第11話 再びの旅立ち

 伊織、英太、香澄の3人が湖畔の拠点に来ておよそ1ヶ月が経過した。

 魔力の器も無事に定着し、魔法を含めた訓練も重ねて英太と香澄の能力は当初の想定以上に向上している。

 香澄は元々適性の高かった魔法の、質と発動速度、使える魔法を増やすことなどを中心に鍛錬を重ね、同時に体術とナイフ術を伊織に教わっていた。加えて、高い適性が発覚したので銃火器の取り扱いも訓練している。

 

 英太のほうは身体強化に加えて使い勝手の良い実戦的な魔法をいくつか習得し、また、伊織にしごかれながら格闘術と剣術に磨きを掛けている。

 ただ、本人的には相当に残念なことに銃器、特に拳銃に関する適性はまったくなく、10メートルの距離の的で命中(何とかかろうじて的の端っこに当たる)するのは10発に1発あるかどうかといった状態だった。

 英太に泣き付かれて伊織が色々と試行錯誤しながら教えたものの、1週間以上かけてようやく的の近くに飛ぶ・・・・・・・ようにさせるのが精一杯だったところに伊織の苦労が滲んでいる。

 逆に『ここまで来るといっそ芸術的だな』とまで言わしめたほどだ。

 

 結局、ショックで崩れ落ちた英太を見かねて比較的安全(本人と周囲にとって)で動作不良の少ないリボルバータイプの拳銃の中でも、特に厨二心を満足させるコルト・パイソン357マグナム(シティーハンターの主人公、冴羽獠の愛銃)をチョイスして持たせることにしたらしい。ただし、伊織の許可がないときは絶対に撃たない、そもそも銃に銃弾を込めないという条件付きだが。

 それでもすっかり機嫌を直したのだからチョロい男である。まぁ、リボルバーのマグナムはロマンだよねってことなのだろう。うん。練習では撃って良いことになってるし。

 そんなわけで英太の通常戦闘時のメインウエポンは刀剣類となった。というか、他に選択肢がない。

 

 というわけで伊織が英太に渡したのは、これまた厨二心てんこ盛りのアイテム、“日本刀”である。とはいえ、伊織の説明によると、銃砲刀剣類登録証の所有者変更の届け出をすれば簡単に手に入る美術品・工芸品のそれとは違い、一般鋼材としては強度・硬度・靱性において最も優れている現代合成鋼材のニッケルクロムモリブデン鋼を使って特注された逸品で、通常の日本刀よりも刀身が長く、厚みも1.5倍ほどある。当然それなりの重量があるのだが、鍛錬を重ね身体強化もできる英太にとってはそれほどの負担にはならない。

 とにかく実戦で使えるように実用性重視の代物だ。

 それを脇差し(こっちも通常よりも長い)とセットで渡された英太が狂喜乱舞したのは言うまでもない。受け取ったその晩はベッドにまで持ち込んでいたくらいである。実は結構オタク気質なのかもしれない。

 

 そんなふうに自らの能力向上に勤しむ2人とは異なり、伊織はといえばここのところ昼間の大部分の時間ヘリを使って出かけている。

 時には朝から夕方まで帰ってこないこともあるほどなのだが、本人曰く『周辺の探索』とのことで、地上に降りたりはしていないらしい。ヘリコプターの航続距離などを知らない英太と香澄には真偽はわからない。

 今日も英太と香澄に課題を与えた後は出かけてしまっている。

 

「あら?」

 午前中の体術の鍛錬を終えて英太と休憩をしていた香澄が、湖の方を向いて眉を顰めた。

「香澄? どうかした?」

「ええ、何か湖の水嵩が上がってる気がしたのよ。ほら、あそこのフェンスのブロック、8割くらい水面から出てたはずなのに半分近く沈んでるの」

「……そうだっけ?」

 英太が香澄の指さす方向に目を向けて、首を捻る。

 言われてみればそんなような気がしないでもないが、そもそもそれほど注意して見ていないので覚えていないのだ。

 

「もう! それに、取水して濾過してる給水塔のところも、いつの間にか水際にすごく近くなってるし」

「あ、ほ、ほんとだ! でもなんで? 別に雨とかほとんど降ってないよな?」

 ようやく香澄の言っていることを理解した英太だったが、それほど気にしているようには見えない。

「それはわからないけど、多分、湖の水源になってる川から流入してる水が増えてるんだとと思うわ。その川の源流とかの場所にかなりの雨が降ったんじゃない? どっちにしても伊織さんには言っておいた方が良いかも」

