第27話 制圧はスマートに

 大陸の西部地域を潤すデサイヌ川。

 この川の下流域に広がる国オルストの王都は河口近くの中州を中心に川の両岸に広がっている。

 この中州と両岸はいくつかの小さな中州を経由する形で北西、南西、南東、北東に橋が架けられており、また、船舶を利用するための港もいくつか整備されている。

 ほぼ菱形の中州は周囲が石造りの壁に囲まれ、中心部分に王宮がある。

 オルストという国の規模から考えれば王の居城としてはかなり小さな王宮。その一室で3人の男が対面していた。

 

「それでは軍の方は順調なのだな?」

「はい。元々グローバニエ王国と接する北方騎士団の支持はありますし、ジギの領土と面している東方騎士団もやはり危機感がある分説得は容易でした。水軍の方は全体としての支持はまだ得られていませんが部隊長に多数の賛同者がおります。

 さすがに近衛騎士団は頑なに陛下の解放を求めておりますが、王都警備軍は様子見を決め込んでいるようですな」

 

「貴族院と民衆の方はどうだ」

「はっ、貴族院に名を連ねる方々は、有り体に言って右往左往に尽きます。議会の開催と登城を認めるようにという要求は一致しておりますが、その他の主張はバラバラで纏まりはありません。

 民衆の方は、あくまで陛下がご病気になられたとしか発表していないために今のところは平穏です」

「そうか、今のところは計画通りだな」

 報告を受けた男、イワン・ヴァーレント公爵は厳しい顔を崩さないまま頷いた。

 

「そうですな。ただ、やはり王都警備軍が動かない分、実働部隊の数に不安があります。北方、東方の騎士団からの応援の到着を急がせてはおりますがまだあと3日は必要です」

 王都周辺を含むオルスト南部地域を管轄する南部騎士団総長であるヴィジェル・ヴァルカスがイワンに問題を伝える。

 現在王宮の警備はこの南部騎士団で行っている。

 警備を本来担当する近衛騎士団が、王宮を占拠して国王を監禁したイワンへの協力を拒否しているためだ。

 近衛騎士団を城内に残して置いては国王を奪回しようとしかねないので王宮から退去させている。

 

 1万を超える兵員を抱える南部騎士団とはいえ、広大な南部地域の治安維持もしなければならないために実際に動かせる数は2割程度しかいない。

 そこでその人員の内、100名が王宮内に、残りの半数を王都中央街(王宮のある中州の名称)に繋がる4つの橋と港に配置し、残りは両岸の王都内に分散配置せざるを得なかった。

 王宮内の警備は別として、協力しないまでも治安維持などの通常職務自体は継続している王都警備軍がいるにもかかわらず王都内に騎士団を配置しているのは、急ぎ戻って来るであろうアレクシードに備えてのことだ。

 堅実な国家運営で名君とも称される国王。その正式な後継者として王太子の地位にあるアレクシードは、その地位に見合った能力を持っている。

 アレクシードが戻れば当然近衛騎士団を始め貴族院の高位貴族達はその元に集まるだろうし、様子見を決め込んでいる者も靡く可能性がある。

 そうなれば国を割ることにもなりかねない。

 

 そのために王都に入り近衛騎士団や貴族達に接触する前にアレクシードの身柄を確保する必要があるのだ。

 バーラへの親善のためにアレクシードが連れている手勢は精々30名。少数だけに帯同しているのは精鋭中の精鋭だがその程度の数ならば押さえ込むのはそれほど難しくはない。

 無論こちらがアレクシードを殺害しようとするならば決死の覚悟で抵抗するだろうしこちらも相当な被害は出るだろうが、こちらにそのつもりはない。

 アレクシードがそれを見越して地方の勢力を先に呼集すると厄介だが、ある程度の兵権を持っている貴族が現在王都内で登城することも王都を出る事もできず足止めされているためにそれは難しいだろう。

 なのでアレクシードとしては王都に入り近衛騎士団や親しい高位貴族と接触しようとするはずだ。それを先に捕捉して確保する。

 

「しかし、陛下が不予ふよ(貴人が病気にかかること)ではなく監禁されていることは遠からず広まるでしょう。陛下は内政に関してはまさしく名君の名に恥じないお方です。警備軍の一般兵や民衆がそれを知れば暴走する者も出かねません。

