チートを捨てた俺が、天族ちゃんと目指す――異世界スローライフ。
桜川ろに
天族ちゃんと目指す、異世界スローライフ。
――正直言って、一目惚れだった。
その子は、まるで天使だった。
……いや、実際のところ、天使なのである。
◇
そこは雲の上に建てられた、神殿のような場所。
今俺がいるのは、天界というところらしい。
そして自分は、ついさっき死んでしまったのだそうだ。
そのことを教えてくれたのは、神サマを名乗る、白ヒゲの老人。
後ろには、山ほど天使たちを従えていた。
「困ったことに、君の死はイレギュラーなんだよねー。だから君には、ほとぼりが冷めるまでチートスキルでも貰って、別の世界に異世界転移していてほしいんだ。一生分だけでいいからさー」
「イレギュラー」だとか、「チート」だとか、「異世界転移」だとか。
しかし、それらは一切、俺の頭の中に入ってこなかった。
俺の視線は、神サマの後ろにいる、一人の天使に吸い寄せられていたのである。
可愛い、なんて言葉では言い表せない。
すべてが完璧なのだ。
ピカソもミケランジェロもモナリザも、彼女の前にはひれ伏すしかないだろう。
彼女の姿が、俺の心をとらえて離さないのである。
――彼女と一緒にいたい、俺はそう思った。
「天族ちゃん、チートスキルのカタログを持ってきてー」
神サマが、その天使を使いに走らせようとする。
俺は思わず神サマを引き留めていた。
「神サマ、一ついいですか」
「何だね」
「その、異世界に持ち込む物ですが、チートスキル以外でもいいんでしょうか」
「ああ、構わんよ。まあ、チートスキルより力がある物は無理だがねー」
「それなら、俺はそこにいる天族ちゃんと一緒に異世界転移をしたいと思います」
――ああ、言ってしまった!
俺だってチートスキルがどれだけヤバい物かぐらい知っている。
それでも、そんなチートスキルなんかより、ずっと。
そこにいる天族ちゃんの方が、輝いて見えたのだ。
「天族ちゃんかー。おっけー、いいよー」
神サマは、そう言ってサムズアップする。
え? いいの? もっとひと悶着あると思っていたのに。
意外なほどに、あっさりとOKを頂いてしまった。
「ちょ、ちょっと待って下さい、神サマ! 私にも事情というものが……!」
「それじゃあ、転移を開始するねー」
神サマの掛け声とともに、身体を支えていた重力が消え。
次の瞬間には、俺たちは草原のど真ん中に立っていたのだった。
◇
「そう言えば、俺の名前って何なんだろう。生きてた間の記憶が、なにも思い出せないんだよな……」
近くの町を目指して草原を歩きながら。
俺は誰に向けてでもなく、呟いていた。
自分がどこの誰で、死ぬまでの間何をしていたのか。
それらの記憶が、一切頭の中から抜け落ちてしまっているようなのだ。
「天界の掟で、一度死んでしまった人間の記憶は抹消する決まりになっているんです。次の人生に記憶を持ち越すと、前世に囚われてしまう、と」
隣を歩いている天族ちゃんが、そう教えてくれた。
なるほど、神サマにもいろいろ都合があるらしい。
俺の生前の名前は『ヨースケ』だったと、それだけ教えてくれた。
「えーっとそれじゃあ、天族ちゃんのことは、何と呼べばいいのかな」
「……別に、天族ちゃんで構いません。名前なんて、捨てましたから」
そう言う天族ちゃんは、どこか思いつめたような表情をしていた。
しかし……それにしてもこの草原、相当な広さだ。
なかなか人里が見えてこない。
天族ちゃんは歩きなれていないのか、ぜいぜいと息を切らしていた。
そして俺のことを、恨めし気な目つきで見つめてきた。
「とっととチートを貰って、ハーレムでも作ればよかったのに……」
「本当ごめん。でも、一目君を見て、君じゃなきゃダメだって思ったから……」
「……勝手な人」
もしかしたら、自分の思い付きで言った言葉が、天族ちゃんの運命を狂わせてしまったのかもしれない。
それでも、あのときの俺は――天族ちゃんに心を奪われてしまっていたのだ。
きっと何千回、何万回、記憶を失っても同じことをするだろう。
記憶を失った今でも、ただ一つ、俺が言える確かなことだった。
◇
しばらくして、俺たちは無事に町に到着することができた。
町を訪れて最初に向かったのは、冒険者ギルドである。
俺たちは、冒険者ギルドの門をくぐる。
すると、静かだったギルド内が、突然ざわざわとざわめき始めた。
彼らの視線の先にいたのは、天族ちゃんである。
やっぱりこうなってしまったか……。
しかし、天族ちゃんを外で一人で待たせるというのも、危険な気がして。
