第19話 地上げ屋?
コクッコクッコクッ。
コトッ、カラン。
「ふぅ~……コレ、凄いわね。とても酒精が強いのに芳醇な香りと豊かな味がある。これほどのお酒を飲んだのは初めてよ。それにこのガラスのコップとあり得ないほど透明な氷……生きてて良かったぁ!」
まさに至福! ってな表情でロックグラスに入っている氷をカラカラと回しながら呟く、というにはでかい声で言う。
「おっ、イケるねぇ~。もう一杯飲むか? それとも別のを試すか?」
伊織がウイスキーのボトルを掲げながら尋ねる。
交渉のためにテーブルに並べた数々の酒瓶。
サントリー山崎(ウヰスキー)、ニッカXO(ブランデー)、ポーランドのズブロッカ(ウオッカ)、タンカレーロンドン(ドライジン)、サウザブルー・レポサド(テキーラ)、クール・ド・リオン(カルバドス)、黒霧島(芋焼酎)、
まるでお酒の見本市のようなラインナップである。
対面に座る伊織の手には世界で最も飲まれているリゾートビールと呼ばれつつ、同じ名前のウイルスのせいで思わぬ災禍に見舞われている、瓶入りのコロナビールがある。
目の前の酒を一緒に飲んでは報酬じゃなくなる、という意識があるのだろう。わざわざ別で用意したらしい。
妙な事に気を使う男である。飲まなきゃ良いだけだろうに。
そして、テーブルの上には他に伊織が提供したフライドチキンやピザ(ピッツァではない)、焼き鳥、チョコレート、スナック菓子がこれでもかと器に盛られて並べられている。
飲み物はミネラルウォーターやコーラ、各種果物ジュース、ウーロン茶がペットボトルごと。
完全に宴会メニューである。
いったい何しに来たのかと小一時間は問い詰めたい。
前回、リゼロッドが所有する遺跡及び古代魔法文明に関する資料を確認するために書斎兼研究室となっている部屋にリゼロッドと共に行った伊織だったが、その部屋には伊織の予想を良い意味で裏切る膨大な資料があった。
聞けば、古代魔法王国の研究は父親がライフワークにしていたものだったらしい。
物心ついた頃から、父親の語る魔法王国の話やその時代の遺跡の資料を見ているうちにリゼロッド自身も興味を募らせ、父親が亡くなってからはその研究を引き継ぎ、錬金術師として仕事を受ける傍ら、というか、生活できなくなるほど困窮すると魔法薬を作ったり魔法道具を作ったりして資金を貯め、ある程度するとまた研究に没頭するといった生活だそうだ。
そんな生活のほとんどを研究に注ぎ込んだ研究者の持つ資料が半端なものであるはずがない。
ただ、その分内容を精査するのは相当骨が折れそうである。
そして伊織側が引き替えに提供する資料だが、これは言わずもがなグローバニエ王国の宮廷からかっぱらってきたものだ。
主にグローバニエ王国にある遺跡を調べたもので、特に古代の魔法に焦点を当てている。
大銀貨200枚に加えて遺跡の資料。
リゼロッドの持つ資料の閲覧の対価としてはどうか。
伊織は惜しむことなく持参した資料(のコピー)を全てリゼロッドに手渡す。
『ふ~ん、誰が調べた資料かは分からないけど、結構しっかりしてるわね。できれば現地の遺跡を実際に見て差異を調べたいけど、これだけでも私にとっては充分に価値があるわ』
そう言ってリゼロッドは機嫌良く笑みを浮かべていた。
以前からグローバニエ王国の遺跡は調べてみたいと思っていたものの、なにしろバーラからはかなり遠い。その上、バーラはオルストと良好な関係を築いているため、グローバニエ王国は実質的な敵対国だ。
交易商人はそれなりに上手く付き合っているらしいが、さすがに研究者が現地に行ったところでおいそれと調べさせてはもらえないだろう。
それを考えるとリゼロッドにとっては計り知れない価値がある資料といえた。
それぞれがお互いの資料を見せ合いながら内容を紹介しているうちに、だんだん話は専門的なものになっていった。
リゼロッドは自身も魔術師にして錬金術師であり研究分野も古代魔法と魔法陣に関するものだし、伊織は伊織でこの世界でも元の世界である地球でもない全く別の世界で魔法に関する深い知識を得ている。
