第16話 一方、伊織は…

 英太と香澄による代官の私兵とのアレコレの少し前、代官に呼び出された伊織とよせばいいのに生来の義理堅さを遺憾なく発揮してついてきてしまったアルバは領主の館のすぐ側にある代官の私邸に案内された。

 それから先は警衛兵ではなく屋敷の使用人に案内されて代官の待つ執務室にやってきたわけだが、ここに来るまでにすでに一悶着あった。

 

 警衛兵は伊織を連れてくるように命令されていたが、どうやらそれ以外の事はするつもりが無かったらしく、本当に連れてこられただけだった。

 そして代官邸に到着するや、伊織達を屋敷の使用人に引き渡すとさっさと戻って行ってしまったのだ。

 普通なら直接代官に引き渡すなり、使用人に預けるにしても状況などの報告をおこなうものなのだろうがそれすらしなかった。

 警衛兵のやる気がないとか能力がないとか以前に、そもそも代官の命令は最低限しか聞くつもりがないように見える。

 

 困ったのは屋敷の使用人である。

 といっても、伊織達が連れてこられること自体は知らされていたらしいのだが、問題となったのは伊織の持ち物だ。

 伊織の現在の服装はカーキ色のカーゴパンツとモスグリーンのミリタリージャケットである。

 デザインそのものは特に問題はない。確かにこの国では見かけないタイプの服であるし、ジャケットのファスナーなんて物は見るのも初めてである。

 しかし特段それほど奇抜に見えるような服ではないし、色も多少質感は異なるもののバーラでも見られるものだ。

 

 ただ、そのカーゴパンツの太股にベルトで固定されたナイフホルスターに刺さっている大ぶりのサバイバルナイフ、いわゆるランボーナイフと呼ばれるタイプの物だが、それが問題となった。

 大きさ的にはショートソードよりも小さいとはいえ刃物は刃物。武装した状態で代官に引き合わせるわけにはいかない。

 そこで屋敷の私兵が一旦預けるように言ったのだが、伊織の返答はといえば、『何? 預けなきゃ代官のところに連れて行けない? んじゃ帰るわ』と言って、本当に屋敷を出て行こうとしたのである。

 

 ここで帰られては何のために連れてきたのはわからない。

 かといって現状では強制的に取りあげてまで連行するわけにもいかない。そもそもがこの街や領地の住民でもない伊織を代官が呼びつけることですらかなりの無理筋なのだ。

 警衛兵には代官がこの街を訪れた伊織に聴取することがあるという名目で“任意に”連れてくるようにと指示したに過ぎない。

 結局、数人の使用人が必死に足止めしている間に私兵の1人が代官に相談し、執務室に複数の私兵を待機させることで、小剣程度のものならひとりくらい持っていても何とかできるだろうということになったわけである。

 なのでろくすっぽボディーチェックもされていない。

 そもそもがこれ見よがしにぶら下げているナイフしか武器を持っていないと考えているのが根本的に間違っているのだが、まぁ、わかるわけもない。

 

 私兵に案内されて代官の執務室に入る伊織とアルバ。

 中に入ると20畳以上ありそうな執務室の奥側にあるデスクに40代くらいの男がふんぞり返っていた。この男が領主の代官なのだろう。

 バーラにおける正装なのだろうか、やたらとヒラヒラした襟のシャツに黒いジャケットを着ている。

 首元と指に過剰な装飾のネックレスやら指輪やらがこれでもかとばかりに着けているのだが、どう見ても仕事をするには邪魔でしょうがないだろう。

 その顔はというと、神経質そうな目と酷薄そうな口元、ハゲているわけではないが、少々地肌が透けた寂しげな頭髪である。

 そんな代官は、入ってきた伊織達を見下すように一瞥する。そしてその脇には商工ギルドのボッディスが立っていた。

 

「ふん、貴様が奇妙な荷車をこの街に持ち込んだ者か」

 代官が偉そうな口調で伊織に聞く。

 が、伊織はすぐにはそれに答えず、部屋の中央付近にあるソファーまでツカツカと歩くと、ドサリと無遠慮に腰掛けた。

 そしてジャケットの胸ポケットからタバコとジッポーライターを取り出し、火を着ける。

 キンッ! シュボッ! ジジジジ…

「ふぅ~~! そうだけど、何か用か?」

 紫煙を吐き出しながら、ようやく代官の問いに答えた。

 