天族ちゃんをギルドに連れてきてしまったのだ。
「全く、やかましい限りですね。もう少し、静かにできないのでしょうか」
しかし天族ちゃんは、うんざりした様子で言う。
どうやら彼女は、俺なんかよりずっと肝っ玉が強いらしい。
周囲の視線に耐えながら、俺は冒険者登録の順番待ちをする。
俺たち以外にも、順番待ちをしている人がちらほらと見える。
そして、その中に一人、チートスキル持ちの転移者らしき人物がいた。
顔つきは同じ日本人。金髪で、いかにもチャラそうな外見だったのだが。
彼が受付に行くと、あっさりとSランクの冒険者として認定されていた。
……やっぱり、チートスキル持ちだと、イージーモードなんだろうな。
しかし、俺の心には一片の後悔もない。
天族ちゃんの隣にいるだけで、俺は幸せなのだ。
そして、しばらくして。
ようやく俺の順番がやってきた。
「冒険者志望の方でしたか。天使を連れているので、てっきり高ランクの冒険者さまだとばかり……」
受付に行くと、受付のお姉さんはびっくりした様子だった。
「それでは、ここに右手をかざしてください」
言われた通り、俺は右手を一枚の白紙のカードの上にかざした。
すると、一瞬カードが光輝いたかと思うと、そこに文字が記されていた。
大きく描かれた”E”の文字が見える。
「これで登録は完了です。ヨースケ様はEランクからのスタートとなります」
予想はしていたけど、やっぱり最低ランクのEからのスタートか。
しかし、これも覚悟の上。俺は冒険者カードを受け取った。
◇
そして、その日から俺の冒険者生活が始まった。
レベル1からのスタートで、チートスキルも無し。
そんな俺にとって、Eランクの依頼ですら四苦八苦という有様だった。
「毎日、帰ってくる頃には傷だらけで。やっぱり、チートスキルの方が必要だったんじゃないですか?」
天族ちゃんは、何とも言えない複雑な表情で、俺のことを見つめていた。
天族ちゃんは天界の掟で、地上では天界の力を封印しなければならない。
だから依頼を受けるのは、俺ばかり。
毎日傷だらけになって、天族ちゃんが待つ借り家へ帰ってくるのだった。
「今からでも天界に掛け合えば、チートスキルを貰えると思いますよ?」
「それはやめておくよ。そんなことしたら、天族ちゃんが天界に帰らなきゃいけないんだろう?」
俺は首を横に振る。
「それに、一つ目標ができたんだ。50000Gを貯めて、田舎に家を買う。そこで天族ちゃんと農業でもすれば、モンスターと戦う必要もないしね」
「……もう、勝手にしてください」
そう言って、天族ちゃんはぷいっと横を向く。
いつもそうなのだ。俺が勝手に天族ちゃんのことを巻き込んだというのに、彼女はいつも俺の心配をしてくれる。
そんな彼女に、俺は感謝してもし足りない。
だからこそ、早く50000Gを貯めよう。そう強く決心したのだった。
◇
どうしてあの人は、あんなに傷ついてまで私と一緒にいたがるのだろう……。
天族ちゃんは買い物の最中、ずっとそんなことを考えていた。
ヨースケさんの記憶は、全て抹消されているはずなのだ。
それこそ、なにもかも全て。
私のことだって、憶えていないはずなのに……。
買い物が終わっても、天族ちゃんは上の空。
そして、市場から家に帰る道中、それは起こった。
「君が、天族ちゃんだよね? 探してたんだー、君のこと」
金髪の、いかにも冒険者風の男が、私に声を掛けてきたのだ。
この男は……確かヨースケさんが冒険者登録をしたときに、見た記憶がある。
神サマからチートスキルを貰って、あっさりSランクの冒険者に認定された男だ。
「確か君は、Eランクの冒険者と一緒にいるんだっけ。転移者がEランク! ハハハッ、Eランクだって!」
そう言って、目の前の男は大笑いしている。
どうやら、ヨースケさんを馬鹿にしているらしい。すごくムッとした。
「あなたの笑い方、凄く不愉快です。もう帰ってもいいですか?」
しかし、金髪の男は強引に私の腕をつかんで離さない。
「待てよ! あんなのより、俺と一緒にいた方がずっと楽しいぜ? なにせ俺はSランクの冒険者だからな! 金だって奴隷だって、欲しいものは何でもくれてやる」
「私は、好きであの人と一緒にいるので。いい加減、離してください」
「あんな才能のないクズ、捨てちまえばいいじゃねえか。転移者だっていうのに、Eランクのクズ! アハハ、笑えるぜ。よっぽど才能がねぇんだな、そのヨースケってヤツ!」
いい加減ムカついて来た私は、Sランクとやらを突き飛ばした。
しかし、男はそれでもヘラヘラと笑っている。
