第36話 グロスタ解放と戦後処理
「まぁそう言わずにゆっくりしていったらどうだ? どうせどこにも行けやしないんだから、な」
そう言いながら部屋の入口から咥えタバコで姿を現した伊織。
この登場の仕方はバーラの王都でアラベナ商会の下っ端が死体の始末をしようとしていたときに続いて2度目である。つまりは二番煎じだ。そろそろ新しいネタを考えたほうが良いだろう。
どうもオッサンの世代は咥えタバコで登場するのが格好良いと思っている節がある。ちなみに古狸よりも上の世代になると楽器を奏でながら登場したりするのだが、まぁそれは置いておく。
おそらくは子供の頃に見たアニメやマンガの影響だろうが、三つ子の魂百までという。本来は幼い頃の性格は年を取っても変わらないという意味だが、幼い頃に受けた影響は大人になっても残るということでもあるのだろう。
突然投げかけられた言葉に驚いたデビット達は、一斉に声の方、つまり部屋の入口を向く。
「誰だ!」
(なんだ? コイツはどこから入ってきた? 部屋の入口はサルファの戦士がふたり立っていたはずだ。通したのか? いや、そんなはずはない。通すなら先にグラムに声を掛けられるはずだ。さっきはリック達が強引に押し入ったようだが、その時もその後ろに姿は見えていた。なのに今は見えない。倒した? 俺に気配すら感じさせずに? バカな!)
鋭く誰何しながらも、デビットの頭は混乱の最中にあった。
デビットは傭兵だ。それもアフガニスタン、イラクと兵士として実戦に参加し、昇進して海兵隊の指導教官になったものの退屈な仕事に嫌気が差して再び紛争地帯に行くべく民間警備会社に身を投じた。
それだけに常にある程度の緊張感を持って周辺の気配を探っているし、何かあればすぐに察知出来るという自信もあった。
だが、突然現れた男の気配に気付かず、サルファの戦士がどうなったのかすらわからない。
だがそれでも冷静さを失えば命の危険が増すことを理解しているデビットは何とか動揺を押さえ込み闖入者の男を観察する。
手に武器は持っていない。
軍用の防弾ジャケットと思われる上着の両脇は不自然に膨らんでおりホルスターの存在を主張している。右腿には大型のコンバットナイフ。
軽装でありながらどこか特殊部隊を思わせる服装、明らかにこの世界の者とは思えないその姿に、デビットはすぐにその正体に思い至る。
「テメェ、オルストに亡命した異世界人だな?」
(コイツだ! リュウを殺ったバケモノ、俺を追って来やがったのか!)
砦を放棄したことで少しは時間が稼げると思っていたのが当てが外れた形だが、考えてみればあちらも現代地球の車両を持っているし戦闘ヘリやハリアーⅡまで持ち出したのだ、他にヘリくらいは持っていても不思議はない。自分達が原始的な移動方法で戻るのに追いつくなど造作もないことだろうと考えて奥歯を噛みしめる。
「! コイツがカール達を!」
デビットの言葉にいち早く反応したのは本人や言葉を投げかけられた伊織ではなく、残りの傭兵達4人だった。
一斉に肩から提げていたM4カービンを素早く手に取るとセーフティーを外すと伊織に向ける。その動きは厳しい訓練を経た者だけがなしえる無駄のないものだ。
だが、それすらもたった4回の銃声と共に挫かれることになる。
「あ?……」
「ご……」
傭兵達は引き金に指を掛けるよりも早く、喉の下、身に着けているボディーアーマーのすぐ上を撃たれ、口から血を吐き散らしながらもがき苦しみ、やがて動かなくなった。
4人全員が、だ。
伊織の手にはいつの間に抜いたのか、最近ではすっかり香澄の愛銃となっているものと同じファイブセブンが握られていた。
一斉に伊織に小銃を向けるといっても厳密には同時ではない。
それを伊織はわずかな挙動の差異を突いて、正確に胸上部の気道を撃ち抜いたのだ。いくらファイブセブンの反動が他の拳銃と比べて小さいとはいえ凄まじい技量である。
人間の身体は深い傷を負うと脳が自動的に痛みの神経を遮断するようにできている。だから傷が深いほど、致命傷であっても痛みというのはそれほど強くは感じない。自己防衛反応の一種ではあるのだが、気道が傷ついた場合だけは別だ。
