第25話 面倒な依頼

 ゴゴゴゴ、ガリガリッ、ガゴン!

 大型のブルドーザーが凸凹の土地をあっという間に均していく。

 操作しているのは英太だ。

 やはりこういった搭乗型の機械操作にはかなりセンスがあるらしく、僅かな時間で運転に慣れてその動きは危なげない。

 

「いやはや、凄いものですなぁ、異世界の道具というものは。人夫で同じことをしようとすれば一月は掛かる作業をあっという間に。運用が難しいと知りながらも欲が出てしまいそうです」

 その作業を見守る伊織に壮年の男性が話しかけてくる。

「ん? 運用のための資材は俺が持ってるが、何とかして奪ってみるか?」

「やめておきます。確かに憧憬に似た気持ちにはなりますが、身の丈に合わない欲は必ず破綻しますからな。それに……貴方様相手に喧嘩を売れるほど向こう見ずでもないし自殺願望もありませんから」

 商人らしいその男は、挑発するかのような伊織の言葉に、些かも躊躇することなく否定する。

 商人としての嗅覚は確かなようだ。

 

「そうかい。そりゃ良かった。んで、解体した石材や木材はそのままで良いんだよな」

「はい。石材はそのまま再利用できますし木材は使えるかどうか分かりませんが、少なくとも煮炊きには使えるでしょう。

 石材などは運んでくるだけでもかなりの費用と手間が掛かりますからな。少しでも利用出来るものは利用したいと職人が言っておりました」

 それ以上挑発することなく、伊織は次の話題に切り替える。

 

「しかし、本当によろしいのですか? 管理が行き届いていないとはいえ、この立地でこの広さを持つ土地はかなり希少です。時間を掛ければもっと高値で使用権を売ることもできるでしょうに」

「持ち主の希望でな。確かに欲しがる人は多いんだろうが、使用人がもうすぐ結婚するらしくてその住居を用意してやりたいんだそうだ。

 それにひとりが住むには広すぎて管理もできない。だからアホな商会が違法取引の荷物置き場にしてたんだからな。

 おたくの商会が用意してくれた家を結構気に入ったみたいだし、問題ないぞ」

 

「そういうことでしたらありがたく。

 ちょうど私共が支援している領主貴族様が家格に見合った邸宅を望んでおりましたのでここに新しく建てることができれば喜んでいただけるでしょう。

 他にも何かお力になれることがあればお申し付けください」

 慇懃に頭を下げる商人の眼前をブルドーザーが通っていく。

 リゼロッドの屋敷のあった場所は何もない更地になろうとしていた。

 

 

 どうしてこのようなことになったのか、それは数日前に遡る。

 ブリントス・ワーレンの邸宅を訪れた翌日。

 夕食を終えて今や恒例となりつつあるリゼロッドと伊織が差し向かいになっての晩酌の場でのことだ。

 無類の酒好きなリゼロッドだが、意外なことに普段は酔っぱらうほど深酒することはほとんどない。

 嬉しいことがあったり、逆に酷く不機嫌になるような出来事でもないかぎり、ほろ酔い手前くらいの酒量に抑えているらしい。ただ、そもそもかなり酒豪なので量自体は馬鹿にならないのだが。

 そして引きこもり気味の研究者らしくもなく、結構話し好きでしかも博識だ。

 なので最近は英太や香澄も交えて会話を楽しみながら酒を嗜むことが多い。

 この日もリゼロッドと伊織はスコッチウイスキーのオンザロックを、英太はコーラ、香澄はミルクティーを飲みながら遺跡探索について話をしていた。

 

 リゼロッドの話ではバーラにあるある程度以上の規模の遺跡はあと2つ。

 だが、前回調査を行った遺跡のような違和感のある部分は見られないらしく、調査した資料は既に全て精査済みだ。その他にも遺跡はあるにはあるが、小さな集落跡や小規模な遺構がいくつか点在しているだけで朽ちた生活道具類以外は何も見つかっていないということだった。

 もちろんそれらの周辺を丁寧に調べれば多少は新しい発見があるかもしれないが、伊織達の目的はあくまで召喚に使われた魔法陣の解読と解析である。

 そのためには多くの文字が記された古文書や石碑、魔法陣などを収集し分析する必要がある。

 考古学者ならば民俗学的にそういった小規模な遺構を調べるのも意味があるだろうが、目的を考えると効率が悪すぎる。

 

