第8話 置き土産と帰る方法

 伊織たちが去った王宮。

 その謁見の間にはいまだ国王とセイラ、豚王子、それに多くの貴族たちが留まっていた。

 この場にいるほとんどの者が口を開こうとはせず、謁見の間は重苦しい空気に包まれている。

 下級貴族などはこの雰囲気に耐えながら一刻も早くこの場を立ち去りたいと願いつつも、王族や高位貴族よりも先に退出することなどできるはずもなく、目立たぬように息を潜めるのが精一杯である。

 

 だが、高位貴族達とて心境としては似たようなものだ。

 下級貴族とは違い、単に目に付いたからなどという理由で処断されることはさすがにないだろうが、この国の頂点である国王と、つい先程その権力を実質的に簒奪した王女が、揃って蔑んでいた異世界人からこの上ない屈辱を味わわされ、その上その者達は近衛騎士と王都を預かる第一騎士団の精鋭達を完膚無きまでに蹂躙し、見たことも聞いたこともないものに乗ってまんまと逃げおおせたのだ。

 今はかの狼藉者達に着けられてしまった羈束の首輪を解呪するために複数の魔術師が回りを囲んでいるためにその顔色は伺えないが、気絶したままの元王太子はともかく、国王と王女はどれほどの怒りを心に抱えているか考えるだけで背筋が凍り付きそうになる。

 

 特に冷徹なまでの手段でもって権力を簒奪したセイラ王女が、その怒りを何もしないままに静めるなどとはとても思えなかった。

 現にセイラ王女の首輪の解呪と、外部からの魔法による干渉を防ぐために結界を張っている魔術師達の顔は一様に恐怖と緊張で引き攣っているのだ。

 真っ先にセイラに忠誠を誓っていたあの高位貴族ですら早くこの場を離れたいと考えていたのだから、この重苦しい空気も納得である。

 とはいえ、あの時にこの場にいた王族貴族が留まっているのにも理由がある。

 

 異世界人達があの空を飛ぶ怪物のようなもので轟音と共に立ち去った直後、城内の王宮や関連施設が突如爆発し、その多くが近寄ることすらできないほど崩れ落ちてしまったのだ。

 この世界の人間でも爆発という現象自体は知っている。

 魔法でも何かを爆発させることもできるし、坑道や製粉所などが粉塵爆発を起こす事故などもそれほど珍しいことではない。

 だが、石造りの建物を倒壊させるほどの爆発は魔法でも困難だ。複数の高位魔術師が時間を掛けて準備をすれば不可能ではないだろうが、わずか3人の異世界人にそれだけの魔法を行使することは無理だろうし、そもそも警備の目を盗んでそんな魔術の準備などできるはずがない。

 

 しかし実際に爆発が起こり、召喚の儀式をおこなっていた聖堂や魔術の研究をおこなったり貴重な資料を保管していた研究棟、それに宝物庫も含めた国の重要な施設の数々が再建不可能なまでに破壊された。

 他にも爆発する“何か”がないとも限らないために、現在最低限の警備の兵すらかり出されて城内を探索しているというわけだ。

 その安全が確認されるまでは誰ひとりとしてこの場を離れることができないのである。下手に動いてあの異世界人との内通でも疑われては目も当てられない。

 

 貴族達にとって何時間、いや何日にも感じられる時間が過ぎ、ようやくひとりの騎士が謁見の間に戻ってきた。

「ほ、報告します。城内を隈無く探しましたが怪しい物も不審な魔法陣もありませんでした。これ以上何かを仕掛けられてはいないと思われます」

 その言葉に、貴族達からは一斉に安堵の溜め息が漏れる。

 しかし、報告を受けるために魔術師達を一旦下がらせたセイラの表情は硬いままだ。

 