 その、本当に大丈夫なのでしょうか」

 軍務長官の地位にあるクリセウス・オービル伯爵が額の汗を拭きながら不安そうに溢す。

 クリセウスとしても国王に対する忠誠心は低くない。ただ、長く軍政に携わっているだけに、防衛のみで攻勢に出ようとしない姿勢に対する武官達の不満の高まりは肌で感じてきている。

 特にグローバニエ王国が混乱しだしてからは武官からの圧力が一層強まり、国王と武官達との板挟みで厳しい立場だった。

 グローバニエと接している北方だけでなく、ジギとの小競り合いが絶えない東方の武官からも強硬な意見が出ていたからだ。

 

「元より国を割るつもりなど無い。

 アレク殿下を確保できれば間違いなく上手くいくだろう。そもそも殿下の政治志向は陛下よりも我々に近い。清濁併せ呑む器量もあるし人の意見に耳を傾けることもできる。

 我々の持つ危機感も理解してくれるはずだ。私との関係も悪くはないからな。

 殿下が王都まで帰参するにはどれほど急いでもあと10日は掛かる。何とかそれまでに体勢を万全に整え、可能であれば殿下を確保する。

 殿下としても国を割ることは避けたいはずだ。失敗したとしても交渉には間違いなく応じる。まぁ、その場合は私が責任を取らねばならんだろうが」

 イワンの言葉にヴィジェルとクリセウスは一層表情を引き締めて頷いた。

 

 元々王弟であるイワンと国王であるシェタスの関係は決して悪いものではなかった。

 シェタスは国王として十分な能力を有していたし常に公正だった。イワンも兄が先王の跡を継いで即位することに異論はなかったし、シェタスが王となりイワンが公爵として臣籍に移ってからも互いに支え合いながらオルストを運営してきたと自負している。

 ただ、そんな両者で決定的に違ったのが外交政策に関してだった。

 シェタスは内政を充実させ国力を高めることを最優先として同盟国であるバーラ以外との外交には消極的だった。特に度々オルストとの国境を越えて侵略の手を伸ばしてくるグローバニエ王国に対して防衛以外の対応をせず、辺境の村々に多大な被害を被っていたのだ。

 

 これに対し、イワンを始めとした軍部は反撃するべしと再三にわたってシェタスに上奏していたのだが悉く退けられた。

 曰く、『内政を充実させ国力が高まれば自ずと侵略の志を殺ぐことになる。翻って逆襲して戦火が拡大すれば国に対する傷跡はより深く深刻なものになる』という、いつも同じ応えが返ってきた。

 イワンとしては侵略に対しより大きな損害を相手に与えることによって、手を出せば痛い目を見ると思わせることが侵略を防ぐ一番の方法であると考えている。

 確かに周辺国よりも明らかに国力が高くなれば手を出してこなくなるかも知れないが、それには膨大な時間が掛かる。しかもその間にも被害や犠牲者は増え続けていくことになるのだ。

 

 そして今回のグローバニエ王国の混乱である。

 腐ってもオルストと比肩するほどの国力を持つグローバニエ王国だ。跡を継いだ王太子は色々と悪い噂の絶えない無能との評価もあったが、意外にも混乱する国内を何とか纏めるべく奮闘しているらしい。

 元々中央集権がオルストよりも進んでいる分、いずれは混乱を収束させ軍備を再構築していくだろう。そうなれば再びオルストは侵略に晒される可能性が高い。

 となれば、被害を抑えてグローバニエ王国の国力を削ぐには今が唯一の好機だ。

 そうすれば相手は衰え、オルストは国力を高めることができる。そして一度ついてしまった差はそう簡単には覆すことができなくなるだろう。

 しかし結局シェタスの翻意を促すことはできず、軍部の不満が頂点に達して、やむを得ずクーデターを起こすことになったのだった。

 

 担ぎ出されることになってしまったイワンだが、別に権力を志向しているわけではない。

 シェタスが穏健派、イワンを強硬派とするならば、王太子であるアレクシードの政治志向はややイワンに近い中道派と言える。

 だから自分や武官達の主張が受け入れられるのであれば、矛を収めて再び国王に対して忠誠を尽くすことに躊躇いはない。

 ただイワン達の立場は、命に背き国王を監禁した逆賊である。大義名分があるとはいえ許されることではないのは理解している。

 外遊に出ているアレクシードが戻れば間違いなくイワン達を罰するだろう。だがそれでは目的を果たすことができない。

 そのためにはアレクシードの身柄を確保するか、圧倒的優位な立場で交渉してイワン達の主張を認めさせる必要がある。さらに、それが確実に履行されるように監視できる立場を維持しなければならないのだ。

