第37話 召喚魔法のルーツ

「随分とご活躍だったみたいね」

 山のような資料に埋まりそうな一室。

 トレーラーハウスのリビングを丸ごと研究室に改造した場所のデスクで不機嫌そうにリゼロッドが客である伊織をジト目で睨む。

 遺跡資料の精査を彼女に丸投げして遠方で暴れまくっていたのだから不満に思う気持ちはわからないでもない。

 しかもそれが終わってからも英太と香澄を伴ってグローバニエ王国内の発掘済遺跡の調査をしており、結局戻ったのが一月近くも経ってからなのだから文句のひとつも言いたくなるだろう。

 

 さすがに伊織もバツが悪そうに頬を掻く。

「悪かったって。今夜にでもとっておきの酒飲ませてやるから勘弁してくれ」

「大吟醸が良い。純米の」

 最近のリゼロッドのお気に入りは日本酒だ。

 洋酒にはない穏やかで甘みのある香りが気に入ったらしい。

「わかった、わかった。新潟の“洗心”出してやる。朝日酒造の純米大吟醸だ」

「しょうがないから許してあげるわ。あんた達も遊んでたわけじゃないみたいだし」

 相変わらず酒に弱い残念美人である。

 

 ひとしきりグローバニエ王国での出来事を話した後、今度は伊織がリゼロッドに研究の進捗を聞く。

「正直あまり進展はないわ。もちろん古代魔法に関する資料は増えているし、古代文字に関しても多少解読は進んでいるんだけど、肝心の『召喚魔法』に関してはさっぱりね。グローバニエとの距離を考えても同じ文化圏に属しているはずなんだけど」

「あれ? リセウミス王朝ってひとつの国じゃないんですか?」

 難しい顔で説明するリゼロッドの言葉に引っかかるものを感じて香澄が尋ねる。

「以前はそう考えられていたんだけど、どうも違うみたいなのよ。実際にはその時代にはいくつもの魔法王国が存在していて、それぞれ地域によって異なる文化があるみたい。だから、正確には古代に魔法が盛んだった時代の総称として“リセウミス期”というのが正しい認識ね。だから言語が異なる国もあったかもしれないし、文化的には明らかに異なる地域もあるわ」

 

「でも、文字の解読自体は進んでいるんでしょう? 地道に調べていけば魔法陣に書かれている内容もわかるんじゃないの?」

「文字そのものはそうね。ただ、魔法陣っていうのは書かれている文字だけわかれば再現できるというものでもないの。ましてや別の世界とこちらの世界を繋ぐような大魔法、術式全体をしっかりと分析・解読しないとどんな結果になるかわからないわ。

 元の世界に帰れたは良いけど、戻った場所が山よりも高い空の上とか深い海の底とかだったら? 他にも地面の下とかだったら戻った瞬間終わるわよ?」

 リゼロッドの言葉でその状況を想像して英太と香澄は背筋が寒くなる。

 確かに戻る場所がほんの少しずれただけでどんな悲惨な結果になるのかわかったものじゃない。

 であれば、早く帰ることよりも確実に、無事に帰ることができるようにするべきだろう。

 

「だから文字だけじゃなくて召喚魔法そのものについてもしっかりと調べなければならないのだけど、オルストの遺跡にはその痕跡すら見つからないのよねぇ」

 リゼロッドの言葉に伊織は難しげな表情で腕を組んで溜め息を吐く。

「実はグローバニエ王国の遺跡をいくつも見てみたんだが、そっちも召喚魔法に関わっていそうな痕跡はまったくなかったんだよなぁ。

 だが、あの元宮廷魔術師が召喚魔法を一から開発したとは思えないし、魔法陣の術式からしても古代魔法と呼ばれるものが中心になっているのは間違いない。

 となると、問題はどこでその召喚魔法の魔法陣を知ったのか、ということなんだが……」

 本人に聞こうにもグラムに殺されてしまっているのでどうしようもない。

「とにかく知っていそうな人にあたるしかないんじゃない?

