第13話 港町ベン
「あ、あの、あなた方はいったい……」
街道で獣の群れに襲われていた男が、恐る恐るといった様子で伊織に尋ねた。
伊織は興味深げに倒れ伏して絶命している大きな走鳥類らしき生き物を見ていたが、掛けられた声で男の方を向く。
「ああ、わるいわるい。街道を走ってたら犬っぽい動物の群れに襲われてるのが見えたんで助けた方が良いかと思ってな。
ひょっとして余計なお世話だったか?」
伊織が人の良さそうな笑みを浮かべながら聞き返すと、男は慌ててかぶりを振った。
「いえ、岩オオカミの群れに今にも殺されそうでしたので助かりました。何とお礼を言っていいものか。とはいえ、今はあまりお礼になりそうな物は持っておりません。お金も商品の買い付けでほとんど残っておりませんし。
もし荷車にある物でご入り用な物でもございましたら差し上げたいと思いますが」
どうやら男は行商人であるらしい。
「とりあえず、ちょっと話を聞かせてくれればお礼とかは別にいらないな。こっちが勝手にやったことだし。
えっと、荷車はこの鳥? が引いてたんだよな? 岩オオカミとやらに襲われて死んじまったみたいだけどどうするんだ?」
この巨大な鳥には荷車の両脇から
伊織はダチョウみたいだと言っていたが、ダチョウよりも遙かに巨大で、どちらかというとマダガスカル島に17世紀まで生息していたというエピオルニスに近い。立ち上がると胴体の上までは約2メートル、頭までは3メートルを超えると思われた。
岩オオカミの群れから見ると十分な獲物だったのだろう。もしかしたら人間を襲う欲に駆られなければ今頃は満足な食事にありつけていたのかもしれない。
「……残念ですが荷車を捨てるしかありません。一応荷を降ろしておいて、後で取りに戻るつもりではありますが、盗まれてしまうと思いますし」
男からすれば詰んである荷よりも荷車の方が痛い。
安定した行商のためにしっかりとした造りの荷車を作ってもらったのだ。街に戻ればもう一台の荷車があるが、けっして安いものではないのでかなりの痛手である。
当然、空で壊れてもいない荷車が放置されていれば通りかかる商人や村人は大した罪悪感も抱かずに持ち去ってしまうだろう。
とはいえ、拠点としている街までは歩きでは到着するのは明日の夕方頃だろう。翌日に代わりのドゥルゥを連れて戻ってくるまで残されているとは思えない。
ドゥルゥ2頭が失われただけでも大損害なのにこの上荷車まで失うのは辛いが現状ではどうしようもない。
「その、助けていただいた上に不躾にお願いするのは心苦しいのですが、もしこの先のベンに向かわれているのでしたら、あなた方の荷車に私どもも乗せていただけないでしょうか。ベンまで行けば私の商会もありますので多少ですがお礼も差し上げられます」
男達が乗っていた、あの自走する荷車はもの凄い速度で自分達のところまで走ってきていた。あれが限界の速度だと考えると普段はもっとゆっくり走るのであろうが、それでもドゥルゥに引かせた荷車よりもずっと速く街まで着けるだろう。そうすれば明日の夕方にはこちらに戻ってこられる。それであれば荷車を盗まれずに済む可能性がずっと高くなると男は考えたのだ。
「ん~、とりあえず名前を聞いてもいいか? 俺は伊織だ。この街道の先にある港町を経由してバーラの首都まで行こうと思っている」
「こ、これは失礼致しました。私はその港町、ベンを拠点に行商を営んでいるアルバと申します。そこの男は使用人のゴードンといいます。東部の村を回ってベンに帰るところを岩オオカミの群れに襲われてこの有様となりました。改めて、助けていただいてありがとうございます」
「わ、儂からもお礼を申し上げます。旦那と儂を危ないところで助けて下さってありがとうございました」
行商人の男アルバと、突然の事態についていけずに目を白黒させていたゴードンが揃って頭を下げる。
それを見た伊織は英太と香澄を手招きして呼び寄せる。