 そう言ったもののイマイチ英太には伝わっていないようだった。とはいえ、香澄にしてもちょっと気になったという程度でそれほど危機感を持っているわけじゃないが。

 

 どちらにしても夕方になって伊織が帰ってきたときに話せばいいかと気を取り直し、午後の訓練、射撃の準備をするためにコンテナまで歩き始めたとき、バラバラバラとヘリのローター音が聞こえてきた。

 今日は随分と早く戻ってきたらしい。

 着陸してローターが停止すると中から伊織が降りてくる。それを待って香澄が歩み寄っていった。

 

「伊織さん、お疲れ様です。えっと、ちょっと気になることがあるんですけど、湖の水面が……」

「おう、気がついたか。俺も朝に気がついたんで水源の川を確認してきた。どうやら川の上流、山の方でかなり雨が降ってるみたいだな。

 かなり高度を上げてみたんだが、雨雲がかなり分厚いし、動きも少ない。しばらくは降り続きそうな感じだ。

 っと、いうわけで、念のため移動することにしよう。このまま水位が上がってこの辺りが水浸しになると撤収するのも大変だからな。

 訓練も粗方目処がついたし、後は移動しながらでも大丈夫だろう。それに……」

「それに?」

「いい加減飽きてきた」

 

 肩を竦めながら言ってのけた伊織に香澄は苦笑いで返すしかなかった。

 気持ちとしてはわかる。

 英太と香澄はまだ能力の向上のための鍛錬をしなければならないという意識があったために、ある意味充実した1ヶ月ではあった。

 おかげで王国で過ごしたことで蓄積されていた心身の疲労もすっかりと抜けたし、安全な住処とゲームやDVDなどの娯楽、美味しい食事にお菓子・デザートの数々に、いっそ当分はこの生活も良いんじゃないかとすら思ったりするほどだ。

 しかし、訓練の監督とヘリによる探索しかすることのない伊織にしてみればやはり退屈な部分があったのではないかと思ったのだ。

 そろそろ日本に帰るための行動を取った方が良いのではないかとも考えていたので丁度良い切っ掛けなのかもしれない。

 

「おし。んじゃ撤収準備を始めて、そうだな、明日の早朝に移動しよう」

「そうですね。わかりました」

「あ、はい、了解っす」

 いつの間にか英太も近くまで来ており話を聞いていたのでスムーズにことは進む。

「とはいえ、撤収にはそれなりに時間が掛かるからな。トレーラーハウスと給水設備、それから浄化槽は明日撤収するとして、時間はたっぷりあるから順番にやっていこう」

 

 そう言って伊織はまず例によってあの宝玉のついた金属のパーツを取り出し魔法陣を形成、異空間倉庫を開く。

 倉庫の出入口の大きさは魔法陣の大きさによって変わるらしく、アパッチを出したときほどの大きさではない。精々幅10メートルほどだ。

 伊織の異空間倉庫は大きく分けて3つ。

 

 一つはヘリコプターやトレーラーハウス、重機など大型の設備や銃火器、建築資材などの少々の時間経過は問題にならないものを中心に保管されていて、伊織だけでなく英太も香澄も入ったことはあるのだが、あまりに広大で保管してある物の種類によっていくつものブロックに分かれているので全貌はまだわかっていない。

 ちなみにその内の一つに衣料品や装飾品などが保管してあるブロックもあった。品物ごとに箱で分けられて保管されていたのだが、店舗のように陳列されているわけではないので必要なものを揃えるのがそれなりに大変だった。

 

 もう一つは主に食料品などを保管してあるもの。ここもいくつものブロックに分かれていて、中には冷蔵や冷凍設備があるブロックもあるらしい。

 この二つの異空間倉庫は今のように地面に魔法陣を描き、所定の場所にあのパーツを並べなければ開くことができないらしい。なお、開くためにはその魔法陣が必要だが、一旦開いてしまえば伊織が閉じない限りそのままの状態で維持できるらしい。

 それに魔法陣による指定でどのブロックのどの場所に扉を開くかを選ぶこともできる。

 

 最後が、大きさは大型倉庫程度の空間で、中には無数の大型コインロッカーのようなものが並んでいるものだ。

 このロッカーは一つ一つに特殊な術式が掛けられており、中に入れたものの状態を保存することができるらしい。状態保存の魔法というよりも、一つ一つが別の異空間倉庫のようになっているそうだが。

