第21話 メイドさんの婚約者

 リゼロッドの屋敷の敷地内。

 その一番奥側にある、かつての使用人用宿舎。

 屋敷に向いている側に表玄関があるのだが、そちらは何年も人の手が入った形跡は無くかろうじて原型を留めているといった状態であったが、裏口側は英太が見て取ったように頻繁に使用していた形跡が確かにあった。

 

 宿舎は2階建てで建物の中央を貫くように廊下があり、廊下の左右に部屋があるようだった。ただ、1階部分は食堂や厨房、洗い場などもあり、それを除くと部屋は6部屋らしい。

 廊下の中程に2階へ上がる階段があったが、そこは人が通った形跡は無く、土や埃が降り積もっている。

 試しに英太が階段を数段上がってみるがかなり頼り気なく軋む音がしたのでそれ以上は止めておく。1階の床は石造りなので問題ないが階段や2階の床は木製なので、老朽化し過ぎていつ床が抜けるかわかったものじゃない。

 

「確かに頻繁に使ってたみたいだなぁ。1階の裏口側4部屋、か」

「鍵が掛かってるわね。リゼロッドさん、部屋の鍵ってどうなってるんですか?」

「そんなの無いわよ。というか、屋敷を探せば多分どこかにはあるんだろうけどね」

 肩を竦めるリゼロッドに呆れた視線を送る香澄。

「えっと、どうします? ぶち破る?」

「家主が良いならそうすっか。あ、その前に裏口の扉と表玄関を開けて風が通るようにしておこう。3ヶ月も閉じられてたっていうなら何か腐ってたりするかもしれん……誰か、人間とか動物が閉じ込められてなかったことを祈ろう」

 そこまでは想定していなかったのだろう、他のメンバーがもの凄く嫌そうな表情を見せて、慌てて扉を開けに行った。

 

「んじゃ、開けるぞぉ。おりゃっ!!」

 ズガンッ!

 裏口側左の扉を伊織が蹴り飛ばす。

 老朽化著しい扉は、いともあっさりと壊れて扉丸ごと内側に倒れる。

 伊織の一言で嫌なことを想像してしまった他の3人はできるだけ離れた位置でそれを見守る。

「っと、それじゃお宅はいけ~ん! ……意外に片付いてるな」

 気にする様子もなく中に入った伊織の言葉に安心してリゼロッド達も部屋に入る。

 

 部屋の大きさは6畳ほど。

 使用人が居室として使えるように簡素なベッドと机、キャビネットが置かれていたようだが、それらは全て部屋の隅に寄せられて、代わりにいくつもの木箱が積まれていた。

「……誰かが倉庫として使ってたみたいね」

「アラベナ商会が倉庫代ケチって勝手に使ってた、とか?」

 英太が自分でも信じてない風に呟くが、それに対する反応はない。ちょっと寂しい。

「中身は何かしら? ちょっと開けてくれる?」

 リゼロッドの興味は荷物の中身に移っているらしく、伊織は手前にあった木箱を床に置き、釘で打ち付けられていた蓋を強引に引っぺがす。

 

 中に入っていたのは湿気や破損防止のためと思われる干し草と、それに覆われるように置かれていたいくつもの包みだ。

 包みは麻布と和紙の中間のようなもので、それを開けると茶褐色の羊羹のような、大きさは『お腹が空いたら○○ッ○ーズ♪』で有名なチョコヌガーとほぼ同じくらいの棒状の塊が数十個まとめられていた。

 どうやらこの箱は全て同じもので占められているようだが、伊織達にはこれが何かはわからない。

 だが、こちらの世界の住人であるリゼロッドには思い当たるものがあったらしく、手にとって匂いを嗅いだ途端に表情を厳しいものに変える。

 

「人の家にとんでもないもの持ち込んでくれたわね」

「ってことは、これが何か知ってるんだな?」

「ええ。といっても一般の人で知ってる人は少ないわね。薬師や治癒師、錬金術師と治安関係者なら仕事柄だれでも知ってる代物よ。あとは悪党ね」

 そこまで聞けば正体は予想できる。地球でいう“麻薬”に相当するものなのだろう。

「ある樹木の胚珠はいしゅを乾燥させてから磨り潰して蜜蝋に混ぜて固めたものよ。口に含むと感覚が鋭敏になってもの凄い多幸感を感じることができるらしいわ。でも、無くなると反動が一気に押し寄せて、連続で数日も使用すればそれなしでは生きていられなくなる。