 リゼロッドの持っていた資料と今回入手することができた資料はほとんど写し取ることができているし、運の良いことにベリク精石という賢者の石を作るために必要な素材を少量ながら入手することもできた。さらに今後遺跡を探索すればもっと入手できる可能性が高いことも分かった。

 魔法陣の解析に必要な情報を集めるにはまだほど遠いのは確かだが、グローバニエ王国を脱出して最初の国であることを考えれば十分な成果と言える。

 であれば伊織達がバーラに滞在する意味はほとんどなくなったと考えても良いだろう。

 そこで伊織が提案したのはオルスト王国の遺跡調査だった。

 

 オルストはデザイヌ川という大河の恩恵で肥沃な大地が広がり、遙か昔から文明が栄えてきたと言われている。実際にリセウミス王朝期のものを含め多くの遺跡が見つかっているらしい。

 リゼロッドも幾度か遺跡調査に訪れたことがあり、その時もまだ十分な調査が行われていないと感じたそうだ。

 いまだに未発見のものもあると考えられるし、リセウミス王朝よりも以前の魔法王国時代のものもあるらしい。

 デザイヌ川はグローバニエ王国をも貫く形で流れており、グローバニエ国内の遺跡から発見された魔法の資料を基に召喚魔法を作ったと考えられるため、同じ流域にある遺跡を調査すれば魔法陣の解析をもっと進めることができるだろう。

 

「ねぇ、相談、というか、お願いがあるんだけど、あなた達の旅に私も同行させてもらえないかな」

 オルスト国内に確認されている遺跡についてリゼロッドから話を聞いていると、不意に彼女がそんなことを言い出した。

「オルストの遺跡はある程度調べたけどあなた達の機材があればもっと詳しく調査ができると思うの。それに調査するのはオルストだけじゃないんでしょう? 私だけじゃ遺跡を探索するなんて一生掛けてもオルストとグローバニエ、西部諸国の一部が精一杯よ。私はもっと沢山の遺跡を調べたいの」

 

 移動が徒歩か動物に引かせる荷車、或いは船で川や海を渡るくらいしかないこの世界、陸を一日に移動できる距離は精々30~40kmくらいで、これは徒歩でも荷車でもそれほど変わらない。

 しかも休みなしに移動できるはずもないので、1000km先の場所に行こうと思えば一月は優にかかるのが普通なのである。

 船の場合は天候に大きく左右されるため単純に計算はできないが、順風でも一日100~200km移動できれば御の字である。

 そのような状況であるため、たとえ一生を費やしても大陸全土を巡るなど不可能だし、ましてや遺跡の探索や発掘、調査や研究までしようと思えば精々周囲1000km四方が限界だろう。

 

 ところがそんなリゼロッドの前に現れた異世界から来た旅人は徒歩や荷車の何倍もの速度で地面を走ったり、それこそ目にも留まらないほどの速さで空を飛ぶ乗り物に乗り、魔法ですらできなかった地下空間を見つけることのできる機材を持っている。

 世界のあらゆる遺跡を探索し、古代の魔法を復活させることを夢見るリゼロッドにとって彼等の持つ機材と技術は手放すにはあまりに惜しい。

 幸い伊織達とリゼロッドの目的はかなりの部分で一致している。

 伊織達をこちらの世界に召喚した魔法陣の解読の取っ掛かりこそ判明しているもののまだまだ不明な部分が多くさらに沢山の情報を必要としているし、その解析と検証にも時間が掛かるだろう。

 さらに必要だと言っていた魔法触媒もどうやら古代魔法王国の遺跡から入手できる可能性がある。

 そのためにもこれからも多くの遺跡を探索し発掘しなければならないのは明らかで、より多くの遺跡を調査したいリゼロッドにとって伊織達の存在は渡りに船なのだ。

 そしてリゼロッドには遺跡調査の専門家としての知識と経験、魔術師としての技能がある。錬金術の技術も役に立つはずだ。

 

「もちろん魔法陣の解析は全力で請け負うわよ。それでも私の方が受けられるメリットが大きいのだから他に協力できることがあれば何でもするわ。なんなら同行している期間、愛人として扱ってくれても良いわよ」