「英太です。よろしく」
「香澄です」
2人も自分の名前を告げて挨拶をする。
警戒を解いたわけではないが、太刀や拳銃からは手を離している。あまり威圧的な態度では話し合いすらまともにできなくなる。
「行商人のアルバさんが街まで連れて行って欲しいと言ってるんだが、どうする? 俺は話を聞きがてら乗せていっても良いと思うんだが」
伊織が英太と香澄に意見を聞く。
伊織が乗せると言えばそれまでなのだが、きちんと意見を聞いてくれるという態度は2人を安心させる。それに、2人の意思を無視してまでそうするという理由が伊織にもないのだろう。
「……別に構わないと思います。確かにこれから行く街のこととかバーラのこととかを聞ければ助かりますし」
「香澄が良いなら俺も良いっすよ。ただ、何か怪しいそぶりを見せたら…」
「も、もちろんです! お話しできることでしたら何でもお答えしますし、監視していても構いませんとも! 連れて行っていただけるならそれだけで十分ですので」
太刀の柄に手を伸ばして警告する英太に慌てて首を振るアルバとゴードン。
もとより恩人に対して何か企む気はサラサラなかったし、目の前の2人は見た目の若さからは考えられないほどの凄まじい威圧感を持っている。その内の1人はまだ少女にしか見えないにもかかわらずだ。
ベンは田舎町で争いごとも少ないために荒事を生業とした人間は多くないが、アルバがこれまでに出会った武芸者や兵士などより遥かに強いだろうことくらいは何となしに理解することができる。
もし怒らせたら自分やゴードンなどは簡単に殺されてしまうだろう。
3人のリーダーと目される伊織と名乗った男のことはよくわからない。態度や所作からするととても強そうには見えないのだが、どこか得体の知れない圧力を感じる。
いずれにせよ、伊織たちを騙すつもりもなければそれができるとも思っていない。
「よし! んじゃ血の臭いを嗅ぎつけて他の動物が来ると面倒だからさっさと準備するか。
英太、キャンパーの後ろにこの荷車を括り付けるから、ランクルの後ろからロープ持ってきてくれ」
「うぃっす!」
「あ、あの、荷車まで運んでいただけるのですか?」
伊織の指示に頷いて踵を返す英太と驚くアルバ。
「ん? そのでっかい鳥はさすがに無理だが荷車は壊れてないみたいだし、持って行った方がいいだろ?」
「も、もちろん運んでいただけたら助かります。半ば諦めかけていましたから」
あっさりと請け負ってくれた伊織に心からの感謝をする。
街まで送ってもらえるだけでも僥倖と言えるのに、重い荷車まで運んでもらえるなど、アルバは自分の幸運が信じられないほどだ。
逆にあまりに出来過ぎていて怖いくらいだが、自分は所詮しがない行商人に過ぎない。自分を陥れたところで大して伊織達に得られるものなどないと考えて、純粋な善意からの提案だろうと判断する。
ベンに戻ったらできる限りの礼をしようと心に決める。
受けた恩を蔑ろにするようでは商人として恥ずかしいと、同じく行商人であった父から幾度となく言われて育ち、アルバ自身もそう考えている。
そのおかげで商人としては誠実な取引をすると評価されているのだ。
伊織と英太、アルバとゴードンの4人で荷車をキャンパーの後ろに固定し、さらに荷物が崩れないようにロープで補強する。
ついでに2人が持っていた長さ3メートルほどの槍も荷車に括り付けておく。
可哀想ではあるが、骸を放置されてしまうドゥルゥを痛ましげにアルバとゴードンが一撫でする。
行商のための道具とはいえ生き物であり、長く旅を共にしてきた仲間でもあるのだ。
それを見た伊織が黙ってドゥルゥ達に手を合わせ、英太と香澄もそれに続く。
アルバにはその所作の意味はわからなかったが、ドゥルゥの死を悼んでくれたのは伝わる。
たかが荷引きの家畜、それも他人のそれを悼むなど普通は考えられないが、その心遣いは伊織達を信用させるのに充分だったといえた。