 魔法の行使は何人かでやってたし、宮廷魔術師の中には話を聞いている人くらいは居るかもしれないし」

「それしかないか」

 香澄の提案に伊織も頷くしかなかった。

 

 

 

 

 グローバニエ王国北西部。

 デサイヌ川の上流域でありグローバニエ有数の穀倉地帯でもある。

 さらに北側には銀と銅の鉱山があり、現在のグローバニエ王国を支える重要な地域だが、元々は何十年も前にこの地を支配していた小国を強引に併合して王家に近しい貴族が領地として治めていた場所だ。

 この一帯は広大な畑が広がっており、その北側に一帯を治める領主の城や行政府、中心となる街がある。

 

 グローバニエに限らず温暖な気候である大陸中西部では冬から春にかけて麦を、春から秋は豆類を栽培している。

 今は丁度豆の収穫を終え、畑には何も植えられていない状態であり、あと一月もすれば麦の種まきが始まるといった頃である。

 そして現在そこには数万の軍隊と思しき集団が、北と南に別れて対峙している。

 両者の間の距離はおよそ2キロほど。

 

「陛下、反乱軍が動き出しました。こちらも合わせて前進します」

 走り寄って来た伝令の報告を聞いた男がピグモにそう告げる。

「うむ。指揮は将軍に任せる。頼むぞ」

 その言葉にピグモと馬の轡を並べていた30代半ばの男が敬礼した後、指揮を執るために前線の部隊へ合流しに行った。

「結局奴等を帰順させることは叶わなかったな」

 将軍の後ろ姿を見送りつつ、ピグモは悔悟の籠もった呟きを漏らした。

「陛下はグローバニエの悪弊を改めようと奮闘なさっておられます。あの貴族達はその悪弊そのものの存在です。相容れぬ以上いずれこうなるのは必定というものでしょう」


「だが思ったよりも反乱軍の数が多い。これだけの大軍同士が戦えばどちらにも多くの犠牲が出る。それに向こうの兵もほとんどは徴兵された民衆であろう。

 本来国を支える民を守るのが為政者や騎士の勤めだと私は知った。それなのに民を死地に追いやらねばならないというのはやりきれないのだ」

 参謀の男の言葉にもピグモの顔は厳しいままだ。

 それにしても、かつて惰弱で酷薄、民衆から蛇蝎の如く嫌われていた“豚王子”から見事な変貌ぶりである。やはり中身が入れ替わっているとしか思えないが、周囲にいる騎士達の中には感動のあまり涙を溢している者もいる。とりあえず価値観が大逆転するような体験をしたということにしておこう。

 

 オルストのアレクシードやイワンとの会談を終えたピグモは王都の復興とオルストとの調整を新宰相に任せ、混乱が続く貴族領の平定に動いた。

 サルファの侵攻前までにピグモに臣従の意思を示していた一部の貴族や比較的まともな領地運営をしていた貴族の領地を安堵する一方、それ以外の貴族に対して領地の返上と王家への帰順を命じたのだ。

 当然貴族達は猛反発した。

 比較的中央集権が進んでいたグローバニエ王国とはいえ、移動や通信手段が馬やドゥルゥなどの動物を利用するか徒歩しかない中世然とした世界では統治するのに封建制を布いているほうが効率が良い。だから王都から離れるほど貴族の力が相対的に強くなりがちだ。

 グローバニエ王国は過去に幾度も周辺国を侵略し版図に組み込んできており、そのほとんどを王家に近い貴族や貢献のあった者に公爵や侯爵、伯爵などの爵位を与えてそれらの地域を統治してきた。

 そのため、それらの領地では独自に武力を持っており、それを背景に好き勝手に貴族達は振る舞ってきたのだ。それを返上しろといわれて素直に従うわけがない。

 

 そこで新たに国の運営を担うことになった官僚達は、貴族達の領地にピグモが行っている政策や王家の直轄地の現状、オルストとの和平などの情報を流布させ民衆や平民出身の兵士、下級騎士達が貴族から離反するように仕向けた。

 結果、多くの貴族領が内乱状態に陥り、その隙を突いてピグモ率いる新グローバニエ王国軍が次々に平定し、反抗した貴族を捕らえていった。

 その際にピグモは兵士達に規律を守ることと民衆に危害を加えないことを徹底させ、備蓄食糧を配給させた。

 そしてその情報も各地に拡散させたことで加速度的に民衆や平民兵の反乱が拡大し、ピグモ達の軍が到着する前に貴族や騎士達が拘束され或いは潰走していることも増えていった。

 