 冗談めかした言い方だったが目は真剣そのものだ。

 ついでに胸を強調するように寄せて腕を組んだ。英太の視線が釘付けである。

 女子高生の冷たい視線が横顔に突き刺さる。ご馳走様です。

 

 リゼロッドとしては愛人云々は半ば冗談ではあるものの、この異世界の旅人のリーダーである伊織がそれを望むならそれでも構わないと思っていた。

 もちろんいくら研究のためとはいえ身体を使ってまでとは考えていないし、実際にこれまで資金提供を条件に自身を求められたことは何度もあったが全て突っぱねている。

 だがこれまでの付き合いで伊織の人柄を知り好感を持っているし、見た目も結構好みだったりする。

 そもそも結婚することなど考えたこともない彼女にとって貞操を守ることにさしたる意味はないので、世界中の遺跡探査という目的の付録としてそういった関係になるのも悪くない。

 

「愛人とかはともかく、リゼが協力してくれるなら助かる部分が大きいな。物資や資金にも余裕は充分にある。英太と香澄ちゃんはどう思う?」

 少し考えた上で伊織は自分の見解を含めて2人に尋ねる。

「俺は別にかまわないですけど。リゼさんがいるなら遺跡調べるのも効率よさそうですし。でも何があるか分からないから危ないっすけど、大丈夫ですか?」

 この『何があるか』の大部分が“伊織が何をしでかすか”の意味を含んでいるのは言わずもがな。

 事実ここまでの騒動のほとんどは伊織の自重のなさが原因なのだから無理もない。

 ジト目を投げかける英太と香澄をスルッと無視して鳥取産白いかの高級スルメを齧りながらマッカラン12年スコッチをチビチビ。

 反省の色は毛の先ほども見られない。

 

「こう見えてもそれなりに戦えるわよ。遺跡調査とか発掘とかって基本男ばかりだし、人夫で雇う人間なんてろくでもないのが多いからね。自分の身くらい守れないとやってられないのよ。戦闘用の魔法も会得してるから足手まといにはならないわ。……多分」

 語尾が尻すぼみになったのは伊織達の無茶苦茶な戦闘方法が頭を過ぎったからだろう。

「……伊織さんが助かるっていうのなら、私も賛成です。っていうか、女の子は私ひとりだったからリゼさんが一緒なら嬉しいかも。でも、メリンダさん達はどうするつもりなんですか?」

 最近はすっかり打ち解けたのか、同性同士の気安さもあってリゼロッドやメリンダと話すことの多くなった香澄である。

 

「そのことなんだけど、実はこの屋敷の使用権を売っちゃおうと思ってるのよ。元々広すぎてまともな管理なんかできてなかったし、そのせいで違法取引に使われたじゃない。メリンダちゃんはあの、なんだっけ? ハゲリー? とかいう熊と結婚したいみたいだし、さすがに今までみたいに朝から晩まで扱き使うわけにはいかないわよねぇ」

 ちなみにメリンダの恋人の名前はハバリーである。ハゲ&ゲリの悪口で構成されているわけではないし、熊ではなく人間だ。

 メリンダはというと、アラベナ商会の人間が根こそぎ捕まり、安全が確認されたことで母親と共にリゼロッドの屋敷から元の家に戻っている。

 しかし、朝早くから日が暮れるまで屋敷で仕事をしていることを心配したハバリーは毎日送り迎えを欠かさず、メリンダも嬉しそうに短いデートを楽しんでいるようだった。

 その様子を見る度に地味にリゼロッドのライフポイントを削っているわけだが、そのことは置いておく。

 

「イオリの依頼で溜まっていた未払い賃金は払えたけど、長いこと働いてくれたわけだし、メリンダちゃんがいなかったら間違いなく私は飢え死にしてた自信があるわ。

 そのお礼も兼ねて良い家を用意してあげたいのよ。今住んでるところじゃ結婚してもどっちかの親と同居でしょ? 子供だって増えるでしょうしね。

 イオリ達が私の同行を認めてくれるならメリンダちゃんが失業しちゃうわけだし退職金も払ってあげなきゃね」

 リゼロッドとってもメリンダは家族も同然。

 生活能力皆無の姉を甲斐甲斐しく支えた妹のようなものだ。

 自覚がありながらもまったく改善しようとしない生活態度はともかく、妹の門出にはできるだけのことはしてやりたいと思っているようだった。

 

