第35話 ジョブチェンジしたブタさん

 時間は少し遡る。

 伊織がハリアーⅡで竜騎兵を薙ぎ払い、英太&香澄の高校生コンビがハンヴィーを撃破するとサルファの竜騎兵は全て砦を放棄して撤退していった。

 今回の伊織の作戦はあくまで砦の奪還とサルファが召喚した異世界人の戦力分析が目的だ。

 相手を殺すことが目的ではない以上、後の処理を考えるとできるだけ地力で撤退してもらうほうが効率が良い。死体の処理というのは想像以上に手間が掛かり、疎かにするとあっという間に伝染病が蔓延しかねないのだ。

 というわけで、多目的ジェット戦闘機などという大仰な物を持ちだした割には25mm機関砲の一発、対地ミサイルの一基も撃ってはいない。

 単に超低空飛行の風圧でなぎ倒しただけである。音速以下の速度しか出ないハリアーⅡでは衝撃波は発生しないので実際に与える被害は精々騎竜を吹き飛ばす程度のものだ。

 

 その思惑は見事に嵌り、竜騎兵達はほとんどその数を減らすことなく撤退し、無人となった砦が残されたというわけである。

 異世界人の武装部隊に関しても英太と香澄が見事に借りを返し、面倒な機動装甲車ハンヴィーは破壊できた。

 ただ、伊織の思惑としては他のメンバーもいることを考えて殺すつもりはなかったのだが、ハンヴィーの残骸の近くで額を撃ち抜かれた傭兵の遺体が見つかった。

 ハンヴィーの爆発が原因と思われる負傷が見られたため、足手まといとして仲間に殺されたものだと察せられた。

 とはいえ、確認された武装部隊の人数は3人であり、伊織が狙撃した1人と今回の1人、残りの1人が無事に撤退したと考えられるために特に問題はない。

 

 無人になった砦にまず歩兵部隊が侵入して状態を確認。食料などが食い荒らされ、一部の施設が荒れていた以外は特に問題はなく、残りの騎士達を無事に収容すると共に、遠征部隊の本部が置かれたグリストに物資の補給を要請。

 いいかげんな補修しかされていなかった城門を修理することになった。

 とりあえずは伊織達が依頼された仕事の、砦の奪還に関しては完了したというわけである。

 残るは召喚された異世界人、つまりは伊織達の同郷の連中の対処となる。

 今回砦に派遣されていた人数からそれほどの大部隊ではなく、多くても十数名の小部隊だと予想できている。

 

 破壊したハンヴィーや、周辺に飛散した武器弾薬などを回収した伊織は撤退先と考えられるグローバニエ王国の王都グロスタに向かうことにした。

 当初、伊織と英太、香澄の3人で向かうつもりだったのだが、そこに砦奪還部隊を指揮するコレスから数名同行させて欲しいと要請してきた。

 現在グロスタに潜入させているオルストの諜報員と連絡が取れなくなっており、それが身元がばれて処分されたのか、単に王都から出られなくなっているだけなのか把握できていないらしい。

 王都の状況もわからないままのため、情報収集と可能であれば諜報員の救出を行いたいということだった。

 そこで騎士団と歩兵部隊の中から10名が選抜され伊織達と共に行くことになった。

 

 砦からグロスタまでは地図によると約400キロ弱。

 馬であれば7~8日ほど掛かるが、サルファの騎竜だともっと早く到達できると考えられたため、一緒にいると思われる異世界人の傭兵に悟られないように大きく迂回しつつグロスタから数十キロの位置までヘリで移動し、残りはバーラで警衛兵も乗せた兵員輸送車両ヒューロンAPCに乗り換えて陸路を移動することに。

 そして……。

 

 

「おぇぇぇぇ!」

 グロスタの西側約2キロの位置で乗り込んでいたオルストの騎士&兵士が大量のもんじゃ焼きを生産している。

「お~お、見事に全員グロッキーだな」

「あはは、まぁ、初めて車に乗ったんだし、それに道も悪かったっすからね」

「そうね。でも西にもそれなりの街があるのに街道の整備もろくにされてないなんてね」

「インフラ整備ってのは金が掛かるからな。そんなことに金を使うよりも戦争と贅沢に使いたかったんだろうよ。

 それはどうでもいいとして、こりゃしばらくは動けそうにないな」

 