伊織に言わせればどこの世界の魔法であってもアプローチの方法や様式が異なるだけで本質的には同じものだ。
だからこそ、2人の話は双方が互いに非常に興味をそそられるものであり、意気投合したためについつい時間を忘れて話し込んでしまったのだった。
そして、まだ話し足りないのか、それとも酒の相手が欲しかったのか、リゼロッドは伊織達に泊まっていくことを勧め、特に予定もないし宿に荷物があるわけでもないのでそれに乗ることにしたというわけである。
そのことが決まったときには既に日が沈んでいたにもかかわらず食材の買い置きに余裕がないので買いに行ってくるというメリンダを引き留め、伊織が食事を提供することにした。
というか、内容的に食事というよりは“おつまみ”なのだが、2人とも見たことのない料理に目を輝かせながら見事な健啖家ぶりを披露していた。
……メリンダが『ひ、久しぶりのお肉ぅ!』と呟いていたのは誰もが聞かなかったことにする。
「酒場の噂話に聞いた異世界から人間を呼び出したなんて、てっきり眉唾だと思ってたけど、こんな
ポ○キーを齧りながら2杯目のサントリー山崎オン・ザ・ロックをグイッと飲み干しご機嫌なリゼロッド。
伊織も機嫌良く、味が混ざらないように新しいグラスに氷を入れてテキーラを注ぎ、空のグラスと交換する。
「くぅ~っ! こっちも美味しい!」
古代魔法の話題からいつの間にやら酒談義に内容を切り替えて盛り上がる大人2人である。
「あ~あ、すっかり仲良くなっちゃって」
「まぁ良いんじゃない? 伊織さんの様子だとそれなりに収穫があったみたいだし、古代魔法を研究しているっていうのなら仲良くなるに越したことはないと思うわよ」
一方、お酒を飲めない、というか飲んじゃいけない高校生コンビはとっくに腹を満たして今は大人組を横目にウーロン茶を飲んでいる。
2人は見ても理解できないために、資料の確認には同行していない。だが、戻って来た表情からリゼロッドが所有している資料が伊織の眼鏡に適うものであったことを察している。
先程までドン引きするくらい涙を流しながら料理を頬ばっていたメリンダは、我に返って自分の行動を思い出したのか、顔を真っ赤にしながらテーブルの空になった食器をテキパキと片付けながら誤魔化しているようだ。
とはいえ、各々が食事を終える頃には宵の口どころかすっかり夜も更けたと表現する時間に差し掛かっている。この屋敷に住んでいるわけではない彼女はさすがにそろそろ帰らなければならないのだろう。
というか、未婚の女性が仕事とはいえ出歩くにはかなり遅い。
集めた食器を厨の洗い場で水に浸けると、エプロンを外してリゼロッドに声を掛けた。
「先生、それでは私は帰りますので、食器は水に浸けておいてくださいね。
あの、お客様方のお部屋は食堂の左側の通路の奥に3部屋ご用意してあります。殺風景な部屋ですが寝具は常に綺麗にしていますのでご安心ください。
それと、とても美味しいお食事をありがとうございました。
私は2の鐘の前には来ますので、申し訳ございませんが、何かありましたらその時にお願いします」
そう言って頭を下げるメリンダ。
「え~?! メリンダちゃん帰っちゃうのぉ? もう遅いんだから泊まっていけば良いのに」
「いえ、家族にはなにも言ってきていませんでしたし、心配しているとおもうので」
ほろ酔い状態でご機嫌にグラスを傾けていたリゼロッドが頬を膨らませながら言うが、メリンダはそれをサラリと受け流す。
このまま居れば間違いなく酔っぱらったリゼロッドの介抱までする羽目になる。どうせ片付けをメリンダがしなければいけないのは確定しているのだから、これ以上余計な仕事をしたくないのだ。
どうせなら初めて口にした異世界の美味しい料理でもたらされたささやかな幸せを感じながら一日を終えてしまいたい。
「そっか。今日はありがとう。また明日、かな? といってももう結構遅いな、英太、香澄ちゃん」