 ちなみに伊織が時折出しているハンバーガーやフライドチキン、牛丼などはここに保管されている。

 その他にも必要そうな物品の一部はここに保管されているのだが、その理由は先の二つと異なり、この異空間倉庫は伊織が身につけている腕輪と身体に刻まれた刺青の魔法陣によって開くことができ、場所をあまり選ばないということらしい。その代わりに腕輪に込められた魔力を一度に使い切るために数日に一度しか開くことができないし、一定以上の大きさのものは入れられないなど制約が多い。

 

「開くまでが面倒ですけど、やっぱり便利ですよね、これ」

「ああ。ラノベみたいなアイテムボックスとか、水色のダルマ型ロボットの四次元ポケットでもあればもっと良いんだろうが、ありゃ無理だからな。まぁ、その内教えてやるよ」

 そう言って伊織は英太と連れ立って中に入っていく。

 まずは必要な装備を調えなければならない。

 

 伊織と英太が異空間倉庫に入っている間に香澄は射撃練習の場所を片付けることにする。

 銃器を置く台になっていた長テーブルを折りたたみ、的と一緒にコンテナに収納する。次いで積み上がっている土嚢が崩れて事故が起こらないように意図的に崩した。

 土嚢の袋は麻でできているのでそのまま放置しておいても問題ないらしい。再利用するにも射撃練習で大きな穴がいくつも開いているので使い道がないのだ。

 本来ならば銃弾の弾頭は回収した方が良いのだろうが、さすがに無理そうなので良心が痛むが諦める。

 

 そうこうしている内に、伊織が大型のSUV、トヨタ製ランドクルーザーとその後ろに牽引されたキャンパー(キャンピングトレーラー)を、英太が大型のフォークリフトを操ってコンテナを運んできた。どうやら移動用に使う車と必要な物資らしい。

「よし。とりあえず最初に準備しなきゃならないのは銃器、弾薬と防具類だな。それから部屋の荷物を整理して不足しているものを補充しよう」


 伊織の指示に従い、英太と香澄は自分の持っている拳銃を元からあるコンテナにしまって、伊織の運んできたコンテナから同じものを取り出す。

 拳銃の使用弾薬にもよるが、寿命で大体1~5万発発砲すると使えなくなる。もちろんパーツを交換すればまだ大丈夫だともいえるのだが、使用者や周囲の安全のためにも新品に交換した方が良い。

 伊織の勧めで予備としてもう一丁取り、次いで弾薬も確保する。

 その他の銃器、サブマシンガンやライフル、ショットガンも同様に新しい物に交換した。どれも銃身は何度も交換しているが、やはり訓練で相当数使用しているから念のために新しい物に代える。

 

 交換した銃器は拳銃はホルスターに、予備のものと他の銃器はそれぞれケースにしまい、予備の弾薬と共にランドクルーザーのカーゴスペースに積み込む。

 防弾・防刃のジャケットとボディーアーマーも同様に新品と交換し、3人は一旦自分のトレーラーハウスへ。

 まとまった荷物から順に車に積み込んでおく。ただし、今夜と明日の着替え分は残す。

 

 一番最初に伊織が、次いで英太が荷物の準備を終えたので、フェンスの撤去を始める。といっても重量が重いためにそのまま置いてあっただけのフェンスの撤去はそれほど手間は掛からない。

 最初の数台を伊織の誘導で移動させてからは英太ひとりでも問題なく作業が進められた。

 伊織ももう一台のフォークリフトを出してコンテナなどを片付けていく。

 一晩だけとはいえ、これまで周囲を囲っていたフェンスがなくなるのは不安もあったが、これまで一度も大型の野生動物が近づいてきたことはなかったので大丈夫だろうと判断する。

 

 こうして準備は順調に進み、日が傾く頃にはトレーラーハウス関連を除いた全ての片付けが終了した。荷物を積んだランドクルーザーも再度異空間倉庫に戻している。

 その日の夕食は保管してあった冷凍食品で簡単に済ませ、早めに就寝することにした。

「しばらくはひとりでDVD見たりできないからな。今日の内に見ておけよ」

「な、なななんのことっすか? べ、別にそんなの全然大丈夫っすよ!!」

 別れ際に伊織が英太にコソッと話しかけるのを香澄は怪訝な顔で見ていた。

 

 

 

