第9話 勇者召喚の真実

 多元世界と伊織が便宜上呼んだ概念は、地球の所属する宇宙とは異なる次元、空間に複数の、それこそ無数と呼べるほどの世界が存在するというものだ。

 現代の物理学に正面から喧嘩を売っているような理論ではあるが、現に異世界に召喚されたのだから信じるしかない。

 そもそも、さも事実のように語られているビッグバン理論ですら複数の銀河が遠く離れているほどに早く遠ざかっていることから宇宙そのものが膨張しているのではないかと考え逆説的に唱えられるようになったものだ。冷静に証拠を検証すれば、根拠となるものがあまりに乏しい空想理論に過ぎないことが分かる。

 なにしろ、計算上宇宙の誕生は約138億年前なのに宇宙に存在する観測可能な星のもっとも古いものは145億年前のものである可能性が高いらしい。

 

 このように地球の所属している宇宙ですら、現代の物理学では説明できない事象だらけなのだ。

 その中でも特に謎とされ数多の理論、異論が錯綜しているのが、ビッグバンで生じたエネルギーの総量を計算すると現在宇宙に存在する物質はエネルギー量の5%を占めているに過ぎないと推測されている点である。一般的に言われているのは、残りのうち30~40%をダークマターが、残りはダークエネルギーが占めるとされるものだが、実際にこのダークマターを観測した例は存在しないし、その存在を証明しているとされている事象も実際にそれがダークマターであると証明できるものは何もない。

 ダークエネルギーにいたっては計算上のエネルギー総量の差異を無理矢理説明するために創られた根拠のない存在でしかない。

 

 伊織の説明によると、この世には無数の次元、無数の世界があり、通常それぞれの世界はまったく繋がりがない状態で別々に存在しているらしい。

 世界と世界の間には文字通り『何も存在しない』とされ、距離も形も大きさも時間ですら存在せず、ただ、それぞれの世界を隔てる『壁』があるだけだという。

 その無数にある世界のひとつの、ある一点とこちらの世界の一点、これは場所や時間の概念も含んだ点を結んで、そこにあるものを引き寄せるのが召喚魔法と呼ばれるものだそうだ。

 

 ここで問題となるのがそれぞれの世界にある『壁』の存在で、他の世界から人なり物なりを召喚するには、こちら側の世界の壁と、相手側の世界の壁の2つを開かなければならない点だ。

 この壁の特質として内側から開く場合に必要なエネルギーよりも外側から開くエネルギーの方が何十倍も必要になるらしい。

 本質的には異世界との行き来も、伊織の使っている異空間倉庫も同じ魔法に分類されるのだが、伊織の異世界倉庫は伊織自身が創りだした空間であり、特定の術式によって外側からでもほとんどエネルギーを必要とせずに開けることができる、言ってみれば堅牢な建物が鍵をもっている人は簡単に入る事ができても持っていない人が入ろうとすると多大な労力が掛かるのと同じようなものだと考えると理解しやすい。

 

「それで、だ。ここから魔法という現象の根源的な部分の話になるんだが、魔法ってのは大きく分けると2つの種類に分けられる。どういうことか分かるか?」

 小難しい世界論を展開した後、伊織は唐突に英太と香澄に質問を投げる。

「えっと、2つっすか? 4大元素ってことじゃなくて、属性魔法と無属性魔法とか、そういうことですか、ね?」

 突然の質問に面食らいながらも少し頭を捻って英太が答える。

 が、伊織は、そうそうラノベとかだとそう言うだろうなぁとか考えてそうな顔で首を振る。

 

「もしかして、自分の内部に影響するものと、外部に影響を与えるもの、でしょうか?」

 香澄は考え方のアプローチを変えたようだ。

 それには伊織も良くできましたとばかりに唇を歪める。

「かなり近いけど、ちょっと違う。まぁ、現象としてはほぼ正解だけどな。

 魔法には色々な分類の仕方があるし、それぞれの世界によって考え方も異なるが、2つに分ける場合はこれしかない。

 つまり、自前の魔力を使ったものか、外部の魔力を使ったものか、だ」

 もったいつけてそんな説明をされても英太も香澄も理解しきれていない。

 