「わかってますって」
「ええ。ちゃんと家まで送っていくわ」
伊織に促されるまでもなく、2人は立ち上がって簡単に装備を調える。といっても別に戦場を通っていくわけでもないので、香澄はレッグホルスター(太股に固定するタイプのガンホルスター)を装着してミリタリージャケットを羽織り、英太は太刀を腰に差しただけだ。
「あ、いえ、お客様にそんなことをして頂くわけには。それほど遠くありませんからひとりでも大丈夫です」
「気にしないでくれ。俺達の世界だと、女の子を夜中にひとりで帰らせると
あ、香澄ちゃんは近所迷惑になるからファイブセブンじゃなくてMk23の方が良いな。サプレッサー付きで」
固辞しようとするメリンダに伊織はさも異世界の風習的な感じで押し切り、バッグからタクティカルライトを2つ取り出して英太に向かって放り投げる。
「うぉっと、あ、ライトか」
タクティカルライト。軍や警察向けに作られた懐中電灯で通常のものよりも光量が強く複数の点灯パターンがあったりする。といっても一般でも普通に販売されているものだが。
英太は受け取った無骨な懐中電灯の片方を別の拳銃をホルスターに差し替えている香澄に手渡し、送るためにメリンダに付いて屋敷を出た。
「本当に申し訳ありません」
メリンダは屋敷を出るなり、英太と香澄に頭を下げる。
依頼人である2人に使用人が家まで送ってもらうなど本来あり得ない。ましてや“あの”リゼロッド・シェリナグへの依頼人である。
魔術師としても錬金術師としてもかなりの実力を認められているものの、研究優先で、場合によっては仕事を放り出してしまうこともあり、依頼人を怒らせてしまうことが何度もあった。
今回、多額の報酬を前払いされて非常にありがたく思ってはいるが、途中で彼等を怒らせて返す羽目にならないとも限らないのだ。自分がその原因を作るのは御免である。
とはいえ、メリンダも年頃の娘である。
夜中でも昼間のように明るい現代日本とは違い、この異世界では照明など限られた場所でしか照らされていない。
リゼロッドの屋敷は貴族や大商人の屋敷が集まる、いわゆる高級住宅地であり、比較的治安は良いといえるのだが、それでも真っ暗な中1人で家までの道を帰りたいわけではない。
なので、不安と感謝が混ざった複雑な心境だった。
「あ、気にしないでください。一緒にお酒飲むわけじゃないのに伊織さん達に付き合ってても退屈なんで」
「そうね。あれだけ濃い話になると私達じゃ理解できないし、気分転換にもなるから」
恐縮しきりのメリンダにそう言って笑う英太と香澄。
その言葉でようやくメリンダの顔に笑みが戻る。
「それにしても、異世界の魔法具は凄いのですね。こちらにも明かりを灯す道具はありますが、かなり高価な物でもそれほどの明るさはないです」
既に時刻は6の鐘から4時間は経過している。
周囲にはいくつもの屋敷や民家があるのだが、ほとんどの家は既に灯りを落とし、ほとんど暗闇と言っていい状態だ。
にもかかわらず、英太と香澄の持つタクティカルライトによってまるで周囲が光に浮かんでいるように照らされている。
もちろん最大光量ではなく、普通の懐中電灯よりも少し明るい程度だがそれでもランプなどとは比較にならない明るさなので暗闇の不安を軽減させるには十分だ。
「まぁ、そうですね。俺達の居た世界だと場所によっては一晩中昼間みたいな明るさになってますから。逆に魔法なんてものはなかったですけど」
メリンダの家はバーリサスで一般市民の多く住む区画の高級住宅地寄りにあるらしい。徒歩で30分ほどの距離だ。
周囲を明るく照らしているとはいえ、真っ暗な中を無言で歩くというのは精神衛生上よろしくない。
なので、適当な雑談を交わしながら3人は歩いている。
「でも本当に依頼があって助かりました。先生は本当にギリギリにならないと仕事をしてくれませんから、屋敷にもあちこちガタがきていましたし、ようやくひと息つけます」
「ふふふ、研究者って偏屈な人が多いってイメージがあったけど、リゼロッドさんも結構“濃い”人みたいですね」
