第20話 悪徳商会と地上げの理由

 コンコン、コンコン。

 ノック、というには少々強めにドアを叩く音に、大きなベッドに横たわっていた男が身動みじろぎする。

 その傍らにはまだ年端のいかないと表現するような少女が横になっていたが、男が動くとビクッと大きく身体を震わせる。

 

 再びドアを叩く音が鳴ると、だらしなくでっぷりと太った身体と酷薄そうな唇、神経質そうな目をした男が舌打ちと共に身体を起こした。

 そして乱暴に掛布を跳ね上げると少女は飛び退くようにベッドから降りて床に這いつくばる。

 少女は一糸まとわぬ全裸であり、さらにその身体には無数の痣や何かで叩かれたような腫れが見られた。

 昨夜ここでどのようなことが行われていたのかその表情からも容易に察することができる。

 

 男は立ち上がりざま、足で少女の肩を蹴り飛ばすと仰向けに倒れた少女の腹を踏みつける。

「ぐぅ、た、助け、お、お許しくだ、うぁぁぁ!」

 いまだ未成熟な身体、細い手足で必死になって男の足から逃れようと藻掻くが、少女の数倍は体重がありそうな男からは逃れることができない。

 やがて、苦痛のあまり少女が失禁してしまったことでようやく男が足を引く。

 男の足が退かされてもすぐに動くことができない少女の細い太股を蹴りつけ、「綺麗にしておけ」と言い捨てると、男はバスローブのようなものを羽織り、ドアを開けた。

 

「申し訳ございません旦那様。ビケット様が火急の用があると、応接間でお待ちでございます」

 初老の執事が頭を下げながら男にそう告げる。

 けっして身体を起こすことなく、男の顔にも目を向けない。そしてその額には冷たい汗が滲んでいた。

 男が他人に睡眠を邪魔されることと嫌っていることを知っているのともう一つ、男の機嫌次第でどんな目に遭わされるかわからないからである。

 それは数年来使用人として男に仕えているこの執事とて例外にはならない。

 とはいえ、男の息子であり、男の商会で番頭を務めるビケットが呼んでいるとなればそれを伝えないわけにはいかない。でなければ確実に男の怒りを買うだろうからだ。

 

「ふん、ビケットか、まぁいい」

 幸い男の機嫌はそれほど悪くなかったらしい。

 執事が一礼して踵を返そうとしたタイミングで男が呼び止めた。

「おい、そろそろ別の娘を用意しておけ。今の奴は反応が鈍くなったからつまらん。まぁ、用意できるまではせいぜい遊んでやるがな」

「……かしこまりました」

 男の言葉に一瞬顔を引き攣らせかけるが何とか平静を保って頭を下げる。

 近いうちにあの少女は無残な姿を晒すことになるのだろう。

 その後処理を行わなければならないことにこの初老の執事は暗澹たる思いを感じずにいられない。

 それがわかっていながらも新たな犠牲者を探さなければならないことも。

 

 男が応接間に入ると、ソファーに座っていた20代くらいの男が弾かれたように立ち上がり男に駆け寄った。

「お、親父、大変なことになった!」

 男、ビケットの様子に男は眉を顰める。

「会長と呼べと言っているだろう。それで? なにがあった」

「例の偏屈錬金術師の屋敷を手に入れるために雇ったチンピラが失敗しやがった! それで商会の前にそいつ等が晒されて、衛兵まで来てるんだ」

「なんだと?!」

 ビケットの言葉に、父親でありアラベナ商会の会長であるジゲム・アラベナの顔色が変わった。

 

 

 

 時間は少し遡る。

 メリンダを家まで送っていく途中で男達の襲撃を受け、あっさりと撃退した英太達だったが、だからといって、はい一件落着とはいくはずもない。

 リーダーらしき男を尋問した後、香澄が小型無線機トランシーバーで伊織に連絡を取った。

 すぐに向かうと返答があり、そのまま待っていると現れたのは窓に金網とかが取り付けられた囚人護送車だった。

 マイクロバスタイプで大きさはそれほどでもないが、運転席とその後部に警察官を乗せる区画があり、その後ろ側に金網に仕切られて収監予定者や被疑者を護送するスペースがある。

