第40話 仮拠点での一幕-とりあえずジャブ

 温かな微睡みの中、ルアはうっすらと目を開ける。

(ここ、どこ? ゆめ?)

 定まっていない意識の中でぼんやりと考えている。

 身体を包んだ感触は宙に浮かんでいるかのようにフワフワとした柔らかく滑らかで、何よりも暖かい。

 いつもは固い板張りの床で薄いボロ布にくるまりながら寒さで目が覚めるのに。

 視界の中に入り込んでくるのは周囲の風景。

 明るくはない。けれども窓からカーテン越しに入ってくる外の光で充分に中は見通すことができる。

 見たことのない部屋に、自分がいる柔らかな場所。

 

 不意にルアの脳裏に、眠る前の光景がフラッシュバックする。

 突然街の男達がルアの住む小屋にやってきたこと、男達に掴まって知らない場所に連れてこられ縛り付けられたこと、山のように大きな獣が近づいてきたこと、知らない人達がやってきてルアを助けてくれたこと、その人達に優しくしてもらえたこと、そして、温かくて美味しい食べ物を食べたこと。

 そこまで思い出したところで、ルアはガバッと身体を起こす。

 嬉しくて暖かくてそれを離したくなくて、縋り付いた優しい人達。街の人達のようにルアを蔑んだり嫌そうな顔をしない。優しく抱きしめてくれた、見たことのない不思議な事をしてルアの身体の傷を癒してくれた、信じられないくらい柔らかくて美味しいパンを食べさせてくれた。

 慌てて部屋を見回すも、あの暖かい人が居ない。

 

 ルアは泣きそうになりながら自分の寝ていたベッドから飛び起き、走り出そうとして転げ落ちる。

 床でしか寝たことのないルアである、ベッドの段差など思いも寄らなかったのだ。

 足を踏み外し、つんのめって顔から落ちる。だが落ちたルアにほとんど痛みはない。

 ベッドの周囲には柔らかいマットが敷かれていて、ルアの身体をしっかりと受け止めてくれていたのだ。

 それでも充分に驚いたルアは、今度は慎重に立ち上がって部屋の中を歩き回る。

 やはり部屋には誰も居ない。

 見たことのない物が沢山あるが、ルアの目には入口と思われる扉は見えず、恐る恐る光の差し込むカーテンをそっと開く。

 だがそこから見えるのはガラス越しの格子と、その向こうにはフェンス、遠くの木々だけで、外に出られそうには思えなかった。

 何がどうなっているのか、どうしたら良いのか分からず呆然と立ち尽くすルアの背後からガチャッという音と共に声が投げかけられた。

 

「お、目が覚めてたか。悪かったな、よく寝てたみたいだったから起こさなかったんだが」

 驚いて振り向いたルアのところに歩み寄ってくる伊織に、弾かれたように飛びついてその足にしっかりとしがみつく。

 伊織はそんなルアの頭を優しく撫でるとその両腋に手を入れると抱き上げる。

 ルアはもう離すまいとするかのように両手両足で伊織に抱きついた。まるでコアラである。

 ルアにしてみたら夢かと思うような幸せが目覚めた後も続いているのだ。不安になった分反動は大きかった。

 伊織は安心させるようにポンポンとルアの背中を叩きながら、そのまま部屋を出た。

 

 伊織がルアを抱いてリビングに入ると、そこには香澄と英太が居た。

「伊織さん、ルアちゃんの様子……あら」

「あははは、めっちゃしがみついてるっすね」

 香澄はキッチンに、英太はダイニングで食器などを準備している。

 ふたりは伊織にしがみついているルアを見て笑った。

 もちろん嘲るようなものではなく、いつもは飄々とした態度でおちゃらけている伊織が、まるで父親のように子供を抱き上げて困ったような顔をしているのが面白かったからだ。

 そんな高校生コンビに苦笑いを返すと、伊織はルアをダイニングの椅子に座らせる。

 