愚痴混じりのメリンダに、クスリと噴き出しながら香澄が印象を語る。
「もう大変ですよぉ! 放っておくとすぐに屋敷中ゴミだらけにするし、研究が乗ってくると何日もほとんど食事も睡眠もとらないし! 金銭感覚が欠如してるから財政状況まるで考えずに買い物するし!」
「あ~、なんか、大変っすね」
「あ、でも、先生は良い人なんですよ。本当に。
昔、私が変な男の人に絡まれたときにたまたま通りかかった先生が助けてくれたんです。そのうえ、その後家まで送ってくれて、母が病気なのを知って薬も届けてくれたんです。それも、普通ならもの凄く高価で私なんかの収入じゃとても買えない魔法薬を材料費だけで良いからって。
だから少しでも恩返ししたくて、雑用をしてくれる使用人を探してるって言ってたから、荒れ放題になっていたお屋敷で働くことにしたんです。
まぁ、あんなに扱き使われることになるとは思ってなかったんですけど……」
人が良い部分がありながらも興味のあること以外はとことん無頓着。
どこか伊織にも通じる部分に、英太と香澄も苦笑いだ。
「働き始めてもう5年くらいになるのですけど、さすがにそろそろ私も結婚をしたいかなぁと思ってて」
そう言うメリンダはちょっと憂いげだ。
まぁ、あの生活破綻者の雰囲気ダダ漏れのリゼロッドがメリンダ抜きで生きていけるかは不安になるだろう。特に最近は依存度が半端なくなっているのだ。
とはいえ、いくら恩人だからといって社会生活不適合な研究者の介護に人生の全てを費やすわけにもいかない。
いつかどこかで思い切らないといけないだろう。
「あ、この通りの奥が私の家です」
道程が微妙な雰囲気になっていたのを振り払うようにことさら明るく声を出したメリンダ。
「もう後はすぐなので、ここまでで……」
そう言って振り返ったメリンダを香澄が制止する。
「メリンダさん、こっちに来て! 英太!」
「わかってる!」
「え? え?」
突然肩を引き寄せて後ろに回す香澄と、一瞬で表情を厳しいものに変えて2人を庇うように前に出た英太に、目を白黒させるメリンダ。
そんな戸惑いを余所に、英太は前方の路地を睨み付ける。
しばらくすると、小さく舌打ちしたような音が聞こえ、暗がりから数人の男が出てきた。
「ずいぶん遅いから日を改めようかと思った矢先にお帰りとは運が良いのか悪いのか。おまけに予定にない奴も一緒かよ。けどまぁ、ガキと女なら問題ねぇか。けっこう良いもの持ってるようだしな」
人間、知らないというのは不幸なことである。
男の目的がなんなのかはまだわからないまでも、その目つきと不穏な呟きだけでろくなことを考えていないのは明白だ。
とはいえ、万が一帰りが遅くなったメリンダを心配した近所の人とかだったら困るので目的を聞いておく。
「あんたらは? 待ち伏せしてたっぽいけど、なにか用か?」
ついでにメリンダにも「知り合い?」と聞いてみるが、それには首をブンブンと振って全否定していた。
「いや、そっちのお嬢さんに会いたいって人がいるんでなぁ。ちょっと一緒に来てもらおうか。まぁ嫌だって言っても連れて行くけどよ。
テメェ等にゃ用はないから邪魔しねぇならどこかに行きな。ああ、手に持ってる灯りは置いてけや」
ニヤニヤと笑いながら勝手なことをほざく男。
うん。ギルティだ。
「はぁ~、んなもん邪魔するに決まってるじゃん。そのために送ってきたんだし」
英太は呆れたように良いながら、腰に差した刀に手を掛ける。
男はそれを見てフンッと鼻を鳴らして不機嫌そうに英太を睨んだ。
「やれやれ、ガキが格好つけるとろくなことにならねぇぞ? っま、あっちの女は結構良い感じだし、連れてく対象じゃねぇから楽しんだって文句言われねぇだろ」
男の一人がブツブツと呟きながら顎をしゃくると、残りが英太達の逃げ道を塞ぐように二手に分かれて背後に回ろうとする。
もちろん剣に近しい武器を手にしている英太は警戒して距離を取りつつ移動している。が、
バズンッ!