「魔力、気、霊力、プラーナ、フ○ース、国や宗教、思想によって呼び方は様々だけど本質的には同じもので、万物全てに宿るとされている」

「最後のは違うと思う……」

「権利関係が面倒だからそう言う発言は控えた方が良いんじゃ……」

 2人のツッコミをさらりと無視して伊織は続ける。

 

「そして、それとは別に全ての世界の外側、文字通りの別次元、高次元と言った方が良いかな? そこには純粋で膨大な、それこそ宇宙そのものをいくつでも作り出すことができるほどのエネルギーが存在している。俺達の認識している宇宙もそこから漏れ出したエネルギーが形作ったものだ。

 まぁ、俺もそう教わっただけで確証はないし、壮大すぎて人間の想像力では理解することは難しいけどな」

「ああ、ここでさっきのダークマターとかダークエネルギーの話に繋がるんですね」

 

「そゆこと。んでだ、話を戻すと、人間が持っている魔力、それを使って行使する魔法、これは基本的に自分や魔法を行使した相手の内部でのみ影響を与える。いわゆる身体強化や治癒魔法と呼ばれるものだ。

 それに対して、もうひとつの魔法は自分の魔力や他のエネルギーを媒介して高次元のエネルギーを引き出し、方向性を持たせて具現化させる。そしてそれは引き出すエネルギーが大きくなればなるほど触媒となる必要なエネルギーも多くなる。

 

 おかしいと思ったことはないか?

 魔法で火を生み出すことはできる。だが、物理法則からいえば火を出すためには何もない所に可燃性の気体を集めるなり生み出すなりして、その気体分子を発火点以上になるまで振動させなきゃならない。しかも重力を無視して、気体が拡散しないように、だ。

 空気に含まれる可燃性の気体は、メタンが0.000181%、水素は0.00005%しかない。知覚できるくらいの火を出そうと思ったら周囲数キロもの範囲からそれらの気体を集めるか、水蒸気を電気分解して酸素と水素に分離するしかないがそんな形跡はない。だとするとその場で可燃性気体を新たに生み出しているってことになるんだが、人間が出せる魔力に現実の物質を無から創り出す程の力はない」

 

「つまり、魔術師は自分の魔力を触媒にして高次元からエネルギーを引き出して使っているってことですか?」

「ヤバイ、脳味噌焼き切れそう」

「ああ、まぁその気があるなら魔法に関しては詳しく教えても良いけど、それはまた今度な。

 んでだ、こちらの世界の壁と別の世界の壁に同時に穴を開けるには膨大なエネルギーが必要になる。それこそ火を起こすとは比較にならないほどの、な。

 エネルギー自体は時間さえ掛ければ何とかなる。魔力を溜めるための素材は多少なら俺も手持ちがあるし、探せばこっちの世界にもあるだろうし、天然の素材で高い魔力を含有しているものだってある。魔法文字の探索や魔法陣の研究と平行して進めることもできる。ただ、集めたエネルギーを1つにまとめて一度に取り出すための触媒は特殊でな。希少な素材も大量に必要だし精製するのにかなりの手間が掛かる」

 

「それって、こちらの世界でも手に入る素材なんですか?」

「そいつは大丈夫だろうと思ってる。環境的に俺が以前行く羽目になった異世界も地球もここと似通ってるから、構成している物質もほぼ同一であるはずだ。そうでなければもっと異なる世界になってたはずだからな」

 希少な素材と聞いて不安そうな表情を浮かべた香澄の質問に、安心させるように伊織が答える。

 