「おいおい、俺が誰だか分かってないらしいな。ただのSランクじゃないんだぜ? こっちはチートスキル持ちなんだ。こうなったら、力づくでも言うことを聞かせて――」
「――ラグナロク」
チートスキルとやらが発動する間もなく――
私の放った雷撃は、冒険者の男を撃ち抜いた。
「あ・が・が・が・がっ!」
男は真っ黒焦げになりながら、路上に倒れ込んでしまった。
しかし、それでも生きているのか、ビクビクと震えている。
神サマから頂いたチートスキルで、神の力に抗おうとするなんて。
全く、身の程知らずというか、怖いもの知らずというか。
「あなたの心の、良心だけは生かしておきました。……これで、再び
魂は生かしたまま、邪悪な心だけを粉砕する、神の雷。
――
天界の掟は、「私利私欲のために、神の力は使うな」というものだ。
目の前の道を誤った者に、正しい道を教えたまでのこと。
……別に、ヨースケさんが馬鹿にされたから、カッとなって使った訳ではない。
きっと、そのはずだ。
◇
あれから私は、黒焦げの冒険者の男を路上に放置して、家に帰って来ていた。
誰もいない借り家に、私一人がぽつりと座っている。
私はヨースケさんを待ちながら、生前の記憶を思い出していた。
天使として転生する前、人として生きていた頃の記憶――
「きっと、天国に行けるさ。俺も、いつになるかは分からないけれど、絶対に天国に君を迎えに行くから。だから――」
その後の言葉を、私は憶えていない。
それが、私の人生、最期の瞬間だった。
私は小さい頃から病弱で、病院の先生からは、20歳まで生きられない、なんて言われていた。
そんな私のことを、隣でずっと励ましてくれていたのが、ヨースケさんだった。
治る見込みなんて、最初からなかったのに……。
それでもヨースケさんは、私のことを最期まで励ましてくれた。
結局、私は幼馴染を一人残して、先立ってしまった。
私はその後、天界で天使として転生していた。
きっと、ヨースケさんは、私が居なくなった後も元気にしてるはず。
そう思って、私は天界での仕事を頑張っていた。
けれど、まもなくしてヨースケさんが交通事故で亡くなったということを知った。
その事故は、天界でもイレギュラーな事故だったそうだ。
ヨースケさんは後50年は生きる運命にあったはずだったのだ。
その後、天界の慣例として、ヨースケさんは生前の記憶を抹消された。
私のことも、すべて忘れてしまった、はずなのに。
あのときの言葉。
絶対に天国に君を迎えに行くから――
この言葉通りに、私のことを迎えに来た、とでもいうのだろうか。
◇
しばらくして、ヨースケさんが冒険から帰って来た。
なにかいいことでもあったのか、機嫌がよさそうにしている。
「ただいまー。天族ちゃん、今日はいいニュースがあるんだ。聞いてくれるか?」
「……それって、ヨースケさんが無傷で帰ってきたことですか?」
私の言葉に、ヨースケさんは不意を突かれた様子だ。
自分の身体を見回して、自分でも驚いている。
「え? ……本当だ。いや、そんなことじゃなくってね。なんと! 今日の報酬で、50000Gが貯まったんだ!」
「へー」
「リアクション薄いなっ! それで、物件候補を考えてみたんだけど、こんなのはどうかな?」
そうして見せてくれたのは、羊皮紙に魔法で写された、田舎の画だった。
綺麗な緑の自然の中に、ぽつんと小さな一軒家が建っている。
その中にいる私とヨースケさんの姿を想像する。
それだけで、胸が満たされるような、幸せな気持ちになった。
「来週にでも引っ越せるって話なんだけど……天族ちゃんはどう思う?」
「ふーん。別に、いいんじゃないですか?」
それでも、私は努めて平静を装っていた。
その感情を表に出すのが、なんだか恥ずかしい感じがしたのだ。
「そうだろう!? ……田舎でスローライフか、今から楽しみだなあ」
ヨースケさんは、興奮した面持ちだ。
これから、新しい生活が始まるのだ。
ヨースケさんは私のことを憶えていないかもしれないけれど……。
心のどこかで、私たちは繋がっているハズ。
今まさに、あのとき失った時間を、取り戻すときが来たのだ。
これからは、思いっきり楽しもう。
あのときできなかったことを、『天族ちゃん』として思いっきりやってやる。
――だから、ヨースケさん、これからもよろしくね。
私は心の中で、ひっそりと呟くのだった。
チートを捨てた俺が、天族ちゃんと目指す――異世界スローライフ。 桜川ろに @Sakura_kuronikuru
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