「おはよ~」

 ほどなくリゼロッドもリビングに入ってきたが、こっちはかなり眠そうだ。相変わらず朝は苦手らしい。

「おはようございます。はい、コーヒー」

「カスミちゃ~ん、ありがと~」

 気怠げな様子で椅子に崩れるように座ってから香澄が差し出したコーヒーをブラックのまま啜る。

 まるで2日酔いのサラリーマンである。

 というか、すっかり現代日本人的な生活にド嵌りしているリゼロッドは、伊織達が異世界に返ってしまったら社会復帰できるのか、実に心配である。

 

 伊織を抱っこ攻勢から解放したルアだったが、それでも少しでも離れるのが不安なのか伊織の服の裾は掴んだままで、伊織は仕方なしにそのまま隣の椅子に座り、代わりに香澄が朝食をテーブルに並べていく。

 といってもほとんどの料理を作ったのは伊織で、最近は香澄と英太が手伝いをしている。リゼロッドはいつも準備ができた頃ようやく起き出してくるのだが。

 用意した朝食は、粗挽きソーセージと野菜の簡単ポトフ、厚切りベーコンエッグ、それから名古屋喫茶店の定番、トーストに小倉あんとバターを乗せた小倉トーストである。

 飲み物はコーヒー。ルアのために別にオレンジジュースも準備している。それから柔らかなバターロールもだ。

 

「何コレ? 焼き直したパンに、これって豆?」

 リゼロッドが目の前のトーストを見て怪訝そうな顔をする。

 この世界にも豆類はある。というか、ごく一般的に食べられているが、煮込み料理に使ったり磨り潰してパンのように焼いたりするのが一般的だ。

 地球においても豆を甘く煮てペースト状にする“あんこ”は当初忌避されることが多かったらしい。昨今では日本食ブームで認知されているので好む外国人も多いのだが、見知った食材が異なる味付けになると違和感を覚えるのはどこの世界でも同じらしい。

 が、恐る恐る口にした途端、またたく間に一枚食べ尽くし、次のものに手を伸ばしたということは気に入ったのだろう。

 

 そして、ルアは昨夜に続いて目の前に置かれた料理に驚きつつも、おずおずとスープに手を伸ばした。

 器に直接口をつけようとして伊織達がスプーンを使っているのに気がつき、見様見真似でスープを飲む。

 香澄がルアが火傷しないように少し冷ましておいたので問題なく口をつけ、その味の濃さに驚いた顔をした。

 昨夜はろくに食事をしていないだろうと考えてごく薄味のスープだったのだが、今回のはソーセージの味が染みだしたしっかりとした味付けだ。

 夢中になってスープを平らげ、ベーコンエッグも口にする。パンもだ。

 さすがに小さな身体で全部食べられるわけもないが、無理をしてでも詰め込もうとするルアを伊織が『心配しなくても昼も夜も食べられるからな』と諭して食事を終えた。

 

 そうしてルアにとって夢のような食事を終えたのを見計らったかのように、ピーピーピー、という電子音がリビングに響く。

 聞いたことのない音に、ルアがビクリと肩を震わせ伊織にしがみついた。

 完全に伊織を庇護者として認識しているようだ。ルアが伊織と出会ってまだ1日も経っていないが、それだけバルーガから救ったことと美味しい食事を貰えた事が大きかったのだろう。逆にいえばこの幼い少女がどれほど虐げられてきたのかを表していると言える。

 もう少し年齢が高くなれば、今度はひねくれてきたりするのだろうが、今はまだ普通なら親の愛情で守られているはずの年齢だ。本能的に愛情と庇護を求めている。

 

「伊織さん」

「ああ、多分ルアをここに連れてきた連中だろう」

 電子音は周辺に時間の関係で簡易的に取り付けられたセンサーの信号を受信したものである。

 伊織の言葉に一層強く抱きつくルア。

 そんな少女をヒョイと抱き上げ、膝の上に乗せてコーヒーの残りを喉に流し込み立ち上がったと思いきや、サーバーに残っていたコーヒーをカップに注いだ。

「あれ? 伊織さん行かないんすか?」

「どうせしばらくしたら騒ぎ出すだろうからそれまで放っておきゃいいさ。ああ、片付けは寝坊助リゼに任せるから、英太と香澄ちゃんは準備ができたら予定通り地図の方頼むわ」