「ってことは、地球にもあるんですか? その触媒って」

「名前くらいは知ってるはずだぞ。ゲームやラノベの定番中の定番だしな」

「……それって」

「そっ! 賢者の石」

「うっわ、ベッタベタじゃん!」

 確かに伝承にある“賢者の石”の特性と伊織の説明する触媒には共通点が多い。

 だが、ここでベタなアイテムを登場させるところに狸の想像力の乏しさを感じなくもない。

 英太の感想に伊織は苦笑いである。

 

「でも全部揃えるにはかなりの時間が掛かりそうですよね。日本に帰ることができたとしても浦島太郎みたいなことになりそう」

 香澄の懸念はもっともである。

 ただでさえ2人がこの世界に来てから10ヶ月も経っているのだ。これから伊織の語った準備が整うのに何年かかるか分からない。

「そのことなんだけどな、2人が日本から召喚された日付と時間って覚えてるか? 日本での日時だが」

「えっと、6月の中頃だっけ?」

「2019年の6月12日水曜日の午後4時半くらいです」

 適当な英太とは違って香澄はおよその時間まで覚えていたらしい。

 

 それを聞いて伊織はニヤリと笑う。

 意地の悪いものではなく、『よっしゃ!』といった感じの笑い方だ。

「俺が召喚されたのは2019年7月1日だ」

「「え?!」」

「さっきも言ったが、それぞれの世界ってのは完全に独立した存在だ。当然流れた時間も連動していない。だからこっちの世界で何ヶ月経っていようが日本との時差なんかは意味自体がない。


 それぞれの世界の時間の流れってのは、言ってみればレコード盤が別々に宙に浮いているようなものでな。2つの世界を繋げるってことは、そのレコード盤のどこかの点に針を落とすのと同じなんだよ。だから繋いだ位置、つまり針を落とした位置によって時間の経過は異なってくる。

 そして、細かな理屈はさすがに俺も知らないんだが、どういうわけか時間は遡ることができない。だから俺が召喚された以前の地点に空間を繋げることはできないが、以降であれば繋げることが可能だ。

 

 だからこっちで何年経っていても2019年7月1日以降なら戻れるんだよ。しかも、これは個別の存在にのみ適用されるから、2人だけなら2019年の6月12日午後5時くらいに戻ることだってできる。

 まぁ、実際には術を行使するのが俺になるだろうからこっちに合わせてもらわなきゃならないが、それにしたって2人は2週間ちょっと行方不明ってだけで済む。

 後はそれまでに老けなきゃ良いだけだし、そっちは何とでもなるからな。多少体型が変わる程度ならそれほど不審には思われないだろ」

 

 最大の懸念事項をいともあっさりと払拭した伊織。

 英太と香澄の2人はポカンと酸欠の金魚みたいに開けたまま呆然としている。

 その間に伊織はコーヒーを『ダバダ~』とか歌いながら入れ直し、冷蔵庫からチョコレートケーキを出して器に移す。店の名前の入った高級そうな箱。当然中身もその店のものだろう。ここが異世界であることを考えればとんでもない高級品である。

 それらを手に戻った伊織が、英太達の前に置いた音で我に返る2人。

 

「ま、マジで帰れるんですか?!」

「こ、これ食べて良いんですか?!」

 ほぼ同時に全然別のことを聞く英太と香澄。

「香澄?」

「う、だ、だって、このチョコケーキ、銀座の有名店のなのよ? つい……」

 女子はいつだってスイーツに目がないらしい。

 いつものしっかり者の仮面を脱ぎ捨ててスイーツ女子にチェンジしてしまったようだ。

 

「くくく、話の続きは食ってからにしようか。喋りすぎたんで俺もひと息入れたいしな。まぁ、結論だけ先に言っておくと、帰れるぞ。まぁ、ちょっとばかし時間は掛かるけどな」

 そう言うと伊織はコーヒーを一口。そしてデザートフォークで大きめに切ったチョコケーキを口に放り込む。まるでスーパーで買ってきたデザートを食べるように無造作である。少々もったいない。

 