「……異世界人たちはどうなりましたか?」

「そ、それは……逃げた方角へ追っ手を差し向けましたが、奴等はもの凄い速度で空を飛び去っており……」

「逃げられたと言うのですか!!」

「申し訳ありません!!」

 今度こそセイラの顔は怒りに歪み、騎士は平伏して必死に許しを請う。

 

「どれほど時間が掛かろうと、草の根を分けてでも探し出しなさい! 手足など切り落としても構いません、必ず生かして連れてくるのです!!」

「は、ははっ!」

「陛下! あの者共を反逆者として他国に引き渡しするよう要求してください。王命として」

「う、うむ、そなたに任せる」

 豚王にも伊織達に対する怒りはあるのだろうが、それよりもセイラに対しての恐怖が勝っているようだ。

 実権を簒奪されたばかりだし、何より今のセイラは怒り狂ったドラゴンのように見えて怖くて仕方がないらしい。そういえばセイラの母親であった前王妃も一旦ヒステリーを起こすと手が付けられなかったなどと思い出してチビリそうになっている。

 

 ヒス王女のターンはまだ続く。

「オードル! 首輪はまだ外せないのですか!」

「も、もう少しお待ちください。基本的な術式はそのままですが、一部を書き換えているようです。他に魔術的な痕跡がないことが確認されればすぐに解呪できます」

 伊織に着けられた首輪を外す目処が立ったことでようやくセイラは少し落ち着きを取り戻す。

「では急ぎなさい。それから再び勇者召喚の準備を。今度は生け贄にする奴隷を2000人に増やし、複数の異世界人を呼び出しなさい。そして召喚したその場で首輪を着け、監視を強化すれば今回の様なことは避けられるでしょう」

「しょ、承知致しました。しかし、2000人となると、そう簡単には集まりませんが。前回集めた200も奴隷商人達がかなり訝しんでおりましたし」

 

 野心を満足させるための手段とはいえ、宮廷魔術師次席の地位に引き上げてくれたセイラに対して相応の忠誠心をもっているオードルである。

 他の貴族達のように恐れは抱いたとしても自身に利用価値がある間はそう簡単に処断されることは無いと考えているから、率直に懸念を口にする。

 簡単に従って失敗したときの方が余程信頼を失墜させるだろう。

「何を言っているのですか? 奴隷など開拓地に行けば数百単位で居るでしょう。村を10ほども潰せば事は足ります」

「開拓民を、ですか?」


「民など国の奴隷に過ぎません。仕事をしているか売られているかなど些細な差でしょう。むしろ生きていたところで大して役に立たないのですから、国家に貢献できることを喜ぶべきです」

 つまり国と自身のために必死に開拓をしている、何の罪もない農民達の集落を襲って根こそぎ奴隷に、いや、セイラにしてみればそもそも国民は奴隷なんだから強引に連れてきて生け贄にしちゃえば良いじゃんと言っているのだ。

 

 為政者というものを根本的に勘違いしている鬼畜の発想である。

 権力を簒奪した後なので最早聖女の外見を取り繕う必要を感じていないのだろう。本性がダダ漏れとなっているのだが、この場にそれを指摘する者はいない。

 元からこの国の貴族達のメンタルなど似たようなものだし、オードルにしても魔術研究のためにもっと非道なことを平然と行ってきたのだから然もありなんである。

 

「承知致しました。では集めるために兵をお借りします」

「そちらはベリタス、は、もう駄目だったわね、後任にはサムソンを充てましょう、彼と協力して早急にあたりなさい」

 結局、いささかも躊躇うことすらなくオードルは受け、セイラは次の指示を出した。

 両膝と利き腕を打ち抜かれた千人長のベリタスは現在治療を受けているもののどう見ても騎士に復帰はできそうにない。それどころか日常生活をまともに送れるかどうかすら怪しい。

 