 その行動、態度、言葉に執務室にいる代官をはじめボッディスや私兵達はもちろん、一緒に来たアルバも唖然とする。

 少なくとも領主の代理たる代官の前でする態度ではない。どう言葉を飾ろうが擁護しようのないくらい無茶苦茶に失礼である。現代日本ならネットに曝されて大炎上することだろう。多分。

 現に尋ねた代官は口をパクパクしながらも言葉が出てこない。まるで酸欠の金魚のようだが、それを指摘できる人間は誰もいない。

 多少の無礼なら当然その場にいるボッディスなり私兵なりが恫喝混じりに叱責するのだろうが、人間というものは想像の遥か上をいかれると思考が停止してしまうものらしい。

 

 伊織はその間も美味そうに紫煙をくゆらせながら、時折煙をリング状にしたり塊でポッポッポと連続で吐き出したりしながらタバコを楽しんでいた。

 一応伊織も常識人ぶって高校生2人の前ではできるだけタバコを吸わないようにしているらしく、煙の届くような場所や目に入る場所では喫煙していない。ということで、この場には2人がいないので遠慮無しである。

 たっぷりと肺にニコチンを送り届け、フィルターまで1センチところまで灰にするという実に身体に悪い吸い方をしてから、携帯灰皿で吸い殻を回収する。もちろん灰もちゃんと灰皿に落としている。

 マナーが悪いのか良いのか分からない男である。

 

「さてと、どうやら特に用はなさそうだな。んじゃ、一応顔は出したことだし、帰…」

「ま、待て! 待て待て待て!! 貴様、なんのつもりだ?!」

 ソファーから伊織が立ち上がり、アルバを促して踵を返そうとしたところでようやく代官が我に返り、慌てて制止する。

「ん? なんのつもりもなにも、呼ばれたから来た、何の用か聞いたのに返事がない。だから帰るだけだが? おかしいか?」

 伊織がもの凄く不思議そうに言う。

 自分の態度を棚の上に放り投げて、さも相手の対応に問題があるかのような言葉にアルバが呆れる間もなく、代官の隣の男が声を張り上げた。

 

「貴様、領主様の代理人たるハンエルゼン様に対し、無礼であろう!」

「ん? あ、どこかで見た顔だな。確か…越後屋だっけ?」

「エチゴヤ? 何の話だ! 私は商工ギルドのボッディス・ブレーゲンだ!」

 いくら悪代官の近くに居るのは“越後屋”が定番とはいえ、異世界にそんなものがいるわけがない。しかも相手に通じないからボケ甲斐が無い。

 なので伊織は、

(英太を連れてこなかったのは失敗だったか)

 などと本気で考えていた。意外なところで存在感を発揮する英太である。もっとも本人が聞いても喜ばないだろうが。

 

「商工ギルド……ああ、俺の車を盗もうとして腰抜かした挙げ句、大小両方漏らしてた奴か! ちゃんとパンツ履き替えたか?」

 伊織の言葉に代官と私兵達の視線が思わずボッディスに向く。代官は微妙に身体をボッディスとは逆側に寄せたりもした。

「も、漏らしてない! でたらめを言うな!!」

 あまりに不名誉な内容に慌てて否定の言葉を叫ぶ。

 動揺したせいで本来真っ先に否定しなければならないはずの窃盗未遂の部分はスルーしてしまっている。

 

「と、とにかく、ここに呼んだのは貴様の持っている荷車やその他の物に関して問いただす必要があったからだ」

 代官が気持ち大きな声で仕切り直しを図る。

 せっかく脳内シミュレーションしていた流れを初っぱなからぶちこわされたので軌道修正に必死である。

 余裕ぶった言葉とは裏腹に表情からは余裕が消えている。

「ふ~ん……で?」

「っ! ……見たこともない荷車だったという証言がある。よって、我々はそれらをバーラ国内にある古代文明の遺跡から不正に入手した物ではないかと考えている。であるならば、当然それらの物は我が国が所有すべきであり、貴様等が持っている事自体が許されん。