出発の準備が整い、改めて伊織達が乗っていた荷車らしきものを眺め、どう反応して良いのか分からず途方に暮れるアルバとゴードン。
金属の光沢を思わせるグレーの車体には、どうやって作りだしたのか見当も付かない透明なガラスがはめ込まれ、車輪は太く、真っ黒な岩のようにも見える。
その後ろに連結されている箱型の荷車は丸みを帯びた金属の固まりのようだ。
どちらもこれまでに似たものさえ見たことがない、摩訶不思議な形状をしていた。
立ち尽くしていた2人を、香澄が後部座席のドアを開けて乗るように促す。
恐る恐る乗り込むと、意外に中は広くない。というか、内部を占めるソファの割合が大きい。座ってみると、驚くほど柔らかく、しかししっかりと2人の体重を支えてくれていた。
見たことのない内装にキョロキョロと落ち着き無く見回す異世界人2人。顔にはありありと不安の色が見て取れた。
ほどなく2人の後ろ側、荷台になっていた場所の予備シートを倒して英太が乗り込み、次いで香澄が助手席に、伊織が運転席に着く。
ランドクルーザーの後ろのキャンパーに、さらに荷台を括り付けているので慣れていない英太では荷台を破損させる恐れがあるからだ。
ついでにM16は英太に渡してケースに戻してもらう。
「あ、あの、これはいったい何なのでしょうか? 私も行商をしてそれなりにあちこちに行きましたが、こんな箱車は見たことも聞いたこともありません。それにドゥルゥも馬もなしにどうやって動かしているのですか?」
商人としての好奇心が勝ったのか、アルバがおずおずと伊織に尋ねる。
「ドゥルゥってのは、さっきのでかい鳥か? 馬ってのはこっちの世界でもいるのか」
「荷車を引いたりするのはドゥルゥって巨鳥が一般的ね。力が強いし寿命も長い、持久力もあるしほとんどの街や村でも飼われているらしいわ。あとはビーゼルっていう鹿と牛の中間みたいな動物もいるけど、どちらかというと農耕に使われているそうよ。この2種類は足が速くないし乗り心地が悪いから一般的には騎乗用には使われなくて、騎乗には馬が使われてるけど、こちらは主に貴族や騎士が使っているの」
伊織の疑問には香澄が答えた。
香澄と英太がいた王国南部の砦には馬もいたし、周辺の村でドゥルゥやビーゼルも目にしていたのでこの程度のことなら答えられる。
「ん~、何なのかって聞かれても、俺達の国で一般的に使われていた自動車としか答えようがないんだよなぁ。あと、どうやって動いているのかは軽油って、燃える水みたいな液体を燃焼させるレシプロエンジンってので動かしてる、っつっても分かんないだろうなぁ」
「改めて聞かれると説明はしづらいわよね」
あまり理解してもらおうという気がなさそうに説明する伊織。香澄も苦笑いを浮かべながらも補足説明はしない。
「は、はぁ、イオリ殿の国は凄いのですね。とても想像ができません」
隠すつもりはないが詳しく説明する気もないのを言外に読み取って、アルバはそれ以上追及するのを諦める。
どちらにせよ、理解できるとは思えなかったし、詳しく知ったところでしがない行商人の身には荷が勝ちすぎるような気がしたからでもある。
もちろんこの『自動車』という荷車に興味は尽きないし、アルバ達を窮地から救った武器、おそらくは伊織と名乗った男が手に持っていた細長い物がそれなのだろうとは思うが、そのことも聞いておきたいのは確かだ。
だが、伊織達が話そうとしていない以上、聞いて欲しくないし話すつもりもないことは明らかだ。
仮に教えてもらったとしても入手することも作ることもできないだろうし、万が一にも伊織達から買い取ることができたとしても、その後のことを考えると間違いなくろくでもないことになることは簡単に想像できる。
ならば、たかが自分の好奇心を満足させる効果しかない質問を、恩人の気分を害するリスクを冒してまですることはない。
そうアルバは考え、喉まで出かかった言葉を飲み込むことにしたのだった。
「まぁ、そろそろ出発するぞ。荷車が心配だからゆっくりと行くからな」