 そのことに危機感を覚えた貴族達は、王国北部で穀倉地帯と多くの鉱山を抱え国内でも有力な公爵の領地に集まり、グローバニエからの独立を宣言したのだった。

 ちなみにこの公爵は、かつてセイラ王女がクーデターを起こした際、真っ先にセイラに忠誠を誓った男である。

 ピグモ達はとりあえずその公爵領を後回しにして他の領地の平定を進めたが、その間に逃げ散った貴族やそれに連れられた騎士がその場所に集結し、徴兵された平民兵も合わせるとおよそ3万もの軍勢となったのだ。

 対して、ピグモ率いるグローバニエ軍も、各地での兵士達の行状や別人のように民衆に支援するピグモの施策によって希望を持った者達が兵士や義勇兵を志願し、数だけは公爵軍に倍する6万数千に達していた。

 とはいえ、そのほとんどは兵役経験の無い平民であり、多くは農民だ。数の利はあるにせよ兵士や騎士の数は反乱軍の方が多い。

 貴族に対する怒りやピグモによる新しい治世への期待もあり士気は高いが乱戦になれば多くの犠牲が出るのは確実だ。

 

「間もなく先陣がぶつかります!」

 遠見の魔法を使って監視をしていた魔術師が声を張り上げる。

 馬上のピグモの目にも反乱軍に迫る先陣の姿が見え、緊迫した空気が周囲を包む。

 バラララララ……。

 それを切り裂いたのは背後から徐々に迫ってくる不可思議な音。

 ピグモの周囲を固めていた騎士の一部はその音を聞くや顔を引き攣らせ身を固くするのが離れていてもわかった。

「な、なんだ、あれは!?」

 どこからか悲鳴混じりのそんな絶叫が響き、やがて再びグローバニエ王国貴族にとっての悪夢の権化が姿を現した。

 

 

 

「あ、いたわよ。前方、距離およそ10キロ」

 香澄がヘルメットに装着されたヘッドマウントHMディスプレイSDに映し出された映像を確認しながら英太に告げる。

「了解。あれ? もう戦闘中?」

「まだみたいね。ただ、どっちも前進してるからもうすぐ激突ってとこじゃない?」

 香澄の言葉に英太が困ったように眉根を寄せる。

 その英太の頭にも香澄と同じヘルメットが装着されており、ただ英太の方はHMSDを下ろさず口元にマイクが伸びているだけだ。

 

 ふたりが乗っているのは座席が前後に並んだヘリのコックピットだ。

 しかも戦闘ヘリと呼ばれるタイプのものである。

 戦闘ヘリの操縦といえばこれまで伊織が担ってきたのだが、これにふたりが乗っているのには少々理由がある。

 これまで伊織はランドクルーザーや重機類の運転をふたりに教えてきた。

 これはふたりが伊織に依存するのではなくパートナーとして手助けをすることができるようにとの本人達の希望もあって技術の習得をするためである。

 ここでその才能を開花させたのは主に英太だ。

 香澄と比較して、銃火器類の扱いは壊滅的だった英太だが、自身が搭乗する車両類に関するセンスは相当なもので、ごく短期間で教わった車両の運転や操作を充分にこなすことができるようになっていた。

 香澄も基本的な操作はできるものの、やはり運転時間に比例した上達度に留まっており、何とか問題なく動かすことができるという程度だ。

 

 そこで、伊織はグローバニエ王国の遺跡を調査する傍ら、今度はふたりにヘリの運転を習得させるべく訓練を行ったのである。

 ヘリの操縦ができれば行動範囲と自由度が飛躍的に伸びるし、伊織が直接動かなくても様々な動きができるようになる。

 やはり地球の現代科学力をフルに使うには空を飛ぶというのは欠かせないのだ。

 もちろんふたりにも異存などありようもなく、特に英太はヘリや航空機の操縦は憧れである。二つ返事で伊織の提案を受け入れた。

 元々、遺跡の再調査では英太も香澄もほとんど役に立たない。精々雑用くらいしかできないし、だからといって役に立つだけの知識を身につけるなどすぐにできるわけもない。

 その点、車両や機械類の操作・運転は伊織の役に立つにはうってつけで、運転ができるだけで充分手助けになる。

 