 当然内側から開けることはできないので乗せてしまえば逃走防止は完璧である。

 

 そして何故か、助手席にはリゼロッドの姿もあった。

 聞けば、『こんな面白そうなの、見ないわけにはいかないわよ!』とのこと。

「伊織さんってさぁ、いったいどんなことを想定してこんなの用意してたんだろ」

「知らないわよ。でも考えない方が良いんじゃないかって最近思ってる」

 疲れたように苦笑いする高校生2人をよそに、伊織は昏倒していた何人かの男を文字通り叩き起こして事情聴取(尋問)を行い、命令したと思われるアラベナ商会についてリゼロッドやメリンダに確認した。

 

 そして、一通りの状況が把握できたところで、今度は男達を全員護送車に放り込むと、今後の対応について提案を行った。

「と、いうわけで、相手の目的ってのはイマイチよくわからないが、使用人を拉致までするくらいだから、とにかく安全を確保しておいた方が良い。

 リゼ、メリンダちゃんとお袋さんを落ち着くまで屋敷に住まわせたらどうだ?」

 いつの間にそこまで親しくなったのか、リゼロッドを愛称で呼びながら伊織が提案する。

「もちろん良いわよ。っていうか、大歓迎ね。メリンダちゃんを攫うってことは私と私の生活を脅かそうとする敵ってことよ。絶対に守ってみせるわ!」

 

「良い事言ってる風ですけど、自分の面倒見てくれる人が居なくなったら困るってことじゃないですか! まぁ、いいですけど。

 でも、今はあの屋敷で使える部屋は他にありませんよ? まさかお客様に相部屋お願いするわけにもいきませんし」

「あ~、それなら問題ないぞ。俺達は自前の部屋があるし、敷地を使わせてもらえるならそれで充分だしな」

 実際、寝泊まりするだけならキャンパーがあれば事は足りる。むしろ気を使わないで済む分楽とすらいえるだろう。

 

「で、でも……」

 それでもメリンダはまだ踏ん切りがつかない。

 それも当然なのだが、実際に襲われたのもまた事実。

 もしかしたらリゼロッドの屋敷を辞めれば今後はこういった事に巻き込まれることがないのかもしれないが、それとて確証があるわけではない。

 それにリゼロッドに感謝しているのも確かだし、あの生活破綻者がメリンダが居なくなってまとも暮らしが続けられるとも思えない。

 結局しばらく逡巡したものの、同居している母親と共にメリンダはリゼロッドの屋敷に滞在することになった。

 

 英太と香澄がメリンダと一緒に貴重品やある程度生活できるだけの荷物をまとめている間に、伊織の方は護送車に放り込んだ襲撃者達を特殊鋼製のワイヤーで右手首と右足首、左手首と左足首を結びつけてステンレス鋼のかしめ金具でしっかりと固定。さらにそのワイヤーに別のワイヤーを通して他の襲撃者に繋げるという念の入れようだ。

 次いで、伊織は大ぶりな裁ち鋏で襲撃者の衣服をジョキジョキと切り始める。

 さすがは京都の老舗メーカーの逸品である。

 素晴らしい切れ味であっという間に全ての衣服が切り裂かれて真っ裸の襲撃者達。

 強面と粗暴さを武器に風を切って繁華街を歩いていた男達も形無しである。

 ついでに刺青にも使われる特殊な染料で男達の顔や胸にちょこちょこと落書き。メーカーが1週間~10日は色が落ちないと豪語しているので当分はこのまま維持されるだろう。

 抵抗しようとした者もいたが、その都度容赦なくOHANASHIし、英太達が戻って来た頃には作業を完了させていた。

 ただ、目が汚れるので見せないように仕切りに布を被せておいたのでセーフである。

 

 それからまずはメリンダとその母親をリゼロッドの屋敷に送り届け、万が一のことを考えて香澄が残る。

 そして次に護送車のままアラベナ商会の前まで行き、襲撃者達を護送車から蹴り出す。

 全員が短いワイヤーで繋がれているために一塊になって転がり落ちた。

 まともに受け身を取ることすらできず野太い悲鳴がいくつも上がったが、伊織はもちろん英太も一切気に止めない。

 