そういってエンジンを掛け、ゆっくりとランドクルーザーを前進させる。
後ろに繋いだ荷車は木造でゴム製のタイヤもサスペンションも付いていない。未舗装の街道で速度を上げると壊れかねない。
「うわっ、う、動いた」
「す、凄い、ほとんど揺れていない。それに速い」
ゴードンが動き始めたことに驚き、アルバは窓から見える景色でその速さに驚く。
といっても、時速は精々20kmほど。伊織達にしてみれば欠伸が出るほどのんびりとした速度なのだが、ドゥルゥの荷車では全速でも時速15キロほどしか出ないことを考えると相当な速さなのだろう。
乗り心地にしても英太や香澄からすれば舗装もされていない、荒れた街道をサスペンションの固いRV車で走っているのでお世辞にも良いとは思えないのだが、馬車や荷車しか乗り物と呼べるような物のない異世界では考えられないような感じなのだろう。
「さてと、運賃代わりに色々と聞かせてもらいたいんだが、良いか?」
アルバとゴードンが落ち着きを取り戻すのを待って、いよいよ始まる尋問、もとい、質問タイムである。
「俺達は遠い国から不本意ながら連れてこられたんで、正直この辺りの国やら何やらをほとんど知らないんでな。子供がするような質問もあるが教えてもらえると助かる」
「連れてこられた、ですか、ああ、いや、事情を詮索するつもりはありません。もちろんどんな質問でも答えられるものであればお話します。ただ、私共が拠点としている港町ベンははっきり申し上げてバーラ王国の中でも田舎と呼ばれるような場所なので、王都のことや政治情勢などはあまり詳しくは知りません。人づてに聞いたという程度の内容なのはご容赦ください」
アルバの察しの良さと誠実さを感じさせる言葉に伊織は満足そうな笑みを浮かべる。
「んじゃお言葉に甘えて。香澄ちゃんよろしく」
ここまで勝手に話を進めておいてのスルーパスに香澄は苦笑いだ。
ただ、昨日のうちに知りたいこと、調べたいことはある程度考えをまとめていたためにひとつ肩を竦めただけでパスを受け取ることにしたらしい。
「えっと、まずはバーラの通貨と物価について……」
港町ベンまではまだしばらく時間が掛かる。それまでにできる限りの質問を重ねて情報収集に勤しむことにした。
「結構掛かったなぁ。まぁ明るいうちに着けてよかったけど」
「私の感覚では途轍もない速さなのですがね。5の鐘がなるまでにはまだまだ時間がありますから日が暮れるまでに多少は街を見て回ることもできると思いますよ」
アルバとゴードンを乗せて走ること3時間。
この国、というか、大陸西部の国々は一日を12の時間で区切っているらしい。
一日の始まりは、地球の感覚で言うと朝の6時頃。
それから約2時間毎に街にある鐘が鳴らされ、それぞれ1の鐘、2の鐘と呼ぶ。鐘を鳴らすのは6の鐘までなんだとか。
となると、現在は4の鐘と5の鐘のちょうど中間くらいだと考えられる。
途中で一度休憩を挟みはしたものの、ほとんどの時間を主に香澄から、時折伊織や英太からの質問に答えることに費やしたために、常とは異なる疲労感を覚えていたアルバはゆっくりと大きく息を吐いた。
とはいえ、それほど返答に困るような質問をされたわけではない。答えられなかった内容もあったが、それは単にアルバやゴードンが知らない事柄だっただけで、ほとんどは一般常識であったり、基礎的な内容だったために、疲労感の原因は単純に質問の数が多かっただけである。
途中、地理的な部分の質問では伊織が作ったという地図を見せられたのだが、その正確さにはさすがに驚愕していた。
「街壁とかは無いんですね」
英太が目の前に迫ってきた街を見ながら言う。
「ええ。城塞都市ではありませんから、通り以外の場所に獣除けの柵があるだけです。まぁ、海に面していますから壁を築いたところで人の出入りを制限する役には立ちませんしね。
それより、これからどうなさるおつもりですか?