 英太はもっと説明して欲しそうだったが、香澄は既に目の前のケーキに夢中である。これ以上邪魔をすれば香澄に怒られそうだし、諦めて自分も楽しむしかない。第一、英太も甘い物は嫌いじゃないのだ。

 一旦話は中断してティータイムと相成った。

 伊織はわずか数口でケーキを平らげ、コーヒーを飲みながら微笑ましそうに2人を見ているし、香澄は至福の表情を浮かべながらゆっくりと味わいながら食べている。

 

 全員が食べ終わって、ひと息ついた頃、ふと思いついたように香澄が伊織に質問する。

「あの、王国が私達を召喚した時の魔法、アレをそのまま使って帰ることはできないんですか? 一から解読したり触媒を探したりするよりも労力が少なそうな気がするんですけど」

「ああ~、そういやそうだね。伊織さん、それじゃ駄目なんすか?」

 英太もそれを聞いて同じく伊織に注目した。

 

「効率だけを考えればそれが一番簡単なのは確かだな。あの魔法陣はあくまで異世界からこの世界に人を引き寄せるものだけど、少しアレンジすればこちらから向こうに送るように調整することも可能だろう。その場合ならもっと早くに魔法陣の改良はできるかもしれない」

「マジっすか? だったら…」

「だが! 俺はそれをする気はないな。っていうか、誰であれするべきじゃない。2人があの魔法がどんなものか知らないんだったらそう言う意見が出てくるのは仕方がないが、あれは完全に邪法というべきもんだ」

「邪法、ですか?」

 

「ああ。知らなかったのならちょっとばかしショッキングな話になるが、やっぱり知っておくべきだろうな。

 ……さっきも話したが、世界を隔てる壁を開けるのは膨大なエネルギーが必要になる。だが、人間が持っている魔力程度じゃ数十人集まってもそのためのエネルギーを高次元から引き出すことはできない。

 あの魔法陣はある方法で引き出したエネルギーを魔力に変換してこちら側と召喚先の世界の壁を開くための触媒とするのと同時に、引き寄せる際にその対象に余剰となった魔力を強引に付与する術式になっている。

 そして、その方法だが、地球でも世界各地で似たような事が行われていたが、いわゆる“生け贄”から全てのエネルギーを吸い取るというものだ」

 

「!! そ、それじゃあ」

 言葉の意味が理解できたのだろう、英太が顔色を変える。

「で、でも、人間の魔力程度じゃ何人いても無理なんじゃ…」

 先程の伊織の言葉を思い返しながら香澄が疑問を呈する。

「言ったろ? “全てのエネルギー”だ。

 人間を構成するものは大きく分けて3つある。

 1つは見たり触れたりすることのできる“肉体”、それからいわゆる魂と呼ばれることもある“霊体”、そして肉体と霊体をピッタリと貼り付ける中間材の役割を持つ“幽体”だ。

 

 人間はその3つが重なり合って構成されているんだが、分かりやすく言うと、肉体はパソコン本体、霊体はごく基礎的なOS、幽体が各種アプリケーションみたいなものだ。能力や記憶は肉体と幽体が、気質や性格は幽体と霊体が担っている。

 人間は死ぬと肉体と霊体を繋いでいる幽体がそれぞれから離れる。そうすると肉体は生命活動が止まって朽ち始め、霊体は輪廻の輪に戻る。残った幽体は時間経過と共に霧散していく。

 幽体ってのは魔力の固まりでもあって、肉体と同じく記憶を、霊体と同じく感情を保持していて幽体に残ったそれらが強いとしばらくの間幽霊として霧散せずに留まることがある。といっても、多少時間が掛かるだけでいずれは霧散するんだけどな。

 考えてもみろ、恨みを残して死んだ人間が全部幽霊になって消えることがないなら世の中幽霊だらけになるし、平安時代や石器時代の人間の幽霊だっているはずだろ?