 『ルス・アーラ』って名前で、元々は戦場で兵士を鼓舞するために作られた薬よ」

 

 スペイン語的に解釈するとルスは『光』アーラは『翼』という意味に受け取れるが、地球でもドラッグの類はそのような俗称が付けられることが多い。言語が違うので単なる偶然なのだろうが。

 効果からすると、南北アメリカ大陸で問題になっている、コカインをベースに作られている『悪魔の薬』“クラック”と酷似していると言えるだろう。

 地球においても麻薬は社会秩序を著しく破壊しかねない危険なものとして多くの種類が規制されているし、日本は特に厳しい規制を布いていることで知られている。

 

 ちなみに余談になるが、昨今『大麻を禁止している国は先進国では日本くらいだ』などと主張して大麻を合法化するべきだと言っている有名人が多数メディアに取りあげられているが、これは大嘘である。

 今でも大麻を完全に合法としている国はごく少数しかなく、ほとんどが医療用での使用を認めているに過ぎない。オランダやポルトガル、スペインなどは大麻が合法と言われているが、厳密には『違法ではあるが起訴はしない』というもので、ヘロインやコカインなどのハードドラッグに走る人を抑制するための手段として大麻などのソフトドラッグの使用を緩和するという政策なのだ。

 アメリカにおいても完全に合法としている州は1/3に留まっている上にそもそも連邦法ではいまだに大麻使用は違法のままだ。

 だから大麻を吸いたい人の主張を真に受けると恥ずかしい思いをするのできちんと調べてからにしましょう。うん。

 

 話を戻す。

 リゼロッドの話では、このルス・アーラという薬物はこのバーラだけでなくオルストにおいても使用、所持、製造、販売が一部の許可を受けた研究機関以外では全面的に禁止されているもので、規制されている中でも依存するまでの期間の短さや禁断症状の激しさ、中毒性、薬物切れの時の凶暴性の発露などが特に問題となっている代物らしい。

 ただ、どこの世界でもブラックマーケットというのは存在しているものだ。おそらくアラベナ商会は噂によって衛兵が何度か調査をおこなっており、それを警戒して位置的に利便性が高く完全に放置されていたこの宿舎を倉庫代わりにしていたのだろう。

 

 伊織とリゼロッドは他の部屋も確認してまわるが、他にも多くの種類の販売を禁止されていたり、取引が規制されている、いわゆる『御禁制の品』で溢れていた。

 事ここに至っては伊織達では処理のしようがない。

 疑われる可能性もあるが、衛兵に届け出るしかないと結論づけて、英太を護衛兼運転手としてリゼロッドが衛所まで出向くことになった。

 すぐに衛兵による調査がおこなわれ、御禁制の品々も無事に押収されていった。

 リゼロッドとメリンダの証言と現場の状況から、幸いにもリゼロッド達が処罰されることはなさそうだ。

 ただし、敷地を含めた屋敷の管理をきちんとするように少々の注意を受けてしまったのだが、これはまぁ仕方のないことだろう。

 

 

 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!!

 騒動が落ち着き、遅い昼食を摂ったリゼロッド達がようやくリビングで寛ぎはじめた直後、屋敷の玄関がかなりの勢いで叩かれた。

「もぅ、今度は何なのよ」

 ただでさえ対人スキルが高いとは言えない引きこもり研究者気質のリゼロッドは衛兵相手のやり取りで疲弊している。そこにきて今度はかなり乱暴に扉を叩く訪問者である。

 不機嫌そうに眉根を吊り上げて文句を垂れたとしても無理もないだろう。

 とはいえ、無視するわけにはいかない。

 メリンダが給仕の手を止めて玄関へ向かおうとするのを香澄が押し留める。

 アラベナ商会の件もあるので不用意にメリンダ独りに対応させるわけにはいかない。ということで、結局全員で玄関まで向かうことになった。

 

 ドンドンドンッ!