是非私共の商会に寄っていただいてお礼をさせて頂きたいのですが。もしよろしければ宿も我が家をご利用下さい。といっても、正直、あの『キャンパー』というものを見てしまってはお招きするのも恥ずかしい限りなのですが」
ベンの街にもそれなりの宿はあるし、仕事柄、重要な客を迎えるためにアルバの自宅にもきちんとした客間はある。
しかし、途中の休憩の際に目の当たりにした『キャンパー』という、『自動車』に引かれた施設は広さを除けば王侯貴族もかくやという程のものだった。
はっきりいって、この街の宿やアルバ宅よりもあそこで休んだ方が余程快適だろう。といってもアルバは王侯貴族の屋敷などに入ったことはないので、キャンピングトレーラーの中身がこの世界ではあり得ない水準であることまでは知らないのだが。
アルバはこの港町ベンを田舎と謙遜したが、隣国であり国交もあるオルストに近い、謂わば玄関口にあたる街だ。
人口は約7000人ほどだが、周辺には数十の村が点在し、稚拙ながらバーラ東
部地域の経済圏を形成している。
街自体もそれなりに整っており、おおよそ必要な施設は備わっていた。
バーラを含む大陸西部の国々は異世界にありがちな封建制を敷いており、港町ベンと周辺地域も統治する領主が存在する。
だが、ベンの領主は1年のほとんどを王都で過ごしており、実際の統治は領主に任命された代官が執り行っているらしい。
そして、
「おお~っ! 結構賑わってるなぁ」
「ええ。そろそろ仕事を終える人が多くなるので、これから6の鐘までが一番活気のある時間です。とりあえず私の商会へ行って荷車を降ろしてから、商工
道中で伊織達がグローバニエ王国の貨幣しか持っていないことを聞いていたアルバがそう提案する。
当たり前だが、他国の通貨を普通の店舗で使うことはできない。店舗側にしてもその通貨が本物かどうか判断できないし
ぼったくりと言うなかれ。自国通貨に両替するのには商会ギルドを通さなければならないしその時には手数料だって掛かるのだ。騙されるリスクを考えればその程度はしなければ割に合わない。
だから通常は外国から訪れた商人や旅人などは、まず商業ギルドへ行って通貨を両替する。
その際には当然手数料も発生するのだが、交易が盛んな国同士の両替は手数料が低く、交易が少ない国の通貨の場合は手数料が高くなる。
これも考えれば当たり前の話で、交易が盛んであればその国の通貨を必要とする人も多いが、そうでなければ必要とする人が現れるまでその通貨はギルドの不良資産となってしまうからだ。場合によってはその国と交易のある別の国の商人にかなり割り引いたレートで交換しなければならないこともある。
だから通貨によっては両替自体を拒否されたり、通貨に含まれる貴金属の割合に応じて“素材”として買い取ってもらわなければならない。
幸い、バーラとグローバニエは友好国ではないし正式な国交があるわけでもないが、それでも近隣国であり、それなりに商人の行き来や民間による交易は行われているのでレートは良いとは言えないが、両替自体は問題なくできるだろうということだった。
アルバの商会は港に程近い商業区と呼ばれる場所にあるらしい。
その中でも割と外れの方に近いということだが、元々アルバは行商が主なのでそれなりの広さの倉庫があれば場所には拘らないということだ。
外れとはいっても商人同士で商品をやり取りする交易所からはそれほど遠いわけでもないから不便さも感じていないらしい。
案内に従って、荷車の行き交う通りをランドクルーザーでゆっくりと進む。
「……目立ってるわね」
街に入った途端、周囲の視線を残さず集めまくっている。
この世界には存在するはずのない現代日本のRV車とそれに牽引されている銀色に輝くキャンピングトレーラー、そのさらに後ろに括り付けられている見慣れた外観の荷車である。人目を引かないはずがない。
普通なら少しは目立たないように偽装するなり徒歩に切り替えるなりしそうなものだが、伊織は一切頓着する様子も見せずに車に乗ったまま街に入ったのだ。
道中から一切自重する気を見せないのでこうなることはわかりきっていた。となれば間違いなくトラブルが舞い込んでくるだろうことを考えて、香澄は小さく溜め息を吐く。
とはいえ、この世界に来てからの10ヶ月、それに伊織に様々な訓練を受けた1ヶ月の、濃密な経験を考えると少々のトラブルなら何とかなるという確信もある。
最初から視線をまったく気にしていない伊織はともかく、思わぬところで注目を集めてしまっているアルバとゴードンは今更遅いと思いながらも顔を伏せて身を縮めている。
香澄と英太は、努めて視線を無視するように真っ直ぐに進行方向を睨み付けることにした。