 砦を出発してから約5時間。

 中型の汎用ヘリでグローバニエ王国の西側にある森の上空3000mを移動し、グロスタまで50キロの距離にあった森の切れ間に着陸。

 それから完全に日が落ちるのを待ってから車両に乗り換えて現在の位置まで移動したのだが、初めて乗る地球の自動車、外は真っ暗で車内も薄暗い状況の中、整備の行き届いていない凹凸の激しい街道を時速50キロで1時間も走ってきたのだ。

 自動車に馴れている前席に乗っていた伊織達3人は平気だったが、オルストの兵士達は完全に乗り物酔いになってしまっていた。

 移動中はさすがの精神力でなんとか堪えていたようだが、グロスタの城壁のシルエットがうっすらと確認できる距離まで近づき、後は徒歩でと車を停めたところで限界がきたようだ。

 

 車が停車して、数人が必死の形相でドアを開けて外に転がり出ると盛大にぶちまけ、なんとか少々の気持ち悪さと目眩程度で治まっていた残りの者もそれに釣られる。いわゆる貰い○○ピー!である。

 そんなわけで、現在は全員が胃の中身を空っぽにする作業と、それを終えた者達はゴツゴツとした地面に横たわっているというわけだ。

 伊織が肩を竦めて、英太に手伝わせてミネラルウォーターのペットボトルを配る。

 本当ならここで軽く腹ごなしをしてから王都近くまで移動して侵入経路を探すつもりだったのだが、この様子だともうしばらくは休息が必要だろう。

 

「まぁとりあえずは連中が回復するまでこっちはこっちで準備を進めておこう。香澄ちゃんはコレ使って周囲の監視をお願い」

 伊織はそう言って双眼鏡を香澄に手渡す。

「これって、ナイトスコープとかいうのですよね。わっ! 本当に明るく見える!」

「マジ? 後で俺にも使わせてくれない?」

 伊織のヒューロンには赤外線暗視カメラが搭載されていて夜間でも無灯火でモニターを見ながら運転することも可能であり今回もそうしたわけであるが、一般の人はあまりナイトスコープやナイトビジョンと呼ばれる物を使う機会が無い。

 なので、高校生ふたりにとっては体の良い玩具に近いのだろう。

 喜々として覗き込んでいる香澄とそれを羨ましそうに順番待ちを主張する英太。

 コイツらはいったい何しに来たのだろうか。

 

 伊織はヤレヤレと肩を竦めながら、特にふたりに何も言わずにヒューロンから荷物を下ろす。

 ここからは徒歩で城壁まで行き潜入しなければならない。

 細かな状況がわからないため、様々な事態に備えて必要な物を用意してあるのだが、それをオルストの兵士達と分散して運ぶ予定となっている。

 現代地球の人間と比べるとこちらの世界の人間は遥かに夜目が利く。

 今でもヒューロンの車内から漏れ出る僅かな光だけで周囲の状況、正確にはゲロまみれで転がってる兵士達の姿は互いに認識できているわけである。

 とはいえ、フクロウなどの夜行性動物ではないのでやはり暗闇では行動が制限される。そのため人数分のナイトスコープはしっかり準備されているのだ。ただ、伊織がわざと言ってないだけである。

 

「す、すまない、迷惑を掛けた」

 今回の潜入部隊の指揮を執る北部騎士団所属の小隊長ベル・ハッカーが消沈した表情で頭を下げる。

 到着してから30分程経ってようやく車酔いから回復して歩けるようになったらしい。

 彼等も乗り物酔い、正確には馴れない人間が船に乗ると具合が悪くなることが多いという知識はあった。

 オルストには河に面した街が多く、船に乗った経験のない者はほとんど居ない。しかし河の場合は船酔いになることはあまりない。

 その上今回は初めて乗る自動車という乗り物であり、しかもちゃんと整備されているとは言えないような街道をこちらの世界の基準では考えられないほどの速度で、それも景色を見ることもできない車両&時間という要素が重なったためにあの状態となったわけだ。

 オルストの精鋭を自認する彼等にとっては忸怩たる思いであろうが、原因の大半は伊織のせいだ。

 むしろ謝らなければならないのはこのおっさんなのだが、そんなことはおくびにも出さずに相手が無知なのを良いことに鷹揚に頷いて謝罪を受け入れている。非道い人間である。

 