 第一騎士団には他にも千人長はいるが、セイラの駒として使えそうなのは百人長のサムソンだ。

 奇しくもどちらも伊織に失神させられた者達だが、それでも第一騎士団の中では実力は頭1つ抜き出ていた。昇格させればそれなりに使えるだろう。

 今回の勇者召喚は結果を見れば大失敗である。想定を遥かに超える悪夢のような事態を引き起こす羽目になったのだから、そう断じるしかない。それでもさらに勇者召喚を行うのはまだまだ力が必要だからだ。

 圧倒的な軍事力で周辺諸国を平定して権力を盤石なものにしてこそ危険を冒してまで権力を簒奪した甲斐があったというものなのだから。

 

 そうしている内にセイラの首輪の分析が終わったようだ。

 術式を調べていた魔術師のひとりがオードルに耳打ちし、変更されていた術式が発動させる鍵となる呪文を全く別のものにすること以外は何も変わっていない事を告げられると、彼はそれをセイラに報告する。

 

「では早くこの忌々しい首輪を外しなさい。……それにしても、羈束の首輪の術式を書き換えるなど、少々この国で魔法を学んだ程度でできるものなのでしょうか?」

 ようやく少し安堵した表情を見せたセイラが、首輪の魔法を解呪しているオードルに、沸きあがってきた疑問の答えを求める。

「いえ、異世界人に教えていた内容は攻撃と支援の魔法のみです。まして羈束の首輪の術式は特殊ですのでそう簡単に理解出来るものではありません。

 信じがたいことではありますが、元々魔法に関する高度な知識を持っていたとしか……」

 

「そう。異世界には魔法は存在しないという話でしたが、認識を改める必要がありますね。次の召喚の時には充分に対策を講じるように」

「は! っと、解呪できました。首輪を取り外しますので、恐れながらしばし御身に触れさせていただきます」

 セイラが小さく頷くのを待って、オードルは首輪とセイラの喉元の間に手を差し入れて留め金を外す。

(ん? この首輪、こんなに太かったか?)

 オードルが幾度も扱っていた首輪との感触の差に違和感を感じた瞬間、思考を余所にカチリと小さな音をたてて首輪が外れる。

 直後、

 

 ズドムッ!

 大きくはない、鈍い、それでいていやに耳に残る爆発音が響く。

 一瞬の静寂。

「な、ななな、あ?!」

 蚊帳の外に置かれ、ただ茫洋とセイラ達のやり取りを眺めていただけの国王の目の前にコロコロと転がってきた玉のようなものに目線を移し、それが、自分から権力を奪った娘の頭部であることを認識した瞬間、王の意識は焼き切れた。

 

「あ? え? は? う、うぎゃぁぁぁぁ!!」

「う、うわぁぁぁ!!」

 わずかに遅れて、手首から先を吹き飛ばされたオードルの、そして周囲の貴族達の絶叫が謁見の間に響いた。

 

 

 

 

 

 指定された時間が来たので伊織の部屋に行くために部屋を出ると、既に外は真っ暗だった。

 とはいえ、各トレーラーハウスの玄関には電灯も点いているので見通しがきかないほどではない。

 こうして改めて見ると文明の利器というものはすごいものだと香澄は思う。

 現代日本人と比べると夜目が利くとはいえ、こちらの世界では夜の灯りなどランプや篝火で照らすのが精々だ。

 地球においても近世までがそうだったように夜は人間の領分ではない時間だ。無論、こちらの世界とて暗ければ灯りは点けるし夜会などではシャンデリアや燭台に沢山の蝋燭を灯せばそれなりに明るくもなる。だが、一切の暗さを感じないほど明るい光源など望むべくもない。

 もっとも魔法を使えばそれなりの明かりを出すことも可能なのだが、夜襲に対応するため以外で使用するような無駄な事はしないのだ。

 

 長風呂で火照りの抜けない身体を湖からの涼しい風が通り抜けて心地良い。

 伊織の勧めに従い、1時間近く入浴に費やし、冷蔵庫に入っていたスポーツドリンクを飲みながら備え付けられていたドライヤーで(新品が箱ごと洗面所に置いてあった)しっかりと髪を乾かし、さらにこれまた置いてあった化粧水でスキンケアも入念に行った。