 

 

 このような経緯で今後しばらくリゼロッドが伊織達と行動を共にすることが決まり、屋敷の売却について商業ギルドに相談に訪れたのだが、その時にたまたまギルドで顔を合わせたのが先ほどの商人だ。

 バーラでも一二を争うほどの大店の会長であり、支援している領主貴族が領地の発展に伴って貴族としての階位が上がり行政の要職に就くことになったことでバーリサス内に職位に相応しい屋敷を用意する土地を探していたらしい。

 王都内のめぼしい土地は既に他の貴族の邸宅として埋まってしまっている。この上は没落した貴族家の土地の買い取り交渉をするしかないと考えていたところに広さも場所も申し分のないシェリナグの屋敷の売却の話にすぐさま乗ってきたのだ。

 こういった運の良さというのも大店の大店たる所以というものなのだろう。

 シェリナグの屋敷といえば先のアラベナ商会が御禁制の品を無断で隠していた場所でもあり、その商会はさらなる悪行が明るみに出て裁かれたのだが、謂わばケチの付いた土地のはずなのだが、特段屋敷の敷地内で残虐な行いがされていたわけでも怪しい儀式が行われていたわけでもないために問題ないらしい

 

 ただ、やはり老朽化した建物や荒れ果てた庭園などは出世の門出には相応しくないので全て新しく立て直すことになる。

 そこで、古い建物や庭を全て撤去して更地にするのを伊織達が請け負い、代わりにメリンダ達の新居とリゼロッドが戻ってきたときのための家を用意してもらうように交渉した。

 商人としては建物の解体や撤去、整地などの時間と費用の掛かる作業がごく短期間に終わるのであれば一般市民居住区画の隣り合った家を2つ用意して簡単に修繕して住めるようにする程度は費用だけで見ても充分ペイできるのだから断る理由はないし、伊織としては大手商会が貴族の邸宅を準備する工程の一部と引き替えにするのに下手な物件は用意しないだろうという計算がある。

 斯くして契約は成立し、領主貴族関連という事情もあり役所の承認もあっさり下りた。

 

 6の鐘が鳴る頃、粗方の作業を終えて重機類の撤収も完了させた伊織達の元に、再び商人が近づいてきた。ちなみにリゼロッドだけは運び出した荷物の整理のために新居(実際には当面荷物を保管するだけの倉庫みたいな状態だが)で作業に追われているはずだ。

 どうやら商人は今まで建設する屋敷の施工職人と話し合いをしていたらしい。

「いやぁ、ありがとうございました。まさか僅か3日足らずで整地まで終わるとは思いませんでした。

 なんにしても、これで明日から建設に取りかかれそうです。

 そういえば、イオリ様方は近々オルストへ赴かれるとか。

 王都のオルゲミアには私共の支店がございます。何かお力添えできることがあれば是非立ち寄ってください」

 そういって商人は伊織に紹介状と思しき書状を手渡した。

 おそらく商人としては伊織達とのパイプを持っておきたいのだろう。それが分かっている伊織も特に拒絶することなく受け取る。必要なければ使わなければ良いだけだ。

 

 頭を下げながら帰って行く商人を見送り、自分達もリゼロッドの待つ家に移動しようとしたその時、屋敷の門があった場所の前に馬車が停まった。

 馬車の荷台には紋章が刻まれ、高位貴族のものであるのが伺える。

 この国の貴族で伊織達と面識がある者などひとりしか居ない。

 そのご本人、ブリントス・ワーレンが先触れもなしに馬車から降り、伊織達に向かってきたのだった。

 

 

 

 ブリントスの『理由は後ほど話すので、とにかく一緒に来て欲しい』という要望に従って、彼の乗る馬車の後をランクルで付いていく。

 そして到着したのはブリントスの屋敷ではなく、バーリサスの王城だった。

 車を降りた伊織達をブリントスが言葉少なに先導して王城内の応接室のような場所に入る。

 そこにいたのはオルストの王太子であるアレクシード、ブリントスの屋敷でもアレクシードの後ろに控えていた騎士クルォフ、それから面識のない50代半ばと見られる2人の男性だ。