 

 ああ、話が逸れたな。

 とにかくあの魔法陣は幽体と霊体を全てエネルギーに変換する機能をもっているらしい。物質以外の存在そのものを吸い取るわけだから、意図的に吐き出した魔力とは比較にならない程のエネルギーになるわけだ。

 具体的にはある儀式を経て生け贄の血液を媒介として幽体と霊体を引き離し、それを魔法陣に注ぎ込むことでエネルギーに変換する。

 もっとも、それでも1人2人じゃ到底足りないから最低でも数十人、召喚したものに魔力を付与しようとするなら100人以上の生け贄が必要なはずだ。

 しかも生け贄にされた人間は幽体も霊体も消滅するから生まれ変わることもできない。

 2人とも、召喚された時に膨大な魔力を持ったって言ってただろ? それは世界を繋いだ余剰魔力の一部が2人に流れ込んだことによるものだ」

 

 説明を聞く2人の顔は真っ青で、胸の奥から苦いものがこみ上げてくるのを必死に押し留めていた。

「まぁ、そうは言っても2人に何ら罪のある事じゃない。実際に生け贄が殺されて消滅したのは2人が召喚されるよりも前のことで、それもやったのは王国の連中だ。

 魔力だって好きこのんで取り込んだわけじゃない。2人にそれを避けることなんてできるはずがなかったし、2人が魔力を取り込まなければその場で霧散するだけだしな」

 伊織が慰めるように言葉を続け、英太と香澄は大きく何度か深呼吸して気持ちを落ち着けていた。

 

「分かりました。気分は良くないですけど、伊織さんの言ったとおり私達にはどうすることもできなかったし、できるだけ気にしないようにします」

「う、うん。俺も。けど、そうなるとやっぱり最初に伊織さんがいった方法で準備するしかないってことっすね」

 異世界召喚の真実は2人にとってもショックではある。

 しかし、2人とも既に戦場で人を死なせるという試練を経ているのだ。今更、それもどうしようもないことを気に病んでも仕方がないことくらいは理解していた。

 

「それで、これからどうするんですか?」

 暫しの間重苦しい空気になったが、それを打ち破るようにことさらに明るく英太が声を上げた。

 おそらくこうやってこれまでも2人で精神的に支え合ってきたのだろう。

「そうだなぁ、まずは落ち着いて心身を休ませるってのが第一だが、この世界を探索する前に色々と準備をしておきたい。

 具体的には、君達2人の戦闘力をもう少し盤石にしておく必要があると思う」

 

「……たしかに、それなりに戦闘には自信ありますけど、誰が相手でも大丈夫って程じゃないっすね」

「そうね。今回の脱出劇でも力不足は痛感したわ。直接的な戦闘力ももっと鍛えたいし、伊織さんさえ良ければ魔法も教えて欲しいです」

 2人とも勇者などと言われていたものの実力自体は絶対的な程じゃなかったのは自覚している。ただ、魔力が桁外れに多いために他の実力者よりも持久力が高かっただけなのだ。

 それでも王国が勇者に拘ったのは使い捨てにしては強力なカードだったというだけのことなのである。だから敵を崩すための遊撃的なポジションで酷使されてはいたが、戦略的に重要な場面では蚊帳の外に置かれていた。

 

「んじゃ、まずは2人の魔力を定着させてしまおう」

「え? て、定着って?」

 意味がわからず聞き返す英太。香澄もキョトンとした顔だ。

 もっとも想定内だったのか、伊織は気にせずに説明を続ける。

 その内容は、まず2人が持っている魔力はあくまで外部から強引に注入されたものであること。それは伸縮性のある革袋に強引に水を注いだ状態と似たようなものらしい。

 革袋は魔力を保持できる器を表し、その器の分だけ魔力を使えるし、減れば時間と共に回復する。

 

 だが、2人の器は引き延ばされたものであるために、少しずつ元の大きさに戻っていってしまう。多少は元のものよりも大きくはなるが、召喚された時のアドバンテージはそれほど長くは持たないらしい。