 あくまで落ち着いた態度の伊織は昨夜のうちに打ち合わせた行動を取るように英太達に指示する。

 昨日のうちに観測用ヘリは出してあるので機体と機材の確認を終えればすぐにでも観測のために離陸させることができる。

 そして伊織達が一時的な拠点としたこの遺跡に近隣の人間が近づいてきているにもかかわらず、この常識外れの建物やヘリを隠さないのは相変わらず自重しないという事だが、それに加えてヘリが空を飛ぶのを見せつけるのは、幼子を生け贄にするような街の住人達に対する示威行動という意味もあるのだろう。

 言外の意図を察した香澄が、分かっていなさそうな英太に解説しながらリビングを出ていく。

 

「さて、あちらさんはどうするかね」

 

 

 

 

 トコロ遺跡へと続く道を数人の集団が歩いている。

 鉱夫風の男が2人と純白の甲冑を身につけた男性と思われる騎士姿3人の5人組だ。鉱夫らしき男達が先に立ち、その数メートル後ろに騎士達が続いている。

 鉱夫の1人がもう一方に話しかける。

「なぁ、別にそんなに急がなくても、2、3日放っておけば良いんじゃねぇか?」

「……まだバルーガに襲われていないなら昼間のうちに水と食べ物を与えておかなきゃあの子供は死んでしまう。そうなったら生け贄にならないだろう」

 問われた方は、チラリと男を見ると視線を戻し憮然とした口調で言った。

「そう言いながら、オメェあのガキに同情してるんじゃねぇのか? わざわざガキの小屋に行って何か持ってきてたみてぇだしよ」

 男は幾分声を落としてさらに言う。後ろの騎士達に聞こえないように確認しながらだ。

 

「……せめて墓くらいは作ってやろうとは思ってる。母親の形見と一緒にな」

「司祭さまに知られたら良い顔されないぜ?」

「分かってる。けどなぁ、確かにあの目は気味が悪いし、司祭さまは“悪魔の落とし子”と呼んでたが、あの子自体は別に何かしたわけじゃないだろ? うちにも同じくらいの子供がいる。庇ってやるつもりはないが、やっぱり憐れには思うさ」

 そう答えた男は、あの日司祭にバルーガが遺跡周辺に現れたことを報告した本人だ。

 そして昨日、ルアを捕まえて連れてきたときに、必要以上に痛めつけようとした男を諫めてもいる。

「……俺だって、あのガキが“悪魔の落とし子”じゃなきゃ、あんな酷いことしたくねぇよ。けど司祭さまがそう言った以上、やっぱりあのガキは生きてちゃいけねぇんだ。あのガキのせいで街に何かあったらどうすんだよ」

「…………」

 男の言うことも理解している。だからそれ以上口を開くことはしなかった。

 

 後ろをついてくる騎士達は鉱夫に話しかけようとはしない。

 彼等は光神教に所属する騎士であり、脆弱な辺境の警備を助ける名目で各地の聖堂に配属されている。

 原則的には公的権限を持たない教会の私兵だが、カタラ王国では実質的に治安維持や医療の大部分を教会に依存しており、国に派遣された行政官や領地を持つ貴族もその意向を無視することができない。

 今回は街長と司祭の決定で“悪魔の落とし子”をバルーガの生け贄にして餌にありつけたその獣を追い払う事になっている。

 今日鉱夫に同行しているのはその状況を見届けるためである。

 

 身軽な鉱夫はともかく、甲冑に身を固めた騎士達の歩は早くない。

 一刻ほど歩き続け、ようやくトコロ遺跡の石畳が見えてくるのと同時に、その向こう側にある異様なものも目に入った。

「な、なんだ、これ」

「い、いつの間にこんなものが」

 小道の向こうに見えているのは、滑らかで均一な石のように見える土台に人の背丈の倍ほどもある金属の格子が立っている壁のようなもの。

 そしてさらに巨大な、街の聖堂よりも遥かに大きな真四角の建物だった。

 

「お前達、待て! アレはなんだ?」

「し、知らねぇ! 昨日来た時はあんなものはなかった」

「……本当だな? とにかく我々が調べる。お前達は下がれ」

 思わず立ち止まった鉱夫達に追いついた騎士達も同じ光景を目にし、その表情を険しくして鉱夫達を問い詰める。

 だが、当然の事ながら望んだ答えなど返ってくるはずもなく、騎士達は鉱夫を下がらせ、腰の剣を抜いて奇妙な壁に近づいて見る。

 