 

「突然このような形で呼びつけてしまって申し訳ない」

 伊織達の姿を見るなりアレクシードが立ち上がり謝罪する。

「私からもお詫びする。私はバーラ王国で宰相の地位をいただいているエリサバク・ヴァンドと言う。そしてこちらにおられるのが国王陛下であらせられる」

 まさかの国のトップ2人の登場である。

「お初に拝謁を賜ります。グローバニエ王国によってこちらの世界に召喚された伊織と申します。なにぶん習慣の異なる世界から連れてこられた身、無礼の段がございましたらご容赦願います」

 伊織は慌てる様子もなくそのまま歩み寄ると片膝を付いて一礼し挨拶する。

 英太と香澄も伊織の仕草を真似ながら、完結に名前だけを名乗った。

 

「無理に呼び出したのはこちらだ。礼など気にせず楽にしてくれ」

 中央の椅子に座ったバーラ王国の国王キャスバル・シス・クレミスが鷹揚に言い、ヴァンド宰相が伊織達に椅子に掛けるように促す。

 伊織は堂々とした仕草で示された椅子に座り、英太と香澄もそれに倣って左右に掛ける。

 もどかしげにそれを見ていたアレクシードは伊織が腰を落ち着け視線が合うのを待って口火を切った。

 

「唐突に申し訳ないが、貴殿等の力を貸してもらいたい」

「……力、と申しますと?」

 前置きのないストレートな要求に伊織は眉を顰めながら聞き返す。

「貴殿等は馬車を遥かに超える速度で移動できる荷車を持っていると聞く。実際に私とワーレン殿も乗せてもらったが、あれはもっと早く動かすこともできるのであろう?

 それで私と、可能であれば乗せられるかぎりの騎士も一緒にオルストの王都まで運んでもらいたいのだ」

 口調そのものは落ち着いているように聞こえるが、その表情には余裕が見られない。

 なんとしてでも聞き入れてもらうという決意すら感じられた。

 

「事情をお聞かせ頂いても?」

「無論話すが、その前にここで聞いた話は一切他言はしないと約束してもらいたい」

 アレクシードを落ち着かせるように隣のブリントスがその肩を叩きつつ、伊織達の顔を見渡す。

 ここで嫌だと言えるような雰囲気ではないので素直に頷く3人。

「……10日ほど前になるが、オルストで謀反が起こった。王弟であるヴァーレント公爵が一部の主戦派の軍と共に王宮を占拠し国王陛下を監禁、議会を停止して貴族の登城を禁じたのだ」

 そこまで話したブリントスの言葉を引き継ぎ、ヴァンド宰相が詳細を説明してくれる。

 

 説明によると、現在の国王シェタス・オ・デス・オルストは内政重視の穏健派でその治世は堅実且つ福祉にも力を入れる名君として知られているらしい。

 だがその弟であり国家の重鎮でもあるヴァーレント公爵は長年続くグローバニエ王国からの侵攻に対して防衛に徹するのではなく積極的に反撃するべきだという主戦派だ。

 だがそれでもグローバニエ王国はオルストに比肩するほどの大国であり全面的に衝突することになれば双方に甚大な被害が出るため主戦派の主張はそれほど広がりを見せていなかった。

 

 その風向きが変わったのがそれまで国境近くの砦で大きな戦果を上げていた異世界から呼び出したという“勇者”が王女を殺害してグローバニエ王国を出奔。

 その惨状を見て怯えたグローバニエの国王が玉座を投げ出してしまったのだ。当然グローバニエ王国は混乱し、王太子がすぐに戴冠したもののオルストとの戦争どころではなくなってしまう。

 元々王家や貴族による圧政で民衆の不満が溜まっていたところに、混乱に乗じて貴族の権力争いが激化したことで治安が大幅に悪化、各地で反乱が起こる事態になった。

 主戦派としてはこの期にグローバニエ王国に侵攻していくつかの重要拠点や鉱山などを占領した上でこれまでの賠償を要求するべきだと主張した。

 グローバニエ王国の混乱は兵士や一般市民まで知ることになり、これまでの度重なる侵攻による被害も相まって俄に支持が広がっていく。

 