「少々お待ちください!」

 いまだに叩き続ける訪問者にメリンダが声を張り上げると、意外にもあっさりと大人しくなった。

 念のためファイブセブンのグリップに手をかけながら香澄がメリンダの横に並び、扉を英太が開ける。

 そこに立っていたのは針金のように太く短い髪と髭面、伊織よりも拳一つ分は上背があり広い肩幅と太い首、袖のないシャツから伸びる腕も女性の太股ほどありそうな屈強な男だった。

 まるでファンタジーに出てくるドワーフを大男のサイズまで引き延ばしたような外見のその男は、肩で大きく息をしている。

「メ、メリンダ! 無事だっか!!」

 そして不安げに屋敷の内部を見渡し、その中に目当ての人物を見つけるやもの凄い勢いで距離を詰める。

 あまりの勢いと、害意のなさそうな様子に香澄と英太の反応が遅れるが、幸い駆け寄った男はメリンダの前で立ち止まると、僅かな異変も見逃さないとばかりにしげしげとメリンダの姿を見つめ、そしていきなり膝を付いた。

 

「ハ、ハバリー、どうしたの?」

「仕事をしてたらベーダのババアがメリンダが無法者に襲われて、シェリナグ家に運ばれたって聞いて、慌てて頭領に許しをもらって走ってきたんだ。良かった、無事で」

 細身で中背のメリンダと、縦も横も厚みも十分な厳つい男がお互いの目を見ながらやり取りするのを呆気にとられてみる一同。

「あれ、私達のことまったく目に入ってないわね」

「リゼロッドさんの知ってる人ですか?」

「う~ん、みたことない、かも? メリンダちゃんの知り合いみたいだけど」

 

 しばらくしてようやく立ち上がったハバリーと呼ばれた男性がリゼロッド達に気がつくと、慌てて頭を下げた。

 まぁ、家主をガン無視して使用人とイチャコラしてたんだから失礼と言えばこの上なく失礼なのだが、リゼロッドはそのような事を気にするような性格ではない。

 それよりもメリンダとかなり親しげな様子から、以前に結婚に関して言葉を濁していた相手ではないかとあたりをつける。

 

 女性としては色々と終わっている感のあるリゼロッドだが、そうはいっても女は女。他人の色恋話には首を突っ込みたくなるのは本能なのである。

「とにかく、玄関先で話すのもアレだから、リビングに行きましょうか」

 隠しきれない好奇の色をありありと目元に浮かべながらリゼロッドが促すと、ハバリーは素直に頷き、メリンダはもの凄い嫌そうな表情を浮かべながら渋々後に続いたのだった。

 

 改めてリビングのソファーに腰を落ち着けた面々に、お茶を淹れるという名目で席を立とうとしたメリンダを押し留め、代わりに伊織がどこからともなく人数分のグラスに、可愛らしいミツバチのイラストでお馴染みの某飲料メーカーの“はちみつレモン”を入れて配る。

 そして、気を遣ったのか関わり合いになるべきではないと考えたのか「んじゃ、ちょっと外に出てるから」と言ってその場を後にする。

 一瞬迷ったものの、女性ばかりの中で恋バナを聞かされても対応することはできそうにない英太も存在感を消しながら伊織の後を追った。

 

「えっと、あの?」

 唯一人取り残された男、ハバリーは当然逃げることはできず、事情を全て吐き出すこととなった。

 ハバリーはバーリサスの石工職人の家に生まれ、ごく当たり前に跡を継ぐために職人になった。メリンダの家とはそれほど離れているわけではないが、知り合ったのは10年ほど前らしい。

 メリンダと母親が一緒に市場で買い物に出かけた際、逃げていた引ったくりに突き飛ばされて怪我をした母親を、たまたま通りかかったハバリーが抱えて家まで送っていったということだった。

 