気道に流れ込む血で窒息するまでの短い時間、凄まじい苦しみにのたうち回ることになるのだ。溺死などが最も苦しい死に方だ、などといわれる所以である。
この間、デビットは一歩も動くことができずにいた。
伊織から一瞬たりとも目を離していなかったにも関わらず、ジャケットの内側のホルスターから拳銃を抜き、安全装置を外して4連射。その一連の動きでデビットが認識できたのは既に打ち終わった後の姿だけだった。
だが、動けなかったのは、それ以上に長年の戦場で培った危機察知能力によるものだ。
どこにでも居るような一般人のような雰囲気を持つ男、だが決して相手にしてはいけないと本能がしきりに警告を発している。
そしてその実力はたった今証明されている。至近距離にいる敵を一瞬で4人殺し、立ったまま対物ライフルで仲間を狙撃したバケモノ。
「ま、待ってくれ!」
本能的に戦いを避けるべく身体が動く。
デビットは戦場と戦いを好む戦闘狂の傾向が強い。だから平和な生活に馴染めず退役してからも傭兵などに身をやつしているのだが、それでも、いや、それだからこそ自殺願望はない。
デビットが求めているのは戦いのギリギリの緊張感の中で勝利し、相手を殺す快感であり、明らかに自分よりも強く、どう策を弄したところで勝ち目のないような相手に挑むつもりなどさらさら無いのだ。
デビットは両手を挙げて敵意のないことをアピールする。決して余計な事は考えない。
今は生き残ることが第一であり、相手の油断を誘うことなど思いもよらないことだ。
映画でもマンガでもこういったシーンで余計な反撃を試みて無残な結果になるのは定番といえるが、実際に優れた軍人は相手の態度がどう変わろうが油断などしない。戦場では民間人を装った敵が隠し持った武器で襲いかかってくることさえ珍しくないのだ。
そのことをよく理解しているデビットはとにかく命を繋ぐことに全ての神経を注ぐ。
「アンタもいきなりこの世界に連れてこられたんだろ? 俺達もだ! 呼び出された場所の違いで敵同士になったが、別に互いに恨みがあったわけじゃない。これ以上アンタと敵対するつもりもないんだ!」
膝を着き両手を頭の後ろに組んだ無様とも言える姿を晒しながら言い募る。
グラムや他の男達に見られていても気にするような余裕はない。
「恨みはない、ねぇ。俺はそっちのお仲間を殺してるが、それでも恨んだりしないのか?」
感情を読ませない薄い笑みを口元に浮かべながら伊織が皮肉げに聞く。
それに対しデビットは首を振る。
「アイツらだって傭兵だ。戦いの結果死ぬのは仕方がねぇ。アンタを恨む筋合いはない」
いっていることそのものは間違っているわけではない。だが、その傭兵達を指揮して戦っていたのはデビット自身であり、彼等は部下だった。その部下が全員死んだにもかかわらずそう言いきる男に、潔さではなくただ自分の保身のみの考えが透けて見えている。
「まぁ、そっちに俺達への恨みはなくても、こっちにはヘリを墜とされた恨みがあるけどな。それに危うく仲間を殺されそうになったし。おたくと違って俺は心が狭いんでな」
「あ、アレは仕方がなかったんだ! いきなり喚ばれても何も知らない俺達が生きて行くには従うしかない、俺達も被害者なんだよ!」
デビットの言葉に何ら心を動かされる様子もなく返す伊織に必死に食いさがる。
「被害者、か。その割にゃかなり好き勝手やってたみたいだけどな。この王都まで来る間にあった村や街でオマエらなにやった?」
あくまで淡々とした口調ながら、一切の感情を感じさせない言葉にデビットはすぐに反論することはできなかった。
グロスタ陥落の報を聞いたオルスト王国北部騎士団総長ブレトスは、ジギからグロスタまでの経路となる村や街に複数の少数部隊を情報収集のために派遣していた。
ジギ(サルファ)の戦力や装備などの情報を集めるためだが、その結果として知らされた内容は凄惨なものだった。
ジギの竜騎兵による襲撃や略奪はこれまでグローバニエ王国だけでなくオルストの辺境においても度々発生していた。
