は香澄に預けて再び崖下へ降りていく伊織。

 その姿を見ながら指揮官である騎士は何かを考えているようだった。

 

 

 30分後。

 崖下から全ての積荷の引き揚げが完了した。

 幸いなことに破損している麻袋はそれほど多くなく、破損した物も可能な限り中身を別の袋に移し替えることで大部分が回収することができている。

 聞けば、彼等はこの周辺を領地とする侯爵家の徴税官とその護衛として帯同している騎士達だったらしく、今は年に2回の徴税の帰りだったそうだ。

 基本的に村々の納税は生産物などの現物を徴収しており、それ故にこのような商隊のような荷車が必要になる。

 今回の事故はおそらく元々地盤が緩くなっていたところに、端に寄りすぎた荷車の重量で崩落したものと思われた。

 

「貴公等の協力に感謝する。

 おかげで領民が納めてくれた大切な税を無駄に朽ちさせることなく運ぶことができる。それに貴公等が居なければ部下の命も失われていただろう。

 領主である侯爵閣下には貴公等の貢献を間違いなく報告させてもらう。パーシェドル侯爵領に来られるのであれば改めて礼をさせていただく。

 ……条件を果たさねばならぬしな」

「そうしてもらおう。

 まぁ、そう警戒しなくても別に問題ない範囲で情報収集をしたいだけだから心配いらないさ。

 俺達は大陸中西部、こっちの感覚だと南部諸国って言ってたか、そこから遺跡と魔法の研究のために来たんだが、聞きたいのは主に大陸西部地域の地理、経済、風俗に関する一般的な範囲の事柄と、遺跡に関する情報、それと、とある人物の足跡を追ってるから、もし何か心当たりがあるようならそれを聞かせてもらいたいってだけだ。有力者との面会の内容も同じだな」

 

 伊織のその言葉に頷いた騎士だったが、何やら逡巡を見せた後、突然頭を下げた。

「無理を承知でお願いする!

 どうかもう一人、治療をお願いできないだろうか!」

 唐突な申し出に騎士達がざわめき、伊織達は顔を見合わせた。

 

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