「なんとか回復したようだし、準備を整えたら早速出発する事にしよう。暗闇でも周囲が見えるようになる道具が用意してあるから灯りは持つ必要がない。発見される恐れがあるからな。音が鳴るのもまずいから甲冑も脱いで車に入れておいてくれ。代わりの防具もこっちで準備してある。軽くて頼りなく思えるかもしれないが防御力は充分にあるから安心してくれ」

「重ね重ね世話になる。今更貴殿等の道具を疑うような者は誰もいない。そもそも我等の任務は戦闘ではないしな。

 何か運ばなければならない物があれば我等にも割り当ててくれ。少しは役に立たねば後で総長から叱られてしまう」

 言いながら降ろした装備を指で示すと、ベルは苦笑を浮かべながら冗談交じりの言葉を返した。

 

「なんだかんだで結構荷物があるからそう言ってもらえると助かる。んじゃ…」

「伊織さん! 城壁のほうから人が逃げてきたみたい。こっちに向かってる」

「へぇ? 俺達に気付いてる感じ?」

「いいえ、グロスタの方を気にしてるみたいだからこっちには気付いてないと思うわよ」

 監視を頼んでいた香澄からの報告に、伊織は面白そうな声をあげる。

 英太と一緒にはしゃいでいたと思ったが、仕事はきちんとこなしていたらしい。

「ってことだけど、どうする?」

「……逃亡した王都民か、それともジギの逃亡兵か、現在のところは何とも言えませんが少しは王都の情報を持っているのは間違いないだろう。捕獲する。

 総員、散会しろ! 相手に気付かれないように包囲する」

 

 伊織は手早くヘッドギア(頭に装着するための器具)付きのナイトビジョンを起動してオルストの兵士達に手渡していく。

 スコープを覗き込んだ兵士達は一様に小さく驚きの声をあげるが、効果と有効性はすぐに理解したらしく、ついさっきまでへたり込んでいたとは思えないほど機敏な動きで行動を開始した。

 身を低くしたままほとんど音をたてることなくこちらに向かってくる人影に近づいていき包囲を完了させる。

 が、その人物の顔を見た途端、ベルが声をあげた。

 

「クラード、貴様クラードか!」

「な?! だ、誰だ!」

「ベルだ! 北部騎士団遊撃小隊のベル・ハッカーだ!」

 どうやら知り合いらしい。

 突然暗闇から声を掛けられ、警戒して小剣を抜いたクラードと呼ばれた男に、ベルはゆっくりと近づいていった。

 

 

 

 

「ん~っと、確かこっちだったな」

 伊織が通路内の分かれ道の右側に目線を送って呟きつつ先に立って歩いていく。

 後に続いているのは英太と香澄、クラード、ベルに命じられて同行することになったオルストの騎士がひとり、それからふたりの騎士を思わせる男と女がひとり。

 8人が薄暗い通路をぞろぞろと歩いている。

 場所は王都グロスタにある王城、その地下だ。

 

 王都の近くでオルストの遊撃小隊長ベルが声を掛けた人物、クラードは、サルファの竜騎兵によってグロスタが陥落したという報を得てから情報収集のために派遣した諜報員のひとりだった。

 クラードが王都に到着した時はサルファの戦士達が全ての門を封鎖し人が一切出入りできなくなっていたのだが、なんとか隙を見て城壁を登って潜入。その後、元々潜入していたオルストの諜報員と合流し情報収集にあたっていた。

 王都の占領に手間取っていたサルファ側はとにかく王都を封鎖して時間を稼ぎつつ昔の陣取りシミュレーションゲームのように区画ごとに支配地域を広げていこうとしていたらしく、過剰なほど城門や城壁へ人が近づくのを警戒していたためにクラードは王都から脱出することができなかった。

 

 だが、元々領地という意識すら希薄なサルファの戦士達である。

 軍隊経験者である傭兵達やグローバニエ王国の支配権を得たいオードル達魔術師がいくらその必要性を訴えたところで、思うように財宝や女を手に入れられていない状況への不満も重なってあちこちに綻びがでるようになってきていた。傭兵部隊の指揮官であるデビットが不在であったことも影響した。

 それで慎重に隙を窺ってようやく脱出することができたということだ。

 この後は近くの街に潜入して待機している仲間と合流してオルスト北部の街にある北部騎士団の本部に報告に行くつもりだったらしい。

 