「んじゃ、そろそろ出発すんぞぉ」

「あ、はい」

「うぃっす。でもなんか広く感じますね。ちょっと寂しい感じがします」

 トレーラーハウスや給水施設の撤去を済ませ、土嚢や浄水槽の穴を埋め戻した跡などを除けばすっかり元の状態に戻った原っぱを眺めながら英太が零す。

 慌ただしく王国を脱出してから1ヶ月の間、ここで過ごしていたのだから無理もないだろう。

 とはいえ、日本に帰るにしてもこちらの世界に残るにしても、人里と隔絶したこんなところでずっと過ごすわけには行かない以上、いずれは離れなければならない。

 

「そうね。でもこれ以上ここにいるのは難しそうだから仕方がないわよ」

 香澄は英太に同意しつつも現実的な意見を言う。

 こういった部分では女性の方が男性よりもドライなのかもしれない。

 ただ、実際、昨日よりもさらに湖面は上昇しており、朝の段階で給水施設の床近くまで水がきていたからほとんど猶予がなかったといえる。

 

 感傷に浸る英太をせっついて香澄がヘリに乗り込み、追うように慌てて英太も飛び込む。

 ヘリの操縦席には伊織が座り、2人は後ろの座席に並んで座った。

 ここに来るときのように戦闘ヘリで変な姿勢のまま乗り込む羽目にならなくてホッとする英太。

 キュン、キュルルル、ヴァン、バララララ……。

 英太と香澄がシートベルトを装着したことを確認し、伊織がエンジンを始動させる。

 すぐにローターが回り出し、軽い浮遊感の後、ヘリは一気に高度を上げる。

 

「どこに向かうんですか?」

 今更ながら目的地を聞いていなかった事を思い出した香澄が声を張り上げて伊織に尋ねる。

「とりあえず南だな。80キロほど南に街道っぽい道がある。その近くにヘリを降ろして、車に乗り換えだ。そこから西に向かう。

 この周辺500kmの範囲は探索して、地図も作っているから安心してくれ」

 いつの間に、と驚きながらも、英太と香澄が配置されていたのが王国南部のオルストとの国境近くであり、この辺の地理に関してはあまり知識がないので、伊織の周到さは心強い。

 

 グローバニエ王国はデサイヌ川流域に版図を広げる人口120万人程度の中堅国家だ。領土欲が旺盛で現在の国王になってから北部や東部の小国や都市国家を征服し、版図を2割以上拡大している。

 だが、結果として北部と東部、それから西部は深い森があるためにこれ以上領土を広げることはできないし、南東部は水量の多い川が流れ、その向こうには小国ながら精強軍を持つ国ギジがある。しかもその国土の大部分は乾燥した地域で攻めたとしても労力の割には旨味がなさ過ぎるのだ。

 そして南部には同じく大陸西部における中堅国家、オルスト王国があり、南侵を長年阻んでいた。版図の面積や人口はグローバニエ王国の方が勝っていたもののオルストは海に面し交易によって富を築いている。その上デザイヌ川下流域に広大な穀倉地帯を抱えていて国力はオルストの方が高かったのだ。

 ただ、オルスト側に北侵の意思がなかったために戦線は膠着していた。

 

 両国の位置関係はうろ覚えだったが、おそらく南の街道というのはオルストの隣国、パーラではないかというのが香澄の見解だった。といっても小耳に挟んだ程度の知識からの推測なので確証はないとのことだが。

 ともあれ、湖畔を離れて30分ちょっと。

 森林地帯を抜けるとすぐにヘリの高度が下がり始める。目的地が近いらしい。

 2人が見下ろしていると髪の毛のように細く街道が見えてきた。

 伊織はそのまま降下を続け、街道を少し外れた荒れ地にヘリを着陸させる。

 

「着いたぞ~。まずは魔法陣敷いちまおう」

 伊織がそう言って操縦席を離れてドアを開け、降りると英太と香澄も後に続く。

 それからは拠点の時と同じだ。

 魔法陣を描いて宝玉付きプレートを設置し、異空間倉庫を開ける。

 ヘリを再度起動させて倉庫内に格納して代わりに荷物を搭載済みのランドクルーザーを出して終了だ。

 

「さてと、いよいよ異世界の旅が始まるわけだが、まずさっきも見えた街道に出る。んで、しばらく街道沿いを走ればいくつかの小さな村があるが、そこは素通りしても良いだろう。そのまま進むと海まで出るんだが、そこにちょっと大きめの街がある。とりあえずの目的地はそこだな」