 

「とにかくオルゲミアに通じる街道の監視を怠るな。北方、東方の援軍が到着したら、橋を中心に……」

 イワンがそこまで言ったところで、外から急激に聞いたことのない轟音が響いてきた。しかもだんだん音が大きくなってきている。

「何の音だ?!」

「わ、分かりません……聞こえてくる位置からからすると練兵場の方角のようですが。……おい! 今の音が何か確認しろ!」

 イワンの問いに、ヴィジェルが窓に駆け寄り外を確認して答える。そして部屋の外に待機していた騎士に指示を出した。

 命じられた騎士はすぐに駆けだしていく。

 部屋の位置的に直接練兵場の方を見ることはできない。報告を待つしかないのだ。

 

 しばらくすると、音は再び遠ざかっていくように小さくなり、やがて聞こえなくなった。

「閣下、念のため何が起こったかはっきりするまで窓と扉からは離れてください」

「わ、わかった」

 ヴィジェルの要請に、席から立ち上がり、石壁までイワンが下がる。

 とはいえ、この場所は王宮でもさらに奥側にある。それに王宮内は100名を超える騎士達が警備に当たっており、音の正体は分からないまでも何があっても大丈夫だという安心感でその表情にそこまでの緊張はない。

 しかしその余裕はやがて飛び込んできた騎士の報告で吹き飛ぶことになった。

 

 慌てたようにけたたましい足音を響かせながら騎士が扉を開ける。

「し、失礼します! た、只今、王太子殿下が、王宮内に現れました!!」

 その報告に、一瞬イワン達が愕然とする、いや、呆けたといった方が正しいかも知れない。

「な、なんだと? それは確かか?!」

 言葉を出せないイワンに代わってクリセウスが騎士を問いただす。

「は、はい! 練兵場に突如巨大な鳥の怪物が降り立ち、その腹から王太子殿下と護衛の騎士20余名が出てきたと。そして、殿下は王宮内の全ての兵の武装解除と帰順を求めております! 従わない場合は鎮圧すると宣言されました! そのお姿は間違いなく王太子殿下ご本人でありました。現在は城内の騎士で足止めを行っております!」


「馬鹿な! いくら何でも早すぎる! 街道と橋を監視していた兵はどうした?!」

 ようやくイワンが絶叫混じりに叫ぶ。

 バーラの王都から知らせを受けてすぐに早馬で発ったとして、各街で馬を乗り換え最速で向かったとしても到着には10数日掛かるはずだと高をくくっていた分、準備が整わない状況、それも街道や橋を通らずにいきなり王宮内に現れることなど想定していない。

 だから鳥の怪物から降り立ったと言われても理解が追いつくはずがない。

「と、とにかく殿下を止めろ! 城内に居る全ての兵を殿下に向かわせて身柄を確保するんだ! 最悪護衛の騎士は死なせても仕方がないが、殿下には怪我を負わせるな!!」

 さすがは武人。いち早く気を取り戻したヴィジェルが矢継ぎ早に指示を出す。

 

 それを聞いた騎士が踵を返そうとした時、部屋の外から叫び声や怒号が響いてきた。

「な?! ま、まさか」

 あまりの急展開にヴィジェルが驚愕の声を上げるよりも早く、部屋の扉が数十センチほど開かれ、円筒形の何かが中に投げ込まれる。

 思わずそれを目で追う一同。

 そして次の瞬間、目を灼く閃光と凄まじい爆音が響いた。

 

 

 

 

 

 時は少し遡り、V-22からアレクシードとクルォフ、騎士達、英太、香澄が降りると、間髪入れずに伊織はオスプレイを離陸させた。

 英太達はそれを見送り、互いを見回して頷き合うとすぐに行動を開始した。

 機内である程度の準備を整え、段取りも説明してある。

 アレクシードを先頭にすぐ両脇をクルォフともうひとりの騎士が固める。

 その後ろに香澄、そして騎士達が整然と並び、最後尾に英太が控えるという陣形で練兵場と王宮を繋ぐ出入口に向かって歩き出した。

 