「しっかし、なかなか面白いことになってんなぁ」

 先導する伊織が言葉通り実に楽しそうな口調でそう溢す。

「あの豚王子が、って考えると違和感しかないっすね」

「誰かさんのせいで人生観が変わったんじゃないの?」

「ああ! あの強烈な妹だろ? 殺されかけてたもんなぁ……気の毒に」

 英太と香澄も口々に感想を言うが、最後の伊織の言葉には何言ってんだコイツという視線を向ける。が、その程度で怯むようなメンタルはしていない。

 それに伊織がその無茶苦茶さを発揮していたときは豚王子は絶賛気絶中だったので完全に嘘というわけでもない。

 

「しかし、実際にジギが王都に迫っていると聞くや否や王宮の者を王都の下町に避難させたのは確かです。それ以前に、戴冠した直後に身分を問わず有能な者を数多く登用し、現在それらの者が連帯して抵抗活動を続けています」

「ピグモ陛下は変わられたのです! 以前のような怠惰さや非情さはなくなり、国の安定と民心の平穏を第一に考えられるようになったのです! もはやかつての豚王子と蔑まされた方ではありません!」

 クラードが言い、その後ろから付いてきていた別の男が強い口調で言い募った。

 

 ベルと再会を果たしたクラードはグロスタの状況を説明することになった。そのためにベル達が同行しているのだから当然である。

 だが、そこで語られた内容は英太や香澄が俄には信じることができないようなものだったのだ。

 

 伊織が仕掛けたトラップによって、王国の実権を握ったはずのセイラ王女が爆死した後、王宮、いや王国全体が大混乱に陥っていた。

 あまりにめまぐるしく目の前で状況が変わり、最後には自分から実権を奪ったはずの王女の無残な姿を見て完全に精神が焼き切れた国王は王位をピグモに譲ると一言言った後、離宮に引き籠もってしまった。

 突然王座に就いたピグモだったが、これまでの自らの行状のツケで信頼できる部下などひとりも居ない。そこで下級兵士と下級官吏を何とか集め、まず頭を下げた。

 それまで傲慢さと非情さで忌み嫌われていたピグモの行動に、集められた者達は心底驚いた。

 

 無論信じられない者も大勢いた。むしろほとんどの者が疑念を抱いたままだった。

 だが、一度王やピグモを裏切っておきながらセイラが死んですぐに掌を返したかのようにすり寄ってきた貴族達を捕らえてその資産を没収し、同時に民衆に対しての大幅な減税と高級官僚や上位騎士達の不正を摘発したことで多少風向きが変わった。

 それでもまだ過半数はピグモが自分の支配権を確立するために力を持っていた貴族や官僚を排除しようとしているだけだと思っていた。

 

 だが、僅かな希望を持った者達が協力したことで王都内と王家の直轄地では少しずつ民衆の暮らしが改善していく。

 過酷な労働と飢えに苦しんでいた民衆に、貴族から没収した財産を使って配給を行い命を繋がせると共に、減税によって労働にも余裕が生まれた。

 暴利を貪っていた商人や高利貸しを取り締まり、孤児院を拡充させた。

 無論、全ての不正がすぐになくなるわけがないし悪人がいなくなるわけでもない。

 それでも能力のある者や有効な献策をした者に権限を与えて積極的に登用したり、時に王家の資産を切り崩して施しを行ったことで徐々にピグモを支持し忠誠を誓う者も増えてきた。

 

 当然それを面白く思わない者は多かったし、一部の有力貴族達や悪徳商人達は連帯してピグモ排除に乗り出した。

 しかしそれも以前の悪政に戻りたくないピグモを支持する官僚や武官、民衆によって防がれる。

 いくら貴族や商人が気炎を上げようが実際に動くのは末端の者だ。しかも登用された官僚の中には清濁併せ呑む柔軟性を持った優秀な者が何人もおり、裏社会の組織に無法者を統括させある程度の甘い汁を吸うことを認めた。

 彼等にとっても強欲で我が儘な貴族や商人を相手にするよりも、生活に余裕ができ活気を取り戻しつつある民衆から広く薄く利益を吸い上げた方が旨味が大きい。

 逆に貴族の領地の民衆に王都や直轄地の状況を流布して内乱を扇動したり、商人同士つぶし合うように仕向けたりしていた。

 