 よって、荷車やその他の物全ての入手方法と不正な手段ではないと主張するならばそれを証明してもらわねばならん。

 言うまでもないことだが、そこにいる行商人や一緒にいたという者達の言葉は証明にならぬぞ。

 もし証明できぬと言うのならばそれらは全て没収する」

 

「ちょ、ちょっとお待ちください! 遺跡から持ち出された物という証拠もないのに没収など横暴です! それに仮に遺跡から発見された物だとしても、そもそも遺跡からの発掘物は発見者に所有権が認められているはずです!」

 代官の一方的な言い掛かりに、アルバが強い口調で反論する。まるで伊織の弁護士のようだ。

「確かに発見者の所有優先権は認められている。だが、発見した場合は国や領主に報告する義務があるし、必要に応じて強制的に買い上げる事が国の専権事項として決められている。今回の場合は報告の義務を果たしていないのだから、当然所有権も認められん」

「報告といってもあくまで形式的なものでしかないでしょう! 買い取る制度だって危険な物や貴重な文化財が流出しないように、適正な価格で買い取る事を義務づけられているはずです! だいたい、疑いを掛けるにはそれなりの根拠と証拠が必要でしょう。それもなしに遺跡から持ち出していない証拠を出せなんて」

 

 代官の横暴に敢然と立ち向かうアルバ。

 予想外の大奮闘である。しかも一介の行商人にして、そうとうこの国の法律を学んでいることを伺わせる教養の高さを見せた。

 代官が舌打ちして忌々しそうにアルバを睨み付ける。が、アルバも負けじと睨み返していた。

 そして、当事者たる伊織はというと、もう1本のタバコに火を着けると、周囲に煙害を撒き散らしながら執務室の中をキョロキョロと見回していた。

 

「ええい! そもそも貴様は無関係であろう! 部外者は口を出すな!!

 疑いを掛けられた者が、自分で無実を証明するのは当然であろうが!!」

 代官が怒鳴り、それに呼応して背後に控えていた私兵が一歩踏み出したことで、さすがにアルバも口ごもる。

 と、そんな緊迫した雰囲気を気にすることもなく伊織がのんびりとした口調で口を開いた。

 

「あ~、まぁ、そっちの言い分はわかった。だがそれに答える前に、こっちからも聞いていいか?」

「……なんだ」

 自分の言ったことをまるで気にしていないかのような態度に戸惑ったものの、代官としては無視するわけにはいかない。伊織の言葉を待つことにした。

 

「アンタの今身につけているネックレスと指輪、それからそこに飾ってある彫刻と、あとそっちの壺、ああ、その絵もだな。

 ……それ全部、1ヶ月くらい前に俺の家から盗まれた物だ」

「……は?!」

「当然、盗品なんだから返してくれるよな? いや~、大事にしてたのに盗まれてショックだったんだよなぁ! あ、もし違うっていうなら盗んだ物じゃないって証明してくれ。そっちの言い分だと疑われた側が無実を証明する必要があるんだろ? できるよな? もちろん、部下とか取引先とか雇用人とかは証明にならないから、無関係な第三者で頼むわ」

 

「な?! き、貴様……」

 伊織の返しに代官は二の句を継げない。

 根拠のない疑いであっても、疑われた方が無実を証明するのは当然だと代官自身が言ってしまっているのだ。

 しかもここは代官の執務室。無関係な第三者が入ってくることなどあり得ないから証明のしようがない。某野党並のブーメラン炸裂である。

 だからといって今更前言を撤回するわけにはいかない。撤回すれば荷車を没収する根拠がなくなるし、しなければ伊織の指定した物が伊織の物であると認めることになってしまう。

 価値としては伊織達のランドクルーザーの方が遥かに高いが、だからといって引き替えにするわけにはいかない。そんなことをすれば自分の持っている物が盗品、場合によっては代官が盗んだことになりかねないのだ。

 それが発覚した日には没収どころか犯罪者として捕縛される側に立つことになる。

 

 言いがかりにはさらなる言いがかりで対抗する。

 論理としては無茶苦茶ではあるが、ある意味効果的だ。

「そもそもさぁ、アンタの言う“荷車”? それを没収してどうするつもりだ? 使い方を知らなきゃ動かすことはおろか開けることすらできないし、動かすにもエネルギー源になる燃料が必要だ。それを用意できるのか? 動かなくなったときにどう対処する? 消耗部品は?