 遅くまで仕事をしていた者も居たらしく、商会から騒動を聞きつけて数人が表に出て来たが、あまりに堂々と行動しているとかえって声を掛けることができなくなるもので、それをいいことに伊織達は悠々と作業を続けた。

 伊織と英太は襲撃者達を商会の入口のすぐ脇まで引きずって持っていくと、次に取り出したのは30センチ四方の鉄板の中央に鉄の輪が付いたものだった。

 伊織はそれにたっぷりと石材用の接着剤を塗りつけてから商会の石壁にペタリ。

 加熱硬化型エポキシ樹脂系接着剤なので英太に支えさせながらトーチタイプ(小型のガスボンベの口に取り付けるタイプのもの。ガラス細工や料理の表面焦がしに使われることも)のガスバーナーで加熱ししっかりと圧着させ、鉄の輪にワイヤーを通して襲撃者を繋ぐ。

 並ばせた反対側にも同じように取り付けて作業は完全終了した。

 

「あ、あの、あなた方はいったい? その人達は?」

 恐る恐る声を掛けてくる商会員に伊織はニッコリと微笑むと、

「犬が粗相をしたんで飼い主に届けに来ただけだ。しっかりと繋いでおくから気にするなと伝えてくれ。さて、んじゃ帰るか」

 やることやったら後は用はないとばかりに護送車に乗り込んで伊織と英太は颯爽と立ち去っていったのだった。

 

 

「では、この道具はお預かりします。ただ、お気持ちはわかりますが、今後は同様の事があった場合は衛所に連絡をください」

「ええ。今後はそうさせていただきます。何かわかったら教えてください」

 リゼロッドが衛兵を見送る。

 あの後、アラベナ商会の前では大層な騒動になったらしい。

 まぁ、バーラでも有数の大商会の前に繁華街のチンピラグループの1つが全裸で繋がれていれば騒ぎにもなるだろう。

 おまけに、伊織が男達の顔や身体に書いた落書き、つまり、『私達はアラベナ商会の命令で女性を誘拐しようとしてたった2人に返り討ちに遭いました』『必死に命乞いしたのでこうしてます』という文言を簡単には落とせない染料で書かれた状態を集まった人達に粗末なモノと共に見られまくっていたわけだ。

 

 今後この王都で大きな顔をすることなどできないだろうし、バーラの商人が出入りする街や国でもコソコソと隠れて生活する羽目になるのは間違いない。

 かといって逆恨みで報復するには完全に心が折られているのでそれも無理だ。

 ただ、命令したと思われるアラベナ商会は、チンピラの証言以外に証拠となるものはない以上、罪に問うのは難しい。だが、それは最初からわかっているので問題ない。

 今回のことは単なる警告と嫌がらせのためにしたことだ。

 

 騒動を聞いて衛兵も駆けつけ、商会に対して事情聴取をおこなったものの認めるはずもなく、チンピラの証言を基にリゼロッドからも事情を聞きたいと衛兵が訪ねてきたというわけである。

 その際に、襲撃の男達を縛り付けているワイヤーを外すことができず、かなりの時間をかけてもたった1本しか切断することもできていないと愚痴をこぼしていたため、既に不特定多数の人に見せるという目的を達していた伊織がワイヤーカッターを貸したのだった。

 

 衛兵を見送ってから屋敷に戻り、扉を閉めた途端リゼロッドが爆笑する。

 堪えていた分、より反応が激しくなったのか腹を抱えて玄関ホールの床を転がっている。

「あ、あははは、いや、イオリ、あなた達最高!」

 英太と香澄にとっては嬉しくもない褒め言葉であるが、当の伊織はどこ吹く風である。

 

「えっと、結局、あの商会がメリンダさんを誘拐しようとしたのはこの屋敷を手に入れるため、なんだよな?」

「今のところの話だとそれが一番可能性が高そうだけど、ここの土地とか屋敷って、何かあるんですか?」

 リゼロッドの笑いの発作が治まるのを待ってリビングに移動した面々。

 今後の対応を協議するために集まったのだが、まず英太が口火を切って疑問を投げかけ、香澄がそれに続く。

 