 そんなわけで、最初はシミュレーターを使って、次に実機を使って1ヶ月間みっちりと訓練を積んだ。

 運転ミスは即、死に繋がる航空機の運転とあって、伊織は一切の妥協なく鬼教官と化して運転を叩き込んだ。

 後半2週間に至っては地上にいるよりも空を飛んでいる方が多いくらいで、特に離陸、着陸、戦闘飛行は嫌というほど身体に叩き込んだのだった。

 夜間や計器類しか見えない状態での飛行、伊織が意図的にエンジンを止めたり乱気流を発生させたりといった嫌がらせかと思えるような過酷な状況での操縦も含めてトータルで300時間近い飛行という、プロの操縦資格受験生を超える経験を積んだのだ。

 おかげでしばらくは寝てても夢の中で操縦しているような状態だったが、その甲斐あってとりあえず英太に関しては全ての操縦を、香澄は離陸と着陸、巡航飛行に関しての合格点が伊織からもらえた。

 

 航空機の運転は経験がものをいうし、特に軍用のヘリは膨大な操作を行う必要があり、その全てを自在に操るにはまだまだ時間が掛かるので今後は実際に操縦しながらしっかりとした技術を身につける必要があるが、とりあえずは英太と香澄のふたりでならば単独での運用に問題はないと伊織は判断し、ふたりのために汎用ヘリと戦闘ヘリを1機ずつ専用機として割り当てたのだ。とんでもないプレゼントである。

 汎用機はUH-1Yベノム。

 戦闘ヘリの方はAH-1Zヴァイパー。

 どちらもアメリカのベル・ヘリコプター社が開発し、アメリカ海兵隊で制式採用されている機体だ。

 様々な安全措置が施されて生存性が高められた新鋭機であり、しかも操縦システムはほぼ共通で、部品も84%が共有できる。

 色はアパッチがモスグリーンなのに対してその2機は明るめのグレーである。

 

 そうして今回、伊織抜きで初のヘリを使った任務である。

 目的は召喚魔法を開発した宮廷魔術師、オードルがどこでその魔法陣を知ったのかを探るために、グローバニエ王国のピグモに情報提供を依頼することだった。

 そこで王都であるグロスタへと赴いた英太と香澄であったが、ピグモやオードルの同僚だった宮廷魔術師の多くが北部で貴族の反乱軍と戦うための出兵に同行していると聞き、こうしてやってきたというわけである。

 

「で、どうする? あんまりグローバニエの内戦に口出しするのは気が進まないけど」

 英太が次の行動を決めかねて香澄に尋ねる。

 AH-1Zの操縦は英太が後席で行っており、前席にはガンナー(副操縦士兼砲手)として香澄が担当している。それぞれの適性を生かした割り振りである。

「う~ん、そうなんだけど、もし豚王子の方が負けちゃうと困るのよね。私達の目的はあのクソ魔術師がどこで召喚魔法を知ったのかを調べることだから、あの別人に入れ替わった豚王子なら協力してくれそうだし」

「そうだね。んじゃちょっとだけ手助けしようか?」

 そんなふうに相談しているうちに両軍が目視でも確認できるほどの距離まで近づいてくる。

 

「あっ!」

 いよいよすぐ近くまで来たとき、不意に香澄が大きな声をあげた。

「香澄、どうかした?」

「向こう側の軍、丁度真ん中の旗、見える?」

 香澄の言葉に英太は言われた場所の映像を拡大する。

 そこには確かに虎と蛇が絡み合っているような貴族の紋章があしらわれた旗が掲げられている。

「どこかで見たことがあるような気がするけど……」

「ほら、私にさんざん言い寄ってきていた馬鹿貴族がいたじゃない。その貴族の紋章よ」

 言われて英太も思い出した。

 確か公爵家の嫡男とかいう男が香澄に目を付けて、勇者としての役目から解放してやるから自分の妾になれとかことある毎にしつこく迫っていた。

 羈束きそくの首輪をつけられた状態では正面切って逆らうこともできず、躱すのに多大な苦労を強いられたものだ。実際に香澄が危うくその手に落ちそうになったことも何度かあった。

 当時ふたりでさんざん愚痴りあったものだ。

 

「ふ、ふふ、うふふふふ」

「か、香澄?」

 いきなりヘルメットのスピーカーから聞こえてきた香澄の笑い声にギョッとする英太。その声に途轍もなく暗いものを感じて背中がゾクゾクする。何か別の世界が開けそうである。

「ねぇ、英太。“ここで会ったが百年目”って言葉の意味を今猛烈に実感してるわ」

「えっと、香澄? ちょ、ちょっと落ち着こうか」

「大丈夫よ、私は落ち着いてるから。ええ、とても冷静よ。

 AGM-114KヘルファイアⅡミサイルはさすがにもったいないわよね。ハイドラ70のM229ロケット弾で良いかしら?」

 