 その頃には既に出入口に扉は開け放たれ、数名の警備兵と思われる男達が短槍を構えてアレクシードを出迎えた。

「止まれ! 貴殿等は何者だ! どうやってここまで来た!」

 扱いとしては“反乱兵”ということになるのだが、それでもオルストの正規兵もしくは騎士なのだろう、いきなり襲いかかってくるような真似はしてこない。

 誰何の声に、クルォフが香澄から渡されていた物を顔の前に持ち上げて声を張り上げる。

『この方はオルスト王国王太子アレクシード・オ・デス・オルスト殿下で在らせられる! 現在この王宮にいる全ての騎士、兵士に告ぐ! 武装を解除して殿下に帰順せよ! そして沙汰があるまで兵舎にて待機を命じる! 抵抗するなら制圧する!』

 

 きぃーーーん……

 大音量である。

 クルォフの手にした器具、学校やイベントなどで目にする機会の多いメガホンタイプの拡声器から発せられた大音響。

 戦場でも声を届けられるように鍛え上げられた騎士の声量をさらに何倍にも拡大した声は周囲の空気を凄まじく振るわせる。

 ぶっちゃけうるさい。

 後ろにいる香澄は耳を押さえているし騎士達も片眼を閉じて顔を歪めているくらいだ。

 しかしそれだけに確実に相手には言葉が届いただろう。というか、王宮内にいる人間にまで聞こえているはずだ。

 

 自分の声がとんでもなくでかくなったことに驚いた顔のクルォフだったが、それでもやることは変わらない。アレクシードに頷き掛けるとそのまま足を進めていく。

 他の面々も隊列を崩さずに後に続く。

「な、何だ今のは、い、いや、それよりも、アレクシード殿下だと?! 到着はまだ先じゃなかったのか?!」

 入口にいた男達は戸惑った表情で顔を見合わせる。だが、近づいてくるアレクシード達に対して控えることはせずに短槍を構えて立ちふさがる。

 予想外の出来事が続いたとはいえ、アレクシードに対しての対応は予め決められていたのだろうから当然の反応だろう。

 というか、王太子が来たからといってあっさりと大人しくなるくらいなら最初からこんなことはしでかしていない。

 

 そしてそれはアレクシード達にとっても予想通りのことだ。

 騎士が4人、クルォフ達の横をすり抜けて一気に立ちふさがった兵に肉薄すると、鞘に入ったままの剣を叩き付ける。

 扉前を塞いでいた2人の男が辛うじてそれぞれ短槍で受けるが、次の瞬間別の方から繰り出された剣に横っ面をぶん殴られて吹っ飛ぶ。

 その兵達を後に続いた別の騎士が組み伏せて、これまた香澄に渡されていたステンレススチール製の手錠で後ろ手に拘束する。

 

 この手錠、実際に警察などで使われる本物ではなく、構造の簡単なミリタリー系フェイク品だが強度自体は本物と遜色ない。

 本物だといちいち対応する鍵で開けなければならないが、これならば鍵は全て共通。なんなら針金ひとつで外すこともできる。

 某勇者は拘束するのに好んで結束バンドを使用していたが、ここは異世界である。現代日本人とは比較にならない程の身体能力を持つ者が多いので結束バンドの強度では不安があるということで伊織が準備した。

 いったい何を想定してこんな物を用意していたかは今更過ぎてもはや聞く気にすらならない。

 それを予想される相手戦力の数の分を各騎士に割り振って渡してある。

 扱い自体は簡単なので機内でちょっと練習させて全員が使えるようになっている。ついでに本当に拘束を解けないか騎士に試してもらったが強度にも問題はなさそうだった。

 

 入口の2人に続いて、その奥にいた4人もまたたく間に叩きのめされた上で拘束され、ようやく開いた入口から王宮の中に入る。

 数人が逃げていったようだが、おそらく報告やら応援の招集やらをしにいったのだろう。

 それも想定内なのでとりあえずは構わずに中に入る。

「殿下、どこに向かわれますか?」

「おそらく叔父上は父上の執務室にいるだろう。場所的に指示を出したりするのに一番良いところだからな。それにそこに行く通路は最も兵を集中させやすい構造になっていて脇道もない」

 つまり利便性を確保しつつ国王を守りやすい構造になっているということだろう。

 王宮を守備するには十分な兵士を用意できていないと考えられるクーデター側だ、兵力を集中させるには自ずと場所は限定される。

 そして、こちらの側としても兵に残らず集まってもらったほうが効率が良い。

 