「う~ん、確かにここは富裕層向けの区画だからそれなりの価値はあるはずだけど、他に場所がないわけじゃないし、そもそもバーリサスの土地は全て王家の所有だしね。私達は土地の使用権を期限付きで借りているだけなのよ。

 まぁ、借りると言っても建物を自分達で建てるわけだから長期間の使用を認められているし相続することもできるんだけどね。

 それに使用権の売買は基本的に役所の審査が入るから絶対に認められるとは限らないのよ。

 だからアラベナ商会が要求してたのは正確には使用権の譲渡ではなくて貸し出しなのよ」

 

「商会をここに移転するつもりなんですかね?」

「この区画は住宅の使用以外は駄目なのよ。といっても住宅として利用しているなら敷地内に倉庫や農園、小規模の店舗くらいなら作っても問題ないんだけどねぇ。

 だから正直、脅迫してまでここの屋敷や土地を手に入れても意味ないはずよ」

「ただ、アラベナ商会はあまり良い噂を聞きません。禁制品を扱っているとか人身売買をおこなっているという噂が以前からあって、何度か商会を衛兵が立入調査していると聞いています」

 首を捻るリゼロッドにメリンダがそう補足する。

 

「ってことは、ここの建物もしくは土地に何か目的のものがあるのかもな。少し敷地を調べてみてもいいか?」

 黙ってやり取りを聞いていた伊織は、少し考える素振りを見せてからリゼロッドに訊く。

 昨日この屋敷を訪れて一昼夜滞在しているものの、門から玄関、建物内の一部、それから寝泊まりするためにキャンピングトレーラーを設置した前庭しか伊織達は見ていない。

 

 メリンダが毎日朝から夕方まで仕事をしているにもかかわらずほとんどの場所が放置されていることからもわかるようにこの屋敷と敷地は相応に広い。面積でいえば日本の一般的な地方都市の小学校よりも少し小さいくらいはあるだろう。

 研究者として膨大な資料を有し研究や実験である程度の敷地や部屋が必要だということを加味しても、どう考えても独身女の独り暮らしには広すぎる。

 一研究者の住まいとしては分不相応なのだが、元々は100年ほど前にこの国の王太子が難病にかかり、王宮内はもとより国内のあらゆる治癒師や薬師を総動員しても一向に回復しなかったそうだ。

 

 そんな折、当時まだ若年の魔術研究者であったこの家のご先祖様が遺跡から発掘された文献を解読していたところ王太子と同じ症状の病気に関する記述を見つけた。

 そこには病気の原因や詳しい症例、それに治療法も書かれており、ご先祖様はそれをすぐさま王宮に報告した。

 結果として、王太子の病気は回復し、それを大層喜んだ国王からこの屋敷を下賜されることになったらしい。おまけにそれなりの金銭も恩賞として渡された。

 だが、魔術研究や遺跡研究などというものはお金を生み出すものではない。むしろ真逆の金食い虫といえる。

 名を上げたことで多少は実入りの良い仕事が増えたご先祖様の時はまだ使用人をそれなりの数雇うことができていて良かったらしいのだが、リゼロッドの祖父の頃には蓄えはほとんど使い果たして使用人も激減。父親の代になってからはほとんど屋敷も敷地も手入れができずに荒れ放題、現在に至っている。

 

 リゼロッドの返答はというと、

「そうねぇ、んじゃ行きましょうか」

 どうやら一緒に見回りをするつもりらしい。

 とはいえ、伊織達に異論があるわけもなく、昨夜の酒盛りの片付けをするというメリンダを残してリゼロッドと伊織達3人は屋敷を出た。

 ちなみにメリンダの母親は以前患っていた病気の影響で外に働きに出るのではなく、仕立屋の下請けとして縫製の内職をしており、その道具類も持ち込んでいる。

 事情を知ってリゼロッドに恐縮しきりだったが当面屋敷に移り住むことには同意してくれていて、ここでも内職の仕事と時間があるときはメリンダの手伝いをすることになっているらしい。