その時の被害は主に食料や貴金属などであり、女性が連れ去られることも多かったが、それでも抵抗しなければ必要以上に殺されたりはしなかったし、抵抗が激しければ多少の食料を強奪するだけで諦めるのが常であった。中には竜騎兵達が近くまで来たのを知った村は食料などを献上し、数人の女を差し出すことで村を守ることすらあった。
だが、今回のグローバニエ王国への侵攻はそれとはまったく異なる様相を呈していた。
食料や財宝はほとんど根こそぎ奪われ、抵抗の有無にかかわらず、若い男だけでなく老人や幼子まで無慈悲に虐殺されていた。
女達は陵辱され、嬲られた後に殺された者も多かった。
特に、至近から頭や、背後から背中を
助かったのは堅牢な建物や地下で息を殺していたり、襲撃と同時に避難して隠れていた者がほとんどだったようだ。中には物陰から一部始終を目撃した者もおり、その証言から彼等のしたことを知ることができた。
戦いでは一部の者に引きずられる形で残虐性が増すことが往々にしてある。
そしてこれまでのサルファの男達の行動を鑑みると明らかに影響を及ぼしているのはこの異世界の傭兵達だろう。なにしろ地球においてはこの手の陰惨な事件は歴史を紐解くまでもなくいくらでも転がっているのだ。
「そ、れは……」
デビットにしても自分達の行動が、同じ地球の人間から見てどう映るのかということくらいは理解している。
そしてデビットを見下ろす伊織の冷たい視線の意味も。
「どのみち仲間にできない以上は放置しておくわけにはいかないし、仲間にするつもりもない。生かしておいてもろくなことをしないだろうしな。
ってわけで、アンタらの思惑はともかく、コイツらの始末はこっちでつけさせてもらうぞ」
言葉の途中で伊織はここまで黙って見ていたグラム達に目線を移す。
その瞬間、デビットは部屋の入口に向かって走っていた。
(冗談じゃねぇ! こんなとこで死んでたまるか!)
反撃ではなく逃走。
伊織に見逃すつもりがないことを察してから隙を窺っていたデビットの動きは素早かった。
開け放たれたままの入口まで後数歩のところまで一瞬と言って良いほどの速さで走ると、ヘッドスライディングのように低空で跳ぶ。わずかでも被弾する可能性を減らすためだ。
視界の隅に見える伊織の顔はまだ横を向いたままだ。
(逃げられる!)
そう思った瞬間、顔面を固い物に叩き付けたような衝撃を受け、意識が飛ぶ。
「お~ぉ、痛そうな音。あらら、脳震盪起こしたか」
のんびりとした伊織の声が遠くから響いてくるように感じて、何とか意識を繋ぎ止めるデビット。
だがまだ立ち上がることはできない。それどころか、何が起きたのかわからず定まらない視線で景色がグルグルと回っている状態だ。マンガ的に言えば星が飛び交っている状態だろう。
「……何をした?」
「ん? ちょっと入る前に周囲に魔法を展開しただけだ。幻影を見せる魔法。
んで、入口に見える壁に向かってコイツが自分で突っ込んだってわけ。実際の入口はもう少し左側なんだけどな」
憮然としたグラムが聞くと伊織は肩を竦めながらそう答えた。
「コイツとコイツらの持っていた異世界の武器や道具はこっちで処分する。文句はないな?」
伊織は改めてグラムに向かってそう宣言する。質問の形式を取ってはいても反論を聞くつもりがないのはその口調からも明らかだ。
「ふ、ふん。コイツは無様に命乞いしてサルファの誇りを汚した。もはや仲間でも客でもない、好きにするがいい。異世界の道具もどうせ俺達に使うことなどできん」
大柄で筋骨隆々、この部屋に数人いるサルファの戦士の中でも一際強そうな雰囲気を持っているグラムだが、表情は強ばり額には大粒の汗が浮かんでいる。
伊織に話を振られるまで一言も差し挟むことができなかったのは、事態の急激な変化についていけなかったというよりも伊織の持つ圧力で一歩も動けなかったからだ。
それでもそんな素振りを見せないようにしているのは族長としてのプライドだろう。
「た、頼む。これからはアンタの命令に従う。だから……」