 香澄の独り言が物騒極まりない。

 ふたりの乗るAH-1Zヴァイパーはアメリカ海兵隊の主力戦闘ヘリである。

 伊織のAH-64Dアパッチロングボウと比べれば索敵能力や全天候飛行能力、火力で劣るものの最強の戦闘ヘリの一つであることは間違いない。

 そしてその武装は固定武装として20mm機関砲、搭載ミサイルにAGM-114KヘルファイアⅡを4基、ハイドラ70ロケットを19発搭載した発射ポッドを1基装備している。その数は増やすこともできるが、現在は長距離飛行のために増槽タンクを2基追加しているのでこれ以上は搭載できない。

 とはいえ、この世界ではあまりに過剰な戦力であり、受ける方はたまったものじゃないだろう。

 

「と、とりあえず近づいて機関砲で攻撃すればい、あっ!?」

 ちょっとビビリ気味の英太が妥協案を口にするが、その言葉が終わる前に発射ポッドから2発のM229ロケットが件の旗に向けてすっ飛んでいってしまった。

 ロケット弾は狙い過たずその旗の場所に吸い込まれるように飛んでいき、轟音と共に爆発。それが続けて2回。

「はぁ! スッとしたぁ!」

 実に爽やかな声音である。

 余程恨みが溜まりきっていたのだろう。英太も気持ちはわからなくもないが、ただ、あまりに容赦のない攻撃に、香澄の将来がちょっと心配になったり、自分の将来がちょっと不安になったりしたのだが、意識してその気持ちに蓋をしておく。

 

 撃ち込まれた貴族の反乱軍の方はといえば、当然そんな悠長な状態ではない。

 そちらの側からはまだ空に浮かぶ小さな点にしか見えないものから突然放たれた理不尽な暴虐に、貴族軍は一瞬で大パニックになる。

 何が起こったのかわからず呆然としていたところに、今度はロケット弾を撃ち込んだ怪物が姿を現す。

 特に貴族軍の側には伊織達が王宮を脱出したときに練兵場で戦闘ヘリを見た者が多く、その時の光景を思い出した騎士達は途端に逃げ散り始めた。

 貴族軍に与した騎士達はその立場を利用して私欲を満たしていた不良騎士が多くを占めている。ピグモに従わないのも好き勝手できなくなるのが気に入らないからであり、その程度の精神構造の者がどうやって戦ったらいいのかすらわからないものを相手にできるほど強いはずがないのだ。

 

 

 

 

「な、何が起こったのだ?」

 突然正面に見える反乱軍の中央近くで爆発が起き、大量の砂塵が舞い上がったのを見てピグモは声をあげた。

「わ、わかりませんが、あの空を飛ぶ怪物から何かが飛んでいきました! 反乱軍への攻撃かと」

「反乱軍が潰走していきます!」

 こちらの側も大混乱である。

 ただ、その内容は貴族軍側とは異なる。

 なにしろ、攻撃を受けたのは貴族軍の方であり、空の怪物は自分達の頭上を素通りしていったのだ。

 加えて、あの空の怪物がかつてグローバニエの宮廷魔術師が異世界から召喚した勇者が喚びだした物であることは簡単に推察できる。

 そして、その異世界人は過日、ピグモの救出に協力し、オルストとの和平交渉でも同席していることから、ピグモと和解、少なくとも敵対しているわけではないことは周知されていたのだ。

 

「先陣が混乱中の反乱軍に突っ込みます!」

「こちらも本隊を突撃させろ! この機を逃すな! できるだけ平民兵には手を出すな! 貴族と騎士は逃すな!!」

 先陣を切った、ピグモが将軍と呼んだ男は貴族軍が崩れた隙を逃さずすぐに行動したらしい。

 王都でのゲリラ戦の指揮を見てその高い能力を感じてピグモが抜擢したのだが、その期待に見事に応える働きぶりだ。

 他の指揮官もそれに負けじと戦意を鼓舞しながら兵を進めていく。

 こうなると練度よりも数がものをいう状況だ。

 我先にと逃げ出そうとする貴族や騎士。それに置いていかれる形となった徴兵された平民兵は次々に槍や剣を投げ捨て降伏していく。

 中には逃げ出した貴族を持っていた槍で攻撃しようとする平民兵の姿すらあった。無理矢理徴兵された怒りと長年の恨みが、王国軍の勝利によって故郷や家族に報復される心配がなくなったことで噴出したのだろう。