 だがそれに対しての国王の対応は、あくまで静観、であった。

 シェタスは『民衆の不満が高まっているような状態の国から領地を奪い取ったところで負担が増えるばかりで得られるものなどない』として自制を促していた。

 シェタスのこれまでの実績もあり従う者は多かったのだが、それでもその穏健すぎる対応には不満を持つ者が多かった。

 そしてとうとうヴァーレント公爵を旗頭としてクーデターが勃発したということらしい。

 

「現時点で分かっている範囲では叔父上は陛下を監禁しただけで処断された者はいないようだ。しかしその情報も10日も前のもので今の状況は分からない」

「そこで王太子殿下は本国へ急ぎ戻り、事態を収拾する事になったのだ。しかしバーリサスからオルストの王都までは陸路で30日、どれほど急いでも20日近くは掛かるし、季節的に船も使えん。

 事態は遅くなるほど収拾が難しくなる。一刻も早く帰る必要があるのだ」

 アレクシードとヴァンド宰相が険しい顔で伊織を見つめる。

 

「バーラ王国としてはどのように対応するおつもりでしょうか」

「……オルストは我が国の同盟国だ。その隣国が混乱して不安定になるのは望ましくないが、かといって干渉するわけにはいかぬ。アレクシード殿下が戻られることで安定が戻ることを期待している」

 つまりはクーデターに加担するつもりはないが積極的にアレクシードを支援するつもりもないということだろう。

 同盟国という立場上やむを得ない対応といえる。もしかしたら早めに厄介払いしたいという意識もあるのかもしれないが。

 

「戻るとして、事態をどのように収拾させる? 謀反を起こした連中を捕らえて処刑するのか?」

 伊織の口調がぞんざいなものに変わっているが、ヴァンド宰相が僅かに眉を顰めただけで指摘したりはしなかった。

「いや、グローバニエに対して恨みや不満を持っている者は少なくない。単に叔父上を処断しては国が割れかねない。私自身主戦派の気持ちも分からないでもないからな。

 このような事態を引き起こした責任の追及はせねばならないが、まずは王宮を開放した上で話をしたいと思っている」

「抵抗した場合は? 中枢を押さえているのは王弟派だろう。殿下が戻ったからといって素直に王宮を明け渡すとは限らない。強硬手段に出た場合はどうするつもりだ?」

「叔父上は話して分からぬような人ではない。こちらが主張を受け入れる姿勢を見せれば対話に応じるはずだ!」

 

 伊織の追及にアレクシードの口調も激しくなってくる。

「我々と殿下の希望は貴殿等の持つ異世界の乗り物によってオルゲミア(オルストの王都)まで運んでもらうことだ。そこでどのような対応になろうが貴殿等に関係なかろう。無論報酬は相応に用意する。

 ……そもそもが貴殿等がグローバニエの王女を殺害して出奔したのが今回の事態の遠因であろう。その責任をとってもらいたい」

 仲裁する意図か、ヴァンド宰相が口を挟むが最後が余計だった。

 英太と香澄の顔が引き攣り、伊織の横顔を窺う。

 

「責任、ねぇ。こっちは降りかかる火の粉を払っただけだ。それを責任云々言うのなら、俺達がこっちの世界に召喚されたのはオルストとグローバニエの諍いが原因だろう。そしてバーラも同盟国としてオルストを支えていたはずだ。だったらまずはその責任を取ってもらいたいものだな。

 それに、仮に王太子殿下を連れて行ったとして、対応次第ではこっちにまで累が及びかねない以上、きちんと対策を講じてもらわなきゃ安心して連れて行けないだろうが」

 傲然と言ってのける伊織に目を見張る面々。

 この場にいる者の地位を考えれば間違いなく不敬といえるのだが、その言葉には反論を許さない厳しさがあった。

 

