追求の結果

 秀は、デッキケースをリュックにしまった。勝利への渇望は、一緒に影の中に落ちていった。

 代わりに、そこから別のものを拾い上げる。〈リヴァイアサン〉のデッキが入った、キャラクターのイラストの入った箱を。


「光葉さん……もう一戦、いいですか?」


 テーブルに置いて、お願いします、と頭を下げる。ケースに描かれた海竜が、秀を見つめる。使ってくれ、と訴えているかのようだった。気の所為だと知っている。けれどその錯覚は、秀の闘志を示していた。


「よしきたっ」


 光葉の手が積み上げたカードを掴む。

 カードをシャッフルする。使い古されたスリーブは手によく馴染んだ。手際よくカットする。

 手札を確認する。不要なカードをすぐに選び、新しいものと交換する。呼吸するように当たり前の動作。手札を揃えた瞬間から、秀の脳は活性化した。戦略を練り始める。

 カードをめくるたび、カードを出すたびに、一喜一憂を繰り返す。盤面を読み、できうる限りの手段で、相手に対抗する。ときには出し惜しみ。手の内を隠して駆け引きをする。

 たかが紙だった。イラストが描かれているだけの。けれど、カードたちは〝生きて〟いた。秀の手で彼らは躍動し、勝利を掴み取ろうとしていた。


 いつの間にか手札かのうせいはたった一枚に減っていた。対して、相手は五枚もある。勝利まではお互いあと一点。しかし、やれることがほとんどない秀のほうが分が悪い。

 それでも――いや、だからこそ、心が踊る。口元は笑みの形を作る。興奮。血が滾る。これが秀の求めていたもの。くだらないことのすべて。


「〈リヴァイアサン〉で、〈ブリュンヒルデ〉に攻撃!」


 カードをすべて切った全身全霊の攻撃宣言。秀は一秒後の展開に最後の期待を乗せる。通れば、勝ち。防がれたら、負け。運命の分岐点に胸を揺さぶられる。

 ――果たして。


「防ぎます!」


 高く通る光葉の声。秀のすべてを懸けた一撃は、光葉に届かない。

 戦乙女が、勝ち誇った表情で海竜を見下ろすのを幻視した。

 ターンを譲る。光葉はすぐさま容赦なく、秀にとどめを差した。

 捨札の場に置かれる〈リヴァイアサン〉。


「……負けたぁ!」


 天井を仰ぐ。店を照らす蛍光灯を見つめながら、悔しさを噛み締める。だが、その胸の内は、充実感で満たされていた。楽しかった、と口元が綻ぶ。


「惜しかったね」


 と励ます光葉は、ちゃっかりガッツポーズを決めていた。上機嫌に手札を山札に戻し、手際よくカードを片付けていく。秀もそれに倣った。


「うーん、でもやっぱ、ついていけてないなー。下準備に回す分と防御に回す分、カードを切るバランスが難しい」

「そのために速攻で攻めまくったからね。私の戦略勝ちですよ」


 にへへ、と光葉は、年下を負かして大人げなく笑う。それがまた秀を苦笑させた。そんなことをされればますます悔しい。いつか負かしてやりたい、と闘志が燃え上がる。

 手札も捨札も山札もすべてまとめたデッキを取り、中身を吟味する。先程の戦いを振り返り、構築をどう考えるべきか考える。戦略勝ちだというのなら、その戦略を崩してやりたい。そのための手段は――


「いい顔してる」


 眉根を寄せながらテーブルの上にカードを仕分けて置く秀を、光葉は頬杖をついて見上げる。にやにやと口元を歪めつつ、温かい視線を秀に送る。


「好きなものは、やっぱり好きなようにやらないと」


 自分勝手に、という意味ではなく、自分が最大限楽しめるように遊ぶべきだ。光葉の言葉が、秀の中に染み入った。

 カードを見つめる。一番前に置かれた、お気に入りのカードのイラスト。ただの紙に過ぎないそれに、愛しさが湧き上がる。勝ち負けなどではない、もっと違うものに、秀は価値を見出した。


 秀はテーブルの上を片付けた。デッキの構築を見直すのに、ここはふさわしくなかった。他のカードは家にある。模索するには、物を見ながらのほうが良い。


「ありがとうございました」


 光葉に頭を下げる。自分の〝好き〟を手放さなくていいのだ、と教えてくれた年上の友人に、感謝が湧き起こって。


「いいってことよ」


 光葉は嬉しそうだった。秀が同族で居てくれることが嬉しいらしい。


「でも、せっかく集めたカードがお役御免だね」


 勝つために組んだ〈アーサー〉のデッキ。鞄の底に入っている適当な箱を思い出しながら、秀は言う。


「いや、残しますよ。強化もするし」


 ついでにスリーブももっと格好いいものに、デッキケースもお気に入りのものにしようと思っている。


「え?」

「だって、もったいないし」


 これのために、自由に使える小遣いを使い果たしたのだ。〈リヴァイアサン〉ほどではないにしても、執着はある。


「手元にあれば研究もできるし、せっかくだから使いこなしてみたいし」


 ゲームの面白さの真髄を悟ったからこそ、新しい楽しみ方をしてみたい、と秀は思っている。それに、やっぱりたまには勝ちたい。

 秀が言葉を重ねるたびに、光葉の肩が落ちていった。それを見て、秀は一つの可能性に思い当たる。


「光葉さん、もしかして俺が〈アーサー〉使ったら、勝てなくなるとか思ってます?」


 秀に〈リヴァイアサン〉を勧めたのは、秀の気持ちを慮ったのではなく、自分のためだったとしたら――


「だって……私も勝ちたいもん」


 台無しだ。

 子どもっぽく口を尖らせた光葉に、秀は肩を落とした。

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