 それ以降順調に仲を育んだ、というわけではなく顔を合わせれば挨拶を交わす程度。

 職人の家で生まれ育ち無愛想で朴訥としたハバリーに、苦労性で家族を支えるために一生懸命なメリンダという、ある意味草食動物同士の組み合わせのために、互いにそこはかとない好意は抱きつつ、お互いに外見的なコンプレックスも加わって亀どころかナメクジにまで馬鹿にされそうな遅々とした歩み寄り。

 さらに、リゼロッドの屋敷で働くようになってからはろくに休みも取らずに働きづめで、年齢の後押しもあってごく最近になってようやく結婚を意識しはじめたところであった。

 ところが、今日になって仕事中にわざわざ街外れまでハバリーを探して近所に住む“ゴシップ大好きスピーカー症候群”の末期患者である果物屋のベーダおばさんが前日から今朝にかけての騒動を、それはもう見たこと聞いたこと予想推測願望妄想盛りに盛って伝えてくれたわけだ。

 

 ベーダおばさんの与太話は普段なら聞き流すのだがメリンダが関わっているとなればそうもいかない。

 信憑性はかなり疑わしいとは思いつつも不安になったハバリーは親方でもある父に事情を話して仕事を抜け、メリンダの家に行ってみたものの、中は慌てて逃げ出したかのような痕跡を残してほとんどの荷物がなくなっている。

 結局さらに慌てて、こうしてシェリナグ家に凸してきたというわけである。

 自分を心配しておこした行動を聞きながら、恥ずかしそうに、それでいてどこか嬉しそうな雰囲気を漏らしながら俯くメリンダ。

 最初は近所のオバちゃんよろしく根掘り葉掘り聞き出していたリゼロッドだったが途中からチラチラと漏れ出てくる甘々な空気に、だんだん『へぇ~、そぉ~、よかったねぇ~』とぞんざいな返しになり、しまいには渋柿をまとめて口に放り込んだような顔で黙り込んでしまった。

 やさぐれるくらいなら最初から聞かなきゃいいのにと思うのだが、一緒に聞いていた香澄も苦笑いに変わっているので、それだけアテられたということなのだろう。

 

「……俺は、厳つくて不細工だが、力と腕っ節にはそれなりに自信がある。家には親父も居るしゴロツキ程度なら何人来ようが追い払える……だから……うちに、きて、くれないか」

「あ、あの、でも、私はまだこのお屋敷辞められないし、私が辞めたら先生間違いなく数日で餓死するし、それか、ゴミで建物が腐ってしまうし、滞納してる給金だってもらってないし、その……」

「構わない。送り迎えは俺がするから、一緒にいて、ほしい」

「……えっと、私もここに居るんだけど、なに? 新手の嫌がらせ?」

「邪魔しちゃ駄目ですよ。まぁ、目の前でプロポース見るのってなにか居たたまれないですけど」

 目の前で展開されるメロドラマと言うには甘すぎるシーンに辟易としながら、今更この場を離れるにはわざとらしすぎるかと思って見ていることしかできない女2人であった。

(まさか、こうなることを予想してたんじゃないでしょうね)

 香澄は早々に出ていった伊織と英太をほんのちょっぴり恨むことで平静を保つことにした。

 

 

 

 

「くそったれが!!」

 ガシャーン! ガンッ! パリーン!

 その夜、一方のアラベナ商会の執務室では番頭であるビケットが荒れに荒れていた。

 手近にあった花瓶を壁に叩き付け、棚を蹴り飛ばす。

 報告に来た商会の使用人はその剣幕に怯えて部屋の壁際まで逃げて青い顔で震えている。こんな役割が回ってきたことを心底嘆いているであろうことは明らかだ。

 助けを求めるように奥のデスクで腕組みをする商会長ジゲムに目を向けるも、彼もまた使用人を射殺さんばかりに睨み付けていた。

(な、なんだって俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!俺が何したって言うんだ!!)