「この先に人が集まってきてるわね」

「うむ。いくつかの場所に防御陣を布いて迎え撃つつもりなのだろう。そのための場所が設けられているからな」

 魔法を用いて索敵していた香澄が最初に気付き、少し遅れてクルォフもその気配を察する。

「んじゃ予定通りってことで、そろそろ準備しようか」

 背後を警戒しながら英太が背負った袋から取り出した物を配っていく。

 各自はそれを受け取って兜を脱ぎ、装着していく。

 アクリル製のゴーグルと一体になった防毒マスクで比較的視野も広い工業用の物だ。

 一昔前の軍用の物ほどの物々しさはないがここが中近世ヨーロッパ然とした異世界と考えると異様としか言いようのない姿である。まぁ、その上から兜をかぶろうとして無理矢理ちょこんと乗っけている数人の騎士の姿は少々滑稽とも言えるが。

 

 結局邪魔になった兜は通路の隅にまとめて置いておくことにして、その間に香澄も伊織が準備した新銃をセットアップする。

 今回は相手を殺傷せずに鎮圧するのが目的なので通常の銃器は使えない。

 かといって以前に使用したM870ショットガンに非殺傷系の弾丸を使うのは相手の数を考えれば無理がある。

 というわけで、今回も新たな銃の登場である。

 

 英国ロイヤル・スモール・アームズ・ファクトリーが開発し、現在はカナダのポリスオーディナンス社が製造するアーウェン37グレネードランチャーだ。

 弾薬自体が薬室を兼用する特殊な専用弾を使用し、薬莢が剥き出しになった構造の奇妙なフォルムをしているが、元々警察等の治安維持組織の暴徒鎮圧用に開発されたもので殺傷系もないわけではないがゴム弾やガス弾などの非殺傷系の弾薬が多く用意されている。

 今回使用するのは密閉した空間で多数の相手に効果の高い催涙剤塩化フェナシル(CNガス)を使用した催涙弾だ。

 ちなみに銃器の扱いが明後日の方向を向いている英太はカーボンファイバー製の警棒だ。といっても計画通りならあまり出番はなさそうだが。

 

 全員の準備が整い、隊列を整え直した一同は改めて歩を進める。

 そして通路の曲がり角を折れたところでその先に20人ほどの騎士が待ち構えているのが見えた。

 クルォフが改めて拡声器で帰順を呼びかけるも、今度は動揺する者も見られず、盾を構えながら通路を塞ぎこちらに歩いてくる。

「下がって!」

 声を掛けながら香澄が一歩前に出てアーウェン37を前方の騎士達の足元に撃ち込む。

 狙い違わず炸裂した弾頭は炭酸ガスによってシューッと周囲に催涙剤を撒き散らす

 

「うわぁっ! な、なん、ゴホッ、ぐっ、ごふぉっ!!」

「め、目がぁっ!!」

「ぐわぁぁっ!! ハックション! ハッブヘ!!」

 阿鼻叫喚とは正にこの事だ。

 弾頭から吐き出される白い煙を吸い込んだ騎士達は咳き込み、くしゃみをしまくる。そして目に入れば激しい痛みに目を押さえるがそんなことで楽になるはずもない。

「突入!」

 そして間髪入れずにクルォフの命令が飛び、防毒マスクで守られた騎士達が次々と悶えている相手騎士を手錠で拘束していく。

 僅か数分で全員を無力化すると、再び隊列を組み直して先へ進む。

 

「しかし、これほどのものとはな。これではどれほど数を揃えようとほとんど意味が無いな。もし害する目的なら全員が屍をさらすことになる」

 アレクシードが涙でグショグショの顔になって拘束されている騎士達を横目に通り過ぎながら溢す。

「そうですな。何も知らずにこのような攻撃を受ければどんな砦も簡単に墜ちてしまうでしょう。恐ろしいとしか言いようがありません」

 もちろんすぐ後ろを歩いている香澄にも丸聞こえなのだが、気持ちは分かるのでスルーだ。

 

 その後は何度か同じように待ち構える相手を無力化しながら奥へと進んでいくと、他の場所から集まってきたと思われる兵士達が背後から追いついてくることが増える。

 英太が別に用意されていたM47催涙手榴弾を投げて前方と同じように悶えさせた上で別の騎士達が手錠で拘束。

 そういった作業が散発的に行われていた。

 そしていよいよあと少しで目的の執務室に到着するという位置で、10数人が待ち構えている通路にいきあたる。

 これほどの短時間で多数の守備兵のいる通路を通ってきたことで相当な警戒をしている様子が伺える。

 そして、最後の防壁となるだろう相手兵は、中でも特に精鋭と思える気配を漂わせていた。

 