 騎士達の常識からすると、見れば見るほど異様な光景だった。

 近づくと、壁は全てがほぼ同じ大きさ同じ形で均一に遺跡をぐるりと囲むように配置されている。その上その上部にはこれも均一に格子がはめ込まれ、その上継ぎ目も見えない。

 一か所だけ壁がなく、格子だけで組まれた門があったが鍵が掛けられているらしく開けることはできなかった。しかもどこを探しても鍵穴らしきものも見えない。

 さらに異様なのが壁の内側、ほぼ中央付近にあった建物だ。

 形状からすれば間違いなく城か邸宅だろうと思われたが壁には継ぎ目もなく遠目では材質も定かではない。他にも見たことのない馬車よりも大きな“何か”が置いてある。

 なにより、壁も邸宅も、普通なら築造するには数年は掛かりそうなものだった。それなのに前日には何も無かった場所に忽然と現れたという。

 

 とりあえず壁に沿って外側を歩く騎士達。

 鉱夫の2人もその後に続いて移動すると、遺跡と森の境界近くに昨日突き立てた杭が残された場所に着いた。

 だがそこに少女の姿も食い散らかされた痕跡も、ばらまいた腐肉も残っておらず、真っ白な粉が撒かれた地面と森側に何かを埋め戻したような小山があるだけだ。

「せ、聖騎士様、ガキが居ねぇ! ロープが切られてる!」

 鉱夫の1人が騎士に向かって叫ぶ。

 騎士は苦々しい顔で建物に視線を向けた。誰がやったのかなど考えるまでもない。

 さらに周囲を回ったが他には変わったところも、壁の向こう側に行けそうな個所も見つけることはできず、格子の門の所に戻って来た。

 騎士達は顔を見合わせてどうすべきか思案する。

 

 壁の向こう側に行くこと自体はできなくもない。

 甲冑を着けたままでは難しいが身軽になれば格子を乗り越えることはできるだろう。だが結局門を開けることができなければ不測の事態に陥ったときに逃げ場がなくなってしまう。

 聖堂に戻って応援を呼ぶべきか、そう判断しようとしたところで建物から若い男女が出てくるのが見えた。

 言うまでもなく英太と香澄の2人だ。

 

「おい! 貴様等!」

 騎士のひとりが、確実に聞こえるように大きな声で英太達に怒鳴る。

 が、英太と香澄は騎士達に顔を向けたものの、一度肩を竦めただけで騎士達に構うことなく建物の横に置いてある観測用ヘリ何かに近づいて周囲を回りながら点検するような素振りを見せた後、その中に入ってしまった。

「な、おいっ!! 待て!!」

 存在自体をサラッと無視された騎士が憤るがその声は既に届いていない。

 とはいえ追いかけるわけにもいかない。

 あの建物に見たことのない連中が居るのがはっきりした以上迂闊な行動は取れなくなったのだ。

 

「とにかく、ひとり司祭様に報告に走ろう。残りはしばらくここを監……」

 リーダーっぽい騎士がそう言いかけたところで、狙ったようにまた建物に動きがあった。

 次に出てきたのは30代くらいの伊織と、その腕に抱き上げられた5歳くらいのルア少女だ。その後に若い女も出てくる。

 伊織達は騎士や鉱夫に目をくれることなく建物の前に折りたたみ式のテーブルや大きな傘ガーデンパラソルを広げ、プールサイドにあるようなプラスティック製の椅子やデッキチェアまで並べていく。

 騎士達には理解できない素材であっても形を見れば用途は分かる。

 

「お、おい、貴様等!」

「あ、あれ、あのガキだ!」

 呆気にとられて見ていた騎士達が我に返り、伊織が抱き上げているルアを見て鉱夫の男も指を指して怒声を上げる。

 その声に怯えたルアは伊織に一層強くしがみついた。

 伊織はルアの頭を撫でながら安心するように優しく声を掛け、ようやく騎士達に顔を向ける。

 