 そのような状況で混乱しつつもピグモによる改革が少しずつ実を結びつつあったときに起こったのが今回のサルファによる侵略である。

 ただ、前述の優秀な官僚達からオルストとサルファの侵攻の可能性は事前に指摘されており、対応策はある程度練られていたらしい。

 軍備の再編は官僚組織の改革に比べて時間が掛かる。ましてや軍の上層部や多数を占めていたろくでもない指揮官、上級騎士達を大量に処分したために圧倒的に人員が不足しており国土全体を防衛するだけの力はない。むしろ直轄地の治安を維持するのが精一杯という状況だ。

 そこで、占領されても民衆に対する虐殺や過度な圧政の恐れが比較的少ないと考えられるオルスト側の都市や鉱山などの一部は放棄し落ち着いてから和平交渉を行うこととし、サルファに対しては攻めて来たときに住民の避難を進められるように準備することになった。

 

 だが、予想を遙かに上回るほど早く、しかも大規模な軍が攻めて来たために国境近くの町や村は防衛できず、王都まで包囲される事態となった。

 それに対し、ピグモは王宮と王城にいる全ての人間を避難させ、官僚達には権限を与えたまま王都内に潜伏させた。

 そしてピグモ自身はひとり王宮に残り、虜囚となることを選んだのだった。

 後を託される形になった官僚や武官は、王都の街に隠れつつ民衆を守ってゲリラ的にサルファに対抗する。

 その最中にひょんなことからオルストの諜報員が潜伏中の官僚達と接触することに成功する。実情としては成功というか、どちらかといえば諜報員の失態と言えるのだろうが、諜報員の正体を見抜いたその官僚は、驚いたことにオルストとの共闘を提案してきた。

 

 オルストとしても好戦的なジギの蛮族がグローバニエに居座り混乱が継続し続けるのは困るだろう、そう見越したその官僚はグローバニエ南部の2つの街と1つの鉱山をオルストに割譲する引き替えとしてオルストの支援を要請してきた。

 具体的には国王ピグモの救出と王都の解放の手助けだ。

 奇しくも提案してきた南部の3拠点は既にオルストが占領した場所だった。タイミング的にそのことを官僚は知らないはずだが、地理的に元々想定されていたのだろう。

 そして城壁の監視が弛んだ隙を見計らって王国の武官の強力で脱出したクラードが、ちょうどそのタイミングでグロスタ近くまで来ていた伊織達に遭遇したというわけだ。

 

 そこでベルは同行している兵士ふたりをグリストにいるブレトス遠征軍司令官に報告に行かせて、他は予定通りグロスタへ潜入することにした。

 といっても馬もドゥルゥも無しに400キロ以上離れたグリストまで行かせるのは時間が掛かって仕方がない。

 なので、伊織が馬の代わりにHONDAが世界に誇る名車、スーパーカブ50プロを2台貸し出すことにした。

 基本的な操作を教えただけだが、元々この世界に交通ルールなどというものは存在しないし、ふたりも馬に乗れるし運動能力は高いのですぐに馴れるだろう。

 携帯できる食料としてカロリ○メイトとペットボトルの水を数本、予備の燃料を持たせ、日の出を待って出発することになった。

 操作性と耐久性、燃費に関しては他の追随を許さない車両であるし、速度は50ccであっても馬や騎竜よりも速い。しかもふたりとも選抜されるだけあって体力もあるし戦闘力も高い。その日のうちにグリストまで到着できるはずだ。

 

 そして潜入することになった伊織達であったが、監視の目が弛んでいるという言葉通り、拍子抜けするほどあっさりと王都内に潜入を果たす。

 まずはオルストの諜報員と接触し、翌日の午後になってクラードの案内でグローバニエ王国の官僚と面談を果たした。

 王都の庶民的な下町にある安宿の食堂。周囲に複雑にいくつもの路地が走っており裏口もあることからサルファの兵がいきなり突入してきたとしても脱出できるということで潜伏している官僚や武官達の拠点のひとつとなっている。

 事前に先触れを出していたので3人の官僚と5人の武官、それに上の部屋と宿の周囲に複数の兵を配置した状態でオルストから来たクラードを含めた5人を迎え入れた。

 メンバーはクラードとベル、伊織達3人である。残りは諜報員の潜伏先で待機している。

 