「南部騎士団のチェリアム、やはり居たのか」

 クルォフがぼそりと呟く。

 どうやら有名な騎士らしい。

 それに構わず香澄がこれまでと同じようにアーウェン37を撃ち込む。

「! チッ!」

 しかしチェリアムと呼ばれた騎士は、その直後に危険を察知したのか、ガスが発生する直前に弾頭をこちらに向かって蹴り飛ばしてきた。

 煙を上げながら飛んでくる催涙弾頭。

 今度はこちらが白い煙に塗れることになる。

 

「っ! 香澄!」

 ガギンッ!!

 先頭の不穏な気配を感じ取った英太が一飛びで香澄の前に割り込み、煙を切り裂いて撃ち込まれてきた剣を警棒で受ける。

 が、全力で振るわれた両手剣を片手の警棒で受けるには無理がある。

 押し込まれる寸前に力を逃がして剣筋を逸らすが、体勢を充分にすることができず反撃に移れない。

 その隙に撃ち込んできた騎士、チェリアムが煙から下がって間を取る。

 

「英太、ありがと」

「おう。香澄は装備を変えた方が良い」

 視線を前方に向けたまま英太がそう言うと、香澄は頷いてレッグホルスターの拳銃を抜く。

 以前に伊織も使っていたP320-X5に9mm×19パラベラム弾の組み合わせだ。ただ、あくまで護身用である。

 本来ならばもう一度催涙弾を撃ち込みたいが、既に敵味方入り乱れての乱戦模様であり、催涙弾の煙が視界を悪くすれば味方に思わぬ損害が出かねない。

 しかもやはり最後に残っていたのはそれなりに精鋭であったらしく、数に勝るアレクシードの護衛騎士を相手にかなりの奮闘を見せていた。

 こうなるといくら香澄といえどそうそう拳銃を使うわけにはいかない。特に貫通力の高いパラベラム弾では突き抜けた弾丸が味方に当たる可能性もあるのだ。

 

「チッ! 貴様何者だ。クルォフ以外にもこれほどの使い手が居るなんて聞いてないぞ」

「臨時の助っ人だよ! いいかげん諦めなって!」

「そういうわけにはいかないんでな」

 英太は香澄を真っ先に狙われた恨みを晴らすべくチェリアムと対峙していた。

 普段鍛錬している刀と異なる武器に加えて多少マシとはいえ視界の狭められるマスクを装着していては十全の力を振るうことは難しい。

 だが、チェリアムとしてもできる限り避けているとはいえ催涙弾の煙が撒き散らされている状況に、目は痛みで涙が出続けているし喉もヒリついてこみ上げる咳を堪えている状況では剣を振るうのもままならない。

 加えて力量を見ても遠慮無しに打ち込めるチェリアムに対し非殺傷で間合いの短い棒の英太の方が余裕がくらいだ。

 

「くっ! ぐあっ!」

「拘束しろ!」

 本来一番の難敵であるはずのクルォフをチェリアムが押さえ込む腹づもりが、逆に英太にチェリアムが押さえ込まれ、クルォフが次々に警備の騎士達を打ちのめして拘束していっている。

「くそったれ! あ、しまっ、がっ?!」

 ついにチェリアム以外の全ての騎士が倒され、せめて一太刀と渾身の力で振った剣がスルリと英太に流され体勢が崩れる。

 そこを英太が見逃すはずもなく、警棒で顎を撃ち抜かれて崩れ落ちた。

 

「よし! これだけの兵を配置した以上、間違いなく叔父上は執務室にいるはずだ。残っている者も少ないだろう」

「では部屋の扉を開けてください。少しでいいです。開けたら扉に背を向けて耳を塞いで」

 少し息を乱しながらチェリアムに手錠を掛けた英太が腰にぶら下げた閃光手榴弾を外しながら指示を出す。

 それに頷いてクルォフが取っ手に手を掛け、そっと隙間を開ける。

 そこに安全装置を外した閃光手榴弾を放り込み、扉を閉める。

 数瞬後、扉と壁越しに轟音が響く。

 

 5秒ほど待って警戒しつつ部屋に飛び込んだアレクシードの目に映ったのは、身体を丸めて呻き声を上げる叔父と南部騎士団総長、軍務長官の姿だった。

 

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