「おい、貴様、これはいったいどういう事だ!」

「なんでそこに“悪魔の子”が居るんだ!」

 ギャーギャーと喚きまくる男達に呆れたような仕草で肩を竦めると、伊織はルアをリゼロッドに預けてから面倒そうにのったらのったら歩いて門の所に。

「貴様、これはいっ……」

「うるせぇぞ! 子供が怯えるだろうが! みっともなくギャーギャー騒ぐな、鬱陶しい!」

 高圧的に伊織を問い詰めようとした騎士の言葉を途中でぶった切って伊織が怒鳴る。それも、近所のクソガキに怒鳴る頑固爺のような言い方だ。

 

「な?! き、貴様!」

 伊織の態度に激高しようとした騎士をリーダーらしき騎士が制した。

「……ここはカタラ王国の街ビヤンデが管轄する場所だ。勝手に建物を造るなどどういうつもりだ。それと、貴様等は何者だ」

 感情を押し殺した声で誰何する騎士を、伊織は鼻で笑い飛ばす。

「街から離れた場所に野営するのにいちいち許可が必要なのか?」

「これのどこが野営だ!」

 小馬鹿にしたような返答に騎士達は感情を爆発させるが、これは無理もない。

 普通の野営とは簡易的な天幕や荷車で一夜から数日を過ごす事だ。

 それに対して眼前のこれはどこをどう見ても簡易的なものに思えるはずがない。

 

「恒久的な建物じゃない、一刻もあれば設置できるんだ。野営そのものだろ? それとも野営はこういうものじゃなきゃいけないって決まりでもあるのか?」

 伊織の言葉に絶句する騎士達。

 街中や誰かが管理している土地以外で野営するのを規制する法などない。野営はあくまで一時的に留まるだけの行為であり、いちいち許可を求めていてはきりがないし、行商人や交易商人が寄りつかなくなってしまうからだ。

 同時に、運べる資材や手間を考えればそれほど大きな物になる事もないはずなので野営方法などはそもそも想定されてすらいない。

 どこの国でも、精々他者に対しての迷惑行為や街道を塞ぐような行為を禁止しているくらいなものだ。

 伊織のように巨大な建物や侵入者をガッチリ防ぐような壁を作るなど想像することすらできるわけがない。

 

「こ、これだけの建物が一刻でだと? そん馬鹿なことがあるわけ……」

「昨日、そこのアホ面晒してる奴がここに来てたんだろ? その時は無くて今はある。それが何よりの証明だな」

 伊織が鉱夫の男を顎で示す。

 その直後、機体と機材の点検を終えたらしく、ヘリがエンジンを起動させる音が響いた。

「な?! ななな……」

 音と共にローターが回転を始め、ほどなく機体が宙に浮くと、騎士と鉱夫の顎が外れんばかりに落ちる。

 大きな音に驚かないようにリゼロッドが耳を塞いでいたらしく、ルアは大人しくヘリの離陸を興味深そうに見ていた。やはり子供の方が下手な知識がない分受け入れやすいらしい。

 

「で? アンタら何しに来たんだ?」

 意地の悪い顔でニヤニヤと笑いながら伊織が訊ねる。

「き、貴様等はいったい何者だ? そ、それに、何故あの子供が貴様等と一緒にいるんだ!」

「人に名前を尋ねるときはまず自分からってママに教わらなかったのか?」

「貴様!」

「待て!……我々はキーヤ光神教の聖騎士だ。貴殿等の身分と目的はなんだ? それに、向こうにいる子供はビヤンデの街を追放された“悪魔の落とし子”と呼ばれる子供であり、害獣であるバルーガを追い払うための生け贄として捧げられたはず、それを勝手に連れ出したのなら看過できん」

 伊織達の得体の知れなさに多少は高圧的な態度を改め、それでも職務には忠実なのか毅然とした態度は崩さない。

 

「バルーガってのは、あのクソでかい獣の事か? それなら駆除してそっちに埋めたぞ? あの子はその時に襲われてたんで助けた。生け贄っていうならその時点で役目は遂げてる。ならその後どうしようが構わんだろ?