 伊織の予想では既に当初の7割程度にまで保持魔力は減っているのではないかとのことだった。それでも宮廷魔術師達の数倍は保持しているのだが。

 それでもこのままでは時間を経るにつれ保有魔力という点では弱体化してしまう。

 これを止め、現在の器の大きさが最小の状態になるように調整する必要があるそうだ。

 

「そんなことができるんですか?」

「術式としてはそれほど難しいものじゃない。少ないものを無理矢理増やすんじゃなくて、持っているものに合わせて器を広げて、その状態で固定するだけだからな。まぁ、完全に定着するまで2、3週間くらいは掛かるし、その間は一切魔法使えないけどな。だから不測の事態があり得る他人のいる場所でするわけにはいかない。その点、ここなら他に誰もいないし丁度良いと思うぞ」

 英太と香澄は納得したように頷く。

 

「あと、直接的な戦闘力に関しては、別にこっちの世界に合わせる必要もないからな。銃器を含めて訓練していこうと思う」

「うっわぁ、めっちゃチート」

「当たり前だろ? 何で同じ土俵でやり合わなきゃならないんだよ。使えるものがあるなら遠慮なしに使うさ」

 異世界もののセオリーを完全に無視して現代科学万歳宣言に英太が微妙な顔をする。が、反対をするつもりもないらしい。

 どれほど腕を磨こうが接近戦では不覚を取る可能性は排除できないのだから当然といえば当然である。

 ロマンでは命は守れないのだ。

 

「あの、1つ聞いておきたいんですけど、良いですか?」

 弛緩しかけた空気を引き締めるように、香澄が真剣な顔で伊織を見据える。

「……良いよ。聞きたいことがあるなら遠慮せずに言いな」

「どうしてそこまでして私達に力を貸そうとするんですか? 伊織さんならひとりでもこの世界で生きていくのに不自由はしないだろうし、日本に帰ることだってできるはずです。

 この世界の情報だって私達が知っている事はもう伊織さんも把握してるんですよね。なのに、わざわざ私達みたいな足手まといを連れていこうとする理由を教えてください。

 私達に何をさせようとしているんですか? 何か目的があるんじゃないですか?

 先に言っておきますけど、自分のものになれとか言われるなら一緒には行動できないです」

「か、香澄?」

 

 英太は香澄の発した強い言葉に驚きの声を上げた。

 香澄自身も思わず言いすぎたと感じたのか、言い終えてから気まずそうに俯く。

 どうやら心の奥に押し込めていた不安が、色々と想定を超える事態で遂に噴き出してしまったようだった。

 同じようなことは英太の頭にもあったのは確かだが、現状では2人に頼れる人などいない以上、伊織の思惑はどうであれ一緒に行動するしかないと考えていた。

 無論、まだ完全に信用できるほどの関係を築けているとは思っていないし、何があっても香澄だけは守るつもりであったが。

 

 不信感をあらわにした言葉を投げつけられた伊織はといえば、いつもの揶揄を含んだ笑みではなく、透明感のある至極穏やかな表情で微笑んでいた。

「まぁ、こんな短期間で信用しろってのは無理だろうな。別に俺を信用する必要はないし、どれほど信頼できそうに見えても完全に心を許すなんてことはしちゃいけない。だから香澄ちゃんの言い分は当然だし、気にする必要はないぞ。


 とはいえ、納得できるかどうかはともかく、ちゃんと理由は説明しとかないとな。

 まず、2人を王国から連れだした理由だが、これは単純に同郷のそれも若い連中が拉致されていいように扱われてるのが気に入らなかったってのが一番の理由だな。

 それに最初に言った、こっちの世界のことを知りたいってのも嘘じゃない。同郷ってだけで考えるであろうこともある程度は予想ができるし、価値観も近いだろうからな。

 それに、日本に帰ることを望んでいるのなら、その手がかりや手段を俺が持っている事を示せば裏切られる可能性はかなり低くなる。

 