 自分で使うのか誰かに譲り渡すのかは知らんが、動かせるようになったとしても3日も経たないうちに見た目が珍しいだけで重くて邪魔な置物になるだけだぞ?」

 

「そ、そんなものは遺跡を研究している専門家なら……」

 この男も手に入れさえすれば何とかなると思っているらしい。

 つくづくおめでたい認識だが、それを伊織が一蹴する。

「アレは遺跡から出たものじゃなくて俺が元いた世界から持ってきた物だから無理だな。燃料もこの国にもその原料はあるかもしれないが精製して使えるようにするには専門の知識を持った人間がそのための設備を使ってやらなきゃならない。まぁ、100年くらい研究すればひょっとしたらできるかもな」

 伊織がニヤニヤしながらタバコを吹かしつつ、ことさら丁寧に説明する。

 

「き、貴様は使っているではないか! 動かす秘密があるのであろう! 大人しくそれを教えろ!」

 結局代官は伊織に何とかしてもらうくらいしか考えられなかったらしい。

「ふぅ~……要するに手に入れれば何とかなると思ってたのにそうじゃなくなったから教えてちょーだいってか? なんというか、もの凄く残念な頭をしてるんだな。あ、残念なのは中身だぞ? 別に頭髪のことじゃないからな?」

 煙を吐き出しながらわざわざ念を押すところに悪意がたっぷりと含まれている。

「な、ななな……貴様……」

 代官は顔を真っ赤にしながら怒りに震えて言葉を出せていない。

 怒りの理由は馬鹿にされたことか薄毛を指摘されたことか。

 

「貴様! 先ほどから聞いていれば、代官様に大して無礼にも程があるだろう! 代官様、このような者の言葉をまともに聞く必要などありません。代官様の頭髪はけっして残念などでは……」

 越後屋、ではなく商工ギルドのボッディスが割って入るが、否定すべきところを完全に間違えている。というか、おそらく普段から代官の頭髪に関して思うところがあったのだろう、中身ではなくそれ以外の部分を否定するが、ある意味トドメである。

 代官なんて今にも殺しそうな目でボッディスを睨んでいるし。

 

「……もうよい。これ以上は話す意味もない」

 必死に息を整え、何かを決意したかのような目で伊織を睨みつけ立ち上がる代官。

「おい! コイツをすぐに捕ら…」

 ズダンッ!

 代官が背後に控えていた私兵に命じるため、横を向いたその鼻先を掠めるように、その場にいる者にとって初めて聞く破裂音と共に銃弾がたたき込まれ、壁に飾ってあった肖像画の鼻の穴がひとつ増えた。

「なぁ?!」

「おぉ~、屋内だとやっぱうるせぇなぁ。耳がキーンとなるわ」

 

 部屋にいた全員が固まる中、伊織ののんびりした声だけが聞こえる。

 その右手に握られているのはやっぱり拳銃だ。

 スイスのSIGザウアー社P320-X5。

 米陸海軍の制式拳銃にも採用されたシリーズの拳銃で複数の種類の銃弾を使用できるが、伊織は9mm×19パラベラム弾を装填している。これは貫通力が高く、その分殺傷力が比較的低い弾薬だ。

 その、音速を超えるスピードの弾丸が目の前に通過した代官は思わずのけぞり、それでは飽きたらず衝撃波に顔面を痛打されて悶えていた。

 ボッディスは驚きすぎて床にへたり込んでいるし、私兵達も何が起こったのかわからず、ただ固まっていた。

 

 アルバだけは、先日岩オオカミの群れに襲われたときのことを思い出していた。

 あの時も突然岩オオカミの頭の一部が吹き飛ばされたようになっていた。その時に伊織が持っていたのはもっと大きな武器らしきものだったが、今伊織の手にあるものも同じような武器なのだろうと想像する。

 とはいえ、アルバにも何が起こったのかまではわからない。ただ、代官が私兵に伊織の捕縛を命じようとした瞬間、伊織が懐から今手にしているものを抜き出して代官の方に向けた。その直後轟音と共に火が噴き出したように見え、代官の背後にある絵に穴が開いたという事実だけは確認する事ができた。

 矢や投擲ならば躱すことまではできなくても見ることはできる。だがそれすらできないほどの速度で攻撃する伊織の武器に戦慄する。威力も弓矢とは比較にならない。

 

「な、なななな、なんだ? なにが起こった? くっ! 何をしている! 早く…」

 ズダンッ!