 おかげで時間ギリギリとはなってしまったが、心身共にリフレッシュできたので充実した時間だったと言える。

 

「あ゛……」

「あ、英太、って、どうしたの?」

 香澄の宛がわれたトレーラーハウスは一番森に近い奥側。真ん中が英太で、伊織はその向こう側だ。

 当然伊織のところに向かうには英太の部屋の横を通る。

 丁度そのタイミングで英太が部屋から出てきて顔を合わせることになった。が、香澄の顔を見た途端、英太が顔を赤くして奇妙な声を出した。

 香澄が怪訝に思ってマジマジと見ると、あからさまに挙動が怪しい。妙にツヤツヤとスッキリが同居したような顔をしているし。

 

「ど、ど、どうした、って、なな、何が?」

「いや、怪しすぎるでしょ。何を隠してるのよ」

「何も隠してねぇって! ほ、ほら、伊織さんが待ってるぞ、早く行かないと!」

 英太の態度は不審だが、まぁ、英太が時々挙動不審になるのは日本にいたときからあったことだし、特に不穏な気配も感じないから気にしないでも良いだろう。

 こう見えて割と頑固なところもある英太である。追及したところで言いたくないことは絶対に言わないだろう。

 そう考えてこれ以上何も言わないことにする香澄。

 付き合いが長い分、理解が深いようだ。

 ……肝心な部分を理解していないようなのが英太にとって不幸なのかどうなのか。

 

 一応チャイムを鳴らすと、『どうぞ~』と返事が聞こえたので玄関を開ける。

 途端に漂ってきたのは、郷愁を誘うスパイシーな香りだ。

「おう! ゆっくりできたか? って、聞くまでもないか。香澄ちゃんはお肌ツヤツヤだし、英太も……いや、これは言わない方が良いか……丁度メシの準備ができたところだ。テーブルに適当についてくれ」

 出迎えた伊織の服装は純白のコックコートに同じく白の前掛け、山高のコック帽という出で立ちである。どうやらこの男は形から入るタイプらしい。まるでどこぞのレストランの様相だ。

 6人掛けくらいのテーブルには既に食器類にサラダが準備されていて、さらに鶏のモモ肉をローストしたと思われる物や福神漬けにらっきょうまで揃っている。

 

 思い返してみれば、今日は早い時間に固くて不味いパンを少し齧っただけで昼食すら摂る暇がなかった。

 伊織のセクハラ紛いの発言と英太に対する意味深なニヤニヤ笑いが気になるところではあるが、食欲をそそる香りの波状攻撃を受けて香澄のお腹も大合唱を繰り広げている。

 まずはお風呂とかのお礼を言うべきなのだろうが、そう思いつつも空腹に急かされて2人はテーブルに着く。

 そしてそれを待っていたかのようにテーブルにドカッと置かれるご飯の入ったおひつとメインの入ったお鍋。当然、中身は匂いと期待を裏切らず“カレー”である。

 並べられた銀製のカトラリーに彩りよく綺麗に盛りつけられたサラダやチキンとは裏腹に、メインの出し方は大家族のオカンである。しかも秋田杉の曲げわっぱのおひつと何の装飾もない両手鍋で雰囲気がぶちこわしだ。

 

「何の捻りもない中辛のカレーだけど、良いよな? たっぷり作ったから好きなだけ食ってくれ。おかわりは各自で。足りないことはないとは思うが、なくなったら何か追加で作るから腹一杯食え。んじゃいただきます」