 だいたいあの程度の獣を駆除、いや、それすらしないで追い払うだけか、それに子供を犠牲にするってのが有り得ないな。ご立派な剣ぶら下げてるんならでかくて頑丈なだけの獣くらいさっさと片付けろや。情けない。

 あと、身分と目的か? それを役人でも無いアンタらに告げる必要がどこにある?」

 嘲るように言う伊織に騎士達は怒りで顔を真っ赤にするが、当の伊織は意に介さない。わざと煽っているのだから当然である。

 

「き、貴様」

 ギリギリと奥歯を噛みしめながら怒りに燃える騎士のひとり。

 というか、さっきからこの男同じ台詞しか言っていない気がする。

 だが怒りを前面に出しながらも、騎士達は動けずにいた。

 理由は先ほどの伊織の言葉にある。

 バルーガは巨大で頑丈、それだけでなく力が強く巨体に似合わぬ素早さと狡猾さを持っている魔獣と呼ばれるほどの獣だ。

 狡猾なだけに用心深く、追い払うこと自体は可能だが、駆除ともなれば通常は20人以上の部隊で決死の覚悟で討伐しなければならない。

 それを『あの程度の獣』と言い切り、駆除できない騎士を『情けない』と切って捨てる。

 それは騎士達とは比較にならない程の強大な力を持っていることを暗に仄めかしているのだ。

 それに、実際に騎士達は教会の聖騎士とはいえ、公的な身分は私兵に過ぎない。他国の者が入国し領土内を移動することを咎める権限は本来は無いのである。

 

「まぁ、10日位で移動するつもりだし、その時に街にも顔を出すさ。こっちも聞きたいことがあるからな。街のお偉いさんに会ったらそう伝えておいてくれや。

 まぁ、もっとも、何の罪もない子供を犠牲にしなきゃ街を守れないような無能じゃ会うだけ無駄かもしれないけどな」

「貴様、もう我慢ならん!」

 さっきから沸騰寸前の様子だった騎士が、とうとう剣を振りかぶり門の格子を斬りつけた。

 相当な業物だろうし、激高しながらも剣に魔力を流していたところを見ると何らかの魔法が掛けられた剣だったのだろう。

 その剣が直径5センチほどの格子に叩き付けられ、あっさりと折れた。

 

「え?!」

「な?!」

「そ、そんな」

 剣にどのような魔法が付与されていたのかは正確にはわからないが、剣の特性から考えれば強度を増したり切れ味を増したりするものなのだろう。

 そして、この性格の悪いオッサンが魔法の存在を考慮していないわけが無く、壁の土台と格子には魔法の効果を阻害する術式が組まれている。

 そうなれば単に素材としての強度と剣の技量の問題となる。

 その素材だが、剣の方は質が良いとはいえ普通の鋼であり、格子の方は粉砕や破砕などの工作機械に多く使われ、耐摩耗性、硬度、靱性に優れ、衝撃に強い特性を持つハイマンガン鋼だ。

 強度にして数倍の開きがある物に力一杯叩き付けたのだから、剣技自体は並程度の騎士の剣はひとたまりもなく、格子に小さな傷を付けただけでへし折れて飛んで行ってしまったのであった。

 

「あ~あ、もったいない。けど、自分でやったことなんだから弁償しろとか言うなよ? まぁこれに懲りて大人しく帰りな。

 焦らなくても10日したら顔出すから、ヨロシク!」

 呆然としたままの騎士にスチャッと手をあげて踵を返す伊織。

「ま、待ってくれ」

「ん?」

 鉱夫のひとりが伊織に声を掛ける。

 そして、持っていた小さな麻袋を突き出した。

「あの子供の墓に埋めてやろうと持ってきた。小屋に置いてあった物だ」

 俯いたまま目を合わそうとせずに袋を差し出す男をジッと見ていた伊織だったが、しばらくしてその袋を受け取る。

「……ルアに渡しておく」

「頼む。それから、ありがとう」

 

 最後にボソッと聞こえるか聞こえないかの声の呟きに肩を竦め、伊織はリゼロッドとルアの居るところに戻っていった。

 そしてその後は騎士や鉱夫に目を向けることなく、ルアを抱き上げてデッキチェアに寝そべり、ドリンク片手に談笑を始めた。

 

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