「……宰相殿は切迫した状況を打開するために心にもない事を言ってしまったのだ。気分を害したのならお詫びしよう。どうか話を続けさせて頂きたい」

 ブリントスが取りなし、ヴァンド宰相も気まずげに目を伏せる。

 伊織の物言いには不満はあれど、それを言えば間違いなくこの場は決裂するだろう。それではわざわざ王城まで彼等を呼んだ意味がない。

 伊織はひとつ息を吐くと、視線をアレクシードに戻す。

「……叔父上が王城を占拠してまだ10日ほどだ。事前にある程度準備を整えたといっても王城に詰めている近衛騎士まで完全に掌握できているとは思えぬ。近衛の指揮官は陛下に忠誠篤い者ばかりだからな。おそらくは叔父上に近い主戦派の軍将校とその部下が王城の警備を行っているはずだが、とてもその数は十分だとは考えられない。

 一緒に連れて行ける人数にもよるが、私が王城に現れれば動揺してすぐさま行動に移せない者も多いだろうし、様子見を決め込む者も一定数いるだろう。

 その隙にまず叔父上と指揮官を制圧する。

 そして王宮を開放して議会を招集した上で叔父上とそれに賛同する軍指揮官、貴族との話し合いを行う。

 その上である程度の結論を出した後に陛下の監禁を解こうと考えている」

 

 アレクシードの言葉にその場の者は息を潜めた。

 その内容はかなり際どいものだったからだ。

 クーデター首謀者との交渉を国王解放に先立って行う。これは場合によっては国王の意思よりも交渉結果を優先するということに他ならない。

 王に次ぐ地位である王太子といえど謀反と受け取られても不思議はないのだ。

 だがそれに対する伊織の反応は、ニヤリと笑みを浮かべるといったものだった。

「明日の朝、2の鐘が鳴るまでに準備を整えておいてくれ。一度に連れて行ける人数は、そうだな30人くらいなら何とかなるか。王城内の練兵場に迎えに来ることにする」

「さ、30人? しかも王城内の練兵場だと?」

 アレクシード達が驚きと戸惑いの声を上げるが、それに答えることなく伊織が立ち上がる。

「物資なんかは最低限で良い。どうせ昼には着くから、むしろすぐに動けるようにしておくんだな」

 それだけ言い残して絶句するその場の者を残して部屋を出て行った。

 格好つけるのは良いが残されそうになった英太と香澄は慌てて後を追う羽目になったし、出口が分からず、メイドっぽい女性を捕まえて案内してもらわなきゃならなかったのは実に情けなかった。

 

 

 

 翌朝、王城内にある練兵場。

 そこにはアレクシードとクルォフ、甲冑に身を包んだ騎士が25名揃っていた。

 そして昨日も一言しか喋らずほぼただその場に居ただけだった国王陛下とヴァンド宰相、ブリントスもいる。

 あと半刻もしないうちに2の鐘が鳴るだろう。

 だが、集まっている者の顔は浮かないものだった。

 なにしろこれからオルストへの帰還だというのに集まっている場所は王城内。

 伊織達が不可思議な乗り物を所有していることは知っているが、30人という人数を一度に運ぶというのがまったく想像できないからである。

 30という数は戦力としては微々たるものだが、移動するための集団としてはそれなりの単位となる。

 

 実際に王太子であるアレクシードがバーラへ訪問するに際して随行している人数の総数は40名だ。

 同盟国であり治安も比較的安定しているからこそ少数でも安全と言えるのだが、その人数で、尚かつ騎士達は馬に騎乗しての移動でも物資のための荷車が2台にアレクシードの乗る馬車に、その他の身の回りのことをする使用人のための馬車が2台、予備の馬が5頭用意されたのだ。

 バーリサスとオルゲミアの距離はおよそ1000km。東京と山口県の下関との距離とほぼ同じだ。

 その距離を移動するにはほぼ一月の日数と相応の物資を必要とする。

 そういったこの世界での常識からすれば30名もの人員を、最低限の物資のみで、即座に作戦に移れる装備を着けたまま、その日のうちにオルストまで運ぶ、など夢物語にすらならない。

 

「そろそろ、ですな」

 ブリントスがアレクシードに囁いた直後、王城の尖塔から鐘の音が響き始める。

 ……バラララララ

 ほぼ同時に遥か遠くから乾いた何かを叩くような音が聞こえてきた。

 その音は次第に大きくなり、不意にアレクシード達を影が覆う。

 慌てて見上げる一同の目に映ったのは、轟音を響かせながら真上から近づいてくる巨大なフクロウのような両側に翼を広げた怪物だった。

 

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