 全員分のカレー皿を配り終えると、伊織はひと息にそこまで言うと、率先してご飯、カレーを盛り、食べ始める。

「い、いただきます!」

「えっと、いただきます」


 伊織の態度に『遠慮するなよ』という意味が込められている事を理解して、2人も自分の食器に盛りつけ、食べ始める。

 懐かしい味。なんの変哲もない、白いご飯とどこのスーパーでも売っている市販のカレールーを使った日本式のカレーの味。もちろん日本のカレーに福神漬けやらっきょうは欠かせない。

 一口食べ、後はもう夢中になって掻きこんでいく。

『カレーは飲み物である』とは名言であったと体現しながら合間にサラダやチキンを挟みながら食べ続け、10人前は優にありそうだった鍋の底が見えるほど減る頃にようやく満足して食事を終えた。

 英太も香澄もお腹がはち切れそうである。

 

「おお~、結構食ったなぁ。飲み物はコーヒーで良いか? ちょっと食休みしたらデザート出すけど、チョコケーキ、まだ食えるか?」

 2人の返答はもちろん『食べる!』であった。

 伊織はテーブルの上を片付けると、コーヒーを3つ淹れて出し、自身も再度席に着く。

 ようやく真面目なお話しタイムの始まりである。

 

「さて、んじゃそろそろ今後のことを話し合おうか」

 伊織が口火を切ると、英太も香澄も真剣な顔で耳を傾ける。

「まずは、王宮でも訊いたけど、2人とも日本に帰りたいって事で間違いないか?  王国を無事に脱出したし、2人の実力があればこっちの世界である程度自由に、余裕を持った生活を送ることもできるだろうし、その気になれば成り上がることだってできる可能性が高い。望むならある程度の道筋なり立場なりを作り上げるまで俺が支援しても良い。

 このまま日本に帰ったって、高校生っていう大事な時期に行方不明になっていたって事になるし、自分の意志では無いにしてもこっちの世界で人を死なせた事実は消えない。平和な日本での生活に戻れば尚更そのことを思い出すだろう。

 進学や就職だって上手くいく保証はないし、家族や友人との関係もどうなるか分からない。

 ただでさえ日本ってのは窮屈でストレスMAXな社会だ。こっちの経験が生かされる事なんてまず無いだろう。

 ……それでも帰りたいか?

 もちろん、すぐに結論を出す必要もないから、時間が欲しいってのでも構わないけどな」

 

 伊織が指摘する厳しい現実。

 突きつけられたその言葉に、英太と香澄はすぐに言葉を返すことができない。

 確かに英太も香澄も現代日本に帰ることを心から望んでいたし、帰ったときのことを幾度も考え夢に見ていた。

 しかし、それは前提として、帰る手立ても見込みも何もなかったときの話だ。

 それに2人はまだ高校生である。社会の厳しさも経験していないし人間関係のトラブルだって所詮は同世代の狭い世界でのことでしかない。

 そういった『帰ってからの事』を想像するには絶対的に経験が足りていないのだ。

 

 だが、こうして伊織という想定外の存在によって帰ることができるという希望を得ると、否応がなく“次のステップ”に思考を向けなければならない。

 ましてや、実際に帰ることのできる可能性が高いことが伊織の言葉から分かると、なおのことより具体的に考えなければならないだろう。それは未だ少年少女と言ってもいい年齢の2人がすぐに結論を出すことは難しい。

 

「あの、本当に日本に帰ることができるんですか?」

 結論を出す前に、香澄が伊織に確認をする。

 決めるにはまずそれを聞いておかなければ始まらない。帰ることができなければそもそも考えても無駄だからだ。

「変に期待させてもアレだからな。先に言っておくと、現状すぐに帰ることはできない」

「じゃ、じゃあ…」

 落胆したように英太が声を上げたのを、伊織は手を振って遮る。

 

「間違えんな。現状では、だ。

 日本に帰るために必要なものが2つある。それが手に入れば帰ることができるし、そのための技術も持ってるからな」

 伊織はそう前置きして説明を続ける。

 