「折角異世界に来たんだ。異世界らしく魔法を味あわせてやるよ。といってもこの世界の魔法じゃないけどな」
相当な勢いで石壁に顔面を叩き付けたせいで鼻は潰れ、顔の右側が酷く腫れ上がりいまだ立ち上がることのできないデビットの命乞いをサラッとスルーして、伊織は無造作にデビットに近づくとその頭を掴む。
そして小声で呪文のようなものを呟くとすぐに変化は訪れた。
「あ、あああ、ひぃっ、あがっ、うあぁぁぁぁ!」
伊織の手が頭から離れると、デビットはまず目が虚ろになったかと思うと、次いでその顔が恐怖に歪み、そして両手で頭を抱えてのたうち回った。
そしてそれはいつまでも止むことはなく、ひたすら悲鳴を上げながら床を転げ回っている。
「……何をした?」
再びのグラムからの問い。
「死罪すら生温いとされた罪人の刑罰に使われる魔法だよ。今コイツは記憶に残っているこれまで人に与えてきた苦痛を何倍にも増幅して味わってる。目も見えず、音も聞こえず、触れたとしても何も感じない牢獄の中で、な。飢えと渇きで死ぬまでの短い期間だけだが。まぁ、罪を犯したのはコイツだけじゃないし、他の連中はあっさり死んでる分、少々不公平と思わないでもないが、指揮官だったようだし諦めてもらうさ」
伊織の言葉に、グラムも、他のサルファの戦士もそのあまりに過酷な刑罰を想像して数歩後ずさる。ありていに言えばドン引きである。
「貴様、異世界から喚び出されたんじゃないのか? 何故そんな魔法が使える?」
「人の能力なんてそれぞれだろ? 俺は魔法
「………………」
グラム達が呆然としている中、伊織はのたうち回っているデビットが身につけている拳銃入りホルスターやコンバットナイフ、予備弾倉などを黙々と回収していく。
といっても、取りこぼしの無いようにボディーアーマーの継ぎ目や服をナイフで切り刻みながらなので、終わったときにはデビットの身体は下着にボロ切れがまとわりついているだけのような無残な姿になり果てていたが。
伊織は既に事切れている他の傭兵達の遺体からも同じように武器装備を回収し、懐から大きな布、深緑色で渦巻き状の小紋、唐草模様の入った風呂敷で包み肩に背負う。昔懐かし昭和の泥棒スタイルである。
「さて、んで? オタクらはどうするんだ? 全滅するまで戦うか? それとも大人しくジギだかサルファだかに帰るか?」
ビクゥッ!
デビットの二の舞にならないようにだろう、壁に手を当てながらズリズリと横移動しつつ入口を探っていたグラムとふたりのサルファの戦士達。
伊織の声に大きく肩をビクつかせて振り向いた。
「……撤退する。元々俺達はそこに転がっている胡散臭い魔術師の勧めでここに来た。ソイツが死に、デビット達も死んだ以上ここに残る理由はない」
精一杯の威厳を辛うじて装いながらグラムが言う。
「そっか、まぁ、面倒は少ない方が良いからな。ただ、荷物は全部置いていけよ」
「ぐっ……それは……」
グラムが言い淀む。
当然である。わざわざサルファから遠く離れた石の都までやってきて、ただ痛めつけられて帰って行く、それはこれからもサルファを治めようとしているグラムにとって致命的な失態と見なされかねない。
サルファの戦士として、シェーバの族長として命乞いなど許されるはずもない。さりとてこの男と戦ったところで勝てる気など欠片もしない。
「そういえば、ジギの戦士ってのは勝った者に従うって風習があるんだって? なら……」
「全員に伝えろ! 当面の食料以外は全部置いてすぐに撤退する! 文句がある奴は後で俺が直接聞く!」
「はっ! すぐに行って伝えてきます!」
「じ、自分も全員が族長の命令に従うよう監視します!!」
………………
さも当然のような顔をしつつ、逃げるように部屋から出ていくグラム達。
伊織は苦笑を浮かべつつひとつ肩を竦めた。
そして、部屋を振り返り、いまだに呻き声を上げながら蹲っているデビットと、骸になった4人の同郷の男達を見下ろした。