 父親はというと、王都ではなく近隣の村の開拓という出稼ぎ労働をしているので帰ってくるのは10数日に一度くらいだという話だ。

 

 

「……いや、予想よりも、その」

「……この家自体がまるで遺跡みたいね」

 伊織達が屋敷の玄関を出て前庭を通り、建物の裏手に出る。

 そして見えてきた光景を端的に表したコメントが高校生コンビの口から思わず零れる。

 屋敷や前庭の状況から想像はしていたが、実際に見てみると荒れ具合は尋常ではない。

 さすがに所構わず木が生い茂っているとまではいかないが、それでも雑草はいたるところで伸び放題、屋敷の裏側には蔦系の植物が地面から壁に沿って屋根部分までビッシリと張り付いているし、屋根や壁、窓の鎧戸も所々破損して穴が開いている。

 最初にこちら側から屋敷を見たら間違いなく廃墟だと思ったことだろう。

 

「無駄に広いからメリンダちゃんも手が回らないのよ。とりあえず人が通ったり表から見える範囲だけは頑張って整えてくれてるけど他はほとんど手付かず。屋敷だけは何度か修繕したけどね」

 明後日の方を向きながらリゼロッドが言い訳するが、確かにこれでは手のつけようがないだろう。むじろ表側が何とか屋敷の体裁を保てていることにメリンダの懸命な努力が伺える。

「こりゃぁ依頼金全部つっこんでも直せるかどうかだな」

 さすがに伊織も苦笑いだ。

「でも伊織さん、草が酷すぎて調べるっていっても」

「まぁ、それは後で何とかするか。大型草刈機出せばそんな掛からないだろ。とりあえず建物から見てみよう」


 かつては立派な庭園が広がっていたのであろう裏庭の奥側にはいくつかの建物が見える。

「右側の建物は昔使用人達の宿舎として建てられたものらしいわね。父の頃から使ってないから私も中に入ったことないわ。その隣のは倉庫ね。中はほとんど空っぽだけど、そこだけは時々私が実験とかに使っているの。ただ、ねぇ……今はどっちも入れないのよ」

 倉庫の方に向かって歩きながらリゼロッドはそういって肩を竦めた。裏庭の惨状に関しては開き直ったらしいが、最期だけは言葉を濁す。

 

「? 入れないって?」

「……これって、魔法結界?」

 言葉の意味を図りかねて聞き返す英太と、建物の方を見て何かを感じた香澄。

「確かに魔法結界だな。中心は……倉庫か。宿舎まですっぽり覆ってんなぁ。けど、誰も居ないのになんだって結界張ってんだ? しかもこれ、外から干渉できないタイプだ。特定の波長の魔力だけが通れるってパターンの奴だな。多分、鍵になる魔法道具みたいなものがあるはずだけど」

 フィッ。

 結界を張ったであろうリゼロッドの方に伊織と香澄が目を向けると、視線から逃げるように目を逸らす。

 

「……ひょっとして」

「……入れない、とか?」

「……マジ?」

 ジト~。

 必死に空中の酸素原子を探すかのように虚空を見つめるリゼロッドに3人の視線が突き刺さる。

 

「あ、あははは、えっとぉ、遺跡から見つかった文献に載ってた魔法道具を復元して、試しに起動してみたんだけどぉ……」

「結界を発生させる部分だけしか作ってなくて、解除できなくなった、と?」

 ありがちだけどやっちゃいけないタイプの失敗である。

 モノが結界だから周囲への影響は少ないが、周囲の環境に影響を与えるような道具だったら大変なことになっていただろう。

「た、多分、それほどの期間は持続しないと思うのよ! ほっとけばその内効果が切れて入れるようになる、はず、なんだと思うけど……」

「結界が発動したのっていつ頃なんですか?」

「……3ヶ月くらい前、かな?」

 額に汗を浮かべながら目を合わせることなく言い訳するリゼロッドに香澄が溜め息混じりに確認する。

 

「しゃあないな。とにかく結界を何とかしてしまおう」

「まさか、できるの?!」

 伊織は小さい方の異空間倉庫を開き、中からいくつかの道具のような物を持ってきた。そして、結界の境界近くに座り込むと道具を操作しはじめる。

 結界の性質上、外部から解除するのは相当困難なはずなのだが、解除できることが前提の言動にリゼロッドは驚く、が、香澄は相変わらず底の見えない伊織に慣れているのか特に反応しない。