「2人もこうやって異世界に来たから分かるだろうが、異世界や異空間ってのは、認識も観測もできないだけで、それこそ無数に存在している。そのひとつが俺達の居た地球の存在する世界だし、ここの世界もそうだ。

 問題になるのは、その世界・空間が“無数”にあるってことだ。中には俺達の世界とは似ても似つかない世界やそもそも生物が存在できない世界だってあるだろう。似てるだけのまったく違う世界だって存在する。

 その中から、俺達の居た日本のある世界をどうやって見つけるか、現状では確実な方法がない。

 それこそ、砂浜の砂を3粒適当に拾ってきて、まったく同じ場所に戻せるのかってのと同じだな。

 もうひとつは、世界と世界を隔てている空間の壁を開かなきゃならない。そのためには膨大な魔力と、そのために触媒となるものが必要なんだ」

 

「それじゃ結局無理ってことじゃないですか! それともどうにかする手段があるんですか?」

 期待感が高かっただけに伊織が口にしたハードルの高さに英太が失望を込めて声を荒げる。だが、伊織はこともなげに「あるよ」と答えた。

 

「2人と俺が同じ世界から召喚されたのは偶然じゃない。というか、偶然で同じ世界から来るには世界は多く、確率が低すぎる。となれば魔法陣の中に俺たちの世界を指定する項目が含まれていると考えるのが自然だ。

 であれば、必要なのは魔法陣に刻まれた魔法紋の解読だが、それができればこの世界と俺たちの世界を繋ぐ魔法陣を組んで俺の知っている魔法に組み込むことができる。

 ただ、あの召喚の魔法陣ってのは、まぁ、日本のサブカルチャーの定番だが、魔法が発達していた古代文明の遺産みたいなものを王国の宮廷魔術師の1人が何とか使えるようにしただけらしくてな、どうやら細かい部分は分かってないらしい。

 

 んな、成功するかどうかも分からんものを実際に試してみるなんざ、正気の沙汰とは思えないが、まぁ、たまたま成功しちまったんだろう。

 んで、魔法紋自体はその文明の文字がそのまま使用されているようなんだが、王国の研究施設からかっぱらってきた資料だけじゃ不十分だったんだよなぁ。とはいえ、解読のとっかかりくらいは何とかなりそうだから、他に同じ文明の遺跡や古文書みたいなものを集められれば何とかなるだろうとは思う。ただ、それなりに時間が必要なのは確かだ」

 

 地球での古代文明の文字もそうだが、解読というのはどれだけ数多くの文字や文章を蓄積できるかに掛かっている。もちろんそれだけでは解読不可能な言語もあるが、解読のとっかかりを得られているということは見込みが十分にあるということだ。

 さらりと『かっぱらってきた』などと漏らしていたが、まぁ今更である。

 

「そ、それじゃあ、その古代文字を集めれば解読できるってことっすか?」

「ああ。俺が以前に行った異世界も、地球も、この世界でも魔法ってのはある特定の法則というかルールがある。それはどの世界でも共通していて、物理法則と同じ性質のもの、というか、地球では発見されていないだけで物理法則そのものだ。だからこそ2人が着けられていた首輪の魔法も解除できたんだしな。まぁ、魔法の説明自体は今度改めてするとして、とにかく解読自体は以前にも経験があるから必要な情報が集まりさえすれば何とかなると考えてくれ」

 

「時間が掛かりそうですね。あと、もう一つの条件はどうなんですか?」

 思ったよりも時間が掛かりそうということで落胆はあるものの、元々そう簡単に帰ることができるなどと楽観していたわけではない。それに、考える時間ができたとも思えるのでそれほどの動揺はない。

 今はまず、帰るための条件を聞き、それから考えるべきだろうと香澄は伊織に続きを促す。

 

「そっちを説明するにはまず複数の世界が存在する、多重世界と魔法の根源の話をしなきゃならないんだが……」

 まだまだややこしい話が続くらしい。

 

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