「平和に生きようとすればできたはずなのにわざわざ傭兵なんざしてたんだ。戦いの中で死ねたんだから本望だろ? 次の人生じゃせめて真っ当な生き方をしてくれ。魂がどこの世界に行くのかはわからないけどな」
伊織は誰に言うともなく呟き黙祷を捧げると、デビットの頭にファイブセブンの銃口を当て、引き金を引いた。
グローバニエ南部の貿易都市グリスト。
その街の北側にある元領主の邸宅は現在オルストの北部騎士団を中心とした遠征軍の本営とオルストの仮行政府が置かれている。
その邸宅の応接室では今、歴史的な調印が行われようとしていた。
当事者としてこの場にいるのはグローバニエ王国の国王ピグモ・ド・クローズ・バニエ、サルファとの王都防衛戦において街に潜伏した騎士と志願した民兵を組織してゲリラ戦を行っていた近衛騎士団の騎士がふたり。同じく潜伏しつつ裏方としてグローバニエを支えた若手官僚の中から新たな宰相としてピグモに任命された男がひとり。
オルスト王国からは王太子アレクシード・オ・デス・オルスト、宰相のアメリウム・カシェス、王弟であり外務卿のイワン・ヴァーレント、新たに近衛騎士団長となったクルォフ・ビス、北部騎士団総長及び遠征軍司令官ブレトス・コーン。
両国の首脳がほぼ全員顔を揃えている形だが、この、隣町に移動するのですら数日を要するような世界で、中間地点とはいえこれほどの重鎮達が集まることができたのは、当然伊織が送迎したからである。
更に本来なら万が一のことでもあれば両国が大混乱に陥りかねないほどの面子が揃っているのも、部屋の片隅で傍聴人のようにのほほんと鼻をほじっているオッサンがいる以上、誰ひとりとして手を出す気になるわけがないと絶大且つ嫌な信頼の賜であったりする。
ちなみに、英太と香澄は伊織が出したものの出番が無かったオフロードバイクの練習で街の外に行っているのでこの場にはいない。
これは別にのけ者にしているのではなく、政治的な話が中心になるし、事前の交渉でほとんど合意がなされていて波乱の余地が無いからで、居てもすることはないし、興味もないからだ。
「では、内容の確認をさせて頂きます。
・グローバニエ王国はオルスト王国に対する長年の侵略行為に対して公式に謝罪を行う。
・上記行為に対する賠償と、この度のグロスタ防衛の支援に対する対価としてグリスト、ゼンタの各領地及びドーの鉱山、更にグリスト北部の砦2個所を割譲する。
・オルスト王国はグローバニエ王国に対して3年間食料及びジギの攻撃を受けた街及び村の復興のための資材を支援する。
・オルスト王国はグローバニエ王国とジギの領土との国境へ4千の兵士を派遣し防衛支援を行う。尚、それに係る物資はオルスト王国の責任において調達する。この部隊は国境からグローバニエ側に10ハル(馬が一日に移動できる距離約50キロ)以上は連絡及び物資調達のための小部隊を除き侵入しない。
・平和条約及び相互不可侵条約を締結し、両国の問題を解決するための会議を年に2回グリストで行う。
・貿易及び人的交流を推進する。詳細は両国の内政が落ち着き次第使節団を相互に派遣して決定する。
・ジギに対する相互防衛協力を推進する。
以上です」
オルスト王国の宰相アメリウムが条約の内容を読み上げた。
既に事務方の間で何度も調整された内容であり、ほとんど形式的なものだ。
その場の全員が頷いたのを確認し、ピグモとアレクシードが書面にサインを行う。
とはいえ、項目ごとに別の紙にサインする必要があるので多少の時間が掛かる。
そして、サインを終えた書面の交換。現代地球でも行われることの多い儀式的なものだ。
受け取った条約はそれぞれの事務官が恭しく受け取り、豪奢な布で包んでそのまま部屋から退出する。これで正式に条約が締結されたことになる。
条約はグローバニエ王国が大幅に譲歩した内容となっているが、グローバニエとしてメリットが無いわけではない。
ピグモが王位に就くことになった王国内の混乱が収束する間もなく起こったジギの侵攻。その上貴族領地で発生している内乱は収束するどころかますます激しくなっている。