 王都を脱出したはずのクラードのあまりに早い帰還に疑惑と同行したベルに対して値踏みするような視線を向けていた官僚と武官達だったが、伊織達を見た途端にその顔が引き攣る。どうやら伊織達の顔を知っているらしい。

 あの脱出劇のあった謁見の間や練兵場には多くの官僚や武官がいた。中には地位の低い者もいたのだろうし、察するにここにいる者達もあの場にいたのだろう。

 途端に怯えるように大人しくなったグローバニエの面々に、現在の状況を確認し、ピグモが捕らえられていると考えられる場所を聞くなり、伊織は言った。

「んじゃ、さっさとブタさんを迎えに行くか」

 そう言ってさっさと王宮に行こうとした伊織を必死の形相で止め、急いで王宮周辺の警備状況を確認したり、同行する人間の人選をしたりして、結局3日後に救出作戦が実行されることになったというわけである。

 

「ひ、ひとつ聞いてもいいだろうか。イ、イオリ殿は逃走防止のために複雑に造られた地下牢を何故迷わずに進むことができるのだ? 確か地下牢に貴殿等が行ったことはなかったと記憶しているのだが」

 同行している騎士風の男のひとり、グローバニエ王国の武官が恐る恐るといった様子で伊織に質問する。相当怯えているのかそれだけで泣きそうな表情である。

「ん? もちろんこっちにいる間にあちこち探索しまくってたからだが?」

 伊織はあっけらかんと返答する。

「いや、伊織さん、あの短い期間でどこまでうろちょろしてたんすか。案内は大丈夫とか言ってたからついてきましたけど、王城内への抜け道とか隠し通路とか、普通なら絶対に知られちゃいけない機密じゃないっすか」

 呆れたように英太がちゃちゃを入れる。

 

 実際、今回も伊織がさっさと王城に向かって歩き出し、慌てて他のメンバーがその後を追ったのだが、王都で生まれ育った者も顔負けの土地勘で裏道を抜けて王城近くまで行き、おそらくは王族の脱出用に用意されていたと思われる隠し通路を通って中に侵入。

 城内に使用人達がいないという状況を考えてもあり得ないほどあっさりと地下まで辿り着くことができた。

 しかも地下でも伊織の足取りは鈍ることはなく、まるで通い慣れた道を歩くかのように進んでいく。

 しかも、見つかることを警戒するような素振りひとつ見せていない。

 英太と香澄は今更驚くようなことではないが、グローバニエ王国の武官もオルストの諜報員もその底知れなさに畏怖しか感じない。

 この場にいる全員が、絶対に伊織を敵に回さないことを天地神明に誓ったほどだ。もちろん戻ったら上官にもしっかりと報告する。

 

「おっ、ここみたいだな」

 地下通路の奥、おそらくは比較的身分の高い者を収監するための部屋なのだろう、地下牢という言葉のイメージとは異なり、悪臭も不潔感もない区画で一際立派な扉に閉ざされた部屋があった。

「……誰だ」

 扉の前に立つなり無遠慮に伊織がノックすると中から掠れたような、それでいてしっかりとした声が返ってきた。

「生きてるみたいだな。んじゃ、爆弾で吹っ飛ばすのもアレだから、英太、扉ぶった切っちゃってくれ」


「何すか、その石川五ェ門見たいな芸当を要求する扱い。まぁ、やりますけど、ねっ!」

 伊織の無茶振りも、せっかくの見せ場をフイにするつもりはない。

 居合い切りの要領で抜き打ちして一閃。

 マンガやアニメじゃあるまいし、一撃で扉をバラバラにすることなどできるはずもない。結局英太は5回ほど刀を振るって分厚い木製の扉に人が充分通れるほどの大穴を開けた。

 厚みが10センチ近くありそうな扉を、特殊鋼の強度があるとはいえ日本刀でぶった切ったのだから英太の実力も相当なものなのだが、傍で見ている分にはちょっと微妙だったりする。

 

 英太も自分でそう思ったのかちょっと凹み気味である。

 香澄が珍しく優しく背中を撫でて慰める横をすり抜けて騎士ふたりと女性が開いた穴から中に飛び込んでいく。

「陛下! ご無事ですか!」

「お、お前達、どうしてここへ」

 そんなやり取りが聞こえてくる中、少し間を置くようにゆっくりと伊織、英太、香澄が中に入る。クラードともうひとりは外に残って見張りをするようだ。

 