「それはわかりましたけど、この車で移動って、大丈夫なんでしょうか」

 香澄が何ともいえない表情で尋ねる。

「ん? 大丈夫って、なにが?」

「いや、普通ならこんな目立つもので移動したら大商人とか貴族とかに目を付けられません? セオリーだとこういったのは隠すものじゃないっすか?」

 英太がわかっていなさそうな伊織に補足する。

 確かに異世界転移ものなんかのマンガやラノベでは『魔導車』とかそういうのを作ってトラブルに巻き込まれるのは定番中の定番といえる。

 

「ああ、確かに面倒も多少あるかもしれないけどな。んでも目立たないようにってせっかくある物を使わずに何百キロも歩いたり、乗り心地が悪い上にクッソ遅い馬車なんか使いたくないだろ? 大体、そういうのってどっちにしろバレて面倒事が起きるのもお約束なんだから、だったら最初から隠さなくても一緒だ、一緒」

 あっけらかんと言ってのける伊織。

 あまりに平然としているので二の句が継げない香澄と英太。

 その上、さっさと先にランドクルーザーに乗り込んでいってしまった。

 

 唖然として顔を見合わせる2人だったが、なんといっても決定権は伊織にある。というか、今身につけているものも含めてほとんど全てが伊織の所有物なのだから、伊織が良いというのなら従うほかない。

 もちろん、必要な場合は意見も言うし、場合によっては反対することだってする。そして伊織も2人の意見を完全に無視したりすることはないだろうと思っている。

 まぁ、もし本当に厄介ごとに巻き込まれたら盛大に文句を言ってやろうということで納得し、2人も車の後部座席に乗り込んだ。

 

「ああ、そうそう、これを渡しておくわ。ホイ」

 そう言って座ったばかりの香澄と英太に伊織がそれぞれバレーボールくらいの大きさの革袋を投げる。

「うわっと、なん、おっも!」

「な、なんですか? コレ、って、金貨?!」

 無造作に放り投げられた革袋を受け取って、あまりの重さに驚く。

 しかも中を見ると、金貨がぎっしりと詰まっていた。

「なにをするにしても先立つものは必要だろ。別に俺のってわけじゃなくて、王宮の宝物庫からかっぱらってきたやつだから心配すんな」

 

 平然と泥棒してきましたとカミングアウトするオッサン。

「王国から盗んだんですか?!」

「そ、それって、ヤバくないっすか?」

「あれだけのことをしてバックれたんだ。今更罪状の一つや二つ増えたところで変わりゃしないって。それに散々こき使われた慰謝料と退職金とでも思っときゃ良いんじゃねぇか? 俺の分は……まぁ、迷惑料ってことで。

 それと同じ袋があと50個くらいあるから、後で均等に分けよう。

 ただ、その金はあのクソ王国の通貨だからな。どこかで両替する必要があるだろうな」

 

 罪悪感の欠片もない言い種だが、盗むという行為自体に抵抗はあれど英太と香澄にしても王国に対して積もりに積もった鬱憤やら恨みやらがあるので罪悪感を感じるというわけではないようだ。

 どちらにしても伊織が言うように王国の通貨を他国で使うには当然両替をしなければならない。

 国によって金や銀の含有量は異なるので革袋一杯の金貨がこれから行く国でどれくらいの価値があるのかはわからない。実際には貴金属としての価値はもちろん、国交や交易があるかどうかでも両替比率レートは変わってくるだろう。

 

 ラノベなどでは通貨が共通の描写が多いが、現実にはそんなことはあり得ない。

 通貨発行権は国としての重要なカードであり、他国と共有することなど絶対にない。そんなことをすれば金融政策が国主導で行えなくなるからだ。

 共通通貨などという代物は高度な情報システムが前提にあって始めて機能する。だが、それがある現代地球の、比較的狭い範囲、似通った価値観であったユーロ圏ですら上手くいっているとは言い難いのだ。

 それはともかく、この王国金貨が両替できるかどうかは行ってみなければわからないが、小競り合いをしている国同士であっても商人の行き来は必ずある。

 多少価値が目減りするにしても元が自分達の金じゃないので特に問題はないだろうという結論に達した。

 

「もしレートが低くても、他にも金や銀の地金とか高そうな装飾品、宝石もそれなりに持ってきたから大丈夫だろ」

「いや、マジでなにしてんすか!?」

「他では絶対にしないでくださいね!! 王国はどうでもいいけど」

「と、とにかく出発しよう」

 青少年2人のツッコミに目を泳がせながら、強引に話を逸らした伊織。

 車のエンジンを掛け、ゆっくりと街道に向かってアクセルを踏んだ。

 

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