 それと、香澄ちゃんは足手まといなんて言うが、俺はそうは思っていない。2人とも現段階でもそれなりの力は持っているし、必要に応じて訓練をさせれば十分な戦力になる。まぁ別に戦争に関わろうなんて考えてる訳じゃないが、これから先なにがあるか分からないしな。

 さらに、ひとりだと何をするにも制限が多い。やるべきことを分担して行う必要も出てくるし、状況によっては交代で見張りをしたり、手分けして何かをしたりする必要だって出てくるだろう。ひとりじゃ不意を突かれることだってあるしな。

 

 そして、何よりひとりってのは色々と辛いんだよ。

 以前別の異世界に行く羽目になったって話をしただろ? その時はたったひとりで、言葉も通じない、チートな能力もない、持っている物だってほとんど着の身着のままで財布とペットボトルのお茶一本だけ。

 何度も死ぬかと思う目に、いや実際に何度か死にかけたりしたが、言葉を覚えてスラムみたいなところに住みながら必死に帰る方法探して、運良く魔法の師匠に出会うことができるまで本当にきつかったよ」

 

 伊織の語る言葉は、そのまま英太と香澄の心の中を表すものでもあった。

 2人にとってもこちらの世界はお互いしか頼る相手はいなかった。伊織よりはマシだろうが、それでも幾度となく心が折れそうになったのだ。

 それをたったひとりで乗り越えてきた伊織の言葉は語る内容以上に重く、2人を見るまなざしは何よりも雄弁に東宮寺伊織という人間を証し立てているように感じられた。

 

「そんなわけで、俺としちゃ能力云々より何より、背中を預けられる仲間ってのが欲しい。そのためには俺と行動を共にするメリットをしっかりと理解してもらって、その上で力を借りる。逆に2人には俺の助けになっているんだと自覚できるくらいに能力を伸ばしてもらいたい。

 ああ、あと、できれば日本に帰ってから俺の事業を手伝ってくれるとマジで助かる。地球じゃ俺の能力全部知ってるっていうか、教えられる奴っていないんだよなぁ。だからファンタジー能力もってる奴に手伝って欲しい。ってか、帰ったら本気でスカウトに行くからヨロシク。

 だから、最初にちょっと脅すように帰ってからの事なんかを言ったけど、できれば日本に帰るって決断をしてもらえると助かる」

 

 最後は結局冗談めかした言葉で締めくくったが、もしかしたら照れ隠しもあったのかもしれない。

「あの、ごめんなさい。お世話になってばかりなのに勝手なこと言って。でも、少しだけ納得できました。帰ってからの事はやっぱり不安はあるけど、とにかく日本に帰ることを目標にしていこうと思います。最終的にどう判断するかはその時にならないとわからないかもしれないけど」

「あ、お、俺もおんなじです。どっちにしても今の俺達は伊織さんに頼るしかないし、伊織さんが俺達を裏切らない限り、俺達も絶対に裏切ったりしません。よろしくお願いします!」

 2人の言葉に頬を掻きながら薄く笑った伊織は、黙って2人の前に拳を突き出した。英太と香澄もそれに応えるように拳を合わせる。

 まるで青春映画か何かのワンシーンのようだ。

 

 とりあえず、今日のところはこれでお開きにすることになった。

 席をたった英太を、器を回収してキッチンに持っていった伊織が指をチョイチョイとして呼び寄せる。

「んで? 差し入れ、どうだった? 見たんだろ?」

「い゛?! あ、その、すごかったっす。ってか、ビックリしましたよ」

「ん~? もしかして、いらなかったかぁ?」

「い、いや、それは、その、えっと……ありがとうございました!」

 ボソボソと男同士のイケナイ会話である。

 

「英太、どうしたの?」

「ひゃい?! な、なんでもないよ!」


 王国脱出初日の夜は更けていく。

 

 

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