「陛下、私に掴まってくださいませ」

 元々ピグモの世話をするためについてきた侍女であった女性が甲斐甲斐しく支えながらピグモを立ち上がらせていた。

 騎士のひとりはその反対側で同じくピグモを支え、もうひとりがこれまでの経緯を説明している。

 部屋の大きさはおよそ10畳ほどでベッドがひとつと書机、布で仕切られた一角があるのでそこは多分トイレか何かだろう。

 

「よう! 久しぶりぃ~、って、誰だコレ?」

 ゆっくりと近づきながら伊織がそう言いかけ、ピグモを指さしながら香澄を振り返る。

 実に失礼な仕草だが、その気持ちもわからないでもない。

 伊織だけでなく英太と香澄の記憶にある王太子であった頃のピグモはでっぷりと太り、厭らしいニヤニヤ笑いか不機嫌そうな顰めっ面をしているかのどちらかであった。

 今のピグモは見る影もないほどやせ細り、監禁されて心労も重ねたせいか更に頬は痩け目は落ちくぼみ、支えがなければ立ち上がるのも難儀するほど手足は細くなってしまっている。

 それでいて意志の強さを感じさせる引き結んだ口元と信念を持った者のみがするであろう強い眼差しをしている。

 はっきり言って別人である。

 

「信じられないけど、顔の作りはあの豚王子本人みたいよ」

「いやマジで? あり得なくない?」

「いや待て、アレは多分ネコを助けてトラックにひかれた日本人が神様特典付きで中身を入れ替えられたか、頭を打ったとか高熱にうなされたとかで前世の記憶を取り戻したんだろう」

「なろう系主人公かよ!」

 事前に多少は聞いていたのだがさすがにここまでの変貌は予想外で異世界人3人はピグモ達そっちのけで向かい合って勝手なことを言い合っている。

 

「そなた等は……そうか、私を殺しに来たか。私が主導したわけではないとはいえ父と妹がそなた等にしたことを考えれば当然であろうな」

 ピグモとしてはほんの数度しか会っていなかった伊織の顔はあまり覚えていなかったが、英太と香澄の顔を見てすぐにその正体に思い至る。

 一瞬驚いた顔をした後、勝手に結論をだして覚悟を決めた顔で目を瞑った。

 そんなピグモに肩を竦めると、伊織は表情を改めてピグモの前に立った。

 

「放っておけば死ぬような奴にいちいちそんな手間掛けるかよ。

 ちったぁマシな性根になったと思えば、そんなあっさりと生を諦めるようじゃまだまだ足りねぇな。

 まぁ、いつまでもこの国が混乱してるのは迷惑っていうこっちの都合もあったんでな。それに、ブタがようやく人間に進化して、それなりにマシな生き方しようとしてるんだ。多少の目こぼしくらいはしてやるさ。

 さぁ、いつまでもこんな辛気くさいところにいたら晩酌が不味くなる。さっさとずらかるぞ!」

 呆気にとられた顔で伊織を見ていたピグモだったが、左右から自分を支える力強い男女の腕の感触と、縋るような目で見てくる最後まで共に居ようとしていた忠義厚い騎士の顔を見て、フッと微かな笑みを浮かべると震える一歩を踏み出した。

 

 来るときの数倍の時間を掛けて地下から出た一行は王宮の外に繋がる隠し通路の前まで来た。

「さて、英太と香澄ちゃんはジョブチェンジしたブタさんを送ってってやってくれ。後で合流すっから」

「……どうするんですか?」

「抜け駆けっすか?」

「とりあえずヘリ墜とされた貸しの取り立てだけしとこうと思ってな。英太達はもう借りは返したろ? 次は俺の分だからな」

 伊織の言葉に、顔を見合わせた英太と香澄だったが、すぐに肩を竦めた。

 

「大丈夫なんすよね? まぁ心配するだけ馬鹿馬鹿しい気がしますけど」

「大丈夫大丈夫、手に余るようならさっさと尻尾巻いて逃げるから。その時は慰めてくれ」

「はぁ~、もういいです。後でどうなったかだけ聞かせてください。………………ありがと」

 伊織はひとりで歩き去りながら手をヒラヒラと振って王宮へ戻っていった。

 

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