第8話 父への殺意

8 父への殺意


 夕暮れると風がでた。

 一日の労役のはてに、腕には接着剤のボンドがいたるところに付着して、固まり、肌は甲殻類のようにゴツゴツしている。流れおちる汗を不用意にその手でぬぐってしまった。爪でひっかかれたような幾条もの痛みが顔にはしる。手のひらは固まった接着剤で、荒いヤスリのようになっていた。

 ぼくのものとはおもえない、ゴツゴツした手に血がついている。顔はヒリヒリする。血は止まらない。桃代が帰ってきた。おどろいてぼくの顔をみつめる。青ざめた顔で門のなかに消えていく。玄関を開ける音がした。

 やがて……。濡れたタオルをもって、もどってきた。息をきらせている。タオルはよくしぼられていない。妻のわたしてよこしたものではないのだろう。しぼりなおすと、シズクが大地に数珠となってしたたる。顔におしあてる。ひんやりとして、気持ちがいい。桃代はいない。ありがとうとお礼をいいたかったのに。もういちど顔におしあてようとした。タオルは赤く染まっていた。

 ――パパ。という声にふりかえる。妻と桃代が門のところに立ってこちらをみている。

 ――また、やってしまったのね。妻が桃代にオロナインのビンをわたしている。

 ――ショウノナイパパデスコト。桃代の大人びた言葉。お人形に呼びかけている。慈愛に満ちた声をだす。ぼくは桃代の背の高さまで屈む。ぼくの顔に桃代がオロナインをぬる。すりこむ。


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