 内心で文句を言うのが精一杯だ。

 

「……シェリナグの敷地に隠していた品々が全て消えた。その報告に間違いは無いんだな?」

「は、はい。最初はいつもの者を使って調べさせました。敷地の外で様子を監視させていましたがその者に不審な点はありませんでした。しかし、その、あまりに重大な事だったために、危険を承知で監視の商会員も内部に入り……商品を置いていた部屋の扉が壊されており、商品の箱は全て消失して……ギャッ!!」

 目を合わせないようにうつむき加減で同じ報告を繰り返す使用人は、不意に額に走った激痛に悲鳴を上げた。思わず手を当てるとあっという間に血で染まる。

 どうやらジゲムから何か固い物を投げつけられたらしいが、そんなことが頭を過ぎるよりも早く、更なる痛みが今度は腹部を襲う。

 

「んなこたぁ聞いてねぇんだよ! ブツはどこに行ったんだ?! テメェは何で探しもせずにボケッと突っ立ってんだ!!」

 ガンッ! バキッ! ドスッ!

 ビケットに腹を蹴られて蹲った使用人を手にした棒のような物で何度も執拗に殴りつける。

 必死に身体を丸めて耐えていた使用人も、次第に力を失いやがて完全に動かなくなった。

「チッ!」

 ガッ!

 忌々しげに使用人の頭部を踏みつけるも、最早ピクリとも動くことはなかった。

 

「くそっ! 2000万ベニン(大銀貨1000枚)がパーじゃねぇか! あのババァ、ぜってぇ許さねぇ! それに、一緒にいるって男達もだ!!」

「落ち着けビケット」

「けど親父!」

 制止する父親に思わず振り向いて反論しようとしたビケットだったが、自分に劣らず怒りの形相で顔を紅潮させているのを見て口ごもる。

「……確かに商品を失ったのは痛い。シェリナグの小娘も忌々しい。だが、今は次の取引を成功させねばならん。それに、商品が押収されたとなれば衛兵も目を光らせているだろう」

「…………わかったよ」

 怒りに震えながらも何とか堪えてみせるビケットにジゲムは重々しく頷いた。

 

 リゼロッドの屋敷を監視していた者から『結界が解除された』と報告を受けたのは昼過ぎのことだった。

 すぐに動きたかったのだが、忌々しいことに雇っていたチンピラが商会の正面に繋がれ、その上シェリナグの使用人を拉致しようとしたことを体中に書かれていたために衛兵が駆けつける事となったのだ。

 さらにいったいどのような技術で作られた物か、チンピラを拘束していた金属でできた紐のようなものは異常なほどに強靱で、鋼のタガネを使ってもなかなか切ることができず、商会の壁に貼り付けられた輪の付いた鉄板もどうやっても剥がすことができなかったのだ。

 結局衛兵が駆けつける前にチンピラ達を解放することもできず、多くの見物人にまで目撃されることとなった。

 

 もとよりチンピラ達の証言以外に証拠を残していなかったために衛兵の追及をかわすことはできたものの、終始疑いの目が晴れることはなかった。

 さらに、何とか人を割いてシェリナグの屋敷を確認させたときには既に時は遅く、保管してあった商品は全て無くなっていた。

 錬金術師であるシェリナグの娘ならそれがどのようなものかすぐに知れる。当然迷うことなく衛兵に通報して押収された事は間違いない。

 チンピラ達の騒動もあり、確実にアラベナ商会には疑惑の目が向けられる。

 ジゲムも政府高官や衛兵に賄賂を贈り、女を抱かせたり弱みを握ったりして繋がりを作っている者はそれなりの数いるが、全部もみ消すことができるほどの権力を手にしているわけではないのだ。

 

 これまでも度々様々な理由で衛兵に目を付けられていたジゲムは、衛兵の監視が緩く、商会からもそれほど離れておらず、さらに人の目に付きづらいという場所、すなわち、ほとんど廃墟となっていたシェリナグ家の敷地にある使用人宿舎に目を付けたのだ。

 見立て通り、何年も人が入ることもなく放置されていた宿舎は理想的な保管場所だった。

 裏側の通りから人の目に触れることなく出入りでき、保管場所の広さも充分にある。

 実際、商会と何の繋がりもない家に疑いの目が行くことはなく、目論見通りの効果があったのだ。

 だが、それは3ヶ月前、突然魔法結界が張られて一切の出入りができなくなるまでのことだった。

 