くぐもった破裂音が夜の闇に響く。
普段の銃声よりは確かに音は抑えられてはいるのだろうが、夜中の街は静まりかえっているので充分に大きな音に感じられる。
「ぐわぁっ!! あ、足がぁっ!!」
最初に熱が、続いて凄まじい激痛が走り、背後に回ろうとした男はその場でのたうち回った。
「な?! な、なんだ?! 今のは」
さっきまで色々とくっちゃべっていたリーダーらしき男が顔色を変えて音のした方に目を向ける。
そこにいたのは目的の女の隣にいた別の女。
その手は見たことのない物が握られている。
通常の拳銃の先に筒状の装置がつけられた物。
香澄が普段使っているファイブセブンと比べると3倍以上の重量があるが、特殊部隊員ですら持て余す装備も召喚特典と伊織の魔改造済みの女子高生にとってはさほど苦にすることは無いようだ。
装填されている弾丸は.45ACPホローポイント弾。二次被害が少なく貫通力は低いが破壊力は抜群の代物である。
装填弾薬数は12発と少々少なめだが、予備のマガジンはたっぷりと持ってきているので問題はない。
男達の人数は6人。
見た目通り荒事には慣れており、それなりに腕にも自信がある。
その自信があったために、武器を持ち少々戦えそうな少年1人が居たところで何とでもなると高をくくっていたのだが、まったく眼中になかったもう一人の女が得体の知れない武器を持っているとなれば話は変わる。
逃げるべきか、男の中で逡巡が生まれる。
だが、その隙が命取りになる。
「よそ見してて良いのか?」
香澄に注目して動きが止まっていた男の背後から不意に声が掛けられた。
慌てて振り向く男。
「な?! ふぶぇっ!!」
英太の姿を視認する間もなく、脇腹を思いっきり蹴り飛ばされて吹っ飛ぶ。
意識を失わない程度に加減されたために壁にぶつかって崩れ落ちるもそれほど大きなダメージは負っていない。
「くそっ!」
さすがに失敗を悟って逃げようと周囲に素早く視線を巡らすが、既に自分以外の者は全て倒れ、呻くばかりでまともに動くことができないようだった。
(い、いつの間に、くそぉ、女1人攫うだけの簡単な仕事じゃなかったのかよ!)
大人しくターゲット1人の時に狙えば良かったのだが、たかがガキと女の2人が増えただけと侮ったのが運の尽きというわけだ。
もっとも、英太を見て実力差を察することができなかった時点で所詮はその程度ともいえる。
舌打ちを堪えながら、それでも逃げるべく立ち上がろうとした男の鼻先が、再び響いた鈍い銃声と共に僅かにはじけ飛ぶ。
大した怪我ではない。
もの凄く痛いし、血も出ているが、それでもせいぜい少々の傷跡が残る程度だろう。戦闘の中で負った傷ならおそらくは気にも留めないに違いない。
だが、逃げようとした機先を制するように放たれたそれは、男の心を折るには充分だったようだ。
「わ、わかった、降参する、だから、助けてくれ!」
武器を放り出し、両手を挙げて戦う意思がないことをアピールする男。
往生際が悪くいまだに忙しなく逃げ道を探して目線を激しく動かしているが、戦う意思がないことだけは本当らしい。
なにしろ、得体の知れない攻撃をしてくる女の武器から赤い光が男に向かって放たれているのを感じているのだから、下手なことはできそうになかったのだ。
「……それじゃあ聞かせてもらおうかしら。彼女をどこに連れて行こうとしてたの? 依頼人はだれ?」
「それは……わ、わかった! 話す!」
香澄の詰問に、さすがに躊躇する男。しかしにこやかに銃口で額をゴリゴリされると慌てて口を開いた。
ほとんどマフィアの手口である。
「……お、俺達はアラベナ商会の倉庫に連れて行くように言われてた。依頼したのは多分そこの商会の奴だ。名前は知らねぇ、って、本当だって!」
男達は元々繁華街で強請や恐喝、店の用心棒などをしながら生活しているいわゆるチンピラである。
バーリサスはそれほど大きな犯罪組織などはないが、それでもそういったゴロツキのグループはいくつか存在する。男達もそのひとつだ。
そして時折こういう依頼を受けることもあるということだった。
詳しい事情やメリンダを攫う理由などは知らないらしい。
「アラベナ商会、ですか?」
「メリンダさん知ってるんですか?」
「え、ええ、名前だけですが。実は以前から先生に屋敷を売って欲しいとしつこく申し出てきている商会です。先生は何度も断っているのですが数日おきに屋敷に押しかけてきていて……」
「屋敷を売れ、ねぇ」
「これって、地上げってヤツなのかな?」
まるで昭和の時代のヤクザみたいな話だが、さて、どうなのだろうか。
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