そうして通りを進むことおよそ30分。
海に面した通り沿いにいくつもの倉庫や店舗が建ち並んだ一角の奥側にアルバの商会があった。
倉庫と3階建ての建物が隣接している造りで、1階部分が商会、というか事務所みたいになっていて、2、3階が居住空間らしい。裏手には広いスペースがあり荷車を置く場所とドゥルゥ用の厩舎がある。
とりあえず荷を倉庫に運んでから荷車を裏に移動させることにした。
ゴードンが手慣れた様子で荷車から荷を担ぎ上げて倉庫に入っていく。
アルバは建物の中に入っていったので手持ちぶさたになった英太も荷運びを手伝う。
香澄は当然見ているだけだが、伊織も手伝うことはせずに車から降りて煙草をプカプカと吸っている。少し離れたところまで移動する程度には気を使っているようだが。
元々行商の帰りだったために荷はそれほど多くない。行商先の村から買い取った作物や木炭、工芸品が少しあるだけで、ほどなく荷車が空になる。
その荷車をゴードンが手で引きながら裏手へと運んでいった。
「お待たせしてすみません。商工ギルドへご案内します。それから、今夜の晩餐を饗させていただけませんか?」
アルバの提案に伊織が少し考える素振りを見せた後、頷く。
道中でも礼をしたいと何度もアルバは言っていた。特に何かを含んでいるような態度には思えなかったし、さすがに何度も断るのも申し訳ないと考えるのは、伊織もまた日本人なのだろう。
「おおっ! ありがとうございます。大したおもてなしはできませんが、精一杯の気持ちを込めさせていただきます。
あ、それと、もし『自動車』と『キャンパー』を置かれるのでしたら、裏に通じる通路はどうでしょう。もう荷車を出す予定はありませんし、入口に鎧戸もありますから多少は目立つのを抑えることもできると思いますが」
接待するほうがお礼を言うのは奇妙だが、少しでも借りを返したいという思いの表れなのだろう。
置く場所の提案にも甘えることにして、倉庫横の通路にバックでキャンピングトレーラーとランドクルーザーを入れ、牽引を切り離す。そしてそのままランクルだけを出した。
理由は単純にキャンピングトレーラーは長いので小回りがきかないからだ。
伊織の頭には“歩いて商工ギルドまで行く”という発想はないらしい。
また目立ってしまうだろうが、ここに来るまでに散々見られているのだから今更誤魔化しても意味がないというのもある。
アルバも諦めたのか、なにも言わずに後部座席に乗り込み、その隣に英太が座った。ゴードンは今回は一緒に来ないらしい。
伊織と香澄も乗り込んで再び車を発進させる。
商工ギルドは街の中心街にあるらしい。
この街の商工ギルドはその名の通り、商会や各種の生産事業者が組織する団体だ。
大きな街だと商会は商業ギルド、生産事業者は生産種別にギルドを組織していることもあるが、この街の規模ではその必要が無い、というか、規模が小さいために各種の組織に分けては専属の職員を確保できないために、統合した組織となっているらしい。
ギルドと聞くと、途端にラノベやゲームの印象が強くなるが、元々は同業組合(同一業種の事業者や親方が作る組合)という意味の英語だ。
加盟する事業者や親方が安心して事業に集中できるように、また、個々人では弱い力を利害が一致する同業者が集まることで集約しお互いを守るという目的のために組織している。
似たような組織は日本にももちろんあり、誰でも知っているものに農協や漁協がある。
今回用事があるのは商業部門になる。
この世界での商業ギルドの主な業務は“決済”だ。
交通網も未発達で街から街へ最低でも1日、多くは数日を掛けて商人達は商品を運び、個人や別の商会に売っている。
当然多額の金銭のやり取りが行われるが、金銭というものは嵩張るし何より盗賊や強盗に狙われることが多い。それに、取引規模が大きくなればそれだけの現金を用意しなければならなくなる。
そこで商業ギルドに加盟している商会は現金の代わりに証文、いわゆる商業手形を振り出して取引を行う。
取引相手はその手形を商業ギルドに持ち込んで現金化するか、あるいは別の手形を振り出して次の取引を行うことになる。
いずれにしても、この手形に現金としての役割を持たせるには、手形がいつでも現金化できるという保証が必要だ。
その役割を担っているのが各商業ギルドなのだ。そして、それと同時に各商会の現金を預かり、代わりに証文を発行する。つまり、初期的な銀行業務を行っているというわけである。
地球においても12世紀にはイタリアで両替商が手形の原型となる証書を発行していたし、同じ頃日本でも“替銭”という送金・決済システムがあったらしい。
どこの世界であっても人が住み営んでいる以上、必要となる事柄は似ているということなのだろう。