 無論ジゲムとしてもただ手をこまねいていたわけではない。腕の良い魔術師や錬金術師を金に糸目を付けずに雇い結界を解除させようとしたし、解除できたらすぐに商品を移動できるように保管場所も用意した。

 さらに本格的に解除に取り組めるよう、相場よりも高い金で屋敷の使用権を買い取ろうとまでしたのだ。

 だが結局リゼロッドは首を縦に振らず、脅迫するために唯一の使用人を拉致しようとしたが、これも失敗に終わった。

 そして最悪なタイミングで結界が解除され、保管してあった商品は全て衛兵に押収されてしまったのだ。

 

「今回のことは痛手ではあるが致命的というほどではない。我が商会はまだまだ十分な資金があるし、顧客も抱えている。それに、次の取引が成功すればある程度は損失も取り戻すことができる」

「ああ、わかってる。親父の指示通りの場所に倉庫も作ったしな」

「建設させた職人はどうした?」

「安心してくれよ。ひとり残らず埋めてあるぜ。穴を掘ったのもそいつらだけどな」

 話しているうちにようやく気持ちも落ち着いてきたのか、ビケットは不敵にニヤリと笑いながら説明する。

 それを聞いたジゲムもまた余裕を取り戻していた。

 

「次の商品の売り先は粗方決まっている。その中には中枢で役を受けている貴族もいるのだ。絶対に失敗するわけにはいかんぞ」

「ああ。俺が直接出向く予定だし子飼いの連中で動けるのは全部連れて行くつもりだ。心配いらねぇよ」

 満足そうに頷くジゲム。

 2人はさらにその次の取引について話し始めた。

 

 

 

 ガラガラガラガラ……。

「ちっ! いつもの事ながら嫌な仕事を押しつけやがって」

「愚痴るな愚痴るな。その分明日は昼からで良いんだし、一杯飲める程度の手当ももらっただろ?」

「こんな時間にどの店がやってるってんだよ! くそっ! さっさと終わらせて帰って寝るぞ」

 片手に持ったランタンで前を照らしながら荷車を引いている2人組の男が小声で言い合いながら真っ暗な街道を海に向かって歩いている。

 大八車のような形状の荷車の上には大きな麻袋のようなものが3つ・・乗せられている。

 

「に、してもよぉ、毎度毎度こんなんじゃ気が滅入るぜ」

「まぁな。また会長と番頭の玩具・・が2人と、もう一つは例の報告した使用人だってな?」

「上の連中は良いよなぁ。会長の機嫌が良いと飽きた玩具をもらえることもあるんだろ?」

「良いもんかよ。ほとんどぶっ壊れてるって話だぞ? 俺は手足ちぎられたりボロボロになって気の狂った女なんか抱きたいと思わねぇよ。それに幹部になったら今度は会長や番頭の気分次第でいつコレ・・みたいになるか分かったもんじゃねぇさ」

「……結局、下っ端が一番ってか? 夢がねぇな」

 

 不安を煽る闇を誤魔化すように会話を続けながら、男達は街から離れた海岸に到着する。

「足元気を付けろよ。崖から落ちたら海に沈んで浮かんでこれねぇぞ」

「わかってるって! 前にそれで死んだ奴がいるってんだろ? こんなところで死ぬ気はねぇよ。それよりそっち持ってくれよ」

「おう。くそっ、重いな」

 男が麻袋を引っぱるが、結構な重量なのか、2人がかりでもなかなか持ち上げることができない。

 

「おぉ~、大変そうだなぁ、手伝おうか?」

「「?!」」

 男達は突然背後からかけられた声に飛び上がらんばかりに驚いて振り向いた。

 その瞬間、凄まじい光が男達の顔に浴びせられる。

「だ、誰だ?!」

 光から逃れるように片眼を瞑り、もう片方を手で護りながら光の方に向かって声を張り上げる。

 

 キンッ、シュボ。ジィ~。

 金属音と共に小さな炎が上がり、葉巻のような物に火を着ける男の顔が浮かんだ。

 無精髭で不敵に笑みを浮かべた男の姿が見て取れる。

「ちょぉ~っと、その荷物について聞きたいんだけど、良いよな?」

 そう言って男、伊織は笑みを深めた。

 

 

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