そこでピグモは官僚達と協議した結果、所領の統治の失敗とジギの侵攻に対して何ら行動を取らなかった貴族としての義務の放棄の責任を取らせる形で貴族達から領地を没収して中央集権を進めることにしたのだ。
とはいえ、王家にはそれほど余裕があるわけではない。
ジギが王都に攻めて来たときのピグモの行動と、ピグモの命令で市街に潜伏して王都民を守りつつ戦った騎士達の活躍が広まり、元騎士や兵役経験者達が続々と復職を希望したり義勇兵が集まってきたりしてはいるが、それでも各貴族領を平定するとなると国境を守るだけの余力をひねり出すことができなくなる。
それに内乱で生産活動がままならない状況で、元々重税で蓄えが乏しい民衆が多いグローバニエは遠からず飢えに襲われるのは簡単に予測できる。
そこで、南部の街や鉱山を割譲する見返りとして食糧支援と国境防備をオルストに担ってもらうこととなったわけだ。
その上条約でオルストとの国境には兵を配置する必要もなくなる。
表面だけを見ればグローバニエ王国が賠償を行った形だが、実質は公式な謝罪は別として双方が上手く利益と負担を分け合ったことになる。
当初は難色を示していたオルスト側も、結局グローバニエが不安定になれば流民となった民衆が押し寄せてきたり、併合した街に波及したりする恐れもあることから、いずれは何らかの支援をする必要が生じる可能性が否めないとして譲歩することになった。
ただ、決定打になったのは伊織がボソッと「元ブタさんが折角変身したんだから聞いてやりゃぁ良いのに。欲張りすぎるとろくなことにならないぞ」と実に面倒臭そうに呟いたせいだったりする。
伊織としては別に国家間の問題に口を出す気も手を出す気も無かったのだが、日頃の行いというのは大切なのである。
「改めて、条約を結ぶことができて嬉しく思っている。
オルストの温情には深く感謝している。思うところはあるだろうが、これからは隣国として良い関係を築いていきたいと願っている」
「こちらもそれは同じだ。
元々我がオルストは内政を重視してきた。戦いではなく対話で様々な懸案を解決していけるよう務めたいものだ」
無事調印を終えて、わずかに穏やかになった空気の中でピグモとアレクシードは言葉を交わした。
「しかし、これからピグモ陛下は反乱貴族達を平定しなければならないでしょう。我が国からも兵を派遣しても宜しいのだが」
条約自体には納得したものの、やはり少しでも多くの影響力をグローバニエに残したいイワンはそう提案するが、ピグモは穏やかに首を振る。
「支援はありがたいが、戦いはやはりグローバニエの者が収束させねば後々禍根が残る。それに必要以上にオルストの風下に立つことになればいずれは両国の関係も再び悪くなりかねない」
そう言われればイワンとしても引き下がるしかない。
実際、これが豚王子と陰口を叩かれていたとは思えないほど立派な君主ぶりだ。
「ふぁぁ~っ、んじゃそろそろ俺達は戻るわ」
そんな駆け引きは関係ねぇとばかりに大口を開けながら伊織が立ち上がった。
「イオリ殿、貴殿の温情に感謝する。
貴殿のおかげで私は目を覚ますことが出来た。いずれ改めてエイタ殿とカスミ殿にも謝罪させてもらいたい」
ピグモが立ち上がり、王としては有り得ない事に深々と頭を下げた。
さすがにこれにはオルスト側の重鎮達も驚いた顔を見せる。
受けた伊織といえば、ニヤリと笑みを浮かべる。
「許すかどうか、そりゃアンタの行動次第だ。だが、それにはコイツが邪魔だな」
そう言うな否や伊織はスッとピグモに近づくと、その首に取り付けられていた首輪に手を掛け、あっさりと取り去った。
カチリと小さな、それでいて不思議と通る音が響き、一瞬ピグモが硬直するもセイラの時とは異なり何も起きなかった。
「んなにビビんないでも、元々あの性悪女のやつ以外は爆薬つけてないぞ。うちの少年達にそんな危ない物一時的にでもつけさせるわけ無いだろ?」
そう言って伊織は指先に引っかけた首輪をクルクルと回しながら部屋を出ていった。
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