 堂々と貴族軍の前に立ちはだかったり、一緒に逃げる振りをして後ろから攻撃したりして、貴族達が逃げるのを妨害していた。

 

 そして、王国軍は騎兵が中心となって大きく数を減らすことになった貴族軍残党を包囲し、ピグモが乱戦を覚悟していた反乱軍との戦闘は双方の予想を大きく覆す形で実にあっさりと終了した。

 そんな中、報告を受けるピグモの頭上から再び轟音が近づいてきて、今度はどんどん降りてくる。

 慌てて周囲の人間が退避してできた空間に、英太と香澄の乗ったAH-1Zが着陸した。

 コックピットのサイドドアを押し上げて開くと、まず英太が片手に日本刀をもって飛び降り、次いで香澄がM4カービンを持って降りる。

 

 極度の緊張感が漂い、ふたりに周囲の視線が集中する中、足を踏み出したのはピグモだった。

「へ、陛下! お待ちください!」

「構わぬ。彼等がこちらを害するというのならどのように抵抗しようが同じだ。それよりも、助けられた我々が礼をとらずにどうする」

 そう言ってピグモを背後に庇おうとした騎士を押しのけ、英太と香澄の前に進み出る。

 ピグモと騎士がやり取りしているうちにヘルメットを脱いでいた英太と香澄の顔を見て、ピグモは少し意外そうな顔を見せる。

 

「てっきりイオリ殿が来られたのかと思ったが、エータ殿とカスミ殿であったか」

 そう言って微かに笑みを浮かべたピグモに、英太は眉を顰め、香澄に顔を寄せる。

「……誰だ?」

「何馬鹿な事言ってるのよ。王太子、あ、今は王様になったんだっけ、この間会ったばっかりじゃない」

「嘘!? 何かさらに外見変わってね?」

 香澄に言われて改めてピグモを見る英太。

 だが、英太がそう思うのは無理もなく、今のピグモは以前のでっぷりと太った豚のような脂肪がなくなっているのはもちろん、前回会ったときのやせ細った身体は療養と栄養のある食事で適度な肉付きになり、急速に痩せたことで弛んでいた皮は年相応の代謝で引き締まっている。

 その上、一月近い貴族領の平定のために甲冑を身につけ馬に乗って各地を転戦していたことで筋肉がついて精悍さすら感じさせる青年に変貌を遂げていたのだ。

 今の姿を見て“豚王子”と影で呼ばれていたなどと言われても信じる者はいないだろう。

 

 ピグモを前にボソボソと小声でやり取りするという失礼なふたりの態度にピグモは気を悪くした様子もなく、改めて英太と香澄がピグモに視線を向けると深々と頭を下げた。

 周囲から驚き、息を飲む気配がする。

 当然である。王権が強いグローバニエにおいて、国王自らが頭を下げるなどということは驚くべきことなのだ。

 それは貴族や王族に対して不満を持っている民衆にしても同じで、それだけそういった価値観が定着しているということである。

 

「まず最初に、エータ殿とカスミ殿にグローバニエ王国国王として謝罪する。

 貴殿らを意思に反してこの国に呼び寄せ、あまつさえ奴隷のように扱い、戦わせた。私個人としても、不当に貴殿らを蔑み、無理難題を押しつけた。

 今となってはその罪深さを深く悔いている。

 どうか許してもらいたい。

 そして、この度の戦いに際し、助力頂けたこと、心より感謝する。

 貴殿らが力を貸してくれなければ、多くの民がこの不毛な戦いで犠牲になったことだろう。

 どのように礼をすれば良いのかすぐには答えを出せぬが、希望があれば言ってもらいたい。できる限りのことはさせてもらうつもりだ」

 

 そこまで言ってようやく頭を上げたピグモに、真意を探るかのように英太と香澄は真剣な目を向ける。伊織とは違い茶化すようなことはしない。

「召喚されたことは、そう簡単に許すことはできません。

 でも、それ自体に貴方が関わっていないことは知っているし、国王やあの王女、騎士達にされたことに比べれば貴方の言った事なんて大したことじゃない。

 だから、貴方に対しては私達は伊織さんと同じように、これからを見ていきたいと思っています。

 それに、今回手助けをしたのは、あの貴族達に意趣返しをしたかったのと、もう一つ目的があったからです」

 