 基本的に魔法分野では弟子扱いになっている香澄はもちろん、リゼロッドも興味深げにその様子を見守りつつ、時折質問をしながら伊織の結界解除を待つ。

 

 魔法適性がそれほど高くなく、直接戦闘特化の英太のほうはその間に周囲を調べることにした。

 指示されるまでボケッとしているようではいつまで経っても伊織の相棒にはなれないし、英太の本意でもないのだ。

 香澄ほどの感知能力はないものの、英太だって魔法が使えないわけではない。苦手な探知系の魔法を使いながら、伊織の邪魔にならないよう、結界に触れないように気を付けて迂回する。

 そして2階建宿舎の裏手側に回った英太だったが、そこで奇妙なことに気がついた。

 

 裏庭側にも敷地の境界に塀が建てられて全体を覆っているのだが、この屋敷の荒廃具合からしても当然ながらあちこちの塀が崩れかけたり穴が開いたりしている。

 そのこと自体は不思議でもないのだが、宿舎の裏口に近い位置の塀に人ひとりが充分に通れるほどの大きな穴が開き、そこから宿舎の裏口まで人が通っていた形跡がある。

 元々日当たりがあまり良くないのか背の高い雑草は少なく、タンポポとかクローバーっぽい草が芝生のように広がっていて、所々剥き出しの土が露わになっているのだが、塀と裏口の間は一直線に踏み固められて小道のようになっていたのだ。

 獣道というには幅が広いので間違いなく割と頻繁に人がこの穴と宿舎の建物を行き来していたように見える。

 

 リゼロッドやメリンダではないだろう。というか、塀の向こう側は路地になっているようだが、こんな場所を使う意味がない。

 となれば、一番可能性が高いのが、誰かがほとんど放置されていた宿舎の建物を勝手に使ったということなのだが。

「近所の子供が秘密基地でも作ってた、とかだったら話は簡単なんだけどなぁ」

 思わず独り言が零れるが、んなわきゃない。

 出入りしていた痕跡、結界発生装置の(道具じゃなくリゼロッドの)暴発と実験の時期とその直後からしつこく地上げをしようとしていたアラベナ商会。おまけに結界のせいで入れなくなった宿舎とくれば、『見た目は子ども頭脳は大人』の死神小学生や『じっちゃんの名』が掛からないと単なるお調子者な巻き込まれ高校生じゃなくてもその結末は見えるというものである。

 

 その後も周囲の状況を調べ、英太が戻ったのは小一時間ほど経ってからだった。

「おし! これでイケるか? おっ! ビンゴ!」

 ちょうどそのタイミングで伊織が立ち上がり、持っていた手の平大の装置のようなものをリゼロッドに手渡した。

 リゼロッドはそれを受け取ると、そのまま結界をすり抜け倉庫の中に入っていった。

 どうやら伊織がやっていたのは結界の鍵となる魔力波長を探り出し、それに合わせて同じ波長を出せるように装置を調整したということらしい。

 まるで凄腕の金庫破り職人のようだ。何より得意気な伊織のドヤ顔が非常にウザい。

 

 ほどなくして倉庫周囲を覆っていた結界が唐突に消失し、バツが悪そうにバレーボールほどの大きさの装置を片手にリゼロッドが倉庫から出て来た。

「やれやれ、何とか上手くいったか。商会が土地の利用権を買い取ろうとした時期を考えると、結界の範囲内に何かあると思うんだが」

 オッサンくさく腰を伸ばしたり肩を回したりしながら呟く伊織に、英太が宿舎の裏手で見たものを報告する。

 念のためリゼロッドにも確認したが、案の定彼女もメリンダも滅多に宿舎の方に行くことはなく、塀の穴の存在すら知らないということだった。

 

「んじゃ、商会が誘拐してまで手に入れたいか、それとも隠したいって代物とご対面と行くか」

 そう言って伊織は宿舎の建物へ足を向けた。 

 

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