 再び銃声が響き、今度は代官の頭部をかすめた。

「うぎゃあっ! あ、頭がぁ、髪の毛がぁ!!」

 頭髪をむしり取られた部分を両手で押さえながらひっくり返るように椅子に座る。

「さて、そこに並んでいる兵士に続きを言うのと少ない頭の中身をぶちまけるの、どっちが早いと思う? あ、少ないってのは髪の毛のことじゃないからな」

 今度は代官に伊織の言葉に怒る気力はない。

 先程はわからなかったが、伊織の手にある武器が途轍もなく恐ろしい物であることをようやく理解して、代官は息を呑む。

 

 が、私兵達も代官を守るためにこの部屋に詰めているわけで、何もせずに好き勝手させるわけにはいかない。

 得体の知れない武器を前に緊張で顔を強張らせながら腰の剣に手を掛ける。

 そこに3度目の銃声が響く。

「ぐあぁっ!」

 ピンポイントで手の平を打ち抜かれ、手を押さえて蹲る私兵。

「じょ、冗談じゃない! こんなの相手できるか!」

「お、俺も、悪いが抜けさせてもらう!」

 私兵の1人が敵意のないことを表すためか、両手の平を伊織に向けながら言い放ち、部屋から逃げ出していった。

 そのすぐ後に別の男、ほとんど同時に残りの私兵達も競うように後に続く。手を撃たれた男もだ。

 

「な?! お、おい! 貴様等どこへ行く! 戻ってこい!! 戻……」

 所詮は金で雇われた傭兵の忠誠心などこの程度のものというわけだろう。

 部屋に残っているのは伊織達と代官の他はギルドのボッディス唯一人である。

 といってもボッディスに代官に対する忠誠心の有無は関係なく、腰が抜けてその場から動けないだけなのだが。

「あ~らら、なかなか大した部下をお持ちで。で?」

 呆れを多分に含んだ苦笑いで部屋を出て行く男達を見送り、伊織は改めて代官に視線を向ける。

 私兵という盾を失った代官は引き攣った顔で椅子に座ったまま後ずさりした。

 

「わ、わかった! わ、私の勘違いだ! もう荷車を没収するなどとは言わん。だから……」

 立場が逆転した途端に手の平を返す代官に、伊織はニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「どうやら代官様は俺達の世界の物に興味がおありらしい。っつってもなぁ、使い物にならないものを手に入れても無意味だろうから、それ以外の、うん、俺達の世界で聖職者がする由緒正しい髪型を教えて差し上げよう」

 

「な、なんだそれは? か、髪型? え? あ? ちょっと…痛いっ! 何をする! ぎゃあっ!」

 伊織はおもむろに代官に向かってツカツカ歩み寄ると、訝しがる代官を無視していきなり頭頂部の髪の毛を毟り始める。

 慌てて頭部を守ろうとする代官の両手を片手で打ち払いながらもう一方の手でどんどん毛を毟っていく。

「だ、誰か、助けてくれ! 誰かいないか!」

 代官の絶叫が届いたのか、執務室の扉が開く。

 一瞬喜色を浮かべた代官の顔は、直後戸惑ったものに変わる。

 

 開いた扉から入ってきたのは代官にとっては初対面の若い男女と、見知った、というか、常日頃から忌々しく思っていた老人だった。

「やれやれ、賑やかじゃのう。……お主、何をしておるんじゃ?」

「伊織さん、大丈夫っすか? って、どうしたんすか? それ?」

「心配はしてなかったけど、何してんの?」

 3人が3人とも入って伊織を見た途端、同じ質問をする。

 まぁ、代官をデスクに俯せに押しつけて頭頂部の毛を毟っていれば、そりゃ疑問にも思うだろう。

 