 香澄の言葉に深く頷くピグモ。

「その言葉を胸に刻もう。今後はこの国を誰に対しても誇れるように力を尽くしていくと誓う。

 それで、もう一つの目的とは何であろうか。

 我等にできることがあれば何なりと言ってもらいたい」

 ピグモの言葉に、香澄の口元にほんの少し笑みが浮かぶ。

 そして、肘で隣の英太の脇腹を突っついた。

「痛っ、あ、えっと、俺達を召喚した宮廷魔術師がいたけど、あの魔法をどこでどうやって身につけたのかを知りたい、んだけど」

 そうそう、人任せじゃなくきちんと仕事はしなきゃいけない。

 

「召喚魔法を行った宮廷魔術師、確かオードルとかいっていたか。私は魔法に関してはほとんど知らぬが、誰か知っている者はおらぬか?」

 ピグモは少し考えた後に後ろに控えていた魔術師達に問いかけた。

 すると、おずおずとひとりのローブ姿の男が歩み出て、フードを跳ね上げて顔を晒した。

 もっとも、そんなことをされても英太も香澄もその男に見覚えはないのだが、実はこの男、オードルと共にこの国を出奔しあの傭兵達を召喚した魔術師のひとりである。

 オードルが殺され、サルファの竜騎兵達が去った後に王宮に戻った近衛兵によって捕らえられた。オードルが連れていた魔術師の大部分はサルファに連れて行かれてしまったが、それまでの魔術師に対する扱いを見ればその先ろくな目に遭わないだろうことが予想されたために王宮内に隠れていたところを見つかったのだ。

 その後、ピグモによって直接審問を受けて全てを告白し、長年オードルの弟子として受動的な立場であったこと、高い力量を持った魔術師であることを考慮して監視付きで一時的に従軍させ、その時の働きによって刑の軽重と今後の処遇を決定することとなっている。

 

「そなたはオードルの弟子であったな。何か知っている事はあるか?」

「師、あ、いえ、オードルは召喚魔法の詳しい内容に関しては秘匿していましたので私も詳しいことは知りません。ただ、オードルの父親はこの国の出自ではなく、西方から流れてきた魔術師だったと、昔酒に酔ったときに語っておりました。

 その国では父親の魔法は認められず、不当な扱いを受けて追放されたのだとも。

 この国に流れ着いてからは魔法の腕を買われて辺境の貴族の寄子として下級貴族に召し上げられたものの、結局飼い殺され貧しいまま病に倒れて死んだそうです」

 この国では下級貴族などはほとんど何の権限もなく名ばかりの存在でしかない。商人の方が余程豊かな暮らしをしているくらいである。

 そして力のある貴族の中には能力を持った者をまるでコレクションのように集めるだけで、実際に活用することなく貴族の名だけ与えて飼い殺すことがままあった。

 かつての中国では多くの食客を抱えることがその家の権勢を示すとして競って武人や芸術家を食客として迎えていたことがあったが、それと同じようなものなのだろう。ただ、この国の貴族の場合は呼ぶだけ呼んで金も渡さずなのでより質が悪いが。

 オードルの父親もそのうちのひとりだったのだろう。

 

「オードルは魔法の多くを父親から学んでいたそうで、いくつかの有用な魔法の技術で宮廷魔術師になったと聞いています。

 私がオードルの弟子になったのは宮廷魔術師となった以降のことなので、それまでどのような暮らしをしていたのかまでは知りませんが、召喚魔法は父親とオードルの魔法研究の集大成だと言っていました」

 そこまで語ると、その男はこれ以上知っている事はないというように頭を下げてから一歩下がった。

「えっと、西の国、具体的な場所ってのはわかりますか?」

 香澄の問いに、男は首を振る。

 他の者に視線を移すも、知っている者は誰もいないようだ。

 

「すまぬな。この場ではこれ以上はわからぬようだ。王都に戻ったら詳しく調査することを約束しよう」

「いえ、とりあえずは大丈夫です。必要があったら改めてお願いにあがります」

 そういって英太と香澄はその場を後にすることになった。

 収穫があったと言えるのかどうか、とりあえずは同じくサルファに向かった伊織と合流して話し合おうという結論を出して、英太はヴァイパーを離陸させた。

 

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