移動すること十数分で商工ギルドに到着する。
ギルドの横手には商人が荷車を置くようなスペースがあり、伊織はそこにランクルを停車させてエンジンを切る。
そして全員で車を降りると、アルバが慣れた様子でギルドの扉を開け入っていき、伊織達もその後に続く。
「アルバじゃないか! 行商から帰ったのか?」
「ああ、つい先程な。グローバニエの金貨の両替を頼みたいんだが」
「グローバニエの? 珍しいな。流れの商人と取引でもしたのか?」
「いや、私じゃない。この人達のだ。帰りに岩オオカミの群に襲われてな。危ないところを助けてもらったんだ。聞くと持っているのがグローバニエの金貨だけでベニン(バーラの通貨)を持っていないそうだ」
ギルドに入ってすぐにあるカウンターにいた男がアルバの顔を見て親しげに話しかけてきたので要件を告げる。
「そういうことか。それじゃ、こっちに…」
「儂が話を聞こう」
「ギルド長?!」
カウンターの男の言葉の途中で割り込むように背後から声が掛けられた。
そこにいたのは好々爺然とした老人である。
男の言葉からすると、この老人がギルド長であるらしい。
「なかなか面白い物を持っておるようじゃの。なに、それほど手間はとらせんから話を聞かせてくれるかの? 無論、両替も受けよう。アルバも同席せい」
どうやらギルドに来るとトップに絡まれるのは異世界物のお約束らしい。
伊織は軽く肩を竦め、英太はちょっと楽しそうに、香澄は溜め息を漏らしつつ老人の後に付いていく。アルバは困ったような、申し訳なさそうな顔で一番最後を歩いていた。
「楽にしてくれ。まずは名乗らねばの。儂はベンの商工ギルドで代表を務めておるバーリントという爺じゃ。まぁ代表と言っても大した権限があるわけじゃないが、長く商会を運営していたからそれなりに方々に顔が利く。
とりあえず、そちらの要件から済ませるかの。グローバニエの金貨、だったのぅ。アルバから聞いておるかもしれんが、バーラとグローバニエの間には国交はない。商人の行き来は少ないながらもあるがな。だからそれなりの手数料をもらわねばならん。良いか?」
応接室のような場所に案内され、重厚感のあるソファーに促されるまま座るなり、老人が切り出した。
アルバが事前に説明していただけあって伊織達も異議を唱えることなく頷き、テーブルの上に金貨が詰まった革袋を3つ乗せる。
その量に老人が驚いたような顔をする。
「全部金貨か? ここの商工ギルドで全て両替するのは無理じゃな。一袋だけ応じるが良いか?」
伊織が頷くと老人は人を呼んで、計算するように指示する。
残りはというと、王都に行くことを告げると商業ギルドに紹介状を書こうとバーリントが請け負った。この街の行商人アルバが連れてきたとはいえ、随分な優遇措置である。
それだけこの後の話が重要だと考えられているのだろう。
「さて、両替を待っている間に少し話を聞かせてもらおうかの。随分と派手な荷車でベンに入ってきたようじゃな。それにオヌシらの格好も見たことのない物じゃ。
回りくどいのは儂は嫌いじゃて、単刀直入に聞くがオヌシらはグローバニエ王国が召喚したという“異世界人”で間違いないか?」
バーリント老人の言葉にアルバが驚きと同時に納得するかのような表情を浮かべた。
英太と香澄は驚きはしないもののどんな対応をするのかを伺うように伊織に視線を向ける。
「ああ、そうだ。で? 手配書でも回ってるのか?」
動揺した様子も見せず、伊織は相変わらずの飄々とした態度で聞き返す。
「友好国でもあるまいし、そのようなものは来ておらんよ。それに今のグローバニエはかなり混乱しておるようでな、それどころではあるまいて」
「混乱、ですか?」
「うむ。儂も詳しくは知らんが、王女が不慮の死を遂げ、そのことに意気消沈した国王が王太子に王位を譲ったらしい。その王太子は、まぁあまり評判の良くなかった男じゃが、王位に就いたことで何か考えるところがあったのか、国を立て直すのに奮闘しておるらしい」
気になるワードが出たので香澄が尋ねると、バーリント老人は顎髭を撫でながら知っている範囲で答えた。
「王女が死んだ、か。ヤレヤレ警告は無駄だったか。っま、予想通りだけどな」
伊織はそれを聞いて肩を竦める。
「……ふむ。あまり深く聞かぬ方が良さそうじゃな。老い先短いとはいえ、最期くらいは穏やかに迎えたいのでな。
まぁそれは良い。儂が聞きたいのは……」
Paaaaaaaaaaa!!
バーリント老人が一際目の力を強めて言葉を重ねようとした、その時、ギルドの建物の外でけたたましい音が鳴り響いた。
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