 なので、伊織が簡単に事情を説明する。

「お主らの国の物に興味があることと髪型がどう繋がるのかわからん」

 老人、商工ギルドの長、バーリントが盛大に呆れた口調で漏らすが、ごく当然の指摘である。

「まぁ、伊織さんらしいっちゃ伊織さんらしいけど、でも、聖職者のする由緒正しい髪型って、なにかあったっけ? 坊さんなら剃髪だし、髪型とはいわないよな?」

「学校の教科書に出てたろ? 日本に来たイエズス会の宣教師、フランシスコ・デ・ザビエル。かの偉人がしていた髪型だ。確かトンズーラ、とか言ったっけ?」

「トンスーラでしょ! っていうか、どう見ても聖職者っていうより、命からがら逃げ延びた先で盗賊に囲まれて悲嘆に暮れる落ち武者としか思えないわよ」

 

 香澄の指摘通り、代官の頭は今や頭髪の大部分がむしり取られ、所々内出血で実に痛々しい状態になっている。

 そもそもトンスーラは長髪が男性の象徴とされていた中世に、俗世と決別するために聖職者がおこなっていたもので、意味合いとしては僧侶の剃髪と同じものだ。

 頭部をリング状に髪を残し、他は全て剃り落とす。これは磔にされたイエスの茨の冠を模しているらしい。ただ、イエズス会はトンスーラの習慣がないので実際のザビエルの髪型はアレではなかったとか。

 

「そろそろ話を始めたいのじゃが、いいかのう?」

 どう見ても不真面目な態度の伊織を見て、埒があかないと見切ったのかバーリント老人が本題に入る。

 伊織もいいかげん毟り飽きたのか、大人しく代官を解放し、ソファーに戻って腰掛ける。英太と香澄はその後ろに並んで立った。

「さて、ハンエルゼン殿、大丈夫か?」

「こ、ここ、これが大丈夫に見えるのか?! 代官である私にこのような狼藉を加えたのだ、絶対に許さんぞ! ひぃっ!!」

 伊織が離れたことで精神的な余裕ができたのか、憎々しげにバーリントを睨みながら恨み言を口にしかけ、伊織がほんの少し身体を動かしたことに怯えて悲鳴を上げる。実に学習能力に欠けた男である。

 

「き、貴様は何しにここへ来た! そもそも誰に断って勝手に入ってきたのだ!」

「ここに来た理由か、それは、たまたまこの街に訪れた者の所持している珍しい物を不当に取りあげようとする者がいると聞いたからじゃな。それから、誰に断って、か? ハンエルゼン殿が雇った傭兵は皆慌てて逃げてしまったし、使用人達は儂が通してくれと頼んだら快く通してくれたな」

 バーリント老人は丁寧にひとつずつ理由を説明する。その度に代官の顔は怒りで真っ赤に染まっていく。

 

「私は領主よりこの街の代官に任命されているのだぞ! その私を…」

「ハンエルゼン殿! バーラもこの街も、交易を大きな支柱として発展しておる。にもかかわらず、誰かが珍しい物を持っているからと権力にあかせてそれを取りあげることがあれば商人達は誰も立ち寄ろうとなどせぬ。それを分かっておるのか?」

 代官が高圧的にバーリントを詰ろうとした直後、声ひとつでその戯言を斬り捨て、逆に冷徹に責め立てる。

「わ、私はそのような事を命じておらん! 言い掛かりはやめてもらおう!」

 今度はしらを切り始めた。

 小悪党らしい、実にわかりやすい逃げ口上である。

 

「力ずくで取りあげるって言って、アンタの私兵に襲われたんだけど?」

 呆れたように英太が言うと、

「知らん! 金で雇った傭兵が欲でも出したのだろう!」

「先程ここでイオリ殿にも言い掛かりをつけて『没収する』と言っていたでしょう!」

 アルバの言葉には、

「そんなことは言っておらん! 貴様等はグルになって私を不当に貶めようとしている! それとも証拠でもあるのか? 無いであろう!」

 見苦しいにもほどがある。

 

「ふ~ん? 証拠? あるけど?」

「は?!」

 黙って成り行きを見ていた伊織が、ニヤニヤとしながら言った言葉に代官が固まる。

「アルバ、アレを貸してくれ」

「あ、はい。ちゃんとできていればいいのですが」

 そう心配そうに言いながらアルバが手の平大の箱型